あれから時が経ち、猫のぼくでも美織ちゃんにはもう会えないらしいことが分かった。
美織ちゃんが事故に遭ったことを聞かされた正和君はひどく取り乱していた。さっきまでぼくの帰りをあんなに喜んでいたのに、地獄にでも蹴落とされたかのように絶望していた。
何日か経つと正和君は学校の制服で、パパやママは黒い服を着てどこかへと出かけた。どこへ行ったのだろうとひどく気になったけど、ついこの間に死ぬほどみんなを心配させたから、追いかけてみようなんて気にはならなかった。
帰って来た正和君は目が真っ赤で、家に来るなりぎゅーっと抱きしめられた。
「お前はいつまでも生きてくれよ」
そう言われて、喜ぶべきなのにどうしてか悲しくなった。なんて言えばいいか分からず、ひとまず「ニャア」と声を出した。
しばらくは家の空気が重かった。
理由は美織ちゃんの身に起こった何かなのだろう。ぼくを守った美織ちゃんはトラックに撥ねられた。そしてその後どうなったのだろう? 少し考えて、怖くなって思考を放棄した。
それでも何日もの日が経ってみんなが気を持ち直すと、しばらくぶりに菜々ちゃんが家まで遊びに来た。ひさしぶりに撫でてくれて、ぼくはとても嬉しかった。
だけど、美織ちゃんの姿はやっぱりなかった。
――美織ちゃんはどこへ行ったの?
「ニャア」と声を出しながら、菜々ちゃんに届けと念を込める。
何かが伝わったのか、菜々ちゃんはポロポロと涙を流していた。
「サノちゃん、サノちゃん。生きていてくれて、本当に良かった」
泣きながらそう言う彼女を見て、ぼくはなぜかとても悲しくなってきた。
そこで何となしに悟ったのだった。
――どうやら、美織ちゃんとはもう二度と会えないらしい。
それを認めた時、ぼくは無意識に「ニャアニャア」と鳴いていた。自分でもその理由は分からない。だけど、菜々ちゃんはぼくのことを抱きしめてくれて、ずっとずっと泣いていた。
◆
それから何年も経って正和君も菜々ちゃんも大人になった。
ぼくはとっくにおじいさんになっていて、病気に罹って動けなくなっていた。
正直、ぼくはもう長くない。
なんとなくだけど、自分の死期が迫っていることだけは分かっていた。
誰にも迷惑をかけないように、どこか遠くへいってひっそりと一生を終えようと思ったけど、それを何年も前にやって、本当に大切な存在を失った。だからもう、ぼくは黙ってどこかへ行くことはしない。
大人になった正和君がまだ家にいて、弱ったぼくをずっと撫でてくれた。お医者さんから何か聞かされているのか、正和君もぼくの命が終わりに近付いていることを知っているようだった。
「サノ、お前は本当にいい子だったぞ」
ぼくのことを撫でながら、正和君が口を開く。なんでそんなことを言ったのか知らないけど、ぼくはとても嬉しかった。
「お前がいてくれて本当に良かった。俺と一緒にいてくれてありがとう」
そんなことを言われると照れるな。猫は感動の涙なんか流さないけど、ぼくが人間だったらきっと泣いてるんだろうな、なんて思う。
ぼくだって、正和君と一緒にいられて良かったよ。本当に、心からそう思う。
「本音を言えばもっとお前と一緒にいたい。だけどお前に苦しんでほしくもない。だから、旅立つ時はお前が決めてくれ。その時まで、俺は傍にいるから」
「ニャア」
分かったよと答えると、正和君は苦笑いしてから涙を拭いた。
「サノ、いいか? 猫ってさ、生まれ変わるらしいんだ。だからさ、もしお前さえ良ければ、また俺のところに来いよ」
そう言うと、正和君の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。どうやら、ぼくはいよいよ客観的にも長くないらしい。
正和君もパパもママもいない所へ行くのは怖いけど、生まれ変わりというものがあるのなら、ぼくは何度だって正和君の家の猫として生まれたい。
そうだ、この一生が終わったら、正和君のところへ戻って来るんだ。そうすれば、彼といつまでも遊んでいられる。だから悲しまないで。
――ぼくは絶対に、君のところへ戻って来るから。
そう思ってぼくは目を閉じる。
それはサノだったぼくの憶えている、最後の映像だった。
美織ちゃんが事故に遭ったことを聞かされた正和君はひどく取り乱していた。さっきまでぼくの帰りをあんなに喜んでいたのに、地獄にでも蹴落とされたかのように絶望していた。
何日か経つと正和君は学校の制服で、パパやママは黒い服を着てどこかへと出かけた。どこへ行ったのだろうとひどく気になったけど、ついこの間に死ぬほどみんなを心配させたから、追いかけてみようなんて気にはならなかった。
帰って来た正和君は目が真っ赤で、家に来るなりぎゅーっと抱きしめられた。
「お前はいつまでも生きてくれよ」
そう言われて、喜ぶべきなのにどうしてか悲しくなった。なんて言えばいいか分からず、ひとまず「ニャア」と声を出した。
しばらくは家の空気が重かった。
理由は美織ちゃんの身に起こった何かなのだろう。ぼくを守った美織ちゃんはトラックに撥ねられた。そしてその後どうなったのだろう? 少し考えて、怖くなって思考を放棄した。
それでも何日もの日が経ってみんなが気を持ち直すと、しばらくぶりに菜々ちゃんが家まで遊びに来た。ひさしぶりに撫でてくれて、ぼくはとても嬉しかった。
だけど、美織ちゃんの姿はやっぱりなかった。
――美織ちゃんはどこへ行ったの?
「ニャア」と声を出しながら、菜々ちゃんに届けと念を込める。
何かが伝わったのか、菜々ちゃんはポロポロと涙を流していた。
「サノちゃん、サノちゃん。生きていてくれて、本当に良かった」
泣きながらそう言う彼女を見て、ぼくはなぜかとても悲しくなってきた。
そこで何となしに悟ったのだった。
――どうやら、美織ちゃんとはもう二度と会えないらしい。
それを認めた時、ぼくは無意識に「ニャアニャア」と鳴いていた。自分でもその理由は分からない。だけど、菜々ちゃんはぼくのことを抱きしめてくれて、ずっとずっと泣いていた。
◆
それから何年も経って正和君も菜々ちゃんも大人になった。
ぼくはとっくにおじいさんになっていて、病気に罹って動けなくなっていた。
正直、ぼくはもう長くない。
なんとなくだけど、自分の死期が迫っていることだけは分かっていた。
誰にも迷惑をかけないように、どこか遠くへいってひっそりと一生を終えようと思ったけど、それを何年も前にやって、本当に大切な存在を失った。だからもう、ぼくは黙ってどこかへ行くことはしない。
大人になった正和君がまだ家にいて、弱ったぼくをずっと撫でてくれた。お医者さんから何か聞かされているのか、正和君もぼくの命が終わりに近付いていることを知っているようだった。
「サノ、お前は本当にいい子だったぞ」
ぼくのことを撫でながら、正和君が口を開く。なんでそんなことを言ったのか知らないけど、ぼくはとても嬉しかった。
「お前がいてくれて本当に良かった。俺と一緒にいてくれてありがとう」
そんなことを言われると照れるな。猫は感動の涙なんか流さないけど、ぼくが人間だったらきっと泣いてるんだろうな、なんて思う。
ぼくだって、正和君と一緒にいられて良かったよ。本当に、心からそう思う。
「本音を言えばもっとお前と一緒にいたい。だけどお前に苦しんでほしくもない。だから、旅立つ時はお前が決めてくれ。その時まで、俺は傍にいるから」
「ニャア」
分かったよと答えると、正和君は苦笑いしてから涙を拭いた。
「サノ、いいか? 猫ってさ、生まれ変わるらしいんだ。だからさ、もしお前さえ良ければ、また俺のところに来いよ」
そう言うと、正和君の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。どうやら、ぼくはいよいよ客観的にも長くないらしい。
正和君もパパもママもいない所へ行くのは怖いけど、生まれ変わりというものがあるのなら、ぼくは何度だって正和君の家の猫として生まれたい。
そうだ、この一生が終わったら、正和君のところへ戻って来るんだ。そうすれば、彼といつまでも遊んでいられる。だから悲しまないで。
――ぼくは絶対に、君のところへ戻って来るから。
そう思ってぼくは目を閉じる。
それはサノだったぼくの憶えている、最後の映像だった。



