12月になり、だんだんと寒さが強くなり始めた。6人でのダンスレッスンを終えて、冷たい風を頬で切りながら家路を急ぐ。普段は航汰と一緒だけど、何やらやることがあるらしい。事務所に残った航汰に見送られ、今日は俺一人の帰り道。

『う〜、さむっ』

独り言が、冬の夜の街に消えた。このところ忙しい日々が続いていて、とても充実した日々を送れている。正式なアイドルデビューまであと約3ヶ月。日々のレッスンにも気合が入り、今日もみっちりダンス漬け。ずっと踊っているからさすがに疲労を感じるけれど、着実にデビューへ近づいているんだなと思うとこの疲れがなんだか嬉しかった。

そんな充実感を胸に抱いて歩く。吐き出す息は白く、街ゆく人たちはダウンやコートに身を包んでいる。その人波をかき分けて進むと、ふとコンビニの看板が目に留まった。

(うわ、肉まん食べたいかも……)

肉まんのほかほかさとした温かさがよく伝わってくるその看板に、ふと高校生の頃のことを思い出す。放課後、レッスンの前に航汰とコンビニに行くのが定番だった。夏はアイス、冬は肉まんを頬張りながら、どんなアイドルになりたいかと夢を語り合っていたあの頃。

(懐かしいな)
少しエモーショナな気持ちになりながら、俺は迷うことなくコンビニに入る。また航汰と肉まんを食べながらあの頃のように語りたい気分になってしまった。航汰が言っていた“やること”も、そんなに長くはかからないだろう。もし会えなくても、自分で2つ食べればいいさ。

【今、どこにいる??】
お会計を済ませたところで、航汰にメッセージを送った。肉まんが2つ入ったレジ袋を片手にコンビニの外で返信を待つけれど、しばらく経っても返事はこなかった。メッセージは即返信派の航汰には珍しいと思いながら電話をかけるけれど、やっぱり繋がらない。

(まだ事務所かな……)

今から事務所に戻るのもギリありか……と思ったところで電話が鳴った。

『もしもし、航汰?今……』
そう言いかけた俺の言葉を「柊くんっ!!」という声が遮った。画面を確認すると、電話をかけてきたのは星夜だった。

『あっ、ごめん。星夜?なんかあった??』
星夜から電話がきたのは初めてだった。しかも、かなり慌てている。もしかしたら、また琉希と颯真に嫌がらせを受けたのかという不安が脳裏をよぎった。『星夜、大丈夫かっ?!』と、もう一度声をかける。

「僕は大丈夫!」
その言葉に安心したのもつかの間、「柊くん、今航汰くんと一緒にいるの?」と俺に問いかける星夜。その言葉に何故か嫌な予感がした。

『いや、今は一緒じゃないよ』
「あのねっ、柊くんっ、航汰くんがっ」

(……航汰が?)
なぜかドクドクドクッと上がる心拍数。

電話の向こうの星夜は走っているようだった。息切れをしながら話す星夜の言葉の続きを待つ。

「航汰くんがっ、今から琉希くんと颯真くんと会うって言っててっ!さっき僕に電話をかけてきたのっ。“俺がなんとかするから”とも言ってたっ!航汰くんの声がいつもよりなんかこうっ、怖くて。ただごとじゃない気がしてっ。だから柊くんっ」

そこまで聞いて、俺は走り出した。持っていた肉まんを落とした事に気がついたけど、拾いに戻る気にはなれなかった。

『星夜、航汰はどこにいるかは言ってなかったか?』
「ううんっ、何も言ってなかったっ。だから今探しててっ」
『俺も探すから!何かわかったら教え……』
「あっ!!いたっ。航汰くん、いたよ!駅の裏にいる!!……あっ、琉希くんと颯真くんも一緒だよっ……」
『わかった!星夜はとりあえずどこかに隠れてろっ!』

そう言って電話を切り、とにかく走った。持てる力を全て注ぎ、全速力で走った。

(あいつ、何してんだよ……っ!)

焦りや怒り、不安でぐちゃぐちゃになる感情をなんとか抑える。乱れる髪も冬の冷めたい風で痛む頬も、すれ違う人たちにジロジロ見られることも……今は何もかもどうでもよかった。

(なんかおかしいと思ってたんだっ)

星夜が暴行を受けていたことを初めて俺らに話した時、ひぐっちゃんたちに報告したほうがいいと思った。でも、航汰は“もう少し時間をかけて考えてみよう”と言って報告するのをやめた。考えるより行動派の航汰には様子がおかしいと思ったんだ。

(あの違和感を無視しなければよかったのに……っ)

俺になんの相談もしないで颯真たちに会っている航汰と、異変に気づいていたのに何もしなかった自分へのイライラを募らせながら夢中で走る。しばらくすると電車の音が聞こえてきた。駅には入らず、まっすぐに駅裏に向かう。人通りはまばらで薄暗い道で目をこらすと、フェンスと茂みで死角になっている隅のほうに、背中をまるめてうずくまる星夜を見つけた。

『星夜っ』
慌てて星夜に駆け寄ると、華奢な肩がふるふると震えている。

『星夜、大丈夫かっ』
そう言って星夜の顔を覗き込むと、くりくりとした可愛い瞳を真っ赤にして涙を浮かべている。

『航汰は!?』
「……柊くん……っ、あれ……」。そう言いながら星夜が指を差した。その方向へと目をやる。

『嘘だろ……』

目の前の光景が、現実のものとは思えなかった。

視線の先には救急車とパトカーの赤色灯がいやに眩しく光っていた。まわりには騒ぎを聞きつけた野次馬たちが数人いて、その野次馬たちの視線を集める方向には、救急車の中で簡易手当を受けている琉希と颯真、そして、担架に乗せられて救急車にへと運び込まれていく小日向海の姿があった。「小日向さん、わかりますかー!?」という救急隊員の呼びかけに、海は全く反応しない。

「柊くん!僕っ、怖くてっ、何も、出来なくて……っ」と取り乱している星夜の背中をさすりながら、荒くなる自分の呼吸をなんとか落ち着けようと必死だった。

(……どういうことだ?颯真と琉希はなんで怪我をしている?それに、なんで海がいるんだ?なんで意識がない?)

頭の中で大量に浮かんでくる疑問。考えても考えてもこの状況を飲み込むことができない。

(航汰はどこだ??)
あたりをきょろきょろと見渡していると、救急車の影から警察官につれられて航汰が現れた。

『航汰!!』

思わず叫ぶと、航汰はちらりとこちらを見た。しかしその顔には表情は無く、がっくりと肩を落としている。そんな航汰を見たのは初めてで、咄嗟にかける言葉が見つからない。聞きたいことは大量にあった。でも、警察官に腕を捕まれ拘束されている航汰の姿に、激しく動揺してしまう。

「航汰くん!」
星夜もなんとか声を振り絞って航汰を呼んだけれど、表情に変化は見られない。

そして、航汰の傍らに立って俺らの様子を伺っていた警察官が航汰の肩をぽんっと叩いて、パトカーに乗るよう促した。
俺らから視線を逸らした航汰は、何も抵抗することなくおとなしくパトカーに乗り込む。

『ま、じ、かよ……』

航汰を乗せたパトカーが、だんだんと遠くなっていく。俺たちはただ、立ち尽くすことしかできなかった。







一時間後。事務所の会議室に、航汰以外のCOLORSのメンバー5人が集まった。あのあとすぐひぐっちゃんに連絡をしたら、ほどなくして事務所に警察から連絡があったらしい。今、社長と一緒に警察署へ詳しい話を聞きに行っている。

誰も言葉を発せないほどの重苦しい空気が会議室を支配する。

(あぁ、なんでこんなことに?)

目に焼き付いた、あの衝撃的な光景。航汰がパトカーに乗せられていく姿など受け入れられるわけがない。メンバーにもひとしきり何があったのか聞かれたけれど、何も答えることはできなかった。その場にいた星夜も、トラウマと恐怖から何が起きているのか見ることは出来なかったようで、詳しいことは何もわからないと言っている。

(警察署へ連れて行かれるなんて、まるで航汰が悪いことをしたかのようじゃないか……)

航汰は感情的になりやすい性格だけど、誰かを傷つけることは絶対にしない。曲がったことが大嫌いで正義感のかたまりのような人。そんな航汰が、まさか。

(ありえない。絶対にありえない)

そう航汰を信じる気持ちは強くあるのに、あんなにも表情の無い航汰は見たことがなくてその信じる気持ちが揺らいでしまう。何かに絶望したかのような、そんな顔をしていた。一体、どうして……。

まとまりのない思考を頭の中で繰り広げていると、ガチャ、と静かに会議室の扉が開いた。チャコールグレーのスーツ姿の社長が秘書とともに入ってくる。そのあとに、顔面蒼白のひぐっちゃんが続いて入ってきた。

居ても立っても居られず、『航汰は!?もちろん、何もやってないんですよね?!』と社長へ強く詰め寄った。俺に続くように、他の4人も社長を囲むように集まる。

「柊、みんな、落ち着け」
社長が諭すようにそう言うけれど、『落ち着いてなんかいられないですよ!!何かの間違いですよね?!』という俺の声が響いた。

「いや……それが、」
焦る俺をなだめるように近づいてきたひぐっちゃんが、嫌に口ごもる。

『……え?』

いつも俺らを笑顔にしてくれる明るいひぐっちゃんからは想像もできないほどの、覇気のない顔で俺を見る。

(まさか、まさか)

最悪の事態が脳裏をよぎった。言いづらそうにためらいながら口を開いたひぐっちゃん。その口から放たれる言葉を待つ。

「……航汰は……、“琉希や颯真、海を殴った”と言っているらしい」

その言葉に、全身の力がさーっと抜けていく。膝の力が抜け、その場にがっくりと倒れ込んでしまった。

(嘘だろ。そんなことって、あるわけないだろ……)

「柊くん!!」

彗太郎が俺を起こして肩を抱き支えてくれるけれど、うまく身体に力を入れられない。彗太郎に身体を預けたまま、航汰と過ごした日々が走馬灯のように思い出された。

初めて出会った日のこと、芸能界を志した日のこと、アイドルを本気で目指して航汰と一緒に歩んできた全ての思い出が頭の中を埋め尽くす。

(なんでだよ。“人生かけてCOLORSでいよう”って約束したじゃないか。芸能界に入ることだって航汰が言い出したんだぞ……。それなのに……っ)

『……っ、』
一気にこぼれる涙と、漏れる嗚咽。溢れ出した感情を、もう止めることは出来なかった。メンバーやひぐっちゃん、社長の前なのに人目も(はばか)らずに泣きわめく。

『嘘だろっ、航汰。なんで、なんで何も言ってくれなかったんだよっ。相棒だって思ってったのは俺だけだったのかっ。あんなにアイドルになりたいって、それだけを夢見て何もかも我慢してきたのにっ』

会議室に流れる空気がまた一段と重みを増したその時、「俺のせいだ……」と星夜が呟いた。
その言葉に何も反応できないほどに、俺はただ受け止めることで精一杯だった。