「お前って、夏輝のことが好きなんだよな?」


俺はずれた眼鏡をなおしながら、目の前で涼しげにアイスコーヒーを飲む女をじとりと睨んだ。
その視線に気づいて、こちらをちらりと見るもすぐさま視線をスマホに戻す。
同じ喫茶店で同じものを頼んだのに、俺と違ってミルクもガムシロップも使わないなんて…。
なんていけ好かない女だ。
そっちの方が俺よりカッコイイじゃねぇか。


「そうだけど?」

「だったら夏輝を誘えよ…。」


何故俺はこいつと連絡先を交換して、挙句には喫茶店の誘いを受けてホイホイ着いてきてしまったのか。
柚原はスマホから視線を外して、やっとこちらを見始めた。


「朝、告白してフられたの。」

「そっ…!!………お、おう…、じゃぁ…、しかたねぇな…。」


返す言葉が見つからず、一度言葉を飲みこむ。
フられた女の慰め方はアニメで見て知っているが、あれは夏輝みたいな主人公っぽいやつがやるから様になるんだ。
一生友人ポジションにいるであろう俺にはどうにも真似できない。
時間つぶしにアイスコーヒーを飲むが、ミルクとガムシロップを1つずつ入れてもまだ苦かった。
どことなくお互い気まずい空気のまま、無言でストローに口をつける。
お互い半分くらい飲んだところで、柚原がようやく口を開いた。


「…やっぱり苦いわね。」

「無理してたのかよ!?」

「ブラック飲んでたらカッコイイでしょ。」

「わかるけども!くっそ、馬鹿馬鹿しい…。」


俺はおもむろに立ち上がり、レジに行って今度はアイスココアを2つ頼む。
ついでにミルクとガムシロップを3個ずつ取って席へ戻る。


「ほら、入れたらマシだろ。んで、口直しな。」


柚原にミルクとガムシロップを2つずつ渡し、アイスココアも1つ置いてやると驚いた顔をされた。
こんな程度も奢らないケチな男だと思われていたんだろうか。


「…ありがとう。」

「…おう。」

「あんたって、私のこと嫌いじゃないの?」

「はぁ!?」


今度はこっちが驚く番だった。
なんで嫌いな奴と2人で喫茶店なんて来なきゃいけないんだよ。
っつかお前、嫌われてると思ったのに呼び出したのか?
メンタル強過ぎるだろ。
…と、言いたいことは山ほどあったが、傷心中の彼女に詰め寄る気にもなれず、俺は努めて冷静に返した。


「…別に、嫌ってない。」

「そう…。」


柚原は綺麗な爪でミルクの容器を開けてアイスコーヒーに追加していく。
ゆっくりと溶け合うコーヒーとミルクみたいに、上手く混ざるものもあれば、混ざり合わないものもある。
人間関係だって、そうだろう。ただ、それだけのことだ。


「…ねぇ、青山くんの会ってた未来って、本当にAI?」

「オカルト話か?俺は幽霊なんか信じない派だぜ。」

「どっちでもいいわよ。でも、AIって意思がないのよね?だったら…。」

「全部、夏輝の願望だ、って?」 


アイスココアを一口飲むと口いっぱいに甘さが広がる。
これだよ、これ。
待ち望んだ甘さをゆっくりと味わいながら飲みこんで、俺は少し考える。

夏輝は、一度は受け入れたはずの未来ちゃんの死から、目を背けた。
きっかけは俺が渡したゲーム、『青春りすたぁと!』。
そう、俺が原因の1つでもある。
そのゲームで未来ちゃんそっくりにキャラクリしてしまったのが始まりだろう。
確かに没頭できるくらい最新技術の詰まった、クオリティの高いゲームではある。
けれど、プレイヤーの思い込みや感情がなければ、生きている人間のように接するのは難しいだろう。
恐らく、相当な思い込みが必要だ。
かといって、霊現象というのも非科学的な話だ。
どちらの証拠も薄く、証明するには至らないように思える。
要は夏輝が信じる方が真実だろう。

夏休み明けに見た夏輝は、どこかスッキリとしていて、あの時の嫌な暗さはなかった。
多分、心の整理がついて前を向けたのだろう。
そのことに、1人の友人として俺はホッとしていた。


「もう…、大丈夫だよな…。」


夏輝とのチャット画面を開いて、なんでもないようなメッセージを送る。
どうせ直ぐに既読はつかないだろう。
スマホを置いて、またココアに口を付ける。


「…ごめんなさい。また、青山くんに、酷い事言ったかもしれない。」


目を伏せる柚原をチラリと見ながら、俺は内心ため息をつく。


「……だから、俺に言うなっての。…ちなみになんて?」

「………『いつまで春崎さんに囚われてるの?』って…。」


柚原が言わんとしてることは、わからないでもない。
夏輝のあれは依存だ。
けど、事故で突然、恋人を失ったんだ。無理もないと思う。
俺だって急に嫁(ゲーム)のサ終(サービス終了)を告げられたら…。
いや、2次元と比較するのはよくないな。
…妹や弟を失ったら…。
普段喧嘩ばっかりするし、憎まれ口ばっかり叩くけど…、やっぱり寂しいだろう。
一緒にいることが当たり前になっているのなら尚の事。
癖や習慣なんて、なかなか治せないだろうし、それを依存と言われれば誰だって依存してる。


「夏輝は……、ちょっと子供みたいなやつでさ。凄く純粋なんだよ。」

「知ってる。小学校から、知ってるもの。」


柚原は目の前で勝ち誇ったような顔を見せる。
…コイツ、男の俺にマウントとる気か…?
半ば呆れた視線も気にも留めず、目の前の女はココアを飲み始めた。


「申し訳ないけど、…多分、お前と夏輝は合わないぜ。」

「私もそう思う。」

「おい。」

「ふふ、いいの。もう。」


そう言って笑う彼女の顔からは悔しさや未練が見れなくて、本当に吹っ切れたようではあった。
本人が良いなら良いけど。
なんだか気遣ったこっちが損した気分だ。


「『あーあ…、私の方がリードしてたのに、フられちゃったなぁー…。』」


どこか演技めいた柚原の台詞が引っ掛かる。
そんな話し方をするやつだったか?
ふと、頭をよぎったものが1つだけある。
春にやっていた人気アニメでヒロインが言う台詞だ。
主人公に慰めてもらいたくて、わざとらしく失恋アピールするシーン。
確か返しは……。


「『頑張ったな。…きっとアイツはお前の運命の相手じゃなかったんだよ。』」

「『そんな人、本当にいるのかな。』」

「『そのうち現れるさ。』」

「『そんなの探してたら、お婆ちゃんになっちゃうよ…。』」

「『だったら俺が、』…」


突然始まったアニメの再現だったが、次の台詞で言い淀む。

ー『だったら俺が嫁に貰ってやるよ。』

演技でも、この台詞には少し、抵抗がある。
傷心につけこむようで好きじゃない。
俺が途中でやめたのを不思議に思った柚原はストローを口から離す。
そして、俺の顔をマジマジと見た後、声を上げて笑った。


「ぷ、あはは!真面目か!」

「う、うるせぇな…。」

「人に勧めといて、冬川くんは彼女作らないの?」

「生憎、俺は嫁が100人はいるんで。」


そう返せば、大抵の女子は距離を置く。
柚原の方をちらりと見れば「ふぅん。」とどうでもよさそうな返事が返ってきた。
…てっきり、キモイとか言われると思ったので拍子抜けだ。


「何?」

「いや、…引かないんだなー、と思って。」

「今じゃ、本当に2次元と結婚する人いるくらいだしね。」


言われてみればそうだ。
オタクに対する風当たりも、昔と今じゃだいぶ違う。


「はい。」

「…チケット?」

「来週、アイドルフェスあるの。たまには3次元も良いんじゃない?」


…これはチケットが余ったから、とかいう妥協なのか。
それとも遠回しに誘われているんだろうか。
無表情な柚原の顔から答えは導き出せそうにない。
まぁ、大方前者か布教したいだけかもしれない。


「一応、もらっとく。いくら?」

「いいわよ、誘ってるんだから。」

「あ、何?俺、普通に誘われたの?」


意地悪気にニヤリと笑えば柚原は顔を赤くして、そっぽを向いた。
自動ドアが開く度に、セミの鳴き声が聞こえる。
俺たちの学生最後の夏休みは終わってしまった。
9月に入ってもまだまだ続く暑い日と、遅れてやってきた俺たちの青春はもう少し続くらしい。

夏輝、お前がどっちの世界を選んでもいい。
俺はお前の意見を尊重する。
だけどな、これだけは忘れるなよ。
お前を現実で待ってる人間は、ここにいるってことを。