シン――と静まり返るリハ室。張り詰めた空気がこの部屋を支配している。普段はダンスの先生の熱のこもった指導の声が響き、多くの候補生の掛け声や靴が床に擦れる音が聞こえるけれど、今日は違う。
通い慣れたいつものリハ室なのに、居心地のわるさを感じるのは、俺や柊、そのほかこの場にいる候補生それぞれの運命が告げられるからだ。
そう、今日はルミナスアーツマネジメント発のボーイズアイドルグループのオーディション最終審査の結果発表日。最終審査に残ったメンバーが、パイプ椅子に座り、発表を今か今かと待っている。
アイドルとしてのデビューが確約されるか、数百人といる候補生の一人に戻るのか。そりゃあ、この場にいる全員が、前者を望んでいる。
ルミナスアーツマネジメント――といえば、誰もが聞いたことのあるだろう芸能事務所。演技派俳優からバラエティ番組で引っ張りだこのタレントまで、様々なジャンルで活躍する芸能人が多数所属している、いわゆる大手だ。このオーディションに合格したらきっと、いや必ず、輝かしい未来が待っている。
発表予定時間の11時が刻々と近づいている。前方にある壁掛け時計の秒針の音に合わせて、だんだんと鼓動が早くなっていく。そんな自分の焦りをほかの候補生に悟られまいと小さく呼吸をして自分を落ち着かせる。左側にある大きなガラス窓へと視線を移すと、駅前のロータリーの桜の木が満開に咲いていて、このオーディションが始まってちょうど1年が経ったことを実感した。1年前、このオーディションの開催が発表された日に、あの桜の木の下で覚悟を決めたんだ。とてつもないサバイバルを勝ち抜く覚悟を。
このオーディションに参加表明を出した候補生は300人だった。それが1年をかけてふるいにかけられ、今は10人にまで絞られている。
アイドルとしてデビューすることだけを夢見て、その未来がが実現すると心から信じている10人。ダンスの実力はもちろん、歌唱力もあり、アイドルとしての素質をもっている10人。
その10人の中に自分が残っていることが奇跡のように思ってしまうけれど、“これは間違いなく俺の実力だ”と自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返す。
14歳でこの事務所のアイドル育成コースに所属した俺は、レッスンを受けながら事務所内オーディションに参加し続け、デビューを目指してきた。そして、もう……19歳。アイドルになるために5年を捧げた。
(けど、これが……最後だ)
このオーディションに受からなかったら、もう辞める。アイドルを目指すことも、この事務所も。
柊と話し合ってそう決めていた。
柊――緑川柊は、中学からの同級生。14歳の時、2人でアイドル育成コースに入るためにこの事務所のオーディションを受けた。親友でいて、盟友。そして、柊もまた、最終審査のメンバーに残っている。
俺の右ななめ前に座る柊の後ろ姿がいつもより大きく見えて、俺も姿勢を正し直した。
時計の針が11時ぴったりを指した瞬間、ガチャッと開いた扉。ミッドナイトブルーのビスポークスーツを纏ったルミナスアーツマネジメントの社長を先頭に、スーツ姿の事務所関係者とレコード会社の関係者が数人、最後にラフなTシャツ姿の青髪のダンスの先生が入ってきた。この1年間、オーディションを通して指導・審査してきた審査員たちだ。社長を中央にして、前方の席に座った審査員がこちら側をじっと見る。ただ不自然に、社長の右の席だけが空けられていた。
「おはよう」
低く落ち着きのある声で、社長が言う。
「おはようございます!」
俺を含めた10人の候補生が勢いよく挨拶を返すと、うんうんと小さく頷いた社長。いつもつけている金色のカフスボタンをきらっと光らせながら左隣に座った事務所の社員に向けて左手を向ける。すると、その社員がスッと書類を差し出した。その書類にオーディションの合否が書かれていることが容易に想像できて、この場の緊張感がまた一段と増す。
社長の左隣に座っている社員が立ち上がり、話し始めた。
「それでは、これからルミナスアーツマネジメントから新たに誕生するボーイズアイドルグループのメンバーを発表します。まず、グループの人数についてですが、協議の結果今回は6人組のグループに決定しました。……しかし、この場にいる候補生10人から選ばれたのは5人です」
その言葉にざわつく10人の候補生。
(6人組なのに、選ばれるのは5人?)
思わず眉間にシワを寄せ、どういうことかと頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「ここからは社長が説明されます」
社員が席に座るのを待って、社長は静かに口を開く。
「まずは、最終審査ご苦労さまでした。ここまで勝ち抜いてきた10人は実力者しかいない。そう断言します。しかし、私が思い描くアイドルグループには、君たち以外の新たな才能をもった人物が必要だと考えました。様々な場所に赴き、たくさんの才能を持ったボーイズに出会いました。そして、ついに理想の人物に出会うことができたのです」
あくまで冷静に聞いているつもりだった。でも、社長が話を進めるに比例して心のモヤモヤが大きくなっていく。それは他の候補性も同じなようで、不穏な空気が漂い始めた。そんなことはお構い無しに、社長は話を続ける。
「オーディションの合格者発表の前に、まずはその彼を紹介したい。……大野紫音だ」
その言葉を合図に、社員の一人が扉を開ける。するとそこには、ヨレたTシャツとスエットパンツ姿の男の子が立っていた。俺よりもわずかに年下だろうか。長く伸びた髪はセットされておらず、重い前髪のせいで目元があまり見えない。ゆっくりと前に進んだ紫音と呼ばれたその男の第一印象は、はっきり言って“パッとしない”。
(なんでこんな奴が?)
歓迎されるように導かれて社長の右隣に座ったのが、少し気に食わないと思ってしまった。
「紫音は今、17歳。どこのダンススクールにも通わず独学でダンスを学び、先月行われたダンスの世界大会で優勝した。その大会を私も見ていて、ぜひ今回のグループに入ってほしいとスカウトした。これが紫音がうちの事務所に所属することになった経緯です」
それを聞いても、全く納得できなかった。たしかに世界大会で優勝したことはすごい。独学ということは、天性の才能があるんだろう。だからといって、1年間オーディションを受けてきた自分たちを差し置いてメンバーに選ばれていることがかなり不服だ。
「もしかしたら君たちの中には、紫音がメンバーに選ばれていることが気に入らない人もいるかもしれない。けれど、わかっていてほしいのは、芸能界というものは実力だけで成り上がっていけるものじゃないということだ。運やタイミングも重要で、それが決定打になることもある」
この世界の残酷さと厳しさを突きつけられる。どれだけ頑張っていても、意味をなさないこともあるということなのか。
社長に促され、「大野紫音です、よろしくお願いします」と覇気のない声で挨拶をする紫音に、とてつもない嫌悪感を感じた。
「はい、それではメンバー発表を再開します」
社員の声にハッとする。紫音にばかり気をとられていたけれど、もうすぐ俺の命運が決まる。グループに入れるのは10人のうち、5人。2人に1人は落ちる。自分が受かるという保証はない。紫音のことを気にする前に、まずは自分の心配をしなければ。
そう焦る俺を置いてけぼりにするかのように、社員が淡々と話を続ける。
「新たにデビューするボーイズグループのメンバー、2人目は……青島怜央」
「はい」
(っ、ふう。怜央か……)
正直、怜央は選ばれると思っていた。怜央がこの事務所に入所してきたのは4年前。怜央が12歳の頃だった。怜央が入ってきた時のことはよく覚えている。ものすごい才能の持ち主だと思った。歌・ダンス共に未経験にも関わらず、飛び抜けて上手かった。悔しいけど、当時レッスンを受け始めて1年経っていた俺よりも断然上手かった。見る人を虜にするような魅力が、怜央にはある。仕方ない。怜央のデビューは納得だ。
「3人目……黄木彗太郎」
「……はいっ」
彗太郎の喜びと驚きが混じったような声がリハ室に響く。
彗太郎が呼ばれたのは少し意外だった。性格は穏やかで心優しく、ひたむきな努力家タイプの彗太郎。出来ないことがあると、出来るようになるまで自主練をする姿を何度も目にしたことがある。15歳の時に入所して、今は17歳。着実に実力をつけているとはいえ、まだ荒削りな部分もあるし、もう少しレッスンを重ねることになるんじゃないか、と勝手に思っていた。けれど、掴んだデビューへの切符。それは彗太郎の努力を知っていれば自然なことなのかもしれない。
「4人目……」
6人のうち、半分の3人が決まった。8人にまで絞られた候補生のうち、呼ばれるのはあと3人……。緊張がさらに増し、息を飲んで社員の言葉の続きを待つ。
「桃山星夜」
「はいっ!!」
(星夜?!……終わった……)
まだあどけなさの残る高い声で星夜が返事をした瞬間、俺の名前は呼ばれないかもしれないと思った。ふは、と力が抜けていく。
星夜は最終審査に残った候補生の中では最年少の14歳。入所して1年の、いわゆる新人。くりくりとした瞳が特徴的な、喜怒哀楽を素直に表す愛されキャラ。どちらかというと可愛いタイプで、時には愛らしさも必要なアイドルにはぴったりだと言える。歌もダンスも発展途上で、これからどんどんスキルが伸びていくだろう。
紫音、怜央、彗太郎、星夜の4人は14〜17歳。6人のうち過半数以上が現役中高生というフレッシュなグループのメンバーには19歳の俺は入れないのかもしれない。少し、いや、かなり弱気な自分が顔を覗かせる。
「5人目……」
それでも、発表は続いていく。残るはあと2人。固唾を飲んで、呼ばれるのを待つしかない。すがるように願いながら、メンバー発表をする社員をじっと見つめる。
「緑川柊」
その瞬間、ぶわぁっと全身に鳥肌がたった。柊のほうへと目をやると、わずかに肩が震えている。「は、い、」。少し涙ぐんだような声で返事をした柊に、無意識に俺の目にも涙が溜まっていく。柊はいつもクールで、感情を表に出すようなタイプじゃない。柊の涙なんて、5年間毎日のように一緒にいる俺ですら見たことがない。抑えきれない柊の感情が溢れたんだ。
(よかった、本当によかった……。あとは、俺の名前が呼ばれたら……)
柊がちらりとこちらを振り返った。潤んだ瞳の奥に力強い思いが宿っている。“あとはお前だな”と、そう言われているかのような気がした。同い年の柊が呼ばれたということは、年齢は関係ない。俺にもまだチャンスがあるはずだ。
「そして、最後。6人目のメンバーは……」
(どうか、どうか――)
「赤岩航汰」
19年間慣れ親しんだ名前なのに、俺の名前だと理解するのに数秒はかかった気がする。『……はいっ!』と、やや遅れ気味で返事をしてしまった。
それと同時に、呼ばれなかった5人から落胆のため息が漏れた。歓喜と悲哀が入り混じるリハ室。
5年間ずっと夢に見た、アイドルデビュー。ついに、今日それを手に入れた。先程よりも瞳を潤ませた柊が、こちらを見ている。この瞬間ばかりは感情を解放したかのように、泣きながら笑っていた。初めて見る柊のそんな姿につられて、俺も泣きながら笑った。
「そして、航汰にはこのグループのリーダーを務めてもらいたい。……どうかね?」
喜びを噛みしめる俺に向かって、社長がそう問う。思ってもみなかった展開に驚きながら、『はい!ぜひやらせてください!』と即答した。そんな俺を見て、社長が大きく頷く。
「以上が、新たにデビューするボーイズアイドルグループのメンバーです。そして、グループ名は……」
息つく暇もなく、淡々と話を続けるスタッフ。感情の整理が追いつかないけれど、なんとか気持ちを落ち着かせる。この先ずっと付き合っていくことになるグループ名。自分の名前と同じように、大切なグループ名。それは……?
「COLORSです」
・
・
・
約1時間のデビューメンバー発表が終わった。社長は秘書とともにそそくさと退室していく。緊張が一気にほどけた開放感から、『ふはぁ』と力が抜けた。
「航汰っ!マジでよかった。俺たち、デビューできるんだ!!」
まっすぐに俺のもとへ駆け寄って来た柊がそう言って、喜びを爆発させた。
『おう、ほんっとによかった!!柊がいたから頑張れた。マジでありがとう』
「何言ってんだよ、これはゴールじゃない。ここから始まるんだ」
『……そう、だよなっ』
泣きながら柊と喜びを分かち合っていると、怜央、彗太郎、星夜が俺たちのもとへ集まってきた。
「みんな、これからよろしくお願いします。僕、頑張ります!」
そう言いながら無邪気な笑顔を見せる星夜に、残りの4人の顔が自然とほころぶ。
『こちらこそ』
「今日からメンバーなんだね、俺たち」
「いいグループにしていこうな」
「うん!」
メンバーでの結束を固めた、最初の瞬間に嬉しくなった。でも、そう、……紫音を除いて。当の紫音はというと、相変わらず覇気のない顔で、椅子に座ったまま一点を見つめている。
(なんだよ、あれ)
本当にダンスなんて出来るのかと疑ってしまうくらい、やる気の見えない紫音の姿にだんだんと腹が立ってきた。
そんな俺の様子に気がついたのか、「まぁまぁ」と柊が小声で俺をなだめる。
(わかってる。俺も子どもじゃない)
社長の判断だ、仕方がない。変えられない。決まったことなら受け入れるしかない。“わかってるよ”という気持ちを込めて、柊に向けて小さく2回頷いて見せた。
「はあ〜〜あ」
その時、候補生の一人、神崎琉希がわざとらしく大きなため息をついた。「なんか、やってられないよな」と、隣に座るもう一人の候補生、鈴木颯真に同意を求める。
「ほんとだよな」
颯真も琉希に同調し、不穏な空気を放ち始めた。気だるそうにパイプ椅子に深く腰かけて、腕を組みながら会話を続ける。
「俺も名前に白とか黒とか入ってれば、デビューできたのかよ」
「それな。メンバー全員の名前に色の名前が入ってるからCOLORSとか、単純すぎて笑える」
「ダサすぎて、選ばれなくて正解だったわ」
あえて俺たちに聞こえるように声を張って話す2人。『相手にするな』と、4人に向けて小声で言う。
「てか、ぽっと出てきたダンスしか知らない奴が選ばれるのはおかしくね?」
「マジそう思うわ。1年間オーディションを受けた俺らの時間返せよって感じ」
「しかも、たいしてパッとしない見た目だし」
「あんなんと同じグループとかアイドル人生終わりじゃね?」
「先輩、そんなこと言わないほうがいいですよ」
不覚にも颯真と琉希に同意してしまった思考を、候補生の一人、小日向海にかき消された。
「あ?小日向だってそう思うだろ」
「そうだよ、結局実力なんて見やしねぇ。話題性重視の世の中なんだよ」
「グループ名だって、社長の幼稚な言葉遊びみたいなもんだろ」
「そんなこと、ないと思います」
悪態をつき続ける颯真と琉希に立ち向かう海。ぎゅっと握りしめた拳が、小刻みに震えている。
「何をもって、そんなことないって言えんだよ」
「言ってみろよ」
「……それは、」
「そのへんにしておいたほうがいいですよ」
たじろぐ海の言葉に被せるように、事務所のスタッフが琉希と颯真に声をかけた。モスグリーンの派手な柄シャツにネイビーのジャケットを羽織ったその人は冷静に話を続ける。
「いいですか?これはビジネスです。あなたたちの夢を叶えてあげるのが我々の仕事じゃない。あなたたちを商品として、売るのが我々の仕事です。ひとつのグループをデビューさせるのに何億もの莫大なお金が使われる。話題性や言葉遊びで決めるほど、我々は馬鹿じゃない」
あくまでも丁寧な言葉遣いで話しているのに、かえってそれが静かな怒りを感じさせた。
ミルクティーのように明るい髪にゆるくパーマをかけているその見た目は、スタッフというよりもモデルのよう。
正体のわからないその人は、「少しは頭で考えてものを言いなさい」と琉希と颯真に捨て台詞を吐いた。すると、さすがの琉希と颯真も観念したようで、ぶつぶつと何かを言いながらリハ室から出て行った。
「君も、今日はもう帰っていいですよ」
そのスタッフに促された海は、「はい……」と肩を落として歩き始めた。
「海!」
俺の横にいた彗太郎が海を呼び止めた。驚いた顔でこちらを見る海に、「ありがとな」と彗太郎が言う。海は「おう」と短く返事を返しただけだったけれど、その顔がパッと明るくなったように見えた。
そしてリハ室に残ったのは、最終審査に合格した5人と紫音、そしてその柄シャツスタッフだけになった。
俺らと紫音の6人が並んで座るように指示されパイプ椅子に腰掛けると、そのスタッフが目の前で何かの書類を取り出して話し始めた。
「ご挨拶が遅れました。ルミナスアーツマネジメントのアイドル部門でチーフマネージャーをしております、樋口です。本日からCOLORSのマネージャーに就任いたしました。これからあなたたちの活動を円滑に進められるようにサポートいたします。どうぞよろしくお願いします」
(マネージャー……!?すごい、本当にタレントになったみたいだ!)
……いや、実際はそうなのだけど、これまでの待遇の違いにただただ感激してしまう。
「……なんて、堅苦しい挨拶はここまで」。樋口さんはそう言って、ストレッチをするように1、2回肩をまわした。「俺、堅苦しいの苦手なんだよね」と声を柔らかくして二ッと笑う樋口さんのギャップに驚く。
「一応簡単に自己紹介をすると、樋口悠斗、24歳。清涼大学卒の新卒2年目。この事務所のマネージャーとして入社して1年でチーフマネージャーに昇進。ファッションが好きで、柄シャツはマスト。なんか柄シャツ着てないと気分アガんないんだよね。あとは“かっこいい奴ら”が好き。そんな人たちをサポートしたくてこの事務所に入ったって感じかな」
ぱっちりとした二重で何度か瞬きをしながら話す樋口さんに、呆気にとられるばかりの俺。5歳しか変わらないのに、有名大学を卒業して、入社1年で昇進…って、かなり仕事のデキる人なんだ。「あっ、ひぐっちゃんって呼んで。苗字にサン付けとか、俺無理なんだよね」と、くだけた口調で言う姿からは全く想像できないけれど。
「じゃあ、さっそくデビューまでの流れを説明するぞ〜。COLORSが正式にデビューするのは一年後。それまでは9月のプレデビューに向けてレッスンを重ねながら3曲仕上げてもらう。プレデビュー期間に突入すると、SNSでの発信やグループ・個人での仕事をこなしながらデビュー曲の準備をしていく。それがデビューまでのおおまかな流れかな」
「ここまではOK?」と、樋口さん、いや、ひぐっちゃんが俺らに問い、「はいっ」と紫音以外のメンバーが返事をした。そんな俺たちを確認したあと、さらに言葉を続ける。
「そして、候補生だった今までと違うのは、プロ意識を常に持ってほしいということ。みんなはデビュー予定のグループに選ばれたけど、デビューするまではまだ試用期間であるということを忘れないでほしい。些細なキッカケでデビューがなくなってしまう可能性もあるということは覚えておいてほしい。……OK?」
『はいっ』
また、紫音以外の5人が勢いよく返事をした。ひぐっちゃんの言葉に、今までとは違った緊張感を感じる。
(今日からの一年間が、本当の意味での最終審査みたいなものなのかな)
ここまできて、無かったことになんかさせるものか。俺は絶対にデビューしたい。デビューするんだ。その気持ちがさらに強くなる。
「よーし!じゃあ、何か質問のある奴は?」
ひぐっちゃんがそう問いかけると、誰かが静かに手を挙げた。――紫音だ。へえ、と純粋に驚く俺。
ナヨナヨと頼りない雰囲気なのに、この場で発言するのが意外に思えた。
「ん、紫音。どうした?」
「俺、アイドルになんてなるつもりないので。……アイドルとか、ダサすぎ」
ふっ、と嘲笑うようにして言った紫音の一言が、この場を一瞬で凍りつかせた。
(……は?マジ何言ってんの、コイツ)
俺以外のメンバーも機嫌を悪くしたようで眉間にシワを寄せて紫音のほうを見ている。
「ちょっと待って、それどういう意味?」
さすがのひぐっちゃんも意味がわからないらしく、焦ったように紫音に問いかけた。
「俺はただ、歌とダンスのレッスンを受けるだけでお金がもらえるって聞いたから来ただけ。もっとマトモな仕事が見つかるまでの、つなぎだから」
あえて語気を強めて言った紫音に、俺の怒りが頂点に達した。
『ふざけんなっ、自分が何言ってんのかわかってて言ってんの?!』
「航汰っ!落ち着け!」
紫音に飛びかかるような勢いだった俺を、力づくで止める柊。それでも怒りは収まらなくて、『あぁっ!』とイライラを隠そうともしないで乱暴に座る。
「ま、そういうことなんで。じゃあ」
なんの説明も弁解もしないまま、紫音はさっさとリハ室から出て行った。6人分のイライラが、大きな渦となりこの部屋を漂う。
(あぁ、マジでイライラする。なんであんな奴が?アイドルを馬鹿にしてる奴なんかと同じグループとかやってられない)
『……ひぐっちゃん、社長に会わせてください』
俺は静かに、そう呟いた。
・
・
・
「あくまでも、冷静に、ね」
社長室の前で、ひぐっちゃんが俺をなだめるように言う。
『わかってます』
「こんなこと、普段はしないんだからね」
『はい』
「……じゃあ、行っておいで」
ひぐっちゃんが少し心配そうな表情を浮かべながら、まっすぐに俺を見る。
紫音の態度が許せなくて『社長に会わせてください』とひぐっちゃんに直談判したのが10分前。ひぐっちゃんは数分悩んだ後、「わかった」と了承してくれた。具体的な言葉にはしないけれど、ひぐっちゃんも紫音の態度に思うところがあるのかもしれない。
重厚な扉をコンコンコンと3回ノックする。静かに扉を開けた社長の秘書が、ちらりとひぐっちゃんを見たあと「どうしましたか?」と俺に尋ねる。
『社長と話をさせてください』
俺は努めて冷静にそう言った。
「社長はお忙しいので、1分以内に済ませてください」
『わかりました。……失礼します』
社長室に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。社長とは何度か話したことはあるけれど、二人きりで話したことはない。かなりの勇気がいったけど、それでも今回ばかりは黙っていられなかった。俺が、俺たちが人生を賭けて挑んでるものを馬鹿にする奴とは一緒にいられない。
応接用であるだろう大きなソファを通り過ぎると、パーテーションの向こうにある木目調のデスクに社長は座っていた。背後にある大きなガラス窓から見えるビル群を背負いながらタブレットに向かい何か作業をしている。俺の足音に気づくと、ちらっとこちらを見ただけで、またタブレットへと視線を戻した。
『社長、お話があります』
少し声が震えてしまうけれど、強い気持ちで社長の前に立つ。社長はこちらを見ることもなく、「航汰、どうした?」と俺に問いかける。その低く落ち着きのある声に凄みを感じて怖気づきそうになるけれど、気持ちを立て直す。
『大野紫音のことです』
「ほう、紫音がどうかしたか?」
『紫音をCOLORSから外してほしいんです』
なんの躊躇いもなく俺がそう言い放つと、社長がきゅっ、と眉をひそめた。
「紫音をグループから外してほしい?またずいぶん威勢がいいね」
ゆっくりと顔を上げた社長の目が、まっすぐに俺をとらえる。その威圧になんとか耐えながら、俺も社長をまっすぐ見つめ返す。目に見えない攻防戦。
「いいか?誰をグループに入れるのか、どのようにデビューさせるのか、それを決めるのは私だ」
そう言って、腕を組みながらふんぞり返った社長は、静かながら怒りを感じさせるような声色で話を続ける。
「私の手腕に納得がいかないのなら、今すぐこの事務所を辞めてもらってもかまわない」
(……それは、困る)
やっとの思いで掴んだデビュー。それを無駄にするようなことは絶対にしたくない。……それでも。
『でも、紫音にはアイドルになりたいという気持ちが一切ありません。それどころか、アイドルそのものを馬鹿にしている。そんな奴がグループにいても意味はないと思います。なので紫音とは一緒に活動できません』
どうしても食い下がることは出来なかった。メンバーは、人生を共に歩む同志だ。紫音のようなふざけた奴とはいられない。沸き上がっていく怒りをなんとか抑えようと、呼吸が荒くなる。
(5人でもいいじゃないか)
なんでわざわざスカウトしてまで紫音を入れたいのか、社長の意図が全くわからなかった。
「航汰」
社長に名前を呼ばれるのには慣れていなくて、ビクッとする肩。鋭い目つきで俺を見る社長が「私がどんな気持ちでお前をこのグループの一員として選んだのか、よく考えてほしい」と静かにそう言った。
『えっ』。その言葉にたじろぐ俺に向かって、社長が最後にこう付け加える。
「これ以上、私を失望させないでくれ」
・
・
・
社長のあの言葉が、いつまでも頭から離れない。
柊と並んで歩く帰り道、社長室での出来事を柊に話すと、「うーん……」と何かを考え込むかのように黙ってしまった。2人の間にいつものような他愛のない会話は無く、気分は重くなる一方。オーディションの最終審査に合格したとは思えないほど、どんよりとした空気が漂っていた。
「……でもさ、何か理由があるのは間違いないんだよな」
駅に続く横断歩道の信号が青に変わった瞬間、柊がぽつりとそう呟いた。『え?』と聞き直す俺に「スカウトしてまで紫音をこのグループに入れたかった何かがあるはずだよ」と柊が歩き出しながら言う。
(何かって……なんだ?)
前を歩いていく柊を追いかけながら、紫音のことを考える。あんなに生意気で失礼な態度をとる紫音のどこがいいのか、社長の考えが全くわからない。そんな俺の思考などお見通しの柊が、俺をなだめるように言葉を続ける。
「わかるよ、紫音は航汰が一番苦手なタイプだ。俺らが大切に思っているアイドルデビューという夢を馬鹿にしたような発言が許せないんだろ。なんかシャキッとしないし、何考えているのかわからないし」
柊の言葉がその通りすぎて『そう、そうなんだよ』と食い気味に反応してしまう。
「でも、……だからじゃないのかな」
横断歩道を渡りきったところで、柊が立ち止まってそう言った。柊の言葉の意図がわからず『……何が?』とクエスチョンマークを浮かべる俺。
「紫音のああいう姿を見て、社長は航汰をグループのリーダーに指名したんだよ、きっと。航汰なら年齢や性格の違うみんなをまとめてくれるだろうって。このグループを任せても大丈夫だって、航汰のことを信じてるんだよ」
俺をまっすぐに見つめながら言う柊の言葉に、全身に鳥肌がたっていく。
「だから航汰ができることは、自分を信じてくれている社長を信じることなんじゃないのかな。……あと、社長が選んだメンバーのことも」
駅の構内へと向かいながら、柊がそう言う。
『信じる、しかないのか』
俺の心の中で何かが熱く燃えるのがわかった。期待されているのなら、全力で応えたい。
「もちろん、俺も一緒に頑張るからさ」。柊がこちらを振り返りながらそう言った。そんな柊の心強さに勇気をもらいながら、見失いかけていた大切なものに気がついた。
通い慣れたいつものリハ室なのに、居心地のわるさを感じるのは、俺や柊、そのほかこの場にいる候補生それぞれの運命が告げられるからだ。
そう、今日はルミナスアーツマネジメント発のボーイズアイドルグループのオーディション最終審査の結果発表日。最終審査に残ったメンバーが、パイプ椅子に座り、発表を今か今かと待っている。
アイドルとしてのデビューが確約されるか、数百人といる候補生の一人に戻るのか。そりゃあ、この場にいる全員が、前者を望んでいる。
ルミナスアーツマネジメント――といえば、誰もが聞いたことのあるだろう芸能事務所。演技派俳優からバラエティ番組で引っ張りだこのタレントまで、様々なジャンルで活躍する芸能人が多数所属している、いわゆる大手だ。このオーディションに合格したらきっと、いや必ず、輝かしい未来が待っている。
発表予定時間の11時が刻々と近づいている。前方にある壁掛け時計の秒針の音に合わせて、だんだんと鼓動が早くなっていく。そんな自分の焦りをほかの候補生に悟られまいと小さく呼吸をして自分を落ち着かせる。左側にある大きなガラス窓へと視線を移すと、駅前のロータリーの桜の木が満開に咲いていて、このオーディションが始まってちょうど1年が経ったことを実感した。1年前、このオーディションの開催が発表された日に、あの桜の木の下で覚悟を決めたんだ。とてつもないサバイバルを勝ち抜く覚悟を。
このオーディションに参加表明を出した候補生は300人だった。それが1年をかけてふるいにかけられ、今は10人にまで絞られている。
アイドルとしてデビューすることだけを夢見て、その未来がが実現すると心から信じている10人。ダンスの実力はもちろん、歌唱力もあり、アイドルとしての素質をもっている10人。
その10人の中に自分が残っていることが奇跡のように思ってしまうけれど、“これは間違いなく俺の実力だ”と自分に言い聞かせるように頭の中で繰り返す。
14歳でこの事務所のアイドル育成コースに所属した俺は、レッスンを受けながら事務所内オーディションに参加し続け、デビューを目指してきた。そして、もう……19歳。アイドルになるために5年を捧げた。
(けど、これが……最後だ)
このオーディションに受からなかったら、もう辞める。アイドルを目指すことも、この事務所も。
柊と話し合ってそう決めていた。
柊――緑川柊は、中学からの同級生。14歳の時、2人でアイドル育成コースに入るためにこの事務所のオーディションを受けた。親友でいて、盟友。そして、柊もまた、最終審査のメンバーに残っている。
俺の右ななめ前に座る柊の後ろ姿がいつもより大きく見えて、俺も姿勢を正し直した。
時計の針が11時ぴったりを指した瞬間、ガチャッと開いた扉。ミッドナイトブルーのビスポークスーツを纏ったルミナスアーツマネジメントの社長を先頭に、スーツ姿の事務所関係者とレコード会社の関係者が数人、最後にラフなTシャツ姿の青髪のダンスの先生が入ってきた。この1年間、オーディションを通して指導・審査してきた審査員たちだ。社長を中央にして、前方の席に座った審査員がこちら側をじっと見る。ただ不自然に、社長の右の席だけが空けられていた。
「おはよう」
低く落ち着きのある声で、社長が言う。
「おはようございます!」
俺を含めた10人の候補生が勢いよく挨拶を返すと、うんうんと小さく頷いた社長。いつもつけている金色のカフスボタンをきらっと光らせながら左隣に座った事務所の社員に向けて左手を向ける。すると、その社員がスッと書類を差し出した。その書類にオーディションの合否が書かれていることが容易に想像できて、この場の緊張感がまた一段と増す。
社長の左隣に座っている社員が立ち上がり、話し始めた。
「それでは、これからルミナスアーツマネジメントから新たに誕生するボーイズアイドルグループのメンバーを発表します。まず、グループの人数についてですが、協議の結果今回は6人組のグループに決定しました。……しかし、この場にいる候補生10人から選ばれたのは5人です」
その言葉にざわつく10人の候補生。
(6人組なのに、選ばれるのは5人?)
思わず眉間にシワを寄せ、どういうことかと頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
「ここからは社長が説明されます」
社員が席に座るのを待って、社長は静かに口を開く。
「まずは、最終審査ご苦労さまでした。ここまで勝ち抜いてきた10人は実力者しかいない。そう断言します。しかし、私が思い描くアイドルグループには、君たち以外の新たな才能をもった人物が必要だと考えました。様々な場所に赴き、たくさんの才能を持ったボーイズに出会いました。そして、ついに理想の人物に出会うことができたのです」
あくまで冷静に聞いているつもりだった。でも、社長が話を進めるに比例して心のモヤモヤが大きくなっていく。それは他の候補性も同じなようで、不穏な空気が漂い始めた。そんなことはお構い無しに、社長は話を続ける。
「オーディションの合格者発表の前に、まずはその彼を紹介したい。……大野紫音だ」
その言葉を合図に、社員の一人が扉を開ける。するとそこには、ヨレたTシャツとスエットパンツ姿の男の子が立っていた。俺よりもわずかに年下だろうか。長く伸びた髪はセットされておらず、重い前髪のせいで目元があまり見えない。ゆっくりと前に進んだ紫音と呼ばれたその男の第一印象は、はっきり言って“パッとしない”。
(なんでこんな奴が?)
歓迎されるように導かれて社長の右隣に座ったのが、少し気に食わないと思ってしまった。
「紫音は今、17歳。どこのダンススクールにも通わず独学でダンスを学び、先月行われたダンスの世界大会で優勝した。その大会を私も見ていて、ぜひ今回のグループに入ってほしいとスカウトした。これが紫音がうちの事務所に所属することになった経緯です」
それを聞いても、全く納得できなかった。たしかに世界大会で優勝したことはすごい。独学ということは、天性の才能があるんだろう。だからといって、1年間オーディションを受けてきた自分たちを差し置いてメンバーに選ばれていることがかなり不服だ。
「もしかしたら君たちの中には、紫音がメンバーに選ばれていることが気に入らない人もいるかもしれない。けれど、わかっていてほしいのは、芸能界というものは実力だけで成り上がっていけるものじゃないということだ。運やタイミングも重要で、それが決定打になることもある」
この世界の残酷さと厳しさを突きつけられる。どれだけ頑張っていても、意味をなさないこともあるということなのか。
社長に促され、「大野紫音です、よろしくお願いします」と覇気のない声で挨拶をする紫音に、とてつもない嫌悪感を感じた。
「はい、それではメンバー発表を再開します」
社員の声にハッとする。紫音にばかり気をとられていたけれど、もうすぐ俺の命運が決まる。グループに入れるのは10人のうち、5人。2人に1人は落ちる。自分が受かるという保証はない。紫音のことを気にする前に、まずは自分の心配をしなければ。
そう焦る俺を置いてけぼりにするかのように、社員が淡々と話を続ける。
「新たにデビューするボーイズグループのメンバー、2人目は……青島怜央」
「はい」
(っ、ふう。怜央か……)
正直、怜央は選ばれると思っていた。怜央がこの事務所に入所してきたのは4年前。怜央が12歳の頃だった。怜央が入ってきた時のことはよく覚えている。ものすごい才能の持ち主だと思った。歌・ダンス共に未経験にも関わらず、飛び抜けて上手かった。悔しいけど、当時レッスンを受け始めて1年経っていた俺よりも断然上手かった。見る人を虜にするような魅力が、怜央にはある。仕方ない。怜央のデビューは納得だ。
「3人目……黄木彗太郎」
「……はいっ」
彗太郎の喜びと驚きが混じったような声がリハ室に響く。
彗太郎が呼ばれたのは少し意外だった。性格は穏やかで心優しく、ひたむきな努力家タイプの彗太郎。出来ないことがあると、出来るようになるまで自主練をする姿を何度も目にしたことがある。15歳の時に入所して、今は17歳。着実に実力をつけているとはいえ、まだ荒削りな部分もあるし、もう少しレッスンを重ねることになるんじゃないか、と勝手に思っていた。けれど、掴んだデビューへの切符。それは彗太郎の努力を知っていれば自然なことなのかもしれない。
「4人目……」
6人のうち、半分の3人が決まった。8人にまで絞られた候補生のうち、呼ばれるのはあと3人……。緊張がさらに増し、息を飲んで社員の言葉の続きを待つ。
「桃山星夜」
「はいっ!!」
(星夜?!……終わった……)
まだあどけなさの残る高い声で星夜が返事をした瞬間、俺の名前は呼ばれないかもしれないと思った。ふは、と力が抜けていく。
星夜は最終審査に残った候補生の中では最年少の14歳。入所して1年の、いわゆる新人。くりくりとした瞳が特徴的な、喜怒哀楽を素直に表す愛されキャラ。どちらかというと可愛いタイプで、時には愛らしさも必要なアイドルにはぴったりだと言える。歌もダンスも発展途上で、これからどんどんスキルが伸びていくだろう。
紫音、怜央、彗太郎、星夜の4人は14〜17歳。6人のうち過半数以上が現役中高生というフレッシュなグループのメンバーには19歳の俺は入れないのかもしれない。少し、いや、かなり弱気な自分が顔を覗かせる。
「5人目……」
それでも、発表は続いていく。残るはあと2人。固唾を飲んで、呼ばれるのを待つしかない。すがるように願いながら、メンバー発表をする社員をじっと見つめる。
「緑川柊」
その瞬間、ぶわぁっと全身に鳥肌がたった。柊のほうへと目をやると、わずかに肩が震えている。「は、い、」。少し涙ぐんだような声で返事をした柊に、無意識に俺の目にも涙が溜まっていく。柊はいつもクールで、感情を表に出すようなタイプじゃない。柊の涙なんて、5年間毎日のように一緒にいる俺ですら見たことがない。抑えきれない柊の感情が溢れたんだ。
(よかった、本当によかった……。あとは、俺の名前が呼ばれたら……)
柊がちらりとこちらを振り返った。潤んだ瞳の奥に力強い思いが宿っている。“あとはお前だな”と、そう言われているかのような気がした。同い年の柊が呼ばれたということは、年齢は関係ない。俺にもまだチャンスがあるはずだ。
「そして、最後。6人目のメンバーは……」
(どうか、どうか――)
「赤岩航汰」
19年間慣れ親しんだ名前なのに、俺の名前だと理解するのに数秒はかかった気がする。『……はいっ!』と、やや遅れ気味で返事をしてしまった。
それと同時に、呼ばれなかった5人から落胆のため息が漏れた。歓喜と悲哀が入り混じるリハ室。
5年間ずっと夢に見た、アイドルデビュー。ついに、今日それを手に入れた。先程よりも瞳を潤ませた柊が、こちらを見ている。この瞬間ばかりは感情を解放したかのように、泣きながら笑っていた。初めて見る柊のそんな姿につられて、俺も泣きながら笑った。
「そして、航汰にはこのグループのリーダーを務めてもらいたい。……どうかね?」
喜びを噛みしめる俺に向かって、社長がそう問う。思ってもみなかった展開に驚きながら、『はい!ぜひやらせてください!』と即答した。そんな俺を見て、社長が大きく頷く。
「以上が、新たにデビューするボーイズアイドルグループのメンバーです。そして、グループ名は……」
息つく暇もなく、淡々と話を続けるスタッフ。感情の整理が追いつかないけれど、なんとか気持ちを落ち着かせる。この先ずっと付き合っていくことになるグループ名。自分の名前と同じように、大切なグループ名。それは……?
「COLORSです」
・
・
・
約1時間のデビューメンバー発表が終わった。社長は秘書とともにそそくさと退室していく。緊張が一気にほどけた開放感から、『ふはぁ』と力が抜けた。
「航汰っ!マジでよかった。俺たち、デビューできるんだ!!」
まっすぐに俺のもとへ駆け寄って来た柊がそう言って、喜びを爆発させた。
『おう、ほんっとによかった!!柊がいたから頑張れた。マジでありがとう』
「何言ってんだよ、これはゴールじゃない。ここから始まるんだ」
『……そう、だよなっ』
泣きながら柊と喜びを分かち合っていると、怜央、彗太郎、星夜が俺たちのもとへ集まってきた。
「みんな、これからよろしくお願いします。僕、頑張ります!」
そう言いながら無邪気な笑顔を見せる星夜に、残りの4人の顔が自然とほころぶ。
『こちらこそ』
「今日からメンバーなんだね、俺たち」
「いいグループにしていこうな」
「うん!」
メンバーでの結束を固めた、最初の瞬間に嬉しくなった。でも、そう、……紫音を除いて。当の紫音はというと、相変わらず覇気のない顔で、椅子に座ったまま一点を見つめている。
(なんだよ、あれ)
本当にダンスなんて出来るのかと疑ってしまうくらい、やる気の見えない紫音の姿にだんだんと腹が立ってきた。
そんな俺の様子に気がついたのか、「まぁまぁ」と柊が小声で俺をなだめる。
(わかってる。俺も子どもじゃない)
社長の判断だ、仕方がない。変えられない。決まったことなら受け入れるしかない。“わかってるよ”という気持ちを込めて、柊に向けて小さく2回頷いて見せた。
「はあ〜〜あ」
その時、候補生の一人、神崎琉希がわざとらしく大きなため息をついた。「なんか、やってられないよな」と、隣に座るもう一人の候補生、鈴木颯真に同意を求める。
「ほんとだよな」
颯真も琉希に同調し、不穏な空気を放ち始めた。気だるそうにパイプ椅子に深く腰かけて、腕を組みながら会話を続ける。
「俺も名前に白とか黒とか入ってれば、デビューできたのかよ」
「それな。メンバー全員の名前に色の名前が入ってるからCOLORSとか、単純すぎて笑える」
「ダサすぎて、選ばれなくて正解だったわ」
あえて俺たちに聞こえるように声を張って話す2人。『相手にするな』と、4人に向けて小声で言う。
「てか、ぽっと出てきたダンスしか知らない奴が選ばれるのはおかしくね?」
「マジそう思うわ。1年間オーディションを受けた俺らの時間返せよって感じ」
「しかも、たいしてパッとしない見た目だし」
「あんなんと同じグループとかアイドル人生終わりじゃね?」
「先輩、そんなこと言わないほうがいいですよ」
不覚にも颯真と琉希に同意してしまった思考を、候補生の一人、小日向海にかき消された。
「あ?小日向だってそう思うだろ」
「そうだよ、結局実力なんて見やしねぇ。話題性重視の世の中なんだよ」
「グループ名だって、社長の幼稚な言葉遊びみたいなもんだろ」
「そんなこと、ないと思います」
悪態をつき続ける颯真と琉希に立ち向かう海。ぎゅっと握りしめた拳が、小刻みに震えている。
「何をもって、そんなことないって言えんだよ」
「言ってみろよ」
「……それは、」
「そのへんにしておいたほうがいいですよ」
たじろぐ海の言葉に被せるように、事務所のスタッフが琉希と颯真に声をかけた。モスグリーンの派手な柄シャツにネイビーのジャケットを羽織ったその人は冷静に話を続ける。
「いいですか?これはビジネスです。あなたたちの夢を叶えてあげるのが我々の仕事じゃない。あなたたちを商品として、売るのが我々の仕事です。ひとつのグループをデビューさせるのに何億もの莫大なお金が使われる。話題性や言葉遊びで決めるほど、我々は馬鹿じゃない」
あくまでも丁寧な言葉遣いで話しているのに、かえってそれが静かな怒りを感じさせた。
ミルクティーのように明るい髪にゆるくパーマをかけているその見た目は、スタッフというよりもモデルのよう。
正体のわからないその人は、「少しは頭で考えてものを言いなさい」と琉希と颯真に捨て台詞を吐いた。すると、さすがの琉希と颯真も観念したようで、ぶつぶつと何かを言いながらリハ室から出て行った。
「君も、今日はもう帰っていいですよ」
そのスタッフに促された海は、「はい……」と肩を落として歩き始めた。
「海!」
俺の横にいた彗太郎が海を呼び止めた。驚いた顔でこちらを見る海に、「ありがとな」と彗太郎が言う。海は「おう」と短く返事を返しただけだったけれど、その顔がパッと明るくなったように見えた。
そしてリハ室に残ったのは、最終審査に合格した5人と紫音、そしてその柄シャツスタッフだけになった。
俺らと紫音の6人が並んで座るように指示されパイプ椅子に腰掛けると、そのスタッフが目の前で何かの書類を取り出して話し始めた。
「ご挨拶が遅れました。ルミナスアーツマネジメントのアイドル部門でチーフマネージャーをしております、樋口です。本日からCOLORSのマネージャーに就任いたしました。これからあなたたちの活動を円滑に進められるようにサポートいたします。どうぞよろしくお願いします」
(マネージャー……!?すごい、本当にタレントになったみたいだ!)
……いや、実際はそうなのだけど、これまでの待遇の違いにただただ感激してしまう。
「……なんて、堅苦しい挨拶はここまで」。樋口さんはそう言って、ストレッチをするように1、2回肩をまわした。「俺、堅苦しいの苦手なんだよね」と声を柔らかくして二ッと笑う樋口さんのギャップに驚く。
「一応簡単に自己紹介をすると、樋口悠斗、24歳。清涼大学卒の新卒2年目。この事務所のマネージャーとして入社して1年でチーフマネージャーに昇進。ファッションが好きで、柄シャツはマスト。なんか柄シャツ着てないと気分アガんないんだよね。あとは“かっこいい奴ら”が好き。そんな人たちをサポートしたくてこの事務所に入ったって感じかな」
ぱっちりとした二重で何度か瞬きをしながら話す樋口さんに、呆気にとられるばかりの俺。5歳しか変わらないのに、有名大学を卒業して、入社1年で昇進…って、かなり仕事のデキる人なんだ。「あっ、ひぐっちゃんって呼んで。苗字にサン付けとか、俺無理なんだよね」と、くだけた口調で言う姿からは全く想像できないけれど。
「じゃあ、さっそくデビューまでの流れを説明するぞ〜。COLORSが正式にデビューするのは一年後。それまでは9月のプレデビューに向けてレッスンを重ねながら3曲仕上げてもらう。プレデビュー期間に突入すると、SNSでの発信やグループ・個人での仕事をこなしながらデビュー曲の準備をしていく。それがデビューまでのおおまかな流れかな」
「ここまではOK?」と、樋口さん、いや、ひぐっちゃんが俺らに問い、「はいっ」と紫音以外のメンバーが返事をした。そんな俺たちを確認したあと、さらに言葉を続ける。
「そして、候補生だった今までと違うのは、プロ意識を常に持ってほしいということ。みんなはデビュー予定のグループに選ばれたけど、デビューするまではまだ試用期間であるということを忘れないでほしい。些細なキッカケでデビューがなくなってしまう可能性もあるということは覚えておいてほしい。……OK?」
『はいっ』
また、紫音以外の5人が勢いよく返事をした。ひぐっちゃんの言葉に、今までとは違った緊張感を感じる。
(今日からの一年間が、本当の意味での最終審査みたいなものなのかな)
ここまできて、無かったことになんかさせるものか。俺は絶対にデビューしたい。デビューするんだ。その気持ちがさらに強くなる。
「よーし!じゃあ、何か質問のある奴は?」
ひぐっちゃんがそう問いかけると、誰かが静かに手を挙げた。――紫音だ。へえ、と純粋に驚く俺。
ナヨナヨと頼りない雰囲気なのに、この場で発言するのが意外に思えた。
「ん、紫音。どうした?」
「俺、アイドルになんてなるつもりないので。……アイドルとか、ダサすぎ」
ふっ、と嘲笑うようにして言った紫音の一言が、この場を一瞬で凍りつかせた。
(……は?マジ何言ってんの、コイツ)
俺以外のメンバーも機嫌を悪くしたようで眉間にシワを寄せて紫音のほうを見ている。
「ちょっと待って、それどういう意味?」
さすがのひぐっちゃんも意味がわからないらしく、焦ったように紫音に問いかけた。
「俺はただ、歌とダンスのレッスンを受けるだけでお金がもらえるって聞いたから来ただけ。もっとマトモな仕事が見つかるまでの、つなぎだから」
あえて語気を強めて言った紫音に、俺の怒りが頂点に達した。
『ふざけんなっ、自分が何言ってんのかわかってて言ってんの?!』
「航汰っ!落ち着け!」
紫音に飛びかかるような勢いだった俺を、力づくで止める柊。それでも怒りは収まらなくて、『あぁっ!』とイライラを隠そうともしないで乱暴に座る。
「ま、そういうことなんで。じゃあ」
なんの説明も弁解もしないまま、紫音はさっさとリハ室から出て行った。6人分のイライラが、大きな渦となりこの部屋を漂う。
(あぁ、マジでイライラする。なんであんな奴が?アイドルを馬鹿にしてる奴なんかと同じグループとかやってられない)
『……ひぐっちゃん、社長に会わせてください』
俺は静かに、そう呟いた。
・
・
・
「あくまでも、冷静に、ね」
社長室の前で、ひぐっちゃんが俺をなだめるように言う。
『わかってます』
「こんなこと、普段はしないんだからね」
『はい』
「……じゃあ、行っておいで」
ひぐっちゃんが少し心配そうな表情を浮かべながら、まっすぐに俺を見る。
紫音の態度が許せなくて『社長に会わせてください』とひぐっちゃんに直談判したのが10分前。ひぐっちゃんは数分悩んだ後、「わかった」と了承してくれた。具体的な言葉にはしないけれど、ひぐっちゃんも紫音の態度に思うところがあるのかもしれない。
重厚な扉をコンコンコンと3回ノックする。静かに扉を開けた社長の秘書が、ちらりとひぐっちゃんを見たあと「どうしましたか?」と俺に尋ねる。
『社長と話をさせてください』
俺は努めて冷静にそう言った。
「社長はお忙しいので、1分以内に済ませてください」
『わかりました。……失礼します』
社長室に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。社長とは何度か話したことはあるけれど、二人きりで話したことはない。かなりの勇気がいったけど、それでも今回ばかりは黙っていられなかった。俺が、俺たちが人生を賭けて挑んでるものを馬鹿にする奴とは一緒にいられない。
応接用であるだろう大きなソファを通り過ぎると、パーテーションの向こうにある木目調のデスクに社長は座っていた。背後にある大きなガラス窓から見えるビル群を背負いながらタブレットに向かい何か作業をしている。俺の足音に気づくと、ちらっとこちらを見ただけで、またタブレットへと視線を戻した。
『社長、お話があります』
少し声が震えてしまうけれど、強い気持ちで社長の前に立つ。社長はこちらを見ることもなく、「航汰、どうした?」と俺に問いかける。その低く落ち着きのある声に凄みを感じて怖気づきそうになるけれど、気持ちを立て直す。
『大野紫音のことです』
「ほう、紫音がどうかしたか?」
『紫音をCOLORSから外してほしいんです』
なんの躊躇いもなく俺がそう言い放つと、社長がきゅっ、と眉をひそめた。
「紫音をグループから外してほしい?またずいぶん威勢がいいね」
ゆっくりと顔を上げた社長の目が、まっすぐに俺をとらえる。その威圧になんとか耐えながら、俺も社長をまっすぐ見つめ返す。目に見えない攻防戦。
「いいか?誰をグループに入れるのか、どのようにデビューさせるのか、それを決めるのは私だ」
そう言って、腕を組みながらふんぞり返った社長は、静かながら怒りを感じさせるような声色で話を続ける。
「私の手腕に納得がいかないのなら、今すぐこの事務所を辞めてもらってもかまわない」
(……それは、困る)
やっとの思いで掴んだデビュー。それを無駄にするようなことは絶対にしたくない。……それでも。
『でも、紫音にはアイドルになりたいという気持ちが一切ありません。それどころか、アイドルそのものを馬鹿にしている。そんな奴がグループにいても意味はないと思います。なので紫音とは一緒に活動できません』
どうしても食い下がることは出来なかった。メンバーは、人生を共に歩む同志だ。紫音のようなふざけた奴とはいられない。沸き上がっていく怒りをなんとか抑えようと、呼吸が荒くなる。
(5人でもいいじゃないか)
なんでわざわざスカウトしてまで紫音を入れたいのか、社長の意図が全くわからなかった。
「航汰」
社長に名前を呼ばれるのには慣れていなくて、ビクッとする肩。鋭い目つきで俺を見る社長が「私がどんな気持ちでお前をこのグループの一員として選んだのか、よく考えてほしい」と静かにそう言った。
『えっ』。その言葉にたじろぐ俺に向かって、社長が最後にこう付け加える。
「これ以上、私を失望させないでくれ」
・
・
・
社長のあの言葉が、いつまでも頭から離れない。
柊と並んで歩く帰り道、社長室での出来事を柊に話すと、「うーん……」と何かを考え込むかのように黙ってしまった。2人の間にいつものような他愛のない会話は無く、気分は重くなる一方。オーディションの最終審査に合格したとは思えないほど、どんよりとした空気が漂っていた。
「……でもさ、何か理由があるのは間違いないんだよな」
駅に続く横断歩道の信号が青に変わった瞬間、柊がぽつりとそう呟いた。『え?』と聞き直す俺に「スカウトしてまで紫音をこのグループに入れたかった何かがあるはずだよ」と柊が歩き出しながら言う。
(何かって……なんだ?)
前を歩いていく柊を追いかけながら、紫音のことを考える。あんなに生意気で失礼な態度をとる紫音のどこがいいのか、社長の考えが全くわからない。そんな俺の思考などお見通しの柊が、俺をなだめるように言葉を続ける。
「わかるよ、紫音は航汰が一番苦手なタイプだ。俺らが大切に思っているアイドルデビューという夢を馬鹿にしたような発言が許せないんだろ。なんかシャキッとしないし、何考えているのかわからないし」
柊の言葉がその通りすぎて『そう、そうなんだよ』と食い気味に反応してしまう。
「でも、……だからじゃないのかな」
横断歩道を渡りきったところで、柊が立ち止まってそう言った。柊の言葉の意図がわからず『……何が?』とクエスチョンマークを浮かべる俺。
「紫音のああいう姿を見て、社長は航汰をグループのリーダーに指名したんだよ、きっと。航汰なら年齢や性格の違うみんなをまとめてくれるだろうって。このグループを任せても大丈夫だって、航汰のことを信じてるんだよ」
俺をまっすぐに見つめながら言う柊の言葉に、全身に鳥肌がたっていく。
「だから航汰ができることは、自分を信じてくれている社長を信じることなんじゃないのかな。……あと、社長が選んだメンバーのことも」
駅の構内へと向かいながら、柊がそう言う。
『信じる、しかないのか』
俺の心の中で何かが熱く燃えるのがわかった。期待されているのなら、全力で応えたい。
「もちろん、俺も一緒に頑張るからさ」。柊がこちらを振り返りながらそう言った。そんな柊の心強さに勇気をもらいながら、見失いかけていた大切なものに気がついた。
