放課後、野球部の練習が終わる頃合いを見て菜々ちゃんを送り出す。
あくまで偶然のタイミングで出会ったように。
練習を終えた正和君が向こうから歩いて来る。真面目な彼は最後まで練習を続けてから帰る。お陰でタイミングを合わせやすい。
「来たよ」
物陰から正和君を観察しつつ、あたしは背後にいる菜々ちゃんに声をかける。菜々ちゃんは緊張しているのか、深呼吸して自分を落ち着かせようとしていた。
正和君が来る。あと少しで、あたし達の隠れた角に差し掛かる。
「じゃあ、頑張って」
小声で菜々ちゃんの背中をトンと叩き、あたしは後方に隠れた。子供がよくマネする秘密の作戦みたいで、ちょっとワクワクした。
「あ、井村君、部活終わったの?」
「おう、佐藤か。今終わったよ」
「一緒に帰らない」
「いいけど、臭いだろ。加藤にも言われたし」
そう言って笑う正和君。ああ、前に言ったこと、結構気にしてたんだ。軽々しく人のことを臭いなんて言うものじゃないなって、物陰に隠れながら反省した。
「それで、加藤はいないのか?」
「え? あ、うん。美織ちゃんは先に用があるって帰ったけど」
「そうか……」
そう言うと、正和君は少しだけ残念そうな顔をした。不覚にも、ちょっと喜んでしまった。隠れているけど。
「井村君と会えるなんて、今日はツイてるな」
そう言って菜々はルンルンした足どりで帰り道を歩いて行く。菜々ちゃん、いいね。女優の才能がある。
「せっかくだから、手でも繋いで帰ろ?」
「え? あ、マジで?」
「お願い……」
そう言って手を差し出す菜々ちゃんの顔には、今までに見せたことのない迫力があった。それは、端的に言えば女の顔だった。あたしの知らない菜々ちゃんが、ここに来て姿を見せはじめている。
正和君はユニフォームの裾で手を拭くと、彼女から差し出された手を取ろうとする。刹那、菜々ちゃんの方から正和君の手を掴んでグイっと引き寄せた。
世に言う恋人繋ぎではないけど、仲睦まじく手を握り合う二人の姿は画になっていた。こっそり写真でも撮ってやりたいところだけど、写ルンですでもあればなあ。
それはそうと、あたしは夕陽に照らされながら、帰り路を歩む二人を離れて観察していた。知り合いに声をかけられると一気にバレてしまうので、尾行の際には自分の周囲にも気を付けないといけなかった。
手を繋いだ二人は何かの会話をすると、まっすぐは帰らずに川へと向かって行く。うん、いいぞ。あそこは人も少なくて、告白するには向いている。
でも、その流れを見ながらも、あたしの胸はズキズキと痛むような気がした。気がしたっていうかは、正直もうその原因は明らかなんだけど、それを差っ引いてもあたしは親友の菜々ちゃんに幸せを掴んでほしい。
この前の遊園地でますます正和君のことが好きになりかけたけど、菜々ちゃんから彼を奪い取るようなことはしない。そんなの女じゃないって言われたって、あたしは一向に構わない。
だから菜々ちゃん、この告白は絶対に成功させてね。あたしの無念まで一緒に背負っているんだからさ。
そして正和君、ウチの菜々ちゃんを頼むよ。
夕陽に照らされる川はとても綺麗だった。オレンジ色に輝く宝石みたい。なんか、ドラマのワンシーンでも見ているような気分になるね。
川べりで二人が立ち止まる。あたしは木の後ろに隠れてその様子を見守った。
先を歩いていた菜々ちゃんがふいに振り向く。あたしは、息を止めて見守った。
「井村君」
それだけ言って、菜々ちゃんは真剣な目で次の言葉を探していた。応援してあげたい気持ちは山々だけど、今のあたしはここから見守ることしか出来ない。
「なんだ、どうした?」
さすがに異変を感じ取ったのか、井村君の背中から戸惑いを感じ取った。こちらを向く菜々ちゃんは、後光が差しているみたいで神秘的な見た目になっている。
女神のようにさえ見え始めた菜々ちゃんの目に涙が溜まっていく。
「ずっと黙っていたけど、私……」
その先が続かず、菜々ちゃんの片目から涙がこぼれ落ちる。
頑張って。今しかないよ。
あたしは菜々ちゃんへ念を送る。それが届いたのか、一度途切れた言葉が再び吐き出される。
「私、井村君のことが、好きなの。本当に、どうしようもないくらいに」
そう言うと、もう片方の目からも涙がこぼれ落ちる。なんだか、見ているあたしまで泣けてきた。
彼女はこの一言を伝えるのに、どれだけの勇気を振り絞っただろう。スキを伝えるのはいつだって命懸けだ。
だって、そのスキは拒絶されることだってある。それを見越してでも相手に自分の想いを伝えるのって、本当に勇気が要る。だから、こうやって告白出来る菜々ちゃんは本当にすごいと思う。
「俺の、ことが……?」
正和君がわずかに後ずさる。
ねえ、井村君。今までの流れで散々気付くポイントあったでしょうよ。ちょっと呆れてしまうけど、鈍感な彼にはこれぐらいの直球でないと通じないのかもしれない。
「そう、井村君のことが好きなの。お願い、私と付き合ってください!」
まるで懺悔のように叫ぶ。風が吹き、川面がキラキラと波打つ。生暖かい風に揺られながら、あたしは呼吸を止めて見守っていた。
「俺は……」
そう言って正和君がふいに目を背ける。
「あ」
知らぬ間に木の陰から見守っていたはずのあたしと目が合った。時が止まる。思考も止まる。何が起こっているのか、自分でもよく分からなかった。
――うわ、やっちゃった。
まるでサンタさんに化けているのを子供に見つかったような、とんでもない罪悪感が湧いて出る。
「すまない、佐藤。ちょっと待ってもらえないか?」
正和君はまるであたしなんか見なかったかのように菜々ちゃんへ振り返る。あれ? もしかして本当に見つかってない?
菜々ちゃんは相変わらず告白した余韻なのか、無言で涙を流していた。正和君が近付くと、思い切りその胸に抱きつく。正和君はちょっと困った顔で笑っていた。
「離れたくないの。もう、少しの間でも」
目を閉じた菜々ちゃんは本気だった。
正和君がしばらくそのままじっとしていて、周囲を見回してから菜々ちゃんの両肩にポンと手を乗せる。
「ありがとう。俺のために勇気を出してくれて」
正和君が菜々ちゃんの目をじっと見つめて言う。
「俺も君の気持ちにこたえたい。なるべく誠実に」
どちらともとれる言葉。どっちなの? 結局どっちなの? はっきりしてよ、今日ぐらい。
「だけど、今すぐに答えを出すことは出来ない。申し訳ないけど、これも分かってほしい。俺も自分の中で気持ちの整理がついていないんだ」
「うん」
「だから少し待ってくれ。それまでに飽きられなければの話だがな」
「私、いつまでも待つよ。だから井村君……」
その先に続く言葉はなかった。
「じゃあ、とりあえず帰ろうか」
そう言うと、正和君は菜々ちゃんの肩に手を置いて引き上げていく。
一瞬だけ、彼がこちらを見た気がした。気のせいかもしれないけど、やっぱりあたしの存在はバレていたの?
どうあれ、菜々ちゃんの告白は不完全燃焼で終わってしまった。
……もしかして、あたしのせい?
ちょっと待って。それは……。いや、悪気は無かったんだよ?
だって、あんなタイミングで正和君が振り向くとは思わないじゃない。
……でも、本当に気付いていない可能性も捨てきれないし。
ああ、もうヤダ。帰ったら菜々ちゃんに結果を訊いてみよう。
あたしは罪悪感でいっぱいになりながら、夕陽の落ちゆく川沿いを歩いて帰った。
あくまで偶然のタイミングで出会ったように。
練習を終えた正和君が向こうから歩いて来る。真面目な彼は最後まで練習を続けてから帰る。お陰でタイミングを合わせやすい。
「来たよ」
物陰から正和君を観察しつつ、あたしは背後にいる菜々ちゃんに声をかける。菜々ちゃんは緊張しているのか、深呼吸して自分を落ち着かせようとしていた。
正和君が来る。あと少しで、あたし達の隠れた角に差し掛かる。
「じゃあ、頑張って」
小声で菜々ちゃんの背中をトンと叩き、あたしは後方に隠れた。子供がよくマネする秘密の作戦みたいで、ちょっとワクワクした。
「あ、井村君、部活終わったの?」
「おう、佐藤か。今終わったよ」
「一緒に帰らない」
「いいけど、臭いだろ。加藤にも言われたし」
そう言って笑う正和君。ああ、前に言ったこと、結構気にしてたんだ。軽々しく人のことを臭いなんて言うものじゃないなって、物陰に隠れながら反省した。
「それで、加藤はいないのか?」
「え? あ、うん。美織ちゃんは先に用があるって帰ったけど」
「そうか……」
そう言うと、正和君は少しだけ残念そうな顔をした。不覚にも、ちょっと喜んでしまった。隠れているけど。
「井村君と会えるなんて、今日はツイてるな」
そう言って菜々はルンルンした足どりで帰り道を歩いて行く。菜々ちゃん、いいね。女優の才能がある。
「せっかくだから、手でも繋いで帰ろ?」
「え? あ、マジで?」
「お願い……」
そう言って手を差し出す菜々ちゃんの顔には、今までに見せたことのない迫力があった。それは、端的に言えば女の顔だった。あたしの知らない菜々ちゃんが、ここに来て姿を見せはじめている。
正和君はユニフォームの裾で手を拭くと、彼女から差し出された手を取ろうとする。刹那、菜々ちゃんの方から正和君の手を掴んでグイっと引き寄せた。
世に言う恋人繋ぎではないけど、仲睦まじく手を握り合う二人の姿は画になっていた。こっそり写真でも撮ってやりたいところだけど、写ルンですでもあればなあ。
それはそうと、あたしは夕陽に照らされながら、帰り路を歩む二人を離れて観察していた。知り合いに声をかけられると一気にバレてしまうので、尾行の際には自分の周囲にも気を付けないといけなかった。
手を繋いだ二人は何かの会話をすると、まっすぐは帰らずに川へと向かって行く。うん、いいぞ。あそこは人も少なくて、告白するには向いている。
でも、その流れを見ながらも、あたしの胸はズキズキと痛むような気がした。気がしたっていうかは、正直もうその原因は明らかなんだけど、それを差っ引いてもあたしは親友の菜々ちゃんに幸せを掴んでほしい。
この前の遊園地でますます正和君のことが好きになりかけたけど、菜々ちゃんから彼を奪い取るようなことはしない。そんなの女じゃないって言われたって、あたしは一向に構わない。
だから菜々ちゃん、この告白は絶対に成功させてね。あたしの無念まで一緒に背負っているんだからさ。
そして正和君、ウチの菜々ちゃんを頼むよ。
夕陽に照らされる川はとても綺麗だった。オレンジ色に輝く宝石みたい。なんか、ドラマのワンシーンでも見ているような気分になるね。
川べりで二人が立ち止まる。あたしは木の後ろに隠れてその様子を見守った。
先を歩いていた菜々ちゃんがふいに振り向く。あたしは、息を止めて見守った。
「井村君」
それだけ言って、菜々ちゃんは真剣な目で次の言葉を探していた。応援してあげたい気持ちは山々だけど、今のあたしはここから見守ることしか出来ない。
「なんだ、どうした?」
さすがに異変を感じ取ったのか、井村君の背中から戸惑いを感じ取った。こちらを向く菜々ちゃんは、後光が差しているみたいで神秘的な見た目になっている。
女神のようにさえ見え始めた菜々ちゃんの目に涙が溜まっていく。
「ずっと黙っていたけど、私……」
その先が続かず、菜々ちゃんの片目から涙がこぼれ落ちる。
頑張って。今しかないよ。
あたしは菜々ちゃんへ念を送る。それが届いたのか、一度途切れた言葉が再び吐き出される。
「私、井村君のことが、好きなの。本当に、どうしようもないくらいに」
そう言うと、もう片方の目からも涙がこぼれ落ちる。なんだか、見ているあたしまで泣けてきた。
彼女はこの一言を伝えるのに、どれだけの勇気を振り絞っただろう。スキを伝えるのはいつだって命懸けだ。
だって、そのスキは拒絶されることだってある。それを見越してでも相手に自分の想いを伝えるのって、本当に勇気が要る。だから、こうやって告白出来る菜々ちゃんは本当にすごいと思う。
「俺の、ことが……?」
正和君がわずかに後ずさる。
ねえ、井村君。今までの流れで散々気付くポイントあったでしょうよ。ちょっと呆れてしまうけど、鈍感な彼にはこれぐらいの直球でないと通じないのかもしれない。
「そう、井村君のことが好きなの。お願い、私と付き合ってください!」
まるで懺悔のように叫ぶ。風が吹き、川面がキラキラと波打つ。生暖かい風に揺られながら、あたしは呼吸を止めて見守っていた。
「俺は……」
そう言って正和君がふいに目を背ける。
「あ」
知らぬ間に木の陰から見守っていたはずのあたしと目が合った。時が止まる。思考も止まる。何が起こっているのか、自分でもよく分からなかった。
――うわ、やっちゃった。
まるでサンタさんに化けているのを子供に見つかったような、とんでもない罪悪感が湧いて出る。
「すまない、佐藤。ちょっと待ってもらえないか?」
正和君はまるであたしなんか見なかったかのように菜々ちゃんへ振り返る。あれ? もしかして本当に見つかってない?
菜々ちゃんは相変わらず告白した余韻なのか、無言で涙を流していた。正和君が近付くと、思い切りその胸に抱きつく。正和君はちょっと困った顔で笑っていた。
「離れたくないの。もう、少しの間でも」
目を閉じた菜々ちゃんは本気だった。
正和君がしばらくそのままじっとしていて、周囲を見回してから菜々ちゃんの両肩にポンと手を乗せる。
「ありがとう。俺のために勇気を出してくれて」
正和君が菜々ちゃんの目をじっと見つめて言う。
「俺も君の気持ちにこたえたい。なるべく誠実に」
どちらともとれる言葉。どっちなの? 結局どっちなの? はっきりしてよ、今日ぐらい。
「だけど、今すぐに答えを出すことは出来ない。申し訳ないけど、これも分かってほしい。俺も自分の中で気持ちの整理がついていないんだ」
「うん」
「だから少し待ってくれ。それまでに飽きられなければの話だがな」
「私、いつまでも待つよ。だから井村君……」
その先に続く言葉はなかった。
「じゃあ、とりあえず帰ろうか」
そう言うと、正和君は菜々ちゃんの肩に手を置いて引き上げていく。
一瞬だけ、彼がこちらを見た気がした。気のせいかもしれないけど、やっぱりあたしの存在はバレていたの?
どうあれ、菜々ちゃんの告白は不完全燃焼で終わってしまった。
……もしかして、あたしのせい?
ちょっと待って。それは……。いや、悪気は無かったんだよ?
だって、あんなタイミングで正和君が振り向くとは思わないじゃない。
……でも、本当に気付いていない可能性も捨てきれないし。
ああ、もうヤダ。帰ったら菜々ちゃんに結果を訊いてみよう。
あたしは罪悪感でいっぱいになりながら、夕陽の落ちゆく川沿いを歩いて帰った。



