大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

送別会が終わり、店の前で自然解散になった。

「お疲れさまでしたー」

「また明日ー」

そんな声が夜に溶けていく。

朱里は駅へ向かう道を、一人で歩いていた。

胸の奥が、まだざわざわしている。

(……結局、何も言えなかったな)

後悔、と呼ぶには少し違う。

でも、満足とも言えなかった。

その時。

「先輩」

後ろから、聞き慣れた声。

振り向くと、望月瑠奈が少し小走りで追いついてくる。

「一人で帰るんですか?」

「……うん。瑠奈は?」

「私もです。方向一緒ですよね」

並んで歩き出す。

少しだけ、間が空いた。

先に口を開いたのは、瑠奈だった。

「今日」

短く、切り出す。

「先輩、何も言わなかったじゃないですか」

朱里の足が、ほんの一瞬だけ遅れる。

「……うん」

「正解だと思います」

即答だった。

朱里は思わず、瑠奈の顔を見る。

「え?」

瑠奈は前を向いたまま、続ける。

「送別会って、
 言葉が“共有物”になる場所だから」

朱里は、はっとする。

「先輩があそこで言ったら、
 それ、先輩の気持ちじゃなくなる」

「……」

「みんなの前で消費される言葉になる」

瑠奈は、少しだけ肩をすくめた。

「それ、先輩が一番嫌いなやつじゃないですか」

胸の奥を、正確に突かれた。

「……うん」

小さく頷く朱里。

瑠奈はそこで、ようやく朱里を見る。

でも、その目は挑戦的でも、責める色でもなかった。

「先輩って、
 “言わない”を選ぶとき、
 本当は一番ちゃんと考えてる」

「……そんなことないよ」

「あります」

きっぱり。

「私、空気読まないってよく言われるんですけど」

瑠奈は少し笑う。

「でも、今日は分かりました。
 あれ、逃げじゃない」

朱里の胸が、少しだけ軽くなる。

「じゃあ……」

言葉を探して、朱里は迷う。

「私は、どうしたらいいと思う?」

答えを求めるようで、
でも、押しつけたくない聞き方。

瑠奈は、少し考えてから言った。

「先輩が言うときは、
 “言わなきゃ”じゃなくて」

一拍。

「“言いたい”になったとき、だと思います」
朱里は、歩きながら深く息を吸った。

「……それ、すごく怖いんだけど」

「ですよね」

瑠奈は即答した。

「でも、怖いってことは、
 本気ってことです」

駅の明かりが近づいてくる。

「私」

瑠奈が、少しだけ声を落とす。

「平田さんのこと、尊敬してます。
 でも──」

一瞬、言葉を選んで。

「先輩が言葉を選んでる姿のほうが、
 ずっと強いなって思いました」

朱里は立ち止まり、瑠奈を見る。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

瑠奈は軽く手を振る。

「今日は、言わなかったで正解です」

その言葉を置いて、改札へ向かっていった。

朱里は一人、ホームに立つ。

電車の風が、髪を揺らす。

(言わなかった)

でもそれは、
“言えなかった”とは、もう違う。

言葉を大事にした結果だ。

朱里は、胸に手を当てる。

ここにある言葉は、
まだ温かい。

──いつか、ちゃんと渡すために。

電車が、静かに滑り込んできた。