目を合わせるまでの距離

配布の列が一巡して、彼の背中は人混みの向こうに混じっていく。

名札のない背中は、ただの背中になる。

私は毛布の端を握り直し、膝の上のライトの丸をもう一度整えた。

丸の境界線が少しだけ太くなる。

母が遠くから目で問い、私は小さくうなずく。

大丈夫。

大丈夫じゃない瞬間もあったけれど、今は大丈夫に戻ってきた。

天野さんが、空になったダンボールを腕に抱えながら、「少し休む?」と短く聞く。

視線はやはり床の少し手前。

私は「うん」と答え、ベンチの端に腰をかける。

ポケットからメモ用紙を取り出し、鉛筆で小さな四角を四つ並べて描く。

四角の横に、夜のうちに彼から教わった“見えるもの・触れているもの・聞こえる音”の言葉を、小さく書き足す。

まだ“ノート”と呼ぶほどではない。

けれど、目に見える形があると、息が通りやすい。