訳がわからぬまま、玉蘭は地下の独房に入れられた。

「なにかの間違いです。わたしは呪いなどかけておりません!」
 いくら身の潔白を訴えても、誰も耳すら貸してくれない。
 独房までの道すがら、芳夫人は玉蘭に対してなじるような言葉をぶつけつづけた。

 玉蘭は、独房でゆっくりその言葉を思い出しながらつなぎ合わせる。
『揚揚を殺そうだなんて、おとなしい顔をしてよくやるわね』
『最下位の分際で嫉妬なんて、厚かましいにもほどがある』
『いくら言い逃れしようとも処刑は確定だ』
 
 つまり、玉蘭があろうことか揚揚を呪い殺そうとした嫌疑がかかっているのだろう。
 動機は揚揚の懐妊を妬んでのこと。
 そして玉蓮の処刑がすでに確定しているらしい。

 こんな馬鹿げた話はないと、玉蘭は頭を抱えた。
 たしかに揚揚に対して嫉妬心を抱いてしまったことならある。
 でも、死んでほしいと思ったことなど誓って一度たりともない。
 揚揚は、玉蘭に対して常に親切に接してくれた仲間だ。健やかな赤ちゃんを産んでほしいと心から願っていた。
 それなのに……。

「眠っていただけで、誰かを呪い殺すことなんてできるのかしら?」
 誰かを呪うためには呪物が必要であることぐらいしか、玉蘭には知識がない。
 悪夢を見て、奇妙な体験をしたことなら事実だが。

 玉蓮は、ハッとして顔を上げた。
「まさか、あのお香が?」
 お香を焚いて眠った。いつもとちがうことといえば、それだけだ。
「でも……」
 あのお香は、揚揚からもらった物だ。
 それが呪物だったとして、どうして揚揚が呪われることになるのか。
 しかも、騒ぎが起きてから間を置かずに芳夫人が玉蘭のもとへ乗り込んできたのも不可解だ。

(まるで最初から、わたしが犯人になるように仕組まれていたみたいだわ)

 タイミングも良すぎる。
 いま、皓月は地方の視察へ出かけていて不在にしている。あと数日は帰ってこないだろう。
 この後宮に、玉蘭の味方はわずかしかいない。

「揚揚と秋香は無事なのかしら」
 募る不安にため息ばかりついていると、玉蘭のお腹が再びじんわり熱を持ちはじめた。

「励ましてくれているの? ありがとう、大丈夫だからね」
 自分自身に言い聞かせるようにそう言って、お腹を撫でる。
 なにがあっても、この子を守らなくてはいけない。
 不意に、皓月の笑顔を思い出した。

(皓月様に会いたい……)

 こみ上げてくる涙をグッとこらえる。
 玉蘭はお腹に手をあて、事態の好転を祈りつづけた。


 どれぐらいそうしていただろう。
 独房は地下にあるため窓もなく、時間の感覚を失う。
 まんじりともせず祈りつづける玉蘭のもとへ、揚揚がひとりで訪ねてきた。
 女官は外に待たせているらしい。

「玉蘭」
 独房の前に立つ揚揚の表情は、どこかぎこちない。
「揚揚! よかった、無事だったのね?」

 玉蓮は鉄格子に近寄った。
 揚揚の右腕に巻かれた包帯が痛々しい。

「怪我をしているのね?」
「大丈夫よ、たいしたことないわ」
 揚揚がにっこり笑う。
「お腹の赤ちゃんも無事よね?」
「ええ、もちろんよ」
「よかった……!」
 玉蘭はホッと胸を撫でおろした。殺人未遂と言われたため、揚揚がどんな状態なのか心底心配していたのだ。

「ねえ、揚揚」
 玉蘭は声を潜めた。
 どこで誰が聞いているかわからないためだ。
「どう聞いているかわからないけど、竜神様に誓ってわたしはあなたを呪ってなんていないわ」
 無言のまま頷く揚揚の様子に、理解してくれているととった玉蘭は続ける。
「誰かがわたしたちを騙そうとしているの。命まで狙われているかもしれない」
 揚揚が怪訝な顔をする。
「どういう意味?」
 玉蘭は、自分なりに整理したことを揚揚にすべて話した。
「……という訳なの。あのお香のせいなんじゃないかと思っているんだけど、なにか心当たりはない?」

 玉蘭の説明を黙って聞いていた揚揚の肩が小さく震えている。
 怖がらせてしまったのかと思ったら、ちがっていた。彼女は笑っていたのだ。

「田舎者って、みんなそんなにお人よしなの?」
 顔を上げて玉蘭を真っすぐ見つめる揚揚の顔つきと声色が、まるで別人のように豹変する。
「え……?」
 突然なにを言い出すのかと、玉蘭は戸惑って目を瞬いた。
「あなたの推理は、なかなかいい線をいっているけど惜しいわね」
「揚揚? なにを言って……」
 玉蘭の言葉を遮って、揚揚が声を立てて笑う。
「あははっ、おかしい。まだわからないの? 本当にお人よしなんだから」
「まさか……!」

 玉蓮は、ようやくある可能性に思い当たって全身から血の気が引くのを感じた。
「あなたの仕業だったってこと?」
「そうに決まってるじゃない」
 揚揚は悪びれもせず、あっさり認めた。
「誤算だったのは呪い返しに遭ったことだけどね。竜気が弱いくせにまさか跳ね返されるなんて、ちょっと見直したわ。そうなった場合の計画も用意しておいてよかった」
 にやにやと笑う揚揚は、包帯の巻かれた右腕を振った。
 呪い返しとはその言葉通り、受けた呪いを相手に跳ね返すことを意味する。
 つまり玉蘭は昨晩、お香を模した呪物を介在して揚揚から呪いを受けたが、それを跳ね返して彼女に怪我をさせたことになる。
「じゃあ、跳ね返さなかったらわたしは、そのまま夢の中に閉じ込められていたの?」

 声を震わせる玉蓮を見て、揚揚は勝ち誇ったように笑う。
「せっかくだから教えてあげる。当初の計画では、あなたは眠ったまま隔離される予定だったのよ。妊婦のいる後宮で奇病が発生したとなれば、どうなるか想像できるでしょう?」
 伝染する病の可能性が高いと診断されれば、当然妊婦から隔離されることとなる。
 それを狙っていたのだろう。
 しかし、その目的がわからない。玉蘭を隔離してなにをするつもりだったのか。
「どうして……」
「まだわからないの?」
 呆れたようにため息をついた揚揚が続ける。
「胎内で育った赤子を取り出してから、玉蘭には死んでもらおうと思っていたってことよ」
 人懐っこい笑顔が持ち味だった揚揚の口からそんな残忍な言葉が出てくるのが信じられなくて、玉蘭は身震いした。

「だって、揚揚のお腹には陛下の御子がいるんでしょう?」
 すると揚揚が高笑いする。
「お馬鹿さんねぇ、いるわけないじゃない。わたし、懐妊なんてしていないもの」

 玉蘭は驚きのあまり倒れそうになった。
 格子を挟んで目の前にいるのは、本当にあの揚揚なんだろうか。

「じゃあ、どうして懐妊したなんて嘘を……? いつかバレてしまうのに」
「うん。バレちゃうから赤子が必要なんじゃない」

 息苦しさを感じながら、玉蘭はここ最近の揚揚との会話を記憶を手繰り寄せた。
 揚揚は、懐妊したかもしれないと言う玉蘭に対し、しきりに「まだ黙っておいたほうがいい」と繰り返していた。
 そして自分が先に懐妊を発表したのだ。

「最初から、この子を奪うつもりだったの?」
 玉蘭は自分のお腹に手をあてる。
「計画は変わったけど、わたしが玉蘭から呪われたって言ったら芳夫人がそれを簡単に信じてね、妊婦を呪い殺そうなんて悪質だって、あなたは明後日に処刑されることになったのよ」
 おかしくてたまらないといった様子で揚揚は笑いながら続ける。
「でも安心して。処刑した振りだけしてまだ殺さないから。出産までどこかに幽閉してあげる。その子は、わたしの子として育ててあげるからせいぜい元気な子を産んでね」
 
(なんて大胆な計画なの……)
 皓月がいれば間違いなく阻止される。
 だから彼の留守中に計画を実行に移したのだろう。
 しかし玉蘭には、まだまだ理解できないことだらけだ。
「まだ性別もわからないのになぜ? 揚揚も近いうちに本当に懐妊したかもしれないのに」
 生まれてくる子が女児であれば、どのみち正妃にはなれない。

 揚揚の顔つきがまた変わった。
 怒りに満ちた目で玉蘭を睨み、吐き捨てる。
「あなたのそういうところが大っ嫌い!」

 後宮に来てからの半年間、揚揚はいつも笑顔で玉蘭を明るく優しく励ましてくれた。
 それなのに、どうして――。

「陛下はおしゃべりしに来るだけで、一夜をともにしたことなんて一度もないわ。ほかの巫女もそうだった」
 大事に愛されていると吹聴していたことまで嘘だったのかと、玉蘭は愕然とした。
「だから、あなたが来るまで陛下は不能なんじゃないかとまで言われていたのよ」
 なんて言い草なのかと耳を塞ぎたくなる。
 そんな玉蘭にはおかまいなしに、揚揚はすべてをぶちまけるかのように言う。
 
「あなたがここに来るまでは、わたしが一番下っ端で酷い扱いを受けていたの。もっと下っ端が来てやっとそこから解放されたと思ったのに、すぐに陛下を篭絡するもんだから、どんな房中術を使ってるかと思って近づいてみたら……」
 揚揚がフンッと鼻を鳴らす。
「わたし頑張ってます!みたいな、ただの真面目な優等生で鼻につくったらなかったわ」

 ついに玉蘭の大きな目から涙がこぼれた。
 親切にしてもらったことや、一緒にお菓子を食べて笑ったこと、そのすべてが偽りに満ちたものだったとは。

「ふふっ。いいわね、その絶望した顔」
 揚揚はくすくす笑ったかと思えば、今度は低い声で告げた。
「わたしは、親から絶対に正妃の座を勝ち取れと言われているの。そのための努力だってしてきたし、虐めにだって耐えてきたわ。それなのに、ぽっと出の田舎者がいいとこ取りするのが許せなかったのよ。なんでわたしじゃなくて、あんたなの? 悪く思わないでね」
 最後に冷ややかな一瞥をくれて、揚揚は去っていった。