あなたと並んで勝ちたくて

 最後に試合で勝ったのは、いつだっただろうか。

 中学3年の時の、部内でのレギュラー戦? 

 あれを果たして『勝ち』と考えていいのか。違う。

 じゃあ、私が納得した『勝ち』はあるのか。

 ……思い出せない。

 さらに記憶を遡る。中学1年の時――小学生の時。

 まだあらゆるものが光り輝いて見えた頃。希望に、満ち溢れていた頃。

 初めてした、試合。

 その時の相手は、一体誰だったんだろうか――


 ◇


「……赤城さん?」
「ふぇっ? あっ、はい!」
「グラス、もうピカピカ……だよ?」

 小首を傾げて訊いてくるのは、メイド服姿のつむぎ先輩。手元に目線を落とすと、透き通ったガラスの曲線。どうやら、同じグラスをずっと磨き続けていたらしい。

「大丈夫?」
「あはは、ちょっと考え事してまして」
「……そうなんだ」

 連休初日。午前中で練習を終えた私は、ウメちゃんの喫茶店での手伝いに来ていた。今はピークの時間を過ぎて落ち着いたので、こうしてカウンターで片づけに勤しんでいたわけだけど、ぼーっとしてしまっていたようだ。

「夕方に行く予定なんだっけ? 青原さんの、家」
「えっ? ええ、まあ……」

 言われてよみがえるのは昨日の瑠々香先輩の言葉。

『作戦フェーズ3、青原ちゃんの家にお泊まりね?』

 たぶん部長は、私と青原さんのダブルスがより息の合ったものになるように、という目的でこの作戦を言い渡してきたのだろう。

「いいなー、わたしも優月たちと一緒にお泊まりしたかったー」
「したかったー」

 声をそろえて唇を尖らせるのは、カウンター席に並んで座る杏子ちゃんと千穂先輩。練習後、手伝いに来た私とつむぎ先輩とは反対に、お客さんとしてやってきてそのまま居座っている。

「仕方、ない……。今回はふたりのダブルスのためだから……」
「わかってますってばー」

 言葉とは裏腹に、キコキコ音を立てながらイスをぐるぐる回す杏子ちゃん。むくれた顔と後頭部が交互に見えて、なんだかおもしろい。

「ちょっとつむぎチャ~~ン」
「はい……」

 お店の奥から、ウメちゃんのハスキーボイスが聞こえ、つむぎ先輩が静かに向かう。

「あーあ、せっかくおもしろそ、ゆづっちの力になれると思ったのになー」
「先輩、今おもしろそうって言いかけませんでした?」

 茶化す気満々じゃないか。

 でも、千穂先輩や杏子ちゃんがいてくれた方がありがたい気もしなくはなかった。なんだかんだでこの人たちはムードメーカーだ。正直、青原さんとふたりきりで、どうやって会話を弾ませればいいのかわからない。

「それにしても優月、すごく接客うまくなったねー」
「え?」
「さっきも見てたけどなんていうかこう……スムーズ? でさー」
「そ、そうかな」

 そう言われると、そうなのかもしれない。たしかに最初のころは自分でもかなりひどかったと思う。

「一家にひとりのメイド、ゆづっちだもんねー。我が家にもほしーなー」
「千穂先輩、その話は忘れてください……」

 あれはLINEで青原さんが勝手に言ってただけだし。

「おっ、つむぎおかえりー」

 声と同時、背後に人の気配。そういえばつむぎ先輩、ウメちゃんに呼ばれて奥に行ってたんだっけ。

「先輩、何か手伝うことはあ――」

 思わず、言葉を失った。
 なぜなら。

 つむぎ先輩が、真っ白なチャイナドレスを身にまとっていたからだ。

「ちょっ、なんですかその格好!?」
「変……?」
「いや、変っていうか……」

 胸元に赤い牡丹が描かれたデザイン。そのデザイン自体は、かわいい。だけど、ドレスが身体にぴったりと張りつくようになっているので、目線をどこに持っていけばいいのか困り果ててしまう。ってか身体のラインにぴったりすぎない?

「そりゃーつむぎチャン専用に作ったからよ~」
「は、はあ……」

 心の声に勝手に答えないでください、ウメちゃん。

 それにしても、際どい。いや際どすぎる。

 大きく開いたスリットからのぞく太もも。なんというか……すごいえっちである。しかも三つ編みにメガネっていういかにも文化系な見た目なのにチャイナドレスっていうギャップが余計にこう、背徳感を与えてくる。

 ん? あれ? これだけ際どいスリットなのに、パンツが見えない。まさか、まさかね……。

「いやーいいねー! つむぎーかわいいよー!」
「最高っすつむぎ先輩!」

 いつの間にかスマホを構えた千穂先輩から、高速のシャッター音が聞こえる。なんだかこの前の瑠々香先輩と重なる。先輩後輩って、やっぱり似るものなんだろうか。

「ちょーっとそのままポーズとってみようかー?」
「……」

 悪乗りする千穂先輩に異を唱えることなく、近くのイスに座り足を組むつむぎ先輩。ってちょっと! 見えちゃう! 色々見えちゃいそうですから!

 あまりの扇情的な光景を直視することなどできるはずもなく、反対を向く。さらっとこういう服を着れるつむぎ先輩と着れない私。この辺にメンタルの差があるのかな……。

「んも~、かわいすぎてお嫁さんにほしくなるよつむぎ~」
「……だめ」
「がーん!」

 この世の終わりみたいな顔をして、その場に崩れ落ちる。

「つむぎに、フラれた……」
「お嫁さんになるのは、千穂の方。千穂の方が……かわいいから」
「やーん! そんなこと言われると照れるじゃーん!」

 やりとりが最早ダブルスペアというより、夫婦だった。早く結婚してください。

「優月は着なくていいのー?」

 ひょこ、と肩から杏子ちゃんが訊いてくる。

「きっ、着るわけないでしょ!」
「あらー残念。せっかく優月チャンのも作ったのにー」
「着ませんからね」

 というかいつの間に私のサイズ計ったのこの人。

「ちなみに優月チャンのは赤色よん。つむぎチャンと合わせて紅白ね。やん、素敵ぃ」
「いいじゃんそれ! 着ようよ、絶対似合うから!」
「ぜっったいに着ないから!」

 きっぱりと断る。声が大きくなったのは自分でも意外だった。

 その後、杏子ちゃんの猛追を、私は特製ドリンクのオーダーを入れると脅して黙らせることに成功した。ここでの接客が、初めて役に立ったと思えた瞬間だった。


 ◇


「あの、千穂先輩」
「んー?」

 夫婦漫才、もといつむぎ先輩のファッションショーが終了し、奥に着替えに戻ったところで、私は訊ねた。ちなみに杏子ちゃんはまだスペシャルドリンクに怯えて、イスの家に正座して大人しくしている。

「どうやったら、ダブルスペア同士でうまくやれますか?」
「そりゃお風呂に一緒に入ることだよ」
「ぶっ!」

 思わず鼻水が出そうになった。

「あの、私真剣に訊いてるんですけど?」
「心外だなー、わたしだって真剣に答えてるよー」

 唇をめいっぱい尖らせてくる。その仕草がすでに真剣さを感じられないんですけど。

「ハダカの付き合いって言うじゃん? つまりはそれよ、それ」
「はあ……」

 訊いた手前、こっちから話をぶった切ることもできない。

 それにしても、一緒にお風呂なんて。そんな軽く言われても……。というか、それとダブルスとどう関係があるというのだ。

「わたしとつむぎは入ったことあるよー。今でも時々一緒に入るし」
「そりゃあおふたりは夫婦なんですから……」
「夫婦?」
「ああいや、なんでもないです」
「ふーん」

 キコキコ、丸イスの上で脳を回転させるように回った後、

「要はわたしが言いたいのは、大事なのはペアのことをよく知ること、ってことだよ」

 さっきまでとは違って、至って冷静な口調で、千穂先輩は言った。

「よく、知ること……」
「そ。ゆづっちとーはなっち、ふたりともけっこう上手いんだからさ。あとはお互いを知ってどれだけ自分たちの力を発揮できるかだよ。ま、そのために今日のお泊まりがあるんだろうけどさ」

 お互いを知らない人のダブルスほど脆いものはないからね、と千穂先輩は付け加えた。

「あとは、まー」

 もう一度イスを1回転させてから、

「対戦相手を見ることかな」
「対戦相手を、見る」
「例えば昨日の試合形式の練習でも、私とつむぎはちゃーんとゆづっちとはなっちのこと見てたよ。ふたりがどんな戦いをして、どんなことが得意なのか、苦手なのか」
「でも、私緊張するし、相手のこと見る余裕なんてまだ……」
「だからこそ、だよ。相手を見るってことは、自分がどうすればいいかの道標になる」
「道標……」

 そんな風に考えたことなかった。試合となると、まずは自分をどうにかするという考えでいっぱいいっぱいだった。

「わかりました。できるかどうかわからないですけど……やってみます」
「おーおー! その意気だぜー」

 拳を突き出してくる。つられて私も拳を出す。

 こつん、と小さくぶつかる音。

「だからさ」

 千穂先輩は言う。

「相手と、ちゃんと向き合うんだよ」