外に足を踏み入れた途端、吐き気を催すような、強烈な匂いが鼻を刺す。外は喧噪としていて、鼓膜が破れそうだ。自分の声すら、わからない。
目の前で、人が倒れる。爆風が舞う。誰かが泣き叫ぶ。
ここは……どこだ。
図書室の時とは格段と違う……地獄絵図がここには繰り広げられていた。
リュシア……。
あなたはそこまで神を憎んでいるのか。何があなたたちを動かしているの?
威勢のいいことを言ってみたものの、いざとなっては動くことすらかなわない。
それに、こんな状況でカミールが無事なのか……居ても立っても居られない。
「これ………………私たちがどうこうできるものなの?本当に止められるの?」
「わかんない。こればかりはどうしようもない……。」
パラが小さく呟く。彼女の自信と冷静さが今は失われ、代わりに焦りと怯えが瞳に映っていた。
「ねえ、あなたたち、何しているの……?」
突然、後ろから弱々しい女の声がした。振り返ると、高等部のリボンをつけた濃い金髪の少女が立っている。
「あなたは……?」
「私はバンピー。ねえ、突っ立ってないで、どうにかしてよ。暇人なら。瓦礫どかすとか、救護隊を助けるとかさ。
……今大変なんだから。」
そう言って、バンピーはジロリと私を睨んだ。
「すべてはあんたのせいだけどね、この裏切り者!」
「そんな……。」
そうだ私、まだ爆破の犯人だとみんなに思われているんだ。 何も言い返せず、黙り込む。
「この子は違うわ。」
パラが手を制して、静かにバンピーを見つめた。
「あの映像はただのフェイク。この子は無理やりやらされていたのよ。犯人はこの子じゃないわ。」
「は?あんた、何を根拠に……。」
「そちらこそなんの根拠があって?あの映像は“歪んで”いた。あれは魔力の揺らぎよ。誰かが手を加えたの。……あなたもわかるでしょう?高等部の生徒なんだから。」
「……く!」
言い返せず、悔し気にバンピーは引き返していった。その後ろ姿は、クマを見つけて慌てて逃げる小鹿そのものだ。私は半ば感心してパラを見上げる。
「すごいね、パラ。高等部の生徒に、あんなふうに言い返せちゃうなんて。私ならできない。
それにしても、あの映像そんなに歪んでたっけ?ずいぶん滑らかに見えたけど。」
尋ねると、トートは口に手を当てて微かに笑った。
「私が気づいたんじゃないの。最初は私も嘘だと分からなくて……。
タレス先生が気づいてくれたの。」
「彼が?」
「ええ。タレス先生がこの映像を精密に分析して、わずかな揺らぎと魔力を見つけてくれたのよ。彼は魔力探知のエキスパートでもあるの。珍しく手間取ったらしいけど。」
「どうしてそこまで………。」
「後悔してたんですって。ホーマに一人で操られた人を追わせて。自分のせいでホーマが巻き込まれた、教師失格だ……って責めていたのよ。ホーマが誰かを傷つけることをするはずがないって。
せめてもの償いに、彼女を救いたいと言っていたの。」
「タレス先生……。」
感動のあまり目が潤む。彼もやっぱり、私のことを信じて、守ってくれたんだ。
…………今まで自分は孤独だと思っていたけれど、案外、周りに助けてくれる人がいるんだなあ。
そう思うだけで余計に元気付けられ、胸がスッと軽くなった気がした。
その時。
「助けてくれーー!足が、瓦礫に挟まって……!」
誰かの叫び声が聞こえた。苦痛と焦りで声が濁り、胸がえぐられるような悲痛さを感じさせる。助けを求めているようだ。
声の奥には、炎が灯る音やガラスを探る響きも残っていた。
「今の叫び声……誰のかな?」
「分からない。西の方だ。今すぐ助けに行こう。」
考えるまもなく、私はかけ出す。
「ちょっ……。ホーマ足早すぎ!はあっはあ……。ちょっと待って!」
体力のないトートが早速音を上げるが、私は一向に気にしない。
早く、助けないと。
私も誰かのために動くって、さっき決めたじゃないか。
決意が大地に轟いた。
☆*:.。. ……………………………….。.:*☆
自分を奮い立たせる。辿り着いた先は……さっきとはまるで違う、荒野。
地面を丸ごとくり抜かれたかのように、緑が広がっていた草原は……一瞬で草ひとつ生えない焼け野原へと変わっている。
灰の匂いやどろけた金属の匂いが肺を痛めつけた。
あちらこちらにガラスの破片が飛び散っており、踏むたびにじゃりじゃりとした不快な音が鳴る。
倒れたレンガは黒く焼け焦げた跡があり、微かな熱気を感じられた。
合間から時折り不安定な軋む音がなり、今にも崩れ落ちそうで足が竦む。
「ここ、聖堂があった場所だ……。ひどい変わりよう……。」
「だからこそレジスタンスは狙ったのかもね……。彼らは“神”をひどく憎んでいるから。それにしても……。」
信じられない、とトートは首を振る。なるべく目に入らないように、と彼女は視線を逸らす。
いつか彼女は神官の出だと言っていたが、そんな彼女に取ったらこの代わりようは、何よりも辛いのかもしれない。
「あの人はどこにいるの?全く見えないわ……。」
「……だ。ここだ……。」
微かなすがり声を耳が捕まえる。北風に乗せられてきているようだ。目を閉じて耳を澄ます。風のうごめき、自然の奏でるリズム。全てがとまった瞬間、声の行く末が定まった感じがした。
声は東の方から、震えるように響いている。
……ここだ。
「わかった。あそこ…東の瓦礫の重なったところ。彼はあそこにいる。」
二人は何も言わず、指さす方を見つめる。今度は東へと、私たちは走った。距離はそれほど離れていない。近づくにつれ、汗と血が混ざり合ったような、生々しい香りが突き刺してくる。
「ここだ……。頼む、助けてくれー……。」
「いた、見つけた!」
服のあちらこちらが裂かれ、なんとか抜けようともがいて、脂汗が滴り落ちている……巻き毛の大柄な男がそこにいる。
ん…?
この人もしかして……。
「え?タレス先生!?」
「いいから助け……ええ?お前らなのか?」
思わずふんぞり返そうになる。かなり弱々しい姿になったものの、志を宿したような凛とした瞳は健在だ。
「先生、こんなところでどうしたんですか!?」
「どうしたって……見ればわかるだろう。瓦礫に挟まれて動けなくなっちゃったんだよ!!」
「そうじゃなくて、どうしてここに?」
「話せば長くなるが……奴らが動き出し、あちこちで爆弾やら毒やらが飛び交っていた頃、俺はある妙なものを見つけたんだ。それを追いかけていたら、いつのまにか、こうなった……。」
「妙なものってなんですか?」
トートはキラキラとした瞳で尋ねる。こんな時でも好奇心が抑えられないようだ。「こらっ」とパラが小さくトートを制す。
「俺にもよく分からなかった。幽霊みたいな、ここじゃ目立つ純白のマントをまとった奴らが、松明を手にして走っているのを見つけたんだ。俺はそれが、レジスタンスの一味じゃないかと思って……。」
「性別や特徴は分かりませんでしたか?」
パラがそう尋ねると、タレス先生は首を捻って唸る。
「なにせ、全部マントで覆われていたからな。人間なのかすら、分からないよ…………っておい!早く助けろ〜!」
タレス先生がじたばたともがく。完全に失念だ。救助に来たのに、つい調査をしてしまった。
「すみません!ちょっと先生、動かないで!足もげちゃう!」
「マジで!もしかしてすでにもげたりしてない?怖い!」
子供みたいにわめくタレス先生をよそに、魔法を使いながら私たちは瓦礫を退ける。
終わった後には……毛穴という毛穴から汗が吹き出してしまった。
「ふう……。やっと終わった…。」
「うわ……。先生……ひどいですね、これは……。」
カルテを見つめる医者みたいなしかめっつらで、トートは言う。
見ると彼の足は、どす黒く変色していて、パリパリと音を立てられそうなほど乾燥していた。
瓦礫に押し込まれたはずなのに、血の一滴すら出ていない。
「先生………。もげるどころか、壊死寸前ですよ、これ。」
「ええっ。確かに、瓦礫に潰されたにしては痛みが少ないかも……?」
痛くない……。それは神経が死に始めていることを示唆する。私たちはごくりと唾を飲み込んだ。このままだと先生の足どころか、命にも関わってくる。
「俺、このままだと死ぬのか……?」
か細い声で彼は呟いた。木の枝が痩せてしぼんだ時のような、正気を感じられない目をしている。
政府の重圧すら気にせず、まっすぐに真実を教える彼の姿や、「一緒にレジスタンスを止めよう!」と誓った時の笑い声。
私の頭の中で、全てが浮かんでは消えていき、無様に無力さだけ残す。
タレス先生を、見殺しにするしかないのか……?
奥歯を強く噛み締めたその時、あぶくのような白い光が目に入った。
その光は、読み取れないほどの小さな文字がいくつも渦巻いている。
それらは先生の足を明るく照らしていた。
光の主は、トートだった。
必死に空中で呪文を書き綴っては消している。
「トート!?」
「先生!諦めるのはまだ早いですっ。うまくいくかわからないけど、私の魔法を試してからでなきゃ!」
「ミス・ヴェルビア、その魔法って……。」
ためらうような先生の視線も気にせず、トートは呪文を書く。
先生が生きる……ただそれだけの“希望”を求めて手を打つ彼女の姿には、心を打つ何かがあった。
冷や汗を拭いながらも、彼女は言う。
「私の家で代々伝わっている、“詠療の法”です。私はまだ詳しく教わっていないけれど、これなら………!」
魔法の重圧に耐えきれず、彼女の顔は歪んだ。
「確実に先生を救えます!壊死自体を無効化できるっ!」
堪えきれず、私とパラは立ち上がった。
「「トート!私たちでもできることなら、何か手伝わせてっ!」」
「二人とも……。」
彼女の涙が日光で屈折し、淡い虹色を描いているように見えた。頷いた後、彼女らしく瞬時に指示を出す。
「ありがとう!パラは祈祷魔法で私の魔法を援護して!ホーマは先生の足を持ち上げてちょうだい!」
「「はいっ」」
短く返事をし、私たちは腕をまくって自分の仕事を始める。先生の足を持ち上げると、硬いはずの筋肉がぶよぶよと柔らかい感触になっていた。
「……っ。」
あまりにグロテスクで、手を離そうとする。 それでもトートとパラが、汗水垂らして必死に治療を続けているのを見て、また強く握り返した。
相手を助ける覚悟って、容易なものじゃないけれど。
決めた限りは、成さなければならない義務があるはず。
「そんな体を張るような真似しなくていい!俺のことで、君たちに負担なんかかけるものか!離すんだ!」
「辞めませんよ、先生!」
思った以上に大きな声が出た。パラとトートの手も、思わず止まる。
「先生……。私たちが生半可ない気持ちで先生を助けていると思っているんですか?違いますよ!
先生は……。 誰にも味方する大人がいない中、唯一私たちに手を差し伸べてくれた大人です。
一緒に止めようって、言ってくれたのは先生自身じゃないですか!
そんな人を絶対に、死なせません!」
言い返すと、タレス先生は黙ってうつむいてしまった。
その雰囲気が、逆に怖い。どうしよう、強く言いすぎたかな。怒らせてしまった……?
だが、先生から返ってきたのは叱る声でも落ち込む声でもなく、褒めるような、激励するような……
心がほっと息をつく、暖かい言葉だった。
「……君たちは、すごい。
……みんなで力を合わせて何かを成し遂げることは、こんなにも人を美しく成長させるものなんだね。
傲慢だった、今まで俺は。教師の俺が、君たちを守って、成長させるのだと思っていた。
でも違った。君たちは……自分自身でそれを成し遂げた。
強くなって、自分たちだけで誰かを救えるようになった。
そんな君たちに、精一杯の拍手を送るよ。
俺ができるのは、それだけだ。」
「先生え……。」
先生の言葉は静かに、胸の奥に届く。
今まで私は弱くて、いろんな先生に迷惑かけたけれど……。
そんな私をもう超えて、一丁前になったってことかな。
どんな褒め言葉よりも嬉しくて……元気付けられた。自然と頬が緩む。
ちょうどその時、トートとパラの“治療”が終わった。
ふわふわと、文字たちは先生の足を囲って、小さく息を吹いた。
すると……みるみるうちに足の色が血色のいい桃色に変わり、筋肉の感触も元に戻っていく。
「わあ……。」
「やった、元に戻った!」
「先生、立ってみてください。」
「あ、ああ……。」
タレス先生は生まれたての子鹿のように、恐る恐る立ち上がり始めた。
最初はふらついたものの……元のしっかりとした姿勢に戻る。
顔中に喜びが広がり、生きているのを確かめるように、自身の手を見つめた。
「本当にありがとう!3人とも!」
「いえ、先生が助かって、本当によかったです!」
「あ、ああ。俺もだ。こんなに生きていて嬉しかったことはない。あ、そうだ。」
突然、現実めいた口調でタレス先生は話題を切り替える。
「君たちに、まだ続きを話していなかった。さっき俺がみた、白装束の軍団のことだ。」
瞬時に、先生のさっき言っていたことが思い出される。一気に緊張のひもがきつくなった。
「あれですよね、松明持った白マントの軍団を追いかけていたって……。それがどうかしたんですか?」
「あいつらはマントの上に、ある紋章をつけていた。炎に折れた剣が入った紋章だ。
それは……俺が半年前調査していた紋章に重なる。」
「紋章?」
「ああ、俺は仕事で古文書の調査をしていた……。君たちが入っていたカタコンベ書庫や王国書庫なんかのな。
調べているうち、ある奇妙な本を見つけたんだ。」
タレス先生の顔が少し曇った。言うのをためらっているのか、目には迷いの色が浮かぶ。
その沈黙を破るように、トートが小さな声で促す。
「なんの本ですか?先生。教えてください。
……私たちにも、知る義務があるはずです。」
「あ、ああ……。そうだな。
その本は古文の中でも比較的新しいものだった。近代式の装丁で、後ろには1945年9月2日と書いてある。ちょうど百年しか経っていないようだった。
その本は“灰の少女”について書かれていたんだ。」
「は、灰の少女!?」
場が一瞬澱む。 1945年9月2日……………世界が神へと再び明け渡された、人最後の日。
そういえば、カタコンベ書庫の絵の下の数字……。
あれはこれを示唆したのか?
背中がぞくりと冷気が走った。見えるようで見えない真実を知るのが恐ろしい。
掴みたくない。
私の本当の存在意義を……知りたくない。
でも、耳は先生の言葉を逃さなかった。
私は手をきつく握った。トートの呼吸も荒くなる。
瓦礫の粉塵の匂いが熱を帯びて鼻を刺激した。
「その本によると、本来灰の少女は、“神と神を繋ぐ巫女“だった。
神々は、多種多様な力を持ち、異なる役割や願いを持っている。
しかし、そのままでは世界に歪みが生じ、人にも影響されかねない。
そんな時、”灰の少女“が祭司を通して神の声を聞き、互いの意志を繋ぎ合わせて平和を取り持っていたんだ。
また、彼女を通して人の祈りが神に伝わり、神からの”恵み”を受け取っていた。
……1939年まではな。」
先生の声が低く響いた。ピアノの一番左の鍵盤を弾いたような音だ。
恐る恐る、パラは口を開く。
「1939年に、何が起こったんですか………?」
「君たちは2年生だから、まだ教えていなかったな。」
タレス先生は優しく微笑み語る。
「大戦が始まった。
人類史上最悪の、そして最後の戦争。
人は神を否定し、化学に頼り、“命”の概念すら奪われた。
戦火の混乱は祭司たちの命や儀礼までも奪った。
血を……強制的に絶たれたんだ。
彼らの存在は……“人間こそが一番だ”という正義を覆すものだったからな。」
「……。」
黙ることしかできない。戦争の惨禍を目の前に感じ、無力感が胸を押しつぶす。
すがるような目でタレス先生を見ると、彼は遠く空の彼方を見つめていた。
「だが、彼女たちだってそうやすやす従うわけじゃない。
灰の少女の母親は、娘である双子の灰の少女をある人たちに託した。
それが、元祖“レジスタンス”。」
「レジスタンス……?」
息を丸々飲み込んで、生ぬるい唾液が喉を伝っていく。
「本来はテロ組織ではなく、平等と平和を望む善良な市民の集まりにすぎなかったんだ。
……彼女たちにとって彼らは、大切な娘の命を預けるほど信頼できるものだったんだろうな。
レジスタンスは少女を、彼らの巣窟に6年匿い、守った。
……だが、政府は平穏すらも壊し、少女を無理やり誘拐し、神を呼ばせた。
神の救いを得て戦争を終わらすために。
彼女は“灰の少女”……神と人を繋ぐ架け橋でも、彼らにとってはただの“道具”でしかなかった。」
視線が床に落ち、なだらかに地面を空気が張っていく。
震えるトートを宥めるように、パラは手を握った。
「灰の少女は永久に姿をくらました。
レジスタンスはその灰の少女を見つけるため……あちこち旅をし、神と度々話し合いを持ちかけた。
しかし年月が経つにつれ、レジスタンスの中での意見が割れ始めた。
いつも通り平和的解決を望み、灰の少女を守る派、
そして過激な手段で体制を壊し、灰の少女を覚醒させようとする派。
……俺がさっき見た、十字架紋章の軍団だな。」
「神の門を再び開くかどうか。神に再びすがるべきか否かで対立がふかまっていたんだよ。
その分裂こそが、今回の混乱の原因だ。」
沈黙が数秒流れた。彼の話の世界に引き込まれて、他の悲鳴や煙の匂いすら入ってこない。
……今度は私たちを強く見据えて、彼は再び口を開いた。
「過激派は今、二人の少女を血迷って探している。
神の門を開くために、その鍵となる二人の少女を。」
全員の視線が、わたしに突き刺さった気がした。
「一人は……もうわかっているだろう。君だ、ホーマ。」
先生はじっと私の瞳を覗き込む。
赤みがかった瞳の中には、屈折して歪んだ私の顔があった。
「君が捕まえられたのも、まさにそれが目的なんだろうな。」
「先生……。二人って言いましたよね?もう一人は………?」
「もう一人は……レジスタンスの過激派の中にいる。」
「えっ?」
一瞬リュシアの顔がよぎった。彼女、私にすごく似ていた。 何から何まで。
灰の少女は双子、と言っていた。
もしかして?
「彼女は君と違って、己の運命に逆らい、過激派の中核に加担してしまった。
怒りと悲しみに飲まれ、破壊の道をとったんだ。」
「彼女が灰の少女だと、レジスタンスは気づいているのか怪しい。だが……
彼らは今、暴動の裏で儀式の準備をしている。
二人の鍵が開かれば、門は開かれる。」
「そして真の神が降り立ち、どちらの選択を選ぶかで、世界は変わる。
破壊か、対話か。
行く末は、誰にもわからない。」
ごくりと喉を鳴らす。
「……今の彼等なら破壊を選ぶだろう。ホーマ、君はそれを止めなければならない。
君だけが、最後の希望なのだから。
君が行かなきゃ、止められない。」
なだれるような沈黙が落ちる。誰も何も話さない。ただ、先生の言葉を一心に刻んでいる。
だって、それが私たちの役目なのだから。
「だから君たちはもう一人をなんとか見つけるんだ。
そして儀式を阻止しろ。奴らに門を開かせてはいけない。
もう、門を開けてはいけない。」
一瞬、先生の声が小さくなり、涙で揺れた気がした。
だが先生はそれを誤魔化すかのように、私たちを見据え、息を吸った。
「話し合おう」「行動で示すんだ」「君が行かなきゃ止められない。」……いろんな声が脳内で混じり、一つになる。
それらはわたしの体の源となり、血潮が手の中で小刻みに震えた。
……時はきたんだ。
真正面に、自分と向き合う時間が。
「先生、わたしたちは……動かなければならないんですね、今」
「ああ。もう、君たちしかできない。」
「トート、パラ……。」
呼びかけると、もうすでにわかったかのような瞳で、二人がわたしのことを見つめていた。
「もちろん。私たちも出来る限りのことするよ!」
「当たり前よ。さっき、3人で誓い合ったばかりでしょ?今、破ってどうするのよ。」
「じゃあ……。」
「まずは白のマントを羽織った、過激派を見つけよう。少女はそこにいる。」
「先生、最後はどこで見ましたか?」
「ええと……。北の門近くかな。」
「一番暴動が激しいところね。いきましょう。」
「君たちを、俺は信じているよ。」
くるりと背を向ける。それをタレス先生は、暖かな目で見送った。
生徒の背中一身に、希望を託して。
私たちは歩み始める。トートが、「先、先生を探した方が早かったかもね〜。」と、緊張を打ち消すように明るく笑った。
私はふと、疑問に思っていたことを口にする。
「……先生の調査って何?なんであんなに詳しく知っていたんだろうな」
振り返ると先生は、すでに居なくなっていた。
いつからそこにいたのか、誰もわからない。ただ言葉だけが、風と共に辺りを漂っていた。
目の前で、人が倒れる。爆風が舞う。誰かが泣き叫ぶ。
ここは……どこだ。
図書室の時とは格段と違う……地獄絵図がここには繰り広げられていた。
リュシア……。
あなたはそこまで神を憎んでいるのか。何があなたたちを動かしているの?
威勢のいいことを言ってみたものの、いざとなっては動くことすらかなわない。
それに、こんな状況でカミールが無事なのか……居ても立っても居られない。
「これ………………私たちがどうこうできるものなの?本当に止められるの?」
「わかんない。こればかりはどうしようもない……。」
パラが小さく呟く。彼女の自信と冷静さが今は失われ、代わりに焦りと怯えが瞳に映っていた。
「ねえ、あなたたち、何しているの……?」
突然、後ろから弱々しい女の声がした。振り返ると、高等部のリボンをつけた濃い金髪の少女が立っている。
「あなたは……?」
「私はバンピー。ねえ、突っ立ってないで、どうにかしてよ。暇人なら。瓦礫どかすとか、救護隊を助けるとかさ。
……今大変なんだから。」
そう言って、バンピーはジロリと私を睨んだ。
「すべてはあんたのせいだけどね、この裏切り者!」
「そんな……。」
そうだ私、まだ爆破の犯人だとみんなに思われているんだ。 何も言い返せず、黙り込む。
「この子は違うわ。」
パラが手を制して、静かにバンピーを見つめた。
「あの映像はただのフェイク。この子は無理やりやらされていたのよ。犯人はこの子じゃないわ。」
「は?あんた、何を根拠に……。」
「そちらこそなんの根拠があって?あの映像は“歪んで”いた。あれは魔力の揺らぎよ。誰かが手を加えたの。……あなたもわかるでしょう?高等部の生徒なんだから。」
「……く!」
言い返せず、悔し気にバンピーは引き返していった。その後ろ姿は、クマを見つけて慌てて逃げる小鹿そのものだ。私は半ば感心してパラを見上げる。
「すごいね、パラ。高等部の生徒に、あんなふうに言い返せちゃうなんて。私ならできない。
それにしても、あの映像そんなに歪んでたっけ?ずいぶん滑らかに見えたけど。」
尋ねると、トートは口に手を当てて微かに笑った。
「私が気づいたんじゃないの。最初は私も嘘だと分からなくて……。
タレス先生が気づいてくれたの。」
「彼が?」
「ええ。タレス先生がこの映像を精密に分析して、わずかな揺らぎと魔力を見つけてくれたのよ。彼は魔力探知のエキスパートでもあるの。珍しく手間取ったらしいけど。」
「どうしてそこまで………。」
「後悔してたんですって。ホーマに一人で操られた人を追わせて。自分のせいでホーマが巻き込まれた、教師失格だ……って責めていたのよ。ホーマが誰かを傷つけることをするはずがないって。
せめてもの償いに、彼女を救いたいと言っていたの。」
「タレス先生……。」
感動のあまり目が潤む。彼もやっぱり、私のことを信じて、守ってくれたんだ。
…………今まで自分は孤独だと思っていたけれど、案外、周りに助けてくれる人がいるんだなあ。
そう思うだけで余計に元気付けられ、胸がスッと軽くなった気がした。
その時。
「助けてくれーー!足が、瓦礫に挟まって……!」
誰かの叫び声が聞こえた。苦痛と焦りで声が濁り、胸がえぐられるような悲痛さを感じさせる。助けを求めているようだ。
声の奥には、炎が灯る音やガラスを探る響きも残っていた。
「今の叫び声……誰のかな?」
「分からない。西の方だ。今すぐ助けに行こう。」
考えるまもなく、私はかけ出す。
「ちょっ……。ホーマ足早すぎ!はあっはあ……。ちょっと待って!」
体力のないトートが早速音を上げるが、私は一向に気にしない。
早く、助けないと。
私も誰かのために動くって、さっき決めたじゃないか。
決意が大地に轟いた。
☆*:.。. ……………………………….。.:*☆
自分を奮い立たせる。辿り着いた先は……さっきとはまるで違う、荒野。
地面を丸ごとくり抜かれたかのように、緑が広がっていた草原は……一瞬で草ひとつ生えない焼け野原へと変わっている。
灰の匂いやどろけた金属の匂いが肺を痛めつけた。
あちらこちらにガラスの破片が飛び散っており、踏むたびにじゃりじゃりとした不快な音が鳴る。
倒れたレンガは黒く焼け焦げた跡があり、微かな熱気を感じられた。
合間から時折り不安定な軋む音がなり、今にも崩れ落ちそうで足が竦む。
「ここ、聖堂があった場所だ……。ひどい変わりよう……。」
「だからこそレジスタンスは狙ったのかもね……。彼らは“神”をひどく憎んでいるから。それにしても……。」
信じられない、とトートは首を振る。なるべく目に入らないように、と彼女は視線を逸らす。
いつか彼女は神官の出だと言っていたが、そんな彼女に取ったらこの代わりようは、何よりも辛いのかもしれない。
「あの人はどこにいるの?全く見えないわ……。」
「……だ。ここだ……。」
微かなすがり声を耳が捕まえる。北風に乗せられてきているようだ。目を閉じて耳を澄ます。風のうごめき、自然の奏でるリズム。全てがとまった瞬間、声の行く末が定まった感じがした。
声は東の方から、震えるように響いている。
……ここだ。
「わかった。あそこ…東の瓦礫の重なったところ。彼はあそこにいる。」
二人は何も言わず、指さす方を見つめる。今度は東へと、私たちは走った。距離はそれほど離れていない。近づくにつれ、汗と血が混ざり合ったような、生々しい香りが突き刺してくる。
「ここだ……。頼む、助けてくれー……。」
「いた、見つけた!」
服のあちらこちらが裂かれ、なんとか抜けようともがいて、脂汗が滴り落ちている……巻き毛の大柄な男がそこにいる。
ん…?
この人もしかして……。
「え?タレス先生!?」
「いいから助け……ええ?お前らなのか?」
思わずふんぞり返そうになる。かなり弱々しい姿になったものの、志を宿したような凛とした瞳は健在だ。
「先生、こんなところでどうしたんですか!?」
「どうしたって……見ればわかるだろう。瓦礫に挟まれて動けなくなっちゃったんだよ!!」
「そうじゃなくて、どうしてここに?」
「話せば長くなるが……奴らが動き出し、あちこちで爆弾やら毒やらが飛び交っていた頃、俺はある妙なものを見つけたんだ。それを追いかけていたら、いつのまにか、こうなった……。」
「妙なものってなんですか?」
トートはキラキラとした瞳で尋ねる。こんな時でも好奇心が抑えられないようだ。「こらっ」とパラが小さくトートを制す。
「俺にもよく分からなかった。幽霊みたいな、ここじゃ目立つ純白のマントをまとった奴らが、松明を手にして走っているのを見つけたんだ。俺はそれが、レジスタンスの一味じゃないかと思って……。」
「性別や特徴は分かりませんでしたか?」
パラがそう尋ねると、タレス先生は首を捻って唸る。
「なにせ、全部マントで覆われていたからな。人間なのかすら、分からないよ…………っておい!早く助けろ〜!」
タレス先生がじたばたともがく。完全に失念だ。救助に来たのに、つい調査をしてしまった。
「すみません!ちょっと先生、動かないで!足もげちゃう!」
「マジで!もしかしてすでにもげたりしてない?怖い!」
子供みたいにわめくタレス先生をよそに、魔法を使いながら私たちは瓦礫を退ける。
終わった後には……毛穴という毛穴から汗が吹き出してしまった。
「ふう……。やっと終わった…。」
「うわ……。先生……ひどいですね、これは……。」
カルテを見つめる医者みたいなしかめっつらで、トートは言う。
見ると彼の足は、どす黒く変色していて、パリパリと音を立てられそうなほど乾燥していた。
瓦礫に押し込まれたはずなのに、血の一滴すら出ていない。
「先生………。もげるどころか、壊死寸前ですよ、これ。」
「ええっ。確かに、瓦礫に潰されたにしては痛みが少ないかも……?」
痛くない……。それは神経が死に始めていることを示唆する。私たちはごくりと唾を飲み込んだ。このままだと先生の足どころか、命にも関わってくる。
「俺、このままだと死ぬのか……?」
か細い声で彼は呟いた。木の枝が痩せてしぼんだ時のような、正気を感じられない目をしている。
政府の重圧すら気にせず、まっすぐに真実を教える彼の姿や、「一緒にレジスタンスを止めよう!」と誓った時の笑い声。
私の頭の中で、全てが浮かんでは消えていき、無様に無力さだけ残す。
タレス先生を、見殺しにするしかないのか……?
奥歯を強く噛み締めたその時、あぶくのような白い光が目に入った。
その光は、読み取れないほどの小さな文字がいくつも渦巻いている。
それらは先生の足を明るく照らしていた。
光の主は、トートだった。
必死に空中で呪文を書き綴っては消している。
「トート!?」
「先生!諦めるのはまだ早いですっ。うまくいくかわからないけど、私の魔法を試してからでなきゃ!」
「ミス・ヴェルビア、その魔法って……。」
ためらうような先生の視線も気にせず、トートは呪文を書く。
先生が生きる……ただそれだけの“希望”を求めて手を打つ彼女の姿には、心を打つ何かがあった。
冷や汗を拭いながらも、彼女は言う。
「私の家で代々伝わっている、“詠療の法”です。私はまだ詳しく教わっていないけれど、これなら………!」
魔法の重圧に耐えきれず、彼女の顔は歪んだ。
「確実に先生を救えます!壊死自体を無効化できるっ!」
堪えきれず、私とパラは立ち上がった。
「「トート!私たちでもできることなら、何か手伝わせてっ!」」
「二人とも……。」
彼女の涙が日光で屈折し、淡い虹色を描いているように見えた。頷いた後、彼女らしく瞬時に指示を出す。
「ありがとう!パラは祈祷魔法で私の魔法を援護して!ホーマは先生の足を持ち上げてちょうだい!」
「「はいっ」」
短く返事をし、私たちは腕をまくって自分の仕事を始める。先生の足を持ち上げると、硬いはずの筋肉がぶよぶよと柔らかい感触になっていた。
「……っ。」
あまりにグロテスクで、手を離そうとする。 それでもトートとパラが、汗水垂らして必死に治療を続けているのを見て、また強く握り返した。
相手を助ける覚悟って、容易なものじゃないけれど。
決めた限りは、成さなければならない義務があるはず。
「そんな体を張るような真似しなくていい!俺のことで、君たちに負担なんかかけるものか!離すんだ!」
「辞めませんよ、先生!」
思った以上に大きな声が出た。パラとトートの手も、思わず止まる。
「先生……。私たちが生半可ない気持ちで先生を助けていると思っているんですか?違いますよ!
先生は……。 誰にも味方する大人がいない中、唯一私たちに手を差し伸べてくれた大人です。
一緒に止めようって、言ってくれたのは先生自身じゃないですか!
そんな人を絶対に、死なせません!」
言い返すと、タレス先生は黙ってうつむいてしまった。
その雰囲気が、逆に怖い。どうしよう、強く言いすぎたかな。怒らせてしまった……?
だが、先生から返ってきたのは叱る声でも落ち込む声でもなく、褒めるような、激励するような……
心がほっと息をつく、暖かい言葉だった。
「……君たちは、すごい。
……みんなで力を合わせて何かを成し遂げることは、こんなにも人を美しく成長させるものなんだね。
傲慢だった、今まで俺は。教師の俺が、君たちを守って、成長させるのだと思っていた。
でも違った。君たちは……自分自身でそれを成し遂げた。
強くなって、自分たちだけで誰かを救えるようになった。
そんな君たちに、精一杯の拍手を送るよ。
俺ができるのは、それだけだ。」
「先生え……。」
先生の言葉は静かに、胸の奥に届く。
今まで私は弱くて、いろんな先生に迷惑かけたけれど……。
そんな私をもう超えて、一丁前になったってことかな。
どんな褒め言葉よりも嬉しくて……元気付けられた。自然と頬が緩む。
ちょうどその時、トートとパラの“治療”が終わった。
ふわふわと、文字たちは先生の足を囲って、小さく息を吹いた。
すると……みるみるうちに足の色が血色のいい桃色に変わり、筋肉の感触も元に戻っていく。
「わあ……。」
「やった、元に戻った!」
「先生、立ってみてください。」
「あ、ああ……。」
タレス先生は生まれたての子鹿のように、恐る恐る立ち上がり始めた。
最初はふらついたものの……元のしっかりとした姿勢に戻る。
顔中に喜びが広がり、生きているのを確かめるように、自身の手を見つめた。
「本当にありがとう!3人とも!」
「いえ、先生が助かって、本当によかったです!」
「あ、ああ。俺もだ。こんなに生きていて嬉しかったことはない。あ、そうだ。」
突然、現実めいた口調でタレス先生は話題を切り替える。
「君たちに、まだ続きを話していなかった。さっき俺がみた、白装束の軍団のことだ。」
瞬時に、先生のさっき言っていたことが思い出される。一気に緊張のひもがきつくなった。
「あれですよね、松明持った白マントの軍団を追いかけていたって……。それがどうかしたんですか?」
「あいつらはマントの上に、ある紋章をつけていた。炎に折れた剣が入った紋章だ。
それは……俺が半年前調査していた紋章に重なる。」
「紋章?」
「ああ、俺は仕事で古文書の調査をしていた……。君たちが入っていたカタコンベ書庫や王国書庫なんかのな。
調べているうち、ある奇妙な本を見つけたんだ。」
タレス先生の顔が少し曇った。言うのをためらっているのか、目には迷いの色が浮かぶ。
その沈黙を破るように、トートが小さな声で促す。
「なんの本ですか?先生。教えてください。
……私たちにも、知る義務があるはずです。」
「あ、ああ……。そうだな。
その本は古文の中でも比較的新しいものだった。近代式の装丁で、後ろには1945年9月2日と書いてある。ちょうど百年しか経っていないようだった。
その本は“灰の少女”について書かれていたんだ。」
「は、灰の少女!?」
場が一瞬澱む。 1945年9月2日……………世界が神へと再び明け渡された、人最後の日。
そういえば、カタコンベ書庫の絵の下の数字……。
あれはこれを示唆したのか?
背中がぞくりと冷気が走った。見えるようで見えない真実を知るのが恐ろしい。
掴みたくない。
私の本当の存在意義を……知りたくない。
でも、耳は先生の言葉を逃さなかった。
私は手をきつく握った。トートの呼吸も荒くなる。
瓦礫の粉塵の匂いが熱を帯びて鼻を刺激した。
「その本によると、本来灰の少女は、“神と神を繋ぐ巫女“だった。
神々は、多種多様な力を持ち、異なる役割や願いを持っている。
しかし、そのままでは世界に歪みが生じ、人にも影響されかねない。
そんな時、”灰の少女“が祭司を通して神の声を聞き、互いの意志を繋ぎ合わせて平和を取り持っていたんだ。
また、彼女を通して人の祈りが神に伝わり、神からの”恵み”を受け取っていた。
……1939年まではな。」
先生の声が低く響いた。ピアノの一番左の鍵盤を弾いたような音だ。
恐る恐る、パラは口を開く。
「1939年に、何が起こったんですか………?」
「君たちは2年生だから、まだ教えていなかったな。」
タレス先生は優しく微笑み語る。
「大戦が始まった。
人類史上最悪の、そして最後の戦争。
人は神を否定し、化学に頼り、“命”の概念すら奪われた。
戦火の混乱は祭司たちの命や儀礼までも奪った。
血を……強制的に絶たれたんだ。
彼らの存在は……“人間こそが一番だ”という正義を覆すものだったからな。」
「……。」
黙ることしかできない。戦争の惨禍を目の前に感じ、無力感が胸を押しつぶす。
すがるような目でタレス先生を見ると、彼は遠く空の彼方を見つめていた。
「だが、彼女たちだってそうやすやす従うわけじゃない。
灰の少女の母親は、娘である双子の灰の少女をある人たちに託した。
それが、元祖“レジスタンス”。」
「レジスタンス……?」
息を丸々飲み込んで、生ぬるい唾液が喉を伝っていく。
「本来はテロ組織ではなく、平等と平和を望む善良な市民の集まりにすぎなかったんだ。
……彼女たちにとって彼らは、大切な娘の命を預けるほど信頼できるものだったんだろうな。
レジスタンスは少女を、彼らの巣窟に6年匿い、守った。
……だが、政府は平穏すらも壊し、少女を無理やり誘拐し、神を呼ばせた。
神の救いを得て戦争を終わらすために。
彼女は“灰の少女”……神と人を繋ぐ架け橋でも、彼らにとってはただの“道具”でしかなかった。」
視線が床に落ち、なだらかに地面を空気が張っていく。
震えるトートを宥めるように、パラは手を握った。
「灰の少女は永久に姿をくらました。
レジスタンスはその灰の少女を見つけるため……あちこち旅をし、神と度々話し合いを持ちかけた。
しかし年月が経つにつれ、レジスタンスの中での意見が割れ始めた。
いつも通り平和的解決を望み、灰の少女を守る派、
そして過激な手段で体制を壊し、灰の少女を覚醒させようとする派。
……俺がさっき見た、十字架紋章の軍団だな。」
「神の門を再び開くかどうか。神に再びすがるべきか否かで対立がふかまっていたんだよ。
その分裂こそが、今回の混乱の原因だ。」
沈黙が数秒流れた。彼の話の世界に引き込まれて、他の悲鳴や煙の匂いすら入ってこない。
……今度は私たちを強く見据えて、彼は再び口を開いた。
「過激派は今、二人の少女を血迷って探している。
神の門を開くために、その鍵となる二人の少女を。」
全員の視線が、わたしに突き刺さった気がした。
「一人は……もうわかっているだろう。君だ、ホーマ。」
先生はじっと私の瞳を覗き込む。
赤みがかった瞳の中には、屈折して歪んだ私の顔があった。
「君が捕まえられたのも、まさにそれが目的なんだろうな。」
「先生……。二人って言いましたよね?もう一人は………?」
「もう一人は……レジスタンスの過激派の中にいる。」
「えっ?」
一瞬リュシアの顔がよぎった。彼女、私にすごく似ていた。 何から何まで。
灰の少女は双子、と言っていた。
もしかして?
「彼女は君と違って、己の運命に逆らい、過激派の中核に加担してしまった。
怒りと悲しみに飲まれ、破壊の道をとったんだ。」
「彼女が灰の少女だと、レジスタンスは気づいているのか怪しい。だが……
彼らは今、暴動の裏で儀式の準備をしている。
二人の鍵が開かれば、門は開かれる。」
「そして真の神が降り立ち、どちらの選択を選ぶかで、世界は変わる。
破壊か、対話か。
行く末は、誰にもわからない。」
ごくりと喉を鳴らす。
「……今の彼等なら破壊を選ぶだろう。ホーマ、君はそれを止めなければならない。
君だけが、最後の希望なのだから。
君が行かなきゃ、止められない。」
なだれるような沈黙が落ちる。誰も何も話さない。ただ、先生の言葉を一心に刻んでいる。
だって、それが私たちの役目なのだから。
「だから君たちはもう一人をなんとか見つけるんだ。
そして儀式を阻止しろ。奴らに門を開かせてはいけない。
もう、門を開けてはいけない。」
一瞬、先生の声が小さくなり、涙で揺れた気がした。
だが先生はそれを誤魔化すかのように、私たちを見据え、息を吸った。
「話し合おう」「行動で示すんだ」「君が行かなきゃ止められない。」……いろんな声が脳内で混じり、一つになる。
それらはわたしの体の源となり、血潮が手の中で小刻みに震えた。
……時はきたんだ。
真正面に、自分と向き合う時間が。
「先生、わたしたちは……動かなければならないんですね、今」
「ああ。もう、君たちしかできない。」
「トート、パラ……。」
呼びかけると、もうすでにわかったかのような瞳で、二人がわたしのことを見つめていた。
「もちろん。私たちも出来る限りのことするよ!」
「当たり前よ。さっき、3人で誓い合ったばかりでしょ?今、破ってどうするのよ。」
「じゃあ……。」
「まずは白のマントを羽織った、過激派を見つけよう。少女はそこにいる。」
「先生、最後はどこで見ましたか?」
「ええと……。北の門近くかな。」
「一番暴動が激しいところね。いきましょう。」
「君たちを、俺は信じているよ。」
くるりと背を向ける。それをタレス先生は、暖かな目で見送った。
生徒の背中一身に、希望を託して。
私たちは歩み始める。トートが、「先、先生を探した方が早かったかもね〜。」と、緊張を打ち消すように明るく笑った。
私はふと、疑問に思っていたことを口にする。
「……先生の調査って何?なんであんなに詳しく知っていたんだろうな」
振り返ると先生は、すでに居なくなっていた。
いつからそこにいたのか、誰もわからない。ただ言葉だけが、風と共に辺りを漂っていた。

