竜卜占は、天礼堂で行われる。
 後宮内の祭祀全般を執り行う場所で、床の一部が外へせり出す舞台のようになっている。

 宮を出る直前まで、皓月は玉蘭を励ました。その声に呼応するかのようにお腹が温かくなり、玉蘭が手を添えると皓月も大きな手を重ねた。
「案ずるな。堂々とやればいい」
「はい」
 玉蘭は力強く頷いた。
 宮から天礼堂までの回廊は、秋香が付き添った。
「こんなにも素敵な碰鈴ができたのですから完璧です! どんなに大きな竜が現れても、怖がらずに目を大きく見開いて応援しております!」
 最後まで明るい声で玉蘭を送り出してくれた。
 
 いま舞台に立つのは玉蘭ただひとり。
 祭祀用の衣装に身を包み、手には碰鈴を持っている。

 天礼堂の屋根のある場所には、立会人たちが座っていた。
 上座に皓月と皇太后様が並んで腰かけている。
 次いで、巫女たち。もちろん揚揚もいる。さらには占術師や宦官、女官たちがいて、一番奥には秋香もいた。

 揚揚はどんな気持ちで玉蘭を見ているのだろうか。
 竜を呼ぶことができなければ、玉蘭の罪が確定する。
 揚揚は、それを願っているにちがいない。さらには、竜などいるものかと心の中で舌を出して玉蘭をあざけっているかもしれない。

 しかし玉蘭の懐妊が知れ渡り皓月が厳重に守っているため、子を奪う計画はもはや実行不可能だろう。
(嘘つきのあなたには負けないわ)

 ふうっと深呼吸をした玉蘭は、視線を再び皓月に戻した。
 目が合うと、こくりと頷いてくれた。
 玉蘭は深々と一礼すると、雲ひとつない青空に向かって両腕を上げる。

 チリーン、チリーン。
 玉蘭が赤い組みひもを揺らすと、碰鈴の澄んだ音が空に吸い込まれていく。

(竜よ、わたしの呼びかけにどうぞお応えください)

 強く祈りながら、玉蘭は碰鈴を鳴らして舞を踊る。
 すると、青空のどこかで遠雷が聞こえた。
 立会人たちが顔を見合わせているが、玉蘭はかまわず碰鈴を鳴らしつづける。

 チリーン、チリーン。
 何度目かわからない鈴の音が響いた時、突然空が暗闇に覆われた。
 その直後、空を切り裂くような稲妻が走り天礼堂を揺らした。
「きゃあっ!」
 巫女や女官たちから悲鳴が上がる。

 そして――雷鳴とともに竜が姿を現した。
 実体があるのかないのか、体は黒い影のようだ。
 
「おおっ」
 今度はどよめきが上がる。

 空から滑るように下りてきた竜が、真っ赤な目で玉蘭を見ている。
 その威圧感に膝を折りそうになりながらも、玉蘭は歯を食いしばってどうにか耐えた。
 両手を伸ばして赤い組ひもを揺らす。
 チリーン。
 玉蘭は大きく息を吸い込んで声の限りに叫んだ。
「竜よ、裁きを!」

 大きな鉤爪のついた竜の前肢が玉蘭に向かって伸ばされた。
 咄嗟に首をすくめる玉蘭を素通りして、竜の前肢がスルスルと伸びていく。
 その先にいたのは――揚揚だった。

「いやあぁぁっ! 放して、放しなさいったら!」
 竜に掴まれた揚揚が、体をよじりながら悲鳴を上げる。
「助けて! 誰か……!」
 揚揚が恐怖で顔を歪ませながら暴れても、鉤爪は彼女をしっかり捕らえて放さない。

 皆が驚いて指一本動かせないうちに、竜は雷鳴とともに揚揚を連れ去って天へと帰っていった。
 先ほどまで暗転していた空が嘘のように青空に戻る。

「竜が……来てくれた……!」
 緊張から解放されて力が抜け倒れそうになる玉蘭を、駆け寄った皓月のたくましい腕が支える。
「よくやった」
 一瞬ふわりと玉蘭を抱きしめた皓月は、ぐるりと天礼堂を見回した。

「竜卜占により、玉蘭の無実が証明された。罪人は揚揚。ここにいる全員が証人だ」
 玉蘭の肩をしっかり抱いて、皓月が続ける。
「いまこの時をもって、私の子を宿し『共鳴』の竜気を持つ玉蘭を私の正妃とする」
 皓月が力強い声で高らかに宣言した。