姫さまの14歳を迎えた誕生日の日の夜。
彼女を祝う為の晩餐会が王城にある大広間で行われていた。
大広間には燭台の灯りが揺れ、豪奢な食卓には彩り鮮やかな料理が並んでいた。
貴族や家族の祝辞が次々と捧げられ、音楽隊が優雅に奏でる旋律が場を満たしている。
護衛である俺はいつものように姫さまの背後に控えている。
「千明、今夜はとても賑やかね」
「ええ。のお誕生日ですから、皆が心からお祝いしたいのでしょう」
「……そうかしら。形式ばった挨拶ばかりで、少し疲れてしまったわ」
そう言う姫さまを見て俺は笑みを溢した。
「では、せめて俺からは、形式ではなく……心からの言葉を」
「……心から?」
「はい。14歳のお誕生日おめでとうございます。どうか、これからも笑顔でいてください。それだけで……俺には十分ですから」
俺がそう告げると姫さまは柔らかい笑みを浮かべた。
「……ええ、千明、ありがとう」
彼女の瞳に映る自分はきっとこれから先も護衛としてだ。それが変わることはきっとない。
──そんな俺の思いを掻き消すかのように音楽隊が奏でる音色がひときわ大きく響き、俺はすぐに現実へと引き戻された。
❀❀❀
麗らかな昼過ぎ頃。
俺は王城の中庭を、護衛であり、そして幼い頃からの幼なじみでもある姫さまと共に歩いていた。
「姫さま、いよいよ明日、行ってしまわれるのですね……」
声に出した途端、胸の奥が締めつけられる。
分かっていたはずなのに、言葉にしてしまうと余計に現実味を帯びてしまった。
「ええ、こうして貴方と他愛のない会話をしたりすることも出来なくなると思うと寂しく感じるわ」
微笑んでそう言う姫さまだが、俺はその声音の奥にある寂しさを敏感に感じ取った。
「そうですね、私も姫さまと同じ気持ちです」
護衛としての顔を崩さぬよう、努めて穏やかに答える。けれど、胸の奥底ではどうしようもない悔しさが渦巻いていた。
幼い頃からずっとこの人を守ってきた。
剣を手に取り、命を賭しても守ると誓った。
──だが本当は、それだけじゃない。
俺にとって姫さまは、守るべき存在以上の大切な人なのだ。
「千明、これまで私のことを守ってくれて、側にいてくれてありがとう」
その一言に心臓が大きく跳ねた。
どうして今、そんな言葉をくれるのだろう。
思わず、彼女を真剣に見つめてしまう。
「はい、あの、姫さま。一つ約束して欲しいことがあるんですけど、いいですか?」
「ええ、何かしら?」
「何か辛いことや、逃げ出したくなるようなこと、寂しくなることがあったら、俺のことを思い出すことを約束して欲しく思います。俺は離れていても、姫さまの味方ですから」
──本当は「そばにいて守りたい」と叫びたかった。
けれど、護衛という立場と、王女と自分の身分の違いがその言葉を喉の奥に縫いつけた。
だからせめて、彼女の心の支えになりたかった。
「ええ、約束するわ。ありがとう、千明」
小さく、けれど確かに頷く姫さま。
その姿を見つめながら、俺は自分の感情をさらに深く胸の奥へ押し込んだ。
その夜。
きっと姫さまも眠れぬ夜を過ごしているだろうと思いながら、俺もまた寝台の上で目を閉じることができなかった。
──明日が来なければいいとさえ思ってしまう。けれど、時間は止まることはなく無情に過ぎていった。
❀❀❀
翌日の朝。
王城の正門に並び、陛下や姫さまの兄君であり王子殿下と共に俺は馬車へと向かう姫さまを見送った。
やがて御者が合図をし、馬車がゆっくりと動き出す。遠ざかっていく窓の向こうから姫さまの緑の瞳がこちらを見ているのが分かった。
泣きそうな顔。
それでも気丈に振る舞おうとしている顔。
胸が張り裂けそうになる。
けれど俺はただ、護衛としての顔を崩さぬよう最後まで背筋を伸ばして立ち尽くした。
──どうか幸せに。
本心とは裏腹に、そう祈るしかできない。
空を見上げれば、雲は厚く垂れこめていた。
あの日、祭りの夜に気づいてしまった想いを今も消すことはできない。
だが、それを告げることは許されはしない。
俺はただ、胸の奥の言えなかった想いを心の中で告げて、彼女の幸せを願った。


