その晩、僕は夢を見た。
未来と連絡が取れなくなった2日後。
下校中、僕のスマホに未来から着信があった。
僕は急いで電話に出たが、聞こえたのは未来ではなく、年上の女性の声だった。


「青山…夏輝くんですか?」

「はい。あの、未来は…?」

「私は、…未来の母親です。」

「え、あ…、えっと、いつも未来さんにはお世話になってます!あ、青山夏輝です。」


僕は焦って、名前を聞かれたのも忘れてもう一度名乗る。
まさかお母さんから電話があるとは思わなかった。
たしか、僕たちが付き合っていることを、お母さんだけは知っているはず。


「こちらこそ、いつも娘がお世話になって…。」


そこで、言葉が途絶える。
電話が切れたわけではない。
周りのちょっとした雑音は聞こえ続けている。
ただ、声が少し、涙声に聞こえた。


「…ごめんなさい…。っ、娘が、一昨日、の夜っ…、く、…車にひかれて…。」


聞こえた言葉に血の気が引いた。
車にひかれた?
…未来が?
僕には何が起きてるかわからず、道端で立ち止まる。


「ーーーーー亡くなり、ました…っ。」


ー頭が真っ白になった。
その後、未来のお母さんと何を話したか覚えていない。
どうやって家に帰ったかも、何もかも。
ただ、未来が死んだ、という事実だけが身体に深く突き刺さった。
実感なんて湧かない。
明日になったら会える気さえあった。
また、いつもの笑顔で「おはよう」って。

翌日、待ち合わせ場所に今日も未来は来ない。
…当たり前だ。
昨日の電話が真実なら、未来がここに現れることは、二度とないだろう。
嘘のはずがない。
だって未来のお母さんから連絡が来たんだ。
わかってる。これは真実で、現実だ。
ただ、どうしても信じられなくて、僕は教室に着いても、未来の姿を探していた。


気づけば僕の目の前には、白い棺と、未来の写真を持った未来の母親らしき人がいた。
棺の中を見たら、もう戻れない。
見たくなかった。
受け入れたくなかった。
未来が、本当にいなくなってしまう気がして。

必死に涙をこらえていたけれど、翌日の花入れで僕は泣き崩れた。
智明がずっと隣で支えてくれたけど、限界だった。
花を入れに行けば、嫌でも目に入る未来の顔。
僕は足元しか見ないようにして、花入れを済ませた。
記念日の日帰り旅行だって、まだしてない。
あんまりだ。
未来が何をしたっていうんだ。
棺の蓋が閉められ、火葬炉に連れて行かれる未来を、僕は直視することが出来なかった。
本当は、あの棺の中身は未来じゃないんじゃないかと、何度も思った。
僕が見た最後の未来は、笑顔でまた会うことを約束していたんだから。
未来は、約束を破るような子じゃないから。

目を閉じれば、何度でも鮮明に思い出すことができるのに。
目を開けば未来の姿はどこにもいない。

未来の死因は轢き逃げによる事故死で、犯人は捕まっていないそうだ。
今ものうのうと、この世界で息をしているんだろう。
未来のお母さん達は、僕の事も気遣ってくれた。
別れ際に、「いつも夏輝くんとどこに行ったって、何して遊んだって、楽しそうに話すの…。本当に…、…本当にありがとうね。」と涙ながらにお礼を言われた。
じわじわと、真綿で首を絞められているような気分だった。
……いっそのこと、「お前のせいで死んだんだ」と、責めてほしかった。
ナイフで刺してくれたらよかった。
言葉でもいい。僕が悪いんだと、言ってもらえたら…。
そうしてくれた方が、幾分も気がマシだった。

ーもっと早く家に帰していれば。
ー僕が家まで送っていれば。
彼女は、死ななかったかもしれない。

僕が、選択を誤ったせいで。
未来は、僕のせいで死んだんだ。
目の前が真っ暗になった。


また気が付くと、以前見た霊園にいた。
目の前には、なかったはずの墓石。
いや、柚原さんも、智明にも、見えていたんだ。
僕だけが、現実から目をそらして、見えないふりをしていた。
自分の意志とは関係なく右手が動き、供えられたお花の横にタロのストラップを置いた。
お線香をあげて、僕は泣きながら手を合わせる。
こんな僕を見て、未来はなんて思うんだろうか。
彼女のことだから、「しっかりしてよね!」なんて、明るく背中を叩くのかもしれない。
きっとそうだろう。
…いつだって彼女は、僕より…ずっと、未来を見ていたから。

これが、本当に夢なら良かったのに。
ただの悪夢だったって、笑い飛ばせれば、どれほど良かっただろう。
信じたくはないけれど、見覚えのあるこの映像。
これは間違いなく、僕の記憶だった。


あれから、現実から逃げるように、僕は毎日未来に会いに行った。
未来はそんな僕のことを見透かしているようだったが、とても優しく寄り添ってくれる。
夏休みに入って、就活の上手くいっていない僕を励ましてくれたり、智明との仲も心配してくれる。
僕の知っている、未来。
その言葉も、考え方も、仕草も全部。
…本物の未来にしか、思えない。

僕にとって、隣にいる彼女はAIなんかじゃなかった。
1人の、感情を持った人間にしか見えなくて、だからこそ僕は心酔した。
それはそうだろう。
だって、この未来は、僕の記憶で出来てるんだから。

今日は2人で、電車に乗って海を見に来た。
夏休みなのに車内は混雑しておらず、僕たちを見つめる人はいない。
海に着いても、海水浴客が数組程度しかいなかった。
そういうプログラムなんだ。
頭ではわかっているけれど、目の前にいる未来が現実だと錯覚してしまう。


「未来(みらい)、付き合わせてごめん、ありがとう。」

「……夏輝、無理はしちゃ駄目だよ。」

「…うん、大丈夫。今はだいぶ、……すっきりしてるんだ。」


未来(みく)はもう、この世界にいない。
彼女がいないことは、ちゃんと理解している。
彼女の死を、受け入れ始めている。
線引きが出来るようになって、精神的にも安定した。

僕は『亡くなった未来に似せたキャラクターをゲームで作って、会いに来ている』んだ。

どんなに揺らいでも、この事実さえ忘れなければ、大丈夫。
……そう、大丈夫な、はずなんだ。


「私は、………夏輝が好きだよ。」


バレンタインに告白をされた時の姿を思い出す。
真っ赤になって、失敗したクッキーを渡してきた未来(みく)。
今、目の前にいるのは夕日に赤く染まったAIの未来(みらい)。
2人は違う存在のはずのに、僕には姿が重なって見えた。
今、目の前にいるのはAIだ。
けれど、ほんの少し、本当は未来の意識が、あるんじゃないかと期待してしまう。
それを何度も何度も繰り返す。
泣きたくなるような目頭の熱さに、下唇を噛んで耐えた。


「だから…、帰ろう。夏輝。」


その声は、いつもの未来と違った。
いや、声だけじゃない。
どこか儚く、寂しい笑顔。
…彼女は、こんな笑顔で笑ったことがあっただろうか。
ふと、目を閉じれば浮かぶ未来の笑顔は、もっと明るく、はつらつとしている。



「…未来?」

「夏輝には、待ってる人がいる…。きっと、戻った方が良いと思うの。」

「…み、未来、…いやだ、僕は…っ。」


何かを悟ったような未来が、僕を優しく見つめる。
きっと、僕の声は未来に届かない。
どうしたらいい…?
未来まで、僕から離れてしまうなんて。
どうして。
焦燥感に胸が締め付けられて、未来の手に縋りつく。


「じゃあね、…夏輝。」


未来は僕を優しく抱きしめた。
最後に聞こえた声は、震えていた気がした。
ふわりと風に舞った彼女の髪が、鼻をかすめる。
仮想空間では、匂いはしないはずなのに、懐かしい香りがして、未来の輪郭を鮮明にする。
本当に、目の前にいる未来はAIなのだろうか?
やっぱりーーー。
何度も否定したのに、それでも淡い期待が胸を打つ。


「……大好きだよ。」


口を開こうとした瞬間、僕は未来の告白と同時に、華奢な手に突き飛ばされた。
掴んでいたはずの未来の手はいつの間にかすり抜けていて、
突き飛ばされた先には真っ暗な暗闇が深く下に続いている。
足場が崩れて落ちる感覚にひゅっと息を飲む。
未来に向かって伸ばした右手は何も掴めずに空を切るも、手の甲に未来の流した涙が触れた気がした。
落下の感覚から、すぐに目の前が真っ暗になり、ベッドで目を覚ます。
…強制的なログアウト、つまり、ゲームから追い出された。
そんなこと、可能なのだろうか。

まるで、未練が残っている僕をわざと突き放すような、あの背中を押す感覚はどこか覚えがある。
泣きながら、笑っていた未来。
最後に触れた彼女からは、どこか人肌のぬくもりを感じた気がした。
そう、思い込みたかったのかもしれない。
僕はベッドに横たわったまま、ゆっくりと目を閉じる。
右手の甲は、ほんの少し湿った感覚がした。