背後で、ものすごい音が響いた。着地したぼくは、慌ててその場から離れていく。

 離れた先で、音のした方を振り向いた。

 ――嘘だろ?

 さっきまでぼくがいた付近に、美織ちゃんがうつ伏せで倒れていた。

 時が止まる。何が起こったのかも分からない。

 ただ、その光景はぼくに言い知れぬ絶望感をもたらした。

 倒れたままの美織ちゃん。真っ暗な地面に赤黒い液体が広がっていく。その光景は、友だちの猫が次の日からいなくなった時とよく似ていた。

 数秒の沈黙。それは、今まで体感してきたどのような時間よりも長く感じられた。

 一体、何が起こったっていうんだ?

 ……嫌だ。知りたくない。

 気付けば、ぼくは走り出していた。

 正直なところ、実際には何が起こったのかもよく分かっていない。

 だけど、何もかも、無かったことにしたかった。ぼくはそれを知ってはいけない気がした。

 一目散に帰ると、壁の突起をうまく伝って上の階へと昇っていく。

 ぼくの出てきた窓が開いていたので、そこから家へ入った。

 ああ、いつものベッドだ。そこに降りると、今までにないほどの安堵を感じた。

 怖かった。途轍もなく、怖い思いをした。

 美織ちゃんは大丈夫だろうか。血が、たくさん出ていた。

 とっても心配だったけど、もうあんな怖い場所に戻りたくはない。

 一晩でも寝れば気分も戻るだろうと思ったけど、夜になっても眠たくはならなかった。

 しばらくすると、部屋のドアが開いた。

「サノ!」

 正和君が駆け寄って来る。

 あまりにも嬉しくて、ぼくの方から彼に飛びついた。

「サノ、良かった。良かった、本当に!」

 正和君は泣いていた。

 どうやら本気で心配されていたようだった。ぼくがみんなのことを心配して出て行ったのに、なんだか複雑な気分になる。

 とはいえ、正和君にまた出会えたのは良かった。

 ぼくも猫なりに「ニャア」と声を出して再開を喜んだ。

 正和君は開いたままの窓を慌てて閉めると、ぼくを抱えたままパパやママへと会いに行った。ガッチリと捕まったままのぼくは、他の家族からも帰宅を喜ばれた。

 家族の全員が涙を流していて、ぼくは本当に悪いことをしてしまったんだなと思った。ぼくにとってはちょっとした冒険だったのかもしれないけど、彼らにとっては一大事のようだった。

 なんか、本当にゴメン。

 こんなことなら、当面は家で大人しくしていよう。心からそう思った。残念ながら、反省の弁も全部「ニャア」という音声でしか出力されないんだけど。

 しばらく9回裏に逆転満塁ホームランを打ったヒーローのような扱いを受けると、疲れ切ったぼくはリビングの床でぐったりしていた。

 安堵感もあってか、ようやく眠気も出てきた。

 ウトウトとしていると、ふいに電話が鳴る。こんな夜中に電話が鳴るなんて珍しいから、ぼくはビクっと驚いて目が覚めた。

 なんだよ、こんな夜中に。

 そう思ったのはぼくだけではないらしく、正和君が不満げに受話器を取る。

「はい」

 ぼくは丸くなったまま、電話する正和君を見守る。知り合いだったのか、「おう、佐藤か。どうした?」と言っていた。たしか佐藤って、菜々ちゃんのことだっけ。正和君は彼女のことをそう呼ぶんだよな。

 猫の聴覚は人間とは比較にならないので、ぼくには受話器の向こうの声が聞こえていた。やっぱり、この声は菜々ちゃんで間違いない。いつも可愛がってくれているから分かる。

 だけど、その菜々ちゃんの声はいつもトーンが違った。

 明らかに泣いていて、言っていることも支離滅裂なので何を伝えたいのかも分からない。

「美織ちゃんが、美織ちゃんが……!」
「どうした佐藤? 落ち着けって」

 正和君が困惑気味に言う。

 美織ちゃんという単語を聞いて、ぼくの全身に寒気が走った。

 やっぱり、あれは夢なんかじゃなくて現実だったの?

 身構える間もなく、菜々ちゃんの口から衝撃の真実が語られる。

「美織ちゃんが、トラックに撥ねられた」