チームジャイレンが泊まっているリゾートホテルへ向かう。自分もチェックインして、ビュッフェで夕食を済ませたところで、トレーニンググッズを抱えた不動と行き合った。
「一緒に和智さんの部屋へ行きませんか。パジャマパーティします」
「パジャマパーティ」
機械的に繰り返してしまう。カーリングシートを出れば合わないことのほうが多い、男子同士で? ……合わない五人が集まるのもこれが最後か。
「シャワー浴びたら行くわ」と、目を伏せて了承した。
その二十分後。空き状況の都合で宛がわれたというファミリースイートを訪ね、「何これ」とつぶやく。
リビングエリアの大画面テレビにスマホをつなぎ、蛇池と皇がオリジナルシミュレーションゲームの対戦版(新機能)で遊んでいる。和智はクイーンサイズベッドに正座で「はい、『しえるくん』のサインを必ず持ち帰ります」と、家族に一泊延長お伺いの電話中だ。その合間に、自主トレする不動の「ふっ! ふっ!」という鼻息が響く。
「てか、皇もパーティ参加してんの意外」
「この人の文句BGMがないと、ゲーム物足りなくて……」
「俺をBGM扱いするな。ほら詰んでるぞ、コンシードするか?」
「ふふふ、こうなってこうなる」
「はあ? これパラメータ設定が間違ってるだろ!」
蛇池と皇がソファの端と端で言い合い始めた。
苦笑しつつ、リビングテーブルに座る。売店で買って冷やさないでおいた地ビールを味わう。
(美味いけど、苦い)
チームのSNSに載せる、最後の挨拶文を練ろうと、手帳を開く。だが捗らない。先にWINNERSの分析レポートに取り掛かることにした。
北見カップでは一人部屋だったので、新鮮だ。ただそれぞれ別のことをしているほうが多く、相変わらずというか何というかで、時間が過ぎる。
和智が「さすがにそろそろ寝よう」と号令をかけたが、皇さえ自室に戻らない。誰がどのベッドを使うかでまたひと悶着したのち――今日試合に出ていないからと狭いソファベッドへ追いやられた――消灯する。
軽井沢の夜は静かだ。闇の色も濃い。室内は温かく保たれている。
しかし寝つけない。
(このまま夜が明けてほしくない。なんてな)
見えない天井を眺めていたら、
「最後までスキップでいさせてくれて……ありがとう」
と蛇池の声が聞こえてきた。
礼を言ったのだ。あの蛇池が。角鹿に宣戦布告される前の続きか? 実質解散だから?
くすぐったさとさみしさがせめぎ合う。音を立てないようベッドエリアに頭を向ければ、他の三人も寝たふりすべきか迷う空気が感じ取れた。
「俺は最高のスキップに、他の誰より信頼されるスキップになりたいんだ」
その間にも蛇池の独白が続く。
ひとつ思い違いに気づいた。「最高」とは、世界選手権やオリンピックチャンピオンという意味ではなかった。それも含むが、勝敗だけでは決まらない。
「あのさ。なんでそこまでスキップにこだわんの?」
思わず沈黙を破った。ごそ、と蛇池が身じろぐ。
「スキップは成功も失敗も、……メンバーの努力も想いも弱さも夢も、すべてを背負うポジションだからだ」
(四月の時点より、「すべて」が具体的になってる。このチーム仕様になってる、よな?)
「北海道WINNERSは、海外では『TEAM TSUNOGA』と認識されてるもんね。僕も『佐々木のチームのサード』って今でも言われるよ」
しみじみジャイレンぶりの進化を実感していたら、和智も話に加わった。
「違う言い方をすれば、他のメンバーは名前が残らない。それでも任せると思えるのがスキップって存在なんだ。俺は、氷を読みきれないぶんはショットで埋める、勝つための指示を出してるんだから聞け、ってスタンスだった。角鹿がいるから俺は要らないんだろって見ないふりしてたが、それじゃ信頼されないよな」
「うん、ぜんぜんできなかった……最初はね」
皇もついに口を開く。かと思うと、
「福富もだいぶ信用できなかったがな」
蛇池に流れストーンをぶつけられた。がばりと上体を起こす。
「何だよ。負けたあと妙に物分かりよかったの、素人背負わなくてよくなってせいせいしたからか?」
「……」
「黙るな」
惜しんでいるのは自分のみか、と枕を投げる。あっさりキャッチされた。
「そっちが、勝ちを掴めなかったスキップになんてもう任せられないだろ」
「むぁ?」
三倍の勢いで投げ返され、すぐ反論できない。
「自分たちは、『ジャイレンさんには任せられない』などと一言も言っていません」
代わりに不動が、全員の気持ちを代弁してくれた。
蛇池め、この期に及んで何を言い出すのだ。
「『蛇池蓮』は、譲らないし諦めない。早々に諦めて逃げて取り繕ってきたオレとは違うんだよ。おまえはオレの夢だ」
「あんたこそ、現実見て折れるところは折れて結果出そうとしてたろうが。俺はそれが長いことできなかった。それにあんたの口出しのおかげでこのチームを続けられた。言うほど価値なくないぞ」
「い、う、うん?」
蛇池の読み違いを指摘したはずが、思わぬ方向から返されて口ごもる。
七か月のうちに、彼の「福富評」がそんなふうに変わっていたとは。自分が蛇池を眩しく思うみたいに、蛇池も自分に一目置いてくれていたらしい。
冷たくないのに、むず痒い。
「自分の名前が残らなくとも、明日も蛇池くんに任せるってことでいいかな?」
和智が、修学旅行の見回りの先生にも似た、ほんわかした声色でまとめた。暗闇から「……うん」「ええ」と聞こえる。自分も「はい」と続く。
「このチームのスキップに相応しくあれるよう、努めます」
蛇池が請け合う。
「ていうか、ジャイレンをスキップに置けるチームはうちくらいっしょ」
「あんたは一言多いんだよ」
効率の悪いことでもやり続ければ、いつか自分を変えられる。
記録に残らずとも、そう証明して終わろう。
翌朝カーリング場に出向くと、角鹿がシート中央でピンク髪をひらめかせて踊っていた。
「アイドルライブ?」
「アイスメイクだ。俺たちも手伝おう」
よく見たらマイクでなく水を撒く道具を持っている。蛇池は角鹿の振る舞いにも慣れた様子だ。
WINNERSのメンバーは若干戸惑いを浮かべていた。急きょの軽井沢入りのせいか動きも青いジャージもくたびれ気味に見える。
だが蛇池が視界に入るなり、ちりっと火花を散らす。「俺が正しい」モードの蛇池から受けた被害をまだ忘れていないのだろう。
彼らは日本ジュニア王者で、夏に海外修行も経た。その上、元チームメイトという因縁がある。厳しいゲームになりそうだ。
顔にマフラーをぐるぐる巻く。和智がフィフスに回ってくれた。チームジャイレンのセカンドとして、持てる力を出し切ろう。
(勝敗関係なく、って言いたいとこだけど。勝てたらもっと楽しいんだよな)
ペブルが整った。
練習試合ながらコイントスやじゃんけんでなく、LSDで先攻後攻を決める。
チームジャイレンの代表はもちろん蛇池だ。WINNERSはリードが進み出る。リードはドローショットが得意な選手が多い。
職人風の佇まいの彼が放った赤いストーンも、蛇池の黄色のストーンも、ハウスの中心近くに並ぶ。
わずかな差で蛇池が上回り、後攻を選択した。
「これで、三ミリのトラウマが上書きされるといいけど」
ひそかに気遣う。しかしそんなもの無用だった。
「ヤップ! ヤーップ! 皇、まだ寝てんのか!?」
第一エンドの一投目。左右のシートで練習するチームや体験教室の参加者がぎょっとするほどの怒号が響く。皇が「いじめられました」という顔でこちらを見てきた。
(「オレに言いな」って言ったし、な)
スイープを終えてハウスのそばにいたのもあり、咳払いする。気は進まないが口を出そう。
「まだ寝れてないが正しい。不動のいびきがひと晩中すごかったじゃん?」
「知らん。俺は寝れた」
しかし不動を売っただけで終わってしまった。
「よしよし天空」
「いやおまえなのよ」
謎褒めを発動した不動も巻き込み、ぎゃいぎゃい言い合う。ラストゲームの感傷に浸る間もない。
まあ、このほうがチームジャイレンらしいか。タイマー役を務める和智も止めに入らない。
むしろWINNERSの太腕セカンドと、数学の先生然としたサードの気が散ったようで、ストーンが角鹿の指示とずれた。それもあって二点先制する。
だが第二エンド、即二点取り返された。ミスを引き摺らないし順応が早い。第三エンドも、後攻のチームジャイレンが最低限の一点取らされる形になる。
(3‐2でうちが勝ってても、流れ掌握してるのは向こうって感じだな)
第四エンドは不動が豪快なテイクアウトショットを決め、WINNERSにストーンを溜めさせない。流れを引き寄せたかと思いきや、角鹿はさくっと狙いを切り替えた。ハウスをきれいにしていく。
(ブランクエンドは勘弁して。八エンドゲームだし、先投げ続きは守ってばっかに錯覚する)
手を合わせて拝んだ。守る側は気持ちの疲労も大きい。気持ちが疲れると判断力も鈍る。
「ライン、いえす」
角鹿は「なじらね」「したっけね」くらいのトーンで言う。WINNERSのコミュニケーションは最低限だ。でも行き違いは起こらない。
蛇池がフリーズさせた黄色いストーンと、もともとあった赤いストーンをまとめて弾き出されてしまう。ハウスに他のストーンはない。「うぐぐ」と胃を押さえた。
「あっちのラインも使えたんだねえ」
ハーフタイムに入るや、和智が感嘆まじりにシートを振り返る。テイクアウトが可能なラインはガードによって狭めておいたのだが、想定と異なる角度からぶつけられた。
「氷ちゃんが照らしてくれた花道ですよ~」
非公式戦なのもあって、角鹿が屈託なく答える。
後半の作戦を確認するためすぐWINNERSの輪に戻ったものの、蛇池はしきりに角鹿とシートを見比べた。氷の声が聞こえるという感覚を、技術としてどうにか盗めないかという顔だ。実は前半エンド、角鹿が背後霊のように蛇池の指示ぶりを見つめていたのだが、気付いているのやらいないのやら。
(角鹿に苦手意識とか、何なら嫉妬とかあんのかなって思ったけど、違うな。カーラーとして評価してるし、理解し合えてる。ポジションさえかち合わなきゃ)
蛇池は自分をスキップとして信頼してくれるチームを求めた。角鹿は蛇池を盲信すらしているが、角鹿がいると他のチームメイトは角鹿の才能のほうを取る。
「そうじゃないのが、チームジャイレンだった……や、過去形やめよう」
独り言を切り上げた。
第五エンド、再びWINNERSの後攻。
チームジャイレンはWINNERSの作戦を阻止しようともくろむも、逆に利用されてしまう。
「オレのストーン、ヒット・ロールに使われた! どうしよ?」
「だから今考えてる」
タイマーもチームジャイレンの持ち時間ばかり減っていく。
(手の内ってか、蛇池の選択の癖がばれてるわ、完全に)
蛇池が険しい表情になるほど、角鹿はほくほくと楽しげだ。蛇池が示した二投目の目印にも、隣で大きく頷いてみせる。どちらの味方かわからない。
ハック側の自分たち三人は、首を横に振った。
「理論では可能ですが、人間は理論並みにはできません」
不動がサイボーグめいた台詞で再考を促す。しかし蛇池は指示を変えない。
「このラインは前半一回使ってる。うちのセカンドでも投げれる」
「失敗してもぜんぶあの人のせいってあの人が言ったんだし、いんじゃない?」
皇が眼鏡を押し上げた。言葉と裏腹に、レンズ越しの目はわくわくしている。難しいが面白いショットに挑戦したくなったのだろう。
「練習ゲームだし、攻めっか」
ストーンを持つ自分の一言が決め手になった。和智仕込みのフォームで滑り出す。
狙いはガードの後ろに隠れる、カムアラウンド。ハウス中心に置ければ相手はこのストーンを無視できず、対応に一投費やすことになる。
「ヤップ」
不動と皇がブラシを使う。間近でストーンの曲がり具合を見て、強弱をつけて掃く。
ハウスに差し掛かるまではよさそうに見えたが、ハウス内で急に失速した。もう少し伸びてほしいが叶わず、ガードからストーン半個分はみ出してしまう。
「テイクアウトしてくださいって言ってるようなもんだわ」
片膝を抱えて嘆いた。
実際、角鹿が耳を澄ませる仕草をしたのち、可愛い微笑みを浮かべてちっとも可愛くない指示を出す。相手のサードがきっちり応えた。
(ううっ、うちのはみ出たやつをテイクアウトついでに、外側の青丸に残してたやつまで弾き出した上に、ショットストーンはナンバーワンの位置に残すとか……!)
最後の蛇池のショットをもってしてもリカバリーできない。
三失点。3‐5と一気に逆転された。
WINNERSの職人リードが、「勝つのは俺たちだ」とつぶやく。彼らとしても現体制のほうが強いと証明したいのだ。
蛇池は目を逸らさないが、肩が上下して苦しげだ。
その肩に、皇が骨張った肩をコンとぶつけた。
「さっき投げたのの他にも、ラインつくっといたほうがいいかも……」
「シートの湿度、下がってきてます」
「で、次のエンドはどうすんの?」
不動と自分もハックに向かいがてら、蛇池に声を掛ける。
蛇池はよろめいたまま固まっている。「失敗したのに頼ってくれるのか」という顔で。
「頼りにしてるに決まってるだろ」
大きめの声で口出しせざるを得ない。
最高のスキップには、「なる」だけでなく「してもらう」ラインもある。
あと三エンドのうちに蛇池にも伝わりますように、と念じる。そうしたらチームジャイレンの存在意義もあったと言える。
第六エンドは一点確保した。
第七エンド、後攻のWINNERSは再びビッグエンドにしてとどめを刺そうとしてくる。
「そうはさせるか」
蛇池が今度は不動に、カムアラウンドの指示を出す。
「ヤーップ!」
「ヤップ!」
前から蛇池の、後ろから不動の声が飛んでくる。銭湯仕込みのスイープの見せ場だ。体重を掛けて掃く。転ぶ不安はない。たとえ転んでも蛇池が何とでもしてくれる。
「ぐおおお……!」
ストーンはハウスに入っても粘りの伸びを見せ、目印どおりの位置に止まった。
リベンジ成功。一失点に抑えた。
4‐6、ついに最終エンド。二時間があっと言う間だ。楽しい時間は早く過ぎる。
「ビッグエンドにするよね……?」
「守るもんないしな」
「勝ちましょう」
「最後は俺に任せろ」
チームジャイレンは短い作戦会議ののち、ハウスとハックに分かれた。シンプルでいい。
ハウス側は、両チームのスキップふたりきりになる。声が聞こえて振り返る。
「ちょっと攻略に時間掛け過ぎましたかね」
「……? そっちの持ち時間は余裕だろ」
ちょこんとしゃがむ角鹿に、二拍遅れて蛇池が反応した。
「でも、追われたら逃げるものじゃないですか」
蛇池がますます首を傾げる。
その隙に、いやらしくガードを置かれた。角鹿の間に翻弄されている場合ではない。
皇に、ガードを動かす指示が出る。弾き出してはいけないが、動かすのは構わない。
「はいはい」
皇は気負いのない、ゆったりとやわらかな身のこなしで役割を果たした。
自らの二投目を見届け、「……あんたとのカーリング、楽しいよ」とはにかむ。
「し、天空天空福レンさん!」
聞きつけた不動が、スイープ終わりでハウス側にいたのをよいことに、蛇池と自分に飛びついてきた。すぐさま角鹿に(主に蛇池が)引き剥がされたものの、全身で喜んでいる。
「嬉しいよな、不動。皇も」
こちらまで頬がゆるむ。つまんないと挫けた皇はもういない。気づけなかったと悔やむ不動も。
自分も続こうと、ハックへ向かう。
体験教室の子どもたちが、隣のシートでジュニアトップレベルのゲームが繰り広げられているのに気づき、じいっと見てくる。いちばんのヒーローになった気分で、人差し指を立てた。
「見ててみ。この黄色いストーン、あの赤いストーンにぴったりくっつける」
蛇池が出した最後の指示は、フリーズだ。
こっちが素人とか関係なく、この場面で必要なショットを求めてくる。
(まあ期待されないよりいいけど)
息を吐く。他の何かには応用できない、それでも磨いたデリバリーのスキルを披露する。
子どもたちの頭が、ストーンの行方を追って一斉に動く。何人かはシートの境を並走した。
ラインはいい。ウェイトも悪くない。
四十メートル先で、「ほんとにくっついた!」と子どもたちがぴょこぴょこ跳ねた。
ハウスの後ろで見守る和智が、はしゃぐ彼らにグータッチしてあげている。
マンツーマン特訓中、こちらが最低限とか考えていても、怒らず見捨てずいてくれた。楽しさの半分は彼が教えてくれたと言っても過言ではない。
「男子カーリングの盛り上げは道半ばになっちゃいましたが、ガクチカ関係なく布教し続けますね」
ハウスにストーンを溜めて、不動につないだ。
不動の強面にはセンチメンタルの欠片もない。「北国のエリート」から逆転勝利をもぎ取るべく、ハウスの配置を整えてみせる。
とても彼らしい、と思いきや。
「あの」
「うん?」
「ハイタッチしてもいいでしょうか」
「はは、聞くまでもないよ。……!」
利き手腫れ上がり間違いなし。だが、単に力が強いだけでなく好意がこもっていたので、「痛ってえ!」と叫ぶのは耐えた。
次はいよいよ、両スキップのショットだ。
蛇池が先攻の角鹿に、視線で圧を掛ける。「手加減するな」と。角鹿は対戦相手としてこの圧を受けるのははじめてだろうに、こそばゆそうに笑っている。
(無関心よりいいみたいな? 天才わからん)
角鹿の一投目。
ドロー・レイズを決める。ナンバーワンストーンがこちらの黄色から相手の赤に替わった。
このナンバーワンを押し出しても一点しかあげませんよ、という置き方だ。
それに対して蛇池の一投目、バイスの不動は、ナンバーワンとは違うストーンの横にブラシを置く。
たちまち皇が「こんなのあり?」とまくし立ててくる。かなり面白いラインのようだ。
「昨日のシミュレーションゲームで俺が選んだろ。現実でも俺なら決めれる」
当の蛇池は、満更でもなさげにストーンのハンドルを握った。
「ラインイエス」
速めのウェイトで進んだ黄色のストーンは、赤いストーンに当たる。二手に割れてそれぞれ別のストーンを動かす。絶妙な位置で止まった。
「お、おお? ナンバーワン・ツー・スリー黄色だ! あれがこうなるか」
ハウス配置をまじまじ見る。一気にビッグエンドチャンスだ。
角鹿は肩を竦めた。困ったときの仕草だが、表情はまったく困っていない。
角鹿の二投目。ハックの十メートル先、ショット時にストーンから手を離さねばならないラインぎりぎりにしゃがみ、再び耳に手を当てた。
WINNERSのメンバーは粛々と待っている。
角鹿が立ち上がり、確定ファンサみたいにハウスを指差す。WINNERSのサードがそれに合わせて目印のブラシを置いた。
角鹿がすべてを決めるスタイルらしい。
「……あれでいいんだな?」
蛇池が思わせぶりに訊く。WINNERSのスイープ役二人は「妨害は反則だべ」と角鹿を守った。自分たちのスキップに絶対の信頼を置いている。
「はい。氷ちゃんと話し合いました」
全責任を背負った角鹿は、自分の判断を貫いた。
放たれた赤いストーンは、わずかに弧を描き、ハウスの外側の円上にあったナンバースリーストーンを弾き出す。角度が変わり、ハウスの中心へ向かう。
ナンバーワンを取りつつ、チームジャイレンの黄色いストーンにフリーズした。
ふつうにスーパーショット。
(角鹿のやつ、ショットも巧くなってるな!)
頭を抱える。夏の大会のデータをまとめた結果、角鹿のショット成功率が昨冬より上がっていた。
でも、うちの蛇池だって進化している。
黄色いストーンはハウス内にふたつ残っていた。ショットストーンと合わせて三得点を狙える。
「理論ではな。いや、理論でも難易度やばいわ」
相手の赤いストーンも、中心近くのナンバーワンとスリーのふたつだ。
「ふたつともテイクアウトしないと。フリーズされてる黄色のナンバーツーも巻き添え食うけど、相手より内側で食い止めれば、三点だ。でも……」
ぶつぶつ言うのを、やめた。
それでも挑戦するしかない。最終エンドの最終ショットだから。
不動が目印を示す。皇がブラシの柄に顎を乗せ、和智はちょいもち笑いを浮かべ、蛇池を見ている。もちろん自分も。
気安く、当たり前に、「任せるよ」と。
記録に残らなくとも、この瞬間は確かにあった。
冷気の中、蛇池がかすかに笑う。
すぐ真剣な顔になり、ハックを蹴った。黄色いジャージの背中に、自身の名とチームメイトの信頼を乗せて、ストーンを押し出す。
やっぱりカーリングは偏っていると思う。他の三人も十ショット以上してきたのに、スキップの最後の一投ですべてが決まる。
他のメンバーは何をしているかというと。ブラシを握り締めてストーンを追いかけながら、祈る。
(弾き出してくれよ。自分がいる意味なかったって諦めを。おまえに任せるのは間違いとかいう他人の言葉を)
ラインもウェイトも、氷にガイドが書いてあるわけではない。ストーンに目盛りがついているでもない。身体の感覚がすべてだ。
(ただの石じゃない、おまえに任せたストーンで、二重丸に飛び込め)
ストーンが滑っていく音、スイープの指示の声、ブラシでペブルを擦る自分たちの息遣いが飛び交う。
十五秒の間に、思考も動作も状況もめまぐるしく変わる。
そして、ひとつに収束する。
「おまえはうちの最高のスキップだ!」
嗤われても嫌われても勝とうとする姿を、何かを掴もうとする姿をこそ、人は信じる。
ゴッ。相手のナンバーワンストーンに斜め横から当てた。ナンバースリーにも玉突きでぶつかる。
ハウスの外までは押し出しきれない。それでも自分たちのストーンより外側まで動かせればいい。
ショットストーンは強くスピンして、内側に踏み留まろうとする。
残れ。ここにいると、示せ。
すべてのストーンが止まった。全員でハウスを覗き込む。
――渾身のダブルテイクアウト、成功したか?
「ぶわぇっくしょおんぉん!」
「うちのメンバーのくしゃみで一ミリ動いたかもしれん」
「ひひ。それでもナンバースリーまで、黄色ですね。蓮先輩のショット、ほんとうに大好きです」
誰の目視でも明らかだった。
蛇池は、強さも正確さも要するショットを、決めてのけた。
いち早く認めた角鹿に続き、WINNERSのメンバー三人が、唇を真一文字に引き結びつつも、蛇池とチームジャイレンを称える手を差し出してくる。
「……次は勝つ」
7‐6。チームジャイレンの逆転勝利だ。
非公式戦とはいえ、日本ジュニア王者に、勝った。
「ナイスゲーム、皇、不動、ジャイレン、和智さん! っと」
ハイタッチしようとして、シート脇に置いていた鞄を蹴ってしまう。愛用の手帳が転がり出た。
よりによって「一年で最強のガクチカつくる!」と書いたページが全開になる。
「あわわ」
今となっては稚拙で居たたまれず、手帳に覆い被さる。
それでやっと、書いた覚えのない字が足されていると気づいた。
[力入り過ぎ][ダイヤモンドさん][面接では一言減らせ][つくれるよ]
いつの間に落書いたのか。
この不意打ちのせいで、目の奥がじわりと熱を持つ。
「あのさ……オレ、大手に就職するから」
勝ち組人生に乗るためではなく。
「そしたら、もう一度集まってくれませんか?」
この五人でまたチームになりたい。夢を見続けたい。会社にチームをつくってもらえば何とかならないか。
願いが溶けて溢れて、頬を伝った。拭っても拭っても止まらない。遠くても、それこそ夢物語でも、約束が欲しい。
今も利害関係だったら、こんな情けない事態にはならなかったのに。
「くしゃみしたり泣いたり、忙しいやつだな」
蛇池がタオルを押しつけてくる。皇もそばに来て、不動は眉じりを下げ、和智は優しく微笑む。
「練習相手、ありがとうございました。次の日本ジュニア選手権で再戦しましょう」
角鹿だけ空気を読まず、笑顔で煽ってきた。日本選手権の出場権を、チームジャイレンは得られなかった。つい昨日その目で見ただろう。
……日本ジュニア選手権?
洟水を啜る。同時にポケットのスマホが震えた。
都協会からのメールだ。
「日本ジュニア選手権、関東予選エントリー開始のお知らせ」
理解が追いつかず、機械的に読み上げる。途端、チームジャイレンのメンバーが目を見合わせた。
「エントリー間に合うの……」
「日本ジュニアは目指さないのかと思っていました」
「僕は年齢制限越しちゃうけど、君たちは出られるよね。それで今日この四人でプレーしてもらったんだよ」
「え、でもオレも来年二十歳越えますよ」
「世界基準で年度は七月に切り替わるから、六月三十日時点で二十歳だったらOKだよ」
「え!?」
自分は八月生まれだ。蛇池もまだ酒解禁していない。ということは――。
「蓮先輩、そのつもりでこのメンバー集めたんじゃなかったんですか?」
角鹿が悪戯っぽく笑う。
それならそうと言ってくれれば。泣きの約束が茶番ではないか。
「昨日の夜はそんな気分でなかったというか……付き合ってくれないかと……」
同じくらい気恥ずかしい発言を連発した蛇池が、憮然と言い訳する。
「そこはジャイレンでいろよ」
「はあ? あんたが解散って言い出したんだろ」
お決まりの言い合いが始まりかけたものの、不動の太い腕に阻まれた。
「では、解散しないんですね!」
四人まとめて抱き込まれる。蛇池と頭をぶつけてフリーズを余儀なくされた。和智は潰れながら喜んでいる。皇も甘んじて他人との密着を受け入れる。
大逆転が、立て続けに起こった。
チームジャイレンの夢は、まだ終わらない。
蛇池がぎゅうぎゅうにされたまま、口を開く。
「俺は日本ジュニアにも、このチームで出る。来シーズンも、」
「言わないでください」
しかし角鹿が遮った。その声はかすかに震えている。
「十年でも二十年でも、ぼくは待ちたいので」
彼は返事ではなく、蛇池自体を待っていた。
チームジャイレンという、合わなさぶりが逆に合うチームが結成されたことが、天才である彼唯一の読み違いだったかもしれない。
帰京するSUVの中は、五人が「チーム最後の一日」と思い込んで放った名言の本音度ナンバーワンを決める言い合いで白熱した。
◎
「なじらね? 日本は今何時ですか~。ちょっとだけ会いにきました」
――世界ジュニアB前の調整、順調?
「たくさん合同ライブしましたよ。負けのほうが多いですが、負けるのも楽しいです。って言ったら変かな?」
――フィンランドでのTMI教えて
「う~ん。あ、地元のおじさんたちが応援ツアー来てくれたんですけど。『年末年始飲みに来んか』ってくだ巻いてましたよ、先輩。見てるしょ?」
◎
十二月。クリスマスに忘年会にと、街の空気が浮き足立つ。
今日はその中でも一大イベントの日なので、パテッドジャケットの下に黄色いジャージという出で立ちで、夜の街を急ぐ。
蛇池が一人暮らしするアパートに押し掛けた。
「ぶわぇっくしょおんぉん、お疲れ」
福富湯に劣らず年季の入った、木造二階建て。六畳の和室にはすでに先客がいる。
「うるさ……今のでWi-Fi吹き飛んだ」
「ピザのダブルテイクアウトありがとうございます」
皇と不動の高校生組が、スマホと十七インチの外付けモニターをつないでいた。
画面には白く眩しいカーリングシートが映し出される。
今日は、世界ジュニアB選手権の最終日だ。
「もうこのハウスには座るところない。玄関にでも立ってろ」
「は? ピザだけ要る、とかなしですけど」
『美味しそう、お腹が鳴って教授に気づかれそうだよ』
蛇池のスマホに、大学の授業中の和智が映る。遠隔ででも観戦したいらしい。
じきに始まる三位決定戦に、北海道WINNERSが登場する。勝てば二月の世界ジュニア本戦の出場権を得られる。
大一番だが、日本での地上波放送はない。英語解説しかない大会公式配信でもいいから観よう、と集まったというわけだ。
「不動、これ大学合格祝い」
冷たい家主は置いておいて、シャンメリーを手渡す。彼は無事に内部進学基準を満たし、希望学部に合格した。「ありがとうございます」と受け取り、片手でポンッと栓を開けてのける。
「そう言えばサイン大丈夫だった……?」
その音に紛れ、皇がビデオ通話中の和智に声を掛けた。少しそわそわした顔だ。
和智の母が「しえるくん」のゲーム配信の大ファンで、コーチとしてもう一年チームに関わるのを、皇の直筆サインで許可してもらったそうだ。
もちもち笑顔とサムズアップが返ってくる。父親の快復も順調とのことで、よかった。
チームジャイレンは、二月に行われる日本ジュニア選手権関東予選に向けて、練習を続けている。
「てか皇家、スポンサーやんない?」
「パパもママンも、順位とかポジションとか買収したっぽくなるから、おれがやってることには投資しない主義……」
「くっ、良い親御さんで甘えらんないわ」
自動車メーカーに今シーズンの目標変更を伝えてみたが、契約継続にはならなかった。
一から営業し直しだ。でも簡単には諦めない。チームジャイレンの未来の一部が自分に懸かっていると思うと気合が入り、むふんと鼻息を吹く。
「ジャイレン、カーリングに興味持ってくれた後輩もここ呼んでい?」
最近は大学で布教もしていて、いつメン飲みの後輩が「今度観てみたいです」と言ってくれた。
「いいわけないだろ」
「LINE来た。[行けたら行きます]」
『それ来ないときの言い方だねえ』
調子のいいやつめ。口を尖らせていたら、追い言い訳LINEが来る。
「ん? このアイコンって」
いや――久遠からだ。広研のグループLINE以外でメッセージを送り合ったことはない。何ごとだ。
[もしうちの代理店の早期採用面接あったら、受けるか]
唐突な問い。だがすぐ答えられた。
[受けない。もう一年、オレだからできる楽しいことやりたいから]
四月の自分とは正反対の、でも心底ではこう言えたらと願っていた、答えを打ち返す。
[別に早期採用ないけどな]
「ないのかよ!」
つい声が出た。何という肩透かし。
カーラーとしての技術はまだまだだ。それでも、このチームには必要とされていると言ってもいいと思う。最強のガクチカよりもかけがえのないものを得られた。
WINNERSの選手がシートに現れた。みな食い入るようにモニターを見つめる。
「二月の関東予選を勝ち抜いたら、三月の全日本ジュニアで再戦できるんですよね」
「うん。てかオレたちを優勝させてくれるだろ?」
新しくおろした手帳を開きつつ、蛇池を振り返る。
なぜかコートを羽織っていた。
「やっぱり福富湯でスイープの練習する」
ただ観ているより、身体を動かしたくなったらしい。
「しょうがないな」
自分も立ち上がる。乗っかったからには付き合おう。
三十分後。福富湯の休憩エリアに置かれたモニターでは世界を切り拓くストーンが、貸し切り状態の洗い場ではチームジャイレンの夢の続きを乗せた洗面器が、それぞれすーっと滑り出す。(了)
※実在の地名等も出てきますが、すべてフィクションです
「一緒に和智さんの部屋へ行きませんか。パジャマパーティします」
「パジャマパーティ」
機械的に繰り返してしまう。カーリングシートを出れば合わないことのほうが多い、男子同士で? ……合わない五人が集まるのもこれが最後か。
「シャワー浴びたら行くわ」と、目を伏せて了承した。
その二十分後。空き状況の都合で宛がわれたというファミリースイートを訪ね、「何これ」とつぶやく。
リビングエリアの大画面テレビにスマホをつなぎ、蛇池と皇がオリジナルシミュレーションゲームの対戦版(新機能)で遊んでいる。和智はクイーンサイズベッドに正座で「はい、『しえるくん』のサインを必ず持ち帰ります」と、家族に一泊延長お伺いの電話中だ。その合間に、自主トレする不動の「ふっ! ふっ!」という鼻息が響く。
「てか、皇もパーティ参加してんの意外」
「この人の文句BGMがないと、ゲーム物足りなくて……」
「俺をBGM扱いするな。ほら詰んでるぞ、コンシードするか?」
「ふふふ、こうなってこうなる」
「はあ? これパラメータ設定が間違ってるだろ!」
蛇池と皇がソファの端と端で言い合い始めた。
苦笑しつつ、リビングテーブルに座る。売店で買って冷やさないでおいた地ビールを味わう。
(美味いけど、苦い)
チームのSNSに載せる、最後の挨拶文を練ろうと、手帳を開く。だが捗らない。先にWINNERSの分析レポートに取り掛かることにした。
北見カップでは一人部屋だったので、新鮮だ。ただそれぞれ別のことをしているほうが多く、相変わらずというか何というかで、時間が過ぎる。
和智が「さすがにそろそろ寝よう」と号令をかけたが、皇さえ自室に戻らない。誰がどのベッドを使うかでまたひと悶着したのち――今日試合に出ていないからと狭いソファベッドへ追いやられた――消灯する。
軽井沢の夜は静かだ。闇の色も濃い。室内は温かく保たれている。
しかし寝つけない。
(このまま夜が明けてほしくない。なんてな)
見えない天井を眺めていたら、
「最後までスキップでいさせてくれて……ありがとう」
と蛇池の声が聞こえてきた。
礼を言ったのだ。あの蛇池が。角鹿に宣戦布告される前の続きか? 実質解散だから?
くすぐったさとさみしさがせめぎ合う。音を立てないようベッドエリアに頭を向ければ、他の三人も寝たふりすべきか迷う空気が感じ取れた。
「俺は最高のスキップに、他の誰より信頼されるスキップになりたいんだ」
その間にも蛇池の独白が続く。
ひとつ思い違いに気づいた。「最高」とは、世界選手権やオリンピックチャンピオンという意味ではなかった。それも含むが、勝敗だけでは決まらない。
「あのさ。なんでそこまでスキップにこだわんの?」
思わず沈黙を破った。ごそ、と蛇池が身じろぐ。
「スキップは成功も失敗も、……メンバーの努力も想いも弱さも夢も、すべてを背負うポジションだからだ」
(四月の時点より、「すべて」が具体的になってる。このチーム仕様になってる、よな?)
「北海道WINNERSは、海外では『TEAM TSUNOGA』と認識されてるもんね。僕も『佐々木のチームのサード』って今でも言われるよ」
しみじみジャイレンぶりの進化を実感していたら、和智も話に加わった。
「違う言い方をすれば、他のメンバーは名前が残らない。それでも任せると思えるのがスキップって存在なんだ。俺は、氷を読みきれないぶんはショットで埋める、勝つための指示を出してるんだから聞け、ってスタンスだった。角鹿がいるから俺は要らないんだろって見ないふりしてたが、それじゃ信頼されないよな」
「うん、ぜんぜんできなかった……最初はね」
皇もついに口を開く。かと思うと、
「福富もだいぶ信用できなかったがな」
蛇池に流れストーンをぶつけられた。がばりと上体を起こす。
「何だよ。負けたあと妙に物分かりよかったの、素人背負わなくてよくなってせいせいしたからか?」
「……」
「黙るな」
惜しんでいるのは自分のみか、と枕を投げる。あっさりキャッチされた。
「そっちが、勝ちを掴めなかったスキップになんてもう任せられないだろ」
「むぁ?」
三倍の勢いで投げ返され、すぐ反論できない。
「自分たちは、『ジャイレンさんには任せられない』などと一言も言っていません」
代わりに不動が、全員の気持ちを代弁してくれた。
蛇池め、この期に及んで何を言い出すのだ。
「『蛇池蓮』は、譲らないし諦めない。早々に諦めて逃げて取り繕ってきたオレとは違うんだよ。おまえはオレの夢だ」
「あんたこそ、現実見て折れるところは折れて結果出そうとしてたろうが。俺はそれが長いことできなかった。それにあんたの口出しのおかげでこのチームを続けられた。言うほど価値なくないぞ」
「い、う、うん?」
蛇池の読み違いを指摘したはずが、思わぬ方向から返されて口ごもる。
七か月のうちに、彼の「福富評」がそんなふうに変わっていたとは。自分が蛇池を眩しく思うみたいに、蛇池も自分に一目置いてくれていたらしい。
冷たくないのに、むず痒い。
「自分の名前が残らなくとも、明日も蛇池くんに任せるってことでいいかな?」
和智が、修学旅行の見回りの先生にも似た、ほんわかした声色でまとめた。暗闇から「……うん」「ええ」と聞こえる。自分も「はい」と続く。
「このチームのスキップに相応しくあれるよう、努めます」
蛇池が請け合う。
「ていうか、ジャイレンをスキップに置けるチームはうちくらいっしょ」
「あんたは一言多いんだよ」
効率の悪いことでもやり続ければ、いつか自分を変えられる。
記録に残らずとも、そう証明して終わろう。
翌朝カーリング場に出向くと、角鹿がシート中央でピンク髪をひらめかせて踊っていた。
「アイドルライブ?」
「アイスメイクだ。俺たちも手伝おう」
よく見たらマイクでなく水を撒く道具を持っている。蛇池は角鹿の振る舞いにも慣れた様子だ。
WINNERSのメンバーは若干戸惑いを浮かべていた。急きょの軽井沢入りのせいか動きも青いジャージもくたびれ気味に見える。
だが蛇池が視界に入るなり、ちりっと火花を散らす。「俺が正しい」モードの蛇池から受けた被害をまだ忘れていないのだろう。
彼らは日本ジュニア王者で、夏に海外修行も経た。その上、元チームメイトという因縁がある。厳しいゲームになりそうだ。
顔にマフラーをぐるぐる巻く。和智がフィフスに回ってくれた。チームジャイレンのセカンドとして、持てる力を出し切ろう。
(勝敗関係なく、って言いたいとこだけど。勝てたらもっと楽しいんだよな)
ペブルが整った。
練習試合ながらコイントスやじゃんけんでなく、LSDで先攻後攻を決める。
チームジャイレンの代表はもちろん蛇池だ。WINNERSはリードが進み出る。リードはドローショットが得意な選手が多い。
職人風の佇まいの彼が放った赤いストーンも、蛇池の黄色のストーンも、ハウスの中心近くに並ぶ。
わずかな差で蛇池が上回り、後攻を選択した。
「これで、三ミリのトラウマが上書きされるといいけど」
ひそかに気遣う。しかしそんなもの無用だった。
「ヤップ! ヤーップ! 皇、まだ寝てんのか!?」
第一エンドの一投目。左右のシートで練習するチームや体験教室の参加者がぎょっとするほどの怒号が響く。皇が「いじめられました」という顔でこちらを見てきた。
(「オレに言いな」って言ったし、な)
スイープを終えてハウスのそばにいたのもあり、咳払いする。気は進まないが口を出そう。
「まだ寝れてないが正しい。不動のいびきがひと晩中すごかったじゃん?」
「知らん。俺は寝れた」
しかし不動を売っただけで終わってしまった。
「よしよし天空」
「いやおまえなのよ」
謎褒めを発動した不動も巻き込み、ぎゃいぎゃい言い合う。ラストゲームの感傷に浸る間もない。
まあ、このほうがチームジャイレンらしいか。タイマー役を務める和智も止めに入らない。
むしろWINNERSの太腕セカンドと、数学の先生然としたサードの気が散ったようで、ストーンが角鹿の指示とずれた。それもあって二点先制する。
だが第二エンド、即二点取り返された。ミスを引き摺らないし順応が早い。第三エンドも、後攻のチームジャイレンが最低限の一点取らされる形になる。
(3‐2でうちが勝ってても、流れ掌握してるのは向こうって感じだな)
第四エンドは不動が豪快なテイクアウトショットを決め、WINNERSにストーンを溜めさせない。流れを引き寄せたかと思いきや、角鹿はさくっと狙いを切り替えた。ハウスをきれいにしていく。
(ブランクエンドは勘弁して。八エンドゲームだし、先投げ続きは守ってばっかに錯覚する)
手を合わせて拝んだ。守る側は気持ちの疲労も大きい。気持ちが疲れると判断力も鈍る。
「ライン、いえす」
角鹿は「なじらね」「したっけね」くらいのトーンで言う。WINNERSのコミュニケーションは最低限だ。でも行き違いは起こらない。
蛇池がフリーズさせた黄色いストーンと、もともとあった赤いストーンをまとめて弾き出されてしまう。ハウスに他のストーンはない。「うぐぐ」と胃を押さえた。
「あっちのラインも使えたんだねえ」
ハーフタイムに入るや、和智が感嘆まじりにシートを振り返る。テイクアウトが可能なラインはガードによって狭めておいたのだが、想定と異なる角度からぶつけられた。
「氷ちゃんが照らしてくれた花道ですよ~」
非公式戦なのもあって、角鹿が屈託なく答える。
後半の作戦を確認するためすぐWINNERSの輪に戻ったものの、蛇池はしきりに角鹿とシートを見比べた。氷の声が聞こえるという感覚を、技術としてどうにか盗めないかという顔だ。実は前半エンド、角鹿が背後霊のように蛇池の指示ぶりを見つめていたのだが、気付いているのやらいないのやら。
(角鹿に苦手意識とか、何なら嫉妬とかあんのかなって思ったけど、違うな。カーラーとして評価してるし、理解し合えてる。ポジションさえかち合わなきゃ)
蛇池は自分をスキップとして信頼してくれるチームを求めた。角鹿は蛇池を盲信すらしているが、角鹿がいると他のチームメイトは角鹿の才能のほうを取る。
「そうじゃないのが、チームジャイレンだった……や、過去形やめよう」
独り言を切り上げた。
第五エンド、再びWINNERSの後攻。
チームジャイレンはWINNERSの作戦を阻止しようともくろむも、逆に利用されてしまう。
「オレのストーン、ヒット・ロールに使われた! どうしよ?」
「だから今考えてる」
タイマーもチームジャイレンの持ち時間ばかり減っていく。
(手の内ってか、蛇池の選択の癖がばれてるわ、完全に)
蛇池が険しい表情になるほど、角鹿はほくほくと楽しげだ。蛇池が示した二投目の目印にも、隣で大きく頷いてみせる。どちらの味方かわからない。
ハック側の自分たち三人は、首を横に振った。
「理論では可能ですが、人間は理論並みにはできません」
不動がサイボーグめいた台詞で再考を促す。しかし蛇池は指示を変えない。
「このラインは前半一回使ってる。うちのセカンドでも投げれる」
「失敗してもぜんぶあの人のせいってあの人が言ったんだし、いんじゃない?」
皇が眼鏡を押し上げた。言葉と裏腹に、レンズ越しの目はわくわくしている。難しいが面白いショットに挑戦したくなったのだろう。
「練習ゲームだし、攻めっか」
ストーンを持つ自分の一言が決め手になった。和智仕込みのフォームで滑り出す。
狙いはガードの後ろに隠れる、カムアラウンド。ハウス中心に置ければ相手はこのストーンを無視できず、対応に一投費やすことになる。
「ヤップ」
不動と皇がブラシを使う。間近でストーンの曲がり具合を見て、強弱をつけて掃く。
ハウスに差し掛かるまではよさそうに見えたが、ハウス内で急に失速した。もう少し伸びてほしいが叶わず、ガードからストーン半個分はみ出してしまう。
「テイクアウトしてくださいって言ってるようなもんだわ」
片膝を抱えて嘆いた。
実際、角鹿が耳を澄ませる仕草をしたのち、可愛い微笑みを浮かべてちっとも可愛くない指示を出す。相手のサードがきっちり応えた。
(ううっ、うちのはみ出たやつをテイクアウトついでに、外側の青丸に残してたやつまで弾き出した上に、ショットストーンはナンバーワンの位置に残すとか……!)
最後の蛇池のショットをもってしてもリカバリーできない。
三失点。3‐5と一気に逆転された。
WINNERSの職人リードが、「勝つのは俺たちだ」とつぶやく。彼らとしても現体制のほうが強いと証明したいのだ。
蛇池は目を逸らさないが、肩が上下して苦しげだ。
その肩に、皇が骨張った肩をコンとぶつけた。
「さっき投げたのの他にも、ラインつくっといたほうがいいかも……」
「シートの湿度、下がってきてます」
「で、次のエンドはどうすんの?」
不動と自分もハックに向かいがてら、蛇池に声を掛ける。
蛇池はよろめいたまま固まっている。「失敗したのに頼ってくれるのか」という顔で。
「頼りにしてるに決まってるだろ」
大きめの声で口出しせざるを得ない。
最高のスキップには、「なる」だけでなく「してもらう」ラインもある。
あと三エンドのうちに蛇池にも伝わりますように、と念じる。そうしたらチームジャイレンの存在意義もあったと言える。
第六エンドは一点確保した。
第七エンド、後攻のWINNERSは再びビッグエンドにしてとどめを刺そうとしてくる。
「そうはさせるか」
蛇池が今度は不動に、カムアラウンドの指示を出す。
「ヤーップ!」
「ヤップ!」
前から蛇池の、後ろから不動の声が飛んでくる。銭湯仕込みのスイープの見せ場だ。体重を掛けて掃く。転ぶ不安はない。たとえ転んでも蛇池が何とでもしてくれる。
「ぐおおお……!」
ストーンはハウスに入っても粘りの伸びを見せ、目印どおりの位置に止まった。
リベンジ成功。一失点に抑えた。
4‐6、ついに最終エンド。二時間があっと言う間だ。楽しい時間は早く過ぎる。
「ビッグエンドにするよね……?」
「守るもんないしな」
「勝ちましょう」
「最後は俺に任せろ」
チームジャイレンは短い作戦会議ののち、ハウスとハックに分かれた。シンプルでいい。
ハウス側は、両チームのスキップふたりきりになる。声が聞こえて振り返る。
「ちょっと攻略に時間掛け過ぎましたかね」
「……? そっちの持ち時間は余裕だろ」
ちょこんとしゃがむ角鹿に、二拍遅れて蛇池が反応した。
「でも、追われたら逃げるものじゃないですか」
蛇池がますます首を傾げる。
その隙に、いやらしくガードを置かれた。角鹿の間に翻弄されている場合ではない。
皇に、ガードを動かす指示が出る。弾き出してはいけないが、動かすのは構わない。
「はいはい」
皇は気負いのない、ゆったりとやわらかな身のこなしで役割を果たした。
自らの二投目を見届け、「……あんたとのカーリング、楽しいよ」とはにかむ。
「し、天空天空福レンさん!」
聞きつけた不動が、スイープ終わりでハウス側にいたのをよいことに、蛇池と自分に飛びついてきた。すぐさま角鹿に(主に蛇池が)引き剥がされたものの、全身で喜んでいる。
「嬉しいよな、不動。皇も」
こちらまで頬がゆるむ。つまんないと挫けた皇はもういない。気づけなかったと悔やむ不動も。
自分も続こうと、ハックへ向かう。
体験教室の子どもたちが、隣のシートでジュニアトップレベルのゲームが繰り広げられているのに気づき、じいっと見てくる。いちばんのヒーローになった気分で、人差し指を立てた。
「見ててみ。この黄色いストーン、あの赤いストーンにぴったりくっつける」
蛇池が出した最後の指示は、フリーズだ。
こっちが素人とか関係なく、この場面で必要なショットを求めてくる。
(まあ期待されないよりいいけど)
息を吐く。他の何かには応用できない、それでも磨いたデリバリーのスキルを披露する。
子どもたちの頭が、ストーンの行方を追って一斉に動く。何人かはシートの境を並走した。
ラインはいい。ウェイトも悪くない。
四十メートル先で、「ほんとにくっついた!」と子どもたちがぴょこぴょこ跳ねた。
ハウスの後ろで見守る和智が、はしゃぐ彼らにグータッチしてあげている。
マンツーマン特訓中、こちらが最低限とか考えていても、怒らず見捨てずいてくれた。楽しさの半分は彼が教えてくれたと言っても過言ではない。
「男子カーリングの盛り上げは道半ばになっちゃいましたが、ガクチカ関係なく布教し続けますね」
ハウスにストーンを溜めて、不動につないだ。
不動の強面にはセンチメンタルの欠片もない。「北国のエリート」から逆転勝利をもぎ取るべく、ハウスの配置を整えてみせる。
とても彼らしい、と思いきや。
「あの」
「うん?」
「ハイタッチしてもいいでしょうか」
「はは、聞くまでもないよ。……!」
利き手腫れ上がり間違いなし。だが、単に力が強いだけでなく好意がこもっていたので、「痛ってえ!」と叫ぶのは耐えた。
次はいよいよ、両スキップのショットだ。
蛇池が先攻の角鹿に、視線で圧を掛ける。「手加減するな」と。角鹿は対戦相手としてこの圧を受けるのははじめてだろうに、こそばゆそうに笑っている。
(無関心よりいいみたいな? 天才わからん)
角鹿の一投目。
ドロー・レイズを決める。ナンバーワンストーンがこちらの黄色から相手の赤に替わった。
このナンバーワンを押し出しても一点しかあげませんよ、という置き方だ。
それに対して蛇池の一投目、バイスの不動は、ナンバーワンとは違うストーンの横にブラシを置く。
たちまち皇が「こんなのあり?」とまくし立ててくる。かなり面白いラインのようだ。
「昨日のシミュレーションゲームで俺が選んだろ。現実でも俺なら決めれる」
当の蛇池は、満更でもなさげにストーンのハンドルを握った。
「ラインイエス」
速めのウェイトで進んだ黄色のストーンは、赤いストーンに当たる。二手に割れてそれぞれ別のストーンを動かす。絶妙な位置で止まった。
「お、おお? ナンバーワン・ツー・スリー黄色だ! あれがこうなるか」
ハウス配置をまじまじ見る。一気にビッグエンドチャンスだ。
角鹿は肩を竦めた。困ったときの仕草だが、表情はまったく困っていない。
角鹿の二投目。ハックの十メートル先、ショット時にストーンから手を離さねばならないラインぎりぎりにしゃがみ、再び耳に手を当てた。
WINNERSのメンバーは粛々と待っている。
角鹿が立ち上がり、確定ファンサみたいにハウスを指差す。WINNERSのサードがそれに合わせて目印のブラシを置いた。
角鹿がすべてを決めるスタイルらしい。
「……あれでいいんだな?」
蛇池が思わせぶりに訊く。WINNERSのスイープ役二人は「妨害は反則だべ」と角鹿を守った。自分たちのスキップに絶対の信頼を置いている。
「はい。氷ちゃんと話し合いました」
全責任を背負った角鹿は、自分の判断を貫いた。
放たれた赤いストーンは、わずかに弧を描き、ハウスの外側の円上にあったナンバースリーストーンを弾き出す。角度が変わり、ハウスの中心へ向かう。
ナンバーワンを取りつつ、チームジャイレンの黄色いストーンにフリーズした。
ふつうにスーパーショット。
(角鹿のやつ、ショットも巧くなってるな!)
頭を抱える。夏の大会のデータをまとめた結果、角鹿のショット成功率が昨冬より上がっていた。
でも、うちの蛇池だって進化している。
黄色いストーンはハウス内にふたつ残っていた。ショットストーンと合わせて三得点を狙える。
「理論ではな。いや、理論でも難易度やばいわ」
相手の赤いストーンも、中心近くのナンバーワンとスリーのふたつだ。
「ふたつともテイクアウトしないと。フリーズされてる黄色のナンバーツーも巻き添え食うけど、相手より内側で食い止めれば、三点だ。でも……」
ぶつぶつ言うのを、やめた。
それでも挑戦するしかない。最終エンドの最終ショットだから。
不動が目印を示す。皇がブラシの柄に顎を乗せ、和智はちょいもち笑いを浮かべ、蛇池を見ている。もちろん自分も。
気安く、当たり前に、「任せるよ」と。
記録に残らなくとも、この瞬間は確かにあった。
冷気の中、蛇池がかすかに笑う。
すぐ真剣な顔になり、ハックを蹴った。黄色いジャージの背中に、自身の名とチームメイトの信頼を乗せて、ストーンを押し出す。
やっぱりカーリングは偏っていると思う。他の三人も十ショット以上してきたのに、スキップの最後の一投ですべてが決まる。
他のメンバーは何をしているかというと。ブラシを握り締めてストーンを追いかけながら、祈る。
(弾き出してくれよ。自分がいる意味なかったって諦めを。おまえに任せるのは間違いとかいう他人の言葉を)
ラインもウェイトも、氷にガイドが書いてあるわけではない。ストーンに目盛りがついているでもない。身体の感覚がすべてだ。
(ただの石じゃない、おまえに任せたストーンで、二重丸に飛び込め)
ストーンが滑っていく音、スイープの指示の声、ブラシでペブルを擦る自分たちの息遣いが飛び交う。
十五秒の間に、思考も動作も状況もめまぐるしく変わる。
そして、ひとつに収束する。
「おまえはうちの最高のスキップだ!」
嗤われても嫌われても勝とうとする姿を、何かを掴もうとする姿をこそ、人は信じる。
ゴッ。相手のナンバーワンストーンに斜め横から当てた。ナンバースリーにも玉突きでぶつかる。
ハウスの外までは押し出しきれない。それでも自分たちのストーンより外側まで動かせればいい。
ショットストーンは強くスピンして、内側に踏み留まろうとする。
残れ。ここにいると、示せ。
すべてのストーンが止まった。全員でハウスを覗き込む。
――渾身のダブルテイクアウト、成功したか?
「ぶわぇっくしょおんぉん!」
「うちのメンバーのくしゃみで一ミリ動いたかもしれん」
「ひひ。それでもナンバースリーまで、黄色ですね。蓮先輩のショット、ほんとうに大好きです」
誰の目視でも明らかだった。
蛇池は、強さも正確さも要するショットを、決めてのけた。
いち早く認めた角鹿に続き、WINNERSのメンバー三人が、唇を真一文字に引き結びつつも、蛇池とチームジャイレンを称える手を差し出してくる。
「……次は勝つ」
7‐6。チームジャイレンの逆転勝利だ。
非公式戦とはいえ、日本ジュニア王者に、勝った。
「ナイスゲーム、皇、不動、ジャイレン、和智さん! っと」
ハイタッチしようとして、シート脇に置いていた鞄を蹴ってしまう。愛用の手帳が転がり出た。
よりによって「一年で最強のガクチカつくる!」と書いたページが全開になる。
「あわわ」
今となっては稚拙で居たたまれず、手帳に覆い被さる。
それでやっと、書いた覚えのない字が足されていると気づいた。
[力入り過ぎ][ダイヤモンドさん][面接では一言減らせ][つくれるよ]
いつの間に落書いたのか。
この不意打ちのせいで、目の奥がじわりと熱を持つ。
「あのさ……オレ、大手に就職するから」
勝ち組人生に乗るためではなく。
「そしたら、もう一度集まってくれませんか?」
この五人でまたチームになりたい。夢を見続けたい。会社にチームをつくってもらえば何とかならないか。
願いが溶けて溢れて、頬を伝った。拭っても拭っても止まらない。遠くても、それこそ夢物語でも、約束が欲しい。
今も利害関係だったら、こんな情けない事態にはならなかったのに。
「くしゃみしたり泣いたり、忙しいやつだな」
蛇池がタオルを押しつけてくる。皇もそばに来て、不動は眉じりを下げ、和智は優しく微笑む。
「練習相手、ありがとうございました。次の日本ジュニア選手権で再戦しましょう」
角鹿だけ空気を読まず、笑顔で煽ってきた。日本選手権の出場権を、チームジャイレンは得られなかった。つい昨日その目で見ただろう。
……日本ジュニア選手権?
洟水を啜る。同時にポケットのスマホが震えた。
都協会からのメールだ。
「日本ジュニア選手権、関東予選エントリー開始のお知らせ」
理解が追いつかず、機械的に読み上げる。途端、チームジャイレンのメンバーが目を見合わせた。
「エントリー間に合うの……」
「日本ジュニアは目指さないのかと思っていました」
「僕は年齢制限越しちゃうけど、君たちは出られるよね。それで今日この四人でプレーしてもらったんだよ」
「え、でもオレも来年二十歳越えますよ」
「世界基準で年度は七月に切り替わるから、六月三十日時点で二十歳だったらOKだよ」
「え!?」
自分は八月生まれだ。蛇池もまだ酒解禁していない。ということは――。
「蓮先輩、そのつもりでこのメンバー集めたんじゃなかったんですか?」
角鹿が悪戯っぽく笑う。
それならそうと言ってくれれば。泣きの約束が茶番ではないか。
「昨日の夜はそんな気分でなかったというか……付き合ってくれないかと……」
同じくらい気恥ずかしい発言を連発した蛇池が、憮然と言い訳する。
「そこはジャイレンでいろよ」
「はあ? あんたが解散って言い出したんだろ」
お決まりの言い合いが始まりかけたものの、不動の太い腕に阻まれた。
「では、解散しないんですね!」
四人まとめて抱き込まれる。蛇池と頭をぶつけてフリーズを余儀なくされた。和智は潰れながら喜んでいる。皇も甘んじて他人との密着を受け入れる。
大逆転が、立て続けに起こった。
チームジャイレンの夢は、まだ終わらない。
蛇池がぎゅうぎゅうにされたまま、口を開く。
「俺は日本ジュニアにも、このチームで出る。来シーズンも、」
「言わないでください」
しかし角鹿が遮った。その声はかすかに震えている。
「十年でも二十年でも、ぼくは待ちたいので」
彼は返事ではなく、蛇池自体を待っていた。
チームジャイレンという、合わなさぶりが逆に合うチームが結成されたことが、天才である彼唯一の読み違いだったかもしれない。
帰京するSUVの中は、五人が「チーム最後の一日」と思い込んで放った名言の本音度ナンバーワンを決める言い合いで白熱した。
◎
「なじらね? 日本は今何時ですか~。ちょっとだけ会いにきました」
――世界ジュニアB前の調整、順調?
「たくさん合同ライブしましたよ。負けのほうが多いですが、負けるのも楽しいです。って言ったら変かな?」
――フィンランドでのTMI教えて
「う~ん。あ、地元のおじさんたちが応援ツアー来てくれたんですけど。『年末年始飲みに来んか』ってくだ巻いてましたよ、先輩。見てるしょ?」
◎
十二月。クリスマスに忘年会にと、街の空気が浮き足立つ。
今日はその中でも一大イベントの日なので、パテッドジャケットの下に黄色いジャージという出で立ちで、夜の街を急ぐ。
蛇池が一人暮らしするアパートに押し掛けた。
「ぶわぇっくしょおんぉん、お疲れ」
福富湯に劣らず年季の入った、木造二階建て。六畳の和室にはすでに先客がいる。
「うるさ……今のでWi-Fi吹き飛んだ」
「ピザのダブルテイクアウトありがとうございます」
皇と不動の高校生組が、スマホと十七インチの外付けモニターをつないでいた。
画面には白く眩しいカーリングシートが映し出される。
今日は、世界ジュニアB選手権の最終日だ。
「もうこのハウスには座るところない。玄関にでも立ってろ」
「は? ピザだけ要る、とかなしですけど」
『美味しそう、お腹が鳴って教授に気づかれそうだよ』
蛇池のスマホに、大学の授業中の和智が映る。遠隔ででも観戦したいらしい。
じきに始まる三位決定戦に、北海道WINNERSが登場する。勝てば二月の世界ジュニア本戦の出場権を得られる。
大一番だが、日本での地上波放送はない。英語解説しかない大会公式配信でもいいから観よう、と集まったというわけだ。
「不動、これ大学合格祝い」
冷たい家主は置いておいて、シャンメリーを手渡す。彼は無事に内部進学基準を満たし、希望学部に合格した。「ありがとうございます」と受け取り、片手でポンッと栓を開けてのける。
「そう言えばサイン大丈夫だった……?」
その音に紛れ、皇がビデオ通話中の和智に声を掛けた。少しそわそわした顔だ。
和智の母が「しえるくん」のゲーム配信の大ファンで、コーチとしてもう一年チームに関わるのを、皇の直筆サインで許可してもらったそうだ。
もちもち笑顔とサムズアップが返ってくる。父親の快復も順調とのことで、よかった。
チームジャイレンは、二月に行われる日本ジュニア選手権関東予選に向けて、練習を続けている。
「てか皇家、スポンサーやんない?」
「パパもママンも、順位とかポジションとか買収したっぽくなるから、おれがやってることには投資しない主義……」
「くっ、良い親御さんで甘えらんないわ」
自動車メーカーに今シーズンの目標変更を伝えてみたが、契約継続にはならなかった。
一から営業し直しだ。でも簡単には諦めない。チームジャイレンの未来の一部が自分に懸かっていると思うと気合が入り、むふんと鼻息を吹く。
「ジャイレン、カーリングに興味持ってくれた後輩もここ呼んでい?」
最近は大学で布教もしていて、いつメン飲みの後輩が「今度観てみたいです」と言ってくれた。
「いいわけないだろ」
「LINE来た。[行けたら行きます]」
『それ来ないときの言い方だねえ』
調子のいいやつめ。口を尖らせていたら、追い言い訳LINEが来る。
「ん? このアイコンって」
いや――久遠からだ。広研のグループLINE以外でメッセージを送り合ったことはない。何ごとだ。
[もしうちの代理店の早期採用面接あったら、受けるか]
唐突な問い。だがすぐ答えられた。
[受けない。もう一年、オレだからできる楽しいことやりたいから]
四月の自分とは正反対の、でも心底ではこう言えたらと願っていた、答えを打ち返す。
[別に早期採用ないけどな]
「ないのかよ!」
つい声が出た。何という肩透かし。
カーラーとしての技術はまだまだだ。それでも、このチームには必要とされていると言ってもいいと思う。最強のガクチカよりもかけがえのないものを得られた。
WINNERSの選手がシートに現れた。みな食い入るようにモニターを見つめる。
「二月の関東予選を勝ち抜いたら、三月の全日本ジュニアで再戦できるんですよね」
「うん。てかオレたちを優勝させてくれるだろ?」
新しくおろした手帳を開きつつ、蛇池を振り返る。
なぜかコートを羽織っていた。
「やっぱり福富湯でスイープの練習する」
ただ観ているより、身体を動かしたくなったらしい。
「しょうがないな」
自分も立ち上がる。乗っかったからには付き合おう。
三十分後。福富湯の休憩エリアに置かれたモニターでは世界を切り拓くストーンが、貸し切り状態の洗い場ではチームジャイレンの夢の続きを乗せた洗面器が、それぞれすーっと滑り出す。(了)
※実在の地名等も出てきますが、すべてフィクションです


