「あら、ごめんなさい。慌てて立ち上がったものだから」
 千代子はかけらも悪いと思っていないような口調で言ってのける。
「気を付けなさい、あなたは嫁入り前なのよ。ケガでもしたらどうするの」
 母の良理子(よりこ)が千代子にだけ声をかける。

「あら、お姉様も嫁入り前だったような」
「十九になっても縁談のひとつもこないようではな」
 父、悟史(さとふみ)のあきれたような声に、彩雪は身をすくめる。
 ケガの心配すらしてもらえず、非難ばかりなのはいつものことだ。

「癒しの力もなく、家事も満足にできない。こんな娘ではどこにも嫁にやれませんわね」
 良理子の深いため息が落ちる。
 彩雪は拾い終えた皿を膳に載せると、立ち上がった。

 台所に戻ると、水道で手を洗った。
 水道があってよかった、と彩雪は思う。自分が生まれる前は水道がなくて、井戸から水を汲んで使っていたという。そんなのはきっと重労働で、今より仕事が大変になったことだろう。

 長く鎖国をしてきた彩津国だが、新たな帝の即位とあやかしとの休戦をきっかけに開国し、いまは西洋との貿易も盛んだ。
 結果、あやかしが多く出るようになったという。鎖国をしていたのはあやかし対策の一環で、帝の力で結界を張り、あやかしの妖力を削いでいたのだという。

 休戦した現在、結界は解かれ、かえってあやかしの出没は増えた。ただ、あやかしがただちに人間に害を及ぼすものでもないということも周知されている。
 それらは小学校で習った。小学校は義務だったので、通わせてもらえたのだ。

 そのころはまだ治癒の異能があり、親子仲はよかったし、女中たちも優しかった。千代子はいつも彩雪に張り合っていて、それだけは困っていた。

 手の傷を見た彩雪は、片手をその傷に添え、精神を集中する。かつてはこれで黄金の光が生まれ、ケガや病気を癒すことができた。が、今はどうやっても光が生まれることはなく、癒しの力が発揮されることはない。