「あたしね、正和君のことが好きだったんだ」
美織さんがそう言うと、女子トイレが静まり返った。
幽霊なのに視線を合わせられないのか、美織さんはモジモジした感じで浮いている。
「菜々ちゃんにも相談してね、事故に遭う前の日に『好きだ』って伝えようって決めていた。まあ、ご存じの通り死んじゃったんだけど」
自虐的に笑う美織さんを、オヤジはじっと見つめていた。
「それでも、どうしても諦めきれなくてさ。きっと死ぬに死にきれなかったんだろうね。告白出来なかったことを死んでから死ぬほど後悔して、あっちこっちで怪奇現象を起こしていた。バカみたいでしょ?」
美織さんはおどけて見せるが、その目からは涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「だからね、きっと今日で会えるのは最後なの。きっと最初で最後のチャンスだったろうから、こうやって正和君や菜々ちゃんに会えて本当に良かった。もちろん、剣心君や花音ちゃんに出会えたことも」
ふいに傍観者であったはずの俺の目からも涙がこぼれ落ちる。分かっていたけど、別れの時はすぐそこまで近付いている。それを認めたくなかった。
美織さんの青白い体から、湯気のように青い光が昇っていく。みるみる彼女の体が薄くなっていく。見たこともないのに、その意味が分かってしまった。
彼女は間もなくここを去っていく。それがどう足掻いても避けられない未来であることは明らかだった。
自身の異変に目もくれずに、美織さんは話し続ける。
「だから、あたしの人生はとっても幸せなものだったよ。たとえ最悪な26年間を挟んだとしても、こうやって素敵な再会を果たせたんだから」
「加藤、俺は……!」
オヤジが叫ぶように口を開いて、言葉に詰まる。
「正和君、あたしはあなたのことが大好きです。きっとこれからも。一番好きなのは菜々ちゃんでいいから、時々あたしのことも思い出してね。菜々ちゃんも、あたしのことを忘れないでね」
「絶対に忘れないよ、美織ちゃん。本当に、本当にありがとう!」
大人しい姿しか見たことの無かった母さんが声を張り上げる。そんな姿を見たことがなかったので驚いた。
「あと花音ちゃん。あなたはもうちょっと素直になろうね。さもないと、あたしみたいに後悔することになるかもしれないよ」
美織さんが自虐的に笑う。花音もそれに合わせて笑おうとしていたが、こみ上げる感情に勝てずに泣いていた。
「最後に剣心君」
ふいに呼ばれてちょっと驚くと、美織さんは本当に優しい笑顔を浮かべて言った。
「あたしに言われたくないかもしれないけどさ、人は今を生きることしか出来ないの」
「うん」
「だからさ、過去に何があったかなんて気にしないで、今を精一杯生きてね。もし君の出来る恩返しがあるとすれば、それは誰よりも幸せになることだよ」
「……わかったよ」
美織さんは俺のせいで死んだ。
それでも、彼女は俺が幸せに生きていくことを望んだ。
なんて強い人なんだろう。彼女のようになれる気がしないけど、今度こそ彼女との約束を果たそうと思った。
美織さんの体が青い湯気と化して消えていく。お別れの時だ。
「それじゃあね。あたしもまた、生まれ変わって帰って来るよ。きっとね」
最後の言葉を聞いたオヤジが、消えゆく美織さんを捕まえようと飛び込んだ。ほとんど青い煙と化した体をすり抜けて、オヤジは固いフロアに倒れ込んだ。
美織さんはそんなオヤジをちょっとだけ寂しそうな微笑みで見守って、それから完全に消えて無くなった。
美織さんが、行ってしまった。
分かっていたことだけど、どうしようもない寂しさに襲われた。床に倒れ込んだオヤジは、這いつくばったまま蚊の鳴くような声で呟く。
「俺も」
固い床材の上に、水滴がぽとりとこぼれ落ちる。
「俺も、お前が好きだったよ」
美織さんがそう言うと、女子トイレが静まり返った。
幽霊なのに視線を合わせられないのか、美織さんはモジモジした感じで浮いている。
「菜々ちゃんにも相談してね、事故に遭う前の日に『好きだ』って伝えようって決めていた。まあ、ご存じの通り死んじゃったんだけど」
自虐的に笑う美織さんを、オヤジはじっと見つめていた。
「それでも、どうしても諦めきれなくてさ。きっと死ぬに死にきれなかったんだろうね。告白出来なかったことを死んでから死ぬほど後悔して、あっちこっちで怪奇現象を起こしていた。バカみたいでしょ?」
美織さんはおどけて見せるが、その目からは涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「だからね、きっと今日で会えるのは最後なの。きっと最初で最後のチャンスだったろうから、こうやって正和君や菜々ちゃんに会えて本当に良かった。もちろん、剣心君や花音ちゃんに出会えたことも」
ふいに傍観者であったはずの俺の目からも涙がこぼれ落ちる。分かっていたけど、別れの時はすぐそこまで近付いている。それを認めたくなかった。
美織さんの青白い体から、湯気のように青い光が昇っていく。みるみる彼女の体が薄くなっていく。見たこともないのに、その意味が分かってしまった。
彼女は間もなくここを去っていく。それがどう足掻いても避けられない未来であることは明らかだった。
自身の異変に目もくれずに、美織さんは話し続ける。
「だから、あたしの人生はとっても幸せなものだったよ。たとえ最悪な26年間を挟んだとしても、こうやって素敵な再会を果たせたんだから」
「加藤、俺は……!」
オヤジが叫ぶように口を開いて、言葉に詰まる。
「正和君、あたしはあなたのことが大好きです。きっとこれからも。一番好きなのは菜々ちゃんでいいから、時々あたしのことも思い出してね。菜々ちゃんも、あたしのことを忘れないでね」
「絶対に忘れないよ、美織ちゃん。本当に、本当にありがとう!」
大人しい姿しか見たことの無かった母さんが声を張り上げる。そんな姿を見たことがなかったので驚いた。
「あと花音ちゃん。あなたはもうちょっと素直になろうね。さもないと、あたしみたいに後悔することになるかもしれないよ」
美織さんが自虐的に笑う。花音もそれに合わせて笑おうとしていたが、こみ上げる感情に勝てずに泣いていた。
「最後に剣心君」
ふいに呼ばれてちょっと驚くと、美織さんは本当に優しい笑顔を浮かべて言った。
「あたしに言われたくないかもしれないけどさ、人は今を生きることしか出来ないの」
「うん」
「だからさ、過去に何があったかなんて気にしないで、今を精一杯生きてね。もし君の出来る恩返しがあるとすれば、それは誰よりも幸せになることだよ」
「……わかったよ」
美織さんは俺のせいで死んだ。
それでも、彼女は俺が幸せに生きていくことを望んだ。
なんて強い人なんだろう。彼女のようになれる気がしないけど、今度こそ彼女との約束を果たそうと思った。
美織さんの体が青い湯気と化して消えていく。お別れの時だ。
「それじゃあね。あたしもまた、生まれ変わって帰って来るよ。きっとね」
最後の言葉を聞いたオヤジが、消えゆく美織さんを捕まえようと飛び込んだ。ほとんど青い煙と化した体をすり抜けて、オヤジは固いフロアに倒れ込んだ。
美織さんはそんなオヤジをちょっとだけ寂しそうな微笑みで見守って、それから完全に消えて無くなった。
美織さんが、行ってしまった。
分かっていたことだけど、どうしようもない寂しさに襲われた。床に倒れ込んだオヤジは、這いつくばったまま蚊の鳴くような声で呟く。
「俺も」
固い床材の上に、水滴がぽとりとこぼれ落ちる。
「俺も、お前が好きだったよ」



