タン、と早朝のリンクに踏み入る。
同時にコン、とストーン同士が当たり、ハウス内の配置が変わる。
「この場合、どう考えてもドロー・レイズだが、ヒット・ロールしたいか?」
ひと足先に練習を始めていた蛇池が、次に投げる皇に尋ねた。
ドロー・レイズは、味方に当てて残す。
ヒット・ロールは、相手に当てて自分は残る。
皇はブラシの柄に顎を乗せ、にやーっと笑う。新しい黒縁眼鏡を掛けている。
「変な言い方……」
こちらも季節外れのネックウォーマーの下で、むふんと鼻息を吐く。
先の日曜、福富湯にメンバーを呼び出した。休憩エリアで男子五人、膝を突き合わせる。
『素人だから手じゃなく口出させてもらいますけど。よく考えなくてもオレたち、合わなくて当然なんだわ。まずここにいる理由がばらばらだもん。オレは内定のためのガクチカだったでしょ』
『そうなの……?』
『知りもしないじゃん』
放置していた、根本の課題に切り込む。これを解決しなければチームとして前に進めない。
『皇は面白いゲームしたい、不動は皇を楽しませるのと北国のエリートに勝ちたい、和智さんは男子カーリング盛り上げたい、ジャイレンは最高のスキップになりたい』
端的に再確認していく。蛇池の夢に触れた途端、他の三人が揃って彼を凝視する。
『ふーーーん』『知りませんでした』『なれるよ』
コメントに差はあるものの、微笑ましげな反応だ。いつもなら堂々としている蛇池もさすがに面映ゆかったのか、
『あんたこそ、名前に負けないくらい必要とされたいんだろ』
とこちらを道連れにした。
『名前なんだっけ……』『知りませんでした』『福富くんがいなきゃ今日だって集まれてないよ』
……気恥ずかしい。皇には下の名前すら認識されていなかったが。
ともかく、それぞれが望むものを共有した。
その上で、チームをつくった蛇池に、WINNERS復帰を断ったことと、チームとしての目標を改めて話してもらった。
『メンバーは誰でもいいと思ってたが……今は考えが変わってなくもない』
『そこは変わったって言いきれよ』
個人の望みは合わせなくていい。ぜんぶ叶える方法がひとつある。
『おまえたちが任せてくれるなら、俺はこのチームを、日本選手権で優勝させる』
二言はないかどうか、氷上練習でお手並み拝見となったのだ。
「しまらない顔をするな」
蛇池が八つ当たりしてくる。雪肌だから耳の赤さが目立つ。
「ふふふ。おれはどっちも投げたくないけど」
「はあ?」
「こっちのストーンに、この角度で当てる。そしたら、こうなってこうなる」
皇はブラシで、複数のストーンをぼんぼんと示した。蛇池の眉間の皺が薄れる。
「テイクアウトか。そしたら相手の思惑を潰せる」
「それだけじゃない。次に投げる人はこうもこうもできて……」
結成五か月にしてはじめてのチームミーティングの後、ふたりはシミュレーションゲームのパラメータ改良について話し込んでいた。
ひとたび「話せる相手」認定したら、皇のトークは止まらない。これがゲーマーらしい。
チーム最大の問題だった彼らの雪融けにほっとする一方、首を捻った。
「てかこのストーン、そのまま後ろに押されるんじゃないの?」
手帳のメモページはだいぶ埋まっているが、「えっそうなるんだ」というケースにまだ出くわす。
「ストーンは、ショットのラインに対して直角に割れる法則ー」
楽しげな皇が、すーっとハックへ向かいながら教えてくれるも、ぴんとこない。実際のショットを見よう。
皇がデリバリー姿勢を取る。ゴーッ、コン。彼の言ったとおりになった。
「赤いストーンの右肩に黄色いストーンを当てたら、赤いストーンは左足方向、黄色いストーンは右手方向に弾かれた。ほんとに九十度、直角だわ」
「伝わった力の配分……それぞれのストーンがどのくらい動くかは、当て方によるよ。たとえば掠める感じだと、相手ストーンは鋭角に少ししか動かなくて、こっちはほぼ真横にハウスの外まで出たり」
「うー、奥が深いってのはわかりました」
一緒に見ていた和智の補足もしっかりメモして、引き下がった。あまり邪魔だてできない。
二週間後にはもう、日本選手権の東京都予選だ。
ショットの順番待ちの間、フェンスの外で腕立てしていた不動に声を掛ける。
「都予選は、『東京の庶民』相手でも倒してくれるよな?」
「自分と同じ、非『北国のエリート』の方々と思うと、打ち倒すのは忍びない気もしますが……」
不動は逞しい腕を組んだ。続く言葉を探している。急かさず待つ。
『自分、皆さんと気持ちを揃えられているか、都度言葉で確認させてください』
彼は銭湯で蛇池の話に触発されてか、新たな個人目標を定めた。
ただし手心が加わってしまいそうな場合は、あえて相手の気持ちを理解しないままでいくつもりだ。
「ジャイレンさんなら、誰が相手でも手加減しませんよね」
「ああ。いつどこで誰と戦っても勝つだけだ」
蛇池が答え合わせする。正解。不動の強面がほころんだ。
「なので、相手の心が折れるまでやります」
善良な佇まいに似つかぬ不穏な物言い。「お、おお」と怯むも、皇は慣れた様子でゲームコントローラーを操る仕草をする。
「健太はあっちのゲームでもすごいよ……無慈悲で。それでいて何キルしても一切叫ばない」
ちなみに皇は『おれは褒められて伸びる人』と申告した。褒められているうちは適当なプレーはしない、と。
「よしよし天空」
四人揃ってハックへ戻る。貴重な氷上練習時間だ。
ハウス側で相手ストーンの想定配置を終えた和智が、目印を示す。
「スピードはいちばん速い、トップウェイトね」
今度は蛇池がデリバリーした。トリプルテイクアウト狙いだ。
「ヤップ!」
「ウォー、だいじょうじゃない?」
これまで幾度となくあった、蛇池と和智の指示が合わない場面。スイープ役の皇はブラシを出したり引っ込めたり、困っている。不動のみ少しブラシを使う。
結果、きっちり三つストーンを弾き出した。
「調整ありがとうね。僕より氷を優先していいからね」
和智が不動を労う。スイープにおいては、不動のぶれなさが活きる。
「……あの。さっきの、和智さんはどう読んだんですか」
ほのぼのしているところに、蛇池も加わった。
氷の読み――角鹿の得意なこと。スキップが指示を出すと考えると、その正確性の差が歴代チームにおけるスキップ交代要因になったと思われる。
蛇池はその差を埋めるべく、シミュレーションゲームに時間を割いてきた。
さらに今、蛇池の指示のほうが正解に近かったのに「俺が正しい」で終わらず、和智の見解を聞こうとしている。
あの蛇池が。チーム始動以来、はじめて。
和智も意識したのか、こほんと咳払いしてから説明する。
「ひとつ前の皇くんのショットで、このライン使ったじゃない? そのときのスイープで溶かした水の膜がまだある、ストーンがよく滑ると読んだ」
「ただ今日のリンクは湿度低めで、一部蒸発しているのが見えました。それで新たに少し溶かしました」
不動も挙手して証言する。蛇池はひとつ頷いた。
「わかった。他にもスイープ中に気づいたことあったら聞かせれ」
思わず皇と顔を見合わせる。ふたりして口を小さく開ける。
(地元にいたときから筋金入りのジャイレンだったのに、歴史的瞬間だわ……!)
これも「最高のスキップ」になりたいからだろう。
チームの目標を達成するため、それぞれ自身の弱点に向き合いつつ、長所を伸ばそうとし始めた。建設的な様子に、自分まで誇らしくなってくる。何せお人好しなので。
「土曜、みんなで飯行きません? 来週の都予選に向けて決起会的な」
「いいねえ。スキップ返還式も兼ねて」
しかし和智の一言に冷や水を浴びせられた。他の三人も静まり返る。和智は銭湯でひとり『不言実行』と言っていたのだが、もしや。
「家庭の事情、大変……? 辞めなきゃだめ?」
「いやいや、預かってたのを返すの」
和智を慌てて否定し、蛇池を見た。
「このチームは、君のチームだ。それと」
かと思えば、こっちにウインクしてくる。
「期待の新人の目途がたったんで、ね」
期待の新人。って自分ですか?
確かに、ショットの基本からスイープのコツまで、惜しみなく教えてくれた。
「じゃあオレがサードですか!」
買ったばかりの競技仕様シューズで滑り寄り、抱き着く。
その腹回りは、もちもちしていない。
地道にトレーニングしていたのだろう。体幹の筋肉がつけば、腰痛もやわらぐ。なのに本当に交替してしまっていいのか。
「福富くんはスイープのセンスがあるから、セカンドはどうかな。で、不動くんがサード」
和智はすべてお見通しとばかりに提案してくる。
実は夏休み中、「じいちゃん家が銭湯」という環境を活かして、番台バイトのない日も毎日タイルを磨いていた。どうせ誰かが掃除しないとだし。
銭湯でもこっそりパッドタイプのブラシを導入した意味があったようだ。
「セカンドって響きは若干トラウマだけど、オレじゃなきゃっていうなら、いいですよ」
「そこまで言ってない……」
「言えたら褒めてやる」
「セカンドは福富さんじゃなければ」
「待って、それも言わせた感……!」
とにかく、リード・皇、セカンド・自分、サード・不動、フィフス兼コーチ・和智とポジションを入れ替えた。
「チームガクチカ」は、「チームジャイレン」として再始動だ。
蛇池は当然のごとくスキップを引き受けると思いきや、ちらちらメンバーを窺う。
「……俺が、スキップをさせてもらっても?」
パシ、パシ、バシ、パシッ。「今さら何言ってんだ」と蛇池の腕をはたく音が四回、リンクに響いた。
シュ、シュ、シュ、シュッ。手帳の星取表に白丸を四つ、書き入れた。
「全勝で決勝トーナメント進出、っと」
東京都予選は、九月の二度の三連休を用いて開催される。
男子は五チームずつ四組に分かれての予選を四日間。その上位十二チームで、関東ブロック予選に進む六チームを決める決勝トーナメントを二日間行う。
ハードだ。でも、日本選手権は一週間ぶっ続け。予行演習と思おう。
決勝トーナメントは「トリプルノックアウト方式」だ。三敗する前に三勝すればいいらしい。予選一位だと二勝の状態でスタートできるイメージだ。
「おはよう。僕らは予選を組一位通過だから、決勝トーナメントは一回勝てばいいんだよね?」
「はい。負けてもあと二回復活チャンスある変則方式ですが、シンプルに勝ちましょ」
軽井沢のリゾートホテルのロビーで確認する。
会場は八月に都リーグを戦ったのと同じカーリング場なのだが、車で五分の距離に会員制ホテルがあり、会員権持ちの皇が「利用券余ってたから」と押さえてくれた。たかったわけではない。
皇と不動、そしてコンパクトなリュックの蛇池も合流する。蛇池は今回、WINNERSのジャージを持ってきていないようだ。
貸与SUVに乗り込む。シートベルトを締めてから、
「これ、対戦する『チーム佐藤』の予選データ分析レポート……です」
昨夜つくった資料を差し出した。
データ分析といっても、勉強がてら他チームのゲームを観戦し、選択したショットの種類や成功率なんかをまとめたに過ぎないが。
後部席のメンバーは「おお~」と声を上げ、助手席の皇も腰を捻って紙を覗き込む。無駄ではなかったみたいだ。胸がじんわり温まる。
一年では技術も熱意も追いつけないけれど、乗っかるだけではいたくない。
(さて、と)
氷上の二重丸のそばに立つ。今回はセカンドとして、チーム佐藤との再戦に臨む。
出し惜しみせず蛇池がLSDを行い、後攻スタートだ。幸先がいい。
「二点先制! ……ん?」
第一エンド、何とか指示どおりこなせた。だが他のメンバーは笑っていない。
「最終ショット、こう当ててこう飛ばせば、三点取れた。おれたちにはうるさいおじさんみたく言うくせに日和ったんだ……」
「おじ!? それはただの悪口だろ。どう考えても俺の当て方が正し……ごほん、そんなに言うならスイープで調整すりゃよかったろうが」
「よしよし天空」
「何を褒めたんだ何を」
遠慮なく言い合い、第二試合待ちの他チームがざわめく。その中に以前蛇池をコケにした青年もおり、ほら見たことかとほくそ笑んでいる。
額に手を当てた。人間、そう簡単に変われないか?
「その割に、点差は広げてるな」
ぎゃいぎゃい声が飛び交おうと、皇が坦々とショットを重ねる。蛇池の指示も、「うげ」と感じる選択があれば、
「ジャイレンさん、無謀です」
「無謀とか言うな」
「氷をよく見てください」
不動が善良かつ無慈悲な笑顔で却下する。
「スキップの指示に従えよ……! じゃあこっち!」
ハウス側でしゃがむ蛇池がブラシをバシッと持ち替え、目印の位置を動かす。
もはや相手チームにも進行補助スタッフにも引かれているが、ゲーム運びは冴えていた。
「だいぶこなれてきたねえ」
和智が待機席でちょいもち笑いする。
不満を溜め込んだ末にぶちまけるのと違い、問題なさそうだ。
(蛇池は陰口のほうが嫌いだもんな。好感度を気にしなけりゃ、いっか)
相手のチーム佐藤は守備重視スタイルである。裏返せばビッグエンドをつくるのは不得手だ。都リーグではもどかしい思いをさせられたが、今日は彼らにリズムをつくらせない。
スチールして7‐2とした第八エンド、相手スキップの佐藤が蛇池に右手を差し出した。コンシードだ。
チームジャイレンは、一発で関東ブロック予選進出を決めた。
「都予選突破!」と、手帳に書き込む。
広研の学祭企画は、担当を減らしてもらった。後輩は「えー大也先輩抜けちゃうんすか」と言ってくれたけれど、正直、カーリングのほうが楽しい。
祖父が番台に座り続けるのも、似たような気持ちなのかもしれない。
「あ、不動から預かった領収書の精算してやろ」
いつしか、チームジャイレンの選手で営業でメンターを、あと五か月と言わず、続けたくなっている。
関東ブロック予選は、十月半ばの三連休に予選、十一月頭の祝日に決勝トーナメントというスケジュールで組まれている。会場は引き続き軽井沢だ。
男子は各都県代表と昨シーズン優勝チームの計十六チームで、わずか一枠を争う。
「目の前の相手に勝つだけだ。北海道だってブロック枠はひとつしかない」
「西日本は西日本でブロックひと括りです。一府六県しか協会が設立されていないのもありますが」
「関東も茨城と埼玉には協会ないんだよね。カーリングやってみたいって人の窓口は欲しいけど、シートがないとなると難しいねえ」
「建てる? シート常設リンク。二十億くらいなら……」
「まさかの真横に出資者」
SUVは、試合の行きも帰りもカーリング談義が絶えない。
車窓は東京よりひと足先に紅葉している。
チームジャイレンは、四チームずつの予選を全勝通過した。
東京のチームは都リーグで切磋琢磨していて関東の中でレベルが高いのもあるが、快進撃と言っていい。
「にしても、お腹は痛くないけど腕痛い……」
「遠回しにスイープたくさんさせられた文句言うな」
「自分は毎日トレーニングしてますんで、安心して氷読み違えてください」
「その励ましもどうなんだ」
「僕が三年前までいたチームより雰囲気いいよ。付き合いが短いぶんしがらみもないっていうか、スキップのカラーだねえ」
「ど……、どうも?」
足りない部分を補い合うのはもちろん、蛇池がメンバーを引き上げている。多彩なショットを放てる彼が最後に控えるのも頼もしい。
日本選手権は、北海道・東北・中部・関東・西日本ブロックの代表五チームと、前回の優勝・準優勝チーム、そして協会推薦の三チームで戦う。
男子は三強が頭ひとつ抜けているが、チームワーク次第では互角以上に戦えそうだ。
「このまま負けなしで日本選手権優勝したりして!」
――しかしそううまくいかないのがスポーツであり、人生だった。
「え? 日本選手権予選で負けた時点で、スポンサー契約打ち切りですか?」
スポンサー企業に先月の活動報告書と領収書を持っていったら、担当者に申し訳なさげに言い渡されてしまった。
「業務効率化を掲げる役員さんに、『遠征している割にメディア露出が少なく広告効果が見合わない』『社内の士気高揚にもつながっていない』『うちが予算を割く必要はあるのか』って言われちゃって」と。
マイナースポーツのスポンサードは、社会貢献活動としても無駄と思われたようだ。
夜、日課の銭湯掃除に勤しみつつぼやく。
「確かにオレも、メディア露出の少なさとか外的課題は感じてた。その解決に一企業が取り組む意義があるかって言ったら……」
水を張ったタイルに洗面器を滑らせる。浴槽の縁にスコン! とヒットする。
「そりゃ、景気は良くならないし戦争は止められないよ。でもオレという人間は四月より成長したよな? 人が成長すれば会社もよりよくなります。ってのを説得力ある資料に落とし込むために、広研の力貸りよ」
再度営業すべく、広研の仲間に協力してもらうことにした。
四月の自分が今の自分を見たら、手を掛け過ぎて効率がよくないと眉を顰めるだろう。
でも、これは自分の役割だと思う。諦めたくない。蛇池の夢でありチームの夢を、追い続けたい。
学祭まであと半月、構内は忙しない雰囲気だ。
その中で後輩をつかまえ、提案書の文言や私情になっていないかのチェックを頼み込む。
「へー再提案……大也先輩、来年以降もカーリング続けるんすか?」
何気なく言われて、はっとした。
一年でガクチカをつくるつもりだった。蛇池も一年で日本選手権優勝を掲げている。
来シーズンはどうなる――?
「先輩が狙ってる代理店の長期インターン、追加募集してるのに」
「えっ? 詳しく」
現実に戻る。自分としたことが、重要な情報を取り逃していた。なりふり構わず聞き出す。
「久遠さんの働きが評価されて、うちの広研からもう一人採用しようってなったんですよ」
なんと、久遠のおかげらしい。
他大の広研所属学生もインターンに参加しているのに、さすが自分が勝手に張り合っていた男だけある。彼に及ばないと認めたほろ苦さも吹き飛ぶ。
大手代理店の内定が欲しいのは、何もない自分を埋めたかったから。
しかしチームジャイレンのセカンドとして活動し始めた今、改めて、人の夢を後押しする仕事に就きたいと思う。
長期インターンの追加枠に合格すれば、ぐっと近づく。ビッグチャンスだ。
ただ、同じ枠に広研メンバーの多くが挑戦するはず。早速準備に取り掛からなければ。
「採用担当者さんが学祭の視察に来てくれて、面接もその日だそうです。……どうしました?」
続く言葉に、固まった。面接もその日、って。
うちの学祭は、十一月頭の祝日に開催される。関東ブロック予選の決勝と、同じ日だ。
見事なダブルブッキングの日まで、半月。
「オレがいなくても、チームジャイレンは関東予選勝てるよな。負けたらスポンサー打ち切りは気にしなくていい。でも長期インターンの追加枠に合格したらしたで、また試合に被ったりしそう。つかなんで決勝と面接が同じ日なんだよ……っ!」
営業終了間際の、人もまばらな福富湯で唸った。
数日経っても、どちらを選ぶか決めきれない。
「そんな事態になってたのか」
おもむろに話し掛けられ、胡乱な目を向ける。自分は祖父と違い、利用客と雑談する仲ではない。
裾まくりしたジャージから覗く雪肌。鋭い視線。――蛇池ではないか!
「何してんの!?」
「バイトだ。誰かさんが後期授業始まって、毎日は頼みにくいとさ」
「バッセンは?」
「八月に辞めた。シーズン中は試合で土日のシフト入れないからな」
蛇池は備品のブラシを取り出しながら答える。
そんな事態に、と言ったか?
迂闊に声に出すんじゃなかった。よりによってこの男にばれるとは。背負わせてやると約束したのに、話が違うとどやされるに決まっている。
「面接、受けろよ」
「え」
「えって何だ」
「その、あの、引き留めて……くれないのかよ」
「はあ?」
蛇池が眉間に皺を寄せる。
やっぱり合わない――いや。
「素人に毛が生えた程度のチームメイト、いてもいなくても同じだよな」
曖昧に笑う。今の自分は何もなくない、セカンドという居場所があると気が大きくなって、自分を過大評価してしまっていた。
対する蛇池は盛大に溜め息を吐き、番台まで歩み寄ってくる。
「内定が欲しいんだろ。長期インターンに合格すれば、道が拓ける」
そのとおりだ。彼が正しい。
スポンサーに打ち切りを申し渡されたように、カーリングでは客観的な成果を出せていない。
今後の人生を決める採用選考では、ガクチカ以上にインターン経験が強い。
ではなぜ、こんなに悩むのだろう。
「けどさ、決勝蹴って面接選んだのに落ちたら、カッコ悪くない……?」
さんざん弱みを見られてきたせいか、蛇池の前では本音が出せる。
まだ万年二位な自分を怖がっていたようだ。面接の合格は保証されていない。
「それ言ったら、アスリートはみんな恰好悪いことしてるぞ。どんなに努力しようと、勝ちを掴めるのは一チームだけ。勝てなきゃ無駄だ。無駄なものに価値はない」
蛇池は事もなげに言う。確かにほぼすべてのチームが負けて終わる。
「だが、意味はあると思ってる。でないとスポーツなんざやってられない。恰好悪くて上等だ。面接も、そういうもんでないのか」
思わず感嘆の息を吐いた。蛇池の、その人生を選んだ覚悟と迷いのなさは、純粋に恰好いい。
面接と試合は、意外に似ているらしい。
「大事なのは勝った負けたじゃない、か。うーん、そう言えるのって勝者だけな気が」
でもすぐ王者の中身まで真似はできなくて、ぐだぐだ言い募ってしまう。
「先に合格したライバル、あんたを意識してないってわざわざ言うってことは、意識してるんだよ。自分と違うラインでいつか肩並べるかもってな。だから自信持て」
「そうなの?」
蛇池は根気強く励ましてくれた。
久遠が自分を意識? 実感がない。真の勝ち組久遠に負けていないところといったら、効率によらない楽しみ方を知っているくらいか。
最近までそんな発想はなかった。無駄なく効率よく成果を出すのが勝ちだと思っていた。だが――。
「『福富大也』は、人の役に立つのを頑張れる男だ。ただの石じゃない、時間は掛かってもきっと輝く」
「……っ、ジャイレン熱ある?」
「おい」
もったいないほどの後押しに、茶化しでもしないと涙が出そうだ。
今日も番台に持ち込んでいた手帳を、ぐっと握り締める。
「そこまで買われたら、面接で万年二位返上しないとな。オレは価値を掴む。おまえは勝ちを掴め」
「もともとそのつもりだ。一年で日本選手権優勝するって言ったろ」
四月に掲げた目標は、半年経った今、あのときとは違って聞こえた。
達成したい思いが、半年前よりずっと強い。チームジャイレンの一員として行けるところまで行きたい。
「オレ、おまえの背中から絶対降りない」
「物好きだな。まあ、あんたも道連れだ」
胸を張ってチームに帰ってこられるよう、面接に全力で挑もう。
月末、日本協会のサイトにて、フィンランドで行われる世界ジュニアB選手権の代表メンバーが正式発表された。
内定していたWINNERSのメンバー四人。
そして五人目に、蛇池の名が書かれていた。
◎
「TAKUです。なじらね?」
――世界ジュニアBまで、ひと月半だな。本戦行ってくれよ[¥11111]
「『ごうじょっ親父』さん、ありがとうございます。早めにフィンランド入りする予定なので、活動費にさせてもらいます。もちろん簡単に負ける気はないですよ。ぶっ倒したい人がいますし」
――昔、国内でもそうやって勝ち上がったよね
「ひひ、強いチームがたくさんいる北海道で優勝して日本選手権出るほうが、世界ジュニア出るより難しいかもしれないね~」
――てかメンバーどうなってるの?[ヘアメンテ代¥1000]
「……協会の意向ってやつしょ。髪はね、もう死んじゃってる」
同時にコン、とストーン同士が当たり、ハウス内の配置が変わる。
「この場合、どう考えてもドロー・レイズだが、ヒット・ロールしたいか?」
ひと足先に練習を始めていた蛇池が、次に投げる皇に尋ねた。
ドロー・レイズは、味方に当てて残す。
ヒット・ロールは、相手に当てて自分は残る。
皇はブラシの柄に顎を乗せ、にやーっと笑う。新しい黒縁眼鏡を掛けている。
「変な言い方……」
こちらも季節外れのネックウォーマーの下で、むふんと鼻息を吐く。
先の日曜、福富湯にメンバーを呼び出した。休憩エリアで男子五人、膝を突き合わせる。
『素人だから手じゃなく口出させてもらいますけど。よく考えなくてもオレたち、合わなくて当然なんだわ。まずここにいる理由がばらばらだもん。オレは内定のためのガクチカだったでしょ』
『そうなの……?』
『知りもしないじゃん』
放置していた、根本の課題に切り込む。これを解決しなければチームとして前に進めない。
『皇は面白いゲームしたい、不動は皇を楽しませるのと北国のエリートに勝ちたい、和智さんは男子カーリング盛り上げたい、ジャイレンは最高のスキップになりたい』
端的に再確認していく。蛇池の夢に触れた途端、他の三人が揃って彼を凝視する。
『ふーーーん』『知りませんでした』『なれるよ』
コメントに差はあるものの、微笑ましげな反応だ。いつもなら堂々としている蛇池もさすがに面映ゆかったのか、
『あんたこそ、名前に負けないくらい必要とされたいんだろ』
とこちらを道連れにした。
『名前なんだっけ……』『知りませんでした』『福富くんがいなきゃ今日だって集まれてないよ』
……気恥ずかしい。皇には下の名前すら認識されていなかったが。
ともかく、それぞれが望むものを共有した。
その上で、チームをつくった蛇池に、WINNERS復帰を断ったことと、チームとしての目標を改めて話してもらった。
『メンバーは誰でもいいと思ってたが……今は考えが変わってなくもない』
『そこは変わったって言いきれよ』
個人の望みは合わせなくていい。ぜんぶ叶える方法がひとつある。
『おまえたちが任せてくれるなら、俺はこのチームを、日本選手権で優勝させる』
二言はないかどうか、氷上練習でお手並み拝見となったのだ。
「しまらない顔をするな」
蛇池が八つ当たりしてくる。雪肌だから耳の赤さが目立つ。
「ふふふ。おれはどっちも投げたくないけど」
「はあ?」
「こっちのストーンに、この角度で当てる。そしたら、こうなってこうなる」
皇はブラシで、複数のストーンをぼんぼんと示した。蛇池の眉間の皺が薄れる。
「テイクアウトか。そしたら相手の思惑を潰せる」
「それだけじゃない。次に投げる人はこうもこうもできて……」
結成五か月にしてはじめてのチームミーティングの後、ふたりはシミュレーションゲームのパラメータ改良について話し込んでいた。
ひとたび「話せる相手」認定したら、皇のトークは止まらない。これがゲーマーらしい。
チーム最大の問題だった彼らの雪融けにほっとする一方、首を捻った。
「てかこのストーン、そのまま後ろに押されるんじゃないの?」
手帳のメモページはだいぶ埋まっているが、「えっそうなるんだ」というケースにまだ出くわす。
「ストーンは、ショットのラインに対して直角に割れる法則ー」
楽しげな皇が、すーっとハックへ向かいながら教えてくれるも、ぴんとこない。実際のショットを見よう。
皇がデリバリー姿勢を取る。ゴーッ、コン。彼の言ったとおりになった。
「赤いストーンの右肩に黄色いストーンを当てたら、赤いストーンは左足方向、黄色いストーンは右手方向に弾かれた。ほんとに九十度、直角だわ」
「伝わった力の配分……それぞれのストーンがどのくらい動くかは、当て方によるよ。たとえば掠める感じだと、相手ストーンは鋭角に少ししか動かなくて、こっちはほぼ真横にハウスの外まで出たり」
「うー、奥が深いってのはわかりました」
一緒に見ていた和智の補足もしっかりメモして、引き下がった。あまり邪魔だてできない。
二週間後にはもう、日本選手権の東京都予選だ。
ショットの順番待ちの間、フェンスの外で腕立てしていた不動に声を掛ける。
「都予選は、『東京の庶民』相手でも倒してくれるよな?」
「自分と同じ、非『北国のエリート』の方々と思うと、打ち倒すのは忍びない気もしますが……」
不動は逞しい腕を組んだ。続く言葉を探している。急かさず待つ。
『自分、皆さんと気持ちを揃えられているか、都度言葉で確認させてください』
彼は銭湯で蛇池の話に触発されてか、新たな個人目標を定めた。
ただし手心が加わってしまいそうな場合は、あえて相手の気持ちを理解しないままでいくつもりだ。
「ジャイレンさんなら、誰が相手でも手加減しませんよね」
「ああ。いつどこで誰と戦っても勝つだけだ」
蛇池が答え合わせする。正解。不動の強面がほころんだ。
「なので、相手の心が折れるまでやります」
善良な佇まいに似つかぬ不穏な物言い。「お、おお」と怯むも、皇は慣れた様子でゲームコントローラーを操る仕草をする。
「健太はあっちのゲームでもすごいよ……無慈悲で。それでいて何キルしても一切叫ばない」
ちなみに皇は『おれは褒められて伸びる人』と申告した。褒められているうちは適当なプレーはしない、と。
「よしよし天空」
四人揃ってハックへ戻る。貴重な氷上練習時間だ。
ハウス側で相手ストーンの想定配置を終えた和智が、目印を示す。
「スピードはいちばん速い、トップウェイトね」
今度は蛇池がデリバリーした。トリプルテイクアウト狙いだ。
「ヤップ!」
「ウォー、だいじょうじゃない?」
これまで幾度となくあった、蛇池と和智の指示が合わない場面。スイープ役の皇はブラシを出したり引っ込めたり、困っている。不動のみ少しブラシを使う。
結果、きっちり三つストーンを弾き出した。
「調整ありがとうね。僕より氷を優先していいからね」
和智が不動を労う。スイープにおいては、不動のぶれなさが活きる。
「……あの。さっきの、和智さんはどう読んだんですか」
ほのぼのしているところに、蛇池も加わった。
氷の読み――角鹿の得意なこと。スキップが指示を出すと考えると、その正確性の差が歴代チームにおけるスキップ交代要因になったと思われる。
蛇池はその差を埋めるべく、シミュレーションゲームに時間を割いてきた。
さらに今、蛇池の指示のほうが正解に近かったのに「俺が正しい」で終わらず、和智の見解を聞こうとしている。
あの蛇池が。チーム始動以来、はじめて。
和智も意識したのか、こほんと咳払いしてから説明する。
「ひとつ前の皇くんのショットで、このライン使ったじゃない? そのときのスイープで溶かした水の膜がまだある、ストーンがよく滑ると読んだ」
「ただ今日のリンクは湿度低めで、一部蒸発しているのが見えました。それで新たに少し溶かしました」
不動も挙手して証言する。蛇池はひとつ頷いた。
「わかった。他にもスイープ中に気づいたことあったら聞かせれ」
思わず皇と顔を見合わせる。ふたりして口を小さく開ける。
(地元にいたときから筋金入りのジャイレンだったのに、歴史的瞬間だわ……!)
これも「最高のスキップ」になりたいからだろう。
チームの目標を達成するため、それぞれ自身の弱点に向き合いつつ、長所を伸ばそうとし始めた。建設的な様子に、自分まで誇らしくなってくる。何せお人好しなので。
「土曜、みんなで飯行きません? 来週の都予選に向けて決起会的な」
「いいねえ。スキップ返還式も兼ねて」
しかし和智の一言に冷や水を浴びせられた。他の三人も静まり返る。和智は銭湯でひとり『不言実行』と言っていたのだが、もしや。
「家庭の事情、大変……? 辞めなきゃだめ?」
「いやいや、預かってたのを返すの」
和智を慌てて否定し、蛇池を見た。
「このチームは、君のチームだ。それと」
かと思えば、こっちにウインクしてくる。
「期待の新人の目途がたったんで、ね」
期待の新人。って自分ですか?
確かに、ショットの基本からスイープのコツまで、惜しみなく教えてくれた。
「じゃあオレがサードですか!」
買ったばかりの競技仕様シューズで滑り寄り、抱き着く。
その腹回りは、もちもちしていない。
地道にトレーニングしていたのだろう。体幹の筋肉がつけば、腰痛もやわらぐ。なのに本当に交替してしまっていいのか。
「福富くんはスイープのセンスがあるから、セカンドはどうかな。で、不動くんがサード」
和智はすべてお見通しとばかりに提案してくる。
実は夏休み中、「じいちゃん家が銭湯」という環境を活かして、番台バイトのない日も毎日タイルを磨いていた。どうせ誰かが掃除しないとだし。
銭湯でもこっそりパッドタイプのブラシを導入した意味があったようだ。
「セカンドって響きは若干トラウマだけど、オレじゃなきゃっていうなら、いいですよ」
「そこまで言ってない……」
「言えたら褒めてやる」
「セカンドは福富さんじゃなければ」
「待って、それも言わせた感……!」
とにかく、リード・皇、セカンド・自分、サード・不動、フィフス兼コーチ・和智とポジションを入れ替えた。
「チームガクチカ」は、「チームジャイレン」として再始動だ。
蛇池は当然のごとくスキップを引き受けると思いきや、ちらちらメンバーを窺う。
「……俺が、スキップをさせてもらっても?」
パシ、パシ、バシ、パシッ。「今さら何言ってんだ」と蛇池の腕をはたく音が四回、リンクに響いた。
シュ、シュ、シュ、シュッ。手帳の星取表に白丸を四つ、書き入れた。
「全勝で決勝トーナメント進出、っと」
東京都予選は、九月の二度の三連休を用いて開催される。
男子は五チームずつ四組に分かれての予選を四日間。その上位十二チームで、関東ブロック予選に進む六チームを決める決勝トーナメントを二日間行う。
ハードだ。でも、日本選手権は一週間ぶっ続け。予行演習と思おう。
決勝トーナメントは「トリプルノックアウト方式」だ。三敗する前に三勝すればいいらしい。予選一位だと二勝の状態でスタートできるイメージだ。
「おはよう。僕らは予選を組一位通過だから、決勝トーナメントは一回勝てばいいんだよね?」
「はい。負けてもあと二回復活チャンスある変則方式ですが、シンプルに勝ちましょ」
軽井沢のリゾートホテルのロビーで確認する。
会場は八月に都リーグを戦ったのと同じカーリング場なのだが、車で五分の距離に会員制ホテルがあり、会員権持ちの皇が「利用券余ってたから」と押さえてくれた。たかったわけではない。
皇と不動、そしてコンパクトなリュックの蛇池も合流する。蛇池は今回、WINNERSのジャージを持ってきていないようだ。
貸与SUVに乗り込む。シートベルトを締めてから、
「これ、対戦する『チーム佐藤』の予選データ分析レポート……です」
昨夜つくった資料を差し出した。
データ分析といっても、勉強がてら他チームのゲームを観戦し、選択したショットの種類や成功率なんかをまとめたに過ぎないが。
後部席のメンバーは「おお~」と声を上げ、助手席の皇も腰を捻って紙を覗き込む。無駄ではなかったみたいだ。胸がじんわり温まる。
一年では技術も熱意も追いつけないけれど、乗っかるだけではいたくない。
(さて、と)
氷上の二重丸のそばに立つ。今回はセカンドとして、チーム佐藤との再戦に臨む。
出し惜しみせず蛇池がLSDを行い、後攻スタートだ。幸先がいい。
「二点先制! ……ん?」
第一エンド、何とか指示どおりこなせた。だが他のメンバーは笑っていない。
「最終ショット、こう当ててこう飛ばせば、三点取れた。おれたちにはうるさいおじさんみたく言うくせに日和ったんだ……」
「おじ!? それはただの悪口だろ。どう考えても俺の当て方が正し……ごほん、そんなに言うならスイープで調整すりゃよかったろうが」
「よしよし天空」
「何を褒めたんだ何を」
遠慮なく言い合い、第二試合待ちの他チームがざわめく。その中に以前蛇池をコケにした青年もおり、ほら見たことかとほくそ笑んでいる。
額に手を当てた。人間、そう簡単に変われないか?
「その割に、点差は広げてるな」
ぎゃいぎゃい声が飛び交おうと、皇が坦々とショットを重ねる。蛇池の指示も、「うげ」と感じる選択があれば、
「ジャイレンさん、無謀です」
「無謀とか言うな」
「氷をよく見てください」
不動が善良かつ無慈悲な笑顔で却下する。
「スキップの指示に従えよ……! じゃあこっち!」
ハウス側でしゃがむ蛇池がブラシをバシッと持ち替え、目印の位置を動かす。
もはや相手チームにも進行補助スタッフにも引かれているが、ゲーム運びは冴えていた。
「だいぶこなれてきたねえ」
和智が待機席でちょいもち笑いする。
不満を溜め込んだ末にぶちまけるのと違い、問題なさそうだ。
(蛇池は陰口のほうが嫌いだもんな。好感度を気にしなけりゃ、いっか)
相手のチーム佐藤は守備重視スタイルである。裏返せばビッグエンドをつくるのは不得手だ。都リーグではもどかしい思いをさせられたが、今日は彼らにリズムをつくらせない。
スチールして7‐2とした第八エンド、相手スキップの佐藤が蛇池に右手を差し出した。コンシードだ。
チームジャイレンは、一発で関東ブロック予選進出を決めた。
「都予選突破!」と、手帳に書き込む。
広研の学祭企画は、担当を減らしてもらった。後輩は「えー大也先輩抜けちゃうんすか」と言ってくれたけれど、正直、カーリングのほうが楽しい。
祖父が番台に座り続けるのも、似たような気持ちなのかもしれない。
「あ、不動から預かった領収書の精算してやろ」
いつしか、チームジャイレンの選手で営業でメンターを、あと五か月と言わず、続けたくなっている。
関東ブロック予選は、十月半ばの三連休に予選、十一月頭の祝日に決勝トーナメントというスケジュールで組まれている。会場は引き続き軽井沢だ。
男子は各都県代表と昨シーズン優勝チームの計十六チームで、わずか一枠を争う。
「目の前の相手に勝つだけだ。北海道だってブロック枠はひとつしかない」
「西日本は西日本でブロックひと括りです。一府六県しか協会が設立されていないのもありますが」
「関東も茨城と埼玉には協会ないんだよね。カーリングやってみたいって人の窓口は欲しいけど、シートがないとなると難しいねえ」
「建てる? シート常設リンク。二十億くらいなら……」
「まさかの真横に出資者」
SUVは、試合の行きも帰りもカーリング談義が絶えない。
車窓は東京よりひと足先に紅葉している。
チームジャイレンは、四チームずつの予選を全勝通過した。
東京のチームは都リーグで切磋琢磨していて関東の中でレベルが高いのもあるが、快進撃と言っていい。
「にしても、お腹は痛くないけど腕痛い……」
「遠回しにスイープたくさんさせられた文句言うな」
「自分は毎日トレーニングしてますんで、安心して氷読み違えてください」
「その励ましもどうなんだ」
「僕が三年前までいたチームより雰囲気いいよ。付き合いが短いぶんしがらみもないっていうか、スキップのカラーだねえ」
「ど……、どうも?」
足りない部分を補い合うのはもちろん、蛇池がメンバーを引き上げている。多彩なショットを放てる彼が最後に控えるのも頼もしい。
日本選手権は、北海道・東北・中部・関東・西日本ブロックの代表五チームと、前回の優勝・準優勝チーム、そして協会推薦の三チームで戦う。
男子は三強が頭ひとつ抜けているが、チームワーク次第では互角以上に戦えそうだ。
「このまま負けなしで日本選手権優勝したりして!」
――しかしそううまくいかないのがスポーツであり、人生だった。
「え? 日本選手権予選で負けた時点で、スポンサー契約打ち切りですか?」
スポンサー企業に先月の活動報告書と領収書を持っていったら、担当者に申し訳なさげに言い渡されてしまった。
「業務効率化を掲げる役員さんに、『遠征している割にメディア露出が少なく広告効果が見合わない』『社内の士気高揚にもつながっていない』『うちが予算を割く必要はあるのか』って言われちゃって」と。
マイナースポーツのスポンサードは、社会貢献活動としても無駄と思われたようだ。
夜、日課の銭湯掃除に勤しみつつぼやく。
「確かにオレも、メディア露出の少なさとか外的課題は感じてた。その解決に一企業が取り組む意義があるかって言ったら……」
水を張ったタイルに洗面器を滑らせる。浴槽の縁にスコン! とヒットする。
「そりゃ、景気は良くならないし戦争は止められないよ。でもオレという人間は四月より成長したよな? 人が成長すれば会社もよりよくなります。ってのを説得力ある資料に落とし込むために、広研の力貸りよ」
再度営業すべく、広研の仲間に協力してもらうことにした。
四月の自分が今の自分を見たら、手を掛け過ぎて効率がよくないと眉を顰めるだろう。
でも、これは自分の役割だと思う。諦めたくない。蛇池の夢でありチームの夢を、追い続けたい。
学祭まであと半月、構内は忙しない雰囲気だ。
その中で後輩をつかまえ、提案書の文言や私情になっていないかのチェックを頼み込む。
「へー再提案……大也先輩、来年以降もカーリング続けるんすか?」
何気なく言われて、はっとした。
一年でガクチカをつくるつもりだった。蛇池も一年で日本選手権優勝を掲げている。
来シーズンはどうなる――?
「先輩が狙ってる代理店の長期インターン、追加募集してるのに」
「えっ? 詳しく」
現実に戻る。自分としたことが、重要な情報を取り逃していた。なりふり構わず聞き出す。
「久遠さんの働きが評価されて、うちの広研からもう一人採用しようってなったんですよ」
なんと、久遠のおかげらしい。
他大の広研所属学生もインターンに参加しているのに、さすが自分が勝手に張り合っていた男だけある。彼に及ばないと認めたほろ苦さも吹き飛ぶ。
大手代理店の内定が欲しいのは、何もない自分を埋めたかったから。
しかしチームジャイレンのセカンドとして活動し始めた今、改めて、人の夢を後押しする仕事に就きたいと思う。
長期インターンの追加枠に合格すれば、ぐっと近づく。ビッグチャンスだ。
ただ、同じ枠に広研メンバーの多くが挑戦するはず。早速準備に取り掛からなければ。
「採用担当者さんが学祭の視察に来てくれて、面接もその日だそうです。……どうしました?」
続く言葉に、固まった。面接もその日、って。
うちの学祭は、十一月頭の祝日に開催される。関東ブロック予選の決勝と、同じ日だ。
見事なダブルブッキングの日まで、半月。
「オレがいなくても、チームジャイレンは関東予選勝てるよな。負けたらスポンサー打ち切りは気にしなくていい。でも長期インターンの追加枠に合格したらしたで、また試合に被ったりしそう。つかなんで決勝と面接が同じ日なんだよ……っ!」
営業終了間際の、人もまばらな福富湯で唸った。
数日経っても、どちらを選ぶか決めきれない。
「そんな事態になってたのか」
おもむろに話し掛けられ、胡乱な目を向ける。自分は祖父と違い、利用客と雑談する仲ではない。
裾まくりしたジャージから覗く雪肌。鋭い視線。――蛇池ではないか!
「何してんの!?」
「バイトだ。誰かさんが後期授業始まって、毎日は頼みにくいとさ」
「バッセンは?」
「八月に辞めた。シーズン中は試合で土日のシフト入れないからな」
蛇池は備品のブラシを取り出しながら答える。
そんな事態に、と言ったか?
迂闊に声に出すんじゃなかった。よりによってこの男にばれるとは。背負わせてやると約束したのに、話が違うとどやされるに決まっている。
「面接、受けろよ」
「え」
「えって何だ」
「その、あの、引き留めて……くれないのかよ」
「はあ?」
蛇池が眉間に皺を寄せる。
やっぱり合わない――いや。
「素人に毛が生えた程度のチームメイト、いてもいなくても同じだよな」
曖昧に笑う。今の自分は何もなくない、セカンドという居場所があると気が大きくなって、自分を過大評価してしまっていた。
対する蛇池は盛大に溜め息を吐き、番台まで歩み寄ってくる。
「内定が欲しいんだろ。長期インターンに合格すれば、道が拓ける」
そのとおりだ。彼が正しい。
スポンサーに打ち切りを申し渡されたように、カーリングでは客観的な成果を出せていない。
今後の人生を決める採用選考では、ガクチカ以上にインターン経験が強い。
ではなぜ、こんなに悩むのだろう。
「けどさ、決勝蹴って面接選んだのに落ちたら、カッコ悪くない……?」
さんざん弱みを見られてきたせいか、蛇池の前では本音が出せる。
まだ万年二位な自分を怖がっていたようだ。面接の合格は保証されていない。
「それ言ったら、アスリートはみんな恰好悪いことしてるぞ。どんなに努力しようと、勝ちを掴めるのは一チームだけ。勝てなきゃ無駄だ。無駄なものに価値はない」
蛇池は事もなげに言う。確かにほぼすべてのチームが負けて終わる。
「だが、意味はあると思ってる。でないとスポーツなんざやってられない。恰好悪くて上等だ。面接も、そういうもんでないのか」
思わず感嘆の息を吐いた。蛇池の、その人生を選んだ覚悟と迷いのなさは、純粋に恰好いい。
面接と試合は、意外に似ているらしい。
「大事なのは勝った負けたじゃない、か。うーん、そう言えるのって勝者だけな気が」
でもすぐ王者の中身まで真似はできなくて、ぐだぐだ言い募ってしまう。
「先に合格したライバル、あんたを意識してないってわざわざ言うってことは、意識してるんだよ。自分と違うラインでいつか肩並べるかもってな。だから自信持て」
「そうなの?」
蛇池は根気強く励ましてくれた。
久遠が自分を意識? 実感がない。真の勝ち組久遠に負けていないところといったら、効率によらない楽しみ方を知っているくらいか。
最近までそんな発想はなかった。無駄なく効率よく成果を出すのが勝ちだと思っていた。だが――。
「『福富大也』は、人の役に立つのを頑張れる男だ。ただの石じゃない、時間は掛かってもきっと輝く」
「……っ、ジャイレン熱ある?」
「おい」
もったいないほどの後押しに、茶化しでもしないと涙が出そうだ。
今日も番台に持ち込んでいた手帳を、ぐっと握り締める。
「そこまで買われたら、面接で万年二位返上しないとな。オレは価値を掴む。おまえは勝ちを掴め」
「もともとそのつもりだ。一年で日本選手権優勝するって言ったろ」
四月に掲げた目標は、半年経った今、あのときとは違って聞こえた。
達成したい思いが、半年前よりずっと強い。チームジャイレンの一員として行けるところまで行きたい。
「オレ、おまえの背中から絶対降りない」
「物好きだな。まあ、あんたも道連れだ」
胸を張ってチームに帰ってこられるよう、面接に全力で挑もう。
月末、日本協会のサイトにて、フィンランドで行われる世界ジュニアB選手権の代表メンバーが正式発表された。
内定していたWINNERSのメンバー四人。
そして五人目に、蛇池の名が書かれていた。
◎
「TAKUです。なじらね?」
――世界ジュニアBまで、ひと月半だな。本戦行ってくれよ[¥11111]
「『ごうじょっ親父』さん、ありがとうございます。早めにフィンランド入りする予定なので、活動費にさせてもらいます。もちろん簡単に負ける気はないですよ。ぶっ倒したい人がいますし」
――昔、国内でもそうやって勝ち上がったよね
「ひひ、強いチームがたくさんいる北海道で優勝して日本選手権出るほうが、世界ジュニア出るより難しいかもしれないね~」
――てかメンバーどうなってるの?[ヘアメンテ代¥1000]
「……協会の意向ってやつしょ。髪はね、もう死んじゃってる」


