「カーリングの大会動員数を教えて」
 AIアシスタントを駆使して、カーリングに関する資料を集める。企業に持っていくスポンサー提案書を作成するためだ。
「え、北海道にある日本最古の専用リンクの席数、たったの二百? 他のカーリング場も同じくらいだ。そもそも関東には専用リンクなしか」
 手帳に数字をメモしながら、渋い顔になる。企業側が広告を出すメリットが見出せない。
 ガクチカにマイナースポーツを選んだのは、非効率だったか。
「男子の競技人口はどのくらい?」
[約千七百人です]
「少なっ。野球は高校男子部員だけで十二万五千人なのに。あ、でも日本一への道のりが近くて、コスパよく日本王者をスポンサードできますって切り口でいけるか」
 何とか提案書を形にしていく。去年の学祭のスポンサー営業用フォーマットを流用したから、項目を埋めていけばいい。
「御社の寒冷地仕様モデル車のPRになります、と」
 営業先は自動車メーカーに狙いを定めてみた。移動用のクルマを提供してほしい、というコスパ込みだ。
「うーん。肝心の、チームのビジョンが弱いか」
 なぜ勝ちたいのか。勝ってどうなりたいのか。
 蛇池に訊いても、「アスリートは誰だって勝ちたいだろ」で終わりそう。
 そこを考えてあげるのが、自分の役割でありガクチカアピールポイントだ。思考をめぐらせる。
「……社会にスポーツはなぜ存在する? オレが生きている意味は?」
 考え込むあまり、哲学めいてきた。いったん寝かせよう。

 新しい環境での挫折が露わになる魔の月、五月を迎えた。
 毎週水曜の朝は、登校前に千駄ヶ谷のスケート場へ出向く。
「ぶわぇっくしょおんぉん、お疲れ」
「このうるさい人、なんでアレルギーなのに何回も来るの……」
「チームメイトだからだよ」
 高校生とはまだ打ち解けていない。最低限だからいいけど。
「おい、さっさとストーン投げろ。投げないならおまえの順番も俺が投げる」
 技術習得の進捗はというと、ストーンをハウスに届かせられるようになった。ほぼ独学で。
「むしろもっと教えてくれてもよくない? 蛇い蓮(ジャイレン)
「誰がジャイアンだ」
 傲慢な蛇池とは、毎回言い合いになる。ガクチカのためだからいいけど。
 そこに青年が一人、すーっと滑ってきた。
 王者のファンか――と思いきや、青年は蛇池の素を見透かすかのごとく顎を上げた。不動と皇も一瞥して、鼻で笑う。
「マジで悪あがきしてんだ? ジュニア日本一の北海道WINNERSをクビになった蛇池クン」
(え、ジュニア? クビって?)
 弾かれたように蛇池を見た。
「俺のチームをつくりたいから、俺から辞めたんだ」
 蛇池は淡々と返す。ただ、目はばきばきだ。真剣で、切実で、燃えている。
「ははっ。おまえは角鹿に一生敵わねえんだよ。東京のリーグ荒らさないでほしいわ」
 青年は言うだけ言って、遠巻きに窺っていた男女混合グループのほうに合流した。
 わざわざ蛇池をコケにするとは。以前こてんぱんに負かされた恨みでもあるのか、それとも本当はチームに誘われたかったのか。
(いや。素人のオレに声掛けたの、経験者に断られまくったからなんじゃ)
 実は不動と皇も、何か難があって蛇池のチームにしか入れなかったのだったりする?
 ある可能性に思い至った。
「……もしかして」
「何だ」
 蛇池が、あんたも言いたいことがあるならはっきり言え、とばかりに促してくる。
「日本選手権優勝できるって、はったりか!?」
「ツッコむとこそこかよ!」
 そこも何も。こちらとしては、一年で成果を出せるかどうかのみが重要なのだ。
 不動はひたすらスイープ練習している。皇に至っては興味なさげにヘッドフォンをつけたまま。
 唯一、カーリング体験グループでコーチ役を務めるふくよかな男性が、こちらをじっと見ていた。

 スケート場から直接登校して早々、貧乏ゆすりした。
(確実に一年で日本一になれるなら、蛇池の言動がジャイアンでも、前のチームを辞めた経緯がどうでも、オレは構わないけど)
 ただクビとなると、無視できない問題があるに違いない。
 講義の資料を見るふりで、タブレット端末を開く。「北海道WINNERS」をネット検索した。
 メンバー全員二十一歳未満のチームで――。
(やっぱ日本「ジュニア」王者じゃん! ……ん? でも二月の日本選手権でも三位だな)
 それほどのチームを、なぜ辞めてしまったのか。
 調べたが詳細のリリースは出ていない。まあ態度がプレーに影響したのだろう。そのせいで素人に縋るほどメンバー集めに難航していたのが、現実とみた。
(蛇池を信用し過ぎたな。あいつと心中するわけにはいかない)
 検討の時間も無駄。さくっと方向転換しよう。
 他のガクチカを見つけるべく、広告業界内定者の就活体験談を斜め読みする。
 イベントの企画運営。海外の子どもたちへの学習支援。地元のエコプロジェクト――。王道だが二番煎じ感が否めない。
(ただの学生が、一年で何ができんのって話よ)
 貧乏ゆすりが激しくなる。同じ列に座る広研仲間に「大丈夫?」と言われてしまい、慌てて止めた。早期内定をもぎ取る有望学生は、ガクチカで行き詰まったりしませんよ。
(スポーツチームなら短期で結果出る。ただし優勝できないと意味ない)
 根本が揺らぐ。その週は、自分としたことが冴えずに終わった。

 来週まで引き摺りたくない。日曜、バッティングセンターに向かった。草野球で続けるほどの思い入れはないが、気晴らしには持ってこいだ。
 プロ選手のバーチャル映像と対戦できるバッセンは、ゴールデンウィーク中というのもあって賑わっている。
 ブースに入る。一球目からフルスイングする。
「スポーツは、どう人を成長させるー?」
 ヒット。目下、引っ掛かっているのはこれだ。手間と時間を掛けて、こうよくなりました。と具体的に言えなければ、採用面接で評価されない。それでは取り組む意味がない。
 再びフルスイングする。
「早く内定欲しー!」
 ヒット。こんなにコミットしているのに、タイパ派の久遠に負けるのはおかしい。というか、タイパを極めて自由を確保したとて、その時間を何で埋めれば?
 ……そう思う自分が怖い。振り払うようにフルスイングする。
「万年二位、やめt」
「すみません。他の利用者さんのご迷惑になりますので、お静かにお願いします」
 何球目かに注意されてしまう。何だかデジャヴだと振り返る。
 施設の制服姿の――蛇池と目が合った。
 身体の横をボールが通過し、ゴッとネットに当たる。
「何してんの!?」
「だからうるさいんだって」
 ブースから引き摺り出され、通路へ連行された。間違いなくジャイアン、いや蛇池だ。
「ちょ、まだ球残ってる」
「……バイトだ」
「は?」
「あんたの質問に答えたんだが」
 喧嘩腰で返される。そうだけどそうじゃない。
「北海道の大学通ってんじゃないの」
 WINNERSのサイトに書いてあった。
「調べたのか?」
「気になるだろ」
 悪びれず言い返す。利害関係の継続を左右する問題だ。そっちは一人で何とでもするつもりなのかもしれないが。
 蛇池はめいっぱい息を吸い込み、そのまま吐いた。
「休学してる」
「え、自分のチームつくるために? そこまでする理由って、何」
 はじめて彼の事情を聞いた。それとともに、スポンサー提案書をつくっていたときと同じ疑問が浮かぶ。
 金ではあるまい。カーリングは、プロ野球のような商業化はなされていない。人気でもないだろう。
 勝利を目指して鍛錬するのはどの競技も同じだが、価値の差が大きい。そもそも。
「勝っても、景気良くならないじゃん。戦争止められないじゃん? なのになんで」
 蛇池は眉間に皺を寄せ、黙り込んだ。
 まあ、有望学生の自分が頭を捻っても出てこない答えが、蛇池から出てきはしないか。
「夢がある」
 と思いきや。照れもせずに言いきった。
 夢、か。
 あの選手みたいになりたい、という夢。あの選手のようにはなれない、という挫折と表裏一体だ。
 自分も野球の道は中学で諦めた。
(ひと握りの選ばれし人間以外は、練習ではグラウンドの隅に追いやられて、試合もスタンドにしか立てないのに、学生生活捧げるのは無駄過ぎるもんな)
 その点マイナースポーツは、一発逆転の夢を大学生になっても持ち続けられるのかもしれない。
 蛇池に肩を寄せる。
「おまえの夢って、角鹿とかいうやつに勝つこと?」
 水曜の朝練で聞いた名を挙げた。もしそいつが本物の「王者」なら、「新王者になること」が目標にして成果になる。
「ち……がう。最高のスキップになることだ」
 しかし蛇池は歯切れ悪くも否定した。
「最高のスキップ、とは」
「すべてを背負う」
「背負えんの?」
「俺ならできるって言ってるだろ。……今はまだ口だけだが」
 彼らしからぬ自嘲の笑みまで浮かべる。
 それでも、利害関係をやめるのを――やめた。
 自分の代わりにではないが、蛇池の夢を叶えてみたくなったのだ。もともと広告代理店狙いなのは、本当に価値あるものを広く知らしめることで自分の人生も輝かせたい、みたいなところがある。
 彼の態度も、「王様のような言動のチームメイトとやり遂げた」とコミュニケーションスキルをアピールできると思えば、許容範囲だ。
 自販機で栄養ドリンクを二本買い、一本蛇池に手渡す。
「シフト中なんだが」
「今さらっしょ」
 せっかくの美人顔を顰める蛇池の前で、ドリンクをぐびっと飲む。ちょっと喉がむずむずしたが耐えた。
「オレさ。早期内定欲しくて、各大学の広研のエースが集まる大手代理店のインターンに応募したんだ。なのに合格したのは同期のライバルで、オレは落選。逆転のために成果が欲しいわけ」
 蛇池の瓶を握る手に、力がこもる。少しは響いたか? 
「自分語りを俺に聞かせてどうする」
「だーかーら! 協力して、お互いなりたいもんになろうってこと。おまえはプレーでチームを勝たせる。オレはプレー以外でチームを勝たせる」
 悩みを打ち明けて共感を引き出し、約束を取りつけるのもコミュニケーションスキルのひとつだ。
「……暑苦しいが、わかった」
 ドリンク瓶を傾ければ、蛇池はコン、と自分の瓶をぶつけてきた。


 翌週。スーツに身を包み、自動車メーカーの本社ビルを見上げる。
 規模こそ国内ビッグ3に及ばないものの、戦前から続く老舗だ。
 持参のタブレット端末には、「カーリングチームのスポンサー提案書」最終版データが入っている。
 蛇池に[スポンサー営業行ってくるわ]とLINEしたら、既読だけついた。プレー以外面は任せる、というわけか。
「さて、広研の二年生エースらしいところ見せてやりますかね」
 もともと営業は得意だ。蛇池の自信とはったりをひそかに真似して、アポイントに臨んだ。

 水曜朝の定期練習に、足取り軽く向かう。
「これスポンサー契約書。リンク使用料とか出してもらえることになった。選手で営業の二刀流エースって呼んで」
 蛇池を待ち構え、タブレット画面を見せつけた。
 営業は我ながらうまくいった。「これから王者になる」と、先方の企業理念である「未来への助走」に合致するよう展開したのだ。
 蛇池は、契約書とこちらの顔を見比べたのち、口を開く。
「二番手エースだろ」
「ちょ、二番って言うなよジャイレン」
「そっちこそ変なあだ名つけるな」
 感謝されるどころか扱き下ろされた。それも地雷な「二番」という単語を使って。
 むっとしたが、頭の中で「ガクチカ」「コミュスキル」と唱えてアンガーマネジメントする。
「ふう。とにかく、おまえそのビジュアル活かして何かしない? カーリングの試合の動画観たけど、ショットのとき顔がアップで映るじゃん。画面映えするイケメンは広告効果も高いってわけ」
 気を取り直して提案した。契約で、ユニフォームのジャージとTシャツに企業ロゴを入れることになっている。たくさん人の目に映るようにしたい。
「ライブ配信やってる『TAKU』ってカーラー、知ってる? ビジュよくて投げ銭すごいんだわ。正直、素材は皇のが上だけど、ファンサはおまえ以上に無理だろうし」
「どこからツッコめば……」
 蛇池は深々と溜め息を吐いた。でも、課題解決はガクチカに直結するので、食い下がる。
「そこをひとつ。何でもするから」
「それ、ほんと?」
「ほんとほんと! ……ん?」
 もうひとつの声は、背後から聞こえた。
 振り返ると、「コーチ」と書かれたビブスを着た、ふくよかな男性が立っている。意外と同年代か。
「じゃあ、よろしくね」
「へ、っくしょおんぉん?」
 くしゃみの隙に、「受付」と書かれたビブスを被せられた。男性はしてやったりのもちもち笑顔になる。
「……和智(わち)さん?」
 蛇池も何やらつぶやくうちに、「コーチ」ビブスを着せられている。
「こちらにお願いしますね」
 いろいろと説明してほしいが、朝から元気な親子連れに突撃されてかなわない。
 リンク貸し切り代を割り勘するのは、自分たちのように公式戦を目指すチームだけでなく、体験会を開催するグループもいる、とはいえ。
「なんでいきなり子ども向け教室の受付やらされてんの? あの人誰?」
 そんな状態でも、仕事を割り振られるとつい対応してしまう。
 とりあえず名簿と照らし合わせてスライダーを配ってと捌ききったのち、改めて謎の男性を見やる。
 ちょうどハックにいた。デリバリー姿勢は小さな雪だるまみたいだが――子どもが蛍光カラーのブラシパッドで示した目印に、ぴたりとストーンを投げてみせる。スイープでの調整なしで、だ。
 蛇池も、謎の雪だるまカーラーをまじまじ見ている。
(え、その視線なに?)
 いぶかしんだところで、スマホが鳴った。蛇池のだ。
「ジャイレン、鳴ってる!」
 こっちを見させようと呼んでやれば、蛇池がすいすい滑ってくる。
 だが画面表示を見て、息を呑んだ。

  ◎

「――したっけね」
 髪色をオレンジに変えたお披露目ライブ配信を終えた角鹿は、スマホを耳に当てた。
 無機質な呼び出し音が響く。朝だからつながらないか……。
「あ、ぼくです。今大丈夫ですか」
『少し、なら』
 蛇池の硬い声が聞こえてきた。背後はざわざわと騒がしい。構わず切り出す。
「蓮先輩のバイス、ぼく以外に務まらないしょや。ぼくのバイスも先輩以外いません。先輩だけはぼくと違う意見も言って、インスピレーションをくれます。どっちがどっちでもいいですが、ぼくと組めるのは先輩ひとりだけと思ってます。帰ってきませんか?」
 世渡り下手でそこが可愛い先輩の本当に望むものを、知っている。
 自分が望めばチームメイトは最終的に受け入れてくれることも。
『……時間をくれ』
「世界ジュニアのエントリー期限まで、お待ちしてますね」
 「ごうじょっぱり」な先輩の攻略には、時間が掛かる。そのぶん口説きがいがあるというものだ。

  ◎

 少年たちが「楽しかったです!」と挨拶して帰っていく。蛇池は何だか懐かしげな、優しい目で見送る。らしくない。
 かと思うと、謎の雪だるまカーラーにビブスを返しがてら、
「俺のチームに入ってくれませんか?」
 とか言い出した。不審者ぶりは相変わらずだが、どういう心境だろう。
「ちょちょ。フィフス入れようなんて、一言も言ってなかっただろ」
「一年で結果を出すには、うまいやつを入れたほうがいい。バイスができる選手は他のチームが放っとかないし、引き抜くにも交渉が難しいんだが」
 そう言われると、バイスは重要なポジションだし、素人じゃなく経験者がいい気がしてくる。
 でも、素人でも蛇池が何とでもしてくれるはずだった。他の人を入れるというのはちょっと……。
「いやー、ブランクあるし、太ったから後半になるとばてて息上がっちゃうよ」
 当の雪だるまカーラーは、ブラシでよろよろ掃く仕草をする。頼りない。
 だが蛇池は彼の前に仁王立ちし、言い訳を阻んだ。
「では、スイープしないスキップをお願いします、和智さん。東京にいらしたんですね」
「えっ」
 チームガクチカも、和智と呼ばれた男性も、蛇池を二度見する。
 あの蛇池が、スキップを譲る? さっきのすぐ切った電話でお母さんに叱られでもしたのか。
 小声で「三年前のジュニア王者だ。長野のスーパー高校生だった。……体型が変わってるけど」と教えられる。どうやら知る人ぞ知るカーラーらしい。
 それにしたってお役御免みたいで、割り切れない。
「高い対価になっちゃったな。ま、僕でいいなら引き受けよう。男子カーリングも盛り上がってほしいし」
 口を挟めないうちに、和智が了承する。
 これでスキップが和智、サードが蛇池、自分はフィフスか。氷上に立たなくて済むなら効率はむしろよくなったのに、喜べない。
「ただし、一シーズンだけね。僕、家庭の事情で学費稼がなきゃだから。来年は就活もしないと」
 こちらの複雑な心境を知ってか知らずか、和智が人差し指を立てた。その一シーズンでガクチカをつくろうとしていたのですが。
「問題ありません。初心者の福富に基本を叩き込んでやってください」
 蛇池の返答に、ぴくりと顔を上げた。
 この流れ、もしかして?
「福富くんていうの? ご利益ありそうな名前だね」
 和智が肩にぽんと手を置いてくる。柔和な垂れ目の彼もなかなかに福々しい。
「練習ちらっと見たけど、初心者とは思わなかったな。期待大だ」
 期待。きたい。三音を頭の中で繰り返し再生した。一再生ごとに自信を取り戻す。
 蛇池は、自分のために和智をスカウトしたのだ。スキップはちらつかせただけで、和智はフィフスでサードは自分のまま。最初からそう言ってくれればよかったのに。
「中学まで野球してましたし? 広研仕込みのコミュスキルは何にでも応用できますし? オレが成長すれば、一年で日本一になれますよ」
「日本一? はは、大きく出たねえ」
 蛇池は何とも言えない顔で、こちらを眺めていた。


 次の週から、和智にマンツーマンで練習をつけてもらう。
「デリバリー姿勢は、動画撮ってセルフチェックしよう」
「はい!」
「ショットのウェイトとラインは、数投げて感覚を身につけるしかない」
「ウェイトが速さで、ラインが角度ですよね」
「うんうん。さすが六大生。このくらいの強さでハックを蹴ったら、このくらいのウェイトになる。ウェイトがこのくらいならテイクアウト(弾き出す)ショット、このくらいならドロー(置く)ショットになる。って感じで。福富くんならすぐ覚えられそう」
「へへ、月内にはいけちゃうかと」
 和智は蛇池の百倍教え上手なので、つい熱が入った。まあ朝活ということにしよう。

 六月に入り、じめじめと蒸し暑い。梅雨の気配だ。
 月曜は二限で終わる。いつもはキャンパス内のジムに行くところ、営業開始前の福富湯に出向く。
「じいちゃんのアクアリウム、略してジムにようこそ」
 チームガクチカにも招集をかけた。
「アクアリウムではなくない……?」
「和智さんはいったんノーパソ置いてもらって」
「一応リモート出勤中なんだよねえ」
 仕方がないので、和智のぶんのトレーニングマットは脱衣場に敷いた。
 準備完了、と蛇池を見やる。
「じゃあまずは体幹トレーニングから始める」
 蛇池の睨みが効いたか、不動も皇も、洗い場のタイルに敷いたマットに乗った。
 カーリングは、氷上以外のトレーニングも欠かせないという。「一年で日本一」を確実にすべく、蛇池に「チーム専属トレーナー探すか?」と訊いたら、
「いや。トレーニングとケアは、俺がやってるメニューを教える。スポンサー資金は遠征費として取っといてくれ」
 と堅実な答えが返ってきた。確かに資金は無限ではないので、任せられるところは任せよう。
「――二十九……、三十!」
 ジュニア王者仕様なだけあり、普段トレーニングしている自分でも結構きつい。洗い場は湿度が高く、汗が噴き出す。
「これから大学もあるんで、これでご勘弁……」
 和智は腰をとんとんしながら休憩エリアへ這っていく。大学二部生といっても一歳しか違わないはずが、哀愁が漂い過ぎて引き留めにくい。
「これからテスト期間なんで、これでご勘弁……」
 皇も抜けようとする。こちらは見逃せない。彼が担うのはフィジカルが物を言うポジションだ。
「まだ一セットしかやってないだろ」
「ろ!」
 蛇池と声が重なり、不服げにされた。意見が合ったのになぜだ。
「まあまあおふたり。天空がジムに来ること自体偉いんで」
 余裕な不動が、社会人五年目か? くらいの手際でいなす。
 それにしても、もう高校生のテスト期間か。
 ――いや、ぜんぜん先では?
「スイープ練習も待ってるからな」
 さぼらせまいと、備品のデッキブラシを一人一本配った。
「ただの掃除じゃない? タダ働き……」
「タイパいいって言いな」
 活用できるものは活用する。実際は、「ブラシの動かし方が違うよ」「足の運びはこうです」「腰入れろ」とよってたかって指摘され、ほとんど自分が磨き上げたのだけれど。

 また別の日、有酸素運動として路地をひとっ走り(コースもペースも五人ばらばら)したあと、銭湯の休憩エリアに集まった。
 昭和レトロなソファとマッサージチェア、飲み物を冷やす冷蔵ショーケースがあるきりの小ぢんまりとしたスペースは、満員だ。
「天空と、これでショットのシミュレーションゲームつくってみました」
 不動が、腰に手を当てて牛乳を飲む蛇池に、タブレット端末を手渡す。
「シミュレーション?」
「はい。ショットのウェイトやライン、ハウスのストーン配置、それと氷の滑りやすさも、パラメータで設定できます。設定の計算式が実際に即しているかは要検討ですが」
 蛇池は怪訝そうに画面をタップしたかと思うと、夢中で操作し始めた。まるでゲームに嵌まる小学生だ。
 放っておいて、感心しきりで不動に訊く。
「不動と皇って理系なの?」
「自分は違います。プログラム組んだのはほとんど天空です」
 当の皇はひけらかすでもなく、マッサージチェアに沈み込んでいる。眼鏡が曇ったままだ。
 東京都リーグに向けて名前入りユニフォームを発注するとき、皇の名が「天空」と書いて「しえる」だというので「フランス人かよ」と茶化したら、本当にフランス生まれと判明した。両親とも日本人だそうだが、何者なのだろう。
「てかふたり学年違うけど、何つながり?」
「eスポーツです。カーリングには自分が誘いました」
 そう言えば皇はゲーマーだったっけ。
 この皇をオンラインから引き出してのける不動の手腕が、逆に怖くなってきた。おかげでチーム練習できているので、深くは考えないでおく。
「なあ、それオレもやってみたい」
 自分もタブレットを貸してもらおうと手を伸ばす。バイスとしておおいに必要だ。
「ちょ、『不動のものは俺のもの』ってか、ジャイレン!」
 しかし蛇池に無言で拒まれた。視線は画面に向けたまま身体を捻り、無駄に柔軟性を発揮する。
「システムエンジニアの僕から見てもよく出来てるよ。ステイホーム以降いくつかゲーム開発されたけど、これはショットに特化してるね。スケート場を使える時間は限られてるから、練習代わりになって助かる」
 それを横目に、いちご牛乳とコーヒー牛乳を交互飲みする和智が、ほんわか笑う。
 その飲み方だと腹の()はなかなか融けないのでは。
 最後は蛇池が何とでもするんだし、まあいいか。

 カ、カ、カン! と乾杯の音を響かせる。
 金曜の授業後、広研行きつけの創作居酒屋に繰り出した。八月生まれなので酒は飲めないが。
「大也先輩、最近サークル部室で見かけませんけど何してんすか?」
 中学野球時代からの後輩が寄り掛かってきた。受験で面倒を見たし、今日も飲み会の連絡を寄越してきたし、可愛い存在である。
(特別に教えてやろう)
 氷抜きウーロン茶のグラスを長テーブルの端に避け、愛用の手帳をばーんと開いてみせた。バイスとして指示を出せるよう、ストーン配置をメモしたページだ。
「第一問! 青丸の中にあるこれとこれとこれを一発で丸の外に出すには、どうストーンを当てたらいいでしょう?」
「突然のクイズ来た。こうとかですか?」
 後輩が指で軌道を示す。まったく外れだ。ページをめくり、解答を見せてやる。
「正解はこう」
「えー無理ありますよ」
「ほんとだって」
 今度はスマホを掲げ、自分との比較用に撮った蛇池のショット動画を再生した。他の面々も覗き込んでくる。
 カ、カ、カン! と豪快なトリプルテイクアウトが決まった。
「うおっ、すげえ」
「ちなみにこれ、オレが入ってるカーリングチーム。広告営業もしてる。一年で日本一になる予定」
 むふんと胸を張り、他の三人の動画も見せた。不動は男子、皇は女子の食いつきがいい。意外に和智も「なんか癒される」と好評だ。
 チームガクチカは着実に仕上がっている。素人だった自分も、和智の指導で効率よくそれらしくなった。寒冷アレルギーは相変わらずだが。
「スケート場に通ってたんすね」
「そそ。最強のガクチカつくってんの」
 機嫌よく、後輩と乾杯し直す。
「……何の役に立つんだか」
 と、久遠が酒一杯ぶんの電子決済を済ませ、冷ややかに帰り支度するのも気づかずに。


 七月になった。照りつける陽射しの下、段ボール箱を抱えて福富湯の暖簾をくぐる。
 すっかりチームガクチカのたまり場と化した休憩エリアで、真新しい黄色のジャージを広げた。
「ユニフォームできた! どう? カー娘ならぬカーボーイズだな」
「別にうまくない……」
「黄色、膨脹色だねえ」
「こらこら天空。福富さん、カーリング協会のユニフォーム規定細かいですが、確認されましたか?」
 反応の芳しくなさよ。五人で二か月一緒に練習して、チームワークがよくなったんだか悪いままなんだか。
「そんなことより、DVD手に入った」
 せっかくのジャージはソファの隅に追いやられる。蛇池がポータブルDVDプレイヤーを操作すると、皇までもが身を乗り出した。
「そんなことって。何の映像?」
 一人くさくさと、冷やす前の牛乳の蓋を開ける。
「二月にフィンランドで開催された、世界ジュニア選手権の決勝ですよ」
「お、日本ジュニア王者になったら出られるやつか」
「厳密には世界ジュニアB選手権で上位に入ったらです。このカナダのスキップは、」
 B選手権? と聞き慣れない用語に首を捻りつつ、いつになく饒舌な不動の話に耳を傾けた。
「カーリング王国カナダの、次世代の『キング』と呼ばれています。今年含めて世界ジュニア三連覇中です。自分がカーリングを始めるきっかけになった選手の息子なんです」
「へえ」
 キング。蛇池の世界バージョンだ。
 そう言えば、チームガクチカの仕上がり第一で、他のチームをあまり知らない。
「日本代表は?」
「男子は二十年ほど出場していません」
「なぁんだよ。人のこと二番手とか言えないじゃん」
 拍子抜けしたら、蛇池に睨まれた。理不尽に感じつつも和智のもちもちほっぺに隠れる。
 画面を覗けば、白く眩しいカーリングシートがずらりと並んでいた。客席は、地元ではないのにキングのファンが多く見受けられる。
「ここだ、スチールしたエンド」
「スチールは、不利な先投げの回に得点することね」
 蛇池が再生時間を調整する。何せ一試合二時間半かかる。ぜんぶはとても見ていられない。
 素人のために補足してくれた和智含め、映像を凝視する。
(ええと。一エンド……野球で言ったら一イニングごとに、前のエンドの結果次第で、先投げ後投げが変わるんだっけ)
 一人二ショットを、チーム交互に投げ合っていく。
 カナダの四人目、それまで指示を出していた「キング」が、黄色いハンドルのストーンを握った。
 ハウスには、内側の赤丸内に赤ハンドル、外側の青丸縁に黄色ハンドルのストーンがある。正面――キングから見ると、ほぼ縦一列に並んでいる。
(三人ずつ合わせて十二個もショットしたのに、弾き出したり出されたりで、二個しか残ってない。ほんと、スキップで決まるんだな)
 キングが放ったストーンは、味方のストーンを避け、敵のストーンの手前にぴったりくっつく。それも、ハウスの中心にいちばん近い場所で止まった。
「フリーズショット、痺れますね」
「相手のスキップがこの黄色を弾き出そうと思ったら、ぶつけた自分のストーンも一緒に出ちゃうねえ」
「少し押してナンバーワンを取り返そうにも、後ろに別のストーンがくっついてて難しい……相手スキップ、失敗したな」
 みな感心の息を吐く。
(他のストーンにくっつけるのを、「フリーズ」っていうの?)
 思わず手帳を開いた。どうせならこのショットの面白さをわかりたい。
(全員投げ終わった時点で、ハウスの中心にいちばん近いのが「ナンバーワン」ストーン。ナンバーワンを取ったチームが、得点できる。得点は、相手ストーンより内側にあるストーンの数。ってことは、この場合は黄色のカナダが一点か)
 ルールの確認も兼ねて、ストーン配置とどう動いたかをメモする。
「この人、職人タイプかと思ったら今度はトリプルテイクアウト決めてて、エグい」
「カナダはこのスチールでつくったリードで、優位にゲームを運べたね」
「ですが予選リーグで、次のオリンピック開催地で強化しているイタリアのチームに負けたんですよね」
 メンバーはカーリング談義が止まらない。
 黄色いジャージを着て、観客に囲まれたシートで作戦会議する図を想像してみる。かなり様になっているんじゃないか?
「うちのチームも、守りより攻め重視スタイルでいく」
「了解。攻めた指示出すわ」
 それで蛇池の宣言に呼応したら、変な目で見られた。最低限のはずがわくわくし過ぎたか。
「あんたはフィフスだろ」
「……えっ? ちょ、誘っといてなんだよ!」
 サードは自分だと信じていたのは、自分だけらしい。羞恥でかっと顔が熱くなる。
「僕ばてるから、交替で出よう。ね」
 手帳の八月第一日曜に赤と青の二重丸が書き込んであるのが見えたのだろう和智に気遣われ、よけい居たたまれない。
 ガクチカへの道のりはむしろ順調だと、自分を慰めた。

 セミの鳴き声が聞こえる。大学の前期試験は、広研の仲間と協力してクリアした。
(この夏休みに、スポンサーさんに提出する活動報告書のたたき台つくっとこう)
 金曜二十四時の、しんとしたリンクに踏み込む。
 貸し切りだ。和智がアイスホッケーチームとの付き合いで確保してくれた。
「お疲れっくしょおんぉん!」
「アレルギーなのに無理して来なくていいんだぞ、二番手エース」
「まあ本番前最後の練習だし」
 機嫌がいいので言い返さないでやる。
 客観的な結果が得られるところまで、ようやく漕ぎつけたのだ。
 蛇池は他のカーラーに態度をこき下ろされたものの、技術は確か。
 国内の強豪男子チームを調べてみたら、カーリングの中心地・北海道と、オリンピック開催を機に聖地となった長野に集中している。現在「三強」と呼ばれるチームからしてそうだ。
 つまり、東京のレベルならどこが相手でも勝てるだろう。むふん、と早くも笑みがこぼれる。
 蛇池は肩を竦め、「アイスメイク」の作業に戻った。
 カーリングをプレーするには、ひと手間必要だ。
 大型霧吹きのような道具で、薄く水を撒いていく。
(ペブル、手づくりなんだよな)
 極少の水滴がひととおり凍ったら、平らになるよう表面全体を薄く削れば、出来上がりだ。
 試合直前なので、さまざまなストーン配置を想定して投げていく。
 蛇池が指示を出す番になり、ブラシで目印を示した。
「うげ、そこ?」
 大人しく戦略を勉強していたが、思わずそうつぶやいてしまう。
「厳しい指示だなあ」
 ショット役の和智もぼやきつつ、ストーンを滑らせた。すかさず蛇池の声が飛ぶ。
「ヤップ! ヤップ!」
 ストーンの両脇を並走する不動と皇が、懸命にスイープする。それを上回る勢いで蛇池が叫ぶ。もはや怒号だ。指示に応えんと不動の腕の筋肉が盛り上がり、皇の眼鏡が汗で曇る。
 しかし、ストーンは蛇池が指示した位置の手前で止まってしまった。相手チームのストーンに見立てたものより、ハウスの中心から遠い。
(観客が多いと熱気で氷が溶けるっていうし、貸し切りだと逆に溶けにくいのかな?)
「スイープ甘い! 日曜はもう初戦だぞ」
 考察に、蛇池の注意が被さる。蛇池はいつにも増してぴりついた空気を纏っている。
 目標である日本選手権の、関東ブロック予選が十一月に、それに出場するための東京都予選が九月に予定されている。明後日の試合は、東京都予選の前哨戦と言えるからだろう。
「ごめんよ、僕のショットのウェイトが足りなかった」
「はあ。時間もったいないんで次」
 和智の謝罪を、蛇池は溜め息で受け入れる。不動は動じず、ブラシのパッドの毛羽立ちをチェックしている。
 皇が小さく口を開けたが、何も言わず閉じた。