あなたと並んで勝ちたくて

 ずっと明けない、夜の中にいるみたいだった。

 夜明けの兆しは微塵もなく、暗闇の支配する世界。右も左も、方角も、わからない。

「優月」
「えっ。な、なに?」

 今日はダブルス。ひとりじゃないと言ってくれたパートナーが、そばにいる。

「がんばろうね」
「う……うん」

 返答がぎこちないのが、自分でもわかる。でも、滑らかな返答ってどうするんだったっけ。どうするのが正解だったっけ。昨日は、泊まった時は、どんな風に話していたっけ。
 様々なことの正解を導けないまま、試合は始まった。


【第1ゲーム 優月・華0‐0黒部・眞白】

 サーブレシーブを決めるじゃんけんの結果、華のサーブからとなった。

「「よろしくお願いします」」

 対戦相手に一礼し、構える。
 今日の試合は、5ゲームマッチの3ゲーム先取。そして先に11点をとった方がゲームを取る。

「……」

 心なしか、手が、足が震えているような気がする。頭も靄がかかったように不鮮明になる。ええい、今までとは違うんだ。今日は華と一緒で、ダブルスで。今日こそは、違う。今日こそは、勝てるんだ。

「……」

 華が無言で、卓球台の下で相手に見えないように小指だけをピンと伸ばした。試合前に決めておいた、サーブのサイン。小指を伸ばすそのサインは、無回転の短いサーブを意味していた。

 卓球のダブルスではペアが交互に打つため、相手がレシーブしてきた球――3球目を打つのは、サーブを出した人ではなくもうひとり。回転が非常に重要である卓球にとって、サーブの種類をペアに教えておかないと、うまく連携のとれたプレーをすることはできない。最悪、ペアの出したサーブの回転のせいで次の打球をミスする、なんてことにもなりかねない。

 だから、こうして意思疎通を図ることは大前提。
 華のサインに私は小さくうなずき、了解の意思表示をする。そして、構え直す。

「……ふっ!」

 華が、サーブを放つ。サインどおりの、相手コートでツーバウンドしそうなほどの短いサーブだ。

「……!」

 レシーブは眞白さん。が、彼女は華のサーブの回転を見誤ったのか、レシーブは浮いた球となって私たちのコートへと返ってくる。瞬間、眞白さんは普段の半眼の目を見開いてしまった、というような顔を作った。

 チャンス……ボール!

 バウンドし、ネットの3倍はあろうかという高さ。強打するには絶好の球。
 これを決めれば、先制点。
 決めなきゃ。打って。こんなチャンス、ミスするわけにはいかない。
 ミスしたら、ダメ。強打して決めないと。
 絶対に。

 ……絶対に。

「っ!」

 力強く、振る。ラケットに、ラバーに、ボールが当たる感触。
 瞬間、ラケットを介して腕に、骨に、神経に届く衝撃。でも、それは練習の時に感じたものとは程遠く、気づいたころにはボールは私の元から離れていた。

 結果――私の強打は、ネットに突き刺さった。相手コートに入ることなく。

「……ごっ、ごめん」
「ドンマイ、楽にいこう」

 謝る私に、華は小さく声をかけてくれる。ダメだ、こんなんじゃ。
 次は、ミスしないようにしなきゃ。
 私のドライブを褒めてくれた。華も、瑠々香部長も。みんなも。

 今までとは、違うんだから。
 たくさん、練習してきた。それを発揮すればいいだけだ。
 発揮、しなきゃ。
 だけど、その思いは身体に溶け込むことなく、砂のように沈殿していく。脚を伝い、指先に。重たく、重たく降り積もる。

【第1ゲーム 優月・華0‐3黒部・眞白】

 結局、私は強打を3本連続でミスしてしまった。相手は何もせず、3点を稼いだことになる。

「……」
「……」

 相手を見ると、黒部さんは肩をすくめていた。やっぱり、とでも言うようだった。

「華、ほんとごめん」
「いいよ。まだ試合は始まったばかりだから、ね」

 まともに顔を見ることができないでいる私に、華は微笑みかける。リラックス、と言ってくれる。私も自分に言い聞かせる。だけど、身体はリラックスとは正反対に、岩のように固まっている。
 まだ大して身体を動かしていないのに、嫌な汗が身体にまとわりつく。身体の表面がべったりとした、嫌な感覚。

 その後も私はミスを重ね、相手に点数を献上する形となった。

 そして、第1ゲームは終わった。

「……」

 我に返ったと同時、審判が得点板をめくった。示されていた数字は、5‐11。
 言い換えれば、第1ゲームを先取されたということ。

「ありがとうございました」

 一礼を交わす。次の第2ゲームまで、1分間のインターバルとなる。私はラケットを卓球台に置いてベンチへと戻ろうとする。
 その直前。

「なーんだ、やっぱいつも通りか」

 頭の後ろに手を組んで、やれやれとばかりにあさっての方を向くのは、黒部さんだった。

「珍しく勝つって言ってたからどれほどのものかと思ったけど、相変わらずじゃん。ま、人はそう簡単に変わるもんじゃないってことかな」
「……」
「相方さんは確かに強いね、サーブもうまいし。でも、ペアがこれじゃあなー」
「…………」

 言い、返せなかった。言葉よりも、第1ゲームの結果が明らかに、明朗に、彼女の言うことが正しいと示していたからだ。

「友里音、ベンチ戻ろ」
「あいよ。んじゃあと2ゲーム、よろしく」

 あと2ゲーム。それは、どうせ私たちが3ゲームを連取し勝つという宣言にも等しい。

「……」

 結局、何も変わっていない。黒部さんの言うとおりじゃないか。瑠々香部長たちにいろんな対策を練ってもらっても、華とのコンビネーションを考えても。

「華……ごめん」
「優月」

 心臓の音がうるさい。ガンガンと、脳みそを殴るみたいに鼓動が五感を支配する。

「次は、ミスしないようにするから。華が作ってくれたチャンスをきちんと決めて、点数につなげるから」
「優月」
「ま、まだ1ゲーム目だもんね。ここからだよね。うん、大丈夫、大丈夫。次こそうまくやるから――」
「優月!」

 ばしっ。私の言葉は、強制的に終わった。華が、両手で私の頬を挟み込むように触れていた。

「は、華……?」

 肌から肌へ。彼女の体温が、ぬくもりが血管を、神経を通して私の体内へ流れ込んでいくような感覚。指先までしっかりと温かい手。その時、私はようやく自分の身体が緊張からか、冷え切っていることを自覚した。

「……落ち着いて」

 そう語りかける華の顔は、まるでキスでもしそうなほど近かった。彼女の感触、体温、匂い。私の全てが、鼓動ですら、彼女に上書きされていく。
 長いまつげの奥の、黒い瞳。まっすぐ私を見てくれる、曇りのない夜空のような、黒。

 ああ。この子は今、私を見ている。並んで卓球台に向かうパートナーとして。片時も離れない、半身として。

「……ごめん、ありがと」

 ようやく気づいた。私は、パートナーである彼女のことすら見れていなかった。それはおろか、自分さえも見失おうとしていた。
 頬にぴったりと触れていた華の両手が、すっと下がり、私の手を包み込むように握る。

 ……温かい。
 氷の結晶となって動くことすらままならない私を、じんわりと溶かしていく。

「今は、ダブルスだから。点を取られるのも、ふたりのせい。そして、点を取るのも、ふたりの力、だから」

 だから、ミスをひとりで背負い込まないで。彼女はそう続ける。

「それに、ふたりだけでもない」
「え?」

 華は、指さす。それは、斜め上。そこに目を向ける。

「優月ー! がんばれー! まだまだこっからだから!」
「赤城ちゃん、敗けたら罰ゲーム、覚悟しなよ~」
「瑠々香! 赤城さん、自分のペースでね」

 氷が、溶けていく。

「みんな……」

 それぞれの思い思いの声。そのすべてが、今は私に――私たちに向けられている。

「……優月」
「……うん」

 後ろには、みんながいる。隣には、華がいる。そして振り返れば、私がたどってきた、道がある。私自身の足で、一歩ずつ来た道。
 思い出す。今日までやってきた練習を。何をしてきたかを。そのすべてが、今日勝つためだということ。
 そんな当たり前のことに気づかないなんて。

「私、馬鹿だなあ」
「優月?」

 タオルで、汗をぬぐう。じんわりと身体を包む汗。もう、氷は溶けきっている。
 そして、告げる。

「ひとつ、思いついた作戦があるんだけど……いいかな」