美織ちゃんの約束は決して口だけに留まらなかった。

 私と井村君の恋路を応援すると決めた彼女は、三人での遊園地デートを計画して、あっという間に実現した。

「お父さんの知り合いが関係者でさ、チケットが余っていたみたいなんだよね」

 そう言って美織ちゃんは近所にある遊園地のチケットを人数分手に入れていた。もしかしたら美織ちゃんが自腹で購入したの? って思ったけど、彼女のことだから、たとえそうだったとしてもかたくなに「もらっただけ」と言い張るだろう。そういうコなんだ。美織ちゃんは。

 もちろん私がそれを断るはずもなく、井村君を強引に説得して三人で遊びに行くことになった。

   ◆

 ――デート当日。

 集合は午前10時だったけど、美織ちゃんがしょっぱなから遅刻した。

「ゴメン、ちょっと電車が遅れて」
「いいよ。それじゃあ行こうね」

 私はまったく意に介していなかった。

 美織ちゃんのお陰で今日の三人デートがあるわけで、加えて美織ちゃんが遅刻したお陰で井村君と二人っきりで話す時間も作れた。これで怨む要素があるんだったら逆に教えてほしい。

 遊園地なんて久しぶりだけど、今回は井村君も一緒に行くということで、私は前日からちょっと寝不足気味だ。それも仕方ない。目の下にクマができていないだけで上出来と思うしかない。

 美織ちゃんの用意したチケットで入場すると、はじめに乗ったのは観覧車だった。

 近くで見ると想像以上にでかくて、頂上まで行くと結構な高さだった。

 観覧車のゴンドラに乗ると、美織ちゃんが「あたし広い場所がいい」と言って、反対側に私と井村君が座ることとなった。美織ちゃんが自由人のフリをして私たちがくっつくよう気遣ってくれているのは言うまでもない。

 ゴンドラが上がっていくにつれて、さっきまでいた場所で順番を待つ人々がみるみる小さくなっていく。

「うわ、高いね」

 窓から外を見る美織ちゃんが子供みたいに騒ぐ。井村君がその様子を保護者みたいにほほえましい顔で見ていた。

 私も窓から下を見ると、思ったよりも高くて怖かった。思わず井村君を掴んで、自分の行動やら井村君の体温やらで心拍数が一気に上がる。

 井村君を掴んでしまった恥ずかしさで思わず顔を上げると、「大丈夫だ」と言ってくれた。なんか、つくづくカッコいい男子だよねって思う。

 頂上付近になると高さにも慣れて、全員の映った写真を簡易式のカメラで撮った。後から写真を確認すると、みんないい顔で映っていた。それこそ、一生の宝物にでもしたいくらい。

 観覧車が終わると、次にコーヒーカップへと行った。ある意味お約束だけど、美織ちゃが「めっちゃ回すよ」と言って笑う。「やめろよ」と言って井村君も笑うけど、それがフリでしかないことを美織ちゃんも私も理解している。

 案の定、美織ちゃんがすごい勢いでカップを回す。「うわああ」って言いながらも、三人でバカみたいに笑った。もう終わったと思ったら井村君まで暴走して全力でカップを回すものだから、終わるころには全員がヘロヘロになっていて他のお客さんに笑われた。

 目は回ったけど、こうやってバカみたいなことをするのも青春だなって思う。

 目が回ったのもあり、ドーナツなどの軽食でランチを済ませると、午後にはジェットコースターに行った。

 ここのジェットコースターはなかなか強烈なやつで、空中で何度も回転するので乗っている人たちは乗車中何度も真っ逆さまになる。加えて速いし落ちる最中に椅子から身体が浮いたりするので、マジで怖いタイプのやつだ。

 正直乗る前から死ぬほど怖かったけど、私は事前の学習で吊り橋効果というのを学んでいた。それは吊り橋のように不安定な場所で二人が歩いていると、そのドキドキを恋と勘違いして恋人になってしまうみたいな心理効果があるというやつだ。

 どこかの偉い心理学者が見つけた法則らしいけど、それが本当ならジェットコースターは吊り橋どころじゃない。私たちは恋人どころか、夫婦にすらなれるかもしれない。

 そんな期待があったから、一度死んだつもりでその吊り橋効果に賭けることにした。

 今回も私と井村君が並んで座る。二人ずつの列になるので、美織ちゃんは私たちの一つ後ろの席にいた。

「ほら、手を繋いで。だって死んじゃうかもしれないよ?」

 ちょっと頭のおかしい言葉で私たちを急き立てる美織ちゃん。本当に怖いのもあって、井村君の手を強く握った。

 コースターがカタカタと音を立てながら急勾配のレールを上がっていく。そのたびに自分の命が危険に晒されているような気分になる。

「佐藤、ちょっと痛い」

 井村君に指摘されて気付いたけど、私は相当な力で彼の手を握っていたみたい。

「ごめん」
「大丈夫だ、俺が付いているから」

 井村君がそう言って笑った瞬間、ジェットコースターがほとんど真っ逆さまに落ちていく。

「うわああああああああ!」

 ついさっきまで余裕をかましていた井村君がコントみたいに全力で叫んでいる。それでも、私も彼を笑っていられるほどの余裕は無かった。

 だって、このジェットコースター、本当に凶悪な角度とスピードで落ちていくんだもの。

 まるで洗濯機にでも放り込まれたみたいに、目の前の視界がグチャグチャになる。とおてもじゃないけど、絶景を楽しんでいる余裕なんか無い。

「うわーすごいこれ」

 後ろにいる美織ちゃんはもうちょっと余裕があるのか、凶器のような乗り物のスピードを楽しんでいた。やっぱり、美織ちゃんレベルにまでなるとそもそもの精神構造が違うのだろうか。

 ともあれ、地獄のような数分を過ごしたのちに私たちは無事に戻って来た。井村君は心なしか老けたように見えた。

「死ぬかと思った」

 思わず本音が漏れる。誰なの、あんなにおぞましい乗り物を考え出したのは。隣でうなだれる井村君と目が合う。苦笑いしたいところだけど、その表情すらうまく作れない。自分でもひどい顔をしているであろうことは分かった。

「ヤバい、これ最高」

 後ろの席から美織ちゃんのはしゃぎ声が聞こえる。この悪魔の乗り物も、彼女からすれば娯楽として成立しているみたいだった。

「次はもうちょっと大人しいやつにしようか」
「うん、そうしよう」

 私たちは聞こえなかったことにして、もう絶叫系はやめる方向でいくことにした。吊り橋効果、本当にあったのだろうか。私と井村君が短い時間で年を取っただけに思える。

 次は絶叫系はやめようね、と行ったのは海賊船のアトラクションだった。理由はやっぱり美織ちゃんが「面白そう」と言ったから。なんか嫌な予感がした。

 近くまで行ってみると、海賊船風に作られた振り子状の乗り物が波の音とともに前後に揺れるだけだ。さっきのジェットコースターに比べたら、ずいぶんとチョロい乗り物に見えた。

 これなら空中で前後に揺れるだけだから、そんなに怖くはないはず。

 復活した私と井村君はアイコンタクトで「これなら大丈夫そうじゃない?」と意見を交わし、合意のもとにこのアトラクションに乗った。まさに大船に乗った気持ちで。

 だけど――

「うわああああああ!」「きゃあああ!」

 巨大な船舶の上で響くのは、井村君と私の絶叫だった。

 遠くから見るとそうでもなかったけど、いざ船に乗るととんでもなく急な角度にまで持ち上げられる。そのままの勢いで真っ逆さまに見えるような落ち方をするので、高い建物から突き落とされたような気分になった。

 いや、もちろん死なないようにはなっているんだけど、私は死ぬんじゃないかと思ったよ……。

 揺れが止まると、私と井村君はインターバル中に座ったままギブアップしたボクサーのようにぜえぜえと息を切らせながら床を見つめていた。また寿命が縮まった。そして、また少し老けた。そう感じずにはいられなかった。

「楽しかったね~」

 美織ちゃんがルンルン気分で話しかけてくる。

 もう考えるのが面倒くさくなっていて、「ああ、そうだね」ってユニゾンの棒読みで答えた。吊り橋――ねえ、君はどこに行ったの?

 このままだと死んじゃうなと思ったので、今度は私からの提案でメリーゴーランドに乗った。いかにも子供っぽいアトラクションだったから恥ずかしい気もしないでもないけど、この乗り物ってデートで乗る人が多いような気がする。

 美織ちゃんは馬に乗って、私と井村君はカボチャの馬車に乗った。

「なんか懐かしいな」

 乗り物が動きだすと、隣の井村君が口を開いた。

「ね。まさかこの年になってこれに乗るとは思わなかったけど」
「俺は嫌いじゃないよ。たまにはこういうのだっていい。とりわけ、さっきまでのやつはあまりにも強烈だったからね」

 井村君はそう言って笑う。彼にとってもジェットコースターと海賊船はなかなかのトラウマ案件だったようだ。

 手を繋ぎたいな。

 自然とそんな想いが出てくる。

 ふと美織ちゃんと見ると、すごく下手なアイコンタクトで「行け」ってやっているからバレちゃうんじゃないかって心配になってくる。

 だけど、ここは美織ちゃんの言う通りだ。私だって、ちょっとずつ勇気を出していく必要がある。

 そんな時、井村君の視線が美織ちゃんに向いていた気がした。どこか切なそうな、そんな想いを押し殺した目。それを見た時、「ダメ」って叫びそうになるのを必死になって堪えた。

 ――本気、出さなきゃ。

 何も言わずに井村君の手を握る。顔がものすごく熱くなる。絶対、赤くなってるんだろうなって思うけど、もう引き下がるわけにはいかない。

 井村君もちょっとビックリした顔はしたけど、すぐに微笑んで優しく手を握り返してきた。多分、今まで生きてきた中で一番幸せな瞬間だった。

 メリーゴーランドは回る。

 何度も何度も、いかにも子供の好きそうな音楽を奏でながら。

 もう少しで夕方に差し掛かる空には、大きなトンビが飛んでいた。

 私は幸せを噛みしめながら、意味もなくその鳥を眺めていた。