僕の生活は、未来のいない日常に戻った。
色褪せてしまった写真のように、味気のない毎日が繰り返される。
朝起きて、ご飯を食べて、大学へ行って…。
決められたプログラムのような日々。
大学から帰宅して、真っ先にベッドへと倒れこむ。
こんなはずじゃなかった。
本当なら今頃、未来と同棲して、仲良く犬を飼ってたかもしれない。
以前、未来と行ったキッチン雑貨で見つけたお皿やペアのマグカップをそろえて、一緒にご飯をつくったり、他愛ない話をして穏やかな日々を過ごせたはずなんだ。
目を閉じれば、未来との思い出が再生される。
まるで昨日の事のように鮮明に。
あれ以上に楽しいことも、悲しい事も、この先この世界には、ないかもしれない。
それでも、僕がこの世界で生きる理由は…。
布団で横になりながら、うとうとしながら考えていれば、ふと、手が滑ってスマホが顔面に落ちる。
「痛っ…。」
寝た状態のまま落ちてきたスマホを拾えば、写真フォルダが勝手に開かれていた。
顔に当たった時に反応でもしたのだろう。
なんとなく、そのまま画面をスクロールして写真を見返していく。
今年の写真は全然なくて、去年は智明と出かけた時の写真が数枚。
…海でびしゃびしゃになってる写真。
これは智明が唐突に「聖地巡礼!海へ行こう!」って言いだして、秋口だったから私服で行ったんだけど、結局ふざけて2人びしょぬれになった記念に撮ったやつ。
こっちは人生で初めてメイドカフェに行ったやつ。
思った以上に恥ずかしくて、1時間もいれなかった。
智明は平気そうだったけど、「やっぱり2次元のが良いな…。」とか零していた。
どんどん古くなっていき、大学の入学式、高校の卒業式と懐かしい写真が流れていく。
ふと、表示された未来の写真に、弾いていた指が止まる。
ここ数年、少しの写真しかなかったのに、5年前の写真はかなりの枚数があった。
どこか暗く、色褪せたこの世界で、未来の写る写真だけが目に痛いくらい鮮やかに見える。
まるで、スマホという四角い箱を通して、別の世界を覗き込んでいるようだった。
僕のいる場所は、光の届かない日陰のようなのに、画面の向こうでは未来が太陽のように笑っている。
一緒に観た映画に興奮して、銃を撃つ真似をしている未来。
…全然似てなくて、ちょっと笑っちゃったっけ。
ゲームセンターのエアホッケーで本気になって負けて悔しがる未来。
…最初は軽いノリだったのに白熱しちゃって、1点差は悔しいよな。
初めてカラオケに行って照れてる未来。
…歌声、可愛かったな。結局、喋ってばかりでほとんど歌わなかったけど。
ペットショップで犬を抱っこして笑ってる未来。
…タロに似た犬がいるって未来が教えてくれて、すごく嬉しかった。
スイーツバイキングでケーキを取りすぎて後悔してる未来。
…いろんな種類食べたいからって欲張りすぎて、ギブアップしたのを僕が食べたっけ。
画面の中はいろんな表情をした未来で溢れていた。
どれもこれも懐かしくて、愛おしさに目が細まる。
約半年、それでも、こんなにもたくさんの思い出が、僕達にはあった。
未来は、確かに生きていたんだと実感する。
「…未来…っ。」
気づけば目から涙が零れていた。
あの時、未来に何を言われても家まで送っていくべきだった。
何度後悔しても、過去に戻ることは出来ない。
だったら、せめて、僕も未来とーー
「一緒に…、死んでしまいたかった…っ。」
未来のいない世界が、たまらなくつらい。
太陽を失った世界のように、喪失感が僕を蝕んでいる。
何をやっても心から笑えない。
何を見ても心が動かされない。
僕の心は死んでしまった。
真っ黒になった心は時折痛み出し、もう治ることはないだろう。
だったらもう、僕も終わりにしてしまいたかった。
ー「青山くんはいつまで春崎さんに囚われてるの?」
時折、柚原さんの言葉を思い出しては、ナイフのように、体に重く突き刺さる。
彼女の言葉が胸を貫くのは、図星だからだ。
僕はいまだに、未来(みく)にも未来(みらい)にも、別れを告げていない。
「さよなら」というたった4文字の言葉は鉛のように重く、舌の上を転がるだけで口から出ない。
それは僕なりの、小さな子供のような抵抗だった。
未来(みく)の死を理解しているものの受け入れられず、このままじゃいけないと思うのに。
未来(みらい)を逃避先にして、手放すことも出来ない。
一説によると、お葬式とは、その人との別れという区切りをつけるために行うものらしい。
亡くなった人を送るための儀式と思っていたけど、残された側のためでもあるそうだ。
本来ならば、僕はちゃんと、未来を天国へ見送らなければいけなかった。
でもあの日、自分はそれを拒絶した。
だって、耐えられるか…?
これから先、まだまだ長い時間、一緒に過ごせると思ってた人が 、急にいなくなって。
亡くなった、なんて言われても全然実感なんてなくて。
棺で眠る姿が最後だなんて、耐えられる訳がない。
頬を伝った涙が、スマホの画面にかかり、画面に映る未来が水滴で歪んだ。
画面の中も、記憶の中の未来も、温かく笑っている。
未来(みく)も未来(みらい)も、現実の世界にはいない。
記憶の中でしか、存在しない。
その事実に、やるせない気持ちになる。
手で軽く画面を拭くと、写真が一覧に戻り、更に古い写真へとスクロールしていく。
「…あ、これ…。」
まだ未来と付き合う前、夏休みに帰省した時に撮ったおじいちゃんの畑の写真。
そういえば撮ったことを忘れていて、見せていないままだった。
他にも収穫した野菜の写真や、綺麗な夕焼け。
田舎に行くと言った時、羨ましがっていたから、せめて空気だけでも味わえたら…。
そう思って、あの時写真を撮っていたのに。
この写真を見せていたら、未来はどんな顔をしたのだろう。
なんて言ってくれただろうか。
田舎に行った事がないと言っていたから、「いいなぁ。」なんて羨ましそうに、少しむくれて言うかもしれないな。
いや、未来なら「私も一緒に行きたい!」と主張するだろうか。
いろんな反応を想像してみるが、僕はもうその答えを永遠に知ることはできない。
その事実を頭の片隅で感じて、急激に虚無感を感じた。
ふと、悲しげな未来(みらい)の顔を思い出してハッとする。
……未来(みらい)なら…。
未来(みらい)なら、未来(みく)がなんて答えるか、わかるだろうか?
サイドテーブルに置いたゲーム機を視界に入れる。
…未来(みらい)は未来(みく)じゃない。
そんなこと、百も承知だ。
でも彼女なら、未来(みく)がなんて返すか、わかるかもしれない。
それに、こうしてズルズルと未練がましい日々を過ごしていれば、僕はまた都合よく現実逃避してしまうかもしれない。
ずっとこのままではいられない。
…これで、最後にしよう。
僕は揺れる決意を無理矢理固めて、ゲームを手に取った。
これを最後のログインにしようと決めて。
前回のログインからはもう、1か月が過ぎている。
きっと、未来はもう僕が来ないと思っているだろう。
久しぶりに会えると思うと、嬉しさと少し緊張が入り混じる。
少しのロード画面の後、目の前には何度も見た教室が眼前に広がった。
夏休みが終わり、残暑の残る教室で窓から外を眺めている未来がいる。
その後ろ姿がなんだか寂しげで、
伸ばしかけた手を下ろして、ゆっくりと口を開く。
「……みらい。」
「…えっ、…夏輝…!?」
緊張で口が渇いて、かすれた声が出た。
振り返った彼女は、まるで幽霊でも見たかのように驚いた顔で僕を見る。
僕が来ることを、予想していなかったらしい。
思えば、未来(みらい)は僕が現実逃避していくことをよく思っていなかった気がする。
…あの時もそうだ。
ー「…未来、そういえば…記念日のお祝いしてなかったよね?」
ー「…うん、そうだね。」
ー「ごめん、あんまり覚えてないんだけど、…なんで行かなかったんだっけ?」
ー「………え?」
あの時の未来は、酷くショックを受けていたようだった。
あれは僕が思い出を忘れて事に驚いたんじゃなくて、僕が未来(みく)の死を忘れ始めたからだ。
未来(みらい)は僕が未来(みく)のことを忘れていくのを、防ごうとしてくれていた気がする。
ノイズが聞こえ始めた時も…。
ー「ありがとう…、……、…未来の声は、大丈夫。」
ー「そう…、良かった。…私の声は、聞こえてるんだね。」
あの、残念そうな表情。
本来なら安心してもいいところなのに、彼女は心底悲しそうな顔をした。
あれも、現実を拒否し始めた僕に、危機感を感じてくれていたのだろう。
ー「智明くんと、ちゃんと話したほうがいいと思うよ。」
だから、智明と話すように勧めたんだ。
ちゃんと現実に戻そうと。
智明なら、僕を助けてくれるだろうと、未来はわかっていた。
そして最後に…。
ー「帰ろう。夏輝。」
ー「…未来?」
ー「夏輝には、待ってる人がいる…。きっと、戻った方が良いと思うの。」
ー「…み、未来、…いやだ、僕は…っ。」
ー「じゃあね、…夏輝。」
僕を強制的にログアウトさせた。
待ってる人、恐らく智明に僕を託そうとしたんだろう。
未来が、未来の気持ちとして言ってくれているのか、AIの模範解答なのかはわからない。
ログアウトもチャットにおける追い出しみたいなもので、本当はすぐにでも再ログイン出来たのだろう。
けど、僕は心の整理をするのに、1か月もかかってしまった。
教室で佇む彼女は、この世界に一人で取り残されたような儚さがあった。
僕がいない間、いつもこうして待っていたのだろうか。
一人きりで、この世界を過ごしていたのだろうか。
「夏輝、どうしたの?…何か、あった?」
直ぐに駆け寄ってきた未来の瞳が、不安げに揺れる。
心配する未来をよそに、僕は首を横に振って、いたって普通に返した。
「全部思い出して……、未来に会いに来ただけだよ。」
「……そんな、………どうして…。」
僕が来たことを喜ぶではなく、むしろ残念そうに思っているような、眉を下げて少し青ざめた顔で僕を見る。
来てほしくなかった、と未来の目が物語っていた。
未来の想いは、わかっている。
現実に目を向けてほしいんだろう。
この、作られた世界に囚われず、現実を見てほしいということは、理解している。
「実は、未来(みらい)に見てほしいものがあって…。写真なんだけど。」
「………写真?」
予め、ゲームとスマホを同期しているから、この世界のスマホを開けば画像フォルダを共有することができる。
僕はスマホで田舎の写真を表示して、未来に見せた。
「ほら、前に未来、田舎を羨ましがってたから。僕のおじいちゃん家の畑とか景色の写真。…本当は付あの時に見せようと思って撮ってたんだけど…。」
「わぁ…!すごい自然がいっぱいなところだね。空気が美味しそう。」
僕は横にスライドさせて、畑の写真、じいちゃんの家、収穫した野菜、綺麗な夕焼けの写真を見せていく。
そういえば、翌年、未来が亡くなった年の帰省は、ちょっとした傷心旅行のようで、じいちゃんとばあちゃんがとても優しかった。
元々優しい2人だけど、多分、お母さんとかから事情を聴いたのだろう。
何も聞いては来なかったけど、僕に気を使って甘やかしてるのは直ぐにわかった。
おばあちゃんは僕の好物ばかり作るし、おじいちゃんはやたらと欲しいものを聞いてきたり、お小遣いを余分に渡そうとしてきたからだ。
嬉しい反面、申し訳なくって、心配かけないよう、なるべく笑顔を作っていたけど、バレていたんだろうなぁ。
そんな感傷に浸りながら、僕は目の前に立っている未来を縋るような思いで見つめた。
「…ねぇ、未来(みらい)。…未来(みく)なら…、なんて言うかな…。」
スライドさせる指を止めて、僕は絞り出すような声で未来に聞いた。
スマホを持つ手が震える。
改めて口に出せば、この期に及んで、未来(みらい)を否定するような台詞だ。
自分でも最低だと思う。
情けなくて、居たたまれなくて、顔があげられない。
未来の顔を、直視することができなかった。
「…私も、行ってみたいな!」
明るく笑う未来の反応に、僕は口を噤んだ。
表情も話し方も、未来にそっくりではある。
でも、違う。
さっきまでいろいろと反応を想像していたが、いざ、第三者から反応を予想されて違和感しかなかった。
僕の知ってる未来は、
僕の好きな未来なら、きっと、こう言うんだ。
ー「来年は、私も一緒に行きたい。」って…!
……来年は一緒に、なんて、未来(みらい)が言えるわけがない。
だって彼女は、未来(みく)に似せてるだけで生きている人間じゃない。
この仮想空間でしか生きられない、AIなんだからーーー。
その言葉がストン、と体の中に埋まっていく。
そうだ、未来は生きてない。プログラムされた存在だ。
「…夏輝?」
これからの未来はつくれない。
出来るのは、僕の記憶から作られる未来だけ。
あくまで僕の知っている未来しか、つくれない。
「…そう、だよな…。」
きょとん、としたままの未来にまっすぐ向き直り、僕は深く、頭を下げた。
それでも、僕の心は未来に救われた。
僕の記憶にしかなかった未来を象ってくれたから、僕は疑似的に会話ができて、触れることができた。
思い出だけでは埋められない喪失感を、優しく埋めてくれたんだ。
僕に寄り添ってくれた、未来へ。
大切な人との思い出を、嘘でも、見せてくれた君へ。
「僕の為に、未来(みく)になってくれて、…ありがとう。」
「……夏輝。」
「悲しいからって、現実から目をそらしても何も変わらないのに、僕は現実から逃げていた。」
喪失感は消えない。
選択肢を間違えてしまった罪悪感と後悔も。
一生治らない傷となって僕の心に刻まれているだろう。
それでいいんだ。
消す必要はない。
後悔も、未来への想いも、すべて受け入れる。
忘れる必要なんてない。
それを含めて全部が、未来との大切な思い出だから。
「でも、もう大丈夫。僕を救おうとしてくれて、ありがとう。」
「……うん…、よかった…。」
未来は目を閉じて、静かにぽろぽろと涙を流す。
その姿に、僕はさっきの違和感も忘れて未来を重ねてしまう。
まるで恋人にするかのように、僕は手を伸ばして彼女の涙をぬぐった。
零れ落ちる涙は温かさを残して、音もなく消えていく。
「僕の大切な人(未来)は、ずっと僕達の中で生きてる。」
だからもう、世界は2つもいらない。
未来との大切な思い出は、僕の中にたくさんある。
消えることなく、これからもずっと。
来年も再来年も、僕はもう忘れないだろう。
そして、彼女の中にも、未来はいる。
僕は胸が温かくなるのを感じて、撫でるように手を置いた。
きっと、これでいい。
目を閉じればいつだって、あの愛おしい笑顔が焼き付いている。
僕は一呼吸おいて、ゆっくりと目を開ける。
これで、いい。
これでいいはずなんだ。
自分に言い聞かせるように何度も呟く。
未練を断ち切るように。もう二度と、忘れてしまわないように。
「…さよなら、未来ーー。」
消え入りそうな細い声、けど、確かな決別の意志を含んだ僕の声に、彼女は目を見開く。
ポケットに入れたスマホが数度震える。
一瞬、ポケットに手を入れ取り出そうとして、やめた。
多分、智明からのチャットだろう。
ー「夏輝には、待ってる人がいる…。きっと、戻った方が良いと思うの。」
…あのとき、未来が言った言葉が静かに蘇る。
風のない夜の海のように、ひどく穏やかな気分だった。
隣にいる未来は僕を見て、ほんの一瞬だけ泣きそうな顔をした。
けれど次の瞬間には、いつもの笑顔を浮かべる。
僕の出した答えを、未来(みらい)がどう思ったかはわからない。
わからないけれど、未来の目が「夏輝が出した答えならいいよ。」そう言っているように感じた。
元々プログラムされたAIがそうさせているのか、それとも……。
僕は未来の手を握りしめて、ゆっくりと歩き出す。
ヘッドセットをつけて横たわる僕は、手のひらに乗せたタロを軽く握りながら、自然と笑みがこぼれる。
現実へ向かう一歩なのか、仮想に残る一歩なのか。
僕の踏み出した足がどちらの世界に向いていたのか、まだ僕と未来しか知らない。
