大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

朱里は、駅の改札を抜けたところで立ち止まった。

スマートフォンの画面には、嵩からの短いメッセージ。

《少し歩くけど、いい?
 前に話した、あの場所》

“あの場所”。

それだけで、胸の奥が静かに鳴った。

(覚えてたんだ)

具体的な名前はない。

でも、どこかは分かる。

仕事で泣きそうになった日。

「大嫌い」と言う元気すらなくて、
ただ黙って隣に立ってもらった場所。

朱里はスマートフォンをポケットにしまい、歩き出す。

駅前の明るさを抜け、

人通りの少ない道へ。

足音が、自分のものだけになる。

(……逃げたいわけじゃない)

でも、軽くもない。

今夜、嵩は何かを話す。

それだけは分かっている。

転勤の話かもしれない。

それ以上かもしれない。

それ以下で終わるかもしれない。

全部、あり得る。

朱里は、自分の手を見た。

少し震えている。

(怖い)

正直な感情が、遅れてやってくる。

言葉を選ぶこと。

言わないことを選ぶこと。

それは、昨日までの自分がやっと辿り着いた場所だった。

でも今日は違う。

今日は、
相手の言葉を受け取る側だ。

(ちゃんと、聞けるかな)

途中、信号待ちで立ち止まる。
赤。

向こう側に、小さな公園が見える。

街灯がひとつ。

ベンチがふたつ。

記憶と、現実が重なる。

朱里は息を吸い、ゆっくり吐いた。

(全部は受け止めなくていい)

美鈴の言葉が、ふと浮かぶ。

──決めない選択も、逃げじゃない。
──今のあなたが壊れないことが、一番大事。

朱里は、歩き出す。

信号が青に変わる前から。

“急がない”と決めた足取りで。

公園の入口で、立ち止まる。

まだ、嵩の姿は見えない。

それが、少しだけ救いだった。

(……よし)

朱里は、ベンチの前で立ったまま、空を見上げる。

雲が、ゆっくり流れている。

何も決まっていない夜。

でも。

ここまで来た自分は、
確かに昨日より前にいる。

ポケットの中で、スマートフォンが小さく震えた。

朱里は、画面を見ずに、ぎゅっと握った。

“聞く覚悟”だけを、胸に残して。