俺たちが恋人になって数週間が経ち、十月に突入した。
 夜野くんと決めた恋人の条件を守りつつ、一週間に一回は二人で出かけた。帰り道も途中まで一緒なので二人で下校をする。
 席も隣だから、恋人アピールは徐々にクラスに浸透し、当たり前の光景になっていったようだ。
 はじめこそ俺たちの仲を怪しんだり、ちゃかしたりする人もいたりしたが、少しは落ち着いたようだ。
「朝比奈、着こみすぎじゃね?」
「季節の変わり目で寒くて」
 十月に入ると一気に気温が下がった。
 そのため、俺はシャツの上にカーディガンを羽織り、その上からブレザーと、すでに冬服さながらの完全武装だ。
 夕田は「夜野にあっためてもらったら?」とちゃかし、俺のわき腹を肘でつつく。夕田のこういういじりはずっと変わらずで、慣れてきたとはいえ鬱陶しく感じる。
「おはよ、朝比奈」
「お、おはよ。夜野くん」
 ポンと肩を叩かれ、振り返る。そこにはいつも通りツンとした表情の夜野くんがいて、俺の隣の席にリュックを置くなり会話にまざってきた。
 夜野くんは俺の肩に顎を乗せ、後ろから威嚇するように夕田を見ているようで、またすぐ逃げてしまった。
「夕田に威嚇した?」
「また絡まれてたから助けてあげた。俺のほうが迷惑だった?」
「………………そういうことなら、迷惑じゃない」
「意外と燃料ってすぐ尽きるぞ。無理してあわせて、笑ってないで……俺と一緒にいればいいのに」
「え、それってどういう……あいたたたた! 顎!」
 ぐりぐりと尖った顎で俺の肩を突き刺してくる。
 耳元で何かぼそっと言われたような気がしたが、それが何なのか聞き取れなかった。
(夜野くんって、俺と恋人になってからちょっと……うん、優しくなったというか)
 元から優しいかったのか、それとも優しくなったのか。
 一緒に帰るときに車道側を歩いてくれたり、朝方学校で必要なものを事前にメッセージで連絡してくれたり。意外とこまめに連絡をくれて助かっているし、嬉しかった。
 しかし、恋人になってしばらくたったある日のこと。
 そんな夜野くんからのメッセージでにやけているところを妹と姉に見つかり「恋人出来たの!?」と詰め寄られてしまった。一応「恋人」と紹介すると、その後はガンづめされて写真まで要求され涙目になったのが記憶に新しい。でも、二人とも俺が男である夜野と付き合っていることに関して何か言うことはなかった。むしろ「イケメンすぎる」、「今度家に連れてこい」とまで脅迫されてしまった。
(俺と夜野くんは恋人)
 責任取って期限付きだけど恋人をやらせてもらっている。
 それも一か月ほど経てば板についてきて、夜野くんが隣にいる生活も慣れてきた。
 ただ、恋人がこれまでいたことない俺にとっては、恋人らしいことをまだできていない気がする。二人でデートまがいのことをするが、夜野くんの口から"デート"の単語は聞いたことがない。
(てか、恋人って何するんだろ)
 悶々と考えていると、夜野くんが耳元で吐息をたっぷりと含んだ色っぽい声で囁く。
「何考えてんだよ」
「……やっ、これは……その、夜野ともっと恋人らしいことできないかなって」
「ふーん」
「ふーん……って。それ、どういう反応!?」
「俺も恋人いたことないからわかんないし」
 じゃあ、俺たちは初めて同士というわけか。
 その響きは甘美なものだったが、余計に『恋人』とはと頭の中がぐるぐると回る。周りは、俺たちを恋人だって言っているし、騙せているならそれでもいい気がするが、ずっと変化のない恋人なんているのだろうか。
 時に甘々で、時に喧嘩してぶつかって、それでも最後はくっついて一緒みたいな。
 俺の中で想像できる恋人像というのは、少女漫画とか、少年誌にちょろっと出てくる恋愛パート部分で見たものだけ。
 実際に夜野くんと恋人になってからしていることは、一緒にいて、遊びに行ってとそこまで友だちと変わらない気がする。
(もっと、こう、ハプニングとか!!)
 ときめきが欲しくもある。
 そんな願望を胸にあれこれ考えていると、もぞりと俺のカーディガンの中に手が突っ込まれる。
「――朝比奈」
「ひゃいっ!?」
「ははっ、変な声」
「や、夜野くんがいきなり俺の服ん中手ぇ突っ込んだから!」
「体温つめてー……朝比奈千桜って、春っぽい名前なのに寒がりなんだな」
「いや、名前、関係ない、し」
 夜野くんは、後ろから抱き着きながらカーディガンの下に手を潜らせ、シャツの上から俺の身体を触っていた。そんな夜野くんの手が胸あたりを掠める。
 さわさわと何とも言えない絶妙な撫で加減に、俺は身を捩る。優しく触られているはずなのに、触れられたところがじんじんと熱を持ち始める。周りには人がいるっていうのに、こんな変な気持ちになるなんてダメだ――
「ちょ、止めろって!!」
 思わず肘でどんと押す。
 その後、我に返って、やってしまったと顔が青くなる。夜野くんは――と、振り返ったが、彼は口元に手を当てて笑っていた。
「こういうの、恋人っぽいだろ。いちゃついてる感ある」
「だからって、人前でははずいし!!」
「じゃあ、人前じゃなかったらいいんだな」
 じとっと俺の眼を見つめる夜野くんからは見たことのない熱を感じ取った。その瞬間ドクンと心臓が脈打つ。
 カーディガンをぎゅっと握りしめ、早まる心臓の音を聞きながら夜野くんを見る。きっと顔も赤くなっていることだろう
「……急すぎるよ」
「恋人らしいことしたいって言ったの朝比奈だろ?」
「言ったけど」
「じゃあ、徐々に慣れてって。ま、俺はせっかちだからあんま待てないかもだけど」
 「じゃ」と、夜野くんはそれだけ言うと自分の席に戻っていった。
 一体何だったんだと、彼に触られたところをペタペタと身体で触ってみる。だが、彼に触られたときのように何も反応しないし、じんじんしない。
(心臓飛び出るかと思った……)
 確かに今のは恋人のいちゃつきっぽかったけど、と心の中で感想を言い、チャイムが鳴ったと同時に俺も彼の隣の席に座った。

◇◇◇

(寒い……)
 キュ、キュ、キュと体育館の床を滑る音が聞こえる。
 一時間目の体育の時間はバスケットボールだ。半分のコートを女子が、もう半分のコートを男子が使っている。一応ネットで区切られているものの、時々ボール相手のコートにが転がっていく。
 換気のためにと窓という窓が全部開いていて、そこから一気に風が吹き込んでくる。授業中は基本半袖だし、壁にもたれかかって体操座りをして身を縮めているしかない。
 ガタガタと震えながら、次の試合まで待っていた。
「あいつ、スポーツまで出来んのかよ。イケメンはイケメンだけで得してんのにな」
「そそそそ、そうだね」
 俺の隣に立った夕田は、コートで三人抜きした夜野くんを見ながら憎悪を込めてそういった。
 俺も震えながら、コートでドリブルを決める夜野くんを見る。
 夜野くんは三人抜きした後もディフェンスに囲まれてパスを出すのが困難な状態。そもそも、夜野くんは同じチームの日尾にしかパスを出さないため、それを読まれてパスコースも塞がれている。
 さすがにこれはつんだだろうと見ていると、まさかその場からシュートフォームをとった。
 皆入らないだろうと、警戒を緩めていたが、そのまま夜野くんの放ったボールはシュパッときれいにゴールへと吸い込まれていく。バスケ部も顔負けの着れないシュートに、試合を一足先に終えた女子から黄色い歓声が飛ぶ。
 そのタイミングで、試合終了のホイッスルが鳴り、夜野くんのチームは逆転勝ちしたのだった。
「す……ご」
 夕田の言う通り、顔だけじゃなくてスポーツもできるなんて予想外だ。
 もともと出来そうではあったものの、ここ最近は個人競技が続いていたため、夜野くんの存在はあまり目立っていなかった。だから、改めて彼の活躍を見てあっと言葉を失ったのだ。
 コートから帰ってきた夜野くんは服を引っ張って汗をぬぐい、ちらりとこっちを見る。
「見てたのかよ。えっち」
「え……えち……って、わっ、何!?」
「寒いなら、これでも着とけよ」
 夜野くんはこちらにやってきたかと思うと、青いジャージを俺にぽいと投げた。それが頭にかかって視界が覆われ、俺があたふたしているうちに、水分補給をしに行ったのか気配が消えた。
 ぷはっ、とようやくジャージから顔を離し胸元の刺繍を見る。そこには"夜野"とかかれており、これが彼のジャージであることに気づく。
「ほほほ~ん、朝比奈。それ、彼ジャージってやつ」
「か、彼ジャージ」
 夕田はニヤニヤとそう言ってきたが、それに反応する余裕なんてなかった。
(夜野くん、俺が寒いって気づいてたんだ)
 試合に集中していたから俺のことなんて見ていないと思っていた。もちろんそれが普通だ。
 でも、彼は明らかに俺が寒がっていることに気づいていたようで、ジャージを貸してくれた。
 俺は、寒い寒い言いながらジャージを忘れてしまったから手元になかったのだ。
 夕田は「ラブラブだなあ~」と自分の身体を抱きしめてくねくねと身体をくねらせていた。だが、俺はなんとなくそれを無視し、スンとジャージの臭いをかぐ。何だか変態だと思ったが、香ってきた爽やかな匂いに鼻が縫い付けられたように動かなくなる。
(夜野くんの服、めっちゃいいにおい……イケメンっていい匂いまでするんだ)
 俺はしばらく匂いを嗅いでいたが、この痴態を見られてしまったら夜野くんに引かれるかもしれないと思い、サッと羽織る。ジャージは風の当たるところに放置されていたため少し冷たかったが、すぐに温かくなり、先ほど感じていた震えも収まっていった。
 面と向かってはちゃんと言ってくれないけど、夜野くんは結構優しい。
 普段はむすっとしていて不愛想だし、口数も多いわけじゃない。でも、こういう何気ない気遣いをしてくれるし、笑うと幼くなって……それでもかっこいい。
(あと、声がいい)
 耳元でささやかれたら全身にいいぞわぞわが伝わる。耳が茹るくらい、心地の良い低音ボイスは聞いているだけでも満足してしまう。
 俺はそんなことを考えながら、ふと朝の出来事を思い出した。
 後ろから抱きしめられて、耳元でささやかれ、服の上から胸を――
『――朝比奈』
「ああああああああっ!!」
「おわっ、なんだよ。朝比奈、急にでっかい声出して」
「な、何でもない」
 いきなり俺が声を上げたものだから、夕田がウザそうに声をあげる。
 反射で「何でもないから」と答えて、夜野くんがくれたジャージに顔を隠した。
(俺、何考えてんだろ)
 夜野くんのことを意識している。頭の中がすでに彼でいっぱいになっていた。
 また頭の中がぐるぐると回ってやかましい。
 そんな中、ふわりとジャージから夜野くんの匂いがして、また抱きしめられているんじゃないかという錯覚を受ける。なんだか、踏んだり蹴ったりだ。
「まあ、何でもいいけどさ。朝比奈。次、俺たちの試合だぜ。しかも相手は、あの夜野」
「次、そうだっけ」
「ボコボコにしてやろうな~!!」
「ファールは取らないでね」
 コートにはすでに夜野くんが戻っていた。
 俺は彼からもらったジャージをきれいに折りたたんで体育館のステージの上にそっと乗せる。それから、彼のいるコートへと走ったのだった。

◇◇◇

 カラカラカラカラと自転車の車輪が回る。時々、少し大きな石の上を通ってガコンと、前に乗せていた鞄が跳ねる。
 俺と夜野は一列になって下校をしていた。
「夜野くん、バスケめっちゃ強いね」
「中学生のころ、バスケ部だったから。今は帰宅部だけど」
「もったいない。何でやめたのさ」
 後ろから夜野くんの声が聞こえる。
 体育のバスケの授業で夜野くんのチームと戦った。初めこそいい試合を繰り広げていたが、後半になるとスタミナが切れて、ぐんぐんと点数を広げられた。
 夜野くんはその試合だけでもスリーポイントシュートを三回くらい決めていた。本日のMVPは誰がどう見ても夜野くんだ。
 身長差と体格差もさながら、テクニックでも勝てない。彼が元バスケ部出身というのであれば納得のできる動きだった。勝てるわけない。
 はあ、とママチャリのカゴにため息を吹っ掛けてとぼとぼと歩く。
 夜野くんは俺の質問にもなっていない言葉に対し「ファンクラブができたから」と冗談なのか、本気なのか分からないことを返した。
「何その嘘みたいな話」
「俺、嘘ついたことない。ほんとの話」
「……夜野くんのファンクラブ?」
「そ。バスケに集中したいのに、応援席が女子でうるさすぎて、中学で引退してからはバスケを辞めたって感じ。そもそも、そんな強くなかったし」
「十分強いよ」
 確かに夜野くんのスペックでバスケもできたら、そりゃ女子たちが見に来てもおかしくないと思った。
 嘘みたいな本当の話だったが、夜野くんはあまりいい思い出じゃないようで黙ってしまう。
(苦労してたんだ……モテるって大変だな)
 こうして二人で帰るのも慣れたが、沈黙の時間が続くと少しそわそわしてしまう。
 いつもの癖で、何か話題をと探してしまい、頭より先に口が開く。
「あの、その……夜野くん、体育のときありがとう」
「ん? ああ、ジャージ? 犬みたいにクンクンしてたな」
「み、見てたの!?」
「そりゃ、恋人だし」
「理由になってない……いや、いい匂いしたのは……うぅう~~~~」
「照れんなよ」
「別に、照れてない。でも、そう、ありがと。俺が寒いの気にしてくれたんだよね」
「朝から鼻の頭赤くしてたし。朝からだろ? すぐわかった。俺が抱き着いても震えてたからな」
(めっちゃ俺のことよく見てんじゃん)
 ちょうど前方にあったカーブミラーで後方の夜野くんを確認する。
 俺も人のことよく見るけど、気をつかわれたことはあまりなかったかもしれないと思い出す。そう思ったとき、体育の夜野くんのちょっとした気遣いが嬉しかったのだ。
「うん、改めてありがと。ちゃんとお礼言えてなかったって思って」
「彼ジャージって恋人みたいだっただろ」
「た、確かに……それ夕田にも言われた」
「チッ……あのうるさいやつ」
 めちゃくちゃな暴言が後ろから聞こえてきた。
 確かに夕田はお調子者でうるさいけど、俺の友だちだ。まあ、夜野くんに対してあたりが強いから、夜野くんの嫌いなタイプかもしれないけど。
「朝比奈が恋人っぽいことしたいって言ったから」
「う、うん。それで?」
「……違う。お前が寒そうだったから、ジャージ貸した。ただそれだけ」
 え、と思わず自転車を止めてしまう。すると俺が止まるのを予想していなかったのか、後ろから激突されてしまった。
「いきなり止まんなよ」
「すごく恋人っぽいよ。夜野くん」
「目、めっちゃキラキラしてんな……」
「すごい、恋人っぽかった。恋人成分摂取した」
「意味わかんねえし……てか、まだ足りない?」
「足りない?」
「だから、恋人っぽいこと」
 夜野くんはポリポリと頭を掻きながら言う。
「あ、でも俺が責任取るって言ったし、俺が考えなきゃ」
「いーよ、別に。朝比奈は恋人でいてくれればいい。んで、俺が恋人っぽいこと考える」
「そ、そう?」
(でも、俺から何かしたいよ)
 貰ってばっかりは不公平だ。夜野くんにも何か返したい。
 そう思ったが、何も浮かばず、しばらく考えてからパッと浮かんだ言葉を口にする。
「夜野くんって声いいよね」
「朝比奈、いきなりすぎんだろ。てか、声?」
「うん。ほら、今日の朝……あーえーっと、体育のときとかも。ううん、前々から声がいいと思ってた。カラオケのときも、いつまででも聞けるなって」
「いきなり褒められても困んだけど」
「ごめん。恋人だからいいところ褒めたいって思って」
「謝れって言ってないし。あっそ、俺の声が好き、ね……」
 夜野くんはふら~と視線を逸らした後、俺の自転車の車輪を蹴飛ばした。パンクしたらどうするんだよ、と見ると、何やら考え事をしている最中だったので、そっとしておくことにした。
 俺たちの影は長く細く車道のほうに伸びていた。

◇◇◇

 夜――ご飯も食べ、風呂も入り、後は寝るだけとベッドの上で漫画を読んでいた。
 姉ちゃんが押し付けるように布教してきた少女漫画は、意外にも泣けるし胸がときめくもので、先ほど続刊を借りてきたところだ。ベッドの上にその漫画が積まれており、まだ眠れそうにない。
 漫画の内容はありがちなべたべたな恋愛漫画。
 意地悪で不器用なヒーローと、自分に自信のないヒロインの物語で、ヒーロー側が少し夜野くんに似ていた。もしかしたら、夜野くんは漫画から出てきた存在なのかもしれない、なんてアホなことを考えているとスマホのバイブが鳴る。
 ベッドの上に置いてあったスマホを手繰り寄せ、黒い画面に映った夜野くんの文字に目を丸くする。
 恋人になってすぐに連絡先を交換した。それからメッセージのやり取りはこまめにしていたものの、電話はこれがはじめてだった。
 しかも十一時半。こんな時間に何の用事だろうか。
 しばらくコールが続いたので、意を決して受話器ボタンを押す。
『もしもし?』
 電話の向こうから聞こえてくるのは、耳がふやけるような夜野くんの低い声だった。
 耳に当てて聞いていては、俺の左耳がダメになる!! と、慌ててスピーカーに切り替える。それから、ベッドの上で正座をし、その下にスマホを置いた。
「も、もしもし」
『朝比奈、声遠くない?』
「ご、ごめん。近づく」
『ち、近づくって何?』
 向こう側から夜野くんの困惑した声が響く。
 俺は、ベッドの上にあった枕の上にスマホを置き寝ころぶ形でスマホを見る。これだとビデオ通話のほうがいいんじゃないかと思ったが、スマホの画面は黒いままだ。
「夜野くんこんな遅くに、なんか用事でもあった?」
 俺が訊ねれば、しばらくの間のあと「用事がなきゃ電話しちゃダメなのかよ」と少し怒ったような口調で返ってくる。喧嘩腰なのはなぜだろうか。俺は少女漫画を避けながら「ううん、いいけど」と消えるような声で言う。
『お前が、恋人らしいことしたいって言ったから』
「うん?」
『寝落ち電話。恋人らしいだろ?』
 どこか得意げにそう言った夜野くんの声は少し弾んでいた。
 寝落ち電話――確かに、クラスの男子がそんなことを言っていた気がする。彼女が寝るまで通話を続けるとかいうやつ。
「確かに……でも、どうして」
『どうしてって、お前……昼間言ってたじゃん。俺と恋人らしいことしたいって。だから考えた。結果これ』
 相変わらずぶっきらぼうな口調だった。そんないい方しなくていいじゃないか。
 けれど、夜野くんなりに考えて電話をかけてくれたことはなんだか嬉しかった。あれから考えてくれていたんだ、と思うと嬉しくて足をバタバタと柄にもなく動かしてしまう。
(あ、普通にすげえ嬉しいかも)
 これは恋人らしいことかもしれない。
 そんなことを思いながら、スマホの向こうから聞こえてくる風の音に耳をすます。
「そういえば夜野くんってどこにいるの? 風の音聴こえるけど」
『ベランダ。すげえ星見える』
「へえ。俺の部屋ベランダないからちょっと見えないかも」
『じゃあ、後で画像送る』
 いつもより優しく感じる声色に心臓がドキドキする。今、部屋に響いているのは俺の心臓の音と時計の音くらいだろう。
「で、寝落ち電話って何するの? 俺、寝るだけの状態にしたけど漫画読んでて」
『知らね』
「知らねって……」
『じゃあ、朝比奈が寝るまで、お前の好きなところいう』
「え!? 夜野くんって俺の好きなところあるの!?」
 大声を出せば、隣の妹の部屋からドンドンと音がする。静かにしろということなのだろう。
 スマホ越しから『おっきな音したけど大丈夫そ?』と心配の声が飛んでくる。俺は小声で「妹に怒られた」と言いながら、真っ黒なスマホを見つめた。そこにはちょっとにやけている俺が映っている。
「俺の好きなとこ。夜野くんが言ってくれるの?」
『その代わり、朝比奈も言うんだからな』
「わ、考えてなかった」
『さっき褒めてくれただろ。ああいう感じでいいし。俺が言う終わるまでに考えとけよ』
「交互じゃないの?」
『先行は俺――嘘つかないところ』
 最初にそれかよ、とツッコミを入れそうになったがグッと堪え、次に何が飛び出してくるだろうと想像する。
『笑顔がかわいいとこ、マイナーな曲入れて熱唱するとこ、寒がりなとこ、寝癖がいつもついてるとこ』
「そ、それって悪口じゃない!?」
『人それぞれいいって思うポイントは違うんだよ。ほら、次、朝比奈』
 急かされ、俺は反論の余地も与えられない。
「……声がいい」
『さっきも言ってたな』
「顔がいい、手……とか好き、歌ってる横顔、バスケがうまいとこ、ちょっとした気遣いが嬉しい」
『最後の感想じゃん』
「いや、好きなとこなんだって。ジャージ嬉しかったし。夜野くんといると、気をつかわなくていいから楽で……あと、普通に楽しい」
 俺は何度も言うけど、人に気をつかうが人に気をつかわれたことはなかった。
 それが当たり前みたいに定着して、みんな俺が何でもやってくれるだろうと思っているんじゃないかって、時々考えてしまう。友だちをそういう目で見たくないし、俺もしたくてやっているから文句なんて言うのも場違いだ。
 けれど、ちょっとしたことがあったとき、謝ってくれたり、ありがとうって言ってくれたり。そんな何気ない一言をかけてくれたら嬉しいって思う。
 あと、俺のことちゃんと一人の人として見てほしい、大切にされたい。
(夜野くんといるときは、自然体でいられるから)
 だからそのまま、俺を見てほしい。
『――朝比奈?』
「な、何」
『聞いてた?』
「いや、ごめん、ちょっと考え事してた」
『……眠たくなったらそう言えよ。このまま俺は朝比奈の好きなとこ二周目いうから』
「え!? 俺のことそんなに好き……」
 何で? と言いかけたとき、ふわっと睡魔が襲ってきた。いつもならもう寝ている時間だからかもしれない。
 夜野くんがスマホ越しに俺の好きなところを言っているが、水に入ったみたいに聞こえなくなっていく。
(ダメ、寝落ちる……)
 瞼が半分落ちた。顔をあげる気力もない。口なんかとっくの昔に動かせなくなってごにょごにょとしている。
『朝比奈、寝た? ……おやすみ』
 瞼が落ちきる前、最後に聞こえた夜野くんの声は、今日聞いた中で一番優しかった。