大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

嵩がいなくなってから、オフィスは少しだけ広くなった。

実際には何も変わっていない。

同じデスク、同じコピー機、同じ始業のチャイム。

それでも朱里は、空気の密度が違うことに気づいていた。

「中谷さん、これ確認お願いします」

瑠奈が資料を差し出す。

相変わらず、まっすぐで、遠慮がない。

「ありがとう」

朱里は受け取りながら、ふと笑った。

最近、自分がよく笑うことに気づいている。

無理に明るくしているわけではない。

ただ、息がしやすくなった。

昼休み、スマートフォンが震えた。

《今週は向こうも落ち着いた。
 来週、そっち行けそう》

短い文面。

絵文字も、余計な言葉もない。

朱里は、すぐには返さなかった。

焦らなくていいと、思えるようになったから。

《無理しないでください》

そう打ってから、少し考える。

《でも、来てくれたら嬉しいです》

送信。

胸の奥が、きゅっと鳴る。

それでも、不安より温かさのほうが大きかった。

仕事帰り、駅までの道を歩く。

以前なら、隣に誰かがいないことを数えていた。

今は、次に会える日を数えている。

──変わったな。

朱里は立ち止まり、夜空を見上げた。

言葉にできない変化が、確かにある。

百回言いかけて、飲み込んだ「大嫌い」。

一度もちゃんと言えなかった「好き」。

どちらも、まだ胸の中にある。

でも、もう焦らない。

好きという言葉は、
逃げないで隣に立てるようになってからでいい。

そう思えた自分を、
朱里は少しだけ、誇らしく感じていた。

スマートフォンが、もう一度震える。

《ありがとう》

それだけの返事。

朱里は微笑んで、画面を閉じた。

「……好きは、あとで言う」

誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。

夜風が、優しく頬を撫でた。

物語は、まだ続いている。

でも──もう迷ってはいない。