さよなら、未来



春崎さん改め、未来ちゃんと夏輝が付き合い始めてから、夏輝と遊ぶ時間が減った。
そりゃそうか。
特に付き合い始めは楽しいだろうし、未来ちゃんの話をする夏輝は幸せそうで、こっちまであたたかい気持ちになる。
寂しくないと言えば嘘になるが、親友の幸せを望む友人として一切の不満はなかった。
それなのに、事件は急に起きてしまった。

ある朝、夏輝の様子がおかしかった。
未来ちゃんと2人ではなく、1人で登校するのも珍しかったし、遅刻ギリギリで心ここにあらずみたいな顔で、どこか挙動不審な動きをしていた。
不安げで、どこか悲壮感があって、何かがあったことは明白だ。
俺は急いで夏輝にチャットを送って、返事を待つ。
数秒後、送られてきた返事を見て、朝のホームルームが終わると同時に夏輝の元へ駆け寄った。


「おい、夏輝…。大丈夫か…?移動するか?」


夏輝は声に出さずに頷く。
多分、人に聞かれない方が良いだろう。
教室を出て、屋上へ続く階段で腰を下ろした。


「……昨日の夜、未来と別れてから…、連絡がつかないんだ。」


普通なら「そんなことか。」で済むのかもしれない。
たまたま寝てて見てないとか、通知が来なかったとか、よくあることだとは思う。
けれど、夏輝の憔悴っぷりを見るに、普通じゃないのだろう。


「それは…、……心配だな。家庭の事情か何かか?」


不安定な状態の人に不安を煽るのは良くないし、否定する言葉も良くない。
なるべく同調・共感を意識しながら、慎重に言葉を選ぶ。
元々冷静なタイプだからか、会話を始めれば少しずつ落ち着いてきたように思えた。
しかし、家に行っても誰もいないっていうのは確かに妙だ。
出かけるなら一言くらいメッセージを送ることも出来るだろう。

そこでふと、耳から耳へと流していた先生の言葉を思い出す。
手っ取り早く事実確認する方法があるじゃないか。


「夏輝ぃ、職員室行こうぜ…?」


俺は夏輝を半ば引っ張るような形で職員室へと向かった。
職員室のドアから覗けば、丁度担任の先生が電話をしていたので、慌てて職員室へと入っていく。


「失礼しまーす。」


職員室に入っていいのかわからないが、堂々としてれば案外気にされないだろう。
後ろからついてきている夏輝は緊張した面持ちだったが。
先生の背後に近づいて、バレないように聞き耳を立てる。
何を言ってるかはわからないが、受話器から女性の声が聞こえる。春崎さんの母親か?


「…はい、…また何かありましたら、ご連絡いただければと思います。…失礼いたします。」

「先生、」

「わぁあっ…!!……ふ、冬川くんと、青山くん…?」


タイミングを見計らって声をかければ、先生は幽霊でも見たかのように体が跳ねた。
残念ながら電話が終わってしまったので、先生から聞き出せないか2人で粘ってみるが、先生は詳細を何も言わなかった。

翌日、平静を装いながら学校へ来た夏輝がいた。
俺も深く追求することはやめて、いつも通りに接した。
けど、その日の放課後、夏輝からのチャットに開いた口が塞がらなかった。

それからの夏輝は、…情緒不安定だった。
感情の波がない、まるでロボットみたいに振舞っているかと思えば、ふとした拍子に崩れてしまう。
ツラいのは夏輝だとわかっているけれど、見ていて俺もツラかった。
こういう時の対処の仕方がわからない。
ただただ、夏輝が落ち着くまで傍にいることしかできなかった。
そんな日々が、1年近く経って、ようやく夏輝が戻ってきた。
完全ではないけれど、少しずつ笑うようになって、乗り越えたんだな、と勝手に思っていた。
乗り越えるなんて、口で言うほど、そんなに簡単なことじゃないはずなのに。
俺はそれに気付くことができなかった。
たまに夏輝の口から出る春崎さんの名前も、「未来なら、どこの大学に行ってたかな」なんて例え話も、何気ない会話だと信じて疑わなかった。
それが何よりも、乗り越えていない証だったのに。
思い返せば、夏輝の口から出る言葉は、いつも思い出話なんかじゃなくて、あるはずのない未来を語っていた。
まるで、これから先の話をするように。
夏輝の中には、まだ未来ちゃんが生きていた。
それに気づけていたら、こうなることも防げたのだろうか。


---


大学生になって、僕は実の入らない就活に苦戦していた。
今のところ、内定はない。……というより、そもそも働きたいとも思っていなかった。
所詮口先だけの僕の言葉に騙される会社など、そうそうないという事だ。

僕の未来は、未来…彼女と共にいることだった。
その未来を失ってから、僕は人生に意味を見出せずにいる。
なんとなく高校を卒業し、なんとなく大学に進む。
同じような日々を繰り返すだけの毎日に、意味や意義を感じられず、気力はどんどんなくなっていた。
あの日からここまでの日々は曖昧で、記憶に余り残っていない。

ただ、忘れられないあの日のことを、ずっと思い返しては後悔している。
……家まで送っていれば、よかった。
たった、それだけのこと。
家の前まで、送ればよかっただけなのに。
何度も何度も悔やんだ。けれど、時間が巻き戻ることはない。
アニメや漫画のようにタイムリープなど、存在しない。
講義室に座ってぼーっとしていると、隣の席にどかりと誰かが座ってきた。


「はよー、夏輝!」


高校からの友達、冬川智明。
思えば彼と仲良くなれたのだって未来のおかげだったし、未来と付き合えたのは智明のおかげだ。
僕が不安定になった時も、ずっと横で寄り添ってくれた大切な友人。
だからこそ、「時間を戻したい。」なんて馬鹿げたこと、智明にも言えなかった。
ここで立ち止まってちゃいけない。
そう思うのに、自分の将来を考えるだけで億劫な気持ちになる。



「おはよう。」

「なぁなぁ、柚原って子、知ってる?」

「…なんだよ急に。…誰?」

「柚原紗月。ほら、あそこにいるちょっと派手めな可愛い子。」


智明が指をさした方をちらりと横目で見る。
5人くらいの女の子が固まって話しているが、中心にいる子は一際目立って見えた。
確かに、印象には残る。インフルエンサーでもやってそうな、可愛い子だった。
けれど僕の目には、そんな人たちは“烏合の衆”にしか映らない。


「ふーん…。」

「お前…、ほんと女に興味ないよな…。」

「智明だって…、相変わらず二次元の女の子ばっかだろ。で、その子が何?」


智明は残念そうに呟くが、この男だって大概だ。
逐一紹介してくる歴代の“彼女”は、画面から出てこれないゲームの女の子ばかりなのだから。
出会った時から、智明はアニメやゲームが大好きで、現実の彼女がいたことはないが、当時彼の嫁は50人いたらしいから、今では3桁を越しているかもしれない。
そんな自分のことは棚に上げて、隣の男はニヤニヤと笑う。


「噂だけどさぁ、……お前に気があるらしいよ。」

「……へぇ。」

「…それだけかよ。」


僕の反応に、智明は心底つまらなさそうに唇を尖らせた。
そんな顔をされても噂は噂だし。
本人から聞いたわけじゃなければ、信憑性はない。
それに、……未来とは似ても似つかないギャルっぽい印象に興味は持てなかった。
……別に、未来に似ていればいいという訳じゃないけど。


「あ、そうだ!」


急に何かを思い出したように、智明は自分の鞄をごそごそとあさり始めた。
そしてもったいぶるように、小型ゲーム機でも入っていそうな袋を取り出す。


「何だそれ?」

「ふっふっふ…、夏輝くん…。これで彼女をつくる予行練習でもしたまえよ…っ!」


小声でささやきながら押しつけてきた袋には箱が入っており、
そのパッケージに印刷されている可愛い女の子から『お気に入りの彼女をつくって青春を謳歌しよう!』という吹き出しの文字。


「……ギャルゲーじゃねぇか!」


押し付けられた箱、いやゲームを、智明に押し返す。
なにも恋愛の仕方がわからなくなって臆病になってる訳じゃない。
ただ僕には、未来しかいなかった。
未来以外を、好きになるはずがない。
きっと彼女は優しいから、もし近くにいるのなら「早く彼女つくりなよー」とか言っているかもしれない。
だけど、未来の将来を奪った自分が、未来以外の誰かと幸せになるなんて、考えることすらできなかった。
彼女をつくる予行練習なんて、必要ない。
というか予行練習が必要なのはお前だろ!と内心でツッコミを重ねる。
……だが、意外にも智明は真剣な顔つきで言った。


「いや、正直さ…、これ、かーなーり、リアルなんだよ、キャラクターが。」


……確かに。
ゲームのパッケージには、今まで見たような“いかにもな2Dキャラ”ではなく、まるで写真のような女の子が描かれている。
アイドルの写真かと思っていたが、まさか、これCGか……?

別に、恋愛ゲームに興味があるわけじゃない。
でも――、この技術は、ちょっとすごいかもしれない。
そんな僕の反応を見て、智明はニヤニヤしながら得意気に語り始めた。
「キャラのビジュアルが神すぎる」とか、「システムがリアルでやばい」とか、オタク特有の早口で饒舌にまくしたてる。
……正直、ほとんど聞いてなかったけど。
気がつけば僕は、なかば押しつけられるような形で、そのゲームを借りることになっていた。


自宅に帰り、夕飯を済ませた後、ふと思い出した。
……そうだ、あのゲーム。
少しはやらないと、智明がうるさいだろうし……ちょっとだけ、やってみるか。

重たい腰を上げて、飾り気のないリュックからゲームの箱を取り出す。
どうやらこれは、最新型の“仮想空間で遊べる”タイプのゲームらしい。
最近じゃスマホのパズルゲームくらいしか触れていない僕には、少しばかり未来の話みたいだ。

ゴーグルのようなヘッドセットを装着し、ベッドに横たわる。
……なんとも不思議な心地だった。
リモコンもないのに、本当にこんなものでゲームができるのだろうか。
半信半疑のまま、ヘッドセット横の電源スイッチを押すと、暗い画面にヘッドセットの制作会社であろうロゴが浮かび上がる。

そしてローディング画面が表示され、ゆっくりと、目の前が明るくなっていく。
やがて一面に、淡い水色の空模様が広がり、爽やかな曲が流れて、様々な女の子の映像が目の前に映される。
なんというか、3Dメガネかけてアニメのオープニングを見ている気分だった。
お気に入りの彼女と高校生活をエンジョイしよう!…との文字が出て、最後にいかにもなポップなタイトルが浮かんだ。


『青春りすたぁと!』


パッケージの説明書きによると、ゲームの世界へタイムリープして青春をやり直そう、という意味らしい。
視界をぐるりと巡らせると、不思議なことにほぼ360度、全方向に映像が広がっていた。
まるで夢の中にいるみたいだ。
実際の体は動いていないはずなのに、自由に歩けるし、見渡すこともできる。
目線を下げて足元を見れば、自分らしき体まであった。リアルすぎて、少し笑ってしまう。
試しに右手で左手を抓ってみたが、痛みはなかった。
……流石に、そこまでは再現できないか。


『初めから』


その文字に手を伸ばすと、キャラクター作成画面が始まった。

……すごい。
目の形や眉の角度、鼻の高さはもちろん、目と目の距離まで調整できる。
なるほど。
パッケージにあった「お気に入りの彼女をつくろう」って、こういうことか。
智明なら多分、自分の嫁の誰かを作ったんだろう。


「……目は、こうで。鼻は……もう少し高め、かな」


映し出される顔を、スライダーで少しずつずらしながら変化を確かめて操作性を覚えていく。
ある程度何がどう動くのか確認後は、まるで何を作るべきか決まっているかのように、指が迷うことも止まることもなかった。
――こんなの、初めて触ったはずなのに。
自分の中でこんな目が良い、髪型が良い、言語化できなかった何かが3Dで象られていく。
身長や体型を設定して、最後の微調整を終えてから、ようやく操作の手が止まる。
もっと手間取るかと思っていたが、予想よりずっと早く仕上がってしまった。
そうして完成した“お気に入りの彼女”の全体を改めて見て、僕は思わず鼻で笑う。


「……ははっ、…未来じゃん……。」


気付いた瞬間、心臓が震えた気がした。
やっぱり、僕はまだ駄目だ。
意識しなくても、無意識に未来を求めてしまう。
あの時、もう乗り越えたと思っていたのに。
気付かないふりをしていたが、僕の中にはまだ、“未来”がいる。
本当は、あの日からずっと、僕の心の中で、今も息をしている。

自分の名前を『夏輝』、彼女の名前に…一瞬躊躇ったが、『未来』と入力し、
そのまま、浮かび上がる『スタート』の文字に触れた。
目の前に時計が表示され、現在の時刻と同期される。

――瞬間、身体が光に包まれた。
吸い込まれるような浮遊した感覚に、思わず目を閉じると、次に目を開けたとき、僕は教室の入口に立っていた。
……でも、それは自分が通っていた学校じゃない。
木目の机に、古びた黒板。
窓の外からは、どこか遠くで鳴るチャイムの音が聞こえてくる。
ところどころ似てはいるが、教室の中にいる数人の生徒は、誰の顔も見覚えがなく、個性のない顔をしていた。

(ここが、…仮想世界……?)

学校なんてどこも似たようなものだとは思うが、それにしても作りがあまりにもリアルすぎる。
もっとドットの粗い、絵に描いたような空間を想像していたのに、実在するどこかの学校を映しているかのように思えた。
ゲーム画面ではなく、自分の視界を通しているから、なお、そう思えるのかもしれない。
関心しながら教室を眺めていると、不意に背後から声がした。


「ーーー夏輝?」

「…………えっ。」


一瞬、心臓が跳ねた。
まさか名前を呼ばれると思っていなかったから、咄嗟の事に声が漏れる。
驚いて振り返ると、そこにいたのは――“未来”だった。
いるはずのない未来が、そこに立っていた。


「入口でなにボーっとしてんの?ほら、帰ろ。」


笑いながら、僕の腕を軽く引いた。
その仕草があまりにも自然で、思わず息を呑む。
冷静になって考えれば、これはさっき自分がキャラクリエイトした“未来”のはずだ。
こんなところに、未来がいるはずない。
なのに、目の前にいる彼女は、どう見てもただのCGじゃなかった。
少なくとも、僕の知ってるプログラムだとかロボットとはかけ離れている。
まるで、魂が宿っているみたいに、記憶の中の彼女が現れたかと思うほど、――彼女は“そこにいた”。

肉声のような彼女の声。
指先まで滑らかな仕草。
風に揺れるやわらかな髪。

――触れられている感覚や、感じるはずのない匂いまで、脳が勝手に思い出して、目頭が熱くなる。
瞬きをする目も、歩く姿も、人間にしか見えなかった。
未来が、ここにいる。
ひょっとして、自分は過去に戻ったのかと錯覚しそうになる。

冷静に考えれば声、話し方、仕草だって少し違う。
けれど、見た目の所為なのか、脳が勘違いをしてしまって、未来と認識してしまう。
現実では、もう写真でしか見ることができなかった笑顔が。
今、目の前で僕を見て、名前を呼ぶ。

まるで、あの日に戻ったようで。
泣きたくなるほどに、僕の記憶にある未来そのものだった。


(……夢でも、見てるんだろうか?)


学校からの帰り道。
知らない道なのに、僕はこの世界を全身で受け入れていた。
自然と繋がれた左手が、まるで初めて手を繋いだ時のように緊張して、もう触れられなかったはずの人に触れられる。その事実に心が震えた。
いつもなら僕がリードしていた登下校の会話。
今日は未来の方からたくさん話しかけてくれるのが新鮮で、今思えば、そんな違和感すらも飲み込まれてしまうほど、僕はこの状況にハマりかけていた。。


「夏輝、今日も物理の授業、寝てたよね?」


(……そういう設定なのか。やけにリアルだな。)


高校時代、実際にあったことを思い出す。
でも、すぐに首を振った。
占いと同じで、誰もが経験したようなことを言えば、当たったような気になるものだ。
――そういう仕組みなんだろう。
頭で理解しながら、僕は過去に戻ったつもりで話を続けてみた。


「内容もだけど、あの坂本先生の話し方って眠くなるんだよなぁ。」

「わかる!内容も難しくって…。」

「…理数、苦手だったもんな。」


高校一年生の夏休み、2人で図書館に行って勉強会をしたっけ。
効果があったのか、休み明けのテストは調子が良かったけど、期末テストや他のテストは結局ギリギリ50点以上だった未来はひどく落ち込んでいた。
懐かしさに口元が綻ぶ。


「そういえばさ、昨日、家庭科で作った肉じゃが!」


それも――記憶にある。
調理実習でいつもやたら気合を入れる未来だが、成功率は低い。
肉じゃがの時はレシピの分量を一列ずつズラしてしまい、見事に“残念な一品”を完成させたんだっけ。
結局、先生がうまく調整してくれて、なんとか食べられる味になったんだけど。
懐かしくて、自然と笑みがこぼれた。


「ああ、あれな。分量1列ズレて、…ちょっと不味かったやつ。」

「も〜っ!今日、家で練習するの!」


そう言って、未来がぷくっと頬をふくらませた。
その仕草に、昔の未来が重なる。
子どもっぽいところを残したまま、大人になったような――
そんな、可愛い未来。

——懐かしいな。

5年も前の出来事なのに、まるで昨日のことのように思い出せる。
自然と記憶が蘇って、口がスラスラと動いていた。
未来と話していると、こんな他愛もない会話でさえ、どうしようもなく嬉しい。
ただ一緒に歩くだけで、こんなにも心が満たされるなんて。

……あの頃は、
こんな日々が、ずっと続いていくものだと思ってた。

楽しい時間なのに、気づけば、頬が濡れていた。
涙で滲んで、未来の顔がぼやける。


「ーーー、……夏輝?」


彼女が心配そうに、そう呼びかける直前。
一瞬、空白が挟まったような、データを読み込むために世界が止まったかのような感覚があった。
その違和感が、僕を急激に現実へと引き戻す。

まるで僕たちだけが、世界から切り取られた様だった。
時間が止まっていたようにさえ感じた。
けれど、違う。
これは、“あの時の未来”にあまりにも似ているけれど、――本当の未来じゃない。

それでも――、呼べば応えてくれる。
問いかければ、返してくれる。

……どんな問いにも、答えてくれるんだろうか。
彼女と話すことで、救われるだろうか?

僕は口を開いて、閉じた。
その動きを幾度か繰り返し、
意を決して、ようやく声を絞り出す。


「……、未来…っ。」

「…?」

「ごめん。謝って済むわけじゃないけど……、一人にして、ごめん…っ。」


未来の姿をした彼女に、僕は誠心誠意、頭を下げた。
これはただの自己満足だ。
本当の未来じゃないことなんて、わかってる。
今さら謝ったところで、意味がないってことも。
でもそれでも――。
どうしても、一言でも謝りたかった。
許されなくてもいいから、この気持ちを吐き出したかった。


「……私の名前は、未来(みらい)。」


未来(みく)と思っていた彼女は未来(みらい)と名乗る。
少し沈黙があってから、彼女は機械的ににこりと笑った。


「そっか。本当は、“未来”って書いて、“みく”って読むんだね。」


その言葉で、僕は名前を設定したときのことを思い出す。
そういえば、名前の入力画面でふりがなの欄がなかった。
僕は迷いなく、“未来”とだけ入力したんだった。


「あ、いや……君を“未来(みく)”にするつもりは――、」

「いいよ。」

「……え?」

「名前は変えられないけど、私のこと、“未来(みく)さん”だと思ってくれていいよ。」


未来の姿をした“未来(みらい)”が、静かに、やさしく微笑んだ。
その微笑みは、確かに“あの頃の彼女”と同じ形をしていて――。
でも、ほんの少しだけ、違っていた事に僕は違和感を感じながらも、未来ともっと話したいと思った。


「ねぇ、夏輝。私に、“未来(みく)さん”とのお話……、もっと聞かせて?」


誘われるように、僕は小学校の頃、初めて未来と会ったことから、その最後まで。
すべての思い出を語りつくし、次の日も、僕は“未来”に会うため、ゲームにログインした。
就活よりも何よりも、この時間が大切で、むしろ水を得た魚のように未来といる時間だけが生きている心地がした。



「おはよう。今日も会えて嬉しいな。」

「未来、おはよう。」



ふと、未来がどこか昨日と違うように思えて、じっと見つめた。
…姿は変わってないように見える。
そもそも昨日今日で変化が起きるのも変な話だけど…。


「あれ、もしかして気づいた?」


未来はニマニマと笑ってスクールバックを見せた。
どこにでもあるような紺のスクールバッグ。そこには昨日までなかったはずの、クマのぬいぐるみがついていた。
もしかして、僕がお土産に渡したクマに似せたんだろうか?


「これ、……もちクマ?」

「さすがに同じのは無理だけどね。ちょっと似てるでしょ?」


そう言って、クマを撫でる未来の姿に、一瞬、ゾクリと悪寒がした。
彼女は昨日より今日、今日より明日と、きっとどんどん似せてくるんだろう。

次の日も、未来はどんどん、彼女らしい話し方になる。
彼女は僕が感じた違和感を見逃さないし、妥協することもない。
質問されたことにどんどん答えていけば、より彼女の中の未来は鮮明になる。


「おはよ! 今日は委員会の日だったよね。一緒に行こ。」


日を追う毎に、未来が未来らしく生きていく。
それを嬉しく思う自分と、否定する自分がいる。

さらに、その次の日も。
未来は会話から記憶をもなぞっていく。


「あ、もうすぐ夏休みだね。夏輝は毎年おじいちゃんの畑手伝いに行くんだよね?」


——どこか不完全だった“未来”は、
いつの間にか、僕の会話から自分の記憶へと変換し、言葉を重ねてくる。
嫌ならログインしなければいいだけのこと。
止めるどころか、僕は日に日に未来を求めていた。


「夏輝。また……、映画デートしたいな。」


気がつけば、完璧なほどに、“あの頃の未来”になっていて、感じていた違和感はとっくに薄れていた。
いや、そう思おうとしたのかもしれない。
今となっては、願望なのか事実なのか、どちらかわからない。
僕の記憶にある未来が、今の未来に塗り替えられていくような、そんな恐怖を少し感じながらも、僕は会えなかった5年間を埋めるように、未来との時間を増やしていく。
消えてしまった彼女との青春を、ここで取り戻すかのように。
僕はもう、ゲームの彼女と思っていなかった。
こんなこと、普通じゃないとわかってる。
まともじゃない。けど、未来といられるなら…。
もう、未来と離れたくなかった。


「……おかしいよな、僕。」


頭ではわかってる。未来はただのゲームだ。
それでも会うことがやめられない。
彼女と会話して、笑ったり、怒ったり、ころころ変わる彼女の表情に、僕の心臓はあの日と同じように揺れ動く。
自分でも気持ち悪いって思う。
彼女に執着しているようで、こんなこと、智明にも言えない。


数日後、未来の希望で、放課後に映画館デートをすることにした。
最近はあまり映画に興味がなかったから、どれも知らない作品ばかりだったから未来に任せると、やっぱりアクションものだった。
前に見たのと似た設定で、主人公は気弱でどこからみても善人な男なのだが、ひょんなことから命を狙われてしまう。
男の命を狙いにきた女スパイだったが、男の純朴さに惹かれて恋をしてしまう話。
相変わらず大きな音や急な場面転換でビックリしていたけど、「今回はポップコーンを買っていなかったから落とさなかったな。」なんて笑うと、少し驚いてから「もう慣れたからね!」と強がっていた。


「あの時、何味のポップコーン食べてたっけ?」

「んー、塩じゃなかった気がするな…。キャラメルかな…。」

「…そっか、そうだったね!今度はポップコーンも買おう!」


どうやら今回は買い損ねただけらしい。
前にポップコーンをもらって食べた時、手がベタベタしたからウェットシートをもらった記憶がある。
いつも持ち歩いてるって前に言ってたから、僕も鞄に必ず入れるようにしたんだった。
けど、未来の方が一足早く用意してくれるから、僕のウェットティッシュはいまだに未開封のままだ。
結構前から入っているから、もう乾いて使えないかもしれない。


「夏輝、カラオケ行かない?」

「いいよ。近くにあるかな…。」


未来と一度だけ行ったカラオケに行った事があるけど、お互い気恥ずかしくて、ほとんど歌わずに喋って終わったんだよな。
智明とはなんだかんだよく行っていたが、智明の熱量に押されて最後の方は聞き役に回っていた。
今度こそ、お互いに恥ずかしがらずに歌おうと話しながら、未来の案内でカラオケ店に行って、その日は夕飯前に解散した。

次の日、教室に着くなり未来が急いで駆け寄ってきた。
何事かと驚いていれば、何やら渡したいものがあるとのこと。


「夏輝っ。昨日、クッキー作ったんだ。」


渡された小さな包みを見た瞬間、
胸の奥に眠っていた記憶がふっと顔を出す。
未来に、告白された日のバレンタインデー。
ほんの少しの期待を込めて、手渡されたラッピングを開いた。


「ーーーっ。」


言葉にならなかった。
手元には、あの時と同じ、形が少しだけ崩れていて、ほんのり焦げたクッキー。
普通なら感じる違和感や怖さを、僕はもう感じない。
それ以上に“未来がこの世界で生きている”ことの嬉しさが勝ってしまったから。

あの日、未来(みく)に告白されたこと。
クッキーが歪で焦げていたことも。
……僕は、“未来(みらい)”に話していた。

今、僕を支配しているこの感情が、何なのか、自分でもわからない。
泣き叫びたいような。
嬉しくて笑いたいような。
でもどこか、切なくて空しいような…。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられて、ほんの少し感じた痛みを、僕は気づかないふりをした。

クッキーを1つ取り出して口へと運ぶ。
味なんてしない。
租借した瞬間、電子の粒子となって消える。
そのはずなのに、僕の口は味を思い出している。
ぞわっと全身に鳥肌が立つ。
それでも、騙されていく僕の脳に従うしかなかった。
この状況は僕が未来に望んだことだから。

嬉しそうに眺める未来を見ながら、僕もまた嬉しくなってクッキーを手に取る。
ひとつ、またひとつと口に運ぶ。
懐かしくて、嬉しくて、ほんの少しだけ視界が涙で歪んだ。
…あれ、そもそも未来と、なんで連絡がとれなくなったんだっけ…?
記念日の日帰り旅行も、しないままだった気がする。
なんだか、頭がぼんやりしていた。
あんなに大事にしていた思い出が、思い出せなくなっているーー。
未来と会えなくなったのいつから…?
どれくらいの期間いなかった…?


「…未来、そういえば…記念日のお祝いしてなかったよね?」

「…うん、そうだね。」

「ごめん、あんまり覚えてないんだけど、…なんで行かなかったんだっけ?」

「………え?」


僕の発言に、未来はひどく驚いた顔をした。
…もしかして、喧嘩をしたとか…?
覚えていないけど、反応を見る限り、地雷を踏んだかもしれない。
急いでこの話を変えようと口を開く。


「あ、いや、…ど、どこに行こうか…?夏だしプールとか海もいいね。」

「……うん。」


未来と視線が合わない。
怒らせてしまったんだろうか?
でも、怒るというよりは絶句したような、何かを悩んでいる様にも見える。


「み、未来…?」

「あ……、ごめんね。ちょっとぼーっとしちゃってた。プールいいね!」


不安げに名前を呼べば、いつも通りの未来がこっちを向いてニコリと笑った。
…さっきの未来、どうしたんだろう。
念の為に今後、記念日の話はやめておこう。
そのうち僕も思い出すかもしれないし。
どこのプールに行くか候補を挙げて、後で未来にチャットを入れておくことにした。

そんな日々を繰り返すうちに、大学も夏休みに入ろうとしていた。
ぼくは毎日未来と出かける時間をつくるために、バイトに行かなくなっていた。
元々惰性で続けていたからか、次第に無断欠勤するようになり、先週、店長からクビだと電話があった。
未練も湧かず「わかりました。」とだけ返事をしたが、むしろ未来との時間が増えたと喜ぶ自分がいることに苦笑する。

大学にも、顔を出さない日が増えた。
さすがに卒業できないのは困るから、単位だけはギリギリ落とさないよう気をつけながら通う。
まるでゲームのように繰り返される通学は、少し苦痛だった。
講義が終わって、すぐさま家へ帰ろうとすると、背後から声がかかった。


「夏輝。」


振り返ると、そこには智明が立っていた。


「……どうした?」

「……その、……大丈夫か?」


その言葉と、やけに深刻そうな顔つきが可笑しくて、つい笑ってしまう。
そういえば、最近は未来と遊んでばかりで、智明とは話していなかったかもしれない。


「何が? どうしたんだよ。」

「……それは、こっちのセリフだろ。バイトまで、辞めたって聞いた。」

「……ああ、まぁ。ちょっと忙しくて。」

「…忙しい…?」


智明の方を向きながらも、僕は彼の顔をまともに見ていなかった。
できるだけ早く答えて、どう会話を切り上げようか考える。
——早く、未来に会いたい。

今日はどこに行こうか。
僕は未来と毎日出かけていた。
最近は映画ばかりだったから、たまにはちょっと遠出してもいいかもしれない。
それとも、行けていなかった夏祭りの話を振ってみようか。
確か、前に「おばあちゃんから浴衣をもらった」って言ってた気がする。
何色だろう。いや、何色を着ても似合うんだろうな。
いつも下ろしている髪もアップにして、慣れない下駄で歩く未来はきっと危なっかしいんだろうな。

そんな妄想に心が浮かれかけたその時、
智明の声が、ぐいっと現実へ引き戻してきた。


「……夏輝、お前……ゲーム、やった?」

「ゲーム……? ああ、やったよ。意外と面白かった。クリアしたら返すって。」


ゲーム、と言われても、思い浮かぶものがなかった。
むしろ、今この世界の方が僕にとってはゲームみたいだ。
早く切り上げたくて適当に返事をする。
リュックに手をかけて帰ろうとすると、智明が僕の右手を素早く掴んだ。
その顔には、明らかな“不安”が滲んでいた。


「……なんだよ。帰りたいんだけど。」

「……あ、あのさ、……今年の墓参りは、いつ行くんだ?」

「……墓参り? お盆のことか?」

「……そうじゃなくて……、」


確かにお盆の時期だが、墓参りの話なんて、したことあっただろうか?
不思議に思いながら顔を見れば、目を逸らしながら言いにくそうに続けた。


「…………■■ちゃ■の、墓参り……。」


——ザザッ。
頭の中で、ノイズが走ったように、うまく聞き取れなかった。
まるで、この世界がゲームかのような演出。
……、ちゃん?
今……何て言った?
誰の……墓参りだって……?
……気味が悪い。

その後、智明は何度か口を開くけど、どんどんノイズと共に頭が痛くなって、何を言ってるのか全く聞き取れない。
僕は謝りながら手を振り払って、講義室を飛び出した。
―――怖い。
ただ無性に、怖かった。
得体の知れないノイズも、今息を吸ってる空気すら重たくて、気味が悪かった。
頭が痛い。
何故だか、聞いてはいけない言葉だった気がする。
ここは、本当に現実の世界なのだろうか?
もしかして、夢なんじゃないか?
……早く、未来に会いに行こう。
未来と話せば落ち着くかもしれない。
僕は助けを求めるように駆け足のまま、未来に会いに行った。


---


新しい出会いにも興味を示さない夏輝は、どこか塞ぎ切っているようにも思えた。
そこで、たまたま新作の美少女恋愛シミュレーションゲーム『青春りすたぁと!』を見て、「これだ!」と思った。
好きなアイドルでもキャラクターでも作って疑似恋愛できる。
…まぁ正直この手のキャラクリエイトは慣れていないとできないと思うが。
希望があれば俺が代わりに作ることも出来る。
これで少しでも、前へ向ければいい。そう思っていた。
ところが、事態は俺の予想とは違う方に進んでいるようだった。

一見、夏輝は徐々に明るくなっていったように見えた。
以前の頃に戻ったように、少しずつ、生活を楽しめているような…、そんな風に思えていたが、何故かまた、春崎さんの話をするようになった。
あまり見なくなっていたスマホで、誰かと頻繁にやり取りをしているようだったし、学校に来る日も減った。
それに、突然、バイトもクビになったようだった。
あの真面目な夏輝が。
たまたま夏輝のバイト先へ顔を出した時に、共通の友人2人から、最近、様子が変だったと聞いた。


ー『ああ…、青山ね…。誰もいないのに誰かと会話してる時あったぜ。』
ー『マジ?でも、クビの原因は全然シフト入らなくなったからだろ?』
ー『理由?知らないけど…、最近あいつ、……ちょっと気味悪ぃよ。』


誰もいないのに…誰かと会話してる…?
そういえば、昔、そんな夏輝を見たことがある。
…そうだ、あの時、お墓で何かを話している所を見たんだ。
墓参りで報告とか、そんなのじゃない。
まるで目の前に誰かがいるかのように、対話をしていた。
あれは、…未来ちゃんがいなくなって半年くらいだったか。
…きっと、何かあったんだ。


ー『そういえばさ、あいつって彼女できた?』
ー『あ、なんか休憩中にデートスポットとか熱心に調べてたよ。』
ー『俺も見た!リストアップしてたよな。』


夏輝に…彼女…。
いや、そんなはずはない。
だって夏輝は…、夏輝の中にはまだ未来ちゃんがいるはずなんだ。
スマホのカレンダーを見れば、もうすぐ墓参りの時期だし、明日、夏輝と話そう。

翌日、すぐに帰ろうとしていた夏輝を呼び止めて、話をすることに成功した。
けれど、まるで俺の声なんて届いていないような、心が何処かに行ってしまったような夏輝を垣間見る。
名前を呼んで、反応がなかったのだ。
こんなにも、手の届く距離で呼んだのに。
だが、なんて切り出そうか迷ってるうちに、思わず口を開いて、ストレートに聞いていた。


「……その、……大丈夫か?」


すると、一瞬目を大きく開いた後、鼻で笑うように返された。


「何が? どうしたんだよ。」

「……それは、こっちのセリフだろ。バイトまで辞めたって聞いた。」

「……ああ、まぁ。ちょっと忙しくて。」


バイトもクビになったやつが、忙しいって?
時間を持て余してるはずなのに…?
返事の仕方と、まったく目の合わない視線で、話す気がないのは明らかだった。
詮索をしてほしくないような、何かを隠していると直感で気づくが、その何かがわからない。
かといって。友人として放っておくわけにもいかない。
…そういえば、あのゲームはやったのだろうか。
貸した日から、まったく話題に上らない。
とはいえ、手を付けていないなら返してくるだろう。


「……夏輝、お前……ゲーム、やった?」

「ゲーム……? ああ、やったよ。意外と面白かった。クリアしたら返すって。」


そう言ってリュックに手をかけた夏輝の右手を、咄嗟に掴んだ。
今の発言は、嘘だ。
彼女を作って学校の日常生活を送るだけのゲームに、クリアの概念はない。
一応一定条件を達成すれば、高校を卒業する仕様だが、その後もゲームは続けられる。
いわばスローライフゲームみたいなものだ。
夏樹の言葉は、まるで借りたものを返す気がない、小学生の言い訳のようにも聞こえた。


「……なんだよ。帰りたいんだけど。」

「……あ、あのさ、……今年の墓参りは、いつ行くんだ?」

「……墓参り? お盆のことか?」

「……そうじゃなくて……、」


すぐに帰ろうとする夏輝をどうにか引き止めようと別の話題を切り出す。
どうせ決めなきゃいけないことだ。
毎年の事を忘れたようにとぼけて言う夏輝に少し呆れながら、口を開いたが、一瞬、声が出にくかった。
出にくかった…?いや、出なかった、が正しいかもしれない。
喉に何かが引っ掛かって言葉が出ないような…。
何かに口を塞がれたような感覚にも思える。
まるで、言ってはいけないと、誰かに止められたかのようだった。


「…………■■ちゃ■の、墓参り……。」


かろうじて無理やり言葉を発したが、どことなく自分の声が違うように聞こえて、思わず眉根を寄せる。
電話やテープ音声のようで、自分の口から出た音には到底聞こえなかった。
夏輝も違和感を感じたのか、変な顔をした…かと思えば、急に頭を押さえて、怯えた顔を見せる。
…なんだっていうんだ…?
異常な反応に心配になり、もう一度声をかけて、一歩近づく。


「…夏輝?…おい、大丈夫か…?」


何度か話しかけるが、夏輝には聞こえていないようで、「ごめん!」と言って走っていく。
何が何だかわからず、俺は講義室に取り残された。
離れる寸前、夏輝が消え入りそうな声で小さく「未来。」と呟いた気がした。
…まさか。
漫画やアニメじゃあるまいし、幽霊が見えてる…なんてことはないよな。
冷房の所為か、それとも別の何かか、俺は少し寒気を感じて、急いで帰り支度をした。