新婚旅行から戻って、もう一ヶ月。
 豪奢な寝所にもようやく慣れた頃、私は柔らかな寝台に身を沈めていた。

  夜気(やき)は涼しく、障子越しに虫の声が微かに響く。隣に横たわる永和様の体温がとても心地良く感じられる。

 けれど、その夜の彼はいつもとどこか違っていた。寝る前に交わす何気ない会話も少なく、長い沈黙が続いていた。
 私は心配になって、そっと顔を覗き込む。

「永和様……? 今夜は、少し元気がないように見えます」

 暗がりの中、彼の青色の瞳が揺れて見えた。強靭で冷徹にも見える永和様がこんな風に躊躇いを感じさせる顔を私は初めて見る。

「……美月」

 低く、押し殺した声で名を呼ばれる。
 私の胸が緊張に震えた。

「本当は……お前に、打ち明けなければならないことがある」

 寝台の上で永和様はゆっくりと身を起こした。その横顔は月明かりに照らされて影を帯び酷く哀しげに見えた。

「私の身には……呪いがある。生まれた時から課せられた鬼の王の宿命だ」

 私は思わず息を呑む。
 彼の声はいつになく硬い。

「呪い……?」

 永和様は苦笑とも諦めともつかぬ表情を浮かべ、拳を膝の上で握りしめた。

「私の命は長くは続かない。やがて魂は裂け、鬼の血は枯れ果てる……。だが──」
 
 そう言い彼は私を真っ直ぐに見た。

「お前の"血"だけが、その呪いを鎮めるのだ」

 胸が熱くなり、私は震えた指先を必死に押さえる。

「……私の、血が……」
「お前と魂を契り交わせば私は生き永らえる。だがそれは同時に……お前の命もまた、私と分かち合うということになる」

 永和様は苦しげに言葉を継ぐ。

「お前が死ねば私も死ぬ。お前が生きれば私も生きる。お前を呪いに巻き込むなど本来あってはならないことだ」

 永和様の声はかすかに震えていた。
 私はそっと手を伸ばし、彼の硬い拳に自分の指を重ねる。

「永和様……」

 心の奥に、恐れと同じくらい強い安堵が広がっていた。やっと知ることができたのだ、この人が背負う痛みを。

「そんなの……怖くなんてありません。私の命があなたと繋がるというのなら……それほど幸せなことはないです」

 私がそうはっきり言うと永和様の青い瞳が揺れた。
 永和様は深く息を吐いて、私の手を強く握り返す。

「ありがとう、美月」
「はい……!」


         ❀❀❀


 目が覚めても、胸の奥に重たい影が残っていた。
 昨夜の永和様の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

──「お前と魂を契り交わせば、私は生き永らえる。だがそれは同時に……お前の命もまた、私と分かち合うということになる」

 あのときの永和様の声は、いつになく弱々しく、孤独に震えていた。
 誰よりも強く、誰よりも孤高に見える永和様が、実は私に縋るしかない存在だったなんて。

 胸が締め付けられる。
 怖い、と言えば嘘になる。
 
 私の命が永和様の呪いと結びついているのだと知った瞬間、恐怖が喉を焼いた。
 けれど、その恐怖以上に……私は永和様を見捨てることなどできない。

 聖女としてなら「呪いを解かねば」と考えるのが当然だろう。
 
 でも、妻としての私は永和様が生き続けられるのなら、自分の命を代価にしてもいいとすら思ってしまう。
 そんな自分に気づき、頬が熱くなった。

「……私、もう完全に、永和様のものなのね」

 そう呟いて、自室の障子を見つめる。
 麗らかな昼前の日の光が障子越しに差し込んで、静かな部屋の中を照らしていた。

「この呪いを本当に受け入れてしまっていいののかしら……」

独り言のようにポツリと呟いた声は穏やかな空気に溶け込むように消えていく。

 私がいなくなれば、永和様もまた死ぬ。
 それはまるで、永和様の命を人質に取られているようなもの。

 愛と責任と恐怖、そのすべてが絡まり合って、心を休ませてくれない。
 それでも……永和様がこれからも隣にいてくれるのなら私は。