未来に会いに行く途中、街並みがいつもと違って見えた。
建物の輪郭がところどころ電子世界のようにブレて、遠近感がぐにゃりと歪む。
すれ違う人々の顔は焦点が合わず、目や口の形は曖昧で、印象だけがぼんやりと残る。
誰一人として見分けがつかないマネキンのようだった。
視界の端に入った看板は、文字と記号の羅列のようで、元の看板も思い出せず。
コンビニの看板は、いつものカラーリングだけが滲んで見えて、文字などは存在しない。
道路の赤信号はずっと点滅を繰り返しているのに、車は止まらず通り過ぎていく。
まるで現実そのものが壊れているように思えた。
「ここは本当の世界じゃない」と告げられているようで、全身に得体の知れない不安が広がっていった。
さっき智明に言われた言葉も、もう思い出せない。
何を話した?どんな声色で?
思い出そうとするたびに、頭の奥で針が突き刺さるような痛みが走り、額に冷たい汗が滲む。
「……言ってた、はずだ。なんて……?」
呟いても、答えは返ってこない。
智明の声は霧のように溶け、掴もうとした瞬間に指の隙間から零れ落ちていく。
ズキズキとした痛みに負けて、もう思い出そうとすることすら、やめてしまった。
それなのに。
「未来……っ。」
つい口を滑らせて、名前を吐き出した瞬間、
「なに?夏輝。」
耳元で、はっきりと声が響いた。
僕は驚きで足を止めて振り返る。けれど、そこに未来の姿はない。
気の…せいか…?
そう片づけるには、あまりにも鮮やかで、鼓膜に焼き付くほどリアルだった。
心臓が跳ね、胸を押さえる。まだ声が残響のように響いている。
「……未来?」
もう一度、確かめるように呼べば、今度は通りすぎる女性の顔が一瞬、未来の横顔に見えた。
慌てて目を凝らすが、すぐに形はぼやけ、ただの特徴のない人の顔へと戻っていく。
首を回して辺りを見渡しても、どこにも未来はいない。
未来に会いたい。会いたいが故に、ついに幻聴や幻覚まで見えるようになったのだろうか。
けどこれが幻聴だとしたら、どうしてこんなに温かく、懐かしく響くんだ?
早く。
早く会いに行こう。
僕は、もうノイズに侵食されている。
看板の文字も読めないし、人の顔もわからない。
智明の声すら、霞んで消える。
けれど、未来の声だけははっきり聞こえるし、未来のことだけは思い出せる。
未来だけが、僕を助けてくれると思った。
「……もう、何も見たくない…。早く、未来のとこに…っ。」
わき目も降らずに、僕は駆け出した。
もつれそうになる足も無視して、学校へと、未来のいる教室へと走る。
ぐらぐらと世界が揺れているようでうまく走れないのに、何故か未来の待つ場所だけは鮮やかに浮かんで見えた。
息を切らして汗を垂らしながら、僕はただ、その光景を目指して駆け抜けた。
「…っ、未来……っ!!」
「夏輝!お疲れ様、……どうしたの?そんなに汗だくで…。」
僕は息を切らしながら、未来がいつも待ってる教室に着いた。
声をかければ、笑顔で振り返る未来だったが、僕の姿を見て驚いた顔をする。
「…変なんだ…。きゅ、急にノイズがっ、…智明が、何を言ってるか…わ、わからなくて…っ!」
「お、落ち着いて、夏輝。ノイズ…?私の言葉、わかる?」
未来に言われて、僕は息を整えようとゆっくりと息を吸って吐いてを繰り返す。
汗で張り付いた髪を払いながら、なんとか心臓落ち着かせると、未来の言葉を思い返す。
…大丈夫だ、未来からノイズは聞こえない。
かと言ってさっきのが気のせい…とは到底思えない。
スッと目の前にペットボトルの水が差しだされ、お礼を言って受け取った。
キャップを開けて勢いよく水を口に入れれば、火照った体が少しずつ内側から冷めていく。
「ありがとう…、……、…未来の声は、大丈夫。」
「そう…、良かった。…私の声は、聞こえてるんだね。」
安堵の表情を浮かべる彼女に、さっきあった出来事を伝えると、複雑そうな表情をされた。
息は少し落ち着いてきたけど、僕はまだ混乱していて、存在を確かめるように未来の手を握った。
暖かさを感じる未来の手に、軽く息を吐く。
ーー大丈夫、未来はここにいる。
自分に言い聞かせるように心の中で何度もつぶやいた。
「……夏輝、疲れてるんじゃない?最近バイトは?」
今度は別の意味でドキリと心臓が跳ねる。
そういえば未来にはバイトをクビになったことを言っていない。
まさか「未来と一緒にいたくてクビになった。」なんて言ったら真面目な未来のことだ、僕を叱るだろう。
とはいえ、これだけ頻繁に会いに来てるのだからバイトに行ってないことは薄々感づかれているはずだ。
就職活動だってろくにしていないのに…。
…就職活動、…そうか。
ふと、就活の事を思い出し、言い訳に使わせてもらうことにした。
「ほら、就職活動とか忙しくて…、やめたんだ。」
「そっか、そういうストレスとか疲れも、あったのかもね。」
ストレスや疲れ…。
確かに、そうかもしれない。
昔のことが思い出しにくくなっているし、たまに靄がかかったような時がある。
けど、本当に?
…ノイズなんて、現実で起こりうる現象なのか?
ひょっとして、僕は現実とゲームの世界を勘違いしてるんじゃないのか…?
いや、そもそも僕はゲームなんて長い事やっていないはずだ。
その後、未来と少し雑談をしていたが、家で休むよう勧められて今日は早めに帰宅した。
部屋に着いてからスマホを見ると、智明からチャットが入っていた。
ロック画面でもメッセージの内容は見れるよう設定しているはずなのに、何故かメッセージが表示されないので、仕方なくロックを解除してチャット画面を開く。
メッセージを開いた瞬間、僕は言葉を失った。
『譛ェ譚・ちゃ繧 ■墓参り予定、21日に行■う。』
智明のノイズの走った言葉を思い出す。
メッセージの一部分がチャットで文字化けしていた。
思わず落としそうになったスマホの画面を消して、ベッドに放り投げる。
文字化けされたメッセージに返信する気にはなれない。
迷惑メールの類かも、と浮かんだが、墓参りなんて内容は今日智明と話した内容だ。
とすると、ノイズよりももっと気味が悪くなる。
こんな悪戯をするような奴でもないし、一体、何が起きているんだ…?
昔見たアニメか何かでも主人公の周りで不可思議な現象が起きるホラーテイストの作品があった。
友人の言葉が、急に宇宙人が喋っているように聞き取れなくなったり、街の看板が文字化けしていたり、空の色がおかしくなったり…。
最終的には人間が化け物に見えてしまい、正気を保てなくなってしまう。
どんなエンディングを迎えたかはうろ覚えだが、確か周りがおかしくなったように見えて、本当は主人公がおかしくなっていたオチだった気がする。
この場合、おかしくなっているのは智明ではなく、僕なんだろうか…?
次の日の大学。
一週間後の今日、大学は約2か月弱の夏休みが始まる。
この間、バイトに明け暮れる人もいれば、運転免許の取得、資格の取得や、インターンに参加したり様々だ。
特に予定は立てていないけど、未来ならきっと、たまに息抜きしながらもインターンや資格を頑張るかもしれない。
講義の終わりを告げるチャイムが聞こえて、すぐに教室を出ようとしたとき、不意に肩を叩かれた。
振り返ると、そこには前に智明が話していた柚原さんがいた。
「青山くん、友達と喧嘩でもしたの?」
話しかけられた事にも驚いたが、僕の名前を知っていることにも驚いた。
彼女のような存在感があれば名前くらい知っている人も多いだろうけど、僕は目立つタイプでもないし、まさか認識されているとは思わなかった。
柚原さんの言う“友達”とは恐らく智明のことだろう。
今日は智明と話をしていない。
視線は感じていたが、結局、話しかけてくることはなかった。
「いや……。」
思わず言葉に詰まり、曖昧に返す。
どう説明すればいいかわからない。
喧嘩、ではない。
けれど、喧嘩以上に、関係がこじれてしまった気もする。
言い淀む僕を見て、柚原さんはぽつりと呟いた。
「私のこと、覚えてないか。」
覚えてない…?
そう言われて、弾かれたように彼女を見るが、少し悲し気に笑う表情に見覚えはない。
認識したのもつい最近のことなのに。
彼女と話したことが、あっただろうか?
「私、青山くんと小学校一緒だったんだよ。……まぁ、当時はデブスだったし、結構見た目変わったけど。」
記憶を思い返しながら、自虐めいた言葉に返事を詰まらせる。
言いかけた言葉を遮るように、柚原さんは小さく笑った。
「ま、青山くん、昔から春崎さんにしか興味なかったもんね。」
その笑いはどこか寂しそうで、でもチクリと刺さるような棘がある言葉だった。
――「春崎さん」。
未来の名前が出たことで、思わず身構える。
「……覚えてる?」
彼女は僕の前にスマホを差し出した。
画面には、長い髪を二つに括った、目の大きい笑顔の女の子と、右隣に眼鏡をかけた短髪の、不機嫌そうな女の子が写っていた。
笑顔の女の子は、僕の記憶にある、小さい頃の未来。
恐らく小学3年生くらいだろう、僕が知ってるのはその頃からだから。
不機嫌そうな女の子も、見覚えが全くないわけではないが、思い出せない。
けれど、このタイミングで見せるということは……。
「…もしかして、……この子、柚原さん?」
「あたりー。」
右の女の子を指しながら答えると、写真からは想像できない人懐っこい笑顔で柚原さんは笑った。
近寄りがたい雰囲気だったけど、話すとなんだか未来のような親しみやすさがある。
「……私、未来と幼稚園から一緒で、…昔は、仲が良かったの。」
いつの間にか、柚原さんの呼び方が"春崎さん"から"未来"になっていた。
きっと、当時はそれほど仲が良かったのだろう。
"昔"が強調されていたから、過去の事なのだろうけど。
…そういえば、未来から、聞いたことがあるかもしれない。
小さい頃、仲良かった子がいたけど嫌われちゃったって。
もしかして、それって柚原さんのことじゃないだろうか?
「……ねぇ。まだ…、未来のことが好きなの?」
「まだ」という言葉に引っかかる。
どういう意味だ…?
そもそも、僕が未来の事を好きなのを、なぜ交流のない彼女が知っているんだろうか。
恋人だということを知っている?
だとしても、まるで別れを望むような言葉をわざわざ使うのも変だ。
それとも…。
嫌な気配が身体を支配した。
何故だか、ここにいたくない――そう直感して、一歩後ろに下がる。
それに気づいた柚原さんは僕を睨んだ。
「逃げないでよ…!そうやって、飼い犬の時みたいに、現実から目をそらさないで!」
「…え?」
もう一歩下がりかけた足が止まる。
逃げる?
飼い犬の時みたいに…?
脳裏にタロの姿が思い浮かぶ。
柚原さんはタロのことまで知っている…?
いや、それよりも…僕がいつ、現実から目をそらしたんだ…?
僕は柚原さんの言っている言葉の意味がわからなかった。
思わす聞き返せば、彼女は続けた。
「あの時、飼ってた犬が死んだときも、そうやって青山くんは受け入れなかった。」
「あ、当たり前だろ…、子供の頃だし。」
「それで未来に似てる犬を作ってもらって、代わりにしたんでしょ。」
「代わりって…、タロは物じゃない!」
僕は少しムッとして言い返す。
家族に代わりなんているはずがない。
あの時は、失った悲しみを和らげるのに、必死だっただけだ。
タロそっくりのストラップをつくってもらったからって、悲しみが消えたわけじゃない。
未来の優しさがあったからこそ、結果としてタロの死を乗り越えたんだ。
「記憶を、消そうとしたんじゃないの?」
「……記憶を…、消す…?」
「…お墓に、犬のストラップを置いたでしょ…っ!思い出したくなかったからじゃないの!?」
「……お墓…に、ストラップ……?」
身に覚えがない。
自然と視線が、自分のリュックへと向かう。
普段通りの、飾り気のないリュック……。
…飾り気の…ない…?
………タロのストラップが…、ついていない。
いつも、どの鞄にも付け替えていたはずなのに。
いつからなかった…?
お墓に置いただって……?
「■■の墓に嫌な思い出、全部置いてきたんでしょう……?」
「…っ、ゆ、柚原さん…、何を…?」
「本当は…っ、■■が■んだことも…、受け入れてないんじゃないの!?」
「……っ!!」
また、あのノイズが聞こえて、聞き取れない。
テレビの砂嵐のような、五月蠅い音が鼓膜にこびりつくようで、思わず顔をしかめて、耳を塞ぐ。
何で、また…!
これ以上、聞きたくない。
「っ、ごめん、バイトあるからっ!」
僕は苦し紛れの嘘をついて駆け出した。
ちらりと見えた柚原さんは、恨みがましい表情で何かを呟いた。
話を中断したからじゃない。
柚原さんは僕の言動を責めているようで、背中に粘つくような寒気が這い上がる。
ーーもういないのに。
柚原さんが、そう、呟いていた気がした。
息を切らして走る。
また、あのノイズが聞こえてしまった。
智明だけじゃなかった。
となると、おかしいのは、きっと僕だ。
少しの恐怖を感じつつも、どこか冷静な自分が告げた。
"誰かの名前"にノイズが走っている。
思い当たる気がするが、考えたくない。
ー「■■の墓に嫌な思い出、全部置いてきたんでしょう……?」
そんなこと、していない。
…はずだ。
何度見ても、鞄にストラップはついていない。
けれど、お墓なんかに置いていった覚えもない。
この日、僕はストラップを失くした後ろめたさからか、未来に会いに行かなかった。
未来が許してくれたとしても、自分が許せなかった。
あんなに大切な、未来がくれたストラップを僕が手放すと思えない。
落とした、ならまだしも、お墓に置いていくことはないだろう。
タロはお墓に入れてなかったはずだし、誰のお墓に…?
そして、そのまま数日が経ち、墓参りの日を迎えた。
一方的に告げられた墓参り予定日の当日。
あの日以来、互いに顔を合わせないようにしていたはずなのに、智明は僕の家に来た。
「行くぞ。」
「……一応聞くけど、どこに?」
「……緑山霊園。」
迷いのない目に、智明の本気さが伝わる。
…なぜ、お墓参りなのか。
誰のお墓参りに行くのか。
またあのノイズを聞きたくなくて、一番聞きたいことは聞けなかった。
「……帰ってくれ。僕には墓参りに行くような人なんて…。」
「……夏輝…。」
ため息を吐きながら言えば、智明は信じられないと言った顔をした。
驚きと、同情のような表情。
そんな反応に違和感を感じつつも、ドアを閉めかけたその瞬間、智明は足を滑り込ませて、それを遮った。
「……頼むから……!一緒に来い…っ!!」
こんなに必死な智明を見るのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。
智明との付き合いはそれなりにある。
少しオタクっぽくて、ちょっと天然なところもあるけど、根は優しくて、真面目で、面倒見が良くて…。
嘘をついたり、人を傷つけるようなことをする人間じゃない。
智明は、僕に何かを伝えようとしている。
それだけは、信じられた。
胸の奥が、少しだけザワつく。
この世界がゲームでも現実でも、話を進めなきゃわからないままだ。
しばらく考えたあと、僕は口を開いた。
「…………10分、待ってくれ。」
智明を家に入れて、手早く支度を済ませる。
お墓参りに相応しい服装が思いつかなかったが、智明も色が地味なだけで普通の私服だったので、無難な服を選んだ。
電車を乗り継ぎ、バスに揺られて着いたのは、……どこか懐かしさのある霊園だった。
線香の香りが風に乗って流れ、空気が静かにまとわりつき、そんな雰囲気とは反対に煩わしい蝉の声が耳を刺激した。
いつだったか、ここに来たことがある——そんな気がする。
でも、父方の祖父母は健在で親族の墓も県外だし、
母方の祖父はもう亡くなっているが、墓はこういった霊園ではなく、お寺にある墓地だった。
じゃあ、誰の……?
考えようとした瞬間、こめかみに鋭い痛みが走った。
僕は眉をしかめて、そっとその思考を手放す。
智明の方を見ると、スマホを見ながら歩みを進めていた。
坂を登り、木陰を通り抜けて、小さな区画の前で智明が足を止めた。
奥へ行けば行くほど、五月蠅くなる蝉の声に紛れて、少し離れたところで、どこか懐かしい犬の声が聞こえた気がした。
犬とお墓参りに来る人もいるんだろうか。
前を行く智明の足が止まり、僕も横に並ぶ。
「……ここは……。」
見覚えがあるような、ないような。
ぼんやりと、記憶の輪郭だけが浮かぶ。
けれど、何も思い出せない。
あるのは、デジャヴ程度の既視感。
霊園なんて、どこも似たような景色だろうけど。
「夏輝……、」
「何も…ない、な。」
僕は地面を見ながら呟く。
心の中で少し、安堵した自分がいた。
タロのストラップがなかったからだ。
ストラップどころか墓がないのだから、疑いようもない。
そもそも、どこのお墓に置いたのかも、今日誰のお墓参りにきたかも知らないのだけど。
仮にここだったとして、それはそれで、ストラップをどこかに落としてしまったということになる。
だが、少なくとも、柚原さんの言葉は否定できる。
小さく息をつく僕を、まるで幽霊でも見るかのように、ありえないものを見聞きしたような顔で、智明は僕を見る。
「………………は?夏輝…、…何、…言ってるんだ……?」
「え?ここ、まだ墓立ってないんだろ? 更地じゃん。」
僕は地面を指さし、当然のように言った。
何度見ても、目の前には四角く区切られた、ただの土の地面が広がっているだけ。
風が吹いて、乾いた砂がかすかに舞う。
……それだけだ。
墓なんて、どこにもない。
そんな場所に何の用だというのか。
目的は墓参りだったはずだ。
「っていうか智明、どこの墓をお参りす……。」
もう一度確認しようと智明の方を見れば、夏だというのに真っ青な顔をしている。
絶望を、そのまま貼り付けたような表情で僕を見て、微かに震えていた。
顔色は青白く、唇の色すら悪い。
「…智明?…大丈夫か?」
「そんな、わけ……ないだろ……っ、お前、“ここにあるのが見えない”のか…!?」
智明が震える手で指差した先は、……もちろん、さっきからずっと見えている、何もない空き地だ。
僕は戸惑い、思わず眉をひそめた。
「……まさか、幽霊でも見えてるのか? …それを見せたくてここに?」
「違うっ!!!!!」
智明の叫びが空気を震わせた。
その勢いに、思わず僕の肩が跳ねる。
「頼む、夏輝……っ!!」
彼は両肩を強く掴み、ぐらぐらと揺さぶる。
まるで何かを乞うような、縋るような手つき。
そして、それ以上に——、
怒ってるような、それでいて泣きそうに歪んだ智明の表情が、声が、震える手が。
どうしようもなく、痛ましかった。
「……頼むから、気付いてくれよ……っ!」
智明の目は赤く、涙が滲んでいる。
嗚咽混じりの声で、何かを押し殺すように、訴えた。
何かがある、それを伝えようとしているのが震える手から伝わる。
けど、僕の視界には何も映らない。
土の地面が、そこにあるだけだ。
それ以外、何に気づけばいいのか。
途方に暮れた僕の近くで、犬の声が聞こえた気がした。
