夏のでれすけ

 八月第二週の金曜日。江ノ島へ行った二日後。
 待ち合わせは十四時。僕は、いつものあの図書館へ向かう。

 千佳に告白をされてから二日経った。立ち漕ぎで坂道を駆け上がる。自転車の風を受けて、汗は斜めに、後頭部に向かって流れ始める。

 自転車に乗っていると、どうも唇が渇く。飲み物は飲みすぎてしまい、お腹を冷やしてしまう。そこで最近はリップクリームを塗ってみた。
 これが意外と効果があるのだ。今度、雅也にも教えてやろう。多分、やらないだろうけど。

 信号待ちで不意に声をかけられる。帽子をかぶってティッシュ配りをしていたお姉さんだ。こんなに暑い炎天下で、コンタクトレンズの社名が書かれたジャケットを着て、ポケットティッシュを渡してきた。
 頭から流れた汗は頬を伝って、精一杯の笑顔をよぎって喉まで走る。その姿を見た途端、断れなくなってしまい、ポケットティッシュを受け取った。

 青信号になった途端、ペダルに足をかけポケットに入れると、後ろから嬉しそうな声で「ありがとうございます!」と聞こえた。倒れず頑張って欲しい。
 息を切らして酸素を脳へ運んでも、ずっと頭が回らない。暑さのせいでも、坂道のせいでもない。

 僕はまだ、自分の気持ちにやっと気がついたにも関わらず、動けずにいる。恋人でも、友達のままでも、これまでの関係が変わるのが怖くて、一歩踏み出せずにいる。

 明日が来て明後日が来て、どんどん時は過ぎていく。毎年夏休みが早く過ぎては、そんなふうにこれから先もどんどん早くなるのだろうと思う。

 だからこそ、このタイミングを、この夏を掴まないといけない。

 なぜ僕は、こんなに焦っているのだろう。最近、まるで今の自分と違う、別の自分の記憶がそうさせるような感覚に襲われる。
 なにかに背を押されている、そんな気がした。

 そんなことを考えるのも、思春期の男子特有のものなのか?と割と俯瞰した意見を持ちつつ、自転車を駐輪場に止めた。

 図書館の入口の途中には、この前まで蕾だったひまわりが満面の笑みを浮かべるように太陽に向かって咲いている。なんとなく、手を振り返したくなるような気になって、踵を返しながら暑く刺さるような太陽の日差しから逃げるように館内へ入った。
 先週と同じ席に彼女はおらず、また僕が早く来てしまったのかと思った。しかし、携帯の通知を見た時、そうではないことを知った。

「いつもの図書館地下のコミュニティスペース奥、丸机に座ってるね!」

 文章から見るに、どうやらいつもの調子を取り戻したようでよかった。



 地下一階は分厚い参考書や辞典が立ち並び、重々しい雰囲気の階である。
 自分の背丈よりも高く、迫力のある本棚が立ち並ぶ通路を奥へ進むと、コミュニティスペースがある。こんなところ、初めて来た。

 扉はガラス張りで室外から中の様子がわかる。
 丸机一つに対し、三つ机を並べて会話ができる場所として図書館の地下に作られた空間だ。
 部屋の場所が建物の地下、それも奥のスペースだったため、誰も座っていなかった。
 僕を待つ、彼女を除いては。

 今日は水色のワンピースを着ており、爽やかな印象だ。
 灰色のカーペット、白い壁の館内の雰囲気を明るくさせるような、そんな気がした。
 部屋の奥で黙々と数学の参考書と問題集とを交互ににらめっこしていたが、近づいてくるこちらに気がついて、顔を上げ、手を振ってきた。

 静かな空間を乱さぬよう、防音設計を施されたコミュニティスペースへの入口の扉は重く、体全体を使って押し出さないと開かないほどだった。

「わざわざ降りてきてくれてありがとう!ちょっとわかりづらかったよね、ここ。」

 ニッコリと笑みを浮かべて待ち構えた彼女は、シャープペンシルを回しながら楽しそうに話していた。
 重たい扉がやや大きな音を立てながら、閉まる。ドンという振動がガラスを振るわせ、部屋中に響いていた。

「珍しいね、こっちの部屋にするなんて。」

 椅子を引きながら僕がいう。カーペットが敷かれていることもあり、別フロアとは違って椅子がガタガタっと床と擦れる音はしなかった。

「うん、ようすけとおしゃべりできるとしたらいつものフロアじゃなくて、こっちかなって。」

 彼女は伸びた髪を左耳にかけながら、ノートの上の消しカスをまとめた。
 机の上に置かれたサイダーは既に半分近く減っており、早く着いていたことがわかる。
 しばらく黙々と各々の夏休みの宿題を進め、沈黙の時間が続く。今日は一日数学をやる気分、とか言って張り切っていた。

 カーペットの匂いなのか、ホコリの匂いなのかわからない、図書館独特の香りがする。なぜかこの香りが集中力を高める気がする。
 シャープペンシルの芯が削れ、紙の上を走る音が止まって、彼女は数学の問題集に目をやったまま話し始める。

「この前、途中で帰っちゃってごめんね。」

「ううん。もしかして、花火みんなでするの嫌だった?」

「うーん、嫌っちゃ嫌だけど、嫌っちゃ嫌じゃない。」

 にやにやして天井を仰ぎながら、顎にシャープペンシルをあてる。

「ん?どっちなんだ?」

 彼女は赤いボールペンに持ち替えて、解答のページに折り目をつけ始めた。

「花火ね、好きだよ。見たことないけどね。」

 少し声がトーンダウンした。

「あのね、これからいうこと、信じられないかもだけど、一回し会話ないから聞いてね。」

「うん。」

 僕はこれから「ちゃんと聞かなくてはいけない話」が始まるのだと思って、彼女を直視できなかった。その話を聞いた僕がどんな反応をして、それが彼女にどんな印象を与えるか。わからなかったからだ。
 最近、こういうシーンが多いな。

 僕はあたかも教科書を読み返してるよ?という面持ちで化学基礎の文章を右手の人差し指でなぞった。

「あのね、」

 声は思いの外、冷静だった。

「私、花火を見たら消えちゃうの。」

 そんなことないのかもしれない。リトマス試験紙の中性を示す文章で手が止まる。
 
 今、なんて言った?それほんと?どういう原理?
 
 なんていう疑問が浮かんだが、もし、聞いてしまったら彼女の精一杯のカミングアウトに失礼かもしれないと思った。
 静けさがコミュニティラウンジに訪れる。そして、いたずらをした後の子供のような笑顔で、少し早口で彼女は口を開く。

「なんて言ったら、どうする?」

 多分、冗談ではない。なんとなくわかった。

「でもね、光に弱いのはほんとだよ。それでもね、私はその花火をよーすけと一緒に見たい。見てみたい。」

 息が止まる。自分の肌が赤く火照ってるのがわかった。

 でも、そう言ってくれて嬉しかった。迷いがある僕の手を引いてくれた気がした。今の僕に、それほどの力があるかはわからない。それでも、応えなくちゃいけないと思った。

「そっか、なら、なおさら綺麗なところで花火をみなきゃね!」

 空元気で、声を振り絞って伝える。ちゃんと彼女が彼女の青春を、彼女の夏を過ごせたと応えられるように。

「うん!あ、あとそこのページ、夏休み明けのテスト範囲外だよ。」

 彼女は身を乗り出して、僕の生物基礎の教科書右下のページに指をさしてきた。
 近づいたその距離に妙に緊張してしまう。
 頭に入ってきてないことがバレてしまった。唖然として口を開けた僕をみて彼女は、ふふふと笑う。


 今日も閉館ギリギリまで夏休みの宿題をやって、蛍の光の曲と共に図書館を後にした。
 ご褒美にしておいたアイスの自販機は、故障により使用禁止となっていたため、食べられず彼女は口を尖らせて少し拗ねていた。

 西陽が差し込む、まだ暑い夕方の彼女との帰り道。
 図書館から続く坂道をゆっくりと黙ったまま歩く。
 二人並んだ影帽子が伸びて、身長差がわからなくなるほど、日は傾いていた。日が長い夏とはいえ、折り返し地点なのだ。
 
 彼女は急に思い出したように、自転車を押す僕の視界にぴょんと入り込んで、手を後ろに組みながら嬉しそうに話し始める。

「そういえば、もうすぐ花火大会だね!駅前のポスターにも書いてあったけど、打ち上がるのは十八時半からだよね?」

 脳裏に先ほどの「花火を見ると消えてしまう」という言葉がよぎる。本当なのだろうか。本当だとしたなら、その花火は僕とでいいのか。
 でも、彼女がそう言ってくれるなら、僕は「花火を見てみたい」という夢を叶えさせてあげたい。
 
「うん、そうだよ。今年はいつもより打ち上げ数が多いから時間も長くて、多分とっても綺麗だよ。」

「そうなんだ、それは楽しみ。前言ってた臨港パーク、ってとこで見るんだよね?」

「そうそう。でも実は、学校の図書室からも綺麗に見えるって昔から噂があるんだけど、流石に忍び込めないからやっぱり臨港パークかな。」

「ふふ、そうだね。そしたら、また来週。いつもの時間、いつもの図書館で。今日随分進んだけど、思ったより喋っちゃったからね。そろそろ宿題終わらせなきゃね。」

「それは美穂さんがコミュニティラウンジを選んだからでしょ!喋んないようにするために図書館行くのに!」

「そうだね。でもね、楽しかったよ?きっと家でやるよりは進んでる。また来週も付き合ってね!」

 彼女は自己暗示のように早口でそう言った。実際のところ、楽しかった。間違いはない。
 そして、彼女は急に僕の真下に近づき、どこか恥ずかしさを垣間見せながら、上目遣いでにやにやしてつぶやく。

「あとね、前から言ってるけど、美穂さんじゃなくて美穂でいいよ。」

 急に近づくと、心臓の鼓動が高まる。
 思わずドキドキしてしまった。

「えと、その…」

 彼女はカバンを前に持ったまま、にやにやと笑って話を続ける。

「急がなくてもいいよ。ただ、いつか呼んでほしいな。この夏が終わるまでに。」

 彼女の呼び方といい、千佳のことといい、この夏はなんだか宿題が多い。
 いつの間にか日は落ちていて、通り過ぎる公園からは涼しげな虫の声が聞こえ始めていた。



 彼女が「ここまででいいよ」というから僕の家へと続く道と、彼女が住む金ちゃんの店までの十字路で分かれて帰った。
 家までの道を歩く途中で喉が渇いたため、立ち止まりカバンに入った麦茶を取り出す。その瞬間、カバンの中を見つめる。確実に来る時よりもやけに教材が多い。

 一つ一つ見てみると、「高久美穂」と丁寧かつ優しいタッチで書かれたであろう、彼女の名前が数学の問題集の裏表紙にあった。
 しまった、間違えて持ってきてしまった。
 僕は小走りで来た道に戻る。等間隔で並べられた街灯を横切るたびに、視界が照らされる。少し汗ばんできたところで先ほどの十字路を曲がり、彼女の進む方へ行く。

 あっという間に金ちゃんの店まで来てしまった。もう家についてしまったのだろうか。僕はインターホンを押す。呼び鈴が響いて、扉の向こうからこちらへ向かってくる足音が聞こえた。

「おお、よーすけじゃねぇか。こんな夜にどうしたんだ?」

 金ちゃんがキョトンとした顔で片足だけサンダルに突っ込んで扉を開く。何かを焼く香ばしい香りがした。きっと料理中だったのだろう。

「…美穂さんって帰ってきてない?」

「ああ、まだ帰ってきてねぇぞ。一緒だったのか?」

「うん、さっきまでね。間違えて問題集を持って帰ってしまったから返しに来て。」

「おお、そうか。わざわざ悪いな。どっかですれ違ったのか?」

「いや、でもここまで一本道のはずなんだけど。ちょっと電話してみる。」

 耳元でコール音が響く。金ちゃんは火を止めに台所へ戻り、改めてサンダルを両足で履いて玄関から出てきた。
 それでも電話には出ず、「ただいま電話に出ることができません…」から始まる機械的な音声が返ってくるだけだった。

「こんな夜遅くに、一人でどこか行くわけでもねぇだろうし。ちょっとその辺、探してみるか。」

「そうだね。金ちゃんは帰ってくるかもしれないから、そのまま家で待ってて。この辺見てくるから。荷物よろしく!」

 僕は住宅街の中を走り出した。携帯電話を握りしめ、車通りのない道を走る。

 
 チリン、チリンチリン

 遠くから鈴の音がした。また、この音だ。
 以前、夏祭りのときに彼女がさらわれたときも同じ音がしていた。
 いつも決まって、二個くらいの鈴が紐に繋がれ、ぶつかり合う、そんな音色。
 
 きっと、彼女はそこにいるのだろう。

 僕は音の鳴る方へ足を進まざるを得なかった。視界は暗く、大きな木に囲まれた公園。こんなところに、あっただろうか。
 街灯もなく、暗すぎて目が慣れても深い青に感じるほどあたりは暗い。目を凝らしてもそこに木があって、道があることを捉えることで精一杯だ。

 鈴の音は鳴り続けた。
 すると、奥から男たちの声がする。

 まさか。

 僕は声のする方へ走り出す。そこには、あの夏祭りと同じ男たちに抑えられる彼女の姿があった。

「いい加減、動くのやめろよ。こんな暗い場所には誰も来やしない。痛い目に遭いたくなかったら言うことを聞け!」

 あの夏祭りの夜、男たちを指揮していた赤いバンダナの男だ。相変わらずガタイがよく、真っ向から立ち向かっても勝てそうにない。僕に気がつくとゆっくりとこちらを向く。

「なんだお前。見てんじゃねぇよ。…まぁ、見られちゃ生かしてはおけないがな。おい、あいつを捕まえろ!!!」

 しまった。勢い余って鉢合わせてしまった。
 以前は茂みの中からの射撃で直接戦わずして、勝利を収めた。だが、今回は武器も荷物も持ってきていない。
 おまけに腕っぷしに自信がないどころか、僕は殴り合いの喧嘩などしたこともない。勝てる見込みが全くない。

 あたりは真っ暗で男たちが五人向かってくるのがやっと見えるくらいだった。
 すると突然、一人の男が飛び蹴りを繰り出してきた。見事にみぞおちにくらい、僕は倒れる。

「オラ、ガキが!逃すかよ。」

 胸ぐらを掴み、聞こえるかどうかギリギリの状態の意識の僕に吐き捨てるように放った。
 無防備なところを畳み掛けるようにして、他の男たちも襲いかかってくる。手にはそれぞれ葉の生えた木を持っていたが、葉の形が棘のように一枚一枚尖っており、肌を叩きつける度、肌にすり傷を作っている。

 腕、すね、頬、横腹。ダンゴムシのように丸まって身を守るしかない僕の体は、葉を叩きつけられる度、傷ついていく。
 少なくとも気持ちだけでは負けぬよう、がむしゃらにあらがってみせた。

「一人相手で、大の男が袋叩きにして楽しいかよ。」

 普段こんな口調で話さないため、ボロが出ないよう、一昨日見たアクション映画の主人公をイメージしながら虚勢を張る。
 
「ああ、楽しいね。なんてったってお前、聞いたところによると蒼井のとこのやつなんだってな。那須の恨みを晴らす良い機会だからな。」

「なんだそれ、記憶にねぇな!」

 なんのことだ。誰かと勘違いをしているようだが、確実に今、僕の苗字を言ったぞ。
 そんなことよりも、この状況から逃れる方法を考えなくてはいけない。奥では彼女の手が縛られ、連れ去る準備をしている。

 どうにかして、この男たちを蹴散らして彼女とこの場から逃げなくてはいけない。
 体のあちこちに血が滲み、彼女の口には大声を出さぬよう布で塞がれているのが見えた。絶体絶命である。

 何かいい方法を。頭の中を回すんだ‥
 不意に足のポケットに手を当てると、何かが入っていた。細長い、硬いものが二つ。

 

 一つはリップクリームだ。

 自転車で乾いた口を潤すために買ったものである。
 夏休みに入ってから買ったもので、まだ数回しか使っていない。

 そして、もう一つはライターだ。

 前に4人で江ノ島で、花火をしようとコンビニエンスストアで購入した時のものである。
 勝手に雅也が買って渡してきたきり、一度も使わず以前履いたズボンに入れっぱなしだったのだ。
 
 そうか、これだ。一か八か、やるしかない。 

 僕は咄嗟に、昼間に信号待ちでもらったティッシュペーパーを丸め、いくつも男たちに投げた。あちこちにまるまった白いゴミが、男たちの体に当たって、転がる。

「なんだなんだ、こんなちり紙ごとき投げたとて、わしらには効きはせん!バカにしているのか貴様!!!」

「わかってるけど、こうするしかないんだよ!!!」
 
 ポケットティッシュがなくなるまで、必死に投げた。
 男たちは、ヘラヘラと笑いながら、トゲの葉が生い茂る木の棒で叩くのをやめない。

 すべて投げきった頃には、暗闇にうっすらと浮かぶように十個のゴミが落ちていた。
 僕は男たちの間を縫って、転がりながら一つを拾い、ポケットに入っていたライターでティッシュペーパーに火をつけ、男に投げつける。

「くらえ!!!」

 どんどん火が大きくなる紙の玉は、投げたときの風を受け、やがて炎の玉となった。
 男は突然の火の光を隠すように、葉のついた木の棒で顔を覆う。
 すると、たちまち炎は木に燃え移り、焚き火のように燃え上がる。

「うわ!!あちい!何だこれは!!!!」

 叫び、慌てて手を離すと下に転がっていた別のティッシュペーパーに引火し、炎の威力は強まる。周りの男達も同じくして火の光から目を覆っていた。しかし、燃え始めた炎からの火の粉が飛び散り、次々と炎は広がっていく。

 瞬く間に下に散らばるティッシュペーパーに引火し、手を離した棒に引火し、繰り返すことでやがて男たちを囲んだ一つの火の柱となった。

 ティッシュペーパーを最初に投げる前に、あることを思い出していた。

 それは、テレビのクイズ番組で流れていた「アウトドアの豆知識」である。あの赤チームが大逆転をした番組だ。
 着火剤になる日用品の選択クイズの正解がリップクリームで、欧米では着火剤としても用いられているらしい。
 
 僕はそのことを急に思い出し、嘘か真かわからない情報に賭けてみることにした。
 その時も思ったが、やはり最後のチャンスを掴んだものが勝利するらしい。
 
「おめえら、大丈夫かあ!!!!!!!畜生、熱くて近寄れやしねえ!!!」

 赤いバンダナの男は、汗を垂らしながら目をやられぬよう右腕で目を覆った。
 
 今が、彼女を取り返すチャンスだ。
 既に僕の体は、これまでの怒りと悔しさと痛みと、恐怖とで突き動かされていた。
 焼けるような熱さの中、喉をじりじりと焦がすようにして叫ぶ。
 
「今すぐ美穂から、、、離れろおおおお!!!!!」

 僕は走り出し、彼のみぞおちを狙って殴りかかった。
 
「っかはっっ!!!!」

 目を覆ってた男は不意をつかれ、無防備に内蔵を殴られる。意識を一瞬失うように脱力した全身は、口からつばを吐き出しながら倒れ込む。
 僕は彼を突き飛ばして、すぐさま彼女の元へ駆け寄りしゃがみ、腕で抱きかかえた。

 ひどく疲れた様子で脱力している彼女の目隠しを外すと、火の赤々とした光を眩しそうに目を細めながら、僕の顔を見上げる。

「…また、助けてもらっちゃった。ありがとう。」

 彼女は弱々しい声で、今ある精一杯の力を振り絞って微笑みかけた。

「当たり前だ。何度だって、君を見つけて助けにくるから。」

 それを聞くと彼女は目をつぶってしまった。
 僕は彼女を背負うと、急いでその場をあとにし、金ちゃんの家へと走り出した。
 火の柱から立ち上る黒い煙は、公園を囲む辺り一帯の住宅街にも渡ったようで、遠くの方から消防車のサイレンの音が聞こえた。
 
 ―――

 前と同じだ。
 あの神社の夏祭りの日、同じようにあの男たちに彼女は狙われ、襲ってきた。
 彼女はなにか、狙われるようなことをしたのだろうか。
 二度も襲ってくるなんて。一体、何が目的なのだろうか。


 目を瞑る彼女を背負って、住宅街を走る。
 普段歩いたことのない道順だったが、幸い遠くに金ちゃんの店の屋根にはひまわりの花の形をした風見鶏が刺さっており、目的の家の場所が把握できた。

 角を曲がると、金ちゃんは店先から道路に出て、キョロキョロと周囲を見渡していた。こちらに気がつくと、血相を変えて走ってきた。

「おいおいおい、どうしちゃったんだよ、何があったんだ…!」

 金ちゃんは僕の背中の彼女の顔を見ると、両手をぱたぱたさせながら慌てた。

「わからないけど、随分弱ってるんだ。多分、気を失っているだけだろうけど、このまま休ませてあげられないかな。」

「そーかそーか…とりあえず、見つかってよかった。…よし、よーすけそのまま二階に運んでくれるか!」

「わかった。ドア開けて!」

「そうだなそうだな、よしよし、こっちこいこい。」

 扉を押さえて、僕を店に入れた。
 玄関で靴を脱ぐと、金ちゃんに誘導されながらすぐ横の二階へ続く階段を登る。

 踊り場もなく、徐々に左回りにツイストする螺旋のように曲がる階段を登ると、すぐに彼女の部屋の前についた。

 金ちゃんが扉を開けようとモタモタしている間にふと、「あれ、もしかして千佳以外の女子の部屋に入るの、初めてなのでは?」とよぎった。急に緊張してきたが、それどころではないと考え、瞬きを気持ち多めにしながら呼吸を整えて待っていた。

 彼女の部屋に入ると、基本的には無駄なものがなく、必要最低限のものが並べられていた。
 正直、女子の部屋という感じではないが、やはり少し落ち着かない。

 僕は彼女をベッドに横にして下ろすと、呼吸をしているか確認をしてみた。
 か細くはあるが、かろうじて息はあるようだ。

「よし、ちょっと水やら食べ物やらもってくるからちょっと待ってな!よーすけ、美穂ちゃんを頼むぞ。」

「うん、まず顔が汚れてるから濡れタオルお願いできるかな。」

「わかった、ちょっと待ってろよ!」

 そういって早歩きで階段をテンポよく降りていくのが聞こえた。


 急に静かになる部屋。少し湿った、こもった空気が心地悪く、昼間の熱を閉じ込めてしまっていた。
 僕は道路側のカーテンを開けると、鍵を開け、窓を全開にした。
 夏の夜の匂いがする。涼しい風がカーテンをなびかせながら、新鮮な空気を連れてきた。
 いつの間にか、昼間あちこちから聞こえていたセミの鳴き声はなくなり、羽音をこすらせて上品に鳴くコオロギのような、虫の声がした。

 その落ち着く外の空気でやっと、彼女を助け出したことに安堵感を覚え、肩の力がスッと抜けていく感覚になった。
 下から、パタパタと階段を登る音がして、ノックをするとすぐに金ちゃんが入ってきた。

「とりあえず水と濡れタオルな。後は一応、体温計も持ってきたけど熱はねえか?」

 お盆の上に置かれたコップにそそがれた水は透き通り、タオルは湯気を発している。
 部屋の中央に置かれた、折りたたみ式のローテーブルに金ちゃんはお盆ごと置き、そのローテーブルの直ぐ側に金ちゃんは一旦正座をした。

「うん、多分ないと思う。風邪とかじゃないから。きっと、疲れたんだと思うよ。」

「そうか。しかし、なにがあったんだ?急に姿を消して、帰ってきたと思ったらこんなに疲れて。」

「うん、その、あまり大事にはしないほうがいいと思うんだけど、美穂さん、なんかの集団に追われてる。」

「…なんだって?集団?一体どんな奴らだ?」

「なんか、男六人組くらいで柄が悪い奴ら。実は今回は二回目で、一回目は夏祭りに一緒に行ったんだけどそのタイミングで襲われた。偶然にも毎回、僕が一緒のタイミングでなんとか助け出せたけど、今後はどうなるかわからない。」

「そうか…もしかして、そのお男たちってなにかバンダナを付けていなかったか?」

「うん、なんか基本白のバンダナで、赤のバンダナはリーダーっぽい人がつけてた。」

「うーん、そうかぁ、ついに動き出してしまったか。」

「金ちゃん、なんか心当たりあったりするの?」

「いや、その、特段心当たりはねえんだけど、その、いや、何でもねえ。」

 金ちゃんはなにかを考える素振りをして、なにか言いたげな顔で顎に手をあてて考えていた。この様子だと、金ちゃんからもちかしたらなにかわかるかもしれない。
 追加で質問をしようとすると、思い立ったように立ち上がり、下の階へ行こうとし始めた。

「…そういえば、料理の最中じゃった。引き続き、彼女への水と汗をタオルで拭いてくれたりなどしていたくれぬか。」


 金ちゃんはさっさと下の階へ進み、数秒後には降りていった音がした。
 金ちゃんはなにかを知ってて、逃げるようにして一目散に姿を消していった。

「…金ちゃんのこと、あまり困らせちゃだめだよ、」

 急に彼女が目を覚まして、横になったまま話しだした。
 先ほどよりかは随分落ち着いた様子で、ふふふと笑いながらこちらを見ていた。

「美穂さん!無事で良かった!もう心配だったんだから!」

 僕は安心して、手を握って彼女が起きたことを喜んだ。

「…机の上のお水、もらってもいいかな?」

 そう行って彼女は少し、咳払いをしながら水を僕から渡されると、一口飲んで肩の力を抜いた。

「元気そうで良かった。」

 僕は心の底からのホッとした気持ちを全面に出して、答えた。すると彼女は続ける。

「さっき、助けに来てくれて本当にありがとう。よーすけが来てくれたから本当に良かった。」

 そして、急に言葉に詰まったのか、照れているのか、そのような感情で次の台詞を話し出す。

「あと、その、さっきね、『美穂』って大声で呼んでくれたの、ちょっと嬉しかったよ。」
 
そう言われ、僕は顔に血が上るような、恥ずかしいという感情に飲まれつつ、答えた。
 
「えっと、その、偶然というか、体が勝手にというか、その、」

 あと、一か八か、これも聞いて見よう。彼女を前にして、中々聞けなかったこと。

「その、これからも、『美穂』って呼んでもいいかな…?」

 急に緊張してしまい、語尾が小さくなってしまった。聞こえただろうか。もう一度言おうとすると、

「うん、もちろん。でも最初から『美穂』でいいよって私は言ってるのに、勝手に呼んでなかったのはそっちだよ!」

 食い気味で嬉しそうに彼女は答えた。少しずつ元気になってきたようで、一安心だった。 
 
  

 蚊取り線香を焚いているのだろうか。階段を通じて下の階から、線香のような香りがする。窓際の風鈴は月明かりに照らされ、夜風を泳ぐガラス部分は光っていた。
 台所で火を扱う音が聞こえる。まだ時間は掛かりそうだ。
 金ちゃんが下の階から戻ってくるまで黙っていると、彼女が話し始めた。

「私、考えたんだけど、やっぱり、ようすけをこれ以上巻き込みたくない。だからしばらく、会えない。」

「そんなの嫌だよ。ほら、今日だって大丈夫だったじゃないか。だから来週も図書館に行こう。あいつらに会わないように朝から昼までにしたりとかしてさ。もちろん、気持ちが乗らなかったら無理しなくていい。だから、その、」

「うん、ありがとう。本当にようすけがいてくれてよかった。私だけじゃどうなるかわからなかったから。」

「ううん、今日はその、大変だったね。」

「うん、大変だったね。また後で、落ち着いたら連絡するね。」

「ありがとう。また、様子を見に明日、会いにくるから。」

 彼女は頷きもせず、ただただ微笑んでいた。

「ようすけも帰り道、気をつけるんだぞ。今日は本当に頑張った。ゆっくり休んでな。」

 玄関の扉を開け、ゆっくりまばたきをしながら、心を込めて金ちゃんが話していた。
 金ちゃんの店を後にした僕は、自分の家へと歩きだす。
 金ちゃんが応急処置をしてくれたお陰で、頬の傷の血は止まったが、まだなんとなくヒリヒリと痛み、じんわりとかいた汗がしみる。

 そういえば、ごたごたしていたから、数学の問題集も返すのを忘れてしまった。

 しかし、なぜあんなに何度も彼らは彼女を襲うのだろうか。
 そしてなぜ、彼女も下の名前でしか呼んでいないのに、アイツらは僕の苗字を知っていたのだろうか。

 これまでに、出会った記憶もないのに。

 ―――