あやかし花嫁の花切鋏

 佐倉家での騒動が落ち着き、春乃は自宅へ帰宅が許可された。佐倉家へやって来た当初はどうなるかと思っていたが、誤解が解けてからは楽しく過ごせていたので離れるとなると寂しさを覚える。
「ありがとうございました。お世話になりました」
 そう頭を下げ、手を振って来る夕燈と吉野達には振り返して健真の運転する車に乗り込んだ。
「またね、春乃!」
 美莉花が出て行った後、夕燈は吹っ切れたわけではないだろうが憂いた様子は見せなかった。春乃へ向けている笑顔は子供らしい朗らかさがあり安堵した。
「では、行きますよ」
 健真の車で自宅へ送り届けられた春乃は、那月と共に榎本家の玄関をくぐった。
「おかえり」
 久しぶりに義春に迎えられ、帰って来た実感が湧く。
「ただいま。義春さん」
 挨拶を交わし、リビングへ入る。昼時に帰ると連絡していたからか義春が昼食を用意してくれていた。和食がメインだった佐倉家と違って、食卓には寿司やら中華やらの多種多様な料理が並んでいる。
 三人にしては明らかに量が多い。十人分くらいはないだろうか。
「豪華だね」
「帰宅した記念にね、腕を振るっちゃいましたよ。那月も食べるでしょ?」
「はい。ご馳走にそうになります」
 三人で食卓を囲みながら他愛もない会話をする。春乃は佐倉家での何気ない一幕を切り取って話、藍子や伯母、それに美莉花については少しも触れなかった。義春が用意していた食事は予想通り多く、半分も食べられずに冷蔵庫の中へ入れられた。
 満腹だが、食後のデザートは別腹だと義春が用意してくれていたプリンを頬張る。内容量が減っていくにつれて春乃は段々と緊張して来ていた。何故なら那月と恋人関係になったと義春に報告しようと那月と話して決めていたからだ。
 ちらりと見上げた那月は涼しい顔をしている。こういう時は男性の方が緊張するはずでは。と冷静な顔を恨めし気に見つめていると那月と目が合った。
「なに?」
「何でもない」
 首を振って、残りのプリンを口に放り込んだ。そして、珈琲を飲んでいる義春に向き合う。
「あ、あのさ義春さん。ちょっと話があるんだけど、いいかな」
 しどろもどろになる春乃に義春は戸惑い、瞬きを繰り返した。
「どうしたの」
「その、実はね、那月と付き合うことになったの」
 義春に限って反対される可能性はゼロに等しいが、改まった空気感に緊張してぎゅっと拳を握る。義春は戸惑いを深めた。そんなに驚くことだろうかとどきどきしながら返答を待つ春乃に義春が言う。
「えっと、まだ付き合ってなかったの?」
「えっ」
「てっきりもう付き合ってるものだと思ってたよ」
 緊張が一気に吹き飛んだ。
 そう言えば、春乃たちはクラスメイトにも付き合っているものだと誤解されていたのだから義春も同じように認識していても不思議ではない。いらない緊張だったと脱力する。
「春乃は分かりやすく那月が好きだし、那月は初めて会った時から春乃にぞっこんだからな」
「初めてあった時ってことは、私が転校してすぐだよね……そんな前から?」
 本当にずっと前から思ってくれていたのか、と感動していたら義春が首を振った。
「ううん。転校する前だよ。春乃がまだ伯母さんの所で生活していた時だったよね」
「え?」
 春乃の記憶では、那月と初めて会ったのは小学校を転校してすぐだ。伯母の家にいた時には合っていないはず。しかし、春乃はあの頃の記憶が曖昧なので覚えていないだけかもしれない。そもそも那月からそんな話は一度も聞いていない。
「そうなの?」
 那月はバツが悪そうな顔で目を逸らした。図星らしい。
「いつ? 私が覚えていないだけ?」
「いや、言っていない。春乃が覚えていなかったから言わなかった。あの時期の記憶はあまり尾も出さない方がいいと思ったし、初めて会った時も二度目の時も時期はそんなに変わらないから良いかなって」
 伯母の家から義春の家に引き取られてすぐの時は、伯母の家での出来事を思い出すとパニックになっていたので、那月の配慮は有難い。しかし、それは昔の話で今は問題ない。
「良くないよ。全部教えてよ」
 切々と訴えかけると那月が折れた。
「冬だった。雪が降ってる公園で震えながら丸まっている所を見つけた」
 その言葉に春乃の記憶が鮮明に蘇る。冬、公園、家から追い出されて震えていた春乃の頭を撫で、もう大丈夫だと言ってくれた人がいた。それはあの寒くて苦しかった伯母一家との記憶の中で唯一温かい瞬間だった。
「あれって、那月だったの?」
「覚えているのか?」
「鮮明じゃないけど。助けてくれた子がいたのはずっと覚えていたよ」
 そう言うと那月は驚いたように目を張った後「そうか」と微笑んだ。
 その子の手は暖かくて、意識を失いそうだった春乃に体温を分け与えてくれた。その体温があまりにも気持ちよくてそのまま寝てしまったのではないだろうか。
 あの後に春乃は義春の元へ預けられたのだ。
「あの頃の事、僕はよく覚えているよ」
 義春が懐かしむように言う。
「春乃を引き取ってちょっとした後に那月が家まで来て『将来嫁に貰う』って宣言したんだよね」
「えっ!」
 がばりと立ち上がり、那月を見ると視線を思い切り逸らされた。
「僕は、それはこの子次第って言ったんだ。春乃の両親や花嫁の印の話は知っていたからね、この子が選んだその時はふたりで幸せになりなさいって言ったかな」
「義春さんは那月があやかしだって知っていたの?」
 春乃の質問に義春は頷く。
「知っていた。黙っているのが良いかは分からなかったけど、那月がいつか伝えるだろうと黙っていた。春乃があやかしに対して懐疑的だったら仲良くなるのすら困難だったと思うし、それに引っ越したばかりで生活に慣れるのが先だったからね」
 確かにそうだ。
 当時の春乃は伯母の家から生活が様変わりしてついて行くのがやっとだった。それに母があやかしを嫌っていたのを知っているから、もしかしたら懐疑的だったかもしれない。
「隠しててごめん」
 那月が困った様子で眉を下げる。
「前も言ったけど、気にしないで。那月にとっても私にとってもナイーブな問題で中々踏み込めなかったってことしておこう」
「うん」
 ふたりのやり取りを擽ったそうに見ていた義春は、コーヒーカップを口に運んでから中身が空なのに気が付いた。
「おっと、おかわりしてくるね」
 義春が立ち上がり、キッチンに消えていく。ふたりきりになったのを見計らって、春乃は那月の耳に顔を寄せた。
「あのさ、那月と私って運命であってる?」
 那月がぎょっとしたような顔をした。
「今更すぎる」
「そうだけど、確認していなかったなって」
 そうだろうとは思っていたが、どうせなら認識を合わせたい。
「運命だよ。初めて出会った時から確信してる」
「じゃあ、この花嫁の印はちゃんと有効だったんだね」
 どこかほっとした気分になった。
「そうだよ。こんな傷じゃ機能は失われないはずだ。まぁ、実際どのくらいの損傷で印として機能しなくなるのかはわかっていないが」
 那月はそこで言葉を切って春乃の目をじっと見据えた。
「ずっと春乃が好きだよ」
 真剣な表情と言葉に春乃の顔がさっと赤くなる。
「自分で聞いておいて照れるなよ」
「確認取っただけで告白してほしかったわけじゃないよ」
 熱が集まる顔を抑えて何とか冷やそうと試みる春乃を那月は楽しそうに笑い、今度は那月の方が顔を寄せてきた。
「運命だけどそんなの関係なく春乃を好きになったよ。出会ってすぐに恋に落ちた。春乃もだろ?」
 ちらりと視線を上げる。勝ち誇った顔が間近にあり、何だか負けたような気になった。このまま負けっぱなしでは終われないと頷く。
「そうだよ。ずっと前から那月に恋してるよ」
 だからこれまで運命かどうか聞かなかったのだ。運命でも例えそうじゃなくても、春乃は那月が好きだったから。
「大好きだよ」
 耳元で囁くと那月が照れたように体を離したので、思わず不敵な笑みが零れた。
「こら、調子に乗るな」
「それはこっちの台詞」
 目を合わせて笑いあっているとキッチンから義春が戻って来た。楽しそうなふたりに小首を傾げる。
「どうしたの?」
 何でもないよ、と首を振ろうとした春乃の隣で、那月が膝の上でぎゅっと手の握りしめたのが見えた。
 驚いて那月の顔を見上げる。
「義春さん」
 那月の真摯な声に義春は背筋を伸ばした。緊張した面持ちに春乃も姿勢を正す。
「春乃との関係を認めてくださりありがとうございます。必ず幸せにします」
 そう言って、那月は頭を下げた。義春は驚いて慌てて止めようとしたが、すぐに直してとん、と肩を優しく叩く。
「ふたりで幸せになりなさい。ふたりなら大丈夫。心配なんてしてないよ。ふたりともお互いを大事にしてね」
 那月、春乃の順に義春が慈愛に満ちた視線を向ける。
 春乃は緊張で握りしめている那月の拳に手を重ね、強く握りしめる。
 春乃の手に甲にある印を母は呪いだと言った。あやかしを恐れ退けた母にとっては確かにこれは呪いだったのだろう。春乃にとっては那月との縁を繋いでくれた祈りであり、花嫁として縁を切った責任でもある。
 これを見る度に春乃は藍子や美莉花を思い出すだろう。しかし、それ以上に那月からの愛を感じる。
「那月、出会ってくれてありがとう」
 そして、幸せだと心の底から笑いあうのだ。