「来てくれたか、花音。どうもありがとう」

 夜の学校に来ると、剣心君が小声で歓迎してくれた。そうか、これから誰もいない学校に忍び込むんだもんね。わたしも気を付けないと。

「どういたしまして。パパとママは上手く言いくるめてあるから」
「そうか、さすが花音だ」

 そう言って剣心君が微笑む。悪い気はしなかった。

 わたしはすでにドキドキしている。夜の学校に忍び込む背徳感っていうよりは、暗い校舎で剣心君と二人っきりになることに。

 だって、やろうと思えばキスだって出来るわけで、もっとすごいことだって出来るかもしれない。いや、わたしはエッチなことには興味が無いんだけど、やっぱりそういうシチュエーションになるとどうしても意識しちゃうっていうか……。

 ダメだ、意識すると顔が赤くなっちゃう。夜で良かった。一人で勝手に胸をなでおろす。

「それじゃあ、行こうか」
「うん」

 剣心君に連れられて、夜の校舎への潜入を開始する。まさかわたしがこんなことをする側になるなんて。恋っていうのは、人を変えちゃうものなんだな。

 噂では散々聞かされていたけど、学校の裏口には小さな扉があって、そこは鍵が掛からない。夜になってもその扉はあっさりと開いて、わたし達はアイコンタクトだけで校舎の中へと潜入していく。

 ――考えてみたら、これって立派な建造物侵入罪ってやつだよね。

 つまり、「イタズラでした」では済まされないやつじゃない?

 校舎に入ってからそう思ったけど、今さら引くことなんて出来ない。一歩を踏み出したら、後はその先に行くしかない。

 夜の学校は昼間と違って不気味だった。本当にお化けでも出て来そう。ベートーベンの絵とか、いきなり動きだしたりしないよね?

「なんか、怖いね」

 小声で言うと、「俺が付いているから大丈夫だ」と返ってくる。なんか剣心君が頼もしい。暗闇の中でギュッと手を握った。

 足音を立てないように廊下を進んで行く。見回りの人はもういない時間らしいけど、どんなことにも絶対はない。運悪く見つかれば、わたし達は大目玉を喰らうことになる。

 見つかってはいけないドキドキ感もあるせいか、剣心君と手を繋いだわたしは一層心拍数が上がっていた。目の前のことに集中しなくちゃいけないのに、隠れてキスされたり抱きつかれたりしないかなっていう期待が脳裏に現れては消える。夜の学校って、そういう妄想を育てる何かがある気がする。

 そんなことを思っていると、剣心君は割と迷わずに校舎内を進んで女子トイレまで来た。

「ちょっと、ここ、女子トイレだよ」
「ああ、だけど今は誰もいないからな」

 こともなげに言う剣心君は、わたしの手を引いて女子トイレの扉を押し開けた。たしかに今は誰もいないけど、何のためらいもなく男子がここに入るのは何かイヤだ。

 でも、その反面どこか背徳的な快感というか、エッチな展開になりそうでワクワクしている自分もいる。ここなの? ここで何か起こっちゃうの?

 だけど、女子トイレの扉を押し開ける剣心君に、そういった雰囲気は皆無だった。真剣な目つきで、ゆっくりと音を立てずにドアを開けていく。

 トイレに入ると剣心君が声を潜めて言う。

「いつもは個室で会うんだけどさ、さすがにこの人数だと無理があるからここで彼女を呼ぶ」
「え? ここからスマホで呼び出すの?」

 剣心君は答えずに微妙な顔で笑う。なんか嫌な予感がした。

「美織さん、来たよ」

 剣心君が言うと、トイレにわたし達の他には誰もいないはずなのに「はーい」と女の子の声が聞こえてくる。

「えっ……」

 あたしはいくらかパニックになって周囲を見回す。

 視線を前に戻すと、いつの間にか目の前に美少女が立っていた。ショートボブの髪型にアイドル並みに整った顔。そしてなぜかウチの学校の制服を着ていた。

 見た目はすごくかわいいんだけど、なんか普通の人とは違うっていうか、明らかに別物の雰囲気が漂っていた。

 呆気に取られていると、剣心君が説明を始める。

「この人が会ってほしかった人だ」
「加藤美織です。よろしくね」

 青白い顔をした美少女はおどけてスカートの裾をつまんでお辞儀した。そのかわいさは次元が違うなと一瞬思ったけど、足元を見ると明らかに宙に浮いていた。

「あ」

 気付けば意識が遠のいていた。

 わたしの体から、一気に力が抜けていく。

 お願い。幽霊と待ち合わせなんて、悪い夢だけにして。