朝陽に浅間山(あさまやま)が浮かび上がる。
 東京都リーグは、八月から三月まで月一ペースで行われる。都協会主催だが、都内にカーリングシートがないため、長野の軽井沢まで出向く。
 東京から二時間、運動公園内のカーリング場に、灰色のSUVが到着した。
「はい起きろー。スポンサーさんが貸与してくれたクルマ、快適なのはいいけどさ」
 道中、後部席の蛇池と不動と和智は、互いの肩を遠慮なく枕にし合っていた。蛇池はたまに起きてスマホを触っていたが。
 それを嫌がってか「助手席じゃなきゃ一緒に行かない」とのたまった皇が、のそりと最後に降りる。ずっとヘッドフォンをしてタブレットでゲームしていた。ハンドルを握るこちらと、一言も会話なし。
「福富くん、運転ご苦労さま。クルマもありがとうね」
 和智だけが腰をとんとんしつつ、労ってくれる。
 学生五人でロードムービー的なシチュエーションなのに、青春っぽさなし。
 まあいい。自分は睡眠も、避暑地対策の重ね着もばっちりだ。手帳を突き上げる。
「いえ。逆転劇の第一歩ですから。初陣、勝つ!」
「あんた気合だけは選手並みだな」
 不動とともにトランクから用具を下ろす蛇池が、ちくりと言ってきた。まだ靴はスニーカーにスライダー装着、ブラシも交替したメンバーに借りるつもりだからか。
「選手だけど? 手応えどうよ」
「俺がいる」
 何だかんだ自信たっぷりな蛇池に、自分たち四人も続いた。

 ここは日本最大級の専用リンクだという。細長いシートが連なる様はオリンピックや世界ジュニアの映像と同じで、テンションが上がる。
 その一方で、リンク利用料を出し合い、アイスメイクも分担と、手づくり感のある交流戦だ。
 今日集まったのは男女各八チーム。全チーム午前と午後に一ゲームずつできる。
(午前の相手は「チーム佐藤(さとう)」。チーム名はスキップの名前、ってのが世界的な通例なんだよな。それだけ権限がでかいんだ。だから実質スキップのジャイレンも態度がでかいのか?)
 チームガクチカ(引き続きそう呼ばせてもらう)のフィフスの自分は、リンク端の待機席にしずしず着いた。
 鮮やかな黄色のジャージは、「新チーム?」と注目を集めている。広告効果は狙いどおり。露出を増やすべくチームのSNSアカウントも開設してある。
 実力でも驚かせる、と意気込んだのだが――。
 時間短縮のため八エンドゲームの、第六エンド終了時点。
 チームガクチカは、2‐4で負けていた。
 シートと手帳を見比べ、貧乏ゆすりする。
(蛇池のストーン、相手のスキップに弾き出されちゃうし。和智さんは複数失点防ぐので精一杯だし。めっちゃ守りに入ってない?)
 こんなはずではない。失点の次のエンドは、有利な後攻になる。二点、できれば三点取って最終エンドにつなぎたい。パワーのある男子なら、三得点以上もぎ取る「ビッグエンド」も充分あり得る。
 氷上の蛇池もたぶん、同じ考えで指示を出している。
 ただ皇は頷きもせず、ふらりとハックに着いた。眼鏡で表情は見えない。まあいつものことではあるか。
 最初の二投を担当するリードは、「ガード」を置くのが主な仕事だ。
 相手に簡単にハウス中心へストーンを運ばせないよう、手前の「フリーガードゾーン」にストーンを並べる。ハウス外のストーンは取り除かれるのだが、このゾーン内なら置いたままにできる。セカンドの一投目まではぶつけてどかすのも禁止だ。
 後攻の場合、先攻のガードを弾き出さない程度に動かしたり、あとで使えるよう別の位置にガードを置いたりして、ベースをつくる。
(まだストーンがないところに置いてくの、マイペースな皇にちょうどいい。……ん?)
 しかしここにきて、目印の位置からオーバーした。少しのずれでも、避けにくさはだいぶ変わる。案の定、蛇池が文句をつける。
「練習より氷溶けてて、ストーン滑りやすいって言ったろ! 合わせろ!」
 皇が耳を手で覆う。人の大声が苦手っぽいが、逆転勝利が掛かっているので、自分も蛇池に同意だ。
 次のセカンドは、相手がガードをどう使うか見て対応し、サードが投げやすいよう配置を整える。不動はそつなくこなした。
 おかげで蛇池がダブルテイクアウトと、味方ストーンに当てて動か(レイズ)しつつ投げたストーンもその場に置く(ドロー)「ドロー・レイズ」を決める。どちらも一投で複数のストーンの配置を変えるショットだ。周りのカーラーより細腕なのを感じさせない。
(ぎゃんぎゃん言ってるけど、言い返せないくらい正確でパワフルなショットだわ)
 とはいえ、すべてはスキップで決まる。
 二十代後半と思われる相手スキップは、二投目をハウス中心にフリーズ――こちらのストーンの手前にくっつける――して終えた。
 ただ、世界ジュニアでの「キング」のフリーズと違い、わずかに隙間がある。
 和智の最後のショットで対応可能だ。
「相手のナンバーワンストーンに、回り込む軌道で当て(ヒットし)て出す。んで、こっちのもハウス内に留める(ロール)。そしたら、くっつききってないから影響受けずに後ろに残ったのと合わせて、二点取れる。よな?」
 手帳をペンの背でなぞった。シミュレーションゲームでも試してみる。理論的には可能だが……。
 カーリングは持ち時間制で、都リーグでは一チーム三十分しか話し合いできない。それで八投×八エンドを賄わねばならないので、長考はできない。
 独りハウス側にいる蛇池が、ブラシで目印を示す。
 あの位置と角度は、自分が考えたのと同じ、「ヒット・ロール」を求めている。
 でも、ハックの和智は目を丸くした。かつてのジュニア日本代表をしても、難しい要求らしい。
「難しいショット選ぶの、チーム佐藤の思うつぼな気もしてきた。ミスったら相手の得点だし」
 どんな配置にするかの戦略は無限にある。ショットの種類もいろいろある。スキップがすべて決める。ただ、状況によって選択肢はどんどん狭まり、それしか選べないようにされる場合もある。
 だが蛇池は譲らない。和智のほうが折れ、ストーンに回転をかけて送り出す。
ウォー(掃くな)!」
「ヤップ!」
 蛇池が「掃くな」、和智は「掃け」と叫ぶ。真逆の指示に、ブラシを持つ不動と皇が迷った。目を見合わせ、スキップの和智に従うことにしたようだ。
「ウェイトいい感じ? もっと曲がれ……うぐぐ、やっぱだめか」
 スイープし始めるのが遅れたせいか、ストーンは曲がりきらず、自分たちのストーンを掠った。相手のストーンも押しきれない。
 後攻なのにナンバーワンを確保できず、スチールされてしまった。
 蛇池が舌打ちする。和智は「曲がりにくい(ストーン)だったね」と苦笑いだ。不動は「まあまあこういうこともあります」とあっさり次のエンドに向けてハウスをリセットしている。
「相手のスイープでも氷溶ける、会場が変われば備品のストーンも変わる、を試合では考慮しないといけないのか」
 メモの字が貧乏ゆすりで揺れる。
 チームガクチカの初戦は、3‐5で敗れた。

「スポンサーさんに提出する華々しい活動報告書、もう書いちゃってるんだけど? チームSNSも、最初の投稿が連敗のお知らせになったらカッコ悪過ぎ」
 昼食休憩で二階ホールへ移動するなり、蛇池に訴える。こっちはできることをすべてやっている、そっちはどうなんだ、と。
「知らん。メンバーのレベル差があるし、実戦経験も不足してる。仕方ないだろ」
 蛇池はそっぽを向いた。仕方ない、とは彼らしくない。というか、他の人のせいにしていないか?
「あと結成間もないから、コミュニケーション不足もあるね。チーム佐藤は親戚同士で組んでて十年目だ」
 和智がやんわり問題点を指摘する。
 相手を甘く見ていたと反省した。
 だが蛇池は「自分は間違っていない」という態度を崩さず、スマホを見ている。
「まあまあ、食べましょう」
 険悪な空気の中、不動が丸テーブルに弁当を広げた。タフだ。
「はあ。あれ、皇は?」
 そう言えば一人見当たらない。それぞれ顔を見合わせる。
「俺も言いたいことがある」
「お腹痛いって言ってたよ」
「トイレ立てこもり?」
「自分さっきトイレ行きましたが、いなかったです」
 ――脱走か。やれやれと立ち上がった。
 他のメンバーには午後のゲームに備えて食事していてもらい、探しに行く。移動の足がないので公園内のどこかにいるだろう。
「皇ー。ったく、なんでオレがこんなこと」
 陽射しの降り注ぐテニスコートを横目に、カーディガンを脱いだ。この時間帯は軽井沢といえども暑い。早く皇を回収したい。
「ふむむみむん」
 後ろから、重量級の足音が聞こえてきた。不動だ。弁当を掻き込んだらしく、口をもぐもぐさせながら捜索に加わる。
「皇って虫平気そう? 芝生エリアのほうも見に行くか」
「人間よりは平気だと思います」
 何だそれは。呆れつつ、濃い緑に囲まれた東屋へ足を運ぶ。
 ここにも見当たらない。不動が大きな背中を縮こまらせた。
「……自分のせいです」
「それはない。ジャイレンに怒られ続けて凹んだんだろ」
 正直、皇は軟弱だと思う。歳上に厳しく言われただけで折れていたら、スポーツでも社会でも生き残れない。次のゲームで見返すくらいしてほしい。
「いえ。天空が凹んでいると、まったく気づきませんでした。前のチームでもそうでした」
 次の場所へ向かう足を止めた。誰が見ても明白な人間関係の問題に、まったく気づかなかっただと?
 太い眉じりを下げた不動が続ける。
「他高生と組んでいたんですが、天空に服や電子機器をくれとせがんだり、合コンにしつこく誘ったと。天空が練習前に腹痛で動けなくなるまで気づけませんでした。自分、人の気持ちの理解に欠けるんです」
「そっ、か」
 思い返せば、不動は練習がごたついても、蛇池が悪口を言われても、けろりとしていた。
 ただ、皇にたかる側に染まってもいない。
 こちらとしては、ぶれないメンバーがいるのはありがたい。
「それはそれで、周りから悪影響受けないし、切り替え早くていい面もあるけどな」
 何より「理解に欠ける」と自覚しているのといないのとでは、ずいぶん違う。
(一見そつなく見えるこいつにも、難があったわけだ。オレもほんとは……)
 思わぬタイミングで我が身を顧みらされ、ぎゅっと手を握り込んだ。
 一方の不動は強面をほころばせる。励ましが効いたようだ。
「責任取って前のチームを抜けて、天空と二人きりで楽しむつもりでした。ジャイレンさんのチームに入ることにしたのは、強いチームと戦ってみたいのもありますが、天空にカーリングを嫌いになってほしくなくて。天空を見つけたら一緒に家に帰ろうと思います」
「待て待て、そっち方向に切り替えるな」
 慌ててその太い腕に取り縋った。自省は後回しだ。
 ここでチームが空中分解したら、最強のガクチカをつくる計画も頓挫してしまう。
 途中でやめたくない、という気持ちが湧き上がる。
「『北国のエリート』にまだ勝ってないじゃん。勝ってこそ楽しいし、好きになるよ。オレたちも三人じゃ楽しくない。わだかまり解いて、一緒に午後のゲーム勝とう」
 それらしいことを言う。天空に寄り添えるなら、他のメンバーがどう感じるかも想像してみてくれと、腕を掴む手に力を込める。
「なるほど。一理ありますね」
 不動が再度軌道変更してくれて、事なきを得た。コミュスキルが鈍っていなくてよかった。
 だが、肝心の皇を発見できない。やっぱりカーリング場内かも、と引き返す。
「天空」
 途中で不動が駆け出した。その背を追う。
(あ。顔のいいお坊ちゃんが道に落ちてる)
 スマホだけ持った皇が、タクシー乗り場そばの日陰で三角座りしていた。
 神経質に人の気配を察知して顔を上げるも、すぐ膝の間に仕舞い直す。全身で「無理」を表している。
「リンクに戻ろう」
「……やだ。あの人すぐ怒るし、一択しかくれなくてつまんない」
 不動の迎えも、拗ね声で拒否する。
 やはり蛇池が原因だった。名指しでなくとも歴然としている。
 わだかまりを解く方法は、単純だ。
「わかる。謝らせよう」
 すかさず蛇池にLINE電話を掛けた。意外に二コール目でつながる。経緯を説明する。
『俺は正しいことを言っただけだ』
「いやそこは空気読めよジャイレン」
 自分も皇に思うところがないではない。だがチームの風通しをよくする一言すら取り繕えないのか。
 ガクチカのためもあるが、焦れる。
 こそこそ説得するも、蛇池は『思ってもない台詞は言えん』と意固地になる。まったくどいつもこいつも。
 スマホに向かって大きく身振り手振りしていたら、不動が肩に手を置いてきた。
()っ……、どした?」
「天空に無理させたくないです。あとで自分が頑張るので、今日は家に帰らせても構いませんか?」
 重要なショットのように長考、するまでもない。
 このままでは埒が明かないし、皇の扱いは不動がいちばん長けている。
「そうすっか」
 日本選手権での大きな結果のために、今日の小さな結果は捨てる判断をした。とりあえず最悪は回避できたし。
「天空、今日は――」
 不動が皇に帰宅許可を告げる。皇はほっとした様子で立ち上がった。ばつが悪げにこちらをちらりと見てから、待機していたタクシーに乗り込む。
 自分たちが発見するまで、彼なりに踏みとどまっていたとも言える。
「西麻布まで」
 って、軽井沢駅までじゃないのか!?
 運転手も驚いて聞き返した。裏腹に皇はすんと座って目的地を繰り返す。東京の西麻布、と。
「……がちのお坊ちゃんじゃん」
 呆然と、新幹線の十倍金の掛かるご帰宅を見送る。
「ですかね?」
 不動は同調しない。小さく笑い、「あいつのフォロー任せたぞ」と肩を組んだ。

「練習どおりドローすれば大丈夫だよ」
「はい」
「自分の髪の癖の出具合を見ると、午後のシートはキーン(滑りやすい)ですね」
「そんな見分け方あるの、っくしょおんぉん!」
 座っているだけで成果ゲットと思いきや、二戦目にして出番が回ってきた。そのためのフィフスだが、身体が強張る。
「三人でもプレー可能だ。俺と不動が三投ずつ投げればいい」
「いやリードくらい務まるわ」
 和智や不動と異なり気遣いの欠片もない蛇池を見返してやりたかったものの、彼が示す目印から少し――かなりずれがちになる。
 二刀流エースとしたことが。
「はあ。こんなガード配置見たことないぞ」
 ただ攪乱にもなったようで、社会人チーム相手に勝利を収められた。
「ひとまず一勝できてよかった……」
「ああ。再来週の北見(きたみ)カップにつながる」
「は?」
 人心地つく間もなく、蛇池の顔を覗き込んだ。和智も、自分の鞄と皇の鞄を両肩に担いだ不動さえも。
 再来週の? 北見カップ?
「だめ元で申し込んだら、選考突破した。新チームだが競技普及中の関東拠点なのが考慮されたな」
「なに一人で進めてんだよ。ってそれもあるけど、おまえふつうに出場する気?」
「出ないわけないだろう。北海道ツアーのひとつだぞ」
 北海道ツアーは、八月に行われる四大会を指す。
 その名のとおり北海道を中心に強豪チームが集結する。申し込み多数の場合、主に昨シーズンの成績で選考される。
(WINNERSとかの「三強」も出るんだよな)
 日本選手権を想定したゲームができる貴重な機会なのは確か、だが。
「飛行機のチケットも仮押さえしてある」
「その前に、チームまとめなきゃじゃない? 北見カップでいいゲームするためにも、ね」
 暴走する蛇池を、和智が制してくれた。年長者様々だ。
 出る出ない以前の問題がある。
「別に仲良しこよしでなくていいでしょう」
 しかし蛇池は悪びれない。不動まで、
「強いチームと対戦すれば自然とまとまるのでは」
 などと言い出す。その熊さん顔は、北国のエリートと戦って、勝って、皇を楽しませようという意気に満ちていた。さっき蛇池の言葉に反応したのはこちらの意味らしい。
(まあ、午後のゲームは勝つには勝てた)
 自分としては、結果がすべてだ。メンバーの半数がこう言っているなら、それほど深刻に捉えることはないか? 皇も不動が宥めすかして連れてくるだろう。
「はいはい。チームワークについては、時間が解決してくれるってことで」
「君たちがそう言うならいいけど……」
 和智が苦笑しつつ議題を取り下げる。早朝出発で長時間移動して二ゲームしたせいか、頬に張りがない。
(皇には蛇池に適応してもらわないとだし、蛇池も勝つために言い方気つけるよな)
 結果を出すという方向性は一致している。そう信じて、SUVに乗り込む。
 チームガクチカは長い一日を終えた。

  ◎

「TAKUです。なじらね(元気)? 今さっきカナダから帰ってきたよ。シューズちゃんとか、自分でスーツケース出てお部屋(クローゼット)入ってくれないかな」
 ――サマーカップ、ベスト4おめでとう![¥5000]
「あ、情報サイト見てくれました? ありがと~賞金もありがと。世界ジュニアB選手権に向けて、貴重な経験を積ませてもらえました。イタリアのジュニア代表チームともライブ(対戦)できたんだ」
 ――TAKUくん時差平気ですか
「ぼく時差ボケしたことないんですよ。体内時計のリズム、自然とその土地のメロディに合います。ひひ」
 ――次は北見カップだね
「はい。……会えるの、なんまら楽しみ。ほら、北見の氷ちゃん半年ぶりに会うんで」
 ――蓮くんと喧嘩してる?
「喧嘩したことないですよ。先輩可愛いですし。この前も電話しましたし」
 ――じゃあなんでさっきみたいな顔したの
「ふあ~、明日も朝リハーサル(練習)なんで、したっけね」

  ◎

 都リーグ翌週の水曜、チームガクチカは北海道へ飛んだ。お盆で和智も休みなのはよいが。
「飛行機代()っっっか。ジャイレン帰省大変っしょ。帰りに実家寄ってけば」
「……遊びに来たんじゃない」
 せっかくの親切を、蛇池はぶすっとした顔で流し、里帰りや旅行者集団の先頭に出る。
 大きなリュックを背負った背中に、続く者はいない。
 和智は腰をとんとんし、皇と不動は最後尾でうだうだしている。皇は満員の機内の時点で「人間多過ぎ」と蒼い顔だった。
 その皇に歩調を合わせる。
「今回、来てくれてありがとな。親御さんにもよろしくお伝えしといて」
 蛇池に代わって感謝を告げた。今や、選手で営業でメンターだ。本来蛇池が言うべきだが、今は競技に集中させてやろう。
(ってジャイレン、ずっとスマホ見てるし)
「ん。あの人やだけど……てか人間は基本やだけど、健太(けんた)は割と好きだから」
「健太? ああ、不動ね」
 視線を皇に戻す。不動本人が横にいるせいか、はにかむように俯いている。
 不動のある意味人間らしさの欠ける言動が、皇にとってはちょうどいいとみた。
 ちなみに今も不動は「割と好き」を言葉どおりに受け取り、むしろ残念そうにしている。
「健太が教えてくれたカーリング、ゲームの中でも面白いし、もうちょっとやってもいい」
 皇が続ける。気の合う友だちと楽しく遊びたい、というわけか。ささやかで単純な目的だが、チームガクチカとして結果を出してくれるなら構わない。
「またジャイレンにいじめられたら、オレに言いな」
「え、スネ夫だったの?」
「そこは出木杉くんだろ」
「もしかして自分、しずかちゃんでしょうか」
 茶番はその辺にして、空港を出る。皇は「ふーん……怒らないんだ」とにやにやしていた。
 ともあれ、バスで大会会場を目指す。
 北見カップは明日開幕だ。公式練習日の今日、会場のシートやストーンの特徴をしっかりチェックしておきたい。
 空港連絡バスから、ターミナルでさらに市バスへ乗り換える。
(白波大学前。ここだ)
 到着したのは、日本最古の専用リンク――を十年前隣接地に移転新築した、国際規格の施設だ。
 常設のカーリングシートを六つも備える。ただし客席数は約二百。
(はるばる現地観戦のハードルは高いか。そのぶん、北海道ツアーはYouTubeで公式配信されてる。とはいえチャンネル登録者は一万いってない。もう少し増えると広告効果上がるのにな。試合結果も、日本選手権くらいじゃないとテレビのニュースに乗らなくて、ファンが運営する情報サイト頼りだし)
 氷上でショットの順番を待つ間に、あれこれ分析した。競技自体の課題も見えてくる。
 ガクチカとしてどこまで関わるか。
 どれだけ貢献できれば、必要とされるか――。

 まず三日間、予選が行われる。
 五チームずつ二ブロックに分かれて総当たり戦だ。北海道のチームと軽井沢のチームに囲まれた。
(まあ今回、それ以外を本拠地とするのはチームガクチカだけですけど)
 結成一年目で素人がいるのも、もちろん自分たちだけ。
 おてやわらかに、と念じながらシートに出ていく。
「うわ、蛇池だ。よく地元にのこのこ顔出せるな。あったら(あんな)形で出てったのに」
 途端、客席から蛇池の悪口が降ってきた。二百席規模だから結構聞こえる。この町が地元なのか。
 蛇池のジャイアンな態度は、筋金入りらしい。大学生らしき男性グループにひそかに共感する。
「角鹿引き抜いたくせに揉めてクビになって、新チームだあ? スポンサーついてる……うちのクルマだ。次、違うメーカーに買い替えるか」
(待て待て、それは困ります。ジャイレンどんだけ嫌われてんだよ)
 わたわた振り返る。スポンサー企業のパンフレットをどうにか手渡したい。
 しかし今度は大きな歓声が聞こえ、リンクに向き直った。
 別ブロックの、北海道WINNERSが登場したのだ。その一人、青いジャージにオレンジゴールドヘアの角鹿がにこりと手を振れば、観客どころかスタッフや他チームの選手まで手を振り返す。
「TAKUのお顔、生で拝めたぁ~」
「カナダで武者修行させてもらってる間、時差のせいで配信お休みだったもんね」
 客席の女性ファンが、声高らかに「TAKU」の動向を語り合う。
 カーラーで配信者の「TAKU」は、WINNERSの角鹿拓海だった。
 可愛い顔立ちで、SNSのフォロワー数は一人で日本カーリング協会を上回る。
 その上、彼の氷の読みは、ジュニアの枠を超えた天才レベルだという。
「角鹿、こっち戻ってきてくれないかなあ。年々巧くなってるし」
 先ほどの男性グループまでうっとりしている。蛇池と対照的に当たりが優しい。日本ジュニア選手権で地元のチームを倒したのは同じなのに。
(カナダの大会で、海外の一般チーム相手に四位に食い込んだんだっけ)
 男子はこの二十年で一回しかオリンピックに辿り着けていないのを考えると、快挙と言える。
(日本一になるには、こいつに勝たないといけない)
 強化体勢はWINNERSのほうが充実している。本拠地の市をあげての支援がある。
 チームガクチカは、ハイシーズンの北海道に毎週行き来する資金すらない。女子の人気チームはクラウドファンディングを活用しているが、実績のない新チームではそれも叶わないだろう。
(でも、実力で勝ってくれるっしょ。……ん?)
 ウォーミングアップする蛇池の背中を、自分だけでなく角鹿も見ていた。
 単なる先輩後輩を超え、崇拝さえ感じられる。他の誰も眼中にない。
(天才が向けられるほうの視線じゃないか?)
 なぜかこちらの背筋が冷え、「ぶわぇっくしょおんぉん!」とくしゃみする。
 当の蛇池は相変わらず、皇と不動に文句を垂れていた。

 予選第一試合。北海道のチームが相手だ。
 第一エンドの先攻・後攻を決める「ラストストーンドロー(LSD)」に、蛇池が名乗りを上げる。
(チームの代表一人が、時計回り回転と反時計回り回転で一投ずつドローする。ハウス中心からの距離の合計が短いほうが、後攻か先攻か選べる、と)
 リンク端に設けられたフィフスの待機席で、手帳と解説本を開いた。
 ショットの正確性と、会場の氷やストーンの特徴をいち早く把握できるかが鍵だ。
「うお、両方十五センチ以下……!」
 蛇池は抜群のショットコントロールを発揮してのけた。国際大会でも三桁――百センチ以上になることがあるのを考えると、かなり良い数字だ。
 この男、客席からの圧が強いほど活き活きする。
 有利な後攻スタートを選び、その勢いで快勝を収めた。番狂わせに会場がどよめく。
「蛇池のやつ、『俺が正義!』って感じでプレーしてんの、逆に悪役っぽいけどな」
 都リーグの苦戦が嘘みたいだ。
「癖のあるストーンはあの人用、ないストーンはおれと健太用に分けたんだ……」
 皇の脱走も後を引いていない、と思う。宿の大浴場には断固入らず食事も別々だが、無理に同席させたら却って調子を崩しかねない。適切な距離感を保っておく。
(チームガクチカはこれでいい。よな?)
 大会二日目、予選第二・三試合。
 一勝一敗。ただ、一敗は「三強」の一角・軽井沢リゾート相手だ。許容範囲内。
「不動、『北国のエリート』に勝った感想ちょうだい。SNSに載せる」
 フィフスの自分は、SNSのまめな更新を心掛けた。フォロワー数が増えるほどガクチカが強くなる。
「嬉しいです」
「もう一声」
「北国以外出身でも勝つことができて、夢のようです」
「よし。まあうちも半分北国エリートではあるけどな」
 蛇池は自信に満ち溢れ、不動と皇はゲームを楽しみ、和智は美食を味わいもちもちしている。
 態度がジャイアンだろうと、人の気持ちの理解に欠けようと、人間が嫌いだろうと、二十一歳にして腹肉腰痛持ちだろうと、こちらのガクチカ計画を妨げなければ、別にいい。

 大会三日目、予選最終戦。引き続きフィフスの待機席から見守る。
 決勝トーナメントがかかった試合は、一点差以上つかない接戦になった。
 ミスがなければ、後攻チームがラストショットでナンバーワンを確保し、一点入るのだ。
 ただ交互に一点取り合っていても勝敗がつかない。
「どう勝負に出る? ジャイレン」
 4‐4、後攻で迎えた第九エンド。蛇池と和智が頭を寄せて話し合う。
 他のチームにはコーチが帯同しているが、ゲーム中選手と話せるのはハーフタイムと一回のタイムアウトのみだ。すべては選手――スキップに委ねられている。
 その和智の口が、「ブランクエンド」と動いた。
 得点できなかったチームが、次のエンドの後攻になる。ただしハウスにストーンがひとつも残らない「ブランク」で両者0点だった場合、次のエンドも先攻・後攻は交替しない。
「最終エンドを有利な後攻で臨めたほうがいいよな」
 しかし蛇池はきっぱり首を振る。三得点以上のビッグエンドにして点差をつければいいと言いたげだ。
「そしたら相手は最終エンドを絶対ビッグエンドにしなきゃいけない。同点で延長ならうちが後攻か。それもありかも?」
 攻め重視スタイルでいくと決めたとおり、蛇池の案が採用された。
 後攻ながらガードを駆使して、ハウスの中にストーンを溜めていく。
 相手はストーンを減らすべくテイクアウトをもくろむも、ストーンが滑りにくくなっていてうまくウェイトを出せない。
「スイープすると、ペブル(氷の粒)が溶けてつるつるする。スイープし過ぎると、ペブルが潰れて引っ掛かりやすくなる……理系の世界だな。お、二点取れた!」
 頭を使ううち、和智がラストショットを放った。蛇池が示した三点取る目印には応えられなかったものの、堅実にナンバーワン・ツーまで確保する。
 そして最終エンドを一失点で切り抜け、ブロック二位で決勝トーナメント進出を決めた。
 強豪チームにはまだ歯が立たないかと思いきや、昨シーズンの日本選手権で一~三位だった「三強」と並ぶ形だ。
「やった! ベスト4は賞金出るし、優勝したらメディア取材されちゃうかも」
 むふんと鼻息荒く、手帳に実績を書き込む。取材されたときのコメントも考えておこう。
 顔を上げると、和智が公式配信用カメラにジャージの企業ロゴを向け、お辞儀していた。助かります。
 一方蛇池は、「勝って当然」という顔でシートから引き上げる。
「蓮くん、世界ジュニア前にWINNERS脱退してどうなっちゃうのって思ったけど、東京でチームつくってたんだ」
 初日にTAKUの話をしていた女性ファンが言い交わす。
 蛇池のこの四か月半のあがきは、カーリングファンにも知られていない。アピールしなくとも、勝ちさえすれば「最高のスキップ」になれると信じて疑わないように見える。
 その揺るぎなさが、リンクと同じくらい眩しかった。

 決勝トーナメントは、各ブロック二位までと、三位のうち勝率が高いほうの計五チームで行われる。
 もし勝率が同じなら、「ドローショットチャレンジ(DSC)」――予選全試合のLSDの平均値で決まる。
 決勝トーナメントの組み合わせも、DSCで振り分けられる。
(LSDって、最終ショット並みに重要じゃん)
 だから蛇池が背負ったわけか。
 チームガクチカは、WINNERSとは決勝まで当たらない逆の山に入った。
 試合開始は夕方。腹ごしらえも兼ねて、いったん会場を後にする。
「ジャイレン、おまえじゃないと知らない美味いラーメン屋案内してよ」
「しょうがないな」
 蛇池はおだてると乗ってくれる。そこもジャイアン。
 皇と不動は寿司を食べるというので「腹下すなよ」と釘を刺し、タクシー乗り場で別れる。更衣室で寝落ちた和智は置いてきた。彼はスタッフや他チームに旧い知り合いが多いし、困りはしまい。
「な、元チームメイトと早く対戦したかった?」
 タクシーの車窓から広大な小麦畑を眺めながら、蛇池に水を向ける。
「別に。元チームメイトなら他の北海道のチームにもいる」
「え、そうなの?」
「ああ。いつどこで誰と戦っても勝つだけだ」
 と、蛇池は大見得を切ったのに。
「蓮先輩もお昼ごはんですか? 練習後のラーメンさんといったらここでしたよね」
 十分後、国道沿いのレトロなドライブインで角鹿と鉢合わせるや、さっき降りたタクシーに再び乗り込もうとする。
「ちょ、ジャイレン逃げんのかよ」
「はあ? 誰がだ。ここより美味い店を思い出したんだ」
 絶対嘘だ。揚々とタクシーを降りただろう。
(こいつ、角鹿が苦手なのか? あんな崇拝の目で見つめられといて)
 まったく恰好のつかない蛇池に、角鹿がふんわり声を掛けてくる。
「電話の返事、お待ちしてますね」
 ――電話の返事? 首を傾げるうちにタクシーに引っ張り込まれ、再移動を余儀なくされた。

 十七時。再びシートに戻る。
 決勝トーナメントは「三強」の最後のひとつ、北見クラブと対戦だ。
「あっち応援のおじさんたち、異様に圧あるな」
 なんて呑気に会場を見回していたら、第一エンドにいきなり二点スチールされた。こちらのガードストーンを利用された形だ。
「シート、朝よりスウィンギーで(曲がりやすく)誤差も大きいので、後攻ならガードは置かないほうがいいかと」
 不動が申し出る。スイープの際に間近で氷を見ており、貴重な意見だ。
 ペブルは一ゲームごとにつくり直す。会場の温度湿度で溶け方も変わり、ストーンの滑り具合が変わる。
「いや。俺はこのシートで何年も練習してきた。すぐキーンに(曲がりにくく)なる」
 しかし蛇池は毎度のごとく聞き入れない。メンバーもこうなったら覆せないとわかっていて、食い下がりはしない。
 その結果、チームガクチカは全員素人か? というくらいショットミスを連発した。
「ヤップ!」
 蛇池が叫ぶ。ただスイープで調整できるといっても限度がある。
 皇は適当にしか掃かず、眼鏡の奥で「……これ意味なくない?」という顔をした。
 蛇池の目つきは険しいどころではない。こうしたいというイメージが頭の中にあるのにちっとも実行できず、自分も世界もまとめて呪っている感じだ。
(圧に強いはずが、どうしちゃったんだよ。やっぱ昼に角鹿とエンカウントして以降変だぞ。入ったラーメン屋もしょっぱくてぬるくて美味しくなかったし)
 こちらも待機席を崩落させんばかりの貧乏ゆすりを繰り出す。
 完敗では成果にならない。わざわざ北海道まで来たのにコスパもタイパも悪過ぎる。
 三十代の熟練メンバーで固めた相手はしかし、ミスを見逃してくれない。チームガクチカのストーンの滑り具合から、自分たちのショットを調整もする。隙がない。
「第六エンド終わって2‐7か……」
 残り四エンド中、後攻を半分ずつ分け合うとして、相手が無難に一点確保すれば九点まで点が伸びる。チームガクチカは三得点のビッグエンドを二連続でしても追いつけない。
「ひとまず第七エンドは二点取ろう。終盤はまた氷の状況が変わって、相手もミスするかもしれないしね」
 氷上の和智が、穏やかに指を二本立てた。激しいスイープ続きな不動と皇の体力気力をぎりぎりつなぐ指示だ。
 にもかかわらず、実質スキップの蛇池は受け入れない。待機席まで聞こえなかったが何やら意見した皇を、むしろどやしつける。皇がびくっと肩を揺らし、汗を拭こうと外していた眼鏡を氷面に取り落とした。
「皇くんの言うとおりだよ。何を焦ってるの? だいじょう(大丈夫)?」
 和智に窘められ、蛇池ははっとしたように唇を噛む。
はんかくさい(愚かだ)な、蛇池。ずーっと一個下の角鹿に勝たせてもらってただけだって、いい加減自覚し()よ」
 また頭上の客席から陰口が聞こえた。
 蛇池のキャリアを改めて確認してみる。北海道WINNERS、その前の高校チーム、その前の地元クラブチームすべてで結果を残している。
 そしてそのどれも、角鹿が一緒だった。しかも彼が加入するやスキップの座を明け渡している。
 観客の言うとおりなら、蛇池も二番手なのか……?
(でも、おまえのショット、素人のオレには本物に見えるよ)
 シートでちょうど、蛇池がハックを蹴った。
 自分たちのストーンを押してハウスの中心に近づけつつ、ショットストーンもガードとして残す「ドロー・レイズ」を試みる。
「……ウソだろ」
 だが曲がり過ぎたストーンは、さまざまな問題や本心を見て見ぬふりするみたいに、どのストーンにも当たらずハウスをスルーしてしまう。
 普段の蛇池には考えられないミス。
 隣のシートで同じくゲーム中の角鹿が、ガードの後ろに回り込んで完璧に隠れる「カムアラウンド」ショットを決めたのと対照的だ。
 観客席が沸く。被害妄想かもしれないが、東京のチームは分不相応な大会に来てあんなミスしちゃってかわいそう、と上からな空気を感じる。
 蛇池が乱暴に後頭部を掻いた。
(角鹿に勝ちたいかって訊いたとき、違うって答えたの、勝てないって思ってたからか?)
 氷上にいない自分まで、悔しくて、恥ずかしい。
 結局一点スチールされた。和智がグローブを外し、笑顔で相手チームのスキップに握手を求める。
「……コールドだ。カーリングでは『コンシード』っていうんだっけ」
 点差が大きく逆転を望めないとき、スキップが相手の勝ちを認め、ゲームを早期終了できる。
(負け試合でずるずるあがくのは効率よくない、もんな)
 自分も手帳を閉じた。
 体力温存したし、明日の最終日には何か成果を掴んで帰れるだろうと、まだ信じていた。