9月の風がまだ夏の名残を感じさせる放課後、風間悠真はいつものように図書室の奥の窓際の席に座っていた。静かな空間に、ページをめくる音だけが優しく響いている。

図書室は、悠真にとって特別な場所だった。教室では目立たず、話しかけられてもあいまいに笑って流すような性格の彼にとって、図書室は「話さなくてもいい」世界だった。文字と物語の中に、自分の居場所を見つけていた。

今日、手に取ったのは村上春樹の短編集。彼の描く不思議な世界観が好きだった。現実と幻想の狭間をふらふらと漂うような物語が、まるで今の自分の心を映しているような気がした。

ページをめくっていると、ふと、背後で足音が止まった。静かな図書室にしては、珍しい音だった。

「ここ、座ってもいい?」

その声に顔を上げると、そこには見慣れた顔があった。クラスメイトの――高瀬遥。

明るくて、友達が多くて、いつも教室の中心にいるような子。そんな彼女が、なぜか図書室にいて、しかも悠真に話しかけてきた。

「……うん、大丈夫だよ」

思わず本を閉じ、隣の椅子を指差す。遥はにっこりと笑って、静かに腰を下ろした。

「ここ、けっこう落ち着くね」

そう言いながら、彼女はバッグから一冊の本を取り出した。それは児童文学の名作『モモ』だった。

「……その本、好きなんだ?」

思わず口をついた言葉に、遥は少し驚いたように目を見開いたあと、ふわりと笑った。

「うん。時間のこととか、人の心のこととか……ちょっと難しいけど、すごく考えさせられる。悠真くんも読んだことある?」

「あるよ。何回も」

その瞬間、2人の間にあった見えない壁が、すっと消えた気がした。

それは、図書室という静かな空間で始まった、小さな恋と青春の物語の、ほんの始まりだった。