十一月、関東ブロック予選の決勝トーナメントを迎えた。
土曜が準々決勝、祝日の日曜が準決勝・決勝だ。
「ぶわぇっくしょおんぉん! 軽井沢、冬本番だな」
カーリング場にSUVで乗りつける。蛇池とのみ、黙って目を見交わす。
決勝と面接が同日の件は、まだ他のメンバーには伝えていない。個人的な話だし、むやみに心配をかけたくない。いつものように対戦チームの分析レポートを配った。
今日から、YouTubeで公式配信もされる。
(面白いチームだからもっと観たい、って一人でも多くの人に思ってもらお)
結局、蛇池は角鹿みたいにライブ配信してくれなかったものの、代わりに振り返り配信するのもよさそうだ。素人だからこそルールをわかりやすく説明できるし、……。
「うちのセカンドは緊張してるのか?」
心ここにあらずなのを蛇池に言い当てられ、ぎくりとした。
(そうだよ、いざ氷上に立ったらあれこれ考えちゃうよ)
トーナメントは負けたら終わり。準々決勝の相手は都予選で勝っているチームとはいえ、勝負に絶対はない。心音がぎこちなく響く。
ゴゴン! と重いのに軽快なヒット音が、そんな緊張と不安を吹き飛ばした。蛇池がダブルテイクアウトを決めたのだ。待機席の和智含め、みなそれぞれの持ち場で親指を立て合っている。
(このチームなら、「だいじょう」だ)
絶対はないからこそ、面白いし、信じ甲斐があると気を取り直す。
蛇池の「今日の氷は絶対こう」と頑なになる悪癖も出ず、というか他三人でいなして、5‐3で勝利した。
「一日目お疲れ! 公式配信に皇映る度にチームSNSのフォロワー増えてたわ。まじありがと」
ホテルへ送る道すがら、助手席の皇の肩を叩く。
皇はすかさずヘッドフォンを装着した。だから褒めているのに耳を……、項がほんのり赤い。褒められて伸びるタイプでいて、褒められたら照れくさいのか。可愛いので隙あらば褒めてやろう。
和んだのも束の間、
「自分もアーカイブを見たのですが、[負けたら蓮くんWINNERS復帰でしょ]というコメントがありました。これは何でしょうか?」
不動にトップウェイトで爆弾を投げ込まれた。
ブレーキを踏む足が力み、シートベルトに押し付けられたメンバーが「ぐえ」と呻く。アイスバーンだったら洒落にならなかった。
「何それ!?」
「こちらです。[このチームのスキップ、蛇池なんだ]に対して[でも]と」
「僕も気になってた。一昨日発表された世界ジュニアB代表、ふつうに蛇池くんの名前入ってたよ」
世界ジュニアB代表……?
どっと汗を掻く。分析レポートと面接準備に集中していて、チェックできていなかった。
路肩に停車する。タブレット端末で協会サイトにアクセスすれば、まぎれもなく蛇池の名が載っていた。
みな蛇池の言葉を待つ。「何かの手違いだろう」という視線を向けて。
「協会から連絡があったのは事実だ。ただし一方的に、事後報告だが」
しかし願いは通じなかった。
「また黙ってたのかよ」
自分は棚に上げ、食って掛かる。さしもの不動も皇も顔を強張らせているが、蛇池は悪びれない。
「特にあんたはプレーに精神状態が出過ぎるからな。今日ずっと営業スマイルで気味が悪かった」
「ちょ、面接必勝の好感度最高笑顔と言え」
「話、戻していいかな? 世界ジュニア本選と日本選手権は、日程が重なってる。もし僕たちが日本選手権予選で敗退したら、蛇池くんはこのチームに戻ってこないってこと?」
言い合いになりかけるのを、和智が冷静に整理してくれた。
自分の比ではない、とんでもない状況だと突きつけられる。
「そういうことになるな」
蛇池本人も観念したように言う。この男でも協会の決定には逆らえないか。出禁にでもなったら世界一という夢を叶えられない。
それに、チームジャイレンは負けた時点でシーズン終了だ。蛇池の戻る場所がない。
頭では理解できるが、気持ちが追いつかない。車内は柄にもなく静まり返る。
「このチームのスキップは、おまえだろ」
「ああ。俺がスキップをやりたくてつくった。一年だけでいいから背負わせてほしいと思ってる。勝ちゃいいんだ、勝ちゃ」
何とか一言絞り出すと、蛇池はここぞと「俺が正しい」ムーブをした。
勝てばチームジャイレンを優先できるらしい。
WINNERSは今シーズン、蛇池抜きの四人で戦えている。こっちは蛇池がいないと始まらない。
なぜなら、スキップはすべてを背負う。
「それはそう……」
「大事なゲームだと知らないで臨むよりいいです、自分は」
「僕もだよ」
蛇池の自信に、メンバーも押しきられた。
周囲の圧が強いほど冴える蛇池のみならず、このチームは逆境を力に変換できる。だってふつうにしていても逆境なのだ。
寄せ集めで、経験も少ない中、たった一年で日本一になろうとしている。
最短でいい感じの雰囲気に持ち直せた、のだが。
(明日来れないって言い出しにくい流れになったな)
とはいえ無断欠席はよくない。
「あのー、実はオレも……」
現状をかいつまんで打ち明ける。
「口出すさんが、口も手も出せないさんになるんだ」
「口出すさんじゃなく福富さんな?」
「じゃあ不動くんがセカンド、僕がサードに入ろう」
やはり蛇池の話の後なためか、あっさり受け入れられる。まあチームがばたつくよりいいけど。
「福富さんなしで、スムーズにコミュニケーションできるでしょうか」
「不動ぉ~! おまえだけだよチームメイトは」
「は……?」
「誰が君を一人前にしてあげたのかな?」
と思いきや惜しんでくれた。指先が温もっていく。
「口出すやつは必要だ。わかっただろ」
なぜか蛇池が得意げにする。自分も「へへ」と頬をゆるませ、再びアクセルを踏む。
「明日も勝とう!」
五人を乗せたSUVが、すーっと走り出した。
翌日、チームジャイレンは午前の準決勝を突破した。
(よし。こっちも勝負だ)
学祭の人波を縫い、サークル部室棟へ向かう。インターン追加枠の面接は広研の部室で行われる。
棟一階のガラス壁で、髪のセットとスーツの着こなしをチェックする。昨夜ひとり電車で帰京した疲れはない。
(先輩に面接官役やってもらってシミュレーションして、突っ込みの対策も立てた。あとは準備したとおり投げるのみ)
スキップのショット前はこんな気持ちなのかもしれない。仲間が頼もしくても、それはそれで最後を決めきれるかプレッシャーがある。
手帳にメモした、志望動機やガクチカを確認する。
(この半年間の、チームジャイレンでの活動をガクチカとして話す。新チームでありながらスポンサー営業に成功したこと。目的の違ってたメンバーとコミュニケーションを重ねたこと――)
目に見えない貢献を言葉で伝えるのは、なかなか難しい。お人好し一本では世渡りできない。
ちらりとスマホを見る。十三時四十五分。決勝の第一エンドが終わったあたりか。
面接は十四時からでまだ順番は回ってこないので、公式配信を観てみる。
「ちょ、三点スチールされてるんですけど!?」
思わず立ち上がってしまい、同じく面接待ちの広研メンバーに「何ごと?」という目で見られた。
(いやオレが聞きたいよ)
公式配信には、実況解説はない。定点カメラのみで、選手の表情のアップもない。
それでも、画面の中の黄色ジャージの面々の空気は、北見カップ並みに重く見えた。
昼食休憩中に何かあったのか?
(やっぱり、オレがいないと……)
新幹線を使えば、大学からカーリング場まで一時間半くらいだ。決勝ラスト三十分にすべり込める。
どちらを選ぶかあんなに悩んだのが嘘みたいに、駆け出す。勢いよく部室の扉を開け、
「ごっ」
ちょうど入ってきた男と真正面からぶつかった。
目がちかちかする。それでも手探りで避けて進もうとする。
「逃げるのか?」
だがこの一言は聞き捨てならない。
ぶつかったのは、久遠だった。面接直前に、応募者たちに声を掛けにでもきたのか。
彼の目には――ここにいる誰の目にも、「落選」を避けることで保身するように見えるだろう。
でも、自分にとっては違う意味がある。
赤と青の二重丸を思い浮かべる。
「背負わせに行く」
「は?」
「入ってるカーリングチームの予選決勝中なんだ」
「せっかく俺が追加枠つくってやったのに、」
久遠は何だか「おまえのために」みたいな口ぶりになったが、すぐ嘲笑に変わった。
「どこまでも無駄なことを楽しげにやる才能だけはあるな」
「ありがと!」
弱みが怖くなくなった自分には、痛くもない。むしろよく見てくれてるじゃん、とさえ思いながら、廊下を蹴る。
一学生ができることなんて、たかが知れている。一人で、一年で、社会や世界を変えることはできない。でも、唯一無二のチームメイトの後押しならできる。自分にしかできない。今、それを達成したい。
電車移動中、鞄に押し込んでいた黄色いジャージを羽織り、公式配信にかじりつく。
決勝の相手は「東京GINGA」という、前回関東代表として日本選手権に出場したチームだ。都予選は免除だったので初対戦になる。
第二~四エンドは、二点ずつ取り合う。ひとつミスしたら相手にビッグエンドをつくられる緊迫感が、画面越しにも伝わってくる。
(ジャイレンは、「そしたらビッグエンドつくり返せばいい」ってアドレナリン出まくり顔してるな)
第五エンド、後攻のGINGAはまたもハウス内にストーンを溜めていく。攻撃的なスタイルだ。
何とか最低限の一失点に抑える。4‐6で折り返しとなった。
流れを変えたい、後攻の第六エンド。むしろ相手の作戦に唸る。
「一見ストーンを散らしてるだけに見えて、うちがテイクアウトしにくいよう計算されてる」
カーリングが「氷上のチェス」と言われるのは、数手先まで読み、ときに自分たちのストーンを捨て駒にして相手の選択肢を減らす、静かな戦いが繰り広げられるからだ。
このままでは一向に点差を詰められない。
このエンド最後となる、蛇池の二投目。
ハウスには味方の黄色いストーンがふたつ、相手の赤いストーンが三つ残っている。
「相手のストーンを一個でも弾き出したい。けど無理くり弾いて、こっちのストーンもハウスから出ちゃったら得点にならない……うう」
『ヤーップ! ヤップ! ヤップ!』
蛇池が「掃け」と叫ぶ声が、イヤフォン越しに耳をつんざいた。移り込む進行補助スタッフが眉を顰めるほど荒い語調である。
それでも不動は委縮せず、半袖Tシャツの袖がはちきれんばかりの勢いでスイープする。
蛇池の放ったストーンはトップウェイトで滑っているが、さらに加速した。
(トリプルテイクアウト狙いだ)
ゴッ、と相手のストーンをひとつ弾く。強く弾いたので、コッ、と後ろのもうひとつも巻き込めた。
ラインに対して直角に割れる法則で、ショットストーンが逆サイドへ向かう。
三つ目の相手ストーンに届くか。ハウスに踏み込んだ不動が最後までブラシを使う。
それが効き、コン、と当たった。三つ目もゆっくりとハウスから出ていく。一方、ショットストーンはハウス内に踏みとどまった。
(決まった!)
隣の席の人の目もはばからず、ガッツポーズした。
スーパーショットかつスーパースイープ。
不安定な氷上でパワフルに掃くのは、見た目以上に大変だ。毎月スケート場の個人利用料の領収書を持ってくる不動は、北国出身でなくとも自在に動けるよう氷上に立つ時間を増やしてきた。それが実を結んだ。
本人はあっさりハックまで引き返す。
と思いきや、蛇池とパァン! とハイタッチした。した後で、「大丈夫でしたか」と窺う素振りをする。蛇池の右手は見た目より頑丈なので問題ない。
(おまえもメンバーも同じ気持ちだよ、不動)
7‐6と、一気に逆転してのけた。
「オレなしで立て直せた感じ? でももう新幹線乗っちゃったし、引き返しても面接終わってる」
嬉しい反面、何してるんだかと車窓を眺める。ほとんどトンネルだ。
目を離した隙に、第七エンドをブランクエンドに持ち込まれていた。
「てことは、第八エンドと最終エンド、相手が有利な後攻になっちゃう」
やきもきしたところで、「次は軽井沢」とアナウンスが流れる。スマホから顔を上げた。
十五時十五分。乗り換えが奇跡的にうまくいったおかげで、軽井沢駅に辿り着いた。
会場へはクルマで十五分。ただ週末で観光客も多く、タクシーは出払っている。電動キックボードのシェアポートもない。
(こうなったらレンタサイクルで……決勝終わっちゃうか?)
「あれ~、セカンドさん。乗りますか?」
駅前ロータリーで右往左往していたら、レンタカーの運転手が声を掛けてきた。
襟足の長い髪をピンクに染め、アイドルみたいに可愛い――角鹿だ。
「なんでいんの!? 北海道で練習してるんじゃ」
二度見する。あれ~、はこっちの台詞である。
「蓮先輩迎えに来ただけべさ」
「待ってそれどういう話になってんの」
わからないことだらけだが、吸い込まれるように助手席に乗り込んだ。ライバルでも活用できるものは活用する。
「ぼくもびっくりしたんですけど」
角鹿は発進するなり結構な加速をしつつ、経緯を話し出した。
「ぼくたちって男子三強のひとつでないですか。それで二年後のオリンピック代表選考見据えて、つまらない喧嘩やめなさいって仲裁されました。まあぼくとしては棚ぼたです」
「何だそれ……」
こちらとしては貧乏ゆすりするほかない。子どもの喧嘩じゃなく、存在意義をかけた選択だ。それにチームジャイレンだって、オリンピックを狙えるのに。
「もしかして昼休憩中、うちのメンバーと何か話した?」
「話ってほどではないですよ。リードさんなんて、十メートル手前時点でサードさんの背中に隠れちゃいましたし」
皇は激人見知りを発揮したようだ。角鹿の得体が知れず怖いのはわかる。
「蓮先輩に、『今日負けたら実質解散ですっけ』『どちらにしろ世界ジュニアでカナダのキングぶっ倒しましょうね』って伝えただけです」
「ぜんぜん『だけ』じゃないじゃん!」
角鹿の声色はライブ配信中と同じやわらかさでいて、呪いが仕込まれている。蛇池と北海道に帰るのは決定事項、と言わんばかりだ。
実質解散――確かに蛇池は「一年」と言った。休学の件もあるし、おくびにも出さないが縁のない地でバイト暮らしは楽ではないだろう。
蛇池がいなければ、このチームは続かない。
メンバーは、負けたら解散、勝っても結局蛇池を攫われてしまうと動揺し消沈し、遠慮もしたに違いない。
(ちゃんと言い返さなかったのかよ、ジャイレン)
蛇池は、プレーでなく言葉で表すのが不得手だ。自分が口を出さないと。
そうこうするうち、会場に到着した。
礼もそこそこにリンクへ駆け込む。角鹿もぴったり横をついてきた。さすが足腰が強い。
第八エンドが終わったところで、7‐7の同点だ。
それでも、フィフスとして一分間タイムアウトを要求する。
今度はチームジャイレンのメンバーが、「なんでいんの?」とこちらを二度見した。シートの端にすーっと集まってくる。
「戻ってこなくてよかったんですよ?」
「不動、それ『おまえはいても意味ない』に聞こえるから」
じっとり汗を掻く不動が、慌てて強面を左右に振った。
「福富さんの人生の転換点かと思っただけです」
「はは。そうだよ。人生かけて口出しに来たんだ」
四人の中でいちばん仏頂面な――裏返せば面接をすっぽかしたのを心配してくれている、蛇池の肩に腕を回す。キングならここにいる。
「なあ。褒めさせることで態度を変えるきっかけくれたジャックと、どんなに口が悪くてもけろっとしてるクイーンと、一日の長と腹に緩衝材の蓄えがあるジョーカーと、ぜんぜん違う道を来たからこそ遠慮なく乗っかれるエースと一緒じゃないと、キングになれないみたいだな」
「え、この人、他のチームだとずっとつまんないの……?」
「自分、クイーンですか。王国が心配です」
「この半年苦労したんで、緩衝材十キロ減っちゃった」
「あんたら言わせておけば……!」
くすくす笑いが起こった。弱点克服できたと言えるのは、チームジャイレンにいる間に限り、だ。互いが互いに作用しないと、価値に塗り変わらない。
WINNERSじゃ、他の場所じゃ輝けない。だろう? と蛇池の美人顔を覗き込む。
蛇池は答えに代えて、黄色いジャージを羽織り直した。
「こっち選んだ意味があるようにしてやるから、特等席で見てろ」
氷上に戻っていく。他の三人も続く。
「大丈夫、今はそこそこ面白いよ……」
「心配とは、キングの真意が民に伝わるかという意味でして」
「療養中の父に、健康になったねって言われたよ」
「もうわかったから残り二エンドに集中しれください」
チームジャイレンの日常茶飯事に、角鹿は毒気を抜かれた様子だ。ちゃっかり待機席の横にパイプ椅子を出してもらっている彼に、小声で自慢する。
「修羅場見せちゃってごめんな?」
角鹿にも、今の蛇池を、蛇池のチームを、見せてやろう。
第九エンド。チームジャイレンの後攻。最終エンドを見越して、一点でも多く取りたい。
皇が相手のリードに続いて、するーっとガードを置く。
SNSに度々[しえるくん生きてた!?]とコメントがあり、eスポーツのほうをずいぶん休んでいるのが察せられる。昨日の写真つきの投稿は、有名なピラティスインストラクターにも拡散されていた。
[日々の成果が出ますように]と。
パーソナルレッスンで柔軟性を磨いていたらしい。銭湯ジムはどうした、とは言わないでおく。
フォームがさらにやわらかくなったおかげで、ショットの細かな調整が可能になった。
二投とも蛇池の目印どおりにドローできた。
「スイープなしで済んだよ、ナイス」
体力温存できた和智が褒め、皇がはにかむ。
ただ、GINGAも彼らの作戦どおりのショットを決める。
「相手、プレーが洗練されてるな」
「青森の大学のカーリング部OBが、就職で上京した後も続けてるチームですよ~。中学で組んで以来、一度もメンバーを変えてません」
独り言に、角鹿が応えた。そう言われると北国のエリートっぽい雰囲気がある。
「ん? しかもセカンドがサードに指示出してる」
チームジャイレンとも今までの対戦チームとも違う。配信では自分たちのショットにばかり目が行って、気づかなかった。
「セカンドスキップ+フォースバイスですね」
再び角鹿による情報提供。スマホで「セカンドスキップ」を検索してみる。
(ショットが得意な選手と、氷の読みが得意な選手で分担した形か)
スキップが最後のフォースでない場合、ハウスとハックを行ったり来たりで、落ち着いて氷を読めないデメリットもある。
だが、以前蛇池が言っていた五十歳のスキップもセカンドを務めてオリンピック金メダルに輝いており、嵌まると強い。
実際、チームジャイレンはハウスになかなかストーンを残せない。かと言ってブランクエンドも難しい、いやらしい配置をつくられた。
「蛇池の最後のショットだ。和智さんの指示は……え?」
首を傾げる。ハウス側に立ち、鮮やかなブラシパッドで目印を示す和智は、にんまり笑っている。顔の肉が取れたら結構あくどい印象だ。
蛇池はひとつ頷き、ハックを蹴る。
「ウォー」
掃かなくていいよ、の指示を受け、不動と皇は黄色いストーンの左右を歩くのみ。
ストーンはゆっくりじわじわ曲がりながら進み、手前のガードを避ける。しかし赤いナンバーワンストーンにはぶつからず、外側真横で止まった。
蛇池のショットミスではなく、和智の指示どおりに。
「相手に一点リードされちゃった。――いや! わざとスチールさせて、最終エンドの後攻を確保したんだ。二点以上取って逆転できるって踏んで!」
興奮気味に手帳にメモする。和智の老獪な戦略が理解できて楽しい。
観客席から、「あれチーム佐々木のサードじゃないか?」と声が上がった。「競技辞めてなかったんだ」「長野の魔法遣い」「スキップへの指示、配置がガラッと変わって魔法じみてたよな」と盛り上がっている。
(和智さん、そんな異名隠し持ってたんですか)
自分と交替で体力温存しつつ、読みの切れ味を戻してきた。
「一点だけスチールさせるショットも、簡単ではないですよ」
角鹿が得意げに補足する。蛇池のショットは好調なようだ。
かと思うと、がさごそ紙袋を漁り出す。出てきたのは、いい匂いのするお洒落なパン。
さっき、駅直結のショッピングモールで優雅に買い物していたらしい。
「お腹減ってます? あげましょうか?」
「要らないわ」
決勝の最中だぞ、と固辞した。
「じゃあ、蓮先輩ぼくにくれますか?」
「好きに――いやあげないけど? なんで蛇池にこだわるんだよ」
角鹿が同じ調子で蛇池をねだってくるので、あやうく頷きかける。寸でのところで首を横に振った。
「あ、やっと訊いてくれた」
角鹿は悪びれず、にこりと微笑む。
「蓮先輩はぼくにもできないショットができます。それと、ぼくに『変わるな』って言ってくれた人だからです。小学生のとき、氷ちゃんの声が聞こえるのを中学生の男子に嗤われて、リンクの隅でこっそり泣いてたら、先輩にストーンちゃんぶつけられました」
「え、物理で?」
「はい。『聞こえるなら聞こえるって言い返せ』って。以来、氷ちゃんとのコーレスを続けてます」
蛇池は自身の手で後輩を天才に育てたようだ。氷との「コーレス」とやらを独特と評していたが、否定はしなかったのか。
「でも、そのせいで先輩は町のおじさんたちに怒られ、ぼくが先輩にはいじめられてないって言っても『ストーンをそったら使うのはだめだべ』って」
「それはそう」
「キングを倒すと夢見れば『無理べさ』、周りにも高いレベルを求めれば『態度が悪い』、スキップは『任せられない』。それでも先輩はずっと諦めません。したから、ぼくが一緒に夢を叶えてあげたいんです」
そんなふうに言われたら、ぽっと出の自分は口を挟めない。
角鹿には、世界ジュニアB選手権を必ず突破する自信も実力もある。
それでも、蛇池にはこっちを選んでほしい。押し込めた本音が滲み出す。そもそも来シーズンは「口出す人」どころか「無関係な人」になるかもしれないが。
「もう蛇池の夢は、オレの夢だからさ……」
氷上に立ちたくてうずうずする。だが負傷などの例外を除き、ゲーム中の交代はできない。
勝てばいい。勝てば、来年二月にまた試合ができる。
最終エンドが始まった。
蛇池は氷も読めており、的確な指示を出していく。皇、不動、和智が応える。
赤いストーンを手に取ったGINGAのフォースは、追い詰められた表情だ。
(後攻のうちが二点以上取れば勝ちだもんな)
サードまで投げ終えた時点の配置は、充分達成可能だ。
だが、GINGAのフォース二投目にして彼らのラストショット。自分たちのストーンに当てて、黄色いストーンの間を通し、ハウスの中心に止める、というドロー・レイズを決めてみせた。
(うっわ、やられた)
角度が少しでもずれたら成功しなかったスーパーショットに、他のメンバーが抱きついて労っている。さすがフォースを任されるだけある。
対照的にこちらは狼狽した。
(今、ハウス内側の赤丸内に相手のストーンがひとつ、自分たちのがふたつある。ただ、自分たちのストーンが相手のガードになっちゃってる。この配置、どうしたら二点取れる?)
同点止まりの場合、延長は不利な先攻で、サヨナラ負けのリスクがある。
素人で発想が及ばないだけか。横目に角鹿を窺うと、世界滅亡カウントダウン中の魔王みたいに目を輝かせている。
「ひひ。蓮先輩なら投げれますよ」
高難度ながら二点取るラインは、あるらしい。
そう言えば、個人的な勉強として観た日本ジュニア選手権決勝の第十エンドと配置が似ている。
「蓮先輩は諦めません。よく滑るストーンちゃんと手をつないでますし」
蛇池に勝ってほしいのか勝ってほしくないのか、どっちなのだ。彼にとってはどっちでも同じか。
シートでは、蛇池と和智が氷を指差し、話し込んでいる。ここに来て意見が合わないようだ。皇と不動が「スイープは任せて」とばかりに頷くも、蛇池は渋い顔のままだ。
貧乏ゆすりした。だがメンバーが揃って振り向いたので、はっと止まる。
「できないとは言わせないって、口出してよ」
「自分たちは毎回、このレベルの指示に応えましたよね」
「絶対面白いって……」
三人は笑顔で蛇池の腕をはたき、それぞれ持ち場に着く。
(そうだ、楽しまないとな)
自分もエアで蛇池の腕をはたくような、目に見えないものを託すような仕草をした。
当の蛇池は目を見開いたのち、不敵に笑ってハックへ向かう。
(最後の、始まりの十五秒間だ)
和智は二点、うまくいけば三点取るつもりの目印を示した。
蛇池がしゃがんで反動をつけ、自分ごと滑り出す。フォームも視線も揺るぎない。ストーンに回転を掛け、手を離す。
「ライン、イエス」
角度、よし。曲げるためのスイープは不要、と和智が指示する。
ストーンは不動と皇に付き添われて進み、ナンバーツーの位置にある味方ストーンを掠めた。引き連れるようにしてハウスの中心へと向かう。
相手のナンバーワンストーンにスピンしながら当たる。少し弾き返され、止まった。
「どっちがナンバーワンだ?」
居てもたってもいられず、シートへ走った。待機席からだと距離があって、判別がつかない。
カーリングはセルフジャッジだ。両チームのメンバーが、ストーンを真上から見ようとハウスの周りに集まる。蛇池は今日いちばんの集中の反動で息が上がっていた。彼に肩を並べる形で輪に加わる。
密集する三つのうち、どれがもっともハウスの中心に近いか、目視でわからない。
大きなコンパスのような計測器を持ち出した。ミリ単位で測れる。
赤がナンバーワンなら、GINGAが一点スチールで二年連続日本選手権出場。
黄色がナンバーワン、赤がナンバーツーなら、同点で延長。
ナンバーワン・ツーとも黄色なら、チームジャイレンが逆転で日本選手権出場だ。
みな固唾を呑んで計測を見守る。
――結果が出た。
「ぶわぇっくしょおんぉん。四十メートル先から投げて、たった三ミリの差……」
リンクの隅でつぶやいた。周囲ではスタッフと選手が協力して撤収作業している。
スコアボードには「チーム蛇池7‐9東京GINGA」と最終結果が掲示されたままだ。
ナンバーワンは、相手の赤いストーンだった。チームでショットがいちばん巧い蛇池をして及ばなかったのだ。
日本選手権優勝どころか、出場すら叶わなかったと、まだ受け止められない。
顔が痒い。掻きむしろうとした手を、誰かに掴まれる。
「顔も手も真っ赤だぞ。来い」
蛇池だ。他のメンバーにも目で合図して、連れ立って一階ロビーへ出た。
もう日が暮れており、冷気が立ち込めている。それでもリンク内よりはましだ。
「結果出せなくて悪かったな。あんたが集めた情報も無駄になって」
蛇池が淡々と言う。計測値を聞いたときも、相手チームと握手するときもそうだった。
(ジャイレンのくせに謝るなよ)
その声に労いが滲むのが、却って悔しい。スポーツは勝者がいれば敗者もいるものだとしたって、ひとつの負けの代償が大き過ぎる。
スポンサー打ち切り。もともと通う学校が異なるうえ、進級や進学や復学で環境が変わって、五人は離れ離れになる――。今日の結果以外は楽しかった、その証明ができない。
「無駄なんかじゃ、……」
さっき肩に触れた熱を頼りに、無理やり口角を持ち上げた。
「解散しないで、来シーズンの日本選手権に向けて始動しようよ。もう一年あれば、」
「あんたはゆくゆく大手広告代理店に就職する男だろ、もう充分付き合ってくれた」
「だって、世界でひとつだけのチームになってってたじゃん、ここでやめんの?」
営業スマイルを保てず、声が裏返る。自分の成果につながらないからではない。
蛇池は諦めないんじゃないのか。なぜそんなに物分かりがいいのか。
蛇池は問いに答えず、和智に向き直ると、頭を下げた。
「一シーズンでも同じチームでプレーできてよかったです。地元のおじさんたちを、『長野にやられた!』って歯噛みさせる、俺のヒーローだったので。ご家族にも感謝します」
「今それを言うんだね……?」
執り成しそびれた和智が、さみしげに微笑む。
「ジャイレンさん。自分はトレーニングを続けますよ」
一方、一人ずつ礼と別れを告げられると読んだ不動は、先んじて口を開いた。
「大学入学を一年伸ばしてもいいです」
「……おれも、eスポーツで生計立てるつもりだし、もっと五人でゲームの話しようよ」
皇も援護に加わる。このメンバーで続けたいと。
「学業をおろそかにするな。バイトしか職歴のないアラサーになったら後悔するぞ」
しかし蛇池はことごとく断った。薄情かといえば高校生組の将来を案じているのが感じられ、言い返しにくい。ずるい。みな口を開けては閉じるのみで、沈黙が漂う。
「蓮先輩~。北見カップは同時に別シートで試合だったりしたんで、久しぶりに先輩のゲーム観られて楽しかったです」
そこに、のどかな声が響いた。角鹿がレンタカーのキーを指先に引っ掛けている。
楽しかった、なんて。高みの見物だ。途中買い物してたくせに。ますます悔しさが募る。
蛇池を連れていかれてしまうのか。引き留めたくても、示せる選択肢がない。
儚い夢だった。
「ところで明日、ここのシートをひとつ使ってもいいそうです。せっかくなので、ぼくたちの練習相手になってくれませんか」
打ちひしがれていたら、思ってもない提案をされた。
明日? 練習? 非公式戦ということ?
「ぼくたちって、WINNERS?」
「はい。フィンランドへ行くのに羽田を使うので、東京にいます」
フィンランド――世界ジュニアB選手権の開催地だ。いち早く現地入りして調整するらしい。
その相手をしろって?
「明日、僕は空いてるよ。祝日の振替で休みだよね」
最初に反応したのは、和智だった。年の功だ。
「勝って終われるチャンスをもらえるのは、ありがたいんじゃないかな。福富くんもせっかく軽井沢まで来たことだし」
確かに、負けて終わりに比べたらずっといい。マイシューズもブラシも、SUVに積んである。
「オレも空いてます。インターンぽしゃったから」
「自分もです。今夜の宿を取らなければですが」
「泊ってるホテルの利用券まだあるよ……」
三人も続く。揃って蛇池を見た。
「スキップ次第だけど。終了モードになっちゃってるかな」
和智に煽られた蛇池は、目を瞬かせたかと思うと、閉じてしまう。何やら噛み締めるみたいだ。
再び開ける。目つきは鋭い。先ほどと一転、いつもの蛇池である。
「引き受けた」
低く、力強く返事した。
角鹿は「それでこそ」と言いたげに顔をほころばせ、ひとりで駐車場へ向かう。
天才の意図は読めないが、チームジャイレンはもう一ゲームできることになった。
土曜が準々決勝、祝日の日曜が準決勝・決勝だ。
「ぶわぇっくしょおんぉん! 軽井沢、冬本番だな」
カーリング場にSUVで乗りつける。蛇池とのみ、黙って目を見交わす。
決勝と面接が同日の件は、まだ他のメンバーには伝えていない。個人的な話だし、むやみに心配をかけたくない。いつものように対戦チームの分析レポートを配った。
今日から、YouTubeで公式配信もされる。
(面白いチームだからもっと観たい、って一人でも多くの人に思ってもらお)
結局、蛇池は角鹿みたいにライブ配信してくれなかったものの、代わりに振り返り配信するのもよさそうだ。素人だからこそルールをわかりやすく説明できるし、……。
「うちのセカンドは緊張してるのか?」
心ここにあらずなのを蛇池に言い当てられ、ぎくりとした。
(そうだよ、いざ氷上に立ったらあれこれ考えちゃうよ)
トーナメントは負けたら終わり。準々決勝の相手は都予選で勝っているチームとはいえ、勝負に絶対はない。心音がぎこちなく響く。
ゴゴン! と重いのに軽快なヒット音が、そんな緊張と不安を吹き飛ばした。蛇池がダブルテイクアウトを決めたのだ。待機席の和智含め、みなそれぞれの持ち場で親指を立て合っている。
(このチームなら、「だいじょう」だ)
絶対はないからこそ、面白いし、信じ甲斐があると気を取り直す。
蛇池の「今日の氷は絶対こう」と頑なになる悪癖も出ず、というか他三人でいなして、5‐3で勝利した。
「一日目お疲れ! 公式配信に皇映る度にチームSNSのフォロワー増えてたわ。まじありがと」
ホテルへ送る道すがら、助手席の皇の肩を叩く。
皇はすかさずヘッドフォンを装着した。だから褒めているのに耳を……、項がほんのり赤い。褒められて伸びるタイプでいて、褒められたら照れくさいのか。可愛いので隙あらば褒めてやろう。
和んだのも束の間、
「自分もアーカイブを見たのですが、[負けたら蓮くんWINNERS復帰でしょ]というコメントがありました。これは何でしょうか?」
不動にトップウェイトで爆弾を投げ込まれた。
ブレーキを踏む足が力み、シートベルトに押し付けられたメンバーが「ぐえ」と呻く。アイスバーンだったら洒落にならなかった。
「何それ!?」
「こちらです。[このチームのスキップ、蛇池なんだ]に対して[でも]と」
「僕も気になってた。一昨日発表された世界ジュニアB代表、ふつうに蛇池くんの名前入ってたよ」
世界ジュニアB代表……?
どっと汗を掻く。分析レポートと面接準備に集中していて、チェックできていなかった。
路肩に停車する。タブレット端末で協会サイトにアクセスすれば、まぎれもなく蛇池の名が載っていた。
みな蛇池の言葉を待つ。「何かの手違いだろう」という視線を向けて。
「協会から連絡があったのは事実だ。ただし一方的に、事後報告だが」
しかし願いは通じなかった。
「また黙ってたのかよ」
自分は棚に上げ、食って掛かる。さしもの不動も皇も顔を強張らせているが、蛇池は悪びれない。
「特にあんたはプレーに精神状態が出過ぎるからな。今日ずっと営業スマイルで気味が悪かった」
「ちょ、面接必勝の好感度最高笑顔と言え」
「話、戻していいかな? 世界ジュニア本選と日本選手権は、日程が重なってる。もし僕たちが日本選手権予選で敗退したら、蛇池くんはこのチームに戻ってこないってこと?」
言い合いになりかけるのを、和智が冷静に整理してくれた。
自分の比ではない、とんでもない状況だと突きつけられる。
「そういうことになるな」
蛇池本人も観念したように言う。この男でも協会の決定には逆らえないか。出禁にでもなったら世界一という夢を叶えられない。
それに、チームジャイレンは負けた時点でシーズン終了だ。蛇池の戻る場所がない。
頭では理解できるが、気持ちが追いつかない。車内は柄にもなく静まり返る。
「このチームのスキップは、おまえだろ」
「ああ。俺がスキップをやりたくてつくった。一年だけでいいから背負わせてほしいと思ってる。勝ちゃいいんだ、勝ちゃ」
何とか一言絞り出すと、蛇池はここぞと「俺が正しい」ムーブをした。
勝てばチームジャイレンを優先できるらしい。
WINNERSは今シーズン、蛇池抜きの四人で戦えている。こっちは蛇池がいないと始まらない。
なぜなら、スキップはすべてを背負う。
「それはそう……」
「大事なゲームだと知らないで臨むよりいいです、自分は」
「僕もだよ」
蛇池の自信に、メンバーも押しきられた。
周囲の圧が強いほど冴える蛇池のみならず、このチームは逆境を力に変換できる。だってふつうにしていても逆境なのだ。
寄せ集めで、経験も少ない中、たった一年で日本一になろうとしている。
最短でいい感じの雰囲気に持ち直せた、のだが。
(明日来れないって言い出しにくい流れになったな)
とはいえ無断欠席はよくない。
「あのー、実はオレも……」
現状をかいつまんで打ち明ける。
「口出すさんが、口も手も出せないさんになるんだ」
「口出すさんじゃなく福富さんな?」
「じゃあ不動くんがセカンド、僕がサードに入ろう」
やはり蛇池の話の後なためか、あっさり受け入れられる。まあチームがばたつくよりいいけど。
「福富さんなしで、スムーズにコミュニケーションできるでしょうか」
「不動ぉ~! おまえだけだよチームメイトは」
「は……?」
「誰が君を一人前にしてあげたのかな?」
と思いきや惜しんでくれた。指先が温もっていく。
「口出すやつは必要だ。わかっただろ」
なぜか蛇池が得意げにする。自分も「へへ」と頬をゆるませ、再びアクセルを踏む。
「明日も勝とう!」
五人を乗せたSUVが、すーっと走り出した。
翌日、チームジャイレンは午前の準決勝を突破した。
(よし。こっちも勝負だ)
学祭の人波を縫い、サークル部室棟へ向かう。インターン追加枠の面接は広研の部室で行われる。
棟一階のガラス壁で、髪のセットとスーツの着こなしをチェックする。昨夜ひとり電車で帰京した疲れはない。
(先輩に面接官役やってもらってシミュレーションして、突っ込みの対策も立てた。あとは準備したとおり投げるのみ)
スキップのショット前はこんな気持ちなのかもしれない。仲間が頼もしくても、それはそれで最後を決めきれるかプレッシャーがある。
手帳にメモした、志望動機やガクチカを確認する。
(この半年間の、チームジャイレンでの活動をガクチカとして話す。新チームでありながらスポンサー営業に成功したこと。目的の違ってたメンバーとコミュニケーションを重ねたこと――)
目に見えない貢献を言葉で伝えるのは、なかなか難しい。お人好し一本では世渡りできない。
ちらりとスマホを見る。十三時四十五分。決勝の第一エンドが終わったあたりか。
面接は十四時からでまだ順番は回ってこないので、公式配信を観てみる。
「ちょ、三点スチールされてるんですけど!?」
思わず立ち上がってしまい、同じく面接待ちの広研メンバーに「何ごと?」という目で見られた。
(いやオレが聞きたいよ)
公式配信には、実況解説はない。定点カメラのみで、選手の表情のアップもない。
それでも、画面の中の黄色ジャージの面々の空気は、北見カップ並みに重く見えた。
昼食休憩中に何かあったのか?
(やっぱり、オレがいないと……)
新幹線を使えば、大学からカーリング場まで一時間半くらいだ。決勝ラスト三十分にすべり込める。
どちらを選ぶかあんなに悩んだのが嘘みたいに、駆け出す。勢いよく部室の扉を開け、
「ごっ」
ちょうど入ってきた男と真正面からぶつかった。
目がちかちかする。それでも手探りで避けて進もうとする。
「逃げるのか?」
だがこの一言は聞き捨てならない。
ぶつかったのは、久遠だった。面接直前に、応募者たちに声を掛けにでもきたのか。
彼の目には――ここにいる誰の目にも、「落選」を避けることで保身するように見えるだろう。
でも、自分にとっては違う意味がある。
赤と青の二重丸を思い浮かべる。
「背負わせに行く」
「は?」
「入ってるカーリングチームの予選決勝中なんだ」
「せっかく俺が追加枠つくってやったのに、」
久遠は何だか「おまえのために」みたいな口ぶりになったが、すぐ嘲笑に変わった。
「どこまでも無駄なことを楽しげにやる才能だけはあるな」
「ありがと!」
弱みが怖くなくなった自分には、痛くもない。むしろよく見てくれてるじゃん、とさえ思いながら、廊下を蹴る。
一学生ができることなんて、たかが知れている。一人で、一年で、社会や世界を変えることはできない。でも、唯一無二のチームメイトの後押しならできる。自分にしかできない。今、それを達成したい。
電車移動中、鞄に押し込んでいた黄色いジャージを羽織り、公式配信にかじりつく。
決勝の相手は「東京GINGA」という、前回関東代表として日本選手権に出場したチームだ。都予選は免除だったので初対戦になる。
第二~四エンドは、二点ずつ取り合う。ひとつミスしたら相手にビッグエンドをつくられる緊迫感が、画面越しにも伝わってくる。
(ジャイレンは、「そしたらビッグエンドつくり返せばいい」ってアドレナリン出まくり顔してるな)
第五エンド、後攻のGINGAはまたもハウス内にストーンを溜めていく。攻撃的なスタイルだ。
何とか最低限の一失点に抑える。4‐6で折り返しとなった。
流れを変えたい、後攻の第六エンド。むしろ相手の作戦に唸る。
「一見ストーンを散らしてるだけに見えて、うちがテイクアウトしにくいよう計算されてる」
カーリングが「氷上のチェス」と言われるのは、数手先まで読み、ときに自分たちのストーンを捨て駒にして相手の選択肢を減らす、静かな戦いが繰り広げられるからだ。
このままでは一向に点差を詰められない。
このエンド最後となる、蛇池の二投目。
ハウスには味方の黄色いストーンがふたつ、相手の赤いストーンが三つ残っている。
「相手のストーンを一個でも弾き出したい。けど無理くり弾いて、こっちのストーンもハウスから出ちゃったら得点にならない……うう」
『ヤーップ! ヤップ! ヤップ!』
蛇池が「掃け」と叫ぶ声が、イヤフォン越しに耳をつんざいた。移り込む進行補助スタッフが眉を顰めるほど荒い語調である。
それでも不動は委縮せず、半袖Tシャツの袖がはちきれんばかりの勢いでスイープする。
蛇池の放ったストーンはトップウェイトで滑っているが、さらに加速した。
(トリプルテイクアウト狙いだ)
ゴッ、と相手のストーンをひとつ弾く。強く弾いたので、コッ、と後ろのもうひとつも巻き込めた。
ラインに対して直角に割れる法則で、ショットストーンが逆サイドへ向かう。
三つ目の相手ストーンに届くか。ハウスに踏み込んだ不動が最後までブラシを使う。
それが効き、コン、と当たった。三つ目もゆっくりとハウスから出ていく。一方、ショットストーンはハウス内に踏みとどまった。
(決まった!)
隣の席の人の目もはばからず、ガッツポーズした。
スーパーショットかつスーパースイープ。
不安定な氷上でパワフルに掃くのは、見た目以上に大変だ。毎月スケート場の個人利用料の領収書を持ってくる不動は、北国出身でなくとも自在に動けるよう氷上に立つ時間を増やしてきた。それが実を結んだ。
本人はあっさりハックまで引き返す。
と思いきや、蛇池とパァン! とハイタッチした。した後で、「大丈夫でしたか」と窺う素振りをする。蛇池の右手は見た目より頑丈なので問題ない。
(おまえもメンバーも同じ気持ちだよ、不動)
7‐6と、一気に逆転してのけた。
「オレなしで立て直せた感じ? でももう新幹線乗っちゃったし、引き返しても面接終わってる」
嬉しい反面、何してるんだかと車窓を眺める。ほとんどトンネルだ。
目を離した隙に、第七エンドをブランクエンドに持ち込まれていた。
「てことは、第八エンドと最終エンド、相手が有利な後攻になっちゃう」
やきもきしたところで、「次は軽井沢」とアナウンスが流れる。スマホから顔を上げた。
十五時十五分。乗り換えが奇跡的にうまくいったおかげで、軽井沢駅に辿り着いた。
会場へはクルマで十五分。ただ週末で観光客も多く、タクシーは出払っている。電動キックボードのシェアポートもない。
(こうなったらレンタサイクルで……決勝終わっちゃうか?)
「あれ~、セカンドさん。乗りますか?」
駅前ロータリーで右往左往していたら、レンタカーの運転手が声を掛けてきた。
襟足の長い髪をピンクに染め、アイドルみたいに可愛い――角鹿だ。
「なんでいんの!? 北海道で練習してるんじゃ」
二度見する。あれ~、はこっちの台詞である。
「蓮先輩迎えに来ただけべさ」
「待ってそれどういう話になってんの」
わからないことだらけだが、吸い込まれるように助手席に乗り込んだ。ライバルでも活用できるものは活用する。
「ぼくもびっくりしたんですけど」
角鹿は発進するなり結構な加速をしつつ、経緯を話し出した。
「ぼくたちって男子三強のひとつでないですか。それで二年後のオリンピック代表選考見据えて、つまらない喧嘩やめなさいって仲裁されました。まあぼくとしては棚ぼたです」
「何だそれ……」
こちらとしては貧乏ゆすりするほかない。子どもの喧嘩じゃなく、存在意義をかけた選択だ。それにチームジャイレンだって、オリンピックを狙えるのに。
「もしかして昼休憩中、うちのメンバーと何か話した?」
「話ってほどではないですよ。リードさんなんて、十メートル手前時点でサードさんの背中に隠れちゃいましたし」
皇は激人見知りを発揮したようだ。角鹿の得体が知れず怖いのはわかる。
「蓮先輩に、『今日負けたら実質解散ですっけ』『どちらにしろ世界ジュニアでカナダのキングぶっ倒しましょうね』って伝えただけです」
「ぜんぜん『だけ』じゃないじゃん!」
角鹿の声色はライブ配信中と同じやわらかさでいて、呪いが仕込まれている。蛇池と北海道に帰るのは決定事項、と言わんばかりだ。
実質解散――確かに蛇池は「一年」と言った。休学の件もあるし、おくびにも出さないが縁のない地でバイト暮らしは楽ではないだろう。
蛇池がいなければ、このチームは続かない。
メンバーは、負けたら解散、勝っても結局蛇池を攫われてしまうと動揺し消沈し、遠慮もしたに違いない。
(ちゃんと言い返さなかったのかよ、ジャイレン)
蛇池は、プレーでなく言葉で表すのが不得手だ。自分が口を出さないと。
そうこうするうち、会場に到着した。
礼もそこそこにリンクへ駆け込む。角鹿もぴったり横をついてきた。さすが足腰が強い。
第八エンドが終わったところで、7‐7の同点だ。
それでも、フィフスとして一分間タイムアウトを要求する。
今度はチームジャイレンのメンバーが、「なんでいんの?」とこちらを二度見した。シートの端にすーっと集まってくる。
「戻ってこなくてよかったんですよ?」
「不動、それ『おまえはいても意味ない』に聞こえるから」
じっとり汗を掻く不動が、慌てて強面を左右に振った。
「福富さんの人生の転換点かと思っただけです」
「はは。そうだよ。人生かけて口出しに来たんだ」
四人の中でいちばん仏頂面な――裏返せば面接をすっぽかしたのを心配してくれている、蛇池の肩に腕を回す。キングならここにいる。
「なあ。褒めさせることで態度を変えるきっかけくれたジャックと、どんなに口が悪くてもけろっとしてるクイーンと、一日の長と腹に緩衝材の蓄えがあるジョーカーと、ぜんぜん違う道を来たからこそ遠慮なく乗っかれるエースと一緒じゃないと、キングになれないみたいだな」
「え、この人、他のチームだとずっとつまんないの……?」
「自分、クイーンですか。王国が心配です」
「この半年苦労したんで、緩衝材十キロ減っちゃった」
「あんたら言わせておけば……!」
くすくす笑いが起こった。弱点克服できたと言えるのは、チームジャイレンにいる間に限り、だ。互いが互いに作用しないと、価値に塗り変わらない。
WINNERSじゃ、他の場所じゃ輝けない。だろう? と蛇池の美人顔を覗き込む。
蛇池は答えに代えて、黄色いジャージを羽織り直した。
「こっち選んだ意味があるようにしてやるから、特等席で見てろ」
氷上に戻っていく。他の三人も続く。
「大丈夫、今はそこそこ面白いよ……」
「心配とは、キングの真意が民に伝わるかという意味でして」
「療養中の父に、健康になったねって言われたよ」
「もうわかったから残り二エンドに集中しれください」
チームジャイレンの日常茶飯事に、角鹿は毒気を抜かれた様子だ。ちゃっかり待機席の横にパイプ椅子を出してもらっている彼に、小声で自慢する。
「修羅場見せちゃってごめんな?」
角鹿にも、今の蛇池を、蛇池のチームを、見せてやろう。
第九エンド。チームジャイレンの後攻。最終エンドを見越して、一点でも多く取りたい。
皇が相手のリードに続いて、するーっとガードを置く。
SNSに度々[しえるくん生きてた!?]とコメントがあり、eスポーツのほうをずいぶん休んでいるのが察せられる。昨日の写真つきの投稿は、有名なピラティスインストラクターにも拡散されていた。
[日々の成果が出ますように]と。
パーソナルレッスンで柔軟性を磨いていたらしい。銭湯ジムはどうした、とは言わないでおく。
フォームがさらにやわらかくなったおかげで、ショットの細かな調整が可能になった。
二投とも蛇池の目印どおりにドローできた。
「スイープなしで済んだよ、ナイス」
体力温存できた和智が褒め、皇がはにかむ。
ただ、GINGAも彼らの作戦どおりのショットを決める。
「相手、プレーが洗練されてるな」
「青森の大学のカーリング部OBが、就職で上京した後も続けてるチームですよ~。中学で組んで以来、一度もメンバーを変えてません」
独り言に、角鹿が応えた。そう言われると北国のエリートっぽい雰囲気がある。
「ん? しかもセカンドがサードに指示出してる」
チームジャイレンとも今までの対戦チームとも違う。配信では自分たちのショットにばかり目が行って、気づかなかった。
「セカンドスキップ+フォースバイスですね」
再び角鹿による情報提供。スマホで「セカンドスキップ」を検索してみる。
(ショットが得意な選手と、氷の読みが得意な選手で分担した形か)
スキップが最後のフォースでない場合、ハウスとハックを行ったり来たりで、落ち着いて氷を読めないデメリットもある。
だが、以前蛇池が言っていた五十歳のスキップもセカンドを務めてオリンピック金メダルに輝いており、嵌まると強い。
実際、チームジャイレンはハウスになかなかストーンを残せない。かと言ってブランクエンドも難しい、いやらしい配置をつくられた。
「蛇池の最後のショットだ。和智さんの指示は……え?」
首を傾げる。ハウス側に立ち、鮮やかなブラシパッドで目印を示す和智は、にんまり笑っている。顔の肉が取れたら結構あくどい印象だ。
蛇池はひとつ頷き、ハックを蹴る。
「ウォー」
掃かなくていいよ、の指示を受け、不動と皇は黄色いストーンの左右を歩くのみ。
ストーンはゆっくりじわじわ曲がりながら進み、手前のガードを避ける。しかし赤いナンバーワンストーンにはぶつからず、外側真横で止まった。
蛇池のショットミスではなく、和智の指示どおりに。
「相手に一点リードされちゃった。――いや! わざとスチールさせて、最終エンドの後攻を確保したんだ。二点以上取って逆転できるって踏んで!」
興奮気味に手帳にメモする。和智の老獪な戦略が理解できて楽しい。
観客席から、「あれチーム佐々木のサードじゃないか?」と声が上がった。「競技辞めてなかったんだ」「長野の魔法遣い」「スキップへの指示、配置がガラッと変わって魔法じみてたよな」と盛り上がっている。
(和智さん、そんな異名隠し持ってたんですか)
自分と交替で体力温存しつつ、読みの切れ味を戻してきた。
「一点だけスチールさせるショットも、簡単ではないですよ」
角鹿が得意げに補足する。蛇池のショットは好調なようだ。
かと思うと、がさごそ紙袋を漁り出す。出てきたのは、いい匂いのするお洒落なパン。
さっき、駅直結のショッピングモールで優雅に買い物していたらしい。
「お腹減ってます? あげましょうか?」
「要らないわ」
決勝の最中だぞ、と固辞した。
「じゃあ、蓮先輩ぼくにくれますか?」
「好きに――いやあげないけど? なんで蛇池にこだわるんだよ」
角鹿が同じ調子で蛇池をねだってくるので、あやうく頷きかける。寸でのところで首を横に振った。
「あ、やっと訊いてくれた」
角鹿は悪びれず、にこりと微笑む。
「蓮先輩はぼくにもできないショットができます。それと、ぼくに『変わるな』って言ってくれた人だからです。小学生のとき、氷ちゃんの声が聞こえるのを中学生の男子に嗤われて、リンクの隅でこっそり泣いてたら、先輩にストーンちゃんぶつけられました」
「え、物理で?」
「はい。『聞こえるなら聞こえるって言い返せ』って。以来、氷ちゃんとのコーレスを続けてます」
蛇池は自身の手で後輩を天才に育てたようだ。氷との「コーレス」とやらを独特と評していたが、否定はしなかったのか。
「でも、そのせいで先輩は町のおじさんたちに怒られ、ぼくが先輩にはいじめられてないって言っても『ストーンをそったら使うのはだめだべ』って」
「それはそう」
「キングを倒すと夢見れば『無理べさ』、周りにも高いレベルを求めれば『態度が悪い』、スキップは『任せられない』。それでも先輩はずっと諦めません。したから、ぼくが一緒に夢を叶えてあげたいんです」
そんなふうに言われたら、ぽっと出の自分は口を挟めない。
角鹿には、世界ジュニアB選手権を必ず突破する自信も実力もある。
それでも、蛇池にはこっちを選んでほしい。押し込めた本音が滲み出す。そもそも来シーズンは「口出す人」どころか「無関係な人」になるかもしれないが。
「もう蛇池の夢は、オレの夢だからさ……」
氷上に立ちたくてうずうずする。だが負傷などの例外を除き、ゲーム中の交代はできない。
勝てばいい。勝てば、来年二月にまた試合ができる。
最終エンドが始まった。
蛇池は氷も読めており、的確な指示を出していく。皇、不動、和智が応える。
赤いストーンを手に取ったGINGAのフォースは、追い詰められた表情だ。
(後攻のうちが二点以上取れば勝ちだもんな)
サードまで投げ終えた時点の配置は、充分達成可能だ。
だが、GINGAのフォース二投目にして彼らのラストショット。自分たちのストーンに当てて、黄色いストーンの間を通し、ハウスの中心に止める、というドロー・レイズを決めてみせた。
(うっわ、やられた)
角度が少しでもずれたら成功しなかったスーパーショットに、他のメンバーが抱きついて労っている。さすがフォースを任されるだけある。
対照的にこちらは狼狽した。
(今、ハウス内側の赤丸内に相手のストーンがひとつ、自分たちのがふたつある。ただ、自分たちのストーンが相手のガードになっちゃってる。この配置、どうしたら二点取れる?)
同点止まりの場合、延長は不利な先攻で、サヨナラ負けのリスクがある。
素人で発想が及ばないだけか。横目に角鹿を窺うと、世界滅亡カウントダウン中の魔王みたいに目を輝かせている。
「ひひ。蓮先輩なら投げれますよ」
高難度ながら二点取るラインは、あるらしい。
そう言えば、個人的な勉強として観た日本ジュニア選手権決勝の第十エンドと配置が似ている。
「蓮先輩は諦めません。よく滑るストーンちゃんと手をつないでますし」
蛇池に勝ってほしいのか勝ってほしくないのか、どっちなのだ。彼にとってはどっちでも同じか。
シートでは、蛇池と和智が氷を指差し、話し込んでいる。ここに来て意見が合わないようだ。皇と不動が「スイープは任せて」とばかりに頷くも、蛇池は渋い顔のままだ。
貧乏ゆすりした。だがメンバーが揃って振り向いたので、はっと止まる。
「できないとは言わせないって、口出してよ」
「自分たちは毎回、このレベルの指示に応えましたよね」
「絶対面白いって……」
三人は笑顔で蛇池の腕をはたき、それぞれ持ち場に着く。
(そうだ、楽しまないとな)
自分もエアで蛇池の腕をはたくような、目に見えないものを託すような仕草をした。
当の蛇池は目を見開いたのち、不敵に笑ってハックへ向かう。
(最後の、始まりの十五秒間だ)
和智は二点、うまくいけば三点取るつもりの目印を示した。
蛇池がしゃがんで反動をつけ、自分ごと滑り出す。フォームも視線も揺るぎない。ストーンに回転を掛け、手を離す。
「ライン、イエス」
角度、よし。曲げるためのスイープは不要、と和智が指示する。
ストーンは不動と皇に付き添われて進み、ナンバーツーの位置にある味方ストーンを掠めた。引き連れるようにしてハウスの中心へと向かう。
相手のナンバーワンストーンにスピンしながら当たる。少し弾き返され、止まった。
「どっちがナンバーワンだ?」
居てもたってもいられず、シートへ走った。待機席からだと距離があって、判別がつかない。
カーリングはセルフジャッジだ。両チームのメンバーが、ストーンを真上から見ようとハウスの周りに集まる。蛇池は今日いちばんの集中の反動で息が上がっていた。彼に肩を並べる形で輪に加わる。
密集する三つのうち、どれがもっともハウスの中心に近いか、目視でわからない。
大きなコンパスのような計測器を持ち出した。ミリ単位で測れる。
赤がナンバーワンなら、GINGAが一点スチールで二年連続日本選手権出場。
黄色がナンバーワン、赤がナンバーツーなら、同点で延長。
ナンバーワン・ツーとも黄色なら、チームジャイレンが逆転で日本選手権出場だ。
みな固唾を呑んで計測を見守る。
――結果が出た。
「ぶわぇっくしょおんぉん。四十メートル先から投げて、たった三ミリの差……」
リンクの隅でつぶやいた。周囲ではスタッフと選手が協力して撤収作業している。
スコアボードには「チーム蛇池7‐9東京GINGA」と最終結果が掲示されたままだ。
ナンバーワンは、相手の赤いストーンだった。チームでショットがいちばん巧い蛇池をして及ばなかったのだ。
日本選手権優勝どころか、出場すら叶わなかったと、まだ受け止められない。
顔が痒い。掻きむしろうとした手を、誰かに掴まれる。
「顔も手も真っ赤だぞ。来い」
蛇池だ。他のメンバーにも目で合図して、連れ立って一階ロビーへ出た。
もう日が暮れており、冷気が立ち込めている。それでもリンク内よりはましだ。
「結果出せなくて悪かったな。あんたが集めた情報も無駄になって」
蛇池が淡々と言う。計測値を聞いたときも、相手チームと握手するときもそうだった。
(ジャイレンのくせに謝るなよ)
その声に労いが滲むのが、却って悔しい。スポーツは勝者がいれば敗者もいるものだとしたって、ひとつの負けの代償が大き過ぎる。
スポンサー打ち切り。もともと通う学校が異なるうえ、進級や進学や復学で環境が変わって、五人は離れ離れになる――。今日の結果以外は楽しかった、その証明ができない。
「無駄なんかじゃ、……」
さっき肩に触れた熱を頼りに、無理やり口角を持ち上げた。
「解散しないで、来シーズンの日本選手権に向けて始動しようよ。もう一年あれば、」
「あんたはゆくゆく大手広告代理店に就職する男だろ、もう充分付き合ってくれた」
「だって、世界でひとつだけのチームになってってたじゃん、ここでやめんの?」
営業スマイルを保てず、声が裏返る。自分の成果につながらないからではない。
蛇池は諦めないんじゃないのか。なぜそんなに物分かりがいいのか。
蛇池は問いに答えず、和智に向き直ると、頭を下げた。
「一シーズンでも同じチームでプレーできてよかったです。地元のおじさんたちを、『長野にやられた!』って歯噛みさせる、俺のヒーローだったので。ご家族にも感謝します」
「今それを言うんだね……?」
執り成しそびれた和智が、さみしげに微笑む。
「ジャイレンさん。自分はトレーニングを続けますよ」
一方、一人ずつ礼と別れを告げられると読んだ不動は、先んじて口を開いた。
「大学入学を一年伸ばしてもいいです」
「……おれも、eスポーツで生計立てるつもりだし、もっと五人でゲームの話しようよ」
皇も援護に加わる。このメンバーで続けたいと。
「学業をおろそかにするな。バイトしか職歴のないアラサーになったら後悔するぞ」
しかし蛇池はことごとく断った。薄情かといえば高校生組の将来を案じているのが感じられ、言い返しにくい。ずるい。みな口を開けては閉じるのみで、沈黙が漂う。
「蓮先輩~。北見カップは同時に別シートで試合だったりしたんで、久しぶりに先輩のゲーム観られて楽しかったです」
そこに、のどかな声が響いた。角鹿がレンタカーのキーを指先に引っ掛けている。
楽しかった、なんて。高みの見物だ。途中買い物してたくせに。ますます悔しさが募る。
蛇池を連れていかれてしまうのか。引き留めたくても、示せる選択肢がない。
儚い夢だった。
「ところで明日、ここのシートをひとつ使ってもいいそうです。せっかくなので、ぼくたちの練習相手になってくれませんか」
打ちひしがれていたら、思ってもない提案をされた。
明日? 練習? 非公式戦ということ?
「ぼくたちって、WINNERS?」
「はい。フィンランドへ行くのに羽田を使うので、東京にいます」
フィンランド――世界ジュニアB選手権の開催地だ。いち早く現地入りして調整するらしい。
その相手をしろって?
「明日、僕は空いてるよ。祝日の振替で休みだよね」
最初に反応したのは、和智だった。年の功だ。
「勝って終われるチャンスをもらえるのは、ありがたいんじゃないかな。福富くんもせっかく軽井沢まで来たことだし」
確かに、負けて終わりに比べたらずっといい。マイシューズもブラシも、SUVに積んである。
「オレも空いてます。インターンぽしゃったから」
「自分もです。今夜の宿を取らなければですが」
「泊ってるホテルの利用券まだあるよ……」
三人も続く。揃って蛇池を見た。
「スキップ次第だけど。終了モードになっちゃってるかな」
和智に煽られた蛇池は、目を瞬かせたかと思うと、閉じてしまう。何やら噛み締めるみたいだ。
再び開ける。目つきは鋭い。先ほどと一転、いつもの蛇池である。
「引き受けた」
低く、力強く返事した。
角鹿は「それでこそ」と言いたげに顔をほころばせ、ひとりで駐車場へ向かう。
天才の意図は読めないが、チームジャイレンはもう一ゲームできることになった。


