婚儀を終えたその夜。
 私の部屋の前で控えめな声が響いた。

「失礼致します」

 美月の声だ。
 私は静かに返す。

「入っていいぞ」

 扉が開き彼女が姿を現す。
 白い寝巻きの姿は、どこかまだ儚くそして少し緊張を帯びていた。

「先程振りだな」
「そうですね」

 彼女が布団の近くまで歩み寄ってくる。
 私の部屋は必要最低限の物しか置かれていない。だからこそ、その小さな身体が余計に際立って見えた。

「共に寝よう」

 言葉にした瞬間、美月の声がわずかに上擦る。

「は、はい」

 その反応が初々しく、胸の奥に温かなものが広がった。私はただ微笑みを返す。

 やがて彼女は布団の中に入り、緊張した面持ちで仰向けに横たわった。

 私も隣に横になり、薄い掛け布団を肩まで引き上げ、そっと彼女の方へ身体を向ける。

「美月、その……嫌じゃなければ手を繋ぎたいんだが」

 思い切って告げると彼女は驚いたように瞬きをした。

「手ですか……?」
「ああ」
「いいですよ」

 布団の上に差し出した私の左手に彼女の小さな右手が重ねられる。
 その温もりを逃さぬよう、私は両手で包み込んだ。

「永和様……?」

 不安げに問いかける声に私は真正面から応える。

「美月、私は不器用で、何を考えているのか分かりづらいとよく言われる。だから……もし、これから不安や不満に思うことがあれば、遠慮なく言って欲しい」

 真っ直ぐに彼女を見つめる。
 私の青色の瞳に映る美月はどこか幼く、けれど勇気を振り絞ろうとしているように見えた。

「わかりました。永和様も何かあれば言ってくださいね」
「ああ、勿論だ」

 その答えに肩の力が抜ける。
 彼女の微笑みに釣られるように、私の口元も自然と緩んでいた。

 まだお互い知らぬことばかりだ。
 だが、こうして日々を重ねていけば彼女の全てを知り受け止めていけるだろう。

「永和様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ、美月」

 彼女は繋いだままの手に力を込め、その温もりに安堵したように眠りに落ちていった。

 静かな寝息を立てる美月を見つめながら、私はそっと右手を伸ばしその柔らかな髪を撫でた。


 婚儀を終えてから3ヶ月少し。
 その夜も、いつものように寝室の灯りを落とし、美月が横たわる布団の中に身を滑り込ませた。

 隣に並ぶと、彼女の柔らかな吐息がすぐ近くで感じられる。

「美月、私たちが夫婦となってから、もう一月ほど経ったな」

 月明かりに照らされた美月の横顔を見つめながら言うと、美月は小さく頷いた。

「そうですね」

 鬼の国での生活にも慣れつつあるのだろう。私に対して向けられる瞳も、初めの頃よりずっと落ち着いて見える。
 
 だからこそ、私は前から胸の内にあったことを口にした。

「その……新婚旅行に行かないか?」

 私がそう言えば美月の瞳が驚きに揺れる。

「新婚旅行ですか……?」
「ああ。まだ行っていなかったからな。嫌でなければ私は行きたいと思っている」

 月明かりが彼女の表情を照らし出し、恥じらいと喜びが入り混じった顔がはっきりと見えた。
 その姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。

「嫌じゃないです。行きたいです……!」

 その答えに思わず微笑みがこぼれる。

「そうか、よかった」

 私がそう言うと彼女は私の右手をぎゅっと握り返してきた。
 

         ❀❀❀

 それから二日後。
 私たちは王都から車で二時間ほどの場所にある、温泉地で知られた田舎街へと向かっていた。
 ハンドルを握りながら、助手席の美月が外の景色に目を輝かせる。

「自然豊かでなんか落ち着きます」
「ああ。王都とは違って、田舎は静かで良い」

 窓の外には瑞々しい緑の田畑が広がり、風に揺れる穂が初夏の光を受けて煌めいていた。

「窓開けてもいいですか?」
「ああ、構わない」

 彼女が窓を開けると、若葉の香りを含んだ柔らかな風が流れ込み、彼女の髪を揺らした。
 その横顔がどこか嬉しそうで、私は横目でその姿を見てしまう。

「良い風ですね」
「そうだな」

 たった一言のやり取りが、私の心を安らがせた。

         ❀❀❀

 昼前。
 目的地の宿に到着した。
 車を降りた美月は、目を丸くして建物を見上げる。

「着いたな」
「そうですね、それにしても大きな宿ですね」

 木造の外観は立派で、何度も手を加えたように広がっている。

「ああ、この辺りでは人気の宿らしい」
「そうなんですね」
「ああ。では、行こうか」
「はい……!」

 私は自然に手を差し伸べると、美月は少し照れながらもその手を優しく握り返してきた。
 
 初夏の風が私と美月の背を押し、私達は並んで宿の玄関へと歩き出した。