朽葉色に染まっている道を踏み締めると、ほのかに秋の香りがした。
 ……トートの信号が、突然止まった。
 あの時、赤く染められたトートの信号が消えてから……もう1時間近くなる。
 彼女の気配はなく、代わりにと言うべきか、一時的に暴動も収まっていた。

 ……まさかそれが関係しているわけではないよね?
 彼女は何かに巻き込まれてしまった?

 ぞくり、と悪寒が走った。パラもヘレナも同じことを考えていたようで、しばらく誰も口を開けなかった。

 「これ、トキの羽………。トートのだわ。」
 
 不意にパラが羽を拾い上げる。
 道標のように何枚も落ちており、白銀に日光が滑り落ちていた。

 「トートが道標に落とした?」

 「いや、レジスタンスを追っているうちに落ちちゃったのかも。襲われたんじゃ?」

 「だから言ったのよ!無謀だって!だって、あいつらなら……。」

 ヘレナの強気な眉はみるみる下がり、彼女は言葉を濁した。

 言いたいことはわかる。

 あいつらなら、本当に何をしでかすかわからない。

 口に出すのも憚れるようだった。

 それより彼女、まだ何かを隠している………………?

 訝しげに赤い瞳が揺れていた。

 「………………ワオーン………。」

 立ち尽くしていると、聞きなれた犬の鳴き声が聞こえてきた。

 優雅で、力強い雌犬の鳴き声。もしかして、あの子?

 「ねえ、犬の鳴き声が聞こえない?あそこ、もっと北。」

 「ええ、全然……あ、でも微妙に強くなっているかも?犬が近づいてきているんじゃないかしら?」

 「おーい、こっちだよ!」

 呼び止めながらも、期待で胸が高鳴る。あの子が生きているかもしれないと言う期待。
 また会えるかもしれないと言う期待。

 その期待は焚き火のように暖かく、胸の奥をじわじわと満たしていく。
 足音と鳴き声が近づくたびに、目の前の景色が霞んでいく気がした。

 幸福感が押し寄せ、抑えきれなくなり、膨らむ。

 その一方で、犬の足音はどんどん近づいていき、宙を浮くような優雅なステップを刻んでいた。

 「ハッハッハッハッ……。」

 舌を出す、荒い犬の息遣いがすぐそばで響く。

 堪えきれなくて、私は叫んだ。

 「カミール!」

 「ワオーン!」
 森林から飛び出したのは、白い毛並みのサルーキ犬。

 細長い手足と傾れるような毛並みが、まるで森の主のようだった。

 腕を広げると、彼女が目一杯飛び込んできた。幸福がのしかかり、嬉し涙をこぼす。

 「よかった、カミール。もうしんじゃったかと思ったよお……。どこにいるのかすらわからなくて……。」

 抱きしめるとカミールは、(私のことは心配しなくて、大丈夫)と言うように目を細めた。

 「よかったわ、ホーマ、カミール。貴方心配していたものね……。」

 パラも口に手を当てて目を潤ませる。

 こんなにも人に思いを馳せる、彼女らしい反応だった。

 ヘレナといえば、そっぽを向いて顔を真っ赤にしている。
 目元に手を当て、押し殺すように鼻を啜っていた。

 ……も、もしかしてあの子、泣いている?
 急におかしさが込み上げてきた。不思議そうにカミールは小首を傾げる。

 (ね、ねえ、パラ、ヘレナ見てよ。)
 パラにこそっと耳打ちすると、パラも唇を綻びさせた。

 (本当だ。あの子ってば、ああ言うところあるのね。案外いい子かも?)

 しばらく二人で見とれていると、その視線に気がついたのか、鋭く睨んだ。

 「ちょっとあんたたち、何がおかしいのよ!ニヤニヤしちゃって……。」

 「いやー、ヘレナもそう言うところがあるんだなって。可愛い。」

 「ナッ、マッ!違う!そんなんじゃないから!」
 
 手を大きく振って否定する。まるで幼児のようで愛おしい。

 ヘレナってこんなピュアだっけな。

 見知った気がしていたけれど、案外知らない面がたくさんあったんだなあ。

 その瞬間まで、私は再会の幸福の中に完全に浸っていた。

 でも……カミールの口元に小さな異物が光っているのを見つけて、空気は一変する。

 見るとそれは、紙切れである。 読んで欲しげに彼女は潤んだ瞳で見上げていた。

 「なに、これ……?」

 どこから持ってきたんだろう。端がよだれでにじみ、よれた紙質からも時間が立っていることがわかった。

 一度深呼吸してみる。 これがただのゴミであって欲しい反面、トートからの手紙ではないか……と言う予感が胸を締め付けた。

 恐る恐る開けてみる。 が、それは予想外のものだった。 驚きの声が漏れ出る。

 文字が繋がっていて、と言うかただの線が並んでいる、子供の落書きとしか思えないメモだったからだ。

 私は眉を顰め、紙を光にかざした。風に揺れる葉音だけが耳に残る。
 彼女は綺麗な文字を書いていたはず。

 これじゃあ何の手がかりもない……。

 頭を抱えていると、パラが思いついたように声をかけた。

 「これ“速記”じゃないかしら?」

 「え、あ……。」

 言われてみれば。

 速記とは、話すスピードと同じくらいの速さで素早くメモを取る技法だ。

 英語では、線の角度や長さで文字を表す。

 速記を書くくらい彼女は時間がなかったのかな?

 「暗号みたい。パッと見て書いているところを伝わらないようにしたのかもね。」

 ヘレナが文字を読み取りながら言う。 まるで彼女がその技術を習得しているかのようだ。

 「ヘレナ、速記、読めるの?」 私は目を細めた。

 「まあ多少はね。」 ヘレナは紙を覗き込み、躊躇いながらも声を出す。

 「……落ちた神」

 感覚が、その言葉一点に集中した。

 「計画」

 パラが眉間に皺を寄せる。

 「利用」

 「夕刻」

 喉がひゅっとなった。残された時間はあまりに少ない。

 「洞窟で………。」

 ヘレナはここまで言ってため息をついた。

 「これだけでは意味がわからないわよ。あの子、何がしたいの?」

 単語が一つ一つ出るたび息が詰まっていく。

 さっきまであった幸福感は一時にして消えた。

 「待って……一つ一つ意味を解いていたらわかるかも。 計画が夕刻で行われるってこと? 利用って何かしら。 落ちた神とは?」

 「……母の傾倒していた、“ザラン様”のこと……?」

 神妙な面持ちで、ヘレナはぽつりとつぶやいた。私はそれを見逃さず、彼女に問い詰める。

 「“ザラン様”?それって何者?これと関係しているの?」

 「あ、いや……。」

 またヘレナは言い淀む。少しイライラして私は声音を強めた。

 「ねえお願い、はっきり言ってよ!トートの……いや、この学校の全員の命に関わるかもしれないのに!」

 「じゃ、じゃあ……。」

 珍しく私に気圧されてヘレナは話を切り出した。 何だかいつもと立場が逆転しているな。 少し変な気分だ。

 「私も全部は知らない。でも………あいつらが崇拝しているのが“ザラン様”って呼ばれることは分かる。
 あれを一度見てしまったものは………………二度とあれの支配に抜け出せなくなる。
 普通に見えても、どこか……違うの。」

 「どう言うこと?」

 「洗脳されてしまうってことよ。」
 
 声を絞り出してヘレナが言った。

 「“ザラン様”のために、って言って、あいつの指示を何でも聞くようになるの。
 一見普通に見えるものでも…端々に異常さが垣間見える。」

 「牛の生き血を丸々取っている奴も見たわ。
 私、恐ろしすぎて気絶するかと思った……。

 だってその目は………底なしの穴のように、光一つなかったから!」

 顔を青ざめてヘレナは震え出した。脂汗が額を伝い、息は荒くなっている。人が変わったように彼女の様子が豹変した。

 牛の生き血を絞っていたやつがいた……。 

 薄桃髪の少年の話を思い出す。

 彼らは見たものはきっと“同じもの”。

 人の嫌悪を刺激する、それは一体どんなものなのだろう。

 過激派を動かしていたのはその“ザラン様”だった?

 ……彼女が恐れているのは、本当にそれだけなのか。

 もっと違う何かを、彼女は隠れて恐れているのではないか?

 そう思ったが、今の彼女には何も言えなかった。

 「無理に聞いてごめん、ヘレナ。」

 「大丈夫?ほら、息を吸って、吐いて……。」

 パラが背中をそっと叩き、彼女を宥める。やっと理性を取り戻して、彼女は再び言った。 使命感を感じるように、言葉を絞り出して。

 「私の母様も……。優しい人ほど奴に呑みこまれる……。やつは“毒”。目に見えない、でも人をじわじわと苦しめる“毒”。
 きっとトートも……。」

 何かいいたげにヘレナは俯いた。 犠牲になったと言いたいのだろうか? パラが柔い口調で励ました。

 「ねえ、そう思い詰めなくても大丈夫よ。この手記を見るに、トートはうまくやっていると思うわ。
 だって 落ちた神に 利用 計画ってことは、逆にトートがそれを言いくるめているかも知れないし。やられっぱなしになる程彼女は柔ではないと思うのよ。」

 「……そううまくいく?あまり舐めない方がいいと思うけど。」

 目だけをすっぽり出してヘレナは言った。パラがさらに畳み掛ける。 今度は少し手厳しい口調で。

 「でも……本当に“見ただけ”で支配されるのなら、こんなの書いて、カミールに渡す余裕なんてないはずよ!
 信じるしかない……。私たちが動くしかないの。トートを助けるためにも!」

 パラが肩を振るわせた。感情的になっているみたいだ。 大切な親友が危ない目に遭っているかも知れないのだから、当然だろう。
 かく言う私だってそうだ。あの時トートを送ってしまったこと、すごく後悔している。
 どんなにトートの頭脳があったって、大勢にやられたらひとたまりもないのに……。

 でも、今は黙って後悔している暇がない。
 こうしている間にも、レジスタンスは休みなく動き続けているのだ。

 息を吸い込み、勢いよく叫ぶ。
 
 「止まって、二人とも!!もう時間がない!争っている場合じゃない!」

 きょとんとした二つの目が私を射抜く。その視線が怖くて、目を瞑りながらも続きを言った。

 「夕刻まであと2時間しかない。たった2時間!その間に調べて、奴らを追跡しなきゃならないの!」

 言い終わるうち呆然としていた二人の口元が、不意と緩んだ。

 ため息混じりにヘレナはいう。

 「そうね。わかった。……あんた、いうようになったじゃないの。」

 言葉とは裏腹に、慈愛に満ちたような優しい口調が残った。

 パラもぺこりと頭を下げて続ける。

 「私こそ。……迷惑かけて、ごめんなさいね。あなたの言う通りよ、ホーマ。
 でも具体的にどうすればいいの?」

 「じゃあ、分担して動こう。ヘレナは西門に、パラは学園内を。私は裏庭に……。」

 「ちょっと待ってよ。」

 「なに、ヘレナ。また文句言うつもり?そうするしかないんだよ、だって……。」

 私の言葉を遮って、ヘレナは切り出した。

 「違うわよ、ちょっと。私が文句ばっかり見たいじゃないの。あんたは、トートを助けて計画を援護するには、レジスタンスを追おうって言いたいんでしょ。
 じゃあ私が西門は間違っているわ。
 私は奴らの巣を知っているし、潜り込んでも変に思われない。
 私は奴らのとこに行く………………図書室につながる、森の奥の洞窟へと。」

 「一人で?」

 「何?私はあんたみたいに腰抜けじゃないから問題ないわ。……今までもそうしてきた。
 それに、中に入った方が確実に調べられるし、あの子……えと、”トート“を見つけられる。」

 彼女の瞳が、炎のように強く揺らいだ。その剣幕に押され、私は頷く。

 「……わかった。じゃあヘレナ。あなたはその通りにして。パラは校内を、私は裏庭に行くから。
 ”倉庫“や”家畜小屋“をもっと調べたい。気になることがあるの。」

 「何をするかわからないけど、決まったわね。」

 ヘレナが短く言い放ち、立ち上がった。落ち葉を踏み締める足音がやけに響く。

 「でも……気をつけて。今やっていること、見られているかも。」

 「はあ?そんなわけないでしょう? あんたこそ気をつけなさいよ。
 夕方になると……変な声が聞こえると言うし。」

 一瞬冷たい風が吹いた。秋風だ。カミールが低く唸り、耳を伏せる。

 「行きましょう。時間はほとんど残っていない。」

 パラが鋭い視線で空を見つめた。

 太陽が空に溶けていき、先が赤く染まっていく。

 ……夕刻まで2時間。

 私たちは視線を交わし、それぞれの方向へ背を向けた。

 森の奥、洞窟の底に……何かが私を待っている。

 カミールはしばし森の奥に向かって唸っていたが、すぐに私へとついていく。

 トキの羽が舞ったような気がした。

☆*:.。. ……………………….。.:*☆

 触れるたび、赤土が舞う。

 汗が流れ落ち、塩の味が喉を刺す。
 ライフル銃はすでに錆びついた。

 喉に塊が落ちるような、生ぬるい感触が襲う。

 もう3時間近く水を飲んでいない。秋が近づいているとはいえ、このままでは倒れてしまいそうだ。

 試しに水筒を振ってみる。 が、カラカラと乾いた氷の音が鳴響くだけで、一滴も残っていなかった。

 ……ちっ。 ここでくたばるのかよ。

 住処からはもう半里以上離れている。引き戻すわけにはいかない。

 川の水も、硝煙で薄汚れて飲むに耐えなかった。

 ……私らが始めたこととはいえ。

 これじゃ身から出た錆だな。

 涼しいとはいえないどっちつかずの温度も、余計に気を逆撫でさせた。

 ……ライネルなんかも、私ばっかり動かしてよ。

 みんなが私を邪魔者扱いする気配が、胸の奥に重くのしかかる。

 最近になると特に、彼等は私にことごとく何かを言いつけては、住処からは追い出していた。

 彼らは“過激派”と結びついていると言う。 信用ならない。

 それに。

 ……私ももう子供じゃない。

 知識もある。作戦の一つや二つ、任せてほしい。

 今日の新月で14歳。

 周りはみんな、大人の役目を与えられている。

 なのに、私だけは違う。

 ライネルの妹だから?

 それとも……

 みんな血の繋がっていない“家族”だからだろうか。

 自分は一人で、誰もいないのだと……寂しげに話す少女が朧げに浮かんだ。

 自分とよく似た容貌に少女。背丈も体格も似ていて、違うといえば髪の長さくらいだ。

 彼女には不思議と惹かれた。

 臍の緒で結ばれた仲のように、ぴたりと重なり合った気がしたのだ。

 本当の居場所がなく、押しつぶされそうになっているのは、私たち二人とも同じだった。

 それにしても少し可哀想なことしたかな。

 今頃、抜け出しているだろうか。

 それとも、冷たくなっているだろうか。

 そんなこともどうでもいいと思うほど、心は何かを求めていた。


 オリーブの幹を擦り合わせて、水滴をすくう。

 たった一口の水が、生命が体に吹き込むー心地よさを感じた。

 満を持して歩き出すと、背後から声がかかった。

 「……おい、リュシア。こんなところで何をしているんじゃ?」

 振り返ると、幼い頃から世話になっていた小柄な男が立っていた。

 数年前より白髪が増えて、シワも深い。輝かしい碧眼は、今や白濁とした色に変わっていた。

 普段は伸びやかな男だったが、今はいささか動揺が見られる。微かに手が震えている気がした。

 「どうした?ディルシア爺さん。何かあったか?」

 きょとんとした私に苛ついたか、彼は声を荒げた。

 「どうしたんじゃないぞ。今、内部ではとんでもないことになってるって言うのに!」

 「……は?なんたって私、外にいっぱなしだから。ほら水もない……。」

 「そんなことはいいんじゃよ。外にいようと、お前さんも知っとくべきじゃ。
 ……レジスタンスは乗っ取られた。落神、もとい“ザラン様”丸ごと。
 しかも、お前さんくらいの神の小娘にだ!」

 「……え?」

 頭の処理が追いつかない。自分がどんどん置いていかれている気がする。

 老爺の言葉は耳から抜け、夢のように感じる。

 「……一体誰が?私たちはうまくやれていたはずだ。」

 「そうじゃな。いくら“神”の奴らだって、わしらには敵わんと思っていた。ましてや子供に侵入されるとはな。」

 ディルシア爺さんはポリポリと頭を掻いた。一を聞いて十を知るような彼でも、全く見当がつかないようだ。

 「なあ、ところでどんな見た目のやつなんだ?」

 14くらいの神の血を引くような少女。いくつか心当たりがあった。

 特に……

 先ほど洞窟の入り口であった銀髪の少女。 トキの真似事をしていた彼女を引き摺り下ろし、落神の餌にでもしようと置いといたはずだった。

 状況的には彼女がピッタリ当てはまる。

 だが、老爺の答えは予想外のものだった。

 「どっちかわからんのじゃ。」

 「と言うと?」

 「銀髪と、赤毛……この二人の小娘が、我らをめちゃくちゃにしおった。
 そのうち一人は……ヘレナとか言ったよ。」

 みるみるうちに目が見開いていく。

 うまく老爺を見据えられなかった。

 ヘレナ。私がホーマたちに接触しろと命じた、没落貴族の娘だった。

 彼女はどうやらホーマを毛嫌いしていたみたいだし、肩に付くとは思わなかったが。

 だがそうも言っていられまい。

 「なあ爺さん……そいつはどこにいる?ヘレナは?」

 「え、ああ……多分洞窟の中心部を駆けずり回っておるよ。っておい、どこにいくのじゃ?」

 「決まっているじゃないか。ヘレナに会いにいくんだよ。」

 脳のリミッターが限界を迎えていた。

 彼等を止めて、ライネルたちに一泡吹かせてやる。

 思った先には、老爺は小さくなっていた。

☆*:.。. ………………………….。.:*☆

 明かりを毛嫌うかのように、洞窟の中は闇で覆われていた。私は手伝いで歩みながらも、音でヘレナを探す。

 唸るような煙の音が鬱陶しい。人の気配どころか、虫の蠢きすらも感じられない。

 まるで世界が“死んだ”ようだ。

 終わりを望むように、あるいは受け入れたように。

 それが不吉な予兆のような気がして、微かに肌が泡だった。

 本当にここは住処なのだろうか。

 「………………おーい。誰かいないのかー。」

 わざと大きな声を出してみるが、返事一つない。

 仕方ないので、このまま進むことにした。

………それにしてもライネルたちは一体何を考えているんだろう。

 一人だとついそんなことを考えてしまう。

 最近は特に私を突き放すことが増えている。 作戦の内容すら教えてくれない。

 本当に私を信用していないだけなのだろうか。 

 もしかして……私に何か知られたくないことがあるの?

 たとえば……………私を利用する、とか?
 
 この学校を占拠したのは……奴らに復讐するためだけなのだろうか?

 もっと別の目的が……。

 過激派と手を組んだのはそのためなんじゃ?

 いや……そんなことない。

 あいつらが、いくらなんでも私を売るような真似するはずが、ない

 私を本物の家族のように、それこそ赤ん坊の時から面倒見てくれたんだ。

 彼らの笑顔、合間に見える優しさ………。

 あれが偽りだとは思えない。

 信じたい、彼らを。

 悶々と考えていると、何かが目に入った。

 白が反射して、異質というほど輝いている。ゆらゆらと灯籠の中で揺れては、遠ざかっていった。

 あれはなんだろうか?人の形をしているのに、足音が全くしない。 だが、誰かから逃げるように、マントが翻っているのがわかった。

 もしかして、ヘレナたちだろうか。 いや、違う。

 あの白いマントは見覚えがあった。

 ………………最近レジスタンス内で好き勝手やっている“過激派”の奴らだ。

 彼らは本来のレジスタンスの活動だけではなく、怪しげな儀式にも手を出していると聞いている。 

 全く、落ちぶれた奴らだ。

 絶対に捕まえてやる。


 興奮で胸は膨れ上がり、いつのまにかドタドタと足が鳴っていた。

 「おい!そこいるんだろう!待ちな!」

 声をかけた瞬間、それのスピードは上がり、星のような速さで駆けていった。軽やかに地面を踏み締めている様子は、とてもじゃないが追いつけそうにない。

 ……ちっ。

 ………………堂々と顔も出せねえやつに、抜け抜けと負けていられるかよ。

 悔恨の念が心で燃え上がる。足に力がこもり、熱量と共に私も地面を突っ切った。

 「逃れられると思うなよっ!」

 冷静さを事欠いて怒鳴り散らす私をよそに、相手は奥へと消えていった。

 だが、私がそれで見失ったわけではない。

 湿った空気の中で残る、あの特有の匂いがまだ鼻腔の中に生きていたからだ。

 その匂いは右の方へと流れていった。 目を力強く見開いて、私は匂いを辿る。

 見つけた。

 白いマントが目の前を横切る。 同時に頬をマントが撫でた。微かに汗ばんで、マントが濡れている。

 「おい!もう逃さないからな!」

 息を継ぐ間を与えずマントを引っ張ると、白髪混じりの茶髪が顕になった。

 彼女の手から一筋のランプが滑り落ちる。カラン、と音を立てて地面と擦り合わせになっていた。

 白いマントをかぶっていた女は、ゆっくりとこちらを振り向く。あちらこちらから切り傷がのぞいている、中年の女だ。

 眉間に皺を刻み、気まずそうに彼女は下を向く。私はどの言葉もかけてやることができない。

 …………その女は“レジスタンス”である仲間…………もとい、自分を育ててくれた一人だったのだ。

 彼女は、私だとわかっていたのだろうか。 

 彼女は……私を利用するつもりだったのか……? 

 「ベルベット……あんた過激派だったのか……?私を利用するために……」

 静かに問い詰めると、女は座り込んで、ぽつりと呟いた。

 「……リュシア。あんたには関係ないさ。こっちは大変だったんだ。……変なガキに“ザラン様”が喰われちまって……。」

 「はっ。あの落神か?あんなの、いつそそのかされるかわからない。でも、ベルベット……あいつを“その名前”で呼ぶってのは否定しないんだね。
 “過激派”の証拠だってのに。」

 冷たく見下ろすと、女は鼻で笑った。

 「お前に隠してなんの徳がある?あと2時間で死ぬやつに。……あまり“ザラン様”に歯向かわない方がいいと思うよ。あんたはその方の“一部”になるってのに。」

 鋭い歯を剥き出して彼女は言った。人ではなく、悍ましい怪物みたい。

 それにしてもどう言うことだ?私が落神の一部になって死ぬって。

 聞いたこともない。気が狂ったのだろうか。

 嫌に胸に響いた。

 「ふうん。何も知らないって顔してるね。いいさ。おばさんが教えてやろうじゃないか。
 お前、どうやって神の門は開かれたと思う?」

 「何って……。“灰の少女“を呼ばせて、彼女たちの力を使って……。」

 「やだねえ。あんた、本当に何にも知らないのかい?どうしようもない程馬鹿で、鈍くて……こっちが泣きたくなるよ。」

 もうこの女からは一滴も愛情が感じられない。物でも見るような瞳でこちらを見下ろした。

 次に女が口にしたのは、悪魔の囁きのような物だった。

 「アンタ、14年も生きてまだ気がつかないのかい?死んだんだよ。
 神は”灰の少女“を食ったんだ。
 数多なる人間の代わりに。二人の少女が命を捧げた。
 ……この世界に犠牲は必要なんだよ。
 私たちが生きていくには、ガキの命一人や二人やすいもんさ。」

 高らかに悪魔は笑った。身体中の毛が逆だった気がした。

 人の本性に触れてしまった。ねっとりと心に纏わりつき、締め付けるものに。

 “神”なんかより、彼らはずっと………。

 「信じられない、って顔しているね。哀れだと思ったろう。年端の行かない子供を、自分たちのために殺させるんなんて。
 あたしはねえ、リュシア。哀れむってのは自分より弱いやつにするものだと思っている。
 一歩先から高みの見物するような、余裕持ってる奴がするもんさ。
 だからねえ、リュシア。
 あんたにその資格はないよ。」

 「ど、どう言う意味だ……?」

 ざらついた女の声が響いた。

 時間が地面に粘りついて、這うようにゆったり進んでいく。

 言葉の続きは、聞きたくなかった。

 「だってあんたはその“生贄”だから。“灰の少女“なのだから……。」

 どん、と胸を突かれた。確信が、たった今事実に変わって背けることができなくなる。

 ああ、やっぱり。

 本当だったんだ、ライネルたちは本当に私を………

 物だとしか思っていなかったんだね。

 くるりと背を向けて、私は女から離れていく。

 何やら彼女はなじっているが、聞こえない。

 あいつらのことを“家族”だと思った……。

 この私が馬鹿だったんだ。

 執念が胸を焦がす。認められたいという服従の気持ちが、苦しめたいという復讐心に変わっていく。

 絶望のどん底だとしても、私は抜け出す術を知っている。

 ヘレナたちにつこう。

 本当に倒すべきなのは“神”ではなく“人間”なのだから。

 魂が、燃えた。

 門は再び、開かれた。