ジメっとした空気。空もどんよりと曇っている。

 今日は雨が降りそうだな。そんなことを思いながら灰色の空を眺めていた。

 それにしても腹減ったな。ぼくの飼い主、色々といい加減で困る。この前もごはんを忘れているからニャアニャア鳴いてアピールしたら「うるさい」って頭をはたかれた。

 今日は普通にごはんをくれるのかな。

 そう思っていると、飼い主がどこか暗い目でぼくを見下ろしていた。

 嫌な予感。これ、理由なく叩かれる気がする。

 それでも叩く口実を与えないように、鳴き声は出さないようにする。

 ふいに首の後ろを掴まれ、乱暴に持ち上げられる。そのせいで、思わず「ニャッ!?」と声が漏れた。

 そのまま野菜が入っていたダンボールに放り込まれ、ぼく達は家を出て行く。

 どこへ行くの?

 飼い主を見上げるも、辛気臭い顔で目を合わせてくれない。

 外はポツポツと雨が降り出していた。嫌だなあ。このまま雨が降ってきたら、傘も無いからずぶ濡れになっちゃうじゃないか。

 しばらく飼い主はぼくの入ったダンボールを持ったまま歩いて行く。歩きながらブツブツと呟いていて、いちいち怖い。

 しばらくすると、巨大な建物の前に来た。学校とか呼ばれている、子供だちが集まる場所だ。何をしているのかは知らないけど。

 飼い主はダンボールごと僕を下ろすと、周囲をキョロキョロと見回してから去っていった。

 えっ……。

 ちょっと待ってよ。そんなことをされたら、僕はどうやって帰ればいいんだよ?

 そう思うも束の間、飼い主の姿はどこにも見当たらなくなっていた。

 ちょ……怖いよ。一人にしないでよ。いや、ぼくは猫だから一匹か。そんなことはどうでもいい。とにかく、目下ぼくは生命の危機にある。

 屋根こそあるけど、雨が強くなってきた。

 風は吹くし、そのせいで水が顔に当たる。うわ、最悪。おい飼い主、お前はどこに行ったんだよ。

 それでも戻ってくるだろうと思い、雨風の中でじっと待っていた。だけど、待てども待てども飼い主が帰って来る気配は無い。

 ――まさか、ぼくは捨てられたの?

 そう思った瞬間、本能的にニャアニャアと声を上げていた。

 なんでだよ。置いてかないでよ。ぼくが何をしたんだよ。

 そんな想いも虚しく、ぼくの声は届かない。

 怖いよ。なんか、すぐ近くに鉄の塊みたいなのが走っているし。ダンボールの箱から出ようとしたぼくは恐怖ですぐに戻った。

 濃い灰色になった空は、それだけで怖かった。ましてやぼくは子供だ。こんな中で置いて行かれたんだから最悪だ。

 リードに繋がれた犬がこちらを見る。うわ、死ぬ。あんなのに噛まれたらひとたまりもない。恐怖。これが、死に近付いた者の味わう絶望というやつなのか。

 あまりにも怖くて、気持ち的にはわんわん泣いてるんだけど、実際にはニャンニャン鳴いていた。

 そうしたら学校のチャイムが鳴って、同じ服を着た若い人間たちがたくさん出て来る。その中で、足を止めた者がいた。

「猫……」

 そう呟いた女の子は、ぼくのことをじっと見下ろしていた。制服を着ているから、この学校の生徒なんだろうなって思う。

「かわいい」

 頭を軽く撫でられる。さっきまで恐怖に支配されていたこともあり、本能的に頭をこすりつける。

「うん、うん。いい子だね」

 そう言って喉を撫でてくれる。最悪な状況だったのに、喉がゴロゴロしてしまう。本能ってやつは厄介だ。

「おう、加藤。それ、どうしたの?」

 ふと見ると、もう一人の人間が来ていた。着ている服はちょっと違って、きっとオスなんだと思う。女の子が答える。

「捨て猫みたい」
「捨て猫? マジか。最悪な飼い主だな」

 ぼくを撫でずに、二人が勝手に会話をはじめる。なんか嫌だったので、とりあえず「ニャア」と鳴いてみた。

「かわいい」
「たしかに、こりゃかわいいな」

 二人の視線に、ぼくはじっと見つめ返した。

「で、どうすんだ?」

 オスの方が訊くと、女の子が顔をしかめる。

「飼いたいんだけどさ、」
「うん」
「ウチ、猫がダメな家なんだよね」
「何やってんだよ」

 目の前の男女が揉めだした。

 一体何があったんだろう。

「だって、こんな雨の中で一人ぼっちなんて、そんなの見過ごせるわけないじゃない」
「まあ、たしかに……」

 そう言ってオスの方が困った顔でぼくを見る。あまりよく分かっていないけど、とりあえず「ニャア」と鳴いてみた。そうすると、二人ともますます困った顔になった。

「どうしよう……」

 女の子が悲しそうな顔をしたまま、ぼくの頭を撫で続ける。

「このまま放っておいたら猫好きがなんとかするんじゃないか?」
「そんなこと言ったって、この辺には車も走っているし、放っておけないよ。第一、そうやって誰もこの子を拾わなかったら死んじゃうじゃない」
「そうだな。ああ、もう、どうすんだ、これ」

 オスの方がなんだかイラ立っているようだった。さっきまでかわいいと言ってくれたのに、ぼくは何かを間違えたのだろうか?

「加藤、お前んちは本当に猫を飼えないのか?」
「うん。壁もそんなに厚くないし、割とすぐにバレちゃうかも。最悪、引っ越して下さいってなってしまうかもね」

 女の子がそう言うと、悩み抜いた末にオスの方が口を開く。

「じゃあ俺が飼うよ」
「えっ……?」
「だって、加藤の家だとこいつは飼えないんだろ? それに、無理矢理飼って引っ越すなんて話になったら大ごとじゃないか」
「そうだけど……いいの?」
「いいのも何も、どうにかするしかない。親の説得は何とかする」
「本当に? 正和君、ありがとう」
「おう。ただ、正直いきなりすぎて不安しかないけどな。まあ大丈夫だろ。家の人間も全員が猫好きのはずだから」

 オスがそう言うと、ぼくはダンボールごと持ち上げられる。

「俺は正和って言うんだ。今日からお前は、ウチの猫だ。それで……おい、加藤。この子の名前はどうする?」
「サノなんてどう?」
「サノ? なんで?」
「るろうに剣心に相楽左之助っているでしょ?」
「ああ、まあ確かに。でも、それなら剣心で良くないか?」
「剣心はねえ、あたしの子供が生まれたら使う名前だからダメ」
「はーそうですか。じゃあサノ、今日からよろしくな」

 そう言ってぼくはダンボールごと連れて行かれた。

 いきなり捨てられたと思ったら拾われて、人生(?)って本当に分からないものだなと思いながら宙に浮かぶ揺れる箱に身を任せていた。

 なんだか分からないけど、心から安堵した。

 気が抜けたら眠くなって、ぼくは知らぬ間に意識を失っていた。