(夢に、牙を向かれている気分だ)

広いリハ室に、ぽつんと1人。1ヶ月前まで6人ぶんの掛け声が飛び交っていたのが嘘のように、今はしーんと静まり返っている。

充実していた合宿が終わり、プレデビュー期間に入って1ヶ月が経った。

せっかく仲が深まっていたのに、ここ最近はみんなで集まれる時間が少なくなっていた。

航汰くんと柊くん以外は学生だからもともとレッスン時間は限られていたのに、怜央の映画出演決定を皮切りに、他のメンバーたちも続々と個人の仕事が決まっていったのだ。
航汰くんと星夜はバラエティ番組に出演し、柊くんはヘアカタログモデルに抜擢、紫音もダンスの特集番組にゲストとして呼ばれるなど、レッスン以外にとても忙しそうだ。だけど、俺は……何の仕事にも呼ばれない。いろんなメディアで活躍しているメンバーを見ると、情けない気持ちになる。

『よし、……やるか』

そんな感情を抱えつつも、俺はひたむきに努力するしかない。目の前のことをひたすらこなすことでしか、自分を鼓舞する方法を知らない。

(今までそうやってきたんだから、きっと大丈夫。いつか、俺だって……)

胸の中で静かに熱い思いが燃えたその時、背後にある扉がガチャと開く音が聞こえた。メンバーかと思って振り向くと、そこにはひぐっちゃんが立っていた。相変わらず派手な柄シャツを身にまとっているけれど、今日は珍しくどこか浮かない顔をしいている。

『お疲れさまです』
そう声をかけるけれど、ひぐっちゃんの顔は晴れない。
「彗太郎、おつかれ」と力無く言っただけで、表情に変化はない。

『ひぐっちゃん、どうしたんですか?』
「いやあ、」

俺の問いかけにそうはぐらかしながら、ミルクティー色の髪をワサワサとかきむしった。ゆるくかけられたパーマがボサボサになる。いつもの明るいひぐっちゃんとは正反対の姿に心配になりながらひぐっちゃんのもとへ駆け寄った。未だ晴れることのないひぐっちゃんの表情。ますます心配になりながらひぐっちゃんの顔を覗き込むと、「彗太郎……、ごめんな」と静かに呟いた。

『……え、?』
ひぐっちゃんに謝られることなど何も思いつかず、きょとんとする俺。

「俺の力不足なんだ。俺にもっと力があれば……彗太郎にだって仕事を獲得させてあげられるのに!」

ひぐっちゃんはだんだんと声を大きくしながら、自身に対しての苛立ちを露わにした。そんな思いを抱いていたとは知らずに驚く。

『ひぐっちゃん……。そんなこと言わないで』
「ごめん。こんなこと彗太郎に言うべきじゃないんだけどさ。なんか、ほんと、自分の無力さを痛感して、つい弱気に……」

声のトーンを一気に下げて伏し目がちに言うひぐっちゃんに、なんと声をかけていいのかわからずに黙りこくる俺。

「いや、言い訳はここまで!彗太郎、俺もっと売り込んでくるから。彗太郎だから出来る、彗太郎の魅力が世間に伝わる仕事を獲得してくるから!だから、俺を信じてほしい」

力強くそう言い切ったひぐっちゃんが、鼻息を荒くしながらリハ室をあとにした。取り残された俺は、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。先程までの自分を鼓舞する力も、ぷしゅーっと抜けていくような感覚になった。





(ひぐっちゃんのことをあんなに辛そうな顔にしてしまっているんだ……)

帰宅してからも、浮かない顔をしたひぐっちゃんの顔が頭から離れなかった。そんな状態では1人きりのレッスンにも身が入るわけもなく、何度も先生に注意されてしまい、どんどん自分が嫌になってしまった。そんな負のループから抜け出せなくて、自室の勉強机に突っ伏す。

(ひぐっちゃんはあんなにも俺のために奔走してくれている。それでも俺に仕事が貰えないのはひぐっちゃんの力不足なんかじゃなく、俺自身に問題があるんだ)

考えてみれば、俺の長所はみんなに“優しい”と言われるだけで、その他に飛び抜けた個性はない。出来ないことを努力し続ける根性でデビューメンバーの座を勝ち取ったけど、そんなものではこの先通用しない。あっと驚かせられる強いインパクトのある魅力がない平凡な俺はありきたりでつまらない人間なんだ。一人で努力することはできても、それはグループのためにならない。なんの貢献も出来ない。せっかくCOLORSのメンバーの一員になれたのに、このままではただの足手まといになるだけじゃないか。

(それって……、俺はグループにいる意味ないってことじゃん)

仕事を貰えないということは、世間から必要とされていないことと同等。

(俺は誰にも必要とされない。誰からも愛されない)

先の見えない真っ暗なブラックホールに吸い込まれるように、そんな思考がぐるぐると頭を巡る。いつしか自信や自己愛みたいなものが吸い取られてしまった。


◇◆◇


あれから視界が少しずつ色褪せていった。一週間が経っても何に対してもモチベーションは上がらず、ただ淡々と日々をこなすだけ。好きなことにも興味を持てなくなり、感情というものが無くなり始めていた。メンバーと会えた日もあったけど、前みたいには笑えない。レッスン終わりで疲れているはずなのに、せっかく作ってくれたおばあちゃんの料理にもあまり箸が進まなかった。

そんな、世界に置いていかれているような気分になっていても、時間は進むのを待ってくれない。

今日は久しぶりにメンバー6人全員でのダンスレッスン日。他に何も仕事のない俺は、他のメンバーよりも1時間早くリハ室に入るスケジュールになっていた。

ガチャッとドアを開けると、案の定誰もいないリハ室。その光景を見慣れていることがさらに気分を落ち込ませる。中に入る気持ちになれなくて、その場でしばらく動けずにいた。

「おぉ、彗太郎。おつかれ」
背後から聞こえてきたのはひぐっちゃんの声だった。今日はマスタードイエローの幾何学模様が描かれた柄シャツを着こなしている。

「どうした?入らないのか?」と言いながら、俺を不思議そうに見つめている。

『いや……、入ります』
そう言った俺の声は、自分でも驚くほどに力が無かった。ひぐっちゃんの顔を見る気力もなくて視線を床に落とす。

「彗太郎、ちょっと話そうか」
ぽんっと優しく俺の肩に手を置いたひぐっちゃんに促されるまま、リハ室の端に並んで腰をおろした。リハ室の右側の壁は一面鏡張りで、そこに小さく縮こまる俺が映る。横に座るひぐっちゃんはどこか穏やかな空気を纏っていて、つい感傷的な気分になってしまう。

この鏡は今まで俺たちが重ねてきた時間を映し出してきたんだ。躍動的に踊る6人の姿やうまくいかなくて一緒に落ち込む時間、お互いを励ます言葉たち、その全てがこのリハ室に刻み込まれている。

……でも、今はただ一人きり。

『……っ、』
ふっ、と、涙がこぼれ落ちた。一度溢れるとそれは止まることを知らず、次々に落ちてくる涙の粒。そんな俺の背中を無言でさすってくれるひぐっちゃんに、少しずつ本音を紡いでいく。

『……ひぐっちゃん、ごめんね。……俺に個人の仕事を貰えないのはひぐっちゃんのせいじゃないです。なんの個性もない俺だから、選ばれないんだよね……。みんなはグループの知名度を上げようと頑張ってるのに……俺は、なんの貢献も、できないんだなって……』
「彗太郎……」

吐き出した本当の気持ちが、この空気を重くさせる。

『なんか、世間から必要とされていない気がして。……俺、誰にも愛されない人間なんだなって……、思っちゃって』

心の中に渦巻いていた感情を全て吐き出した瞬間、バンッと勢いよくリハ室の扉が開いた。驚いて扉のほうへと目を向けるとメンバーみんなが揃って立っていた。慌てて涙を拭う。

「彗太郎くん、なに言ってるの!?彗太郎くんが必要とされていないなんて、そんなことあるわけないよ!!」

そう叫びながら入ってきたのは星夜だった。普段の可愛らしさは無く、くりくりとした目を鋭くさせて怒っている。

『えっ、』

見たこともないほどの星夜の迫力にただただ驚く。そんな俺をよそに、星夜はさらに語気を強めて続ける。

「僕、彗太郎くんに何度助けられたかわからない。彗太郎くんは、自分でも気づかないような僕の魅力を教えてくれた。オーディションが始まった頃、入所したばかりで一人ぼっちだった僕に彗太郎くんは優しく声をかけてくれた。今の僕がいるのは、間違いなく彗太郎くんがいてくれたからだよっ!だから、そんなこと、言わないで……」
『星夜……』

目を真っ赤にさせて涙を浮かべながらそう言う星夜に、心がグッと掴まれたような感覚になる。

顔も名前も知らない“誰か”に必要とされたいと願うばかりで、身近な人たちへの思い(おろそ)かになっていたことに気がついてハッとする。

(まわりの人のことを思いやれない人間なんて、誰にも必要とされるわけないのに)

世間の人たちに愛されたければ、まずは身近な人をとことん愛そう。

星夜のもとへ駆け寄り、ぎゅっと優しく抱きしめると、俺の胸の中にすっぽりおさまった星夜が小刻みに震えている。普段からメンバーの癒やし系でニコニコと笑ってくれている星夜のあんなに怒った表情は初めて見た。

『星夜……、本当にありがとう』
星夜に心から感謝を伝えると、他のメンバーがゆっくりと近づいてきた。

「彗太郎くん、そんな寂しいこと言わないでよ」
「俺に、俺たちは家族だって言ってくれたのは彗太郎だろ」
「俺らには彗太郎が必要なんだ。それだけでじゅうぶん、彗太郎がいる意味になるでしょ?」

怜央、紫音、柊くんの言葉のあと、「そうだよ!あぁ〜、それじゃあ物足りないって言うのか〜?」と、冗談混じりに笑って航汰くんがそう言う。そんな航汰くんにつられて俺も笑顔になった。

(ああ、みんながいてくれたら、俺は大丈夫だ)

この数日、真っ暗闇の中を彷徨っていたのが嘘みたいに今は晴れやかな気分だった。メンバーは、俺の希望の光だと実感する。

「彗太郎」
輪になって絆を確かめ合う俺たちを見守っていたひぐっちゃんが、優しい声で俺を呼んだ。その声に振り返ると、ひぐっちゃんが真剣な表情をして言う。

「彗太郎に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
そのただならぬ雰囲気に、思わず身構える。

「実は……彗太郎に仕事が決まりました〜!!!」
声のトーンを上げてそう言うひぐっちゃんの言葉が「わーーーーーっ!」と喜ぶメンバーの声でかき消された。

『ほんと、ですか?』
当の俺は、静かに喜びを噛みしめて、未だに信じられずにいる。

「もちろん本当だよ。……彗太郎、数日前に階段を登るのに苦労している高齢者の方を手助けしただろ?」

思ってもみなかった言葉に固まる。思い返せば、そういうことがあった。レッスン帰りに駅前の歩道橋で荷物を両手に抱えていたおばあさんに声をかけて荷物を代わりに持ってあげたことがあった。

『はい、たしかにそういうことがありました』
「ボランティア団体に売り込みに行ったら、その団体の代表が彗太郎が手助けしている様子を見ていたみたいで、彗太郎の顔を覚えてた。それでぜひそのボランティア団体のCMのイメージキャラクターに抜擢したいと言ってくれたんだ」

その言葉に、全身に鳥肌が立つ。

(CM?イメージキャラクター?)

にわかには信じられな言葉の連続で、耳を疑う。

「すごーい!!」
「彗太郎、さすがだなー!」

自分のことのように喜んでくれるメンバーに少し照れくさくなる俺。近づいてきたひぐっちゃんが、まっすぐに俺の目を見て言う。

「彗太郎、お願いだから無理に個性を作ろうなんて思わないでくれ。そのままの彗太郎でじゅうぶん素敵なんだから。今回みたいに彗太郎だから(・・・)出来ることが絶対にある。変に取り繕うなんてしなくてもいい。ありのままの彗太郎の魅力を伝えていくのが俺の仕事なんだから」

『ひぐっちゃん……。ありがとう』

少し茶色がかったひぐっちゃんの瞳に吸い込まれそうになる。俺のことをここまで真剣に考えてくれる人がいることが本当にありがたかった。

ひぐっちゃん越しに見えるリハ室の鏡に、大切な人たちに囲まれて笑っている俺が映っている。

今、この瞬間をずっと覚えていようと心に誓った。この先、また壁にぶつかることもあるかもしれないけど、今日のことを思い出せばどんなことも乗り越えていける。

『みんな、ほんっとにありがとう!』
心からの感謝を込めて、大きな声でそう言った。