昨日の告白は上手くいったように見えたけど、その後の進展が見えない。

 二人を観察していても、お互いの隙を伺いながらチラチラ盗み見ているだけ。なんか、あたしから見てももどかしく感じる。

 昨日の菜々ちゃんは本当にカッコ良かったし、夕陽に照らされて涙を流す姿は女神様のようだった。あたしもこんな顔に生まれてればなって、ちょっとだけ嫉妬したかも。

 それはいいとして、正和君は曖昧な答えを出したままだんまりを決め込んでいる。ちょっとひどくない? とも思ったけど、彼にも色々考えたり悩んだりすることがあるんだろうなと思うとあたしでも何も言えない。

 午前中いっぱい様子を観察していたけど、このままじゃ埒が明かないなって思ったので菜々ちゃんを屋上へと連れだすことにした。その理由はもちろん作戦会議だ。

 菜々ちゃんと屋上に来ると、いつもの通り風通しの良い日陰へと移動する。菜々ちゃんはどこか浮かない顔だったけど、正和君の返事が宙に浮いている状況を考えたら仕方のないことだと思う。

「菜々ちゃん、昨日は本当によく頑張ったね」

 最初に勇気を出して告白した菜々ちゃんを褒める。フラれるかもしれないのに相手に好きだって伝えるのって、並大抵のことじゃない。それが出来ただけで称えられるべきことなんだ。

「うん……」

 褒められたはずの菜々ちゃんは元気無さそうに答える。

「まだ、返事はもらってないんだよね?」
「うん」

 そっけなく答えてから数秒、片方の目から涙がこぼれ落ちた。

「え? ちょっと、どうしたの?」
「美織ちゃん、やっぱり、私……ダメだよ」

 そう言って菜々ちゃんが泣き出す。どうしたらいいか分からなくて、その場で抱きしめた。菜々ちゃんはあたしの胸に頭を預けて、しばらく泣いていた。

 そうだよね。菜々ちゃんは本当にすごいプレッシャーと戦っていたんだもんね。きっと、ずっと我慢していたものがこみ上げてしまったんだろう。

 あたしは菜々ちゃんが泣くに任せて、その間はずっと背中をさすっていた。泣き止んだ頃には涙で夏服のブラウスが透けてるかもなんて一瞬思ったけど、それは考えないことにした。

 しばらく泣くと菜々ちゃんは落ち着いた。なんだかんだ強いコだ。

「大丈夫?」
「うん、ごめんね。こんなに不安定で」
「そんなことないよ。昨日の菜々ちゃんはすごかったんだからさ。正和君も本当はオーケーなんだけど、恥ずかしくて返事をするタイミングが分からないだけだと思うよ」

 本心からそう言っていた。実際問題、あたしがあんな風に告白されたら「はい」って言っちゃいそう。

 だけど菜々ちゃんはどこか思いつめた顔で床を眺めていた。

「どうしたの?」
「美織ちゃん、これ、本当は前から思ってたんだけど」
「うん……?」
「井村君、きっと美織ちゃんのことが好きなんだと思うの」

 そう言われた瞬間、頭が真っ白になった。

「……え?」

 あたしは菜々ちゃんの意図が掴めず、困惑していた。あたしの混乱をよそに、菜々ちゃんが続ける。

「井村君をずっと見ていたから分かるの。私がどれだけ彼のことを好きでも、彼の目は常に美織ちゃんに向いていた。この前の遊園地だけじゃない。日頃のちょっとした視線も、その先を追えば美織ちゃんがいた……」

 菜々ちゃんの目に涙が溢れてくる。ポロポロと涙をこぼしながら、菜々ちゃんが続ける。

「本当は気付いていたのに、ずっと分からないフリをしていた。でも、井村君が見ているのはいつだって美織ちゃんの方だった。それが分かっているのに、私は美織ちゃんに彼との仲を取り持ってもらおうなんて……本当に卑怯だよね、私」
「そんなこと無いって。この前の告白は絶対に上手くいってるからさ。あと一押しだよ。もう一回頑張ってみよう、ね?」

 そう言って菜々ちゃんの体を揺すると、彼女の表情がスッと変わった。

「美織ちゃんも……」
「えっ?」
「美織ちゃんも、井村君のことが好きなんでしょ?」

 まっすぐな目で見つめられて、あたしは何も答えることが出来なかった。

 菜々ちゃんの言っていることは合ってる。あたしは正和君のことが好きだ。だけど、同時に菜々ちゃんのことが大切なのも事実。

 二人を天秤にかけるなんてことは出来ない。だから、多少は傷付いても菜々ちゃんが正和君とくっつけばと思っていた。二人が幸せなら、あたしは構わない。その傷を背負って生きていくにしても、後悔なんてするはずがない。そう自分に言い聞かせていた。

 そんな計算を、そんな浅ましい考えを、菜々ちゃんがとっくに見破っていたのだと思うと言葉が出てこなかった。

「美織ちゃん」

 フリーズしていたあたしの意識を、菜々ちゃんの言葉が呼び戻す。

「素直になって」

 菜々ちゃんの目は、あたしをじっと見つめていた。それは敵対なんかじゃなくて、覚悟を決め切ったような表情だった。

 もう、あたしも観念するしかないか。

「うん、そうだよ」

 まるで根負けした犯人が自白するように、あたしの口から淡々と本音が漏れていく。

「あたしも正和君のこと、好きだった。ずっとずっと、好きだった。だけど、あたしが正和君に告白することで、菜々ちゃんと友だちじゃなくなっちゃうのが怖かった」

 本当は認めたくなかった。認めるのが怖かった。

 だって、告白するっていうのは相手に自分の嘘を自白するようなものだ。「あなたのことは友だちですよ」って振舞っていたのに、ある日になって「やっぱり好きでした。恋人になってください」なんて、言えるわけないじゃない。

「うん。私も知ってた」

 知らぬ間に、今度は菜々ちゃんが聞き手に回っている。そうか、あたしの小汚い計算なんて全部分かっていたのか。さすが我が親友。菜々ちゃんも純粋に見えて、やっぱり一人の女だったんだね。なんだか妙な安心感が沸いてきた。

「私もね」菜々ちゃんが喋りだす。
「美織ちゃんが無理しているんじゃないかって、ちょっと思ってた。井村君も」
「うん」
「もしこれで強引にでも井村君と付き合うことになれば、井村君だって自分の気持ちに嘘をついて私と付き合うことになるし、それってきっと表に出てくると思う」
「うん」
「それに」
「それに?」
「私たちが付き合い出したら、美織ちゃんが離れていっちゃうのかなって思ったら、そんなことは出来ないって思ったの。だって、美織ちゃんは私のために色々してくれたわけじゃない? それなのに、いざ上手くいったら気を遣って離れていくなんて、そんなの、あまりにも報われないよ」

 そう言われてみると、たしかにあたしの性格からして二人には「お幸せに」と言って離れていく気がした。本当によく見られているなあって、怖さも感じたり。

「だからね、美織ちゃん」

 菜々ちゃんが続ける。

「私はここで身を引くことにするよ」
「えっ……」

 あたしは絶句した。

 あんなに正和君のことが好きだったのに、ここに来て身を引くなんて。それでも、菜々ちゃんはどこかスッキリした顔をしていた。

「色々考えてね、私がどれだけ誰かのことが好きでも、その人が私のことを好きでいられないなら、そんなの幸せじゃないよねって。それを分かっていながら割り切れるほど、私は大人になれなかった」
「菜々ちゃん……」
「美織ちゃん、いい? 私にとっても、美織ちゃんは誰よりも大切な存在なんだよ。それこそ、家族と同じぐらいに」
「……」
「だから、私は本気で美織ちゃんには幸せになってほしいって願ってるの。私のために、自分を犠牲にしないで。お願いだから」

 そう言われて、あたしは言葉を失ってしまった。

 昼休みの終了を告げる予鈴が鳴る。間もなく午後の授業だ。どこかに飛んでいた意識が呼び戻される。

「美織ちゃんとは、何があっても絶対に友だちでい続けるから」

 まっすぐな目でそう言うと、菜々ちゃんは一人先に戻って行った。あたしは呆気にとられたまま、菜々ちゃんの離れていく背中を見守っていた。

「ねえ、どうしたらいいの?」

 あたしは誰もいない夏空に訊いた。

 風が生暖かく、ブラウスに沁み込んだ涙はとっくに乾いていた。

 ――私はここで身を引くことにするよ。

 菜々ちゃんの言葉が脳内に響く。

「そんなこと、急に言われても困るよ」

 再び空に呟くも、青い空に浮かぶ太陽は空気も読まずに光り輝いていた。