まずい、囲まれた。
 無言の先生たちが、指示通りに動く機会人形のように迫ってくる。 

 このまま、私たちはどうなるんだろうか。
 レジスタンスに明け渡されて、殺されてしまうんだろうか。
 そもそも、彼ら……先生たちやヘレナの目的はなんなのか。
 タレス先生は何を伝えたかったのだろうか。

 疑問が頭の中で渦を巻き、恐怖が体を縛りつける。
 カミールの吠え声はますます鋭さを増していた。
 カミール。お願い、早く逃げて。
 レジスタンスにもし捕まれば……殺されるかもしれない。

 ゾッと体が巻き上がる。

 彼女が死んでしまうなんて、自分の一部を失うようなものだ。
 自分が死ぬより、何倍も恐ろしい。

 その時、金剛の淡い光が私たちを包み込んだ。
 体がふわりと宙に浮き、手足の感覚が空気に溶けていく。

 「!?」

 何が起こった?
 急いで二人の方を見ると、パラが手を合わせて何か呪文を唱えていた。彼女の艶やかな黒髪が、風と共に揺らいで光を反射している。

 ……そういえば、パラは加護魔法が得意と言っていたな。
 これは彼女の力だったのか。

 心が軽くなり、内側から力が沸いてきた。

 心地よい朝の空気と微かな花の香りが私を少しずつ現実に戻す。

 パラが祈祷の声を強めると、さらに体が高く舞い上がった。

 ヘレナたちが点のように見え、怒鳴り声さえも、遠くの囁きに変わる。

 やがて私たちは、外へと光に流されていった。
 日差しが目を刺し、眩しさのあまり目をつぶる。
 カミールが慌てて追いかけ、後から、ヘレナたちが階段を上る音が聞こえる。

 もう、雲が手に届きそうだ。

 「すごい、すごいよ。私、こんな高さまで飛んだことない!」

 トートがはしゃいでいう。パラも少し祈祷を緩め、こちらににっこり微笑んだ。

 「どこまで行くの?もう、ヘレナたちは巻いたと思うけど。」

 私がそう尋ねると、パラは天を仰いでいった。

 「もう少し高く飛んで、しばらくして寮に行くわ。完全に見失わせるために。」

 「寮に戻っても、どのみち捕まっちゃうんじゃないの?」

 「大丈夫。そこには、レジスタンス派よりも権力を持つ“神統治派”の先生がたくさんいるの。彼らの目がある限り、目立った行動はできないわ。」

 私は納得してうなずいた。

 この学校では先生の中でも序列が激しい。
 いくら優れたものでも、その流れに逆らうことはできない。


 光はやがて窓へと流れ込み、私たちを寮へと導いた。
 床に降り注ぐ光の筋が、私たちを柔らかく押し上げるように感じる。

 尻尾を振ってカミールが待っていた。鼻を鳴らし、全身から喜びが溢れでている。

 体を撫でると、一気に現実に戻されたような、安堵感が突き抜けた。

 手に取ったハーブティーは、ほんのり暖かくて、吹き抜ける華やかな香りは、私の心を丸々温めるようだった。

 しかし、その時間も長くは続かない。

 現実は扉を押して、小波のように押し寄せてきたのだった。

 ………………タレス先生が,この部屋にきたのだから。

☆*:.。. ……………………….。.:*☆

 「すまん!あいつらを呼んだのは、俺だっ!」

 開口一番、タレス先生は謝罪と自白を口にした。

 「……ど、どういうこと,ですか‥?」

 恐る恐る、トートが尋ねる。タレス先生は、大きな目ん玉を左上へと押しやって答えた。

 「まず、俺は過激なレジスタンス派ではない。君たちを捕まえてどうこうしようというつもりが毛頭ない。だが、一番伝えたかったのはそれじゃないのだ。」

 深く息を吸う。

 「……他の先生たちは魔法ではない何かで操られていたんだ。
 多分、何らかの強い神の力だと思う。」

 「「「え!?」」」」

 あの時、むせるほど充満した花の香りが蘇る。

 あれが、強い神の力……?

 光を持たず、神でさえ意志を揺さぶる危険な力。
 その予感に、胸がざわりと触れた。
 
 「それって、なんですか?」

 「わからない。危険なものは確かだ。問題は、誰がやったか、だ。」

 太い指を額に押し当て,タレス先生は考えこむ。
 一人で仮説を立てるように、静かに眉を寄せていた。

 「俺はその場にいなかった。ただ、彼らの後をついてきただけだったから、被害に遭わずに済んだのだ。
 二年生のミス・ヴィルシーが高度に操れるとは考えにくいし。
 うーん。」

 居ても立っても居られず、トートが声を上げた。目は輝いており、とてもじゃないが止められそうにない。

 「……ねえ、二人とも。誰がやったか調べてみよう。目星はついているの。照明器具を調べてみよう。」

 「え……でも。それよりやることがあるんじゃ……。ほら、あの本を調べるとかさ。」
 
 ためらいがちに言うと、トートはきっと睨み返した。

 「何で?調べたほうが絶対早いって!私に任せて!」

 「………………。」

 思わず怯んでしまう。 喉の奥がぎゅっと縮んで、首元が絞められたように違和感が肌についた。

 ……だめだ。これ以上自分の意見を押し通せば。

 きっと、また馬鹿にされるだろう。

 鼻で笑うアレスターたちの顔、声音。

 ぴたりと心を閉じて、私は頷いた。

 「おい、トート。無理するなよ。だが、いい考えかもしれないな。
 じゃ、俺は君たちを支えるよ。
 レジスタンスを、止めよう、みんなで。」

 「いいわね。ホーマも、きっとその方がいいわよ?ね。」

 パラも先生もトートの味方だ。

 そっぽを向き、誰も私に気づいていないみたいだ。 
 多数の意見に、私は屈している。

 ……思えばこの頃だったのだ。

 物語の“第二の歯車”が、ようやく動き出したのは。

 不吉な予感で、肌が軋んだ。

☆*:.。. ………………………….。.:*☆

 「いよいよ、学園祭まで1ヶ月!君たち中等部二年生には、学園祭に使う器具の準備、そしていよいよお楽しみ、クラス対抗の劇をやってもらう!」

 担任のその一言は、教室の空気を弾けさせた。

 机に突っ伏していた数人が顔を上げ、歓声を上げる。

 朝のけだるさは、みんな一瞬でどこかに吹き飛んだ………

 ……私を除いて。

 昨日のことが、ぼんやりと思い浮かぶ。

 先生たちが何かで操られたこと。

 学校祭にも影響があるかもしれないこと。

 それをトートが調査すると言い出したこと。

 「仕掛けるとしたら、照明係。みんなでこれを調べましょう。」

 力強いトートの声がふと蘇る。

 物思いにふけっていると、担任が「係決めするぞー。希望のところに名前をかけ!5組と合同だからな!」と指示を出した。

 言われた通り、照明係 の欄にHoma,と濃い筆圧で書く。

 ……空回りしている気がする。そう思ったけれど、私は名前を書いてしまった。

 次に照明係に書かれたのは……Helena・Vircy………………ヘレナの名前。

 席に帰る時、ヘレナが私をみて,微かに微笑んだ気がした。

 何一つ感情のない、“嘘の笑み”
 ……口角こそ上がっているが、瞳の奥は何かを隠すように、冷たく凍てついている。

 私たちを邪魔するつもりなんだろう。
 余計に気が滅入る。

 視線を逸らすと、ヘレナはいつものように、赤毛をくるくるといじっていた。 

 まるで何もなかったかのように。胸の奥が少しざわめいた。

☆*:.。. ……………………….。.:*☆

 「いよいよね。早速明日から調査を始めましょう♪」

 トートがはっちゃける。それをパラが、冷静に制した。

 「遊びではないし、私たちがこの係を選んだのは調査のため、でしょ。照明なんて、操り魔法の典型的なパターンだもの。何かわかるかもしれないわ。」

 「……ヘレナも一緒だよ。調べられないと思う。」

 「確かにね……でも、ある意味いいチャンスよ。」

 トートが言った言葉に、私は首を傾ける。

 「どういうこと?」

 「相手が私たちの動向を探る代わり、私たちもヘレナの動向を探れるかもしれないってこと。相手が隠すつもりでも、一緒に作業する折、必ずボロが出るわ。それを私たちは、掴むのよ。」

 「ハイリスクローリターンね……。」

 パラが静かにため息をつく。

 確かにそうだ。
 何度も彼女の“嘘”をみてきた私なら断言できる。
 私以外の人に見せる好意的な姿…ヘレナは感情を装う天才だ。
 聡明なトートですら勝てるはずがない。

 ……これで本当にいいのだろうか。

 脳内で、殴り書きされたインクや壁画が霞む。

 見るたび、心が揺れるような、懐かしい何かを思う出すような……。

 ねえ、やっぱり私、あのインクについて調べてみる。

 言葉は喉元まで出かかっていたのに、理性と恐怖心が私の言葉を堰き止めていた。

 二人は楽しげに何やら話し込んでいたが、聞く元気もなかった。

 ☆*:.。. …………….。.:*☆

 「始めるぞ!係ごとに集まれ!」

 軍手をはめた学年主任が声を張る。

 ぎゅうぎゅう詰めの体育館に、日がことある隙間から飛び出していて、眩しかった。
 私は手を振っているトートたちの元へ行く。

 今日のトートはいつにも増して、目が煮えたぎっていた。
 おちゃらけた顔はなく、何かを探しているようだ。

 ゾロゾロと生徒たちが集まってきて、あちらこちらに固まった。
 ヘレナもこっちに向かってくる。
 照明係は私たち含め、四人。
 ヘレナと対人戦だ。

 続いて、照明係担当の先生もやってくる。くすんだ金髪に灰色の目、厳しいことで有名な、呪文学のヘルメス先生だ。
 彼は反レジスタンス派。ヘレナの抑止力になるといいけど……と思う。

 「ぼーっとしてないで、とっとと動け!器具を倉庫からもってこい!」

 パンパン、とヘルメス先生が手を叩いて急かす。慌てて返事をして、私たちは倉庫へと走り出した。

 「倉庫…物を探れるいいチャンスよ!」とトートの口が動く。

 「あんたたちの期待……全部打ち砕いてやるから。」

 ヘレナも冷たい声で言い返した。

 倉庫の煙が黙々と空を覆って、雲すら見えなくなっていた。

☆*:.。. ………………….。.:*☆

 倉庫内は、重苦しく、湿った空気が漂っていた。

 トートは物探しのふりをして壁を探り、ヘレナはその動きを監視。
 絶対に逃すまいと、赤い瞳から殺気が漏れ出ていた。

 張り詰めた空気の中、私はそっと、照明器具を取り出す。

 照明器具は全部で5台。
 私くらいの歳の女の子でも容易に持ち出せる、軽量なものだ。
 強い魔力が込められているので、それでも十分、広いステージを照らせる。

 ………この中のどれかを探ればいいの?
 到底何か工作されているとは思えない。

 トートに視線をやる。彼女は「照明器具の機動線、どこかなー。」と、安易に見破れるような嘘をつき、あたりを歩いていた。

 「ん?これって………。」

 突然ピタッと、トートが止まった。
 彼女がめくった「倉庫は綺麗に使おう。」のポスターの裏に、カタコンベ書庫の時のような筆体でまた何か書かれている。

 今度は真新しくて、トートの指の先にインクがこぼれついていた。

 「神の門は少女に開かれる……。」

 トートが読み上げた瞬間、ヘレナの顔色がぱっと変わった。

 早足でトートに迫る様子に、明らかに動揺が見え隠れている。

 力強く彼女の腕を掴み、手をかざす。
 右手の小指が微かに震えており、手汗が滴り落ちていた。

 赤く光る瞳の奥に浮かんだのは、怒りよりも………恐怖に近い色だった。
 彼女は“その文字”を見ないように視線を泳がしていた。

 強い違和感が残る。

 なぜ、こんなにも動揺しているのだろう。そもそも何で彼女はレジスタンス側についたのだろう。
 あなたは………………魔法が使えない人間のことをあしらっていた筈なのに。

 言葉にならない疑問を抱え、私はただ茫然とする。

 「………お前は知りすぎた。二度と文字が読めなくしてやろうか?」

 薄くヘレナは笑って、呪文を唱える。

 どこか声も震えていて、歪んだ笑みをしていた。

 トートも手を振り解き、防衛体制に入った。パチパチと青い光線が互いの首筋にまで飛び交う。

 「コーテリ……」

 「おい、お前たち!遅いぞ、何やっている!さっさと準備しろ!」

 ヘレナが呪文を唱えようとした瞬間、ヘルメス先生の怒号が聞こえて、みんな我に帰った。
 
 ナイスタイミングだ。
 途端にヘレナは優等生モードに切り替え、慌てて照明器具を持ち出した。
 私たちもそれに続いて、物理的には同じ動きに戻るが、心の距離はまだ埋まらない。

 「事はきっとすぐ来る……あんたたちの顔が恐怖で歪むのが楽しみね。」

 負け惜しみのようにヘレナは言って、倉庫を出て行った。

 それを見やるように、照明器具は怪しく光り輝いていた。

 誰かが塗ったような、紅月の赤だった。
☆*:.。. …………….。.:*☆

 体育館では大勢の生徒があちらこちらに忙しなく動いていて、身動きをするのも困難だったほどだった。
 ヘレナはヘルメス先生に呼ばれて、別の部屋の照明器具の設置に向かっている。
 きっとしばらく帰ってこないだろう。
 私たちはそれをいいことに、照明をペタペタと触って、徹底的に調べていた。

 「怪しいものは何もなかったよ。」

 「こっちも。魔力が反応しないわ。私魔力探知は得意なんだけれどね。」

 パラも首をすくめる。

 ………………そろそろ言わなきゃ。

 ウジウジしてたって何も進まない、よね……。

 「ねえ、あのさ、やっぱり………。」

 口を開きかけた時だ。

 見なければよかった、と思う状況に遭遇してしまった。

 「……ねえ、あれって例の計画の一部に使えるかも。」

 「うん、この案、これで生きるかもね。」

 私が物思いに耽る隙、二人は耳を当てて何やら喋っているのだ。

 私に隠れて何やっているんだろう。

 計画?私を抜いて?

 その瞬間、心の中で、ぱりんと、音を立てて何かが割れた。

 心に黒い影が忍び寄った気がして、息が浅くなる。

 3人で同じ空間にいるのに、再び私はフィルムに押し込められて、二人の声が遠くから響いているみたいだった。

 二人と出会う前より、フィルムの奥はずっと暗くて、虚しさだけが空っぽの空間に詰まっている。

 しばらくして、トートが我に帰ったように言った。

 「あ、ごめんごめん、ホーマ。続けようか。

 軽く受け流してトートは照明器具を整える。

 私より、その“大事なこと”の方が大切なのかな。

 心が澱む。

 彼女たちとは置いていかれている気がするけれど……

 私は私で進まなきゃいけないのかもしれない。

 迷っている暇なんて、ないのだから。

 頑張らないと。

 そうして、みんなで急ぐように、照明器具を整え始めた。

 近くで羽虫が飛んでいた。微かな羽音が背中をぞくりと這わせる。

 影は小さく揺れ、呼吸の音も聞こえない。

 気づかないまま通り過ぎる私たちの背後で、視線はぴたりと絡みつき、粘りつくようにじっと動かない。

 まるで生き物ではないように。………誰かに“見られていた”かのように。



 ……ジリ。ジリ。

 モニターを映る映像を見て、一人の男は満足げな笑みを浮かべる。
 「………扉の鍵はやはり彼女か。」
 男の手に小型カメラが寄り付いてくる。それを男は、花をもぎ取るように男は無造作に握りつぶした。

 「時は満ちた。門は、もうすぐ開かれる。」
 男はそう言って、闇の中に姿を消す。

 地下の回廊には、どこからか青白い光が差し込んでいた。

 それは、何かをしらせるように、ゆらゆらと揺れ動いていた。

 “門” の鼓動のようだった。