大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

「……実は」
その先の言葉を、嵩は一度飲み込んだ。

朱里は何も言わない。

促しもしない。

ただ、ここにいる。

それだけで、嵩は続きを話せた。

「転勤の話が、正式に出てる」

やっぱり、とも
思ってた、とも
朱里は言わなかった。

胸の奥がきしんだまま、黙って聞く。

「日程も、だいたい決まってる。
 早ければ、来月」

一ヶ月。

数字にすると、あまりにも短い。

朱里の指先が、わずかに震えた。

「……もう、決まってるんですか」

声は、思ったより冷静だった。

嵩は首を横に振る。

「“行く前提”ではある。
 でも──最終決定じゃない」

朱里が顔を上げる。

「断れる、ってことですか」

「正確には……選べる」

嵩は言葉を選びながら続けた。

「条件も悪くないし、評価としては悪くない。
 断れば、少し面倒な立場になるかもしれない」

それはつまり、
行くほうが楽だということ。

朱里は、そこまで理解した。

「でも」

嵩は、そこで初めて朱里を見る。

「昨日までなら、俺は一人で決めてた」

その視線は、逃げていなかった。

「朱里が、全部言わなかったから」

朱里の胸が、ひくりと動く。

「預けきらなかったから、俺も抱えきらなくていいって思えた」

言われなかった言葉。

その“空白”が、嵩をここまで連れてきた。

「……相談、ですか」

朱里が聞く。

嵩は、少しだけ間を置いた。

「相談、でもある。
 でも、決断を丸投げするつもりはない」

彼は、はっきりと言った。

「最終的に決めるのは俺。
 でも──一緒に考えたい」

一緒に。

それは、未来を約束する言葉じゃない。

でも、現在を共有する言葉だった。

朱里は、すぐに答えなかった。

心の中で、何かが騒ぐ。

行ってほしくない。

離れたくない。

でも、縛りたくない。

言えば、楽になる言葉はたくさんある。

それでも。

「……今すぐ、答えは出せません」

朱里は、正直に言った。

嵩は、うなずく。

「それでいい」

「でも」

朱里は、膝の上の手をぎゅっと握る。

「聞かせてもらえて、よかったです」

その一言は、
「引き止めない」でも
「送り出す」でもなかった。

ただの、事実。

嵩は、少しだけ肩の力を抜いた。

「ありがとう。
 言ってよかった」

夜風が、二人の間を抜ける。

公園の木々が、静かに揺れた。

まだ、何も決まっていない。

でも──
一人で決める夜は、終わっていた。

朱里は思う。

(これは、別れの話じゃない)

(選択の話だ)

そして同時に、
自分にも問いが返ってきていることに気づく。

──私は、何を言う側になりたい?
その答えは、まだ形にならない。

でも。

逃げない、と決めた夜だけが、
確かにここに残っていた。