柊くんの迫力と星夜の涙が入り混じる、異様な空気が漂う事務所の会議室。
“航汰がデビュー出来ないのなら、俺も辞めます”。そう言い切って、社長に詰め寄っている柊くんの顔は決死の表情をしている。俺はぐるぐると渦巻く感情を整理することができないまま、柊くんの言葉に呆気にとられるばかりだった。呆然と立ち尽くすことしかできない俺の隣で、柊くんは今もなお社長と対峙している。
じっと社長を見つめる柊くんを前にしても、社長の表情に1ミリも変化はない。2人は数秒間対峙した後、社長は柊くんを見つめる目をさらに強くして静かに話し出した。
「柊。何を言っているんだ。デビューするためにあんなに頑張ってきただろう」
極めて冷静に言い放たれた社長の言葉に、正直それもそうだと思った。自分の夢は何よりも叶えたいはず。入所したばかりの俺とは違い、柊くんはもう約5年もレッスンを重ねている。アイドルになることだけを追い求めて、俺には想像も出来ないくらい努力してやっとで掴み取ったデビュー。それを目前に控えているこのタイミングで自ら辞めるなんて、どうかしてると普通は思うはずだ。
「今までの努力を水の泡にするつもりか?」
そんな社長の冷静な言葉にも怯むことのない柊くんがさらに言葉を続ける。
「俺は航汰が居たから頑張れたんです。一緒にCOLORSに選ばれたからには、人生をかけて活動していこうと2人で話していました。デビュー直前になって、こんなことになるなら……俺も航汰と同じ道を行きます」
(航汰くんのためな自分の夢を捨てるということなのか……)
切れ長の瞳に鋭さを宿らせてキッパリと言い切った柊くんに、誰かを心から信じるということはこういうことかと思い知らされる。感心する俺とは反対に、社長は深く大きなため息をついた。それには明らかに落胆の気持ちが込められている。そして、「いいか?柊」と諭すように柊くんに語り始めた。
「それが航汰のためになっているとでも思うのか?お前が辞めてなんになる。2人で目指していた未来を、2人で叶えられないからってそれがなんだ。お前が積み重ねてきた5年の日々を思い出してみろ。その努力がやっとで実るというのに、自らチャンスを棒に振るっていうのか?それがどんなに愚かなことか、ちゃんとわかって言っているんだろうな?」
眉をひそめて冷たく言い放った社長の言葉に、俺も恐怖を感じた。「えっ」と、たじろいでいる柊くん。呆れた様子の社長は、容赦なく言葉を続ける。
「これは、航汰が起こした問題だ。事の真偽はどうであれ、航汰が自分がやったと認めたなら、こちらも対処するしかない。あいつも馬鹿じゃないさ。“自分が殴った”と言った時点で、あいつのアイドル人生に幕が降りたことくらいわかってるはずだ」
(残酷だ、あまりにも残酷だ)
真偽は関係ないということか。重要なのはそこではなくて、言葉にした瞬間に責任を伴うことにもなるということだ。たったひとつの言葉が命とりになることもあるんだと思い知らされる。
「柊、お前ももっと考えて言いなさい。今のは聞かなかったことにしてやるから」
そう言い残して、社長は会議室をあとにした。抜け殻のように立ち尽くす柊くんは絶望の表情をしている。先程までの威勢はすっかり無くなっていて、まるで別人のよう。
「柊くん……」
そんな柊くんを心配して彗太郎が声をかけるけれど、返事はない。「柊くん。一旦、座ろう」。落ち着いた声でそう言った怜央が、柊くんの肩を支えながら椅子に座るよう促した。その後、力なく座り込んだままの星夜も同じように促して、柊くんの隣に座らせる怜央。彗太郎と俺もとぼとぼと歩いて席に着き、俺の隣に怜央が座った。
今までの様子をずっと黙って見守っていたひぐっちゃんは、「海が運ばれた病院にいるスタッフに連絡をとってみる」と言い残して出ていってしまった。
三十人ほどが入れる広い会議室に、5人で並んで座る。どこか世間から取り残されたような気分になってしまう。
(こんな時航汰くんがいてくれたら、冗談を言って笑いを誘ってくれるのに)
COLORSの絶対的大黒柱の航汰くんが居なくなってしまうかもしれないことに、この先どうすればいいのかととてつもない不安を覚える。端に座る柊くんのほうを横目でちらっと見ると、未だ絶望の表情をしている。
(もし、もし本当に航汰くんに加えて柊くんもCOLORSから抜けることになれば……それこそ終わりだ)
4人だけじゃCOLORSは成り立たない。航汰くんと柊くんがいないCOLORSなどCOLORSじゃない。まだデビューしていないけどそう断言できるのは、6人で積み重ねてきた日々があるからだ。圧倒的リーダーの航汰くんとグループを俯瞰して見てくれる柊くんは必要不可欠。2人が本当に辞めるなら、COLORS自体もきっと無くなってしまう。
(そんな……)
やっとで夢を描くことが出来たのに。アイドルデビューという叶えたい未来と、“誰かの心の支えになりたい”という明確な目標が出来たところだったのに。初めて、母さん以外の“家族”と呼べる存在が出来たというのに……。
そんな、自分のことばかり考えている俺は、心から誰かを信じるというフェーズにはたどり着けていないんだと痛感する。情けなくて仕方がない。
つい三時間ほど前までデビューという明るい未来に向っかって歩いていたのに、今は先の見えない真っ暗なトンネルの中を彷徨っているみたいに思える。がっくりと肩を落として俯いた俺の隣で、怜央が「大丈夫だよ」と小声で呟いた。
『……え?』
右を見ると凛々しい顔をした怜央がまっすぐに前を見ている。
「航汰くんは絶対に大丈夫」
こちらを見るでもなくそう言う怜央に、信じる気持ちのカタチは人それぞれなんだと知る。
(多くは語らないけど、怜央も心から航汰くんのことを信じているんだ)
なんの根拠もない怜央の言葉が、今はすごく心強かった。
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誰も何も話さないまま10分ほどが経った。待つことしか出来ない俺たちには相変わらず重い空気が流れている。何も状況のわからないのは一番辛い。
(早くひぐっちゃんが戻ってきてくれないかな……)
そう思った瞬間、バンッと勢いよく扉が開いた。
「みんな!」
そう叫びながら会議室に入ってきたのは、顔を赤くして興奮した様子のひぐっちゃんだった。
「海が目を覚ましたって!」
その言葉に、彗太郎が「ほんとですか!!」と言いながら勢いよく立ち上がる。たしか彗太郎と小日向海くんは同期だった。心から安心した様子の彗太郎に向かって「あぁ、命に別状はないそうだ」とひぐっちゃんに言うと、この場にいる全員が心から安堵した。
「ひぐっちゃん、航汰のことで何かわかりましたか……?」
顔面蒼白でそう言う航汰くんに、ひぐっちゃんが「あぁ、わかったよ」と言葉を返すと『ほんとですか!』と5人の声がシンクロした。
「海が目を覚ましたあと、警察が詳しい話を聞いたんだ。航汰と海、そして琉希と颯真の4人の間に何かあったのかを」
「うん」
固唾を飲んでひぐっちゃんの言葉の続きを待つ5人。そんな俺たちを順番に見て、ひぐっちゃんが口を開いた。
「……まず、海は琉希に殴られていた。海自身は殴られた直後に気絶していて誰に殴られたのかはわかっていなかったけどな。どうやら琉希が駅裏の工事跡にあった鉄パイプを持ち出して、海の首筋めがけて殴ったらしい」
「痛そう……」
星夜が顔をしかめながらそう言った。
「えっ、じゃあなんで琉希と颯真も怪我してたんですか?あいつらも確かに口元から血を流していました」
幾分落ち着きを取り戻した柊くんが、冷静にそう問う。
「それは、海が殴ったらしいんだ」
ひぐっちゃんの言葉に、「えぇ?」と思わず驚きの声をあげた彗太郎。“信じられない”という表情を浮かべながら「まさか。あの海がですか?」とさらに問いかける。
「そう、その“まさか”らしい。海は、身代わりになったんだ。琉希と颯真に殴られそうになっていた航汰を守って」
ひぐっちゃんは遠い目をしながらそう言ったけど、状況が全く飲み込めない。
『あの、全然わかんないんですけど……。じゃあ、なんで航汰くんは“俺が殴った”と言ってたんですか??』
恐る恐るそう口にすると、「そうだよ、意味がわからないです」と怜央も同意した。
「わかった、順番に説明するから」
恭しく口を開いたひぐっちゃんはそう言って、この件の真相を語り始めた。
