――下校時には雨が降っていた。
部活はとっくに辞めていたけど、雨が降っていると気持ち憂鬱になる気がする。幸いにして置き傘は常にあるので、濡れて帰るっていうことはないんだけど。
「結構降ってるな」
土砂降りとはいかないまでも、雨はそれなりに強い降り方をしていた。置き傘の無い生徒たちがダッシュで家へと帰っていく。
校門まで来ると、見慣れた顔が傘を差したまま屈んでいた。
「かの……高橋、どうした?」
「ああ、井村君。校門を出たらこの子が置いてあって」
クラスで隣に座る高橋花音が少し困った顔で反応する。視線を辿ると、ダンボールの中からニャアニャアと声が聞こえてくる。
「猫か」
回り込んで見ると、ダンボールには小さい黒猫がニャアニャアと鳴いていた。
「かわいいよね」
高橋が指先で黒猫の顔を軽く撫でる。猫は嬉しそうに顔をこすりつけていた。
ダンボールには「かわいがってやって下さい」とマジックで書いてあった。なんて勝手な飼い主なんだ。お前がまっ先にこの子を幸せにしてあげるべきなのに。
子猫はつぶらな瞳で高橋を見ている。もう彼女を母親のようにでも思っているのかもしれない。
「それで、飼うのか?」
「うーん、それが……」
高橋が決まりの悪い顔をする。
「ウチのマンションってさ、ペットが禁止なんだよね。だからどうしようかと思って」
「ええ~」
思わずマスオさんみたいな声が出る。子猫はすっかり高橋の家に連れて行ってもらうつもりだろう。ほんの束の間とはいえ、かわいがられたらそのようになるのは俺でも知っている。
となると、高橋は飼うことも出来ない猫へ下手に希望を持たせたことになる。このまま飼い主が現れなければ、この子猫は保健所へ行き、そう低くない確率で貰い手が見つからずに殺処分となる。
なにやってんだよ。
クラスメイトのポンコツぶりに、とても嫌な気分になる。
つぶらな視線が、第三者の俺からでも痛かった。この無垢な子猫は期待を裏切られるのか。
「どうすんだよ」
「うーん、困った」
高橋はそれとなく周囲を見渡す。何となく察した人々が、関わらないように視線を背ける。捨て猫がかわいそうなのは誰でも同意出来るだろうが、だからといってその責任を引き受ける筋合いはない。それが世間の総意だ。
高橋の様子から察したのか、さっきよりも一層猫がニャアニャアと鳴きはじめる。その声は「捨てないで」と懇願しているかのようだった。
「じゃあ、俺はこれで」と言って逃げたいところだが、そうもいかない。厄介なことに巻き込まれた。
「仮にこの子を持ち帰ったらどうなるんだ?」
「多分だけど、『捨てて来い』って言われる気がする。ママもパパもそういうのはすごく厳しいんだよね」
「それでよくこの子を相手しようなんて思ったな」
「だって、このままじゃかわいそうじゃない。それこそ、ダンボールから出て轢かれたら死んじゃうし」
高橋がそう言った瞬間、美織さんとの話が脳裏をよぎった。彼女は猫を追いかけてトラックに轢かれた。現場は見ていないけど、死んでしまうぐらいだから死体の状態はひどいものだったんじゃないか。
「ごめんね。君は連れて行けないんだ。ごめんね」
高橋がポロポロと涙を流して黒猫を撫でている。子猫はその言葉の意味が分からず、呑気に頭をすり寄せていた。見れば見るほどかわいそうになってくる光景だった。
この子は、この後は保健所に。そして、その後は……。
その先は想像したくなかった。ものすごく嫌な気分になる。
――このアホ。なんで飼えないって知っていて捨て猫の相手なんかするんだよ。
そう思った時には、俺の手が勝手にダンボールを掴んでいた。
「井村君……」
高橋が驚いた顔で俺を見る。
「上手くいくかは分からないけど、親に飼えるかどうか訊いてみるよ。昔は猫を飼っていた時代もあるみたいだからさ」
そう言ったが、いまだに高橋の顔が驚いた顔のままだったので「どうした?」と訊こうとしたら、知らぬ間に涙が流れていたことに気付いた。慌ててその場で涙を拭う。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
何に対しての質問だったのか微妙なところだけど、俺は大丈夫だと反応的に答えていた。きっとダウンを取られた格闘家も慌てているとこんなリアクションになるんだろうな。
「ありがとう」
高橋が俯き気味に言う。
「言っとくけど、上手くいく保証はないからな」
そうは言ったものの、両親とは猫を飼うか飼わないかで戦争になる予感がした。これで「捨てて来い」と言われても飼うことを押し通すしかないし、それでもダメなら貰い手をあっちこっち探して訊いて回ることになる。その大変さを考えると憂鬱だった。
「サノにしよう」
「えっ……?」
「こいつの名前。知り合いがさ、飼い猫にサノって名前を付けていたんだ」
「そうなの」
知り合いとは言うまでもなく美織さんのことだが、それは黙っておこう。色々とややこしくなる。ダンボールの中で、黒猫はいまだにニャアニャアと鳴いていた。
捨て猫にうっかり名前まで付けてしまった。これはもう後には引けない。俺は何とかして、両親を説得するしかない。
美織さんに会いにくくなるような気がしないでもないが、助けられる命を無駄に出来るほど血は凍っていない。
……まあ、恰好を付けていても費用の負担が発生するのは親なんだけど。
いずれにしても、俺はこの子を守る。そう決めたんだから、約束は守らなきゃダメだ。
部活はとっくに辞めていたけど、雨が降っていると気持ち憂鬱になる気がする。幸いにして置き傘は常にあるので、濡れて帰るっていうことはないんだけど。
「結構降ってるな」
土砂降りとはいかないまでも、雨はそれなりに強い降り方をしていた。置き傘の無い生徒たちがダッシュで家へと帰っていく。
校門まで来ると、見慣れた顔が傘を差したまま屈んでいた。
「かの……高橋、どうした?」
「ああ、井村君。校門を出たらこの子が置いてあって」
クラスで隣に座る高橋花音が少し困った顔で反応する。視線を辿ると、ダンボールの中からニャアニャアと声が聞こえてくる。
「猫か」
回り込んで見ると、ダンボールには小さい黒猫がニャアニャアと鳴いていた。
「かわいいよね」
高橋が指先で黒猫の顔を軽く撫でる。猫は嬉しそうに顔をこすりつけていた。
ダンボールには「かわいがってやって下さい」とマジックで書いてあった。なんて勝手な飼い主なんだ。お前がまっ先にこの子を幸せにしてあげるべきなのに。
子猫はつぶらな瞳で高橋を見ている。もう彼女を母親のようにでも思っているのかもしれない。
「それで、飼うのか?」
「うーん、それが……」
高橋が決まりの悪い顔をする。
「ウチのマンションってさ、ペットが禁止なんだよね。だからどうしようかと思って」
「ええ~」
思わずマスオさんみたいな声が出る。子猫はすっかり高橋の家に連れて行ってもらうつもりだろう。ほんの束の間とはいえ、かわいがられたらそのようになるのは俺でも知っている。
となると、高橋は飼うことも出来ない猫へ下手に希望を持たせたことになる。このまま飼い主が現れなければ、この子猫は保健所へ行き、そう低くない確率で貰い手が見つからずに殺処分となる。
なにやってんだよ。
クラスメイトのポンコツぶりに、とても嫌な気分になる。
つぶらな視線が、第三者の俺からでも痛かった。この無垢な子猫は期待を裏切られるのか。
「どうすんだよ」
「うーん、困った」
高橋はそれとなく周囲を見渡す。何となく察した人々が、関わらないように視線を背ける。捨て猫がかわいそうなのは誰でも同意出来るだろうが、だからといってその責任を引き受ける筋合いはない。それが世間の総意だ。
高橋の様子から察したのか、さっきよりも一層猫がニャアニャアと鳴きはじめる。その声は「捨てないで」と懇願しているかのようだった。
「じゃあ、俺はこれで」と言って逃げたいところだが、そうもいかない。厄介なことに巻き込まれた。
「仮にこの子を持ち帰ったらどうなるんだ?」
「多分だけど、『捨てて来い』って言われる気がする。ママもパパもそういうのはすごく厳しいんだよね」
「それでよくこの子を相手しようなんて思ったな」
「だって、このままじゃかわいそうじゃない。それこそ、ダンボールから出て轢かれたら死んじゃうし」
高橋がそう言った瞬間、美織さんとの話が脳裏をよぎった。彼女は猫を追いかけてトラックに轢かれた。現場は見ていないけど、死んでしまうぐらいだから死体の状態はひどいものだったんじゃないか。
「ごめんね。君は連れて行けないんだ。ごめんね」
高橋がポロポロと涙を流して黒猫を撫でている。子猫はその言葉の意味が分からず、呑気に頭をすり寄せていた。見れば見るほどかわいそうになってくる光景だった。
この子は、この後は保健所に。そして、その後は……。
その先は想像したくなかった。ものすごく嫌な気分になる。
――このアホ。なんで飼えないって知っていて捨て猫の相手なんかするんだよ。
そう思った時には、俺の手が勝手にダンボールを掴んでいた。
「井村君……」
高橋が驚いた顔で俺を見る。
「上手くいくかは分からないけど、親に飼えるかどうか訊いてみるよ。昔は猫を飼っていた時代もあるみたいだからさ」
そう言ったが、いまだに高橋の顔が驚いた顔のままだったので「どうした?」と訊こうとしたら、知らぬ間に涙が流れていたことに気付いた。慌ててその場で涙を拭う。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
何に対しての質問だったのか微妙なところだけど、俺は大丈夫だと反応的に答えていた。きっとダウンを取られた格闘家も慌てているとこんなリアクションになるんだろうな。
「ありがとう」
高橋が俯き気味に言う。
「言っとくけど、上手くいく保証はないからな」
そうは言ったものの、両親とは猫を飼うか飼わないかで戦争になる予感がした。これで「捨てて来い」と言われても飼うことを押し通すしかないし、それでもダメなら貰い手をあっちこっち探して訊いて回ることになる。その大変さを考えると憂鬱だった。
「サノにしよう」
「えっ……?」
「こいつの名前。知り合いがさ、飼い猫にサノって名前を付けていたんだ」
「そうなの」
知り合いとは言うまでもなく美織さんのことだが、それは黙っておこう。色々とややこしくなる。ダンボールの中で、黒猫はいまだにニャアニャアと鳴いていた。
捨て猫にうっかり名前まで付けてしまった。これはもう後には引けない。俺は何とかして、両親を説得するしかない。
美織さんに会いにくくなるような気がしないでもないが、助けられる命を無駄に出来るほど血は凍っていない。
……まあ、恰好を付けていても費用の負担が発生するのは親なんだけど。
いずれにしても、俺はこの子を守る。そう決めたんだから、約束は守らなきゃダメだ。



