大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

部屋の電気をつけたまま、朱里はベッドに腰を下ろした。

鞄を置く気にも、着替える気にもならない。

ただ、さっきまでの時間が、まだ体の中に残っていた。

(引き止めなかった)
それが、今夜いちばん大きな事実だった。

「行かないでください」 「一緒にいたいです」 「私のこと、どう考えてるんですか」

言おうと思えば、いくらでも言えた。

でも、言わなかった。

嵩が選択を差し出してくれたのに、
それを“縛る形”で受け取るのが、どうしても怖かった。

スマートフォンを手に取る。

画面は暗い。

通知も、メッセージもない。

(……これで、よかったの?)

問いが浮かぶ。

正解かどうかなんて、分からない。

ただ分かるのは──
言わなかった分だけ、胸が痛いということ。

朱里はベッドに仰向けになり、天井を見る。

「引き止めないって、大人な選択だよね」

小さく呟いてみる。

でも、その言葉は、どこか他人事だった。
大人だから引き止めない。

相手の未来を尊重するから言わない。

それは、たしかに綺麗だ。

でも。

(本当は……怖かっただけじゃない?)

言って、拒まれるのが。

重いと思われるのが。

「一緒に考えたい」と言われたのに、

自分の本音を差し出す勇気がなかった。

朱里は、ぎゅっと目を閉じる。

瑠奈の声が、ふとよぎる。

──先輩は、ちゃんと気持ちを言ってくれる人が好きですよ。

胸が、ちくりと痛んだ。

否定できなかった言葉。

嵩は、言葉をくれる人だ。

配慮も、覚悟も、選択肢も。

それに対して自分は、
“何も言わない”という安全な場所に立っていないか。

(……違う)

朱里は、ゆっくり息を吸った。

言わなかったのは、逃げたからじゃない。

全部言えなかったのは、
まだ整理できていないからだ。

「今の私が背負える分だけ」
そう決めたのは、自分だ。

引き止めないのは、
諦めじゃない。

(でも、苦しい)

それも、正直な気持ちだった。

朱里は体を起こし、机の上のノートを見る。

開いたページには、まだ書きかけの言葉。

・行ってほしくない
・でも、邪魔はしたくない
・一緒にいたい
・選んでほしい
・私も、選びたい

矛盾だらけだ。

それでも、どれも消せない。

朱里はペンを取り、空いている行に一行だけ書いた。

「引き止めない自分でいたい。でも、何も言わない自分には戻らない」

書いて、少しだけ肩の力が抜けた。

嵩が選択を迫られているように、
自分もまた、選ばされている。

「大嫌い」と言って守ってきた距離。

何も言わずにやり過ごしてきた関係。

そこには、もう戻れない。

朱里はスマートフォンを手に取る。

メッセージ画面を開く。

書いては消し、書いては消す。

結局、送らなかった。

今夜は、まだ言葉が足りない。

でも。

(考えてる。ちゃんと)

その事実だけは、胸に残す。

電気を消し、布団に潜り込む。

暗闇の中で、朱里は思った。

引き止めない選択は、
強さじゃなくて、覚悟だ。

そして覚悟は、
まだ“途中”でいい。

この夜は、決断の夜じゃない。

でも──
次に話すとき、何を言うかを選び始めた夜だった。

目を閉じても、すぐには眠れない。
それでも朱里は、

逃げなかった自分を、そっと抱きしめるように息を吐いた。