改札口を抜けて家まで歩いて帰る。駅前のスーパーでお菓子を買いたいけれど、しかし金欠であるため我慢をした。油断しているとすぐに毎月のお小遣いの三千円は消えてしまうのだ。
「あの人はいるかなぁ」
『あの人』がいることを祈りながら、コンクリートで舗装された道を歩く。今日は学校で辛いことがあったから、砂漠のような私の心を甘く潤してくれる男の人に会うために公園へ行くのだ。
どうしようもない辛さも胸に渦巻く痛みも、あの人を見ている瞬間だけは忘れることができる。
「ああ、どうしよう。もう着いちゃった」
目的地である淋しい公園に着くと、心臓がおかしいくらいに鼓動していた。あの人を見たいがために寄り道しているというのに、いざ目的地にたどり着くと緊張で引き返したくなる。
遠目から見るだけなんだから緊張なんかしなくていい、そう自分自身に言い聞かせ、ポツンと置かれた木製のベンチに目を向ける。
私は息を吞んだ。
「……ああ……いなかった……」
いるかいないかもわからない男の人のために、淋しくて、でもどこか神聖さを感じる公園に、私は足を運ぶ。
私の家の近所には公園があって、学校で嫌なことがあるときはいつもブランコに座り、おんおんと泣いてから家に帰るのが小学生の頃からの習慣だった。公園といっても遊具はブランコとベンチしかなく、少し歩けばすぐに得体の知れない森に繋がるので、誰も近寄らない淋しい空間が広がっていた。
誰もいないから、淋しさが漂っているから、私は思いっきり泣くことができた。あの公園で泣くことが、この難しい世界を生き抜くための私なりの処世術だった。
小学生のときに身につけたこの処世術は、高校生になっても変わることはなかった。
高校一年生になりたての春、入学早々公園に駆け込んだ。
高校入学おめでとう、と笑顔で送り出してくれた両親に申し訳ないと思いつつ、それでも誰もいない公園で泣きながらブランコを漕いだ。
誰もいないから、ここは教室と違って静かだから、思いっきり泣くことができる。
誰もいない、誰もいない……はずだった。
私以外誰もいないはずなのに。それなのに、それなのに、あの人は、
「あめ、あげる」
なんて言って、泣きながらブランコを漕いでいる私にコーラのキャンディをくれた。
あの人に話しかけられた瞬間、ぎぃぎぃと悲鳴のように鳴り続けていたブランコは静まり返った。
気づいたら私は片手を差し出していた。
「……え、ありがと……ございます」
これが白のワイシャツを着たやせた青年との出逢い。
コーラのキャンディはとても甘かった、だけどちょっぴり塩辛かった。
私を助けてくれたあの人は、キャンディを渡した後、怖がらせたよね、ごめんね、と何度も謝ってきた。
「急に知らない男が話しかけてきて怖かったよね。ごめんね……。とても淋しそうだったから、あめを渡さなきゃいけないと思った。これ、舐めていると安心するよ」
キャンディをぎこちなく受け取ると、すぐにあの人はいなくなってしまった。あの人には下心というものがなく、ただ泣いている女の子を慰めたいという優しさしかなかった。
翌日、慰めてくれたお礼がしたいと思い、学校へ行く前に公園に立ち寄ったけれど、あの人はどこにもいなかった。
せっかく早起きして公園に立ち寄ったというのに目的の人物に会えず落胆したが、早朝に公園に行くのはご老人くらいだからあの人がいないのは当たり前、と思い直した。
あの日、彼と出逢えたのは日が沈みかけ、夜の闇が近づく夕暮れ時。この時間帯に公園に行けばもう一度会えるのではないかと考えた私は、学校の帰り道、夕暮れに照らされた公園に毎日足を運んだ。
しかし現実は厳しく、夕暮れに公園に立ち寄っても、なかなかあの人には会えなかった。あまりにも会えないので、本当は私の脳みそが作り出した幻ではないかと思い始めた。
それでもあの人にもう一度会いたいという心は消えることはなかった。夕陽に照らされた、キラキラの光の粒を纏う彼をもう一度見たかったのだ。
数ヶ月が過ぎ、季節は春から夏に変わっても、彼には会えなかった。
蝉がみーんみん、と鳴く公園で、ひとりぽつんとブランコに座る。
結局あの人にはいまだに逢えていない。あの人は幻だったのかもしれない。辛い現実に追い詰めらた脳が現実逃避で作った幻の男に、いくら公園に足を運んだところでもう一度会うなんてことは、できない。彼に逢うために公園に毎日行くなんて、そんな馬鹿なことはもうやめよう。
……そう思いつつも、キラキラと輝く彼を忘れることはできなかった。
幸運にも再び彼に会えたのは、熱くて熱くてしょうがない夏休みの夕暮れだった。
夏休みだというのに学校に行かなくてはいけない最低最悪な日にもう一度あの人に会うことができた。灰色に塗りつぶされた世界が、あの人を見た瞬間一気にオレンジ色に光り輝いたことをよく覚えている。
ベンチに座る淋しそうな男の人は、あの日と変わらず、白のワイシャツを着て夕焼けの色に染まっていた。
こんなことがあっていいのか。
もう一度あなたと会話をしてもいいのか。
あの人を見た瞬間、私の世界は輝いた。脳みそから幸せやら興奮やら感動やらといった感情がとめどなく溢れ出した。しかし、
――彼に近づいてはいけない。
高揚感に浮かれている私を制止する声が突如脳内に響き渡り、冷や水を浴びせられたように体温が下がっていった。
彼に近づいてはいけない、と脳が私を制止したのも当然だ。なぜなら、彼は誰にも話しかけられたくない、ひとりでいたいと感じさせるように、ベンチにだらりと座って遠くのほうをじぃっと見つめていたから。その姿は孤独に溢れて痛ましかった。
うかつに近づかないで。誰も心のうちに踏み込んでいくような真似はしないで。誰もこの淋しさを埋めることはできないから、放っておいてください。
彼の全身に漂う淋しさは、世界にそう訴えかけていた。
私にできることなどなにもない。
あの人はひとりを望んでいるよ、早く家に帰れ、と、頭の中に冷たい声が響きわたる。
しかし、諦めきれない。冷静な私からの忠告を聞いても、彼に近づきたい。
私は、あの人が全身に漂わせる淋しさを埋められる存在になりたい。
おぼつかない足取りで、ベンチに少しずつ近づく。
ふわふわと表現されそうなほどおぼつかない足取りだけれど、自分では一歩一歩、大地を踏みしめるような気持ちだった。
一歩足を踏み出すたびに脳は警鐘を打つ。
あの人は、私に話しかけることをとまどっていた。
話しかけた後、ごめんなさいと謝ってすぐにいなくなってしまった。
あの一連の振る舞いは、自分のような成人男性が女子高生に近づいてはいけない、と彼自身がそう思っていたことが伝わってきた。
あの人がそう思っているのに、私が近づいていいのか?
ダメに決まっている。あの人の思いを尊重しないと。
名前も知らない成人男性に、女子高生である私が近づいてはいけない。
――私は彼のことが好きだ。でも、この恋が実ったら、私の好きな人は女子高生に手を出す成人男性ということになる。
数分前まで全身を支配していた高揚感は、すっかり消えさっていた。
もう一度会話をすることなど許されないと思い知らされた私は、ごめんなさいと一言謝って、数秒あの人を見つめ、気づいたらしゃがみ込んで声を殺し泣いていた。止まることのない涙と恋心に困りながら泣き続けた。ずいぶん長い間涙を流したせいで、瞳が燃えるように熱くなった。明日は目元が一日中腫れているだろうな。
気が済むまで泣いた後、力の入らない足を引きずりながら公園を出た。
その日の夜は、クラスの男の子でも隣りのクラスの男の子でもいいから別の人を好きになって、早くあの人のことは忘れようと決意して眠った。しかし朝起きた瞬間にあの人の顔が浮かんできたので、もうどうにもならないことを悟った。
それ以来、話しかけたりあなたに関わるようなことは絶対にしないので、遠目から見ることだけは許してください、ごめんなさい、と心の中で謝り、ベンチに淋しく座るあの人を見に行っている。秋になっても冬になっても、あの人は公園に低確率で現れ、運よく一目見れた日は、神さま、ありがとうございます、と呟き心の中でガッツポーズをした。彼に話しかけることはできないという事実に涙することはなくなったけれど、やはり涙は止まっても恋心が止まることはなかった。
誰もいない公園で、ひとり淋しくベンチに座る。
淡い恋心を寄せるあの人に、今日は会えなかったなぁ。
辛いことがあったとき、ブランコに座って泣くことが処世術だった。しかしコーラのキャンディをもらったあの日から、私の処世術は優しくて淋しそうな彼を見ることに変わった。
脳内にどこか淋しそうなあの人を思い浮かべるだけで、心は少し楽になる。あの人のことを考えるだけで、幸せな気持ちでいっぱいになって、私の心は勝手に救われる。けれど私はあの人の淋しさを埋めることはできない。その事実がとても苦しくてしょうがない。
もし、私が女子高生じゃなくて、彼と同い年であろう二十代半ばの素敵な女性だったら、彼の孤独を癒すことができたのだろうか。もっと早く生まれたら、あなたの人生に関わることができたのかな。
あなたと他愛のない話をしてみたかった。あなたと同年代に生まれたかった。もっと早く出会って好きになって、ふたりでひとつの大切な思い出を作ってみたかった。頼りがいのある心の強い女性となって、容赦なく降りかかる悲しみからあなたを守りたかった。お互いもっと年を重ねて、いつか、遠い過去になったふたりの大切な思い出を、こんなこともあったねぇ、なんて笑いながら振り返ってみたかった。
「馬鹿だなぁ私。決して叶うことのない夢ばっかり見ちゃってさ」
どうにもならない夢や願いばかりが膨らんでいき、思わず悲しさと悔しさが混ざった溜め息がこぼれた。
ふと空を見上げると、まんまるのお月様が輝いていた。あんまりにもお月様がきれいだったので、ぼんやりとただ見つめていると、お月様は微笑んでいるように思えてくる。表情などないのだけれど、それでも月の光を地球に優しく注ぐその姿は、今この瞬間を生きる人々を、慈愛の微笑みを浮かべて見守っているようで。
夜空にはお月様が美しく輝いている。暦の上では春らしいけれど、二月はまだ日が落ちるのが早い。現在は十八時より数分前であるというのに、すっかりあたりは暗くなり星も見える。夜は怖いから早く家に帰ろうと思い、ベンチから、よっこいしょと腰を上げた。
ベンチから立ち上がると、公園の奥にある森がふと目に入る。
この公園には森に続く小道がある。なにか珍しい動物や植物がいるわけでもない、葉っぱがわさわさと生い茂るだけの森に続く小道が。
小学生の夏休みに、無性に冒険がしたくなったので、小道をズンズンと歩き森の中に入ったことがある。小学生の夏休みは、なぜあんなに希望に満ち溢れているのだろうか。なにかトクベツなできごとが起こるのではないかと本気でそう思って毎日冒険に出かけた。
小さい頃の自分は、毎日冒険に出かけるような面白い人間だったというのに、いつの間にかこんなにもつまらない人間に成長してしまった。私の人生は薄くぼんやりのっぺりと変化していき、刹那に感じる鮮やかさというものを感じなくなった。
今の私は灰色の世界で生きている。クラスのみんなは毎日を色濃く生きているのに。どうすれば人生を鮮やかに彩れるのかな。あの人の恋人になれたら、こんな私の人生も満開の桜のように華やかなピンク色に染まるのかな。
彼の恋人になんかなれるわけないのにね・・・・・・。
誰か私を助けてください。
「あの人はいるかなぁ」
『あの人』がいることを祈りながら、コンクリートで舗装された道を歩く。今日は学校で辛いことがあったから、砂漠のような私の心を甘く潤してくれる男の人に会うために公園へ行くのだ。
どうしようもない辛さも胸に渦巻く痛みも、あの人を見ている瞬間だけは忘れることができる。
「ああ、どうしよう。もう着いちゃった」
目的地である淋しい公園に着くと、心臓がおかしいくらいに鼓動していた。あの人を見たいがために寄り道しているというのに、いざ目的地にたどり着くと緊張で引き返したくなる。
遠目から見るだけなんだから緊張なんかしなくていい、そう自分自身に言い聞かせ、ポツンと置かれた木製のベンチに目を向ける。
私は息を吞んだ。
「……ああ……いなかった……」
いるかいないかもわからない男の人のために、淋しくて、でもどこか神聖さを感じる公園に、私は足を運ぶ。
私の家の近所には公園があって、学校で嫌なことがあるときはいつもブランコに座り、おんおんと泣いてから家に帰るのが小学生の頃からの習慣だった。公園といっても遊具はブランコとベンチしかなく、少し歩けばすぐに得体の知れない森に繋がるので、誰も近寄らない淋しい空間が広がっていた。
誰もいないから、淋しさが漂っているから、私は思いっきり泣くことができた。あの公園で泣くことが、この難しい世界を生き抜くための私なりの処世術だった。
小学生のときに身につけたこの処世術は、高校生になっても変わることはなかった。
高校一年生になりたての春、入学早々公園に駆け込んだ。
高校入学おめでとう、と笑顔で送り出してくれた両親に申し訳ないと思いつつ、それでも誰もいない公園で泣きながらブランコを漕いだ。
誰もいないから、ここは教室と違って静かだから、思いっきり泣くことができる。
誰もいない、誰もいない……はずだった。
私以外誰もいないはずなのに。それなのに、それなのに、あの人は、
「あめ、あげる」
なんて言って、泣きながらブランコを漕いでいる私にコーラのキャンディをくれた。
あの人に話しかけられた瞬間、ぎぃぎぃと悲鳴のように鳴り続けていたブランコは静まり返った。
気づいたら私は片手を差し出していた。
「……え、ありがと……ございます」
これが白のワイシャツを着たやせた青年との出逢い。
コーラのキャンディはとても甘かった、だけどちょっぴり塩辛かった。
私を助けてくれたあの人は、キャンディを渡した後、怖がらせたよね、ごめんね、と何度も謝ってきた。
「急に知らない男が話しかけてきて怖かったよね。ごめんね……。とても淋しそうだったから、あめを渡さなきゃいけないと思った。これ、舐めていると安心するよ」
キャンディをぎこちなく受け取ると、すぐにあの人はいなくなってしまった。あの人には下心というものがなく、ただ泣いている女の子を慰めたいという優しさしかなかった。
翌日、慰めてくれたお礼がしたいと思い、学校へ行く前に公園に立ち寄ったけれど、あの人はどこにもいなかった。
せっかく早起きして公園に立ち寄ったというのに目的の人物に会えず落胆したが、早朝に公園に行くのはご老人くらいだからあの人がいないのは当たり前、と思い直した。
あの日、彼と出逢えたのは日が沈みかけ、夜の闇が近づく夕暮れ時。この時間帯に公園に行けばもう一度会えるのではないかと考えた私は、学校の帰り道、夕暮れに照らされた公園に毎日足を運んだ。
しかし現実は厳しく、夕暮れに公園に立ち寄っても、なかなかあの人には会えなかった。あまりにも会えないので、本当は私の脳みそが作り出した幻ではないかと思い始めた。
それでもあの人にもう一度会いたいという心は消えることはなかった。夕陽に照らされた、キラキラの光の粒を纏う彼をもう一度見たかったのだ。
数ヶ月が過ぎ、季節は春から夏に変わっても、彼には会えなかった。
蝉がみーんみん、と鳴く公園で、ひとりぽつんとブランコに座る。
結局あの人にはいまだに逢えていない。あの人は幻だったのかもしれない。辛い現実に追い詰めらた脳が現実逃避で作った幻の男に、いくら公園に足を運んだところでもう一度会うなんてことは、できない。彼に逢うために公園に毎日行くなんて、そんな馬鹿なことはもうやめよう。
……そう思いつつも、キラキラと輝く彼を忘れることはできなかった。
幸運にも再び彼に会えたのは、熱くて熱くてしょうがない夏休みの夕暮れだった。
夏休みだというのに学校に行かなくてはいけない最低最悪な日にもう一度あの人に会うことができた。灰色に塗りつぶされた世界が、あの人を見た瞬間一気にオレンジ色に光り輝いたことをよく覚えている。
ベンチに座る淋しそうな男の人は、あの日と変わらず、白のワイシャツを着て夕焼けの色に染まっていた。
こんなことがあっていいのか。
もう一度あなたと会話をしてもいいのか。
あの人を見た瞬間、私の世界は輝いた。脳みそから幸せやら興奮やら感動やらといった感情がとめどなく溢れ出した。しかし、
――彼に近づいてはいけない。
高揚感に浮かれている私を制止する声が突如脳内に響き渡り、冷や水を浴びせられたように体温が下がっていった。
彼に近づいてはいけない、と脳が私を制止したのも当然だ。なぜなら、彼は誰にも話しかけられたくない、ひとりでいたいと感じさせるように、ベンチにだらりと座って遠くのほうをじぃっと見つめていたから。その姿は孤独に溢れて痛ましかった。
うかつに近づかないで。誰も心のうちに踏み込んでいくような真似はしないで。誰もこの淋しさを埋めることはできないから、放っておいてください。
彼の全身に漂う淋しさは、世界にそう訴えかけていた。
私にできることなどなにもない。
あの人はひとりを望んでいるよ、早く家に帰れ、と、頭の中に冷たい声が響きわたる。
しかし、諦めきれない。冷静な私からの忠告を聞いても、彼に近づきたい。
私は、あの人が全身に漂わせる淋しさを埋められる存在になりたい。
おぼつかない足取りで、ベンチに少しずつ近づく。
ふわふわと表現されそうなほどおぼつかない足取りだけれど、自分では一歩一歩、大地を踏みしめるような気持ちだった。
一歩足を踏み出すたびに脳は警鐘を打つ。
あの人は、私に話しかけることをとまどっていた。
話しかけた後、ごめんなさいと謝ってすぐにいなくなってしまった。
あの一連の振る舞いは、自分のような成人男性が女子高生に近づいてはいけない、と彼自身がそう思っていたことが伝わってきた。
あの人がそう思っているのに、私が近づいていいのか?
ダメに決まっている。あの人の思いを尊重しないと。
名前も知らない成人男性に、女子高生である私が近づいてはいけない。
――私は彼のことが好きだ。でも、この恋が実ったら、私の好きな人は女子高生に手を出す成人男性ということになる。
数分前まで全身を支配していた高揚感は、すっかり消えさっていた。
もう一度会話をすることなど許されないと思い知らされた私は、ごめんなさいと一言謝って、数秒あの人を見つめ、気づいたらしゃがみ込んで声を殺し泣いていた。止まることのない涙と恋心に困りながら泣き続けた。ずいぶん長い間涙を流したせいで、瞳が燃えるように熱くなった。明日は目元が一日中腫れているだろうな。
気が済むまで泣いた後、力の入らない足を引きずりながら公園を出た。
その日の夜は、クラスの男の子でも隣りのクラスの男の子でもいいから別の人を好きになって、早くあの人のことは忘れようと決意して眠った。しかし朝起きた瞬間にあの人の顔が浮かんできたので、もうどうにもならないことを悟った。
それ以来、話しかけたりあなたに関わるようなことは絶対にしないので、遠目から見ることだけは許してください、ごめんなさい、と心の中で謝り、ベンチに淋しく座るあの人を見に行っている。秋になっても冬になっても、あの人は公園に低確率で現れ、運よく一目見れた日は、神さま、ありがとうございます、と呟き心の中でガッツポーズをした。彼に話しかけることはできないという事実に涙することはなくなったけれど、やはり涙は止まっても恋心が止まることはなかった。
誰もいない公園で、ひとり淋しくベンチに座る。
淡い恋心を寄せるあの人に、今日は会えなかったなぁ。
辛いことがあったとき、ブランコに座って泣くことが処世術だった。しかしコーラのキャンディをもらったあの日から、私の処世術は優しくて淋しそうな彼を見ることに変わった。
脳内にどこか淋しそうなあの人を思い浮かべるだけで、心は少し楽になる。あの人のことを考えるだけで、幸せな気持ちでいっぱいになって、私の心は勝手に救われる。けれど私はあの人の淋しさを埋めることはできない。その事実がとても苦しくてしょうがない。
もし、私が女子高生じゃなくて、彼と同い年であろう二十代半ばの素敵な女性だったら、彼の孤独を癒すことができたのだろうか。もっと早く生まれたら、あなたの人生に関わることができたのかな。
あなたと他愛のない話をしてみたかった。あなたと同年代に生まれたかった。もっと早く出会って好きになって、ふたりでひとつの大切な思い出を作ってみたかった。頼りがいのある心の強い女性となって、容赦なく降りかかる悲しみからあなたを守りたかった。お互いもっと年を重ねて、いつか、遠い過去になったふたりの大切な思い出を、こんなこともあったねぇ、なんて笑いながら振り返ってみたかった。
「馬鹿だなぁ私。決して叶うことのない夢ばっかり見ちゃってさ」
どうにもならない夢や願いばかりが膨らんでいき、思わず悲しさと悔しさが混ざった溜め息がこぼれた。
ふと空を見上げると、まんまるのお月様が輝いていた。あんまりにもお月様がきれいだったので、ぼんやりとただ見つめていると、お月様は微笑んでいるように思えてくる。表情などないのだけれど、それでも月の光を地球に優しく注ぐその姿は、今この瞬間を生きる人々を、慈愛の微笑みを浮かべて見守っているようで。
夜空にはお月様が美しく輝いている。暦の上では春らしいけれど、二月はまだ日が落ちるのが早い。現在は十八時より数分前であるというのに、すっかりあたりは暗くなり星も見える。夜は怖いから早く家に帰ろうと思い、ベンチから、よっこいしょと腰を上げた。
ベンチから立ち上がると、公園の奥にある森がふと目に入る。
この公園には森に続く小道がある。なにか珍しい動物や植物がいるわけでもない、葉っぱがわさわさと生い茂るだけの森に続く小道が。
小学生の夏休みに、無性に冒険がしたくなったので、小道をズンズンと歩き森の中に入ったことがある。小学生の夏休みは、なぜあんなに希望に満ち溢れているのだろうか。なにかトクベツなできごとが起こるのではないかと本気でそう思って毎日冒険に出かけた。
小さい頃の自分は、毎日冒険に出かけるような面白い人間だったというのに、いつの間にかこんなにもつまらない人間に成長してしまった。私の人生は薄くぼんやりのっぺりと変化していき、刹那に感じる鮮やかさというものを感じなくなった。
今の私は灰色の世界で生きている。クラスのみんなは毎日を色濃く生きているのに。どうすれば人生を鮮やかに彩れるのかな。あの人の恋人になれたら、こんな私の人生も満開の桜のように華やかなピンク色に染まるのかな。
彼の恋人になんかなれるわけないのにね・・・・・・。
誰か私を助けてください。
