もう、どれくらいだっただろう。

 地下の回廊からは、外の光が一切遮断されて、日が沈んだのかすらわからない。

 自分の灯した光だけが頼りだ。足元には影と琥珀の色が混じり合い三原色の模様を描いている。

 階段の踊り場から見える白く塗られた壁画は、以前見た時と全く変わらない。

 ただ前は、なんの意味もなさなかったものが、今はある種の予言のように肌に響いていた。

 二人の少女………………これは、彼らが狙っている“灰の少女”。

 1945915………………これは、人間最後の日であり、レジスタンスとこの世界の分岐点。

 “神の門”が開かれた日…………………。

 手に取るようにわかってしまう。その度に、砂時計が落とされたように時間が溶けていく気がした。

 急がなきゃ。

 時はもう近い。

 少女は扉を開けた。目の前に、幾つもの本たちが円盤状に並んでいる。

 まるで彼女を待っていたかのように、扉が不気味に音を立てた。

 吸い寄せられるように、彼女は一冊の本を手に取る。

 埃を指で伝うと、金箔で貼られた印字が目に入った。

 『閉ざされた門の記録…………タレス・アエオリス』

 並びくる文字の羅針が頭に刻み込まれ、世界を変える情報が胸に突き刺さる。

 知ってしまった私は、もう後戻りできない。

 本を閉じて、ゆっくり上り口へと戻っていく。

 引き締まる茂の感触を胸に、夜露で冷えた扉に触れた。

 開けると、淡い月光が目前に揺れた。もう、夕刻を過ぎていたのか。

 戻らなきゃ。

 一歩、外へと足を踏み入れた少女は、絶句した。

 目の前に、友人の犬………………カミールが、泡を吹いて動かなくなっている。

 どういうこと?彼女は……………ホーマは無事?

 長い首を曲げてみやると、地平線の先に、背の高い男が、人攫いの持つような大きな布袋を背負って歩いているのが見えた。

 あれは…………。

 「ホーマ!ホーマああああ!」

 止めるように叫んでみるが、男の耳には一切届かず、世界の彼方に消えていく。

 ……やはり遅かった。 もう始まっていたのだ。

 ……止まってはいられない。

 彼女は哀れな犬に手を合わせて、森の奥底の洞窟へと向かった。

 友人たちを助けるため。

 そして………

 本当の神を呼び出して、彼らを止めるため。

 駆け出した少女の背中に、ふわりと神霊の霊気が漂った。

 ぴたりとそれは寄り付き、天高くへと飛んでいく。

 門は、唸りを上げているようだった。

☆*:.。. ……………………….。.:*☆

 「なあ、そこの君。どうやら私がいないところで勝手に計画が変えられたらしいのだが、どういうわけか教えてくれるかい?」

 「え、と…………。」

 髪を短く切りそろえた少女が、そばかすの若い男にライフル銃を突きつける。この男から奪い取ったものだ。

 鉄の光沢が剥がれ落ちており、何年も使い古したかのように持ち手は鈍く凹んでいた。

 「早く、教えてくれないと困るよ。それとも私は仲間じゃないと言いたいのかい?ひどいなあ。」

 屈託ない笑みの底には、果てしない憎悪と腹黒さが滲み出ていた。 男は思わず唾を飲む。 乾いた喉に唾は絡めついて、ごくん、と大きな音がなった。

 男が目を逸らすたび、頭に突きつけられる銃口の圧力が強くなっていく。恐怖が絶頂を超え、男はぽつりぽつりと話し出した。

 「すべ、て………ライネル様のご指示、です………。」

 「ほう。」

 少女は微笑んだ。……………何かを掴んだようだ。 外では夜風が力強く吹いていた。

 「最後に二つだけ。そいつはどこにいる? もう一人の“灰の少女”は?」

 「それはっ………。」

 答えられないという風に男は首を振った。冷や汗が濁流のように肌を滑り落ちる。

 少女は容赦なく引き金を引いた。

 「答えろ。馬鹿じゃないなら、お前はどうなるかわかっているはずだ。」

 「…………わかりました。」

 ため息と共に、男は諦めたように言った。声帯が壊れたかのように、掠れた声しか出せない。

 「…………先ほど、裏庭へ向かわれました………おそらく今は、地下の最深部についていることでしょう………。」

 「灰の少女は?」

 「わかりません、ですが………。
 おそらく、ライネル様に連れ去られたかと。」

 男の背中は壁を伝って、力なく座り込む。

 「そうか、感謝する。じゃあ…………。」

 少女の手刀が首筋に触れる。

 トンッ。

 軽やかな音と共に、男は床に倒れ込んだ。 

 脇目も振らず、少女は静かに後をする。

 チャリン、と合わせ持った金属が擦り合い、火花が舞っていた。

 「しばらく寝てもらおう。…………万が一漏らされても困るから。」

 岩肌に反射する銀色の光が、カタバミの花びらを照らす。

 少女は闇夜に姿を消した。

☆*:.。. ……………………………….。.:*☆

 「こんな報告書、私は知らないぞ!」

 大柄な男が机を叩く。

 あまりの力に、木のかけらが舞い散った。

 「ええ!?そんなこと言われても困ります!確かに私は受け取りましたっ!」

 肩を震わせて別の男が弁明する。顔に皺がよっていて、お古のライフジャケットはあまり着こなされていない。

 「お前、嘘を言う気かっ!大体お前は、こんな時に………。」

 「オスカー参謀。何をしている?他の隊のものはみなB1エリアで待機しておるぞ!計画が進まない、早く隊を動かせ!」

 「………え?」

 男は自分の目を疑った。

 映像画面には確かに、隊のものはそのエリアに集まっている。

 だが、自分が伝えられたのは、ここへ待機、という命令だった。

 おかしい。

 目に血管が血走って、弾けそうなほど大きく見開かれた。

 自分は、妖にでもかかったのか?

 夢でもみているように、頭が混乱で白んでいく。

 「それにお前、この男の報告書を否定しておったが………これこそ正しい報告書だぞ?」

 上官は見せつけるように報告書を摘んだ。 

 息が上がる。 頭がミシミシとなる音がした。 かり立てた爪が食い込み、線上に傷が浮かぶ。

 「お前………誰から貰った?“それ”を。」

 鋭いナイフのような目で上官は睨んだ。

 「え………。」

 脳裏に、同じ制服を纏った、赤毛の少女が浮かぶ。

 ………あんな子、いたっけ?

 それに先刻配られた、人相書きと妙に顔が似ている。

 “裏切り者リスト”の少女だ。

 「まさか。」

 地に押し込んだ手が張って、力が抜ける。

 あいつに、騙されたと言うことか?

 「そう言うことだな。………お前は、クビだ。
 門の餌にでもしてもらえ。」

 冷たく上官の声が響く。

 男には、歌うように笑う少女の声が聞こえたような気がした。

☆*:.。. ……………………………….。.:*☆

 「なんだこの軍団!? “門の部屋”に入れないじゃないか!」

 酷く取り乱したように男は叫ぶ。

 くり抜かれた出入り口を塞ぐように、舞い踊る集団が行列をなしていた。

 全員正気を失ったように見える。

 あれは確か………“落神”に操られている集団か。

 “落神”の姿を見ただけで、洗脳下に入ってしまうと、聞いたことがある。

 あれが近くにいると言うことか。

 思わず男は身を縮めた。

 やがて、長く暗色の触手が出入り口を完全に覆った。

 はみ出た墨のようなものが地面にぼたり、ぼたりと落ちる。 粘液を伴ったそれは、生き物のように姿を変えて、口から棘を吐き出した。

 いくつもの棘が組み合わさって、壁ができていく。 棘の合間を練るように墨が入り込み、やがて槍をも通さない精巧な防壁ヘ生まれ変わった。

 今度は人々は列を変え、壁を囲むように円陣を組む。

 『なかなかやるね。じゃあ今度は、もっと遠くに飛ばしてみてよ。……ずっと東の方。“司令部”があるところ。』

 白銀のお下げの少女が姿を現した。

 心からその状況を楽しむように、無邪気に笑い転げている。

 ……なんだ、この女………?

 不審がる男の前で、底が震えるような音が聞こえた。

 「カシコマリ…………。ン?」

 ギシリ、と一つ目がこちらを覗く。

 意識ともども、吸い込まれそうだ。 体が液体になって溶けていく感じがする。

 「ナゼ、吾ノコトヲ容易クミテイル……?」

 ああ、俺もあんな風になってしまうのか………。

 思うまもなく、男は意識を失った。

 「ごめんなさい!一仕事終わったら、ちゃんと元に戻すから!ね?」

 優しく笑いかける少女の声も、

 もはや耳に入らなかった………。

☆*:.。. ……………………….。.:*☆

 ぱちぱちと生ぬるい火飛沫が耳を撫でた。

 目を開ける。 瞼の上が腫れて重く感じられた。 ずっと光を見ていなかったように、入りゆく色彩が酷く眩しい。

 ゆったりと腰を起こすと、骨が細かい音を立てて、鈍痛が走った。

 「…………痛………。」

 慣れてきた目で、ゆっくりと辺りを見渡す。

 あちらこちらに樽や木箱が積まれていて、洗濯物の切れ端や、洗い立ての食器に水滴が滴り落ちている。

 床や天井にはいくつものブランケットが置いてあり、大勢が生活できる程のスペースがあった。

 妙に生活感のあるこの場所は、以前も来たことがある。

 ………リュシアから呼ばれてきた、レジスタンスの住処だった。

 変わったところと言えば、儀式の前触れのようにかがり火が置かれてあるだけ。

 連れてこられたのか………。

 タレス先生の言っていた話の通り、これから自分は“灰の少女”として奴らに使われるのだろう。

 カミールがいれば、助けてくれたのかな………。

 彼女の記憶を拒むように、胸がぎゅっと苦しくなる。 尻尾を振って寄りつくカミール、涙を受け取め慰めるカミール……それらの記憶を無意識的に打ち消していた。

 思い出すだけでも嗚咽が溢れでる。 立ち直れないような、深い傷が抉り出される。

 私が非力だったために、彼女を守ってやることができなかった。

 ……いつも助けてもらうばかりだ。 自分でできるようになったと威勢を張っていても、それはただの錯覚にすぎない。

 結局私は、彼女の存在が消えただけで壊れてしまう、脆い陶器なのだ。

 ………あの男、許せない……。

 でも、言うのは口先だけで、面と向かって立ち向かう勇気はなかった。

 異様なまで早いスピードと腕力。

 人間のものじゃない………と思う何かがある。

 やっぱりレジスタンス(彼ら)には抗えない。

 火の粉が傷口を摩って、ひりひりと傷みつけた。


 コツ、コツ。

 革靴が地面に擦れる音がする。

 誰だろう。 もしかして、あの男だろうか。

 だが、暗闇から姿を現したのはもっと別の……予想外の人物だった。

 「嘘………リュシア!?」

 間違いない。

 自分とそっくりの短髪の少女が、そこに立っている。

 驚きのあまり、口を開けたまま黙り込んでしまった。

 頬に新たなかすり傷をつけた彼女は、すまなそうに頭をもたげる。

 「……ホーマ。こんなところに………。すまない、私が君を巻き込んでしまったばかりに……。
 ほんの出来心という言葉では、済まされないだろうな。」

 「リュシア………。どうしてここに?他の仲間は?」

 「それは………。」

 間をおいて、静かに話し始める。かがり火の影が彼女の顔に揺らいで、表情が読みにくい。

 ……自分も“灰の少女”として利用されていたこと。 自分に植え付けられた固定観念や彼らへの愛情も、儀式のための道具でしかなかったこと。

 彼女は、私に話すというより自分で振り返るような口調で言った。

 簡潔なものなのに、自分のことのように痛みが伝わってくる。

 辛かったね、と慰めることもできない。

 言っても彼女の胸のうずきはなくなるわけではないとわかっていたし、何より………。

 生まれ育った家族の愛情でさえ信じられないなんて、あまりにも不憫だ。

 カミールを失った今だからこそ、余計に共感できてしまう。

 唇を噛んで俯いていると、リュシアが急にこちらを向いて喋りかけた。

 黒曜の瞳は艶やかさを増し、口調からも真剣さが伝わってくる。

 彼女の事実に、私は思わず絶句してしまった。

 「聞いてくれ、私たちは………“灰の少女”は、今宵殺される。」

 「……え?どういうこと、リュシア、それって……。」

 「100年前。神の門を開くために、人間たちは“灰の少女”を生贄にした。門の神は、願いを捧げられるだけじゃ飽き足らなかったみたいだ。

 子供を……私たちと同じくらいの子を……食い殺した。」

 遮るように鋭くリュシアは言った。何も言い返すことができない。

 ………このままだと、私、しんじゃう?たった14歳で?

 冷気がそうっと背中を駆け抜けていった。

 「………このままだと時間の無駄だな。奴らはみんな“楽しんでいる”。あらかた、公開処刑のような気分なんだろう。
 常軌を逸しているとしか思えないが、まあいい。

 ホーマ、抜け出すぞ。」

 「うえっ!?どうやって?見つかったら大変だと思うけど……。」

 おどおどと周りを見渡す私を、リュシアは明るく笑い飛ばした。

 「お前は本当頭が硬いな、ホーマ。……この私が正規ルートでやすやす引き返すと思ってるのか? クズどもにかすり傷一つ与えずに?
 な、ヘレナ、トート。」

 「!」

 天井から、見慣れた二人が穴を割って出てくる。

 「よかった、ホーマ!無事だああ!心配したんだよ〜。」

 「……もう、なんでこの私が、こんなへなちょこりんの手助けなんかを……。」

 言いながらも、ヘレナはどこか嬉しそうだ。トートは弾けんばかりの笑顔で大きく手を振っている。

 みんな………。

 目から透明な液体が溢れ出てくる。 せっかくのみんなの顔もぼやけて見えない。

 ……やだ、もう。辛いのはリュシアの方なのに。今は泣く時じゃないのに。

 わかっているけれど、涙が止まらない。

 リュシアは優しく頭を叩いた。

 「辛気くせえな、メソメソしやがって。……フフッ。 安心するのはまだ早いぞ!さ、二人とも、“あれ”を。」

 声をかけたリュシアの手に、破れかけた古い羊皮紙が手渡された。

 広げられたそれはまっさらで、何も書かれていない。

 「何これ?」

 「まあみたれよ。」

 そう言ってリュシアは取り出した液体を塗す。

 「え!凄い……。」

 何かの魔法を使ったかのように、紙から緻密な文字が浮かび上がってきた。段々とはっきりしていき、読めるようになっていく。

 「レジスタンス崩壊、計画……?」

 「その通り。私たちは3人で、内側から完全にレジスタンスを崩壊させた!」

 リュシアが己の人脈を使って情報収集。

 ヘレナが変装で司令部に忍び込み、フェイクを広めて隊列を乱す。

 トートが落神を使って計画を妨害。


 それが、

 子供3人で成し遂げた“レジスタンス崩壊計画”………!

 「凄い、たった3人で…………!」

 「凄くなんかないよ。」
 
 トートが空を仰ぐ。

 遠い未来を見つめるように、その笑みは優しさと希望で溢れでいた。

 「………最初は私たちだって、ただビクビク怯えているだけだった。圧倒的なものを目にして、思うように体すら動かせなくて、でも……。」

 ヘレナが腰に手を当てて口を添える。

 「立ち向かうしかなかったの。負けたまま、このまま世界が歪んだだけなのは嫌だから。
 だから、自分にしかできないことを探すことにしたのよ。
 それだけでも、見てごらんなさい、こうして私たちは前に進んでいる。
 “世界は少しずつ変わってきている”。」

 ああ、みんな凄いなあ。
 
 踏まれても、根を這わせて草木を伸ばす大地のような、眩しいくらいの信念だ。

 ライネルたちのような強さではない。

 それは、輝かんばかりの生命力で溢れる、“決意”の強さだ。

 諦めず、立ち向かっていく人間は………何より美しい。

 血を巡らせて、涙すらも払って、一心に進んでいくその姿が。

 手を伸ばすと、暖かな日が肌を握って胸を焦がした。

 なりたい。

 私もこんな風に。

 口をじんわりと開ける。喉から願望が溢れ出した。

 「ねえ、みんな。ありがとう。私一人じゃ、何もできなかった。
 でも、みんながいるから今なら………レジスタンスに立ち向かえそうな気がする。
 私も一緒に戦わせて。
 逃げるだけじゃ、ダメ。
 怖くたって……私も、自分にしかできないことを見つけて見せるから!」

 「ホーマ………。」

 みんなの視線が私に集まる。

 それでも私は構わない。

 トートとパラに助けてもらった時、溢れ変える瓦礫を目にした時。

 一人じゃないと知れた。立ち向かおうと心から誓った。

 大切なものを失った。 和平や希望は容易いものではないと思い知らされた。

 それでも。

 ここで折れたら、それこそ無駄骨だ。

 私たちはここまで来たんだ。

 悲しみをも武器にして、レジスタンスに立ち向かって見せる。

 唇を固く結びつける。 

 リュシアが、肩の力を抜くように微笑み、立ち上がった、

 脱ぎ捨てたライフジャケットは土煙で薄汚れていた。

 「だというと思った。………上等だ。今から叩き潰しに行こう。“門の部屋”で。」

 「門の……部屋?」

 「どうやら、神の門を開く儀式をするところみたいよ。入ったことはないけどね。」
 
 髪の毛を後ろに跳ね除け、ヘレナが言う。

 「いよいよってことか……。怖い筈なのに、ワクワクしてきちゃった!」

 「トート?何言ってるの?」

 「ごめんごめん。でもこれ科学的根拠があるんだよ。脳が興奮状態になって………ん?」

 トートがゆっくりと首を後ろに回した。

 近くで、躓いてしまいそうな勢いで廊下を駆ける音がする。

 なんだろう………。

 もしかして見つかってしまったのだろうか?

 鼓動が耳に響く。他のみんなも同じ様子だ。ただ、音のする方だけを一心に見つめ続ける。

 「はあっ、はあっ………。ようやく着いたわ……。」

 「パラ!?どうしたの?」

 音の主は、パラだった。ほっと息をつくと共に、いつにも増して追い詰められたような表情に違和感を覚える。

 「どうしたのって………。私こそ。トートもホーマも攫われったって言うから心配したのよ。」

 そう言ってパラは私たちを抱きしめる。生ぬるい息が頬を撫で、久々の友人との再会に胸が躍った。

 「でも、再会を楽しんでいる場合ではないわ。」

 「どうして?」

 パラは両腕をそっと背中に仕舞い込み、一冊の本を取り出す。

 「何これ……?本……。」

 「そうよ。著者名を見てごらんなさい。」

 「え、あ………!」

 私たちは絶句する。そこには、よく知った人物の名前が書かれていたからだ。

 「タレス・アエオリス………。嘘、タレス先生?」

 「そうよ。これは神の門の管理人、そして……儀式の祭祀の記録でもあるわ。」

 「ということは、タレス先生はレジスタンスに関与していたということ!?」

 興奮気味に大声を出すトートを、パラが諌める。

 「ちょっとトート、見つかったらどうするの? 
 私が集めた情報だと、タレス先生はむしろ逆の立場ね。
 門の管理者とは、神側の人間。タレス先生は、レジスタンスを監視し、情報を政府に伝えていた。」

 「スパイ、ってことか……?」

 やや怪訝そうに眉を寄せて、リュシアがつぶやいた。

 「わかりやすく言えば。でも、彼らが儀式の準備を始める折………タレス先生がスパイだってことバレてしまった。
 儀式が始まる時刻も全て伝えていたこともね。」

 「それで……どうなったの?」

 躊躇いがちに尋ねる私を横目に、パラは俯く。

 「レジスタンスたちは……政府が来ないうちに、一刻も早く儀式を始めようとしている。
 管理人がいないと、儀式ができないから、タレス先生を捕らえて………。
 灰の少女が捕まり次第、儀式を始めるつもりよ。」

 「!」

 数多もの人が列をなして現れる。 

 大勢の足音が反響して洞窟内にこだました。

 空気は暑さと水気を大量に含み、息をするのも苦しい。

 汗や履き続けた靴の匂いまでもが、空気を巡ってこちらに漂ってくる。


 「久しぶりだな。遊びは楽しかったか?リュシア。」

 「ライネル………!」

 リュシアが歯を剥き出して唸った。視線の先には、ライネルと呼ばれた男……痩せこけてハイエナのような男が、笑って立っている。

 カミールを殺した男だ。

 「あの男………。母様の………。」

 ヘレナも肩を震わせ、指先から魔力が溢れでた。

 「全て終わらせてやる……。煩わしいガキども……。世界を汚した罰を受けるがいい!」

 男が骨を鳴らすと共に、大勢の群衆が飛びかかってきた。

 手には拳銃、弓矢、棍棒……。側には怒り狂った猟犬。

 もうダメ……。

 静かに私は目を閉じた。

 胸の奥で、何かがゆらめき、始まりを告げようとしていた。

 門は、まもなく開かれる。