音のない世界に生きる無能の幸せな妖婚


 それから一週間は特に何事もなく、穏やかな日々が続いていた。

 呪いの影響が急に大きくなることはなかったが、目が見えにくい日があったり、上手く物を掴めず落とすことが少しずつ増えていた。


 五感を奪う呪いの影響は、少しずつ紫音の身体を蝕んでいた。


 黒稜は紫音にかけられた呪いを解くため、その解術方法をひたすらに探した。しかし、御影にある文献をほとんど読み漁ったが、それらしきものは見つからなかった。

 切羽詰まっていた稜介は、呪いの解術式を残さなかったのだ。

 紫音は迫りくる恐怖と闘いながらも、気丈に振る舞っていた。

 祈りの巫女の治癒の術を自分に試してみたりもしたのだが、まだ祈りの巫女として覚醒しきっていないのか、やはり自身には効果がないのか、呪いに変化はなかった。




「今日は連れまわして悪かった」
「い、いえ!」


 街の古い図書館や、他の陰陽師にあたってみたのだが、呪いの解術方法どころかその呪いの存在すら知らない者が多かった。

 今日も街に出てみたものの、これといった成果はなかった。
 紫音と黒稜は以前も立ち寄った喫茶店にやってくると、紫音は紅茶を黒稜はまた真っ黒な珈琲を頼んだ。


(以前飲んでとても美味しかった紅茶も、やっぱり味がしないわ……)


 触覚はまだあるため、それが熱いものだというのは辛うじてわかるのだが、紅茶の華やかな香りや心地良い渋みなどは感じられなくなっていた。

 紫音が残念に思いながら紅茶を啜っていると、それを慰めようとした黒稜の手が、宙で止まる。


 紫音と黒稜の席に影が落ち、二人はそちらを見上げる。

 そこにいたのは、喫茶店の店員ではなかった。


 金色の明るい髪に、洋装を見に纏った若い青年であった。
 紫音はきょとんと男性を見上げ、黒稜は警戒するように青年を睨み付けた。


「やあ!」


 明るく手を挙げた青年は、紫音に笑顔を向ける。


「え、ええっと……?」


 どこかで会ったことがあっただろうかと、紫音は目をぱちくりさせる。
 青年は笑みを絶やさず、紫音に話し続ける。


「北条院 紫音ちゃん、だよね? 話は聞いてるけど、こんなに綺麗な子だったなんて。意外」


 そこで紫音ははっと思い出す。

(この人、もしかして、以前弥生と一緒にいた……?)


 初めて紫音と黒稜が二人で街に来た時、そこにはちょうど弥生がいて、誰かと一緒に歩いていたのだ。その隣にいたのが、この派手な髪色を持った青年だったと紫音は思いあたる。

 青年は紫音の手を取る。


「紫音ちゃん、来てもらってもいいかな?」
「え?」


 ぐいっと紫音を引っ張る手を、黒稜が容赦なく叩き落とす。


「私の妻に触れるな」


 黒稜が睨み付けると、青年はわざとらしく驚いたふりをして飛び退いた。


「わあ、怖い。御影 黒稜、俺は君にも会いたいと思ってたんだ。ここじゃお店の迷惑になるから、少し場所を移そうか」


 そう言って青年は喫茶店を出て行く。

 紫音と黒稜もその後を追った。





「俺の名は雪平 李央(ゆきひら りおう)。まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に言うね?」


 李央はそう言うと、紫音の胸に向かって指を差した。


「紫音ちゃん、君、呪われてるんだって? しかもそんじょそこらの人じゃ解けないような、強力な呪い」

 強力な呪いは、強力な術者でなければ見破れない。李央もまた、黒稜と同じように力ある陰陽師の人間であると見受けられた。

 はっと息を飲む紫音に距離を詰めた李央は、紫音の着物の胸元をぐいっと引っ張った。


「ねえ、見せてよ、その呪い」


 紫音を庇う様に抱き寄せた黒稜は、李央を睨み付ける。


「貴様は何者だ?」


 黒稜の問い掛けに、何の躊躇いもなくさらっと答える李央。


「俺? 俺はフツーにただのしがない陰陽師だよ? ただ、ずっと呪いに興味があってね。調べてるんだ。紫音ちゃんに強力な呪いがかけられてると聞いて、いてもたってもいられなくなっちゃったんだ」
「聞いた、だと? 誰にだ?」


 その問いにも李央はあっけらかんと答える。



「誰にって、紫音ちゃんの妹さんにだよ。弥生ちゃんは俺のガールフレンドだから」



 ガールフレンドの意味はよくわからなかった紫音ではあるが、弥生が紫音の呪いについて知っていたことに、目を丸くした。


「弥生が、私の呪いのことを知っていた……?」


 弥生だって力の強い陰陽師ではある。紫音に呪いがかかっていることをとっくに知っていたのだろうか。


「そりゃ知ってるでしょ。紫音ちゃんの呪いをかけたのは、弥生ちゃんなんだから」
「え…………?」


 紫音の中で渦巻く呪いが、ズキンと痛んだような気がした。


「え……? 私に呪いをかけたのが、弥生……?」


 力なく言葉を紡ぐ紫音を支える黒稜。しかしその表情には驚きの色はなかった。


「え? 知らなかったの? 弥生ちゃん、あの手この手で君を殺そうとしてるよ? あらゆる没落陰陽師に声を掛けては、君を暗殺するよう依頼してる。多額の資金と力を提供してね。俺もそれで声を掛けられた一人」


 勝喜も紫音の暗殺を依頼された、と言っていた。その依頼をしていたのは、弥生だったのだ。確かに北条院はお金があるが、力をどのようにして与えているのかは不明だ。

 愕然とする紫音に変わって、黒稜が続ける。


「それで、お前は何故そんな情報を私達に話したんだ?」


 何か裏があるのではないかと黒稜は李央の腹を探る。

 しかし飄々とした金髪の青年は、あっけらかんと答えた。


「いや? 別に理由とかないけど? ただ、強力な呪いをかけられた人間に興味があるんだ。ねえ、紫音ちゃん。今どんな影響が出てるの? 痛い? 苦しい? 詳しく聞かせてよ」


 距離を詰めて来る李央に、紫音は黒稜の腕にぎゅっと抱き着いた。


「あらら? 嫌われちゃった? 俺はただ、君の呪いを知りたいだけなんだけど」


 紫音からぱっと離れた李央は、残念そうに唇を尖らせた。


「ま、気が向いたら調べさせてよ、君の身体」


 立ち去ろうとする李央は「そうそう」と、振り返った。


「君の妹やばいよ? そろそろどうにかした方がいいんじゃない?」

 「じゃ、姉妹喧嘩も程々に」そう言い残して李央は人混みに消えた。


 呆然とする紫音に、黒稜は優しく声を掛ける。



「帰ろう」
「……はい」





 御影の屋敷へと帰ってきた紫音と黒稜は、並んで縁側に腰掛けていた。


(弥生が、私に呪いをかけていたなんて……。どうしてそんなこと……)


 弥生は確かにやたらと紫音を嫌っていて、無能な紫音よりも勝っているはずなのにどうしても上に立ちたがった。小さな呪いをかけていたのは知っているが、まさか強大な五感を奪う呪いをかけた張本人が弥生だとは思わなかった。それに紫音には、どうしてそこまで弥生に嫌われているのかはわからなかった。


「あの妹が来る度、紫音の中の呪いの力が強まっていた。まさか元凶となる呪いをかけられるほどの力があるとは思わなかったが……」


 弥生は来る度、手土産だと言って呪い入りの饅頭を紫音に食わせていた。


「弥生は、呪いのすべなんて……」


 知っているはずがない。そうとは言い切れなかった。弥生は幼くして強力な五行の力を使えた。それ故、他の陰陽師と共に妖の討伐に挑んだこともあるだろう。弥生が関わって来た人間のことなど、紫音が知るはずもなかった。


(弥生……、どうして……)


 目がぼんやりと霞む。涙のせいではない。これは呪いのせいだ。紫音の身体を呪いが蝕んでおり、視覚にも影響が出ているのだ。


(私はどうしたらいいの? このまま、五感がなくなっていくのをただただ待つしかないの?)


 紫音の中でそんな疑問がぐるぐると渦巻く。


(弥生と話しをしなきゃ。ずっと、私は弥生に虐げられてばかりだった。私がしたことで弥生を傷付け、このような行為に手を染めてしまったのなら、それを正すのは姉である私の仕事だわ)


 弥生と向かい合うのは当然怖い。力のない紫音に何ができると言うのか。
 けれど、このまま何もせずに五感が失われていくのを待つのは、もっと怖かった。


(どうせ、全てが失われるのなら、私は……)


 紫音は立ち上がると、黒稜の瞳を真っ直ぐに見つめる。





「黒稜様、私、北条院家に行って参ります」




 紫音の決意に、黒稜も賛同する。


「私も行こう」
「え?」
「君を一人で行かせるわけにはいかない。私は、君を守りたい」


 黒稜は以前大切な人を守れなった過去がある。動けずに後悔するのは、きっともう嫌なのだろうと紫音は思った。


(ただの政略結婚だというのに、黒稜様は本当にお優しい方です……)


 紫音は少し寂しそうに笑うと、ぺこりと頭を下げた。


「よろしくお願いします」
「ああ」


 そうして二人は、北条院家に向かうことを決めた。

 ずっと逃げ続けてきた、双子の妹、弥生に会うために。