夏休み前、最後の金曜日。
日中の授業はあっという間に終わり、いつの間にか図書委員の当番の時間になっていた。
どうしよう。なんだか緊張してきた。
当番が終わるまであと十五分。学校を出て夏祭りへ向かうまで、あと十五分。
緊張とどきどきと嬉しさと、様々な感情が頭の中でぐるぐると回っている。
少しずつ暑くなっていく毎日。頭が緊張でパンクしそうな僕。貸出カウンターに設置されたPCのハードディスクが音をたてて機器内の熱を放出すると同時に、僕は深呼吸をした。
不意に彼女のほうを向くと、誰もいない図書室からの空を眺めていた。窓枠の金属部分に手を置き、振り返る。その顔はにっこりと微笑んで、嬉しそうだ。
「今日、雨降らなくてよかったね。」
とんでもなくかわいらしい。今日、僕の心は大丈夫だろうか。そして、続けて彼女は言う。
「でも、なんで私のこと誘ってくれたの?千佳ちゃんとも仲が良さそうだから、一緒に行くのかと思ったよ。」
自分でもよくわからない。ただ、僕は彼女と一緒に花火を見たいと感じただけだった。
「あいつとはこれまで行ってきたからね。それよりも、その、花火見るの初めてって言うから、転校したてで道わからないだろうし、この辺で一番よく見える場所を知ってるから、ぜひ美穂さんを連れて行きたくて。」
「ふふ、そっか。そう言ってくれてありがとう。やっぱりようすけに誘ってもらってよかった。」
その笑顔の周りを舞い落ちるように、カーテンの隙間から差し込む光が、図書室の空気中のちりをきらきらとさせていた。
ふと、僕はこの前のことを思い出す。あの、方言だか呪文だかわからないあの単語だ。軽く空気を吸ってから聞いてみる。
「ちなみに…この前言ってた、『でれすけ』って、あれってなんなの?」
「ふふ、それはね…ひみつ。」
きれいに整えられた前髪から覗かせる上目遣い。その可愛らしくも、なにか意地悪なことを考える笑顔に僕は一瞬、呼吸することを忘れてしまった。
彼女は背後の長机に積まれた本を取るために、その場で半回転してみせた。振り返って揺らめくスカートは、金魚が尾びれをなびかせるようにゆっくりに見える。
棚へ返却する作業の中で最後に残った一冊を見た彼女は、あっ、と声を出す。
「どうしたの?」
「この本好きなの。『星とおまじない』っていって、いろんな星に込められた願いや神話をたくさん描いたものなの。転校してきてからほぼ毎週借りてるんだけど私しか借りてないから、もう栞をはさんだままにしちゃってるんだった。」
そういうと、本のちょうど真ん中あたりに栞が一枚入っていた。なんだか、筆で文字が書かれた不思議なデザインだ。
「一人で不安なときとか、困ったときにたくさん勇気をもらったの。題名の通り、私にとってのおまじない。星と星をつなぐように、私が願ったこともちゃんとつなぎ合わせてくれる、そんな本。…こんな話、初めて自分以外の人にしちゃった。」
そうして彼女はまた、不思議な栞を挟んだまま棚へ戻す。
なんだか、二人だけの秘密を分かち合ったみたいで少し照れくさい。
僕が一人で頭のてっぺんをぽりぽりと照れくさそうにかいていると、嬉しそうに彼女は言った。
その最後の一冊をストン、と元の場所に戻した瞬間、壁に設置されたスピーカーを震わせ、下校のチャイムが鳴る。
今年度の図書委員の仕事が終わった。
―――
先週は図書室を出るとき、彼女は先に駆けていってしまったのに、今週は彼女が鍵をかけている。なんだか不思議だ。
「はい、鍵閉めたよ!」
そういって、彼女が不意打ちでじゃんけんを仕掛けてくると、僕は咄嗟に出したグーで負けてしまう。
「私の勝ち!先に昇降口で待ってるね。」
僕が一人で職員室に鍵を返しに行く時、担任の荒木先生に会った。
荒木先生はサッカー部の顧問で、部員のみならず男女問わず学年のみんなから荒チャン先生と呼ばれている。
新卒で先生になって八年目。一年を通して、体育祭や文化祭などクラスのイベントには情熱を注いでおり、非常にいい先生だ。服装は保護者会と三者面談以外、黒字に白いラインが入ったジャージを着ているところしか見たことがない。
あと、最近はどうやら三十路に差し掛かり、若干の焦りを覚えているらしい。
サバサバした性格だが、生徒の考えていることや小さな変化に敏感で、「誰もが相談したくなる」ような男女ともに人気のある先生だ。しかし、サッカー部員から聞く限り、部活のときは鬼に豹変するらしい。そうやって全力でぶつかってくれるというのも、またいい先生なのだろう。
「おお、青井くん、図書委員帰り?」
絵に描いたような「体育教師」のように汗でタオルを拭いながら、片手にバスケットボールを持って席に座った。(社会科教師だが。)
「あ、はい。金曜当番なんで。荒チャン先生は今日のお祭りいくんですか?」
「おいおい、下校帰りに寄り道しちゃだめだぞ。それを堂々と教師に聞くな。あと、私に一緒に行く相手がいるかも聞くなよー。」
「隣のクラスの矢口先生とかどうですか?胸板厚くて、筋肉ムキムキですよ?しかも化学の教師なので、理系です。頭いいですよ。」
「あー、優しくていい先生だけどね、私細マッチョ派なんだよね。これ秘密ね。」
どんまい矢口先生。僕はお似合いだと思ったんだけど、残念。人知れず、振られてしまっていることは本人に言わないでおこう。
「それはそうと、寄り道はだめだぞ。『たまたま』下校の道でお祭りがやってて、『たまたま』青春の思い出に欠かせないものだったらしょうがないけどね。」
こういうところが本当にいい先生なんだなと思う。あと、サバサバしたところがどこか母ちゃんに似てる。
「とにかく明日から夏休みだからって、危ない事件とかに巻き込まれちゃだめだぞ!あと、今年は受験生なんだからちゃんと勉強もすること。でも、今しかできない時間を大切にね。」
はあい、と気の抜けた返事をし、スライド式の扉の前で一礼をした僕は、職員室をあとにした。
下駄箱で靴を履いていると、昇降口で空を眺めて待っていた彼女がこちらに気がつく。僕が声をかけると柱に寄りかかっていたその身を起こし、隣を歩き出した。
胸元に揺れる濃い青のリボンが揺れ、落ち着いた深い灰色のスカートが風になびく。電車で見た他校の女子生徒はもっと明るい色で、もっと短い印象を受けた。
拘束が厳しいウチの高校の校則はなんだかこう、綺麗な彼女の雰囲気に合っているなと感じた。
雨上がりの夕暮れ。肌をじんわりと汗ばませるような熱気と、青々とした草の匂いが混じる空気。むせ返る昼の暑さを、今日一番赤く燃えた色をした太陽が、明日に持ち帰るように夜になっていく。
白熱電球の街灯がチカチカと数回点滅してからつき、木々に囲まれた公園の外側に沿って、歩いた。
なにか話すべきだろうか。ローファーがコンクリートを踏みしめる音が響き、かすかに遠くから聞こえる祭りの賑わいがそう感じさせた。
時折、風が吹いて彼女の長い髪を揺らすと、隣からふわりとやわらかい香りがする。
神社までにかろうじて作られた一方通行の車道。そこに合わせた細いコンクリートの歩道が、二人の手の甲を近づけた。
沈黙さえ心地良い時間が、緊張で脈打つ鼓動をより大きなものに感じさせる。
何か話そうか迷っているうちに灰色の鳥居の前についてしまった。
―――
普段は子どもたちで賑わう境内も、今夜は異なる空気を醸していた。
吸い込まれる雑踏のはじまり。本殿までの一本道。両サイドには斜めの屋根から垂れ下がるようにして、濃い色かつ太めのフォントで売り物の名を連ねていた。
狭い入口には浴衣姿の女子中学生がコンクリートの段差に腰掛けてラムネを飲み、自治会の名が刻まれたハッピを羽織る中年男性は知り合いを見つけるとがに股で近づき、肩を叩いて声をかけている。
父親とつないだ手の反対側には、数匹の小さな金魚が三角の透明な袋の中でゆらめいている浴衣姿の子供とすれ違った。
人混みと、訪れた人それぞれに彩られた夏の始まりが押し寄せ戸惑いつつも、どこか心を踊らす自分がいる。
もくもくと舞い上がる煙。パンパンに入れられた綿菓子のキャラクター。賑やかな会話が行き交う。
隣の彼女は体内全ての空気を吐き出すように「わあ」と声を漏らしていた。首をブンブンと振って辺りをくまなく見渡している。どうやら彼女はわくわくしているようだ。普段はクールな印象だが、意外とわかりやすいのかもしれない。
「ねえ、花火が上がるまでまだ時間がありそうだから、屋台を回ろうよ。」
僕らは歩き出した。二人の制服の半袖シャツの白さが、明るい祭りの色でより浮いていた。時折、僕を見つめてくる彼女の瞳の中には、道の左右にぶら下がるちょうちんがぼんやりと映っていた。
僕は目を合わせるのに、少し緊張してしまった。
「ねえ、なんか夏って感じだね。」
そういった左側に立つ彼女は突然、僕の左手を握る。
彼女も恥ずかしいのかもしれない。手を繋ぐ前より目が合わず、屋台を眺めるふりをして顔をそむけていた。
彼女の長い髪からのぞく耳の先は赤くなっている。僕も同じように、なんとなく提灯側に身を寄せることで、その明るい暖色の光でごまかした。
すると突然、彼女はなにかに気がつくと僕の手を引っ張り、小走りで屋台へ進んでいった。立ち止まったのは、お面の屋台だった。
木枠にくくりつけられた商品の中で、彼女は迷いもなく、白地に赤があしらわれた狐のお面をもち、おもむろに頭の側面に沿って斜めにあててみせて言う。
「…似合う?」
正直、彼女のその白い肌にお面がよく似合っていた。思わず可愛いと言ってしまいたかったが、変なプライドが邪魔をして「うん、似合うよ」としか言えなかったことは未だに少し、後悔をしている。
もちろん欲しそうな目をしていたので、買う。僕がお面を渡そうとすると、嬉しそうに頭を下げて、つけてもらうのを待っていた。
僕は先ほどの角度で斜めに彼女の頭に紐をかける。すると、「ありがとう」と小さく跳ねながら喜んでいた。
日が落ち、提灯の光は周囲の人混みの影をより濃く、より輪郭をぼやかしている。彼女は隣でぎゅっと手を握ってきた。
「あのね、私、今すごくたのしい。」
その瞬間、まるでシャッタースピードが遅くなったように人々の残像が伸び、景色を切り取る。僕は自分の心臓の音で、周囲の音は聞こえなくなった。
僕が照れくさそうにしていると、また急に手を引っ張り屋台へ駆け出す。そこは金魚すくいの屋台だった。
金魚が泳ぐ青色の水槽の前でしゃがんだ色白の肌。
小銭を店主に渡すと垂れ下がる長い黒髪を耳にかけ、そこから現れた丸い瞳はポイを片手にずっと黒いデメキンを追いかけていた。
彼女の向こう側から照らされる光によって綺麗な鼻筋の輪郭の横顔が気になり、ポイを水に浸しすぎたことは、彼女には言えなかった。
金魚が一匹も手に入らなかったとしても、彼女は嬉しそうだった。
ただ、こんなところで男、青井陽介は終われない。せっかくのお祭りデートなんだから。
金魚すくいでかっこいいところを見せられなかった僕は、射的の屋台の前で立ち止まる。
「美穂さん、なにか欲しい景品ってある?」
僕がそういうと、彼女はきょとんとしながらひな壇のように赤い布の上に並べられた景品たちに目を移した。
すると、思いの外すぐに決まったのか、人差し指で「…あれ」と言う。その先には、茶色いくまのぬいぐるみがニッコリと座っており、彼女は顔の半分を狐の仮面に隠しながら、申し訳なさそうに欲しそうにしていた。
「よし、わかった!任せて!」
そういって自信満々に進みだした。優しい彼女は少し驚いて、僕の手に引かれながらついてくる。
無愛想な射的の屋台の店主に一回分の料金を支払って、弾代わりのコルクを受け取る。弾を詰めていると、脳裏に声がよぎった。
「いいか、この世のすべてのものには必ず撃ち落とすための重心の的があるんだ。お前は俺に似て、きっと射的が得意だ。目をみればわかる。」
ふと、顔は思い出せないが、きっと親父だ。低くてどこか懐かしい声がする。
その言葉を信じ、銃の引き金を引いた。弾は勢いよく破裂音を弾かせ、熱気を帯びた祭りの空気を切り裂くように一直線に進む。
ペコンと高い音が響き、二段目に座る茶色いクマのぬいぐるみは落とされる。二発目のタバコ型の駄菓子も半回転し、宙を舞った。
無愛想な射的の屋台の店主もこのときは、少し片方の口角を上げ、嬉しそうに景品を手渡す。
「え!すごい!ありがとう。かっこいいね!」
自分の頬が熱くなるのがわかる。それと同時に、はしゃぐ彼女を見て、僕はホッとした。
この時ばかりは、親父に感謝の意を評した。(あまり覚えていないけれども)
ぬいぐるみを抱きかかえながら手をつなぎ歩く彼女は、匂いに誘われ、たこ焼きの屋台へ進んでいく。一人で店番をしている店主らしき男に声をかけた。
「いらっしゃい、カリカリのたこ焼き、いくつ買うかい?」
店主は一見、裏社会を牛耳るような面持ちの強面だったが、想像以上に優しく、気前のいいねじり鉢巻の笑顔が印象的だった。
「六個入り一つください」
「あいよお!ちょっと待っててな。あれ、兄ちゃんと姉ちゃんは今いくつだい?」
「…今年で十七になります。」
「そうか!そしたら、俺んとこの子供とおなじだな!そしたら、二個おまけしてやる!あいよ!」
「ありがとうございます!また来ます!」
「おう、いつでも待ってるぜ!」
普通のチェーンたこ焼き屋に比べてしまうと割高だが、なぜかとても美味しく感じる。この雰囲気や一期一会のやり取りがより美味しいものにさせるのだろうと実感する。
湯気を立てるたこ焼きをその場で分け合って食べ終わると、僕らは公園の奥へと進む。
祭りの公園内は行き交う人々がすれ違い、公園の奥から来る人並みと出入り口から進む人並みに分かれていた。会場は盆踊りの音頭を音割れ気味のスピーカーから爆音で流れる。
あと数分で打ち上がる花火を見るための場所取りをしている人々もおり、若干ではあるが屋台が空き始めた。
彼女とさっき食べたたこ焼きのタコの大きさについて話していると、道の折り返し地点に差し掛かるところで、反対の人混みから声がした。
聞き馴染みのある声。
「あれっ、よーすけ?」
これまで話をしていた彼女から目を離して、声のする方へ振り向く。僕は思わず声を漏らしてしまった。
「…なんで、お前ら一緒に。」
そこにはなんと、浴衣姿の千佳と私服姿の雅也が並んでいた。
「え、なんで、雅也と一緒に?」
意外だった。二人の接点はあまり想像できなかったからだ。
「そりゃだって、よーすけが私の誘いを断ったしかないじゃない。」
「おいおい、妥協して俺と来たってのかー?」
少し拗ねる千佳の隣で、顔を覗き込むように雅也は笑いながら言った。
「え、断ってたの?」
繋いだ手を後ろに隠すようにして、耳元で僕にささやく彼女。なんだか気まずい。
「でも、お二人さんお似合いじゃん?」
茶化しながら指を指す雅也。
「なによ、ほら、私達もむこう行くよ!」
千佳に引っ張られ、雅也は慣れない下駄によろめきながら、僕らとは反対側の人並みに消えていった。
ばったり出会ったときから今このときまで、なんだか心の底がモヤッとした。中学生の頃からずっと一緒で、これまでもこれからもずっとそばにいるものだと思っていた。
きっと恋愛感情とかではない、好きがずっとあって。でも、その感情ごと奪われたような気がした。
僕は急に中学時代のことを思い出した。
―――
「よーすけにずっと『彼女』ができなかったら、私が彼女になってあげようか?」
中学一年の夏。急に千佳はそういった。
千佳の両親は中華料理屋を営んでいて家に誰もおらず、親同士の仲が良かったこともあり、放課後はよくウチで遊んでいた。
宿題が一区切りついた縁側。冷蔵庫にあるスイカを二人でかじりつき、首をゆっくりと振る扇風機の電源を切って公園へ駆け出した。
向かい風で張り付く前髪すら気にしない、無邪気な笑顔。いつもの公園でブランコを漕いでいたあるときのこと。
体内の空気を押し出すようにして、ブランコの最大到達点でそういった千佳は、冗談っぽくいっていたが、あれはおそらく本気だった。
僕はちょうど地面に足をついていたときだったから、顔は見えていない。
突然のこと過ぎて、自分が驚いていたことはよく覚えている。
その時の千佳は雲一つない空に熱く輝く太陽に重なり、僕から見ると逆光となった姿は黒いシルエットとなっていた。
僕は、あのとき、千佳になんて答えたのだろう。
―――
千佳は今、どう思っているのだろう。そして、雅也のことが好きなのだろうか。
頭の中をぐるぐる巡っていると、彼女は僕の半袖を引っ張り、声をかけてきた。
「…大丈夫?どうかした?」
心配そうにして、彼女は聞いてくる。
「ううん、なんでもない。ありがとう。…あっ、そろそろ花火の見える場所に行こうか。あそこの丘から打ち上げられるから、そこと同じ高さの公園があるんだ。きっとよく見えるから、あっちの階段を登るとね…」
突然、白い閃光が視界を眩ませた。まだ言葉を最後まで言い終わらないうちに、目の前は白一色となった。意識を失う直前の景色の中、見知らぬ男の手が僕の隣の彼女の腕を掴むのが見えた。
僕はその手に押されて思わず体勢を崩し、倒れてしまった。その光景はゆっくりと倒れ込む、まるでスローモーションで再生される。
その眩しさと衝撃で僕や周囲の人々は数分、意識を失ってしまった。
目がなれるまでは数十秒かかり、まぶたを何度も開けたり閉じたりして、視界を慣らしていく。周囲の人々のあたりをキョロキョロと見回すと、同じように地面に座り込んだ人も多く、祭り会場内は混乱した様子だった。
会場のアナウンスによると、花火の試し打ちとして打ち上げたものの、光が一点に集中した不発弾によるものだという。
少しずつ視界が戻り、先ほどまで降っていた雨の湿っぽさを含んだ、石畳の冷たさを手のひらに感じながら、上体をゆっくり起こす。
「美穂さん?」
すると、隣には先ほどまで手を繋いでいたはずの彼女の姿は、いなくなっていた。
まだふらつく足元をなだめながら、あたりを見回し彼女を探す。
状況を把握するのに時間がかかり、彼女の姿がないことを理解した途端、焦りと不安でじんわりと汗ばんだことがわかる。
早くなる鼓動。脳に酸素を送り込む。気がついたら、すでに僕は走り出していた。
境内に溢れかえる人並みをかき分けざわつく雑踏の中、僕は彼女を探した。
わかるはずだ。この会場で狐のお面をつけている制服姿の女性なんて。それなのに、辺りを見回しても見つからない。
たった一度かもしれない。彼女と過ごす夏は。この夏を逃したら、もう一生そばにいれない気がした。
気がついたときには境内の奥に構えた神社の本殿にたどり着いてしまった。それでも彼女は見つからない。
帰ってしまったのなら構わない。またデートに誘えばいい。しかし、薄れていく記憶の中で男の腕がよぎっているのだ。
花火まであと五分。急かすようなカウントダウンのように、会場の女性のアナウンスが響いた嫌な予感がする。どうか、無事であってくれ。
本殿の階段を降り、来た道を折り返し進み始めると、同じところへ戻ってきてしまった。
持久走の後に感じる、喉の奥の血の味。あの味を感じながら、過呼吸気味で肩で息をしていた。すると、後ろから声がする。
「あれ、さっきの兄ちゃんじゃねえか?」
先ほどのたこ焼き屋の店主が話しかけてきた。
「いやー、さっきの光はすごかったなー。そういや一緒にいたお嬢さんはどうしたんだい?」
「いえ、あの、それどころではなくて、その、いなくなってしまったんです。」
「その様子だと、ただ事ではないみたいだな。とりあえず水でも飲んで落ち着け。」
さっきまでの気前の良さとはうってかわり、状況の異常さに気が付き冷静に対応してくれた。状況を説明していると、彼は問いかけてきた。
「とりあえず、さっきまでいた場所はそこなんだな?」
たこ焼き屋の店主は膝が悪いらしく片足をかばうように進み、本殿へ伸びる閃光の瞬間にさっきまで二人でいた石畳の前に立ち止まった。
「この足跡、なんだ?」
つぶやく僕の目線の先、石畳の横には明らかに不自然な複数の足跡がはっきりと残り、なにかが暴れたように乱れた形跡があった。
「さっきまでの雨で足跡が残っていたんだな。…ん?この足跡は『草履』だな?しかも何人もの男物のようだ。」
「今日は盆踊りや神輿を担ぐ事があるが、彼らは必ず草履ではなく『足袋』を履くことになっている。だから草履はこの会場で履くことはない。」
僕より先に動き出した彼は足をかばい、足跡をたどる。その目線の先の茂みは、明らかに人為的にくぼみ、無理やり人が通った跡がある。
ここから先は必ずなにかある。僕の直感はそう言っている。
それでも、彼女の身に何かあってからでは遅いのだ。
吸い込まれるような夜の闇を見つめ、呼吸を整えていると店長が声を掛けてきた。
「君はこれから行くというんだな。この足では役に立てなくて申し訳ない。代わりにこの銃を持っていくといい。」
そう言うと彼は肩に担いで銃を運んできた。
見た目は先ほど遊んだ、隣の射的屋にあったものとよく似ているが、材質が異なり、年季が入った様子も相まって重厚感があった。
バランスを崩さぬよう地面をついて、そのまま店主は話し続ける。
「これは一見、さっき兄ちゃんがつかっていたものと似ているが、本物の銃だ。中にはいくつか弾が込められている。」
店長は目の色を変え、落ち着いた声で肩に担いでいた銃を渡してきた。
持ってみると思ったよりもズッシリと重みを感じ、抱えた両腕が下に引っ張られた。
「えっ、それって法律に引っかかるんじゃ…」
「普通はだめだが、俺のこの銃だけは許可されている。この銃の撃ち方については、お前は知っているはずだ。敵の命だけは奪うなよ。」
なんだ。この声、この話し方。僕は聞いたことがある。遥か昔に。
「あっ、えっと、その…」
「うん、聞きたいことはあるだろうが、まずは、素敵なお嬢ちゃん今すぐ救ってこい。」
「わ、わかりました…!必ず、助けてきます!」
僕は店長に二人分の学校のカバンを預け、茂みの闇の中へ飛び込み、駆け出した。
ーーー
どれぐらい走り続けたのだろうか。
街灯一つもない暗い森の中。時折当たる枝が痛いが、足跡を見逃すわけには行かない。
彼女は無事だろうか。
雨上がりのお陰で足跡は消えておらず、しばらくは追いかけるのが簡単だったが、突如現れた芝生の分かれ道。足跡が途絶える。手がかりを探すためあたりを見回すと、左の道になにか白いものが落ちているのが見えた。
「これって、狐のお面だ。まさか。」
それは狐のお面だった。さっき、彼女に買ってあげたものに間違いない。
僕はそのときの嬉しそうにこちらを向く笑顔を思い出し、より一層力を振り絞って坂道を登る。すると、
チリン、チリンチリン
遠くから鈴の音がした。どこかで聞き覚えがある。
透き通った、軽くて深い、そんな心地よい音。
二個くらいの鈴が紐に繋がれ、ぶつかり合い、音色を響かせている。
その音のなる方へ進んでいくと、木々が生い茂る林で少し開けた空間から、何人か声を荒げた男の声がした。僕は距離を置き、息を潜めながら耳を澄ました。
―――
「おい、お前高久美穂だろ?ここまで探すの大変だったんだぜ?」
小太りの男がヘラヘラ笑いながら言う。そこにいたのは六人組の集団であり、いずれも黒い和服の装束に身を包んでいた。彼はそのリーダーのようだ。
頭や顔には正体がバレぬよう深緑のバンダナを巻いており、リーダーの彼だけは血のような深い赤のバンダナを身に着けている。
彼女の両腕はその構成員の二人に差し押さえられ、身動きが取れなくなっていた。
「一体、何が目的なのよ!!!離しなさいよ!!!」
彼女は声を荒げた。気を強く保っているものの、どこか声は震えており恐怖感が隠しきれない、そんな感情が伝わる。
僕は下唇を噛み締め、見たこともないその屈強な男たちを前に、なにもできずにいる。
「俺達は『ガナリ様』の仰せのまま、お前を生け捕りにするのだ。花火が上がる今日がチャンスだと聞いていたが、まさか本当に現れるとはな。」
「ああ、こいつの言うとおりだ。大人しくしていれば、危害は加えぬ。今のうちは、な?」
不敵な笑みを浮かべながら赤いバンダナの男の両サイドに立つ男は言った。
どうしよう。どうやったら彼女を救えるのだろう。
焦る気持ちとは裏腹に、今は彼らに存在を気づかれぬよう呼吸を抑えるので精一杯だ。
自分もバレたらどうしよう。自分はなにができるだろう。何もかも不安だった。
それでも僕の体は怖がる心を置いて、戦おうとしている。
とりあえず、肩にかけた銃を目にした。記憶の中では初めて手にしたものの、なぜか見覚えがある。すると、手が勝手に狙撃時の手順や照準の合わせ方などを体が知っているかのように着々と狙撃準備へ移った。
「あれ、どうして…」
少し、記憶のない記憶に戸惑いながらも、どこから湧き出てくるかわからない、自分自身の勇気に後押しされて、深呼吸をして気持ちを整える。
果たしてこの状況の運命を、この銃一つに委ねてもよいのだろうか。
しかも、銃の威力もわからない。だが、しっかりとした重みと使い込まれたその表面から、どこか安心感を覚えた。
だんだんと冷静さを取り戻してはきたものの、相手は複数。さらに使った記憶のない銃に加えて、ここで狙撃をすることで生じる大きなリスクに気がつく。それは「音」である。
敵は六人かつ、屈強な男たちである。こちらの気配に気がついたら、僕の身どころか彼女に危害を与えかねない。さらに、僕の唯一の武器である店長から渡された銃はどれほどの狙撃音を発するかわからない。
少なくとも射的屋の娯楽用ですら音が大きいことから、安直に引き金をひくことはできない。茂みの向こうの花火の観客の耳に届く音であれば、騒がしいその音を聞きつけた一般人が巻き添えになりかねない。
考えるんだ。どうにかして、安全かつ確実に彼女を助けるんだ。
カラカラに乾いた喉を少しでも潤すため、唾をゆっくりと飲み込んだ。焦りと緊張が鼓動を早くしていく。
敵を殺さぬよう、誤って彼女に当たらぬよう、敵六人分の足を狙うことは決めていた。そのためには一体、どのタイミングで撃てばいいのか。機会を見計らっていると、彼らは彼女の上半身を覆うほどの麻袋をかけ、どこかへ連れ去ろうとしている。モタモタなんかしていられない。
焦った僕は、「待ってくれ」と声が出そうになり、口をパクパクとさせた。
すると突然、夜空が明るくなった。僕は驚いて、その光のする方へ目をやる。
先ほどの閃光ほどはまぶしくはなく、いくつかの火薬が一点で爆発し、鮮やかに金色の線が広がった。
そう、それはこの祭りの大目玉である、花火だった。見事な大輪の花である。そして、時間差で打ち上げたときに発生する打ち上げ音がした。遠くからは観客の歓声が聞こえる。
そうか。これだ。
僕はそう思い、目を見開いて呼吸を止めた。「覚悟」というものを初めて決めた。そんな気がした。右目をつぶり、左目で銃の先端の突起と手前のくぼみを覗く。狙うはリーダーの右ふくらはぎだ。お願いだ。当たってくれ。
僕が右手の人差し指、第二関節でしっかりと引き金をひいたのは、次の花火が打ち上がった4秒後のことだった。
うっそうと生い茂る木々を抜け、楽しそうに花火を観覧しているであろう、境内周囲の客たちにも聞こえるほど響き渡る銃声。
銃口から立ち上る煙と香ばしい火薬の焦げたようなにおいは、狙いへ一直線に放たれ、普通の銃弾とは違う黄金色の銃弾を力強く押し出した証だった。
湿った夏の夜の空気を切り裂くように、花火で姿が照らされた、赤いバンダナの男の右ふくらはぎを見事に貫通していた。
「ぐあっっっっ!なんだ!」
苦しそうにそう叫び、体をひねるように崩れ落ちた大きな体を見て、他の男たちは状況が飲み込めぬようで驚き、硬直していた。
これなら、いける。
僕は容赦なく二発、三発と、いずれも花火が打ち上がってから四秒の時間差で引き金を引き続ける。全て命中し、男たちは濡れた雑草に転がり、悶え苦しんでいた。
そう、僕が狙撃をしたのは、花火の打ち上げ音と重なる花火が打ち上がってからの四秒。それは打ち上げた際の爆発的な音がここまで届く時間だ。
前に矢口先生が化学の授業で「光と音の速度は異なり、光のほうが早く届く」と言っていた。ここから花火の発射台までだいたい一キロ程度。まさかこんなところで役に立つとは。
僕は、その大きな打ち上げ音に合わせ、引き金を引く。これで男たちにも周囲の観客にも気が付かれず、狙撃を可能にしたのだ。
その甲斐あって、彼らは全員倒れ込み、風穴が空いた赤く染まる患部を抑えながら転がり、苦しんでいる。
よく、ドラマを見ていると空になった銃弾は不思議と地面に散らばっているが、この銃はそういう代物なのか、落ちておらずレシートのような白い長方形の紙が落ちていた。彼らが打たれた拍子で落としたのだろうか。
突然、雨が降り出した。銃口から一筋に立ち上る煙をかき消すように木々の葉を打っては、サラサラと音を立てて地面を濡らし始める。
僕はすかさず、茂みを飛び出し、滑りやすくなった雑草を力強く踏みしめて、彼女のもとへ駆け寄った。
「美穂さん、大丈夫!?」
彼女に被さっていた麻袋を投げ捨てるように外すと、恐怖感に苛まれ、涙目の彼女が小刻みに震えながら、今にも消えてしまいそうな呼吸をしていた。
「…ようすけ?…よかった。助けてくれて…ありがと…」
彼女は薄く開いていた目で僕を見ると、少しずつ安心した様子で目をつぶってしまった。揺さぶって声をかけても、彼女はひどく弱った様子で返事がない。どうやら気を失っているみたいだが、呼吸はあるようだ。
僕は急いで彼女を背負い、悶える男たちを踏まぬよう、人と人の間を縫って進む。
男たちは間近で見ても今の時代には合わない黒い和服の装束で、彼らからは鼻につく、漢方や薬草やらのたぐいのような、独特な植物の香りを感じた。
彼らは痛みに苦しみ、自身のふくらはぎを抑えて、立ち去る僕らに向かって言う。
「おまえら、覚えておれ。『ガナリ様』が許すはずがない。次は必ずお前を捕らえ、『ガナリ様』へ献上してみせる…!」
そのあと、遠ざかる彼らからは痛いやら血が止まらないやら騒いでいる声が聞こえた。
僕としては命に別状のない、足を狙ったのは正解だったのかもしれない。
雨は降り続く。それなのに上空は雲一つなく、打ち上げられると判断したのか、花火大会は再開したようだ。僕に背負われ、彼女の白くて透き通る頬の肌に映る、花火の明るい色。
それでも、彼女は目を覚まさない。小雨の中打ち上がる花火も綺麗だ。彼女にも見せたかった。
段差を飛び越えながら、どこか休める場所がないか走り続けた。久しぶりの全力の運動で息が切れている。
ふと、顔を上げると暗い空にはいくつもの金色の線が描かれていた。花開く姿は、まるでゴッホの名画だ。どうやら花火もフィナーレらしい。
蒸し蒸しとして生ぬるい気温で優しく振り続けた雨の中、最後は咲き乱れ、重なり、まばゆくも温かい光が初夏の夜を彩った。
花火が終わっても、まださっきの境内までは遠いようだ。体力も残り少なくなっていると、むこうに屋根がついた東屋《あずまや》が見えた。
屋根を支える柱にツタが絡み始めているが、あそこなら彼女を休ませられそうだ。通り過ぎなくてよかった。少しあそこで休もう。
東屋まですぐのきょりになると速度を落としてゆっくりと歩き出した。すると背中から、か細い声が聞こえる。
「…ん、あれ?ここって…?」
彼女は目を覚ました。僕はやっと、安堵感を覚えた。
「あっ、やっと目を覚ました!よかった、心配したよ。」
東屋のベンチに彼女をおろして腰かけさせると、隣のうつろな彼女の目を見ながら話す。
「あれ、さっきの男の人達は…?」
「彼らは僕が追い払っておいたよ。」
肩から彼女に気が付かれぬよう銃を背後に隠した。今までのことを伝えると困惑してしまうだろう。僕は彼女に何があったのかは言わなかった。
「そっか…助けに来てくれてほんとうにありがとう。ようすけ。」
不意に名前を呼ばれた僕は、素直に恥ずかしくなった。
「でも、あの男の人達って知り合い?何人も女の子一人をさらおうとするなんてひどいよ。」
彼女はなにか知っている様子だったが、話したがらない。少し俯いてから申し訳なさそうに言った。
「うん、その、心当たりはあるけれども…言えないんだ。ごめんね。なにかを盗んだり、悪いことをしてないのは確かだよ。信じてほしい。」
そう言って訴える眼差しは、黒く、まっすぐに僕を見つめる。その色は曇りなく、吸い込まれるようで、真面目な彼女の心に触れた気がした。
「わかった。美穂さんを信じるよ。いつかは、教えてね。」
「うん、必ず。君にいつか伝えたいから。」
微笑む彼女を見て、僕は肩の力が抜けたのがわかった。
「花火、終わっちゃったな。…今年もまた、見られなかったな。」
残念そうに彼女はいう。目立った外傷はないが、やはり疲れているようだ。
「そうだね。でも、美穂さんが無事で本当に良かった。そうだ、今年の八月末にも海沿いで花火大会があるから、見に行こうよ。…美穂さんが良ければだけど。」
「うん、もちろん!今度ももし、危ない人達がいたら助けてほしい。」
口先でモゴモゴと呟くようにして素直に甘える彼女が、とても可愛かった。僕は変に照れ隠しをしながら話す。
「もちろん!ま、任せといてよ!おぶって運べるし、多分!」
「多分ってなに〜?もしかして重いって思ってる?」
僕らは笑い合った。お互いの笑い声が東屋の屋根にぶつかり、反響する。
彼女は少し気に入らない様子でニヤけながら僕の頭を指でつつく。元気になったようで良かった。
いつのまにか雨はやんでいて、神社の境内に戻ってきた。荷物を預かってもらっていたたこ焼き屋の前で店主が店の片付けをしていた。
心配していたのかこちらに気がつくと、驚きと心配が混ざったような表情で話しかける。
「よかった。よく無事だったな。花火大会も終わって、心配だったんだよ。」
「はい、ご心配をおかけしました。あと荷物、預かってくださってありがとうございました!」
僕は元気よく言う。
「おうよ!おっ、お嬢さんも元気そうで何よりだ!…久しくだな。」
「はい、その節は…彼が助けに来てくれたんです。」
「ああ、よかったな。兄ちゃん、よく頑張った。」
なんだか照れてしまい、恥ずかしくなって彼女の方を見れなかった。
彼女が荷物を整理している間、僕はこっそり肩にかけた銃を店長へ返す。
「あの、これありがとうございました。お陰で誰の命を奪うことなく、無事彼女を救えました。」
「ああ、お前ならできるとわかってたからな。ちゃんと無事に返しに来てくれてありがとよ。ちゃんと彼女を送り届けんだぞ。」
そう言って、まとめておいた屋台の機材を荷台に積んだ台車をひいて、彼は境内をあとにした。
―――
昼間とは違い、ころころと静かな虫の音が街灯を照らす夜道に響いていた。
まだ非現実的なことが起きた僕らは、頭がぼんやりとしていた。少し気持ちを落ち着かせてから帰宅したいと感じ、祭り会場から少し歩いたところの見晴らしの良い、横浜の港がよく見える丘の上にいた。
この周辺は景色を一望できる穴場である。本当はここで彼女の初めての花火を見るつもりだった場所でもある。
まちを見下ろすように設置された二人掛けのベンチに座り、何事もなかったように晴れた星空を眺めていた。
「ここ、むかしから星とまちの夜景が綺麗で大好きな場所なんだ。」
「へえ〜!すごく素敵!こんな秘密の場所、教えちゃっていいの?」
「ほんとはひみつだけどね。他の人にはひみつだよ?」
「うん!ひみつね!」
普段はあまり異性の生徒と話さないと聞くが、それを疑うほど僕には心を許してくれているようだ。なんだか嬉しくなる。
セミが鳴かない夜は、草むらのすきまから低く遅い一定のペースで虫たちがあちこちで鳴いていた。その鳴き声に上書きするように、やけに気分よく彼女は話しかけてきた。
「ねえ、これからクイズしようよ。三択ね。この中で存在する星座はどれでしょう!一番『モナリ座』、二番『ワニ座』、三番『こぎつね座』!」
「おお、急に始まったな。なんか、一個目が変なことは一旦置いておいたほうがいい?」
「さあ、答えかもしれないよ?」
彼女はなんだか嬉しそうだ。
「じゃあ…二番『ワニ座』かな?」
「…ざんねん!正解はね、三番の『こぎつね座』でした〜」
そう言うと、彼女は無数の星の中から人差し指で『こぎつね座』がわかるよう、僕の目線の先まで近づき夜空をなぞり始めた。
「ここにね、夏の大三角形があるのね?その中に囲われるようにあるのがこぎつね座。普通はそれぞれの星座には神話があるんだけどね、こぎつね座はわりと最近できた星座だから、神話はないんだよ。これも私がいつも借りてる『星とおまじない』っていう本にかいてあるんだ。」
彼女は得意げに言った。
「星座を作った人はきっと、星と星をつないで星座を作ることで、そこから生まれるお話を誰かと考えたり、話したりしてほしいんじゃないかなって思ったの。そう考えたらなんだかワクワクしてこない?」
そう優しく微笑みながら、僕は深呼吸をした。
「そうだね、花火は一緒に見れなかったし、ちょっと怖い思いもしたかもしれないけど、こうやって一緒にお話ができてよかった。」
僕も、これまでの緊張感が抜けたのか、ベンチの背もたれに背中を預け、空を仰ぐ。
「私ね、さらわれた時、なぜだかようすけが助けに来てくれる気がしていたの。だからね、今日はあなたと一緒に来れて本当に良かった。」
彼女は続けた。
「今日は花火は見れなかったけど、あのこぎつね座みたいに私たちを結んだきっかけに慣れた気がする。だから私は、一緒に花火を見たい人に巡り会えたことのほうがうれしい。」
「うん、僕も嬉しい。」
「…なんだか、夏休みで『星とおまじない』の本が借りられないからつい話しすぎちゃった!…それでね、その、もしよかったらなんだけど…来週から夏休みで毎週金曜の図書室の当番もしばらくお休みだからさ、毎週金曜、この近くで一番大きい図書館で夏休みの宿題とか一緒にしない?」
彼女は緊張していたのか最初の方は小さな声だったものの、だんだんと後半になるにつれ大きくなり、最後はウキウキした様子で提案してきた。
「もちろん。こちらこそよろしく。」
「やった!よかったあ。」
僕らは毎週金曜、「図書委員の当番がなくては会えない関係」から、夏休みは毎週金曜、「図書館で会える関係」となった。
―――
日中の授業はあっという間に終わり、いつの間にか図書委員の当番の時間になっていた。
どうしよう。なんだか緊張してきた。
当番が終わるまであと十五分。学校を出て夏祭りへ向かうまで、あと十五分。
緊張とどきどきと嬉しさと、様々な感情が頭の中でぐるぐると回っている。
少しずつ暑くなっていく毎日。頭が緊張でパンクしそうな僕。貸出カウンターに設置されたPCのハードディスクが音をたてて機器内の熱を放出すると同時に、僕は深呼吸をした。
不意に彼女のほうを向くと、誰もいない図書室からの空を眺めていた。窓枠の金属部分に手を置き、振り返る。その顔はにっこりと微笑んで、嬉しそうだ。
「今日、雨降らなくてよかったね。」
とんでもなくかわいらしい。今日、僕の心は大丈夫だろうか。そして、続けて彼女は言う。
「でも、なんで私のこと誘ってくれたの?千佳ちゃんとも仲が良さそうだから、一緒に行くのかと思ったよ。」
自分でもよくわからない。ただ、僕は彼女と一緒に花火を見たいと感じただけだった。
「あいつとはこれまで行ってきたからね。それよりも、その、花火見るの初めてって言うから、転校したてで道わからないだろうし、この辺で一番よく見える場所を知ってるから、ぜひ美穂さんを連れて行きたくて。」
「ふふ、そっか。そう言ってくれてありがとう。やっぱりようすけに誘ってもらってよかった。」
その笑顔の周りを舞い落ちるように、カーテンの隙間から差し込む光が、図書室の空気中のちりをきらきらとさせていた。
ふと、僕はこの前のことを思い出す。あの、方言だか呪文だかわからないあの単語だ。軽く空気を吸ってから聞いてみる。
「ちなみに…この前言ってた、『でれすけ』って、あれってなんなの?」
「ふふ、それはね…ひみつ。」
きれいに整えられた前髪から覗かせる上目遣い。その可愛らしくも、なにか意地悪なことを考える笑顔に僕は一瞬、呼吸することを忘れてしまった。
彼女は背後の長机に積まれた本を取るために、その場で半回転してみせた。振り返って揺らめくスカートは、金魚が尾びれをなびかせるようにゆっくりに見える。
棚へ返却する作業の中で最後に残った一冊を見た彼女は、あっ、と声を出す。
「どうしたの?」
「この本好きなの。『星とおまじない』っていって、いろんな星に込められた願いや神話をたくさん描いたものなの。転校してきてからほぼ毎週借りてるんだけど私しか借りてないから、もう栞をはさんだままにしちゃってるんだった。」
そういうと、本のちょうど真ん中あたりに栞が一枚入っていた。なんだか、筆で文字が書かれた不思議なデザインだ。
「一人で不安なときとか、困ったときにたくさん勇気をもらったの。題名の通り、私にとってのおまじない。星と星をつなぐように、私が願ったこともちゃんとつなぎ合わせてくれる、そんな本。…こんな話、初めて自分以外の人にしちゃった。」
そうして彼女はまた、不思議な栞を挟んだまま棚へ戻す。
なんだか、二人だけの秘密を分かち合ったみたいで少し照れくさい。
僕が一人で頭のてっぺんをぽりぽりと照れくさそうにかいていると、嬉しそうに彼女は言った。
その最後の一冊をストン、と元の場所に戻した瞬間、壁に設置されたスピーカーを震わせ、下校のチャイムが鳴る。
今年度の図書委員の仕事が終わった。
―――
先週は図書室を出るとき、彼女は先に駆けていってしまったのに、今週は彼女が鍵をかけている。なんだか不思議だ。
「はい、鍵閉めたよ!」
そういって、彼女が不意打ちでじゃんけんを仕掛けてくると、僕は咄嗟に出したグーで負けてしまう。
「私の勝ち!先に昇降口で待ってるね。」
僕が一人で職員室に鍵を返しに行く時、担任の荒木先生に会った。
荒木先生はサッカー部の顧問で、部員のみならず男女問わず学年のみんなから荒チャン先生と呼ばれている。
新卒で先生になって八年目。一年を通して、体育祭や文化祭などクラスのイベントには情熱を注いでおり、非常にいい先生だ。服装は保護者会と三者面談以外、黒字に白いラインが入ったジャージを着ているところしか見たことがない。
あと、最近はどうやら三十路に差し掛かり、若干の焦りを覚えているらしい。
サバサバした性格だが、生徒の考えていることや小さな変化に敏感で、「誰もが相談したくなる」ような男女ともに人気のある先生だ。しかし、サッカー部員から聞く限り、部活のときは鬼に豹変するらしい。そうやって全力でぶつかってくれるというのも、またいい先生なのだろう。
「おお、青井くん、図書委員帰り?」
絵に描いたような「体育教師」のように汗でタオルを拭いながら、片手にバスケットボールを持って席に座った。(社会科教師だが。)
「あ、はい。金曜当番なんで。荒チャン先生は今日のお祭りいくんですか?」
「おいおい、下校帰りに寄り道しちゃだめだぞ。それを堂々と教師に聞くな。あと、私に一緒に行く相手がいるかも聞くなよー。」
「隣のクラスの矢口先生とかどうですか?胸板厚くて、筋肉ムキムキですよ?しかも化学の教師なので、理系です。頭いいですよ。」
「あー、優しくていい先生だけどね、私細マッチョ派なんだよね。これ秘密ね。」
どんまい矢口先生。僕はお似合いだと思ったんだけど、残念。人知れず、振られてしまっていることは本人に言わないでおこう。
「それはそうと、寄り道はだめだぞ。『たまたま』下校の道でお祭りがやってて、『たまたま』青春の思い出に欠かせないものだったらしょうがないけどね。」
こういうところが本当にいい先生なんだなと思う。あと、サバサバしたところがどこか母ちゃんに似てる。
「とにかく明日から夏休みだからって、危ない事件とかに巻き込まれちゃだめだぞ!あと、今年は受験生なんだからちゃんと勉強もすること。でも、今しかできない時間を大切にね。」
はあい、と気の抜けた返事をし、スライド式の扉の前で一礼をした僕は、職員室をあとにした。
下駄箱で靴を履いていると、昇降口で空を眺めて待っていた彼女がこちらに気がつく。僕が声をかけると柱に寄りかかっていたその身を起こし、隣を歩き出した。
胸元に揺れる濃い青のリボンが揺れ、落ち着いた深い灰色のスカートが風になびく。電車で見た他校の女子生徒はもっと明るい色で、もっと短い印象を受けた。
拘束が厳しいウチの高校の校則はなんだかこう、綺麗な彼女の雰囲気に合っているなと感じた。
雨上がりの夕暮れ。肌をじんわりと汗ばませるような熱気と、青々とした草の匂いが混じる空気。むせ返る昼の暑さを、今日一番赤く燃えた色をした太陽が、明日に持ち帰るように夜になっていく。
白熱電球の街灯がチカチカと数回点滅してからつき、木々に囲まれた公園の外側に沿って、歩いた。
なにか話すべきだろうか。ローファーがコンクリートを踏みしめる音が響き、かすかに遠くから聞こえる祭りの賑わいがそう感じさせた。
時折、風が吹いて彼女の長い髪を揺らすと、隣からふわりとやわらかい香りがする。
神社までにかろうじて作られた一方通行の車道。そこに合わせた細いコンクリートの歩道が、二人の手の甲を近づけた。
沈黙さえ心地良い時間が、緊張で脈打つ鼓動をより大きなものに感じさせる。
何か話そうか迷っているうちに灰色の鳥居の前についてしまった。
―――
普段は子どもたちで賑わう境内も、今夜は異なる空気を醸していた。
吸い込まれる雑踏のはじまり。本殿までの一本道。両サイドには斜めの屋根から垂れ下がるようにして、濃い色かつ太めのフォントで売り物の名を連ねていた。
狭い入口には浴衣姿の女子中学生がコンクリートの段差に腰掛けてラムネを飲み、自治会の名が刻まれたハッピを羽織る中年男性は知り合いを見つけるとがに股で近づき、肩を叩いて声をかけている。
父親とつないだ手の反対側には、数匹の小さな金魚が三角の透明な袋の中でゆらめいている浴衣姿の子供とすれ違った。
人混みと、訪れた人それぞれに彩られた夏の始まりが押し寄せ戸惑いつつも、どこか心を踊らす自分がいる。
もくもくと舞い上がる煙。パンパンに入れられた綿菓子のキャラクター。賑やかな会話が行き交う。
隣の彼女は体内全ての空気を吐き出すように「わあ」と声を漏らしていた。首をブンブンと振って辺りをくまなく見渡している。どうやら彼女はわくわくしているようだ。普段はクールな印象だが、意外とわかりやすいのかもしれない。
「ねえ、花火が上がるまでまだ時間がありそうだから、屋台を回ろうよ。」
僕らは歩き出した。二人の制服の半袖シャツの白さが、明るい祭りの色でより浮いていた。時折、僕を見つめてくる彼女の瞳の中には、道の左右にぶら下がるちょうちんがぼんやりと映っていた。
僕は目を合わせるのに、少し緊張してしまった。
「ねえ、なんか夏って感じだね。」
そういった左側に立つ彼女は突然、僕の左手を握る。
彼女も恥ずかしいのかもしれない。手を繋ぐ前より目が合わず、屋台を眺めるふりをして顔をそむけていた。
彼女の長い髪からのぞく耳の先は赤くなっている。僕も同じように、なんとなく提灯側に身を寄せることで、その明るい暖色の光でごまかした。
すると突然、彼女はなにかに気がつくと僕の手を引っ張り、小走りで屋台へ進んでいった。立ち止まったのは、お面の屋台だった。
木枠にくくりつけられた商品の中で、彼女は迷いもなく、白地に赤があしらわれた狐のお面をもち、おもむろに頭の側面に沿って斜めにあててみせて言う。
「…似合う?」
正直、彼女のその白い肌にお面がよく似合っていた。思わず可愛いと言ってしまいたかったが、変なプライドが邪魔をして「うん、似合うよ」としか言えなかったことは未だに少し、後悔をしている。
もちろん欲しそうな目をしていたので、買う。僕がお面を渡そうとすると、嬉しそうに頭を下げて、つけてもらうのを待っていた。
僕は先ほどの角度で斜めに彼女の頭に紐をかける。すると、「ありがとう」と小さく跳ねながら喜んでいた。
日が落ち、提灯の光は周囲の人混みの影をより濃く、より輪郭をぼやかしている。彼女は隣でぎゅっと手を握ってきた。
「あのね、私、今すごくたのしい。」
その瞬間、まるでシャッタースピードが遅くなったように人々の残像が伸び、景色を切り取る。僕は自分の心臓の音で、周囲の音は聞こえなくなった。
僕が照れくさそうにしていると、また急に手を引っ張り屋台へ駆け出す。そこは金魚すくいの屋台だった。
金魚が泳ぐ青色の水槽の前でしゃがんだ色白の肌。
小銭を店主に渡すと垂れ下がる長い黒髪を耳にかけ、そこから現れた丸い瞳はポイを片手にずっと黒いデメキンを追いかけていた。
彼女の向こう側から照らされる光によって綺麗な鼻筋の輪郭の横顔が気になり、ポイを水に浸しすぎたことは、彼女には言えなかった。
金魚が一匹も手に入らなかったとしても、彼女は嬉しそうだった。
ただ、こんなところで男、青井陽介は終われない。せっかくのお祭りデートなんだから。
金魚すくいでかっこいいところを見せられなかった僕は、射的の屋台の前で立ち止まる。
「美穂さん、なにか欲しい景品ってある?」
僕がそういうと、彼女はきょとんとしながらひな壇のように赤い布の上に並べられた景品たちに目を移した。
すると、思いの外すぐに決まったのか、人差し指で「…あれ」と言う。その先には、茶色いくまのぬいぐるみがニッコリと座っており、彼女は顔の半分を狐の仮面に隠しながら、申し訳なさそうに欲しそうにしていた。
「よし、わかった!任せて!」
そういって自信満々に進みだした。優しい彼女は少し驚いて、僕の手に引かれながらついてくる。
無愛想な射的の屋台の店主に一回分の料金を支払って、弾代わりのコルクを受け取る。弾を詰めていると、脳裏に声がよぎった。
「いいか、この世のすべてのものには必ず撃ち落とすための重心の的があるんだ。お前は俺に似て、きっと射的が得意だ。目をみればわかる。」
ふと、顔は思い出せないが、きっと親父だ。低くてどこか懐かしい声がする。
その言葉を信じ、銃の引き金を引いた。弾は勢いよく破裂音を弾かせ、熱気を帯びた祭りの空気を切り裂くように一直線に進む。
ペコンと高い音が響き、二段目に座る茶色いクマのぬいぐるみは落とされる。二発目のタバコ型の駄菓子も半回転し、宙を舞った。
無愛想な射的の屋台の店主もこのときは、少し片方の口角を上げ、嬉しそうに景品を手渡す。
「え!すごい!ありがとう。かっこいいね!」
自分の頬が熱くなるのがわかる。それと同時に、はしゃぐ彼女を見て、僕はホッとした。
この時ばかりは、親父に感謝の意を評した。(あまり覚えていないけれども)
ぬいぐるみを抱きかかえながら手をつなぎ歩く彼女は、匂いに誘われ、たこ焼きの屋台へ進んでいく。一人で店番をしている店主らしき男に声をかけた。
「いらっしゃい、カリカリのたこ焼き、いくつ買うかい?」
店主は一見、裏社会を牛耳るような面持ちの強面だったが、想像以上に優しく、気前のいいねじり鉢巻の笑顔が印象的だった。
「六個入り一つください」
「あいよお!ちょっと待っててな。あれ、兄ちゃんと姉ちゃんは今いくつだい?」
「…今年で十七になります。」
「そうか!そしたら、俺んとこの子供とおなじだな!そしたら、二個おまけしてやる!あいよ!」
「ありがとうございます!また来ます!」
「おう、いつでも待ってるぜ!」
普通のチェーンたこ焼き屋に比べてしまうと割高だが、なぜかとても美味しく感じる。この雰囲気や一期一会のやり取りがより美味しいものにさせるのだろうと実感する。
湯気を立てるたこ焼きをその場で分け合って食べ終わると、僕らは公園の奥へと進む。
祭りの公園内は行き交う人々がすれ違い、公園の奥から来る人並みと出入り口から進む人並みに分かれていた。会場は盆踊りの音頭を音割れ気味のスピーカーから爆音で流れる。
あと数分で打ち上がる花火を見るための場所取りをしている人々もおり、若干ではあるが屋台が空き始めた。
彼女とさっき食べたたこ焼きのタコの大きさについて話していると、道の折り返し地点に差し掛かるところで、反対の人混みから声がした。
聞き馴染みのある声。
「あれっ、よーすけ?」
これまで話をしていた彼女から目を離して、声のする方へ振り向く。僕は思わず声を漏らしてしまった。
「…なんで、お前ら一緒に。」
そこにはなんと、浴衣姿の千佳と私服姿の雅也が並んでいた。
「え、なんで、雅也と一緒に?」
意外だった。二人の接点はあまり想像できなかったからだ。
「そりゃだって、よーすけが私の誘いを断ったしかないじゃない。」
「おいおい、妥協して俺と来たってのかー?」
少し拗ねる千佳の隣で、顔を覗き込むように雅也は笑いながら言った。
「え、断ってたの?」
繋いだ手を後ろに隠すようにして、耳元で僕にささやく彼女。なんだか気まずい。
「でも、お二人さんお似合いじゃん?」
茶化しながら指を指す雅也。
「なによ、ほら、私達もむこう行くよ!」
千佳に引っ張られ、雅也は慣れない下駄によろめきながら、僕らとは反対側の人並みに消えていった。
ばったり出会ったときから今このときまで、なんだか心の底がモヤッとした。中学生の頃からずっと一緒で、これまでもこれからもずっとそばにいるものだと思っていた。
きっと恋愛感情とかではない、好きがずっとあって。でも、その感情ごと奪われたような気がした。
僕は急に中学時代のことを思い出した。
―――
「よーすけにずっと『彼女』ができなかったら、私が彼女になってあげようか?」
中学一年の夏。急に千佳はそういった。
千佳の両親は中華料理屋を営んでいて家に誰もおらず、親同士の仲が良かったこともあり、放課後はよくウチで遊んでいた。
宿題が一区切りついた縁側。冷蔵庫にあるスイカを二人でかじりつき、首をゆっくりと振る扇風機の電源を切って公園へ駆け出した。
向かい風で張り付く前髪すら気にしない、無邪気な笑顔。いつもの公園でブランコを漕いでいたあるときのこと。
体内の空気を押し出すようにして、ブランコの最大到達点でそういった千佳は、冗談っぽくいっていたが、あれはおそらく本気だった。
僕はちょうど地面に足をついていたときだったから、顔は見えていない。
突然のこと過ぎて、自分が驚いていたことはよく覚えている。
その時の千佳は雲一つない空に熱く輝く太陽に重なり、僕から見ると逆光となった姿は黒いシルエットとなっていた。
僕は、あのとき、千佳になんて答えたのだろう。
―――
千佳は今、どう思っているのだろう。そして、雅也のことが好きなのだろうか。
頭の中をぐるぐる巡っていると、彼女は僕の半袖を引っ張り、声をかけてきた。
「…大丈夫?どうかした?」
心配そうにして、彼女は聞いてくる。
「ううん、なんでもない。ありがとう。…あっ、そろそろ花火の見える場所に行こうか。あそこの丘から打ち上げられるから、そこと同じ高さの公園があるんだ。きっとよく見えるから、あっちの階段を登るとね…」
突然、白い閃光が視界を眩ませた。まだ言葉を最後まで言い終わらないうちに、目の前は白一色となった。意識を失う直前の景色の中、見知らぬ男の手が僕の隣の彼女の腕を掴むのが見えた。
僕はその手に押されて思わず体勢を崩し、倒れてしまった。その光景はゆっくりと倒れ込む、まるでスローモーションで再生される。
その眩しさと衝撃で僕や周囲の人々は数分、意識を失ってしまった。
目がなれるまでは数十秒かかり、まぶたを何度も開けたり閉じたりして、視界を慣らしていく。周囲の人々のあたりをキョロキョロと見回すと、同じように地面に座り込んだ人も多く、祭り会場内は混乱した様子だった。
会場のアナウンスによると、花火の試し打ちとして打ち上げたものの、光が一点に集中した不発弾によるものだという。
少しずつ視界が戻り、先ほどまで降っていた雨の湿っぽさを含んだ、石畳の冷たさを手のひらに感じながら、上体をゆっくり起こす。
「美穂さん?」
すると、隣には先ほどまで手を繋いでいたはずの彼女の姿は、いなくなっていた。
まだふらつく足元をなだめながら、あたりを見回し彼女を探す。
状況を把握するのに時間がかかり、彼女の姿がないことを理解した途端、焦りと不安でじんわりと汗ばんだことがわかる。
早くなる鼓動。脳に酸素を送り込む。気がついたら、すでに僕は走り出していた。
境内に溢れかえる人並みをかき分けざわつく雑踏の中、僕は彼女を探した。
わかるはずだ。この会場で狐のお面をつけている制服姿の女性なんて。それなのに、辺りを見回しても見つからない。
たった一度かもしれない。彼女と過ごす夏は。この夏を逃したら、もう一生そばにいれない気がした。
気がついたときには境内の奥に構えた神社の本殿にたどり着いてしまった。それでも彼女は見つからない。
帰ってしまったのなら構わない。またデートに誘えばいい。しかし、薄れていく記憶の中で男の腕がよぎっているのだ。
花火まであと五分。急かすようなカウントダウンのように、会場の女性のアナウンスが響いた嫌な予感がする。どうか、無事であってくれ。
本殿の階段を降り、来た道を折り返し進み始めると、同じところへ戻ってきてしまった。
持久走の後に感じる、喉の奥の血の味。あの味を感じながら、過呼吸気味で肩で息をしていた。すると、後ろから声がする。
「あれ、さっきの兄ちゃんじゃねえか?」
先ほどのたこ焼き屋の店主が話しかけてきた。
「いやー、さっきの光はすごかったなー。そういや一緒にいたお嬢さんはどうしたんだい?」
「いえ、あの、それどころではなくて、その、いなくなってしまったんです。」
「その様子だと、ただ事ではないみたいだな。とりあえず水でも飲んで落ち着け。」
さっきまでの気前の良さとはうってかわり、状況の異常さに気が付き冷静に対応してくれた。状況を説明していると、彼は問いかけてきた。
「とりあえず、さっきまでいた場所はそこなんだな?」
たこ焼き屋の店主は膝が悪いらしく片足をかばうように進み、本殿へ伸びる閃光の瞬間にさっきまで二人でいた石畳の前に立ち止まった。
「この足跡、なんだ?」
つぶやく僕の目線の先、石畳の横には明らかに不自然な複数の足跡がはっきりと残り、なにかが暴れたように乱れた形跡があった。
「さっきまでの雨で足跡が残っていたんだな。…ん?この足跡は『草履』だな?しかも何人もの男物のようだ。」
「今日は盆踊りや神輿を担ぐ事があるが、彼らは必ず草履ではなく『足袋』を履くことになっている。だから草履はこの会場で履くことはない。」
僕より先に動き出した彼は足をかばい、足跡をたどる。その目線の先の茂みは、明らかに人為的にくぼみ、無理やり人が通った跡がある。
ここから先は必ずなにかある。僕の直感はそう言っている。
それでも、彼女の身に何かあってからでは遅いのだ。
吸い込まれるような夜の闇を見つめ、呼吸を整えていると店長が声を掛けてきた。
「君はこれから行くというんだな。この足では役に立てなくて申し訳ない。代わりにこの銃を持っていくといい。」
そう言うと彼は肩に担いで銃を運んできた。
見た目は先ほど遊んだ、隣の射的屋にあったものとよく似ているが、材質が異なり、年季が入った様子も相まって重厚感があった。
バランスを崩さぬよう地面をついて、そのまま店主は話し続ける。
「これは一見、さっき兄ちゃんがつかっていたものと似ているが、本物の銃だ。中にはいくつか弾が込められている。」
店長は目の色を変え、落ち着いた声で肩に担いでいた銃を渡してきた。
持ってみると思ったよりもズッシリと重みを感じ、抱えた両腕が下に引っ張られた。
「えっ、それって法律に引っかかるんじゃ…」
「普通はだめだが、俺のこの銃だけは許可されている。この銃の撃ち方については、お前は知っているはずだ。敵の命だけは奪うなよ。」
なんだ。この声、この話し方。僕は聞いたことがある。遥か昔に。
「あっ、えっと、その…」
「うん、聞きたいことはあるだろうが、まずは、素敵なお嬢ちゃん今すぐ救ってこい。」
「わ、わかりました…!必ず、助けてきます!」
僕は店長に二人分の学校のカバンを預け、茂みの闇の中へ飛び込み、駆け出した。
ーーー
どれぐらい走り続けたのだろうか。
街灯一つもない暗い森の中。時折当たる枝が痛いが、足跡を見逃すわけには行かない。
彼女は無事だろうか。
雨上がりのお陰で足跡は消えておらず、しばらくは追いかけるのが簡単だったが、突如現れた芝生の分かれ道。足跡が途絶える。手がかりを探すためあたりを見回すと、左の道になにか白いものが落ちているのが見えた。
「これって、狐のお面だ。まさか。」
それは狐のお面だった。さっき、彼女に買ってあげたものに間違いない。
僕はそのときの嬉しそうにこちらを向く笑顔を思い出し、より一層力を振り絞って坂道を登る。すると、
チリン、チリンチリン
遠くから鈴の音がした。どこかで聞き覚えがある。
透き通った、軽くて深い、そんな心地よい音。
二個くらいの鈴が紐に繋がれ、ぶつかり合い、音色を響かせている。
その音のなる方へ進んでいくと、木々が生い茂る林で少し開けた空間から、何人か声を荒げた男の声がした。僕は距離を置き、息を潜めながら耳を澄ました。
―――
「おい、お前高久美穂だろ?ここまで探すの大変だったんだぜ?」
小太りの男がヘラヘラ笑いながら言う。そこにいたのは六人組の集団であり、いずれも黒い和服の装束に身を包んでいた。彼はそのリーダーのようだ。
頭や顔には正体がバレぬよう深緑のバンダナを巻いており、リーダーの彼だけは血のような深い赤のバンダナを身に着けている。
彼女の両腕はその構成員の二人に差し押さえられ、身動きが取れなくなっていた。
「一体、何が目的なのよ!!!離しなさいよ!!!」
彼女は声を荒げた。気を強く保っているものの、どこか声は震えており恐怖感が隠しきれない、そんな感情が伝わる。
僕は下唇を噛み締め、見たこともないその屈強な男たちを前に、なにもできずにいる。
「俺達は『ガナリ様』の仰せのまま、お前を生け捕りにするのだ。花火が上がる今日がチャンスだと聞いていたが、まさか本当に現れるとはな。」
「ああ、こいつの言うとおりだ。大人しくしていれば、危害は加えぬ。今のうちは、な?」
不敵な笑みを浮かべながら赤いバンダナの男の両サイドに立つ男は言った。
どうしよう。どうやったら彼女を救えるのだろう。
焦る気持ちとは裏腹に、今は彼らに存在を気づかれぬよう呼吸を抑えるので精一杯だ。
自分もバレたらどうしよう。自分はなにができるだろう。何もかも不安だった。
それでも僕の体は怖がる心を置いて、戦おうとしている。
とりあえず、肩にかけた銃を目にした。記憶の中では初めて手にしたものの、なぜか見覚えがある。すると、手が勝手に狙撃時の手順や照準の合わせ方などを体が知っているかのように着々と狙撃準備へ移った。
「あれ、どうして…」
少し、記憶のない記憶に戸惑いながらも、どこから湧き出てくるかわからない、自分自身の勇気に後押しされて、深呼吸をして気持ちを整える。
果たしてこの状況の運命を、この銃一つに委ねてもよいのだろうか。
しかも、銃の威力もわからない。だが、しっかりとした重みと使い込まれたその表面から、どこか安心感を覚えた。
だんだんと冷静さを取り戻してはきたものの、相手は複数。さらに使った記憶のない銃に加えて、ここで狙撃をすることで生じる大きなリスクに気がつく。それは「音」である。
敵は六人かつ、屈強な男たちである。こちらの気配に気がついたら、僕の身どころか彼女に危害を与えかねない。さらに、僕の唯一の武器である店長から渡された銃はどれほどの狙撃音を発するかわからない。
少なくとも射的屋の娯楽用ですら音が大きいことから、安直に引き金をひくことはできない。茂みの向こうの花火の観客の耳に届く音であれば、騒がしいその音を聞きつけた一般人が巻き添えになりかねない。
考えるんだ。どうにかして、安全かつ確実に彼女を助けるんだ。
カラカラに乾いた喉を少しでも潤すため、唾をゆっくりと飲み込んだ。焦りと緊張が鼓動を早くしていく。
敵を殺さぬよう、誤って彼女に当たらぬよう、敵六人分の足を狙うことは決めていた。そのためには一体、どのタイミングで撃てばいいのか。機会を見計らっていると、彼らは彼女の上半身を覆うほどの麻袋をかけ、どこかへ連れ去ろうとしている。モタモタなんかしていられない。
焦った僕は、「待ってくれ」と声が出そうになり、口をパクパクとさせた。
すると突然、夜空が明るくなった。僕は驚いて、その光のする方へ目をやる。
先ほどの閃光ほどはまぶしくはなく、いくつかの火薬が一点で爆発し、鮮やかに金色の線が広がった。
そう、それはこの祭りの大目玉である、花火だった。見事な大輪の花である。そして、時間差で打ち上げたときに発生する打ち上げ音がした。遠くからは観客の歓声が聞こえる。
そうか。これだ。
僕はそう思い、目を見開いて呼吸を止めた。「覚悟」というものを初めて決めた。そんな気がした。右目をつぶり、左目で銃の先端の突起と手前のくぼみを覗く。狙うはリーダーの右ふくらはぎだ。お願いだ。当たってくれ。
僕が右手の人差し指、第二関節でしっかりと引き金をひいたのは、次の花火が打ち上がった4秒後のことだった。
うっそうと生い茂る木々を抜け、楽しそうに花火を観覧しているであろう、境内周囲の客たちにも聞こえるほど響き渡る銃声。
銃口から立ち上る煙と香ばしい火薬の焦げたようなにおいは、狙いへ一直線に放たれ、普通の銃弾とは違う黄金色の銃弾を力強く押し出した証だった。
湿った夏の夜の空気を切り裂くように、花火で姿が照らされた、赤いバンダナの男の右ふくらはぎを見事に貫通していた。
「ぐあっっっっ!なんだ!」
苦しそうにそう叫び、体をひねるように崩れ落ちた大きな体を見て、他の男たちは状況が飲み込めぬようで驚き、硬直していた。
これなら、いける。
僕は容赦なく二発、三発と、いずれも花火が打ち上がってから四秒の時間差で引き金を引き続ける。全て命中し、男たちは濡れた雑草に転がり、悶え苦しんでいた。
そう、僕が狙撃をしたのは、花火の打ち上げ音と重なる花火が打ち上がってからの四秒。それは打ち上げた際の爆発的な音がここまで届く時間だ。
前に矢口先生が化学の授業で「光と音の速度は異なり、光のほうが早く届く」と言っていた。ここから花火の発射台までだいたい一キロ程度。まさかこんなところで役に立つとは。
僕は、その大きな打ち上げ音に合わせ、引き金を引く。これで男たちにも周囲の観客にも気が付かれず、狙撃を可能にしたのだ。
その甲斐あって、彼らは全員倒れ込み、風穴が空いた赤く染まる患部を抑えながら転がり、苦しんでいる。
よく、ドラマを見ていると空になった銃弾は不思議と地面に散らばっているが、この銃はそういう代物なのか、落ちておらずレシートのような白い長方形の紙が落ちていた。彼らが打たれた拍子で落としたのだろうか。
突然、雨が降り出した。銃口から一筋に立ち上る煙をかき消すように木々の葉を打っては、サラサラと音を立てて地面を濡らし始める。
僕はすかさず、茂みを飛び出し、滑りやすくなった雑草を力強く踏みしめて、彼女のもとへ駆け寄った。
「美穂さん、大丈夫!?」
彼女に被さっていた麻袋を投げ捨てるように外すと、恐怖感に苛まれ、涙目の彼女が小刻みに震えながら、今にも消えてしまいそうな呼吸をしていた。
「…ようすけ?…よかった。助けてくれて…ありがと…」
彼女は薄く開いていた目で僕を見ると、少しずつ安心した様子で目をつぶってしまった。揺さぶって声をかけても、彼女はひどく弱った様子で返事がない。どうやら気を失っているみたいだが、呼吸はあるようだ。
僕は急いで彼女を背負い、悶える男たちを踏まぬよう、人と人の間を縫って進む。
男たちは間近で見ても今の時代には合わない黒い和服の装束で、彼らからは鼻につく、漢方や薬草やらのたぐいのような、独特な植物の香りを感じた。
彼らは痛みに苦しみ、自身のふくらはぎを抑えて、立ち去る僕らに向かって言う。
「おまえら、覚えておれ。『ガナリ様』が許すはずがない。次は必ずお前を捕らえ、『ガナリ様』へ献上してみせる…!」
そのあと、遠ざかる彼らからは痛いやら血が止まらないやら騒いでいる声が聞こえた。
僕としては命に別状のない、足を狙ったのは正解だったのかもしれない。
雨は降り続く。それなのに上空は雲一つなく、打ち上げられると判断したのか、花火大会は再開したようだ。僕に背負われ、彼女の白くて透き通る頬の肌に映る、花火の明るい色。
それでも、彼女は目を覚まさない。小雨の中打ち上がる花火も綺麗だ。彼女にも見せたかった。
段差を飛び越えながら、どこか休める場所がないか走り続けた。久しぶりの全力の運動で息が切れている。
ふと、顔を上げると暗い空にはいくつもの金色の線が描かれていた。花開く姿は、まるでゴッホの名画だ。どうやら花火もフィナーレらしい。
蒸し蒸しとして生ぬるい気温で優しく振り続けた雨の中、最後は咲き乱れ、重なり、まばゆくも温かい光が初夏の夜を彩った。
花火が終わっても、まださっきの境内までは遠いようだ。体力も残り少なくなっていると、むこうに屋根がついた東屋《あずまや》が見えた。
屋根を支える柱にツタが絡み始めているが、あそこなら彼女を休ませられそうだ。通り過ぎなくてよかった。少しあそこで休もう。
東屋まですぐのきょりになると速度を落としてゆっくりと歩き出した。すると背中から、か細い声が聞こえる。
「…ん、あれ?ここって…?」
彼女は目を覚ました。僕はやっと、安堵感を覚えた。
「あっ、やっと目を覚ました!よかった、心配したよ。」
東屋のベンチに彼女をおろして腰かけさせると、隣のうつろな彼女の目を見ながら話す。
「あれ、さっきの男の人達は…?」
「彼らは僕が追い払っておいたよ。」
肩から彼女に気が付かれぬよう銃を背後に隠した。今までのことを伝えると困惑してしまうだろう。僕は彼女に何があったのかは言わなかった。
「そっか…助けに来てくれてほんとうにありがとう。ようすけ。」
不意に名前を呼ばれた僕は、素直に恥ずかしくなった。
「でも、あの男の人達って知り合い?何人も女の子一人をさらおうとするなんてひどいよ。」
彼女はなにか知っている様子だったが、話したがらない。少し俯いてから申し訳なさそうに言った。
「うん、その、心当たりはあるけれども…言えないんだ。ごめんね。なにかを盗んだり、悪いことをしてないのは確かだよ。信じてほしい。」
そう言って訴える眼差しは、黒く、まっすぐに僕を見つめる。その色は曇りなく、吸い込まれるようで、真面目な彼女の心に触れた気がした。
「わかった。美穂さんを信じるよ。いつかは、教えてね。」
「うん、必ず。君にいつか伝えたいから。」
微笑む彼女を見て、僕は肩の力が抜けたのがわかった。
「花火、終わっちゃったな。…今年もまた、見られなかったな。」
残念そうに彼女はいう。目立った外傷はないが、やはり疲れているようだ。
「そうだね。でも、美穂さんが無事で本当に良かった。そうだ、今年の八月末にも海沿いで花火大会があるから、見に行こうよ。…美穂さんが良ければだけど。」
「うん、もちろん!今度ももし、危ない人達がいたら助けてほしい。」
口先でモゴモゴと呟くようにして素直に甘える彼女が、とても可愛かった。僕は変に照れ隠しをしながら話す。
「もちろん!ま、任せといてよ!おぶって運べるし、多分!」
「多分ってなに〜?もしかして重いって思ってる?」
僕らは笑い合った。お互いの笑い声が東屋の屋根にぶつかり、反響する。
彼女は少し気に入らない様子でニヤけながら僕の頭を指でつつく。元気になったようで良かった。
いつのまにか雨はやんでいて、神社の境内に戻ってきた。荷物を預かってもらっていたたこ焼き屋の前で店主が店の片付けをしていた。
心配していたのかこちらに気がつくと、驚きと心配が混ざったような表情で話しかける。
「よかった。よく無事だったな。花火大会も終わって、心配だったんだよ。」
「はい、ご心配をおかけしました。あと荷物、預かってくださってありがとうございました!」
僕は元気よく言う。
「おうよ!おっ、お嬢さんも元気そうで何よりだ!…久しくだな。」
「はい、その節は…彼が助けに来てくれたんです。」
「ああ、よかったな。兄ちゃん、よく頑張った。」
なんだか照れてしまい、恥ずかしくなって彼女の方を見れなかった。
彼女が荷物を整理している間、僕はこっそり肩にかけた銃を店長へ返す。
「あの、これありがとうございました。お陰で誰の命を奪うことなく、無事彼女を救えました。」
「ああ、お前ならできるとわかってたからな。ちゃんと無事に返しに来てくれてありがとよ。ちゃんと彼女を送り届けんだぞ。」
そう言って、まとめておいた屋台の機材を荷台に積んだ台車をひいて、彼は境内をあとにした。
―――
昼間とは違い、ころころと静かな虫の音が街灯を照らす夜道に響いていた。
まだ非現実的なことが起きた僕らは、頭がぼんやりとしていた。少し気持ちを落ち着かせてから帰宅したいと感じ、祭り会場から少し歩いたところの見晴らしの良い、横浜の港がよく見える丘の上にいた。
この周辺は景色を一望できる穴場である。本当はここで彼女の初めての花火を見るつもりだった場所でもある。
まちを見下ろすように設置された二人掛けのベンチに座り、何事もなかったように晴れた星空を眺めていた。
「ここ、むかしから星とまちの夜景が綺麗で大好きな場所なんだ。」
「へえ〜!すごく素敵!こんな秘密の場所、教えちゃっていいの?」
「ほんとはひみつだけどね。他の人にはひみつだよ?」
「うん!ひみつね!」
普段はあまり異性の生徒と話さないと聞くが、それを疑うほど僕には心を許してくれているようだ。なんだか嬉しくなる。
セミが鳴かない夜は、草むらのすきまから低く遅い一定のペースで虫たちがあちこちで鳴いていた。その鳴き声に上書きするように、やけに気分よく彼女は話しかけてきた。
「ねえ、これからクイズしようよ。三択ね。この中で存在する星座はどれでしょう!一番『モナリ座』、二番『ワニ座』、三番『こぎつね座』!」
「おお、急に始まったな。なんか、一個目が変なことは一旦置いておいたほうがいい?」
「さあ、答えかもしれないよ?」
彼女はなんだか嬉しそうだ。
「じゃあ…二番『ワニ座』かな?」
「…ざんねん!正解はね、三番の『こぎつね座』でした〜」
そう言うと、彼女は無数の星の中から人差し指で『こぎつね座』がわかるよう、僕の目線の先まで近づき夜空をなぞり始めた。
「ここにね、夏の大三角形があるのね?その中に囲われるようにあるのがこぎつね座。普通はそれぞれの星座には神話があるんだけどね、こぎつね座はわりと最近できた星座だから、神話はないんだよ。これも私がいつも借りてる『星とおまじない』っていう本にかいてあるんだ。」
彼女は得意げに言った。
「星座を作った人はきっと、星と星をつないで星座を作ることで、そこから生まれるお話を誰かと考えたり、話したりしてほしいんじゃないかなって思ったの。そう考えたらなんだかワクワクしてこない?」
そう優しく微笑みながら、僕は深呼吸をした。
「そうだね、花火は一緒に見れなかったし、ちょっと怖い思いもしたかもしれないけど、こうやって一緒にお話ができてよかった。」
僕も、これまでの緊張感が抜けたのか、ベンチの背もたれに背中を預け、空を仰ぐ。
「私ね、さらわれた時、なぜだかようすけが助けに来てくれる気がしていたの。だからね、今日はあなたと一緒に来れて本当に良かった。」
彼女は続けた。
「今日は花火は見れなかったけど、あのこぎつね座みたいに私たちを結んだきっかけに慣れた気がする。だから私は、一緒に花火を見たい人に巡り会えたことのほうがうれしい。」
「うん、僕も嬉しい。」
「…なんだか、夏休みで『星とおまじない』の本が借りられないからつい話しすぎちゃった!…それでね、その、もしよかったらなんだけど…来週から夏休みで毎週金曜の図書室の当番もしばらくお休みだからさ、毎週金曜、この近くで一番大きい図書館で夏休みの宿題とか一緒にしない?」
彼女は緊張していたのか最初の方は小さな声だったものの、だんだんと後半になるにつれ大きくなり、最後はウキウキした様子で提案してきた。
「もちろん。こちらこそよろしく。」
「やった!よかったあ。」
僕らは毎週金曜、「図書委員の当番がなくては会えない関係」から、夏休みは毎週金曜、「図書館で会える関係」となった。
―――
