初めての6人でのレッスンが終わった。その帰り道、紫音くんが言っていた言葉を思い出す。
“俺のことを見た人が笑顔になってくれたらいいな”。“誰かの心の支えになれたらいいな”。
純粋な瞳でそう言った紫音くんに、なんだか後ろめたさを感じた。
『……“誰か”、か……』
独り言が風に乗ってどこかへ流されていく。それはまるで今の俺を表しているみたいで少し悲しい気持ちになってしまう。
俺がアイドルを目指した理由は、紫音くんみたいに立派なものじゃなかった。“アイドル”ってどこか崇高なものとして扱われているけど、俺はそんな神々しい存在にはふさわしくない。アイドルになって誰かの心の支えになりたい、とかそんな美徳は俺の中に一切なかったと気づく。
俺がアイドルを目指すようになったのは、5歳の時。誕生日当日、お母さんに連れられてアイドルのライブに行った時に衝撃を受けたことがきっかけだった。広い会場を埋め尽くす何万という人たちが持つペンライトの光が、白く輝く宝石のように綺麗で、“あぁ、これはこの世界で一番綺麗な景色だ”と感激した。間違いなく、俺の人生で見た景色の中で一番美しかった。あの時の衝撃は今でも鮮明に思い出せる。
そして、この世界一美しい景色をあいつに見せたいと思ったんだ。誰かが作るものじゃ意味がない。俺がこの景色を作り出す人になって、あいつの喜ぶ顔が見たいと思った。……そう、言うなれば自分の欲求を満たすために始めたことだった。
そんな自己中心的な気持ちしか持っていなかったから、4年前、アイドル育成コースに入るためのオーデションを受けた時に面接官にアイドルになりたい理由を聞かれた時は困った。咄嗟にうまい返答が出ず、ただ「かっこいいからです」と答えただけで、他の質問にも曖昧に答えた。それでよく合格したなと、今では不思議に思う。
『俺って、こんなんでいいのか……』
また独り言が風に流された。今まで培ってきた自信がだんだんとしぼんでいく。肩を落としながら5月の夜を一人で歩くと、やがて見慣れた住宅街に差し掛かった。似たような外観の家が立ち並ぶ新興住宅地のその端で、寄り添うように建てられた2軒のうちのひとつが俺の家。ガチャ、と扉を開けると「おかえり!」とお母さんの明るい声がした。
『ただいまぁ』
「今日も遅かったわねぇ」
『まあね』
『頑張ってるのね!さっ、食べましょう〜』
お母さんが手際よく食卓に料理を並べると、「あなた〜!凛〜!」と、お父さんとお姉ちゃんを呼ぶ。お父さんは1階の書斎から、お姉ちゃんは2階にある自分の部屋からそれぞれ出てきて食卓についた。この春に高校生になった俺は、慣れない高校生活とアイドルデビューに向けてのレッスンの両立で慌ただしい毎日を送っていた。そんな毎日でも、お母さんは美味しい手料理を作って待ってくれている。
「おかえり」
「怜央〜!おかえり!今日はどうだった?」
お父さんの声をかき消す勢いでお姉ちゃんが俺に問う。『別に、今日も普通だよ』と言うと、「またそれ〜?」とお姉ちゃんが言う。それが毎晩のお決まりのやり取り。このやり取りが、俺は意外と好きだ。態度には出さないけれど。
「でも、怜央が頑張ってるから私も頑張れる」
そんな恥ずかしいセリフをなんてこともないように言うお姉ちゃん。いつもは素直に受け取れるその言葉も、今日はなんだか気分が重かった。
(俺は、このままアイドルになってもいいのかな……)
今までこんなことを思ったことは無かったのに、行き場のない不安に襲われる。紫音くんのたった一言がきっかけで自信を失くすなんて情けない。
「そういえば、」
食卓についたお母さんが何かを思い出したように言う。
「さっきまで結香ちゃん来てたのよー。今日の授業のノートのコピーを届けに」
不意の結香の名前にちょっと動揺する。それを悟られまいと努めて冷静さを装う。
『そう、なんだ』
「ちゃんとお礼言っときなさいねー」
『はいはい、わかってるって。またメッセージ送っとく』
「直接言えばいいじゃないー。家隣なんだから」
『うるさいなぁ。わかったから』
お母さんの言葉にぶっきらぼうに返事をした俺は、夕食を食べ終えるとそそくさと自分の部屋に行った。今日は、一人になりたい気分だった。ベッドに横になり、じーっと天井を見つめる。
(俺には、夢を目指す資格なんてないのかもしれない……)
行き場のない不安に襲われる。俺をまるごと飲み込んでしまうような、そんな後ろ向きな思考は夜が更けても続いた。
◇◆◇
「怜央!もっと動きをハッキリと!違う、そうじゃない!」
翌日。昨夜のネガティブな思考をなんとか切り替えようとしてもうまくいかないまま、午後イチで始まったダンスレッスン。
夢に対しての曖昧な気持ちのままではレッスンの効率は上がるわけもなく、どうしても集中力が欠けてしまう。そんな自分を見透かすようにダンスの先生の指導の声が容赦なく飛んできて、また自信が無くなっていく。俺の隣で踊る紫音くんは、世界大会優勝経験者というだけあってさすがの実力だった。ダンスの先生も舌を巻くほど、重力を自在に操るように踊っていた。実力差を見せつけられたように思ってしまって、少しだけ嫌悪感を抱いてしまう。
「はいっ、休憩〜」
レッスン開始から2時間が経ったところで、ようやく休憩になった。タオルと水を持ち、リハ室の端で座り込む。
(ああ!なんでこんなにうまくいかないんだろう!)
候補生になって約4年、先生に怒られたことなんてほとんどなかった。焦りと不安と苛つきがぐるぐると入り混じった感情をぶつけるように、ガシガシと頭をかきむしる。すると、そんな俺の様子を心配したのか、柊くんが俺のもとへと駆け寄ってきてくれた。
「どした、怜央。怜央があんなに怒られているのは初めて見たよ。体調でも悪いのか?」
柊くんは俺の隣に座り込んでそう言うと、水をゴクッと一口飲んで肩にかけられた白いタオルで額の汗を拭った。その一連の動作がまるで少女漫画のヒロインが恋する男の子のように爽やかで思わず見惚れてしまう。こうしていつも誰かを気にかけてくれる優しさと、夢をまっすぐに追いかける柊くんは男の俺が見ても本当にかっこいい。
(柊くんはたしかに、アイドルになるべき人なんだ。それに比べて俺はやっぱりアイドルにはふさわしくない)
そんな悲観的な気持ちを抱いたまま、『体調は、いいんですけど……』と、柊くんの問いに曖昧に答える。
「……けど?」
“アイドルになる資格、あるのかな……”なんて、こんな初歩的な悩みを話せるわけない。1年に及ぶオーディションを勝ち抜いてCOLORSのメンバーに選ばれているのに、アイドルになることに対していまさら不安に思っているなんて、言えるわけない。
『いやぁ、まあいろいろありますよねぇ』。そう濁すように答えると、「まぁ、なぁ」と柊くんが言う。
ハッキリしない俺に無理に話を聞き出そうとしない柊くんの優しさが、今はとてもありがたかった。少しの間2人に流れた沈黙を、柊くんが静かに破った。
「怜央はさ、デビューしたら何が一番楽しみ?」
『……え?』
突然その問いに、咄嗟に返事ができない。
(何が楽しみかって……?)
そういえば、ここ最近そのような感情を忘れかけていた。デビューメンバーに選ばれ、レッスンもより一層厳しいものになって、学校とも両立して……そんな毎日にいつしか“楽しむ”気持ちが薄れていた。ずっと目指していたはずなのに、デビューしてからの未来を想像することを忘れていた。
「俺は……」
何も言わない俺を気遣って、柊くんが口を開く。
「俺はやっぱり……たくさんのファンの人に囲まれてキャーッて黄色い歓声を浴びてみたい。ステージの上でパフォーマンスをして、たくさんの女の子たちに喜んでもらえるなんて、最高じゃん?」
(……え?)
意外だ。柊くんなら、もっと綺麗な“アイドルらしい”ことを言うのかと思ったのに。まさかの柊くんの言葉になんと言えばいいのかわからない俺。柊くんはそんな俺を見つめて言葉を続ける。
「だってそれは、今こうしてレッスンに励んでいる俺たちへの“ご褒美”みたいなものじゃん?そういう楽しみのために、身体を酷使するレッスンも乗り越えられるっていうか」
『そっか……』
そういう考え方もあるのかと、何かが腑に落ちた。全部を真面目に、「アイドル」という概念にこだわりすぎなくてもいいのかもしれない。もう少しラフに考えてもバチは当たらないはず。ただ楽しいことやワクワクするほうを目指して進んでもいいんじゃないか。
そう思えるようになったら、だんだんと気持ちが軽くなってきた。想像してみる、あの世界で一番美しい景色の真ん中に立つ俺を。何万という光が輝く世界を、俺が作っているところを。すると、心の中が高揚感で満たされていくのを感じた。
『俺が……、デビューして楽しみなことは……』
ぽつりぽつりと話し始める俺の言葉を「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いてくれる柊くん。
『アイドルになって、見たい景色があるんです。というか、見せたい景色がある』
一度気持ちを打ち明けたら、止まらなくなる本心。こんな話を誰かにするのは初めてで少し躊躇うけれど、柊くんにだから、話したいと思った。
『その一心でここまで頑張ってきたんですけど……。でもそれって、すごく……自己中心的だなって。そんな“自分のため”にアイドルになってもいいのかなって最近そう思っちゃって』
ここまで言い終えて、気が付いた。柊くんは、俺のこの悶々とした悩みを言いやすくしてくれたんだ。ストレートに聞かれたら言いにくいことも、アプローチを変えられたら言いやすくなる。あえて違う話題を出して本心を引き出した柊くんはさすがだと思った。
『俺がアイドルを目指した理由はみんなみたいに立派なものじゃないんです。誰かを笑顔にしたいとか、誰かの心の支えになりたいとか、思ったことなかったなって。……そんな自分のことしか考えていない俺がアイドルになる資格あるのかな』
今抱えていたモヤモヤを全てさらけ出した。弱い自分を見せるのは怖かったけど、そんな俺の悩みを真剣に聞いてくれる柊くんに安心する。少しの沈黙のあと、柊くんがまた口を開いた。
「選んだ道をあとから正解にしていくのも、それはそれでいいんじゃないかな」
その言葉が、じんわりと心に響いた。俺の悩みをまあるく包み込んでくれるような気になる。
「ていうか、選んだ道がこれで良かったかなんて誰にもわからないことなんだよ。自分で正解にしていかない限りはね」
『そう、だよね……』
『それに、アイドルになりたい理由って世間的に美徳とされるものばかりじゃなくてもいいと思うんだ。自分のためだとしても、志した時点で怜央は他の人とは違う。アイドルになるべきな特別な存在なんだよ」
そう言い切った柊くんが俺に向けて笑顔を見せる。その心強さが本当に嬉しかった。こんなにも素敵な言葉をかけてくれる柊くんと一緒なら、何が起きても大丈夫だと思えた。
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「そーう!いいよ!怜央!いい!!そこのターンも……そう!!」
休憩後、柊くんから貰った言葉を胸に気合を入れ直す。もう迷わない。俺は、手に入れたい景色のためにただひたすらに努力する。そう覚悟を決めると、ダンスの先生にも褒められるようになった。
(よし、いつもの調子が出てきたぞ)
柊くんのお陰で、俺の中で何か確固たる軸が出来た。
夢を目指すことに資格なんて必要ない。後ろめたさを感じる必要もない。“なりたい”と憧れを抱いた時点で、夢は始まっているんだ。
それでも夢を見失いそうになる時はある。いくら本気でなりたいと願っている夢でも、だんだんと忘れてしまうのが人間だ。それはもう仕方がない。大事なのは、その夢を描いた瞬間の煌めきを手放さないこと。何度迷い悩んでも、その度に思い出せば良いんだ。
そう思えるようになった俺は、昨日までの自分とは違う気がして嬉しくなった。
