八高の女子卓球部は学校の敷地の端の端、グラウンドの隅っこの小さな建物で練習している。らしい。
らしい、なんて語尾がつくのは近くを歩いていた2年生に教えてもらっただけで、まだ実際にこの目で見ていないからだ。
そんなわけで私たちは、他の運動部の邪魔にならないよう、グラウンドの端を進んでいるわけで。
「それにしても、卓球部の練習場、ずいぶん隅っこに追いやられてる感じがするね」
「まあ、卓球部だからね……」
今でこそメジャーになりつつあるだろうけど、やっぱり暗いイメージを抱いている人は少なくないだろう。私もそう思うし。
だけど専用の練習場所があるだけこの高校はいい方だろう。バレーやバスケなどの部と交代で体育館を使うとなれば、ちゃんとした練習時間は限られてくるわけだし。
「よっし、とうちゃーく!」
そうこうしている間に、目的地に到着。視界に映る平屋のその建物は、外壁の白い塗装が剥がれていたりしていて、年季がうかがえる。
「あっ、音が聞こえる!」
杏子ちゃんが声を弾ませる。扉を隔てた中からはリズムのいい音――ピンポン球の打球音が聞こえてきていた。
カコン、カコン、カコン、カコン……。
「もう練習してるのかなー?」
「――……」
久しぶりに聞く音。もう聞くことはないと思っていた、音。
一歩近づくだけで、その音は大きく、深く私の心に響いてくる。中に入ればさらに容赦なく降り注ぐだろう。
本当に、行くのか? 私。
「それじゃあ入ろっ!」
「え!?」
打球音で我を忘れているうちに、杏子ちゃんは入口の引き戸に手をかけていた。
「ちょ、ちょっと待とうよ。ほら練習中だし、邪魔しちゃ悪いし」
「そんなこと言ったらいつまで経っても入れないじゃん。ほら行こ!」
「ほんのちょっとでいいから待って! 心の準備が!」
「もんどーむよう! いざ行かん!」
私の腕を掴み、杏子ちゃんが扉を開け――
「ようこそ卓球部へ!」
「ひあっ!」
背後からいきなり抱きつかれて肺にたまった空気と一緒に変な声が出る。同時に、背中に氷を入れられたみたいに背筋がピン、と伸びた。
抱きついてきたのは女の子だった。身長は私よりも少し低い。黄色いスポーツウェアと、きれいにまとめられたお団子頭が目に入る。
「おっ! ふたりも来てくれてるじゃん! 大漁大漁!」
私に密着している人はそう言うと、右腕は私のお腹に回したまま左腕で杏子ちゃんの身体をしっかりと掴んだ。突然のことすぎて、さっきまで意気揚々としていた杏子ちゃんも「え? ええ?」と困惑している。
「ふっふっふー、ここまで来たからには逃がさないよー?」
ぎゅううう。彼女は腕の力をさらに込める。そして足を器用に使って、杏子ちゃんが開けようとしていた扉を勢いよく開けた。
「めぐ先輩ー! つむぎー! お客さんだぞー!」
彼女が室内に向かって言うと、さっきまで雨音のように聞こえていたピンポン球の音が止む。中にはふたりの女子生徒が、卓球台を挟んで立っていた。その両方が漏れなく、こちらを向いている。注目の的。視線の矢が向かう先。
は、恥ずかしい……。
「さあさ、入った入った!」
謎の人物に押される形で、私と杏子ちゃんは扉をくぐる。
中は決して広いとは言えないものの、卓球台が横一列に4台置かれていた。木造の床に壁、外観で抱いた印象と同じく古さが感じられる。小窓には外の光が入ってこないようにするために、全部黒いカーテンで閉じられている。
「千穂ちゃん……どうしたの? その子たち」
訊きながら近寄ってきたのは、中にいたうちのひとり。ミディアムボブのふわふわした髪と、シャツの上からでもわかる豊かな胸が印象的だ。……うらやましい。
「んー、入口のとこにいたから捕まえた!」
「そんな動物みたいに言わないの。離してあげたら? かわいそうよ」
「あはは、いやー新入生みたいだし逃がしてなるか、と思ってつい……」
千穂、と呼ばれた人はそう弁明すると、私たちをホールドしている腕をほどいた。私は「ほ」と小さく息を吐いて胸をなでおろす。
「それで千穂ちゃん。この子たちは入部希望? それとも見学?」
「……さあ?」
「って何も聞かずに連れてきたの!?」
「いやいやめぐ先輩! 入口のとこにいたからどう考えてもウチに用があるでしょ?」
「でも一応聞こうよ! 新入生無理やり連れてきたりしたらまた変なウワサが広まるじゃない!」
また、ってことは前科ありなのか。大丈夫かこの部、というかこの人たち。
「あのー先輩方……。わたしは入部希望なんですけど」
おそるおそる、といった感じで杏子ちゃんは挙手した。ふたりでいた時はテンション高めだった彼女も、先輩の勢いに気圧されているみたいだ。
「ほんと? よかった~」
杏子ちゃんの意思表明を聞くと、めぐ先輩なる人はその場でヘナヘナと脱力する。
「大歓迎だよ、来てくれてありがとうね。そっちのあなたも入部希望?」
「えっ!? えっと、私は……つ、付き添い、です。付き添い」
嘘ではない。そして大事なことだから2回言った。
「なーんだ、違うのかー。残念」
「こら千穂ちゃん、そういうこと言わないの」
口を尖らせる千穂先輩をたしなめた後、めぐ先輩はこっちを向いて微笑みかける。
「この子の言うことは気にしないで、ゆっくりしていってね」
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず……自己紹介、してあげたら?」
と、千穂先輩の背後で声。部屋にいたもうひとりの女の子がいつの間にか移動していたみたいだ。
「うわっ! 相変わらずつむぎはステルス性能バツグンだな!」
「そんなこと、ない……」
決して大きいとは言えない声で彼女は否定する。赤縁メガネに、肩甲骨あたりまでの髪を後ろで1本にまとめた三つ編み。第一印象だと運動部系というより、本が似合いそうな文化部系だ。
「まあそれがつむぎのいいとこだけどな!」
「ん……」
「こらこらふたりとも。自己紹介するんでしょ?」
めぐ先輩はふたりの会話を制止する。それから「それじゃあ私から」と一歩前に出て、
「私は東本願寺めぐみ。みんなめぐ先輩って呼んでくれてるから、あなたたちも気軽に呼んでね。あと学年は今年から3年で、一応副部長をやってるの。よろしくね」
ぺこり、と3年生が1年生に向けてやるものとは思えないほど丁寧にお辞儀した。
「「よっ、よろしくお願いします!」」
慌てて私と杏子ちゃんも頭を下げる。ちなみに私の視界には、お辞儀をして柔らかに揺れるめぐ先輩の胸がバッチリと映っていた。
3年生になったら、やっぱりあれくらい成長するものなのかな……。
私の中に仄かな期待が生まれる。が、それをかき消すような勢いで、
「はいはい! 次私ね! 飯山千穂、2年だよー!」
バンザイしながら私たちの前に立つ。元気な人だなあ。
「あ、頭のお団子、きれいにまとめてますね」
「おっ、いいとこに目付けるねー。お礼にもう1回抱きついちゃる」
「ちょっ、やっ」
すりすりすりすり。今度は真正面から私の身体をホールドする。って胸のとこを頬ずりしないで! もっと擦り減っていきそうですから!
「ちょっと千穂ちゃん! 嫌がってるでしょ?」
「はーい。さってと、最後はつむぎの番だぞー!」
千穂先輩が私の身体から離れると、彼女の背後にいた三つ編みメガネの先輩が前に出る形になった。
「……染谷つむぎ。2年。よろしく……」
必要最低限の情報を、これまた必要最低限の声量で伝えてくる。
「つむぎのことは『つむつむ』って呼んでやれよ! 新入生諸君!」
「普通に名前でいい……」
「あ、あはは……」
なんだか漫才みたいなやりとりだ。もしかして変なウワサの原因はこの2年生のふたりだったりするのかな、なんて私は邪推をしてしまう。
そこから自己紹介は私たち1年生に移って、杏子ちゃんと私の順番でクラスと名前を言った。
「んで、杏子っちは中学でも卓球やってたん?」
自己紹介が終わったところで、千穂先輩がさっそくとばかりに質問を投げかけてくる。
うっ、やっぱりきた。予想していた、そしてしてほしくなかった質問だ。
「いや、中学はバレー部だったんで初心者なんですよ。すみません即戦力にならなくて……」
絶対に話題を私の方に振られないようにしなきゃ。振られてもごまかそう。だって、経験者だってわかったら、勧誘どころか捕まること間違いないだろうし……。千穂先輩も全力で捕獲してくるに違いない。
「気にすることじゃないわよ。大歓迎よ」
「ありがとうございまっす! その代わりじゃないですけど、体力は自信ありますから!」
「おお! 心強いじゃん!」
よし、会話が弾んでいるうちに気配を消しておこう。そうだ、つむぎ先輩がやってるみたいに、私も杏子ちゃんの後ろに隠れて、
「あ、でも! 優月は経験者ですよ!」
「…………」
時間が止まったような、世界が白黒になったような感覚。
そんな刹那の沈黙を経た後、
「うっそ! マジで!? ゆづっち卓球やってたの!?」
杏子ちゃんの背後に隠れた私に対して、食い入るように回り込む千穂先輩。ていうかゆづっちって私のことですか?
「も~それならそうと言ってよ~!」
バシバシバシ!
肩を叩かれながら、私の口からは乾いた笑いが漏れた。そして微妙に杏子ちゃんに半眼で視線を送る。が、当の本人は全く気付かず、かつ悪びれる様子もなかった。
「い、いや私は付き添いで来ただけですから……」
「まあまあそう固いこと言わずにさあ~」
叩く手は伸びて、肩を回される。完全にロックオン状態だ。
「ちょっと千穂ちゃん。優月ちゃん困ってるじゃない」
「めぐ先輩……」
地獄に仏とばかりに、思わず手を合わせそうになる。
……が。
「で、でもせっかく来てくれたし、ちょっとくらいは見学していかない? もしかしたら入りたくなるかもしれないし」
やっぱりダメだ。しかもかわいい顔しながら照れ笑いを浮かべているから尚タチが悪い。きっと、こんな風にお願いされたら男子なら100パーセント勘違いしてしまう。
追い打ちをかけるように、つむぎ先輩が提案してくる。
「せっかく、だから……見学だけじゃなくて……打っていったら?」
「で、でも私制服だから打つのはちょっと……」
「え? わたしたちのクラス今日体育あったから、体操服あるじゃん。それでいいんじゃない?」
もおお! そういうことは言わなくていいのに!
「おおー、そうなのか! じゃあふたりとも打てるじゃん!」
「あ、あはは、そうですね……」
杏子ちゃんが逃げ道を塞いでくれたおかげで、私は強張った笑顔しかできなくなる。四面楚歌とはこのことなのか。
こうなることは杏子ちゃんに誘われた時からなんとなく予想はしていた。そしてその嫌な予想は的中した。こうなるから来たくなかったのに。
卓球部に限らず、運動部は基本的に経験者を欲しがる。あまり教える必要がなく、かつ大会に向けての即戦力になるからだ。特に卓球部なんかはおそらく技術的なことをあれこれ教えなければいけなくなるので、初心者を少し敬遠しがちになったりする。
それにしても即戦力をほしがるなんて、まるで日本社会の縮図じゃないか。もっと教育を重視するべきだ!
なんてことを叫んでもこの状況は変わるはずもなく。
「……わかりました。じゃあちょっとだけ」
こう答えるしかなかった。
らしい、なんて語尾がつくのは近くを歩いていた2年生に教えてもらっただけで、まだ実際にこの目で見ていないからだ。
そんなわけで私たちは、他の運動部の邪魔にならないよう、グラウンドの端を進んでいるわけで。
「それにしても、卓球部の練習場、ずいぶん隅っこに追いやられてる感じがするね」
「まあ、卓球部だからね……」
今でこそメジャーになりつつあるだろうけど、やっぱり暗いイメージを抱いている人は少なくないだろう。私もそう思うし。
だけど専用の練習場所があるだけこの高校はいい方だろう。バレーやバスケなどの部と交代で体育館を使うとなれば、ちゃんとした練習時間は限られてくるわけだし。
「よっし、とうちゃーく!」
そうこうしている間に、目的地に到着。視界に映る平屋のその建物は、外壁の白い塗装が剥がれていたりしていて、年季がうかがえる。
「あっ、音が聞こえる!」
杏子ちゃんが声を弾ませる。扉を隔てた中からはリズムのいい音――ピンポン球の打球音が聞こえてきていた。
カコン、カコン、カコン、カコン……。
「もう練習してるのかなー?」
「――……」
久しぶりに聞く音。もう聞くことはないと思っていた、音。
一歩近づくだけで、その音は大きく、深く私の心に響いてくる。中に入ればさらに容赦なく降り注ぐだろう。
本当に、行くのか? 私。
「それじゃあ入ろっ!」
「え!?」
打球音で我を忘れているうちに、杏子ちゃんは入口の引き戸に手をかけていた。
「ちょ、ちょっと待とうよ。ほら練習中だし、邪魔しちゃ悪いし」
「そんなこと言ったらいつまで経っても入れないじゃん。ほら行こ!」
「ほんのちょっとでいいから待って! 心の準備が!」
「もんどーむよう! いざ行かん!」
私の腕を掴み、杏子ちゃんが扉を開け――
「ようこそ卓球部へ!」
「ひあっ!」
背後からいきなり抱きつかれて肺にたまった空気と一緒に変な声が出る。同時に、背中に氷を入れられたみたいに背筋がピン、と伸びた。
抱きついてきたのは女の子だった。身長は私よりも少し低い。黄色いスポーツウェアと、きれいにまとめられたお団子頭が目に入る。
「おっ! ふたりも来てくれてるじゃん! 大漁大漁!」
私に密着している人はそう言うと、右腕は私のお腹に回したまま左腕で杏子ちゃんの身体をしっかりと掴んだ。突然のことすぎて、さっきまで意気揚々としていた杏子ちゃんも「え? ええ?」と困惑している。
「ふっふっふー、ここまで来たからには逃がさないよー?」
ぎゅううう。彼女は腕の力をさらに込める。そして足を器用に使って、杏子ちゃんが開けようとしていた扉を勢いよく開けた。
「めぐ先輩ー! つむぎー! お客さんだぞー!」
彼女が室内に向かって言うと、さっきまで雨音のように聞こえていたピンポン球の音が止む。中にはふたりの女子生徒が、卓球台を挟んで立っていた。その両方が漏れなく、こちらを向いている。注目の的。視線の矢が向かう先。
は、恥ずかしい……。
「さあさ、入った入った!」
謎の人物に押される形で、私と杏子ちゃんは扉をくぐる。
中は決して広いとは言えないものの、卓球台が横一列に4台置かれていた。木造の床に壁、外観で抱いた印象と同じく古さが感じられる。小窓には外の光が入ってこないようにするために、全部黒いカーテンで閉じられている。
「千穂ちゃん……どうしたの? その子たち」
訊きながら近寄ってきたのは、中にいたうちのひとり。ミディアムボブのふわふわした髪と、シャツの上からでもわかる豊かな胸が印象的だ。……うらやましい。
「んー、入口のとこにいたから捕まえた!」
「そんな動物みたいに言わないの。離してあげたら? かわいそうよ」
「あはは、いやー新入生みたいだし逃がしてなるか、と思ってつい……」
千穂、と呼ばれた人はそう弁明すると、私たちをホールドしている腕をほどいた。私は「ほ」と小さく息を吐いて胸をなでおろす。
「それで千穂ちゃん。この子たちは入部希望? それとも見学?」
「……さあ?」
「って何も聞かずに連れてきたの!?」
「いやいやめぐ先輩! 入口のとこにいたからどう考えてもウチに用があるでしょ?」
「でも一応聞こうよ! 新入生無理やり連れてきたりしたらまた変なウワサが広まるじゃない!」
また、ってことは前科ありなのか。大丈夫かこの部、というかこの人たち。
「あのー先輩方……。わたしは入部希望なんですけど」
おそるおそる、といった感じで杏子ちゃんは挙手した。ふたりでいた時はテンション高めだった彼女も、先輩の勢いに気圧されているみたいだ。
「ほんと? よかった~」
杏子ちゃんの意思表明を聞くと、めぐ先輩なる人はその場でヘナヘナと脱力する。
「大歓迎だよ、来てくれてありがとうね。そっちのあなたも入部希望?」
「えっ!? えっと、私は……つ、付き添い、です。付き添い」
嘘ではない。そして大事なことだから2回言った。
「なーんだ、違うのかー。残念」
「こら千穂ちゃん、そういうこと言わないの」
口を尖らせる千穂先輩をたしなめた後、めぐ先輩はこっちを向いて微笑みかける。
「この子の言うことは気にしないで、ゆっくりしていってね」
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず……自己紹介、してあげたら?」
と、千穂先輩の背後で声。部屋にいたもうひとりの女の子がいつの間にか移動していたみたいだ。
「うわっ! 相変わらずつむぎはステルス性能バツグンだな!」
「そんなこと、ない……」
決して大きいとは言えない声で彼女は否定する。赤縁メガネに、肩甲骨あたりまでの髪を後ろで1本にまとめた三つ編み。第一印象だと運動部系というより、本が似合いそうな文化部系だ。
「まあそれがつむぎのいいとこだけどな!」
「ん……」
「こらこらふたりとも。自己紹介するんでしょ?」
めぐ先輩はふたりの会話を制止する。それから「それじゃあ私から」と一歩前に出て、
「私は東本願寺めぐみ。みんなめぐ先輩って呼んでくれてるから、あなたたちも気軽に呼んでね。あと学年は今年から3年で、一応副部長をやってるの。よろしくね」
ぺこり、と3年生が1年生に向けてやるものとは思えないほど丁寧にお辞儀した。
「「よっ、よろしくお願いします!」」
慌てて私と杏子ちゃんも頭を下げる。ちなみに私の視界には、お辞儀をして柔らかに揺れるめぐ先輩の胸がバッチリと映っていた。
3年生になったら、やっぱりあれくらい成長するものなのかな……。
私の中に仄かな期待が生まれる。が、それをかき消すような勢いで、
「はいはい! 次私ね! 飯山千穂、2年だよー!」
バンザイしながら私たちの前に立つ。元気な人だなあ。
「あ、頭のお団子、きれいにまとめてますね」
「おっ、いいとこに目付けるねー。お礼にもう1回抱きついちゃる」
「ちょっ、やっ」
すりすりすりすり。今度は真正面から私の身体をホールドする。って胸のとこを頬ずりしないで! もっと擦り減っていきそうですから!
「ちょっと千穂ちゃん! 嫌がってるでしょ?」
「はーい。さってと、最後はつむぎの番だぞー!」
千穂先輩が私の身体から離れると、彼女の背後にいた三つ編みメガネの先輩が前に出る形になった。
「……染谷つむぎ。2年。よろしく……」
必要最低限の情報を、これまた必要最低限の声量で伝えてくる。
「つむぎのことは『つむつむ』って呼んでやれよ! 新入生諸君!」
「普通に名前でいい……」
「あ、あはは……」
なんだか漫才みたいなやりとりだ。もしかして変なウワサの原因はこの2年生のふたりだったりするのかな、なんて私は邪推をしてしまう。
そこから自己紹介は私たち1年生に移って、杏子ちゃんと私の順番でクラスと名前を言った。
「んで、杏子っちは中学でも卓球やってたん?」
自己紹介が終わったところで、千穂先輩がさっそくとばかりに質問を投げかけてくる。
うっ、やっぱりきた。予想していた、そしてしてほしくなかった質問だ。
「いや、中学はバレー部だったんで初心者なんですよ。すみません即戦力にならなくて……」
絶対に話題を私の方に振られないようにしなきゃ。振られてもごまかそう。だって、経験者だってわかったら、勧誘どころか捕まること間違いないだろうし……。千穂先輩も全力で捕獲してくるに違いない。
「気にすることじゃないわよ。大歓迎よ」
「ありがとうございまっす! その代わりじゃないですけど、体力は自信ありますから!」
「おお! 心強いじゃん!」
よし、会話が弾んでいるうちに気配を消しておこう。そうだ、つむぎ先輩がやってるみたいに、私も杏子ちゃんの後ろに隠れて、
「あ、でも! 優月は経験者ですよ!」
「…………」
時間が止まったような、世界が白黒になったような感覚。
そんな刹那の沈黙を経た後、
「うっそ! マジで!? ゆづっち卓球やってたの!?」
杏子ちゃんの背後に隠れた私に対して、食い入るように回り込む千穂先輩。ていうかゆづっちって私のことですか?
「も~それならそうと言ってよ~!」
バシバシバシ!
肩を叩かれながら、私の口からは乾いた笑いが漏れた。そして微妙に杏子ちゃんに半眼で視線を送る。が、当の本人は全く気付かず、かつ悪びれる様子もなかった。
「い、いや私は付き添いで来ただけですから……」
「まあまあそう固いこと言わずにさあ~」
叩く手は伸びて、肩を回される。完全にロックオン状態だ。
「ちょっと千穂ちゃん。優月ちゃん困ってるじゃない」
「めぐ先輩……」
地獄に仏とばかりに、思わず手を合わせそうになる。
……が。
「で、でもせっかく来てくれたし、ちょっとくらいは見学していかない? もしかしたら入りたくなるかもしれないし」
やっぱりダメだ。しかもかわいい顔しながら照れ笑いを浮かべているから尚タチが悪い。きっと、こんな風にお願いされたら男子なら100パーセント勘違いしてしまう。
追い打ちをかけるように、つむぎ先輩が提案してくる。
「せっかく、だから……見学だけじゃなくて……打っていったら?」
「で、でも私制服だから打つのはちょっと……」
「え? わたしたちのクラス今日体育あったから、体操服あるじゃん。それでいいんじゃない?」
もおお! そういうことは言わなくていいのに!
「おおー、そうなのか! じゃあふたりとも打てるじゃん!」
「あ、あはは、そうですね……」
杏子ちゃんが逃げ道を塞いでくれたおかげで、私は強張った笑顔しかできなくなる。四面楚歌とはこのことなのか。
こうなることは杏子ちゃんに誘われた時からなんとなく予想はしていた。そしてその嫌な予想は的中した。こうなるから来たくなかったのに。
卓球部に限らず、運動部は基本的に経験者を欲しがる。あまり教える必要がなく、かつ大会に向けての即戦力になるからだ。特に卓球部なんかはおそらく技術的なことをあれこれ教えなければいけなくなるので、初心者を少し敬遠しがちになったりする。
それにしても即戦力をほしがるなんて、まるで日本社会の縮図じゃないか。もっと教育を重視するべきだ!
なんてことを叫んでもこの状況は変わるはずもなく。
「……わかりました。じゃあちょっとだけ」
こう答えるしかなかった。


